2016年12月19日

3115話 簡略化


 重々しいもの、小難しく、時間のかかるものが敬遠される。現代人はやることが多い。しかし、昔の人は暇だったのかというとそうでもなさそうだ。暇をもてあましているような人でも多くの書を残している。手紙などもそうだ。そんなものを書く時間がどこにあったのかと思えるほど。
 だから忙しさに違いはないのかもしれないが、差が出るとすれば、今の方が手が抜けるということだろう。これはいろいろなものが進歩し、早くやってしまえるため。その代わり、さらにやることが増えたりするのは、空き時間ができるため。それを無視すれば、結構時間のゆとりが生まれる。そのため、今の人の方が、ものすごく忙しい人と、ものすごく暇な人の差があるのかもしれない。手の抜き方を覚えたためだ。しかし、それはまっとうな抜き方で、わざわざ手間のかかることをやる必要がなく、他の人も、似たような感じだと、なおさらだ。つまり普通の人が普通にやるような感じ。
 簡単にできるようになると、面倒なことはしたくなくなる。それを素早く簡潔にできる機械や道具やシステムがあればの話だが。
 朝刊を何紙も取っている人なら昼頃まで時間がかかるだろう。しかし全部読んでいるわけではない。必要な記事程度。たまには興味のない記事も読むが、これは世間のことを少しでも知っておいた方が良いからだ。何かのときに役立つかもしれない。しかし、朝から昼までそれを読んでいたとすれば、半日はインプットで終わってしまう。これが学生が勉強をしているのならいいが。
 つまり、簡略化されたものに取り囲まれていると、昔ながらの時間のかかるようなことはしたくない。これが趣味で、それが楽しいのなら、問題はないが。
 また、知識を必要としない、ただの段取りを覚えるだけで、できることもある。その仕掛けの中身など全く知らなくても。
 そういう風潮は昔からあったような気がする。たとえば神事や祭り、仏事でもいい。本来ならもっといろいろな過程が入るのに、簡略化されている。やはり昔でも、時間や日がかかりすぎるので、短い目にしたのだろう。そして完全に中を抜いたりする。
 風潮というのは一人で作れるものではない。これはマイブームだ。そうではなく、社会全体の風潮は、他の人もやるようになったため、安心してできる。やはりそれなりの理由があり、御所大事にしていたものも、必要性を感じなくなった人が増えたため、自然と省略されたり、消えたりする。
 こういうのは誰かの思想ではなく、地面から湧き出るような何かだろう。誰が沸かしているのかは分からないが、数が徐々に増えていくのだろうか。
 しかし、共鳴する人が少ないと、そうならない。何かが伝染するような同時多発的な共時性が起こらないと。
 それは気がつけば、既に起こっていたりする。
 良い時代なのか悪い時代なのかは分からないが、そういう時代にしかならないような風が吹いている。そして、それに対して警笛を鳴らす人も、いつも通りいるが、それもまたオプションのようなものとして、聞き流す人も多い。
 これも、昔からそんなパターンが繰り返し繰り返し続ているためだろう。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:35| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする