2017年11月05日

3433話 私の束子


 黒田はタワシを忘れる。ワタシではない、タワシだ。もうこれで何度目だろう。ワタシのことは常に考えているが、タワシのことなど普段は考えない。日常の中で占めるタワシの領域などたかがしれている。殆どないかもしれないが、黒田は毎日タワシを使っているので、タワシには触れているが、タワシを意識しながらタワシを使っているわけではない。ここはタワシで洗うべきだとか、ここはスポンジだとかの違い程度。
 しかし、タワシの柄が取れた。柄付きのタワシで、石けんに毛の生えたようなのではなく、ドーナツ型。そこに木製の持ち手が付いている。
 長く使っているためか、力を入れすぎたのだろう。これを買ったのは冬場だった。水が冷たいので、タワシを直接掴むよりも、柄の付いている方が楽だと思ったことと、結構狭いところに突っ込めるので、重宝していた。その柄が取れたので、ただの毛の生えたドーナツだ。しかし、接続部に突飛が出ており、ぐっと押すと何とか繋がった。しかし横に擦ると取れる。ここは細かい話だ。それで、この同じタワシを買わないといけないと思うものの、すぐに忘れてしまう。
 それに何とかくっついているので、使えないことはない。買わなくてもまだいけるので緊急性がない。
 しかし、そのタワシ、同じところばかりで擦っているので、尖った感じがなくなってきた。それに汚れもひどい。皿は洗うがタワシを洗うことは希。タワシを洗うにはタワシがいる。だからもう一つタワシがいるが、タワシをタワシで擦っても、あまり意味はないだろう。それよりも指で直接洗った方がよい。問題はもう色が変わり、汚らしいタワシになっていることだ。フライパンなどを洗うとき、このタワシを多用していた。スポンジでは浸みすぎて、汚れが付く。タワシは尖った植物の棘のようなもの。だから間に挟まることはあるが、汚れが付着しにくい。
 その日は百均で食器を買ったのだが、いいところまで来ていたのだ。一寸思い出せば、数歩の距離でタワシがある。買ったのは長い箸で、炒め物をしていると、短いと熱いためだ。それと距離を置いた方が油が飛んだとき、ダメージは少ない。
 長い箸を買うつもりで、百均へ来た。なぜタワシではないのか。なぜタワシのことを思い出さないのか、それが不思議。やはりそれはタワシのためだろう。
 これはタワシという言葉がいけない。響きが。たかがタワシなのだ。
 タワシとかタニシとかは、何か間の抜けた印象がある。タニシのような目とか。
 その後も黒田は黒く汚れたそのタワシを使い続け、力むと柄が取れる度に買わないといけないと思うものの、外出時、そのことを思い出すことはない。あるとすればタワシが並んでいる前を通ったときだろう。このとき気付くはず。思い出すはず。しかしその機会は滅多にない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする