2017年11月26日

3454話 スリルとサスペンス


 ひやりとすることがある。これは何か危険な状態に入った瞬間だろうか。頭だけではなく、体に来る。ひんやりなら冷たいとか寒いで、ひやりよりも緩い。またひんやりが気持ちいいこともある。
 ひやりとなったとき、それはかなりまずいときで、または、そのまずい状態に入りそうになったときだろう。
 ひやりとすることは避けることができる。全てではないが、ひやりとなるような行為をしなければいいのだ。しかし普通にしていてもひやりとなることもある。
 スピードを出しすぎるとひやり率も上がる。そうかといってゆっくりと走っていたのでは逆に危険かもしれない。流れに乗るのがいいのだろう。
 ひんやりを楽しむように、ひやりを楽しむこともあるが、これは全体が分かっていることで、予測できること。スリルを楽しむのだが、滅多なことでは危険なことにはならないことに限られるだろう。一つ間違えば怖いことになる。これが二つならまだ安全だ。しかし一つでは、それに失敗すると、一巻の終わりになる。しかし、安全だと分かっていると、スリルがない。
 スリルと似たようなことでサスペンスがある。一寸した謎がスリリング。スリルよりもサスペンスの方が物語性がある。同じようにぞっとするようなこと、危険なことなのだが、スリルは体に来るが、サスペンスは頭にも来る。
 どちらも似たようなものだが、危機感ということが共通しているようだ。危険な状態の質の違いだろうか。サスペンスはそれ以外に謎が含まれるミステー性もある。
 スリラーものとサスペンスものの違いははっきりしない。どちらの要素も入ってしまうためだろう。ただ、スリラーものの方が生理的な怖さが高い。
 こういうのは分けなくていいのだが、それぞれにニュアンスの違いがあるようだ。
 日常でもこういう怖い話はある。瞬間的なものもあり、見間違えたり、うっかりしていたときなどにも起こる。あるはずの鞄の中の財布がなかったりすると、怖いと言うより、ひやっとするだろう。落としたとなると、中の現金もそうだが、カード類は面倒だ。
 鞄にではなくポケットに偶然入れていたとすれば、ここでほっとする。この安心感がもの凄く良い。この安堵感はひやっとしなければ出てこなかったりするので、敢えてひやっとなるようなことをして、戻りを楽しむこともある。危険なスポーツはそのスリルを味わうためだけではないが、多少その面がある。
 用もないのに冬山に登るというのもそうだ。余程の偶然が重ならない限り遭難したり、落ちたりしないのだが、これも足場の一つが崩れると、そのままいってしまうだろう。
 しかし、何も仕掛けなくても、ひやりすることはある。一寸先は闇で、何が起こるのかは分からない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:54| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする