2017年10月06日

3404話 一石居士


 一石を投じる。小さな石でも波紋が拡がる。しかし方々で一石を投じすぎると、もう一石ではなく、波紋だらけ。誰の石の波紋かも分からなくなる。ただ騒がしいだけ。一石の意味がなくなる。
 浦田は深山の沼で石を投げた。こんなところに沼などあることなど知る人は少ないだろう。その沼は自然のままで、囲いもない。当然ここで魚釣りは禁止とか、水泳禁止とかの注意書きもない。
 浦田は鏡のように静かな沼なので、石を投げてみたかっただけ。当然波紋は拡がるが、それを見ている人もいないだろう。何もないところに一石を投じる。誰も言わないようなことを言う。それに等しい。そして一石だけなので、非常に目立つ。
 だが、そんな場所で一石を投じても、アピール度がなかったりする。誰も見ていないのだから。
 しかし波紋が拡がり、そして静まった頃、声が聞こえた。
「呼んだか」と。
 浦田が振り向くとすぐ後ろに小さな老人が立っている。やけに白っぽい。
「あなたは」
「わしは一石居士」
「え、一言居士の間違いでは」
「どちらもいい。わしは言葉よりも石じゃ」
「はあ」
「今、一石を投じたであろう」
「あ、静寂を乱しましたか。もしかして神様では」
「神様なら、そんな小言を言いにわざわざ姿など見せぬ。わしはその使い番のようなもの。それにここの神様もそうじゃが姿などないのじゃ」
「はい、それで何か」
 この沼の神様、どちらに出るのか浦田は心配になった。良い事をしたのか、悪いことをしたのか。
「その一石叶えてやろう。だから、一石投じたのであろう」
「一石叶えるとはどういう意味です。僕は何も願いごとも、それに意見もありませんよ。一言居士じゃなく、石を投げただけです」
「分かっておる。世の中に対し、物申しておるのではないことを。ここはそうではない」
「じゃ、何なのです」
 一石投じることで、神様の使い番を呼び出してしまったことになるのだが、ここからの交渉はマニュアルにはない。それに労と言えば石を投げただけ。その石には意志はない。ある言葉を発するときのような意志はないのだ。
「何を叶えてくれるのですか」
「まあ、あまり欲張らん方がよかろう」
「たとえば?」
「世の中をよくしたいとか」
「じゃ、どのレベルなら良いのでしょう」
「わしには分からん。自分で考えなさい。願い事を叶えてやろうと神様が言っておられる」
「急に言われても、ありません。パソコンが遅いので、早いのに買い換えたいとか。これはお金が欲しいということですよね」
「金か」
「はい、一番分かりやすいですから」
「現金な奴だ」
「しかし、神様は金など持っておられぬ」
「願い事は色々ありすぎて」
「じゃ、一つ選びなさい」
「でもお金はだめなんでしょ」
「それ以外で」
「健康になりたいです」
「そう来たか」
「はい」
「それも無理だ。神様のように死なない体は無理だろ。いずれは死んでしまう。ここは弄れない」
「難しいですねえ」
「君が投げた一石だ。さあ、何が願いじゃ。呼び出しておいて、何も願いはないというような出来た人ぶるとバチが当たるぞ」
「もう当たった後だったりして」
「そうじゃなあ、こんな深山に入り込み、沼など見ておる状態は良い状態とはいえん。よし、わしが代わって考えてやろう。一番のおすすめは、悪い物を抜くことじゃな」
「悪い物」
「それが抜けるとすっきりする」
「じゃ、それを抜いてください」
「神様じゃ、そういうのは得意じゃ」
「はい、よろしくお願いします」
 白くて小さな神様の使い番はスーと消えていった。
 その後、何の変化もない。幻でも見ていたのかと思い、浦田はもう一度石を投げた。
 今度もまた波紋が拡がった。
「やかましい」
 後ろに先ほどの白い小さな老人がまた立っていた。
「抜けたのでしょうか」
「今、神様が抜かれておる最中じゃ、催促するでない」
「はい」
 そしてまたかき消えた。
 浦田はかなり待ったが、何の変化もない。何かが抜けたのなら、それとなく分かるはずなのだが。
 しかし、こんなところで効果が現れるまで待っていると日が暮れ、戻れなくなる。早く山を下らないと、暗い山道を歩くことになるため、浦田は沼から立ち去った。
 そして無事に戻れたのだが、幾日経っても特に変化はなかった。
 これはどうなっているのかと思い、またあの沼へ行き、一石投じようと思ったのだが、地図で探しても、そんな沼など存在しなかった。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:59| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする