2017年12月26日

3484話 靴紐


 小川は玄関で靴の紐を結んでいる。冬の初め頃寒くなってきたので以前から欲しかったくるぶしまで隠れるタイプを買った。これは偶然だ。靴屋がバーゲンイベントで出店を出していた。どうせ安い物ばかりだろうと思っていたのだが、高いのも混ざっていた。その中に欲しいと思っているブランドものと偶然出合ったのだ。靴屋で探しても見つからないような、イメージ通りのデザインの靴だった。
 しかしいつも履いているようなスニーカータイプの紐靴は軽く結んでいればすっと履ける。脱ぐときもそうだ。
 それを考えると深いタイプは少し面倒かな、と思いながらも、くるぶしまで隠れるので、その分暖かい。ちょうどズボンと靴の間の隙間が、それで埋まったような感じ。
 その日も出掛けるため、紐を結んでいた。いちいちしゃがまないといけないし、目をつむっていても紐は結べるが、さっと出られない。しかし、紐を結ぶことで、気合いが入ったりする。だから、悪くはない。
 それで、自転車に乗り、角を曲がったところで、ポケットから煙草を取りだそうとした。いつもその角で煙草を出す。しかし、ない。
 忘れたのだ。その日、外出するのは三回目。二回目のとき、煙草とライターを忘れた。今と同じようにポケットに入っていなかった。幸い鞄にライターの予備が入っていたので、途中のコンビニで買うことで、クリアーしたのだが、少し寄り道になった。
「またかい」
 それが今日は二回続いたことになる。それでまたコンビニへ寄らないといけないが、今回はライターの予備は鞄にはない。
 それで、引き返すことにした。角は近いので直ぐに戻れる。忘れ物をして戻ることが結構あるので珍しいことではない。
 そしてドアを開け、上がろうとしたが、靴が脱げない。緩めないと無理だ。そのまま土足で上がってもいいのだが、流石にそれは文化が許さない。これはしてはいけないタブーのようなもの。
 そのとき、緩めないと脱げない深い目の紐靴が、少し面倒になったが、まだ気に入っているので、紐を緩めた。そして、いつものテーブルに置いてあった煙草とライターをポケットに入れ、また靴紐を結び、先ほどと同じように自転車に乗り、あの角まで来た。当然そこで止まり、煙草を取り出す。ポケットに入れたのだから、ないわけがない。なければ手品になる。
 時間にして五分もかかっていない。数分のずれ。このずれが影響するようなことはない。約束があったとしても二三分遅れる程度。自転車なので、急げば取り戻せる。そして今は人に合いに行くわけではなく、ただの買い物なので、多少早くても遅くても問題はない。
 角を出たとき、前方に大きい目の道路がある。ここは車がそれなりに走っている。左側から車が一台迫ってきた。白い普通車だ。もし煙草を忘れなければ、その白い自動車を見ることはなかったはず。おそらく数分前は、もっと遠くにいたはず。
 時計で計ったわけではないが、三分少し、ずれているようだ。問題はないので、気にしていないが、一寸妙な気がしてきた。これは気のせいで、何かが起こったわけではない。想像しただけのこと。
 その道路を渡ると見晴らしのいい道に出る。道は細いが彼方まで見える。車はほとんど通っていない。
「三分」
 それが気になる。もし煙草を取りに戻らなければ、三分先を走っていたはず。小川はゆっくりと走るタイプだが、三分あれば結構先まで行っているはず。住宅が少し途切れ、畑があり、その先に小さな橋がある。そのあたりまで行っているだろう。
 そう思って見ていると、橋を今まさに渡ろうとしている自転車がある。それが自分の後ろ姿であるはずはないが、もし煙草を忘れなければ、あの自転車の前後を走っていたはず。
 そのあと、買い物をしているときも、三分先の自分を想像してみた。横で品物を見ている人がいる。三分前なら、その人はいなかったかもしれない。
 レジで並ぶときも、三分前なら、もうレジを済ませて店を出ていたはず。
 そして買い物を済ませ、少し暗くなった道を戻り、家の前まで来た。自転車のライトが黒い影を捕らえた。さっと走り去っていった。チラシ配りだろうと思い、ポストを見るが、何も入っていない。
 通りを見るが、もう人影はない。
 三分遅れと関係するのかもしれない。本来なら三分前にドアを開けている。これは見てはいけないものを見たのだろうか。
 そして靴脱ぎで紐を緩め、部屋に入る。
 特に変わった様子はない。
 気のせいだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:32| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする