2017年01月10日

3137話 廃社の怪


 正月明け、しばらく立つが、村田は抜けきれないでいる。では何処に入り込んでいたのか。それはただの長い目の休みを過ごしていたので、仕事に戻るための頭の切り替えができないだけ……ではなく、正月に入り込んでいた。それは大晦日の夜からで、いつもなら十一時までには床につくのだが、テレビを見ているうちに年を越す寸前まで来た。除夜の鐘をつく映像が流れてきたので、それに誘われるように、村田は外に出る。除夜の鐘をつくためではない。鐘がつける寺など近くにはない。神社は歩いてでも行ける距離にあるので、そこで初詣をするつもりだ。これは今年に限ってのことで、去年も一昨年も、その前の年もやっていない。
 ここに引っ越し、一人暮らしを始めてからはカップそばを食べて寝るだけ。ここに餅を入れるのが楽しい程度の年越しそば。
 今年、初詣を思い付いたのは良い年ではなかったため、魔除けの御札か、お守り袋でももらって来ようと思った。ただ、町内の神社は村の神社で、そんなアイテムは売っていない。おみくじ程度。引かなくても、良い年ではないことは分かっている。だから凶。それをどう凌ぐかが問題で、それにはお守りや魔除けが有効。しかし、それを売っていないとなると、ただ単に神頼りになる。困ったときにしか、神様など用はないのだが、何もしないよりはましかと思い、外に出た。
 年が変わる寸前のカウントダウン。神社の稼ぎ時だろう。パチンコ屋の開店時間前のように参拝客が並んでいるものと想像したが、誰もいないし、それに暗い。廃寺というのがあるように廃社になったのかもしれない。しかし、鳥居や本殿は小さいながらある。では休社だろうか。そんな休んでいる神社など聞いたこともないので、空き屋のような、空き神社かもしれない。面倒を見る氏子などがいなくなり、放置されているのだろうか。
 そばの道路の水銀灯からの明かりしかない境内を歩き、社殿で手を合わせる。パンパンと柏手は打たない。音を立ててはいけないような空き巣の心境になる。
 そして、手を合わせたまま、まるで仏様でも拝むように、賽銭箱の向こう側にある社殿の中を見たが、そんなものは見えるわけではない。格子の扉までしか見えない。
 しかし、神は前ではなく、後ろにいた。肩に何かが触れたので、すっと振り返ると神様のような白い髭の老人が立っている。これはきっとイメージだろうと、村田はとっさに判断した。これが出発点で、その夜から村田は妙な世界に入り込むことになる。その白い髭の神様に連れられて。
 それは正月を明けてからも続いており、そろそろ抜け出そうと思っている。これは本人次第。
 結局その白い髭の老人は漂泊の人で、いわばホームレスかもしれない。住む家がないので、外で寝ている。こういう人を最近見かけなくなった。公園でテント暮らしの人がいたのだが、全て撤去されている。そして何処へ去ったのかは分からない。
 村田がその夜、その神様に付いていくと、神社の裏口から町の裏側へと向かった。実際にはそんな裏口はなく、町の裏側というのもない。この辺り、新しい家やマンションが建ち並び、ゴミ一つ落ちていないような清潔過ぎる衛生都市だ。
 しかし、村田が歩いていたのは、古い建物が残る路地。その路地は何処までも続いており、いくつもの路地と交ざったり離れたりしながらも、奥へ奥へと続いている。
 それよりも、羽子板で羽根をついている着物姿の子供や、バドミントンをしている子供。頭は丸坊主。女の子はおかっぱ。中には子供をねんねこで背負っている子もいる。
 日の丸が小さな門の前に揚げられ、正月飾りの門松もある。しかし夜中だ。
 夜空を見上げると、凧が上がっている。
 引っ越して間もないとはいえ、そんな町並みなど有り得ないことは村田は知っているのだが、不思議と違和感がない。まるで前を行く神様が映像を映し出し続けながら歩いているようで、グーグルストリートを見ているようなもの。
 それを見て、戻ってきてから、村田はおかしくなった。気が狂ったわけではなく、一人でも、あのCGのような古い町並みが見えるようになった。ただし昼間ではなく夜に限られる。明るいと写りが悪いのかもしれない。
 それを毎晩見に行くためか、生活時間帯が夜型になってしまった。これを正月気分が抜けないとは言わない。正月とはまったく関係ないが、その路地は年中正月のようだ。
 この期間は連休なので、夜更かしが多くなった程度だと思えばいい。その夜更かしが長い程度。
 しかし、夜の散歩はまだ続けており、あの路地の奥の奥、さらに枝道の奥の奥への探索がやめられない。
 これは教訓にも何もならないが、廃社には気をつけなければいけないだろう。
 
   了
 
posted by 川崎ゆきお at 10:55| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする