2017年11月08日

3436話 達人の芸


 苦手な仕事をやっているためか、倉橋はやる気が起こらないので、捗らない。しかし苦手ではない得意な仕事なら捗るのかというとそうでもない。ということは仕事の内容ではなく、仕事として成立している行為が苦手なのかもしれない。その苦手の上に苦手が重なると、これはもう何ともし難いが、そこは仕事なのでいやいやながらでもやるしかない。これは本人の意志ではどうにもならない。
 ただ、意志を働かせることはできる。働くのは嫌だが、意志を働かせることはできるが、それらの仕事を辞めるしかない。そうなると収入がなくなるため、これはできない手だ。他の職に就くことで、苦手な仕事から解放されるので、何ともならない話ではない。奴隷ではなく、自分の意志で何とでもなる。そこは自由だが、その自由を働かせると余計に不自由な暮らしになりかねない。
 嫌いな仕事でも慣れれば何とかなるものではない。嫌いなことはどこまでいっても嫌いだ。そのため、それを緩和するため、できるだけ機械的に動いている。気持ちを込めたりできるような内容ではなく、苦手なものに気持ちを込めるということは水に油だ。気持ちが溶け込まない。
 それで半分投げやりで、適当にやっているのだが、熱が入らないので捗らず、また上手くこなせない。それでも最低のラインは維持しないと、仕事から外される。
 だからいやいやでもやらないといけないので、そこで編み出したのが機械的にこなすことだ。まるでロボットのように。ロボットには感情はない。だから好きも嫌いもない。これに目を付けた倉橋は、その後、何とかそれでこなせるようになった。当然仕事へのやりがいとかは全くない。
 だが、ロボットではない状態の方がいいのかというと、それも考えものだ。喜怒哀楽も厄介なもの。また好きなことをやっていることがいいことなのかも問題だろう。また心を込めると良い事ばかりがあるとは限らない。熱心にやればやったでその副作用が来るだろう。
 倉橋の先輩は、その道の達人で、ベテラン中のベテラン。彼の仕事を見ていると、静かにやっている印象がある。同僚は湖鏡流と呼んでいる。静かなため波風が立たないので鏡のように見えることから来ている。そして清々しい風、清風が吹いているが、これは静かすぎて波立たない。
 もしかして、その先輩の湖鏡流とは、倉橋が仕事の嫌さから逃れるため、ロボットの振りをしているのと同じではないかと思い、聞いてみた。
 すると「そうだ」と答えてくれた。
「嫌で嫌で仕方がないんだよね。何十年もこれをやってるけど、嫌なことに慣れることはないのだよ」
 倉橋は普通の仕事もやるが、先輩は嫌な仕事ばかりを任されている。難しいためだろう。だからベテランにやらせている。
 そして先輩は今も仕事は嫌だが、やり始めるとロボットモードになり、淡々とこなしている。
 倉橋はそれを聞いたとき、達人といっても大した芸当をやるわけではないのだと思い、安心した。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:04| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする