2017年01月12日

3139話 山道場


 中峰は古くからある修験者の道場。山道がその場だ。そのため文字通り道場。中峰があるのだから、大峰もあるはずだが、中峰がこの辺りでは一番高い山。そのため、これは単に峰の中という意味らしい。中峰に寺社やお堂や祠や野仏さえない。人工的なものは一切ないのは、御山が御神体のため、余計なものは置かない。その変わり、麓の渓流沿いに大きなお寺があり、寺とは関係ないが、宿坊がある。ここには余計なものが色々とある。これは個人が経営する宿屋だが、これも古い時代からある。
 場所は川の源流があるような深い場所のため、交通はバス程度。そのため、どうしても宿屋が必要になる。これは一般の人向け。
 プロの修験者もいるが、これも最近は見かけない。この中峰は寺とも神社とも関係しない。所謂山岳信仰だが、一応麓の宿屋や寺がキャンプ地のようになっており、寺では祈祷などの行事が行われている。標高がそれなりにあるので、冬場は山は閉じる。だから、山開きの行事などは、この寺で執り行われるが、寺と中峰とは関係がない。寺はただの世話人のようなもの。いわば管理人だ。
 神社も近くにあるが、中峰とはまったく関係しない。神通りのある神社として、それなりに有名。神通りとは、神様が行き来する通路のこと。
 ここも交通の便がバス程度で、しかもそのバスはマイクロバスで日に何便もない。わざわざそんなところへお参りに行く人はいないはずなのだが、遠方から来ている人がいる。ここは日帰りでも大丈夫だ。山に登るわけではないので、滞在時間は短くて済む。
 寺は昔からこの地に根ざしたものではなく、比較的新しい。村には別に小さな葬式用の村寺がある。墓地なども、そちらにあり、修験者専用の寺は、そこは譲っている。それに新参のため。
 神社も、昔からあるこの山里の氏神様とは別のもの。だから、その神通りとなっている神社も、比較的新しい。その年代を調べると、ほぼ同時期。つまり寺と神社は同じ家がやっていたのだ。
 土地の人や、古くから修験の山に入る人は、その寺も神社も無視している。
 一番信頼が置けるのは、宿屋で、規模も大きい。何軒も並んでおり、その建物は当然寺よりも古い。修験者の団体、これは遠方の村や町で中峰講を組んで来ているのだが、泊まる宿は決まっている。宿屋は売店や、土産物屋にもなっており、団体用の大広間もある。山伏のような衣装も、ここで売られている。団体さんの修験者は、普通の人達で、その中のリーダーが、修験のやり方を代々受け継いでいる。
 まあ、ここで修験者のような服装に着替え、徒党を組んで山を練り歩くだけのこと。特に難しい仕来りはない。山の中をウロウロするだけでもいいが、中峰は結構深く、迷いやすい。
 中峰の土産物屋が作った胃腸薬がある。薬草を団子にしたものだが、これが結構売れて、名物になっている。
 また、ここは有名な行者が開いた山ではなく、それ以前から山の中に入る人が多かったようだ。高い山ではないが、それだけに木々が生い茂る原生林。見通しが悪く、何が飛び出すか分からないような自然のままの山だけに、神秘的なことと遭遇することも多かったのだろう。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 10:45| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする