2018年01月29日

3518話 緑郷崎奇譚


 リョクゴウザキ。リョクゴウ崎。その地名のようなものを何処で聞いたのか忘れたし、また聞いたことも、見たこともないのかもしれない。しかし高橋はリョクゴウ崎という言葉がたまに頭に浮かぶ。今では緑郷崎と勝手に漢字を当てている。おそらくリョクゴウザキに近い言葉を知っていたのだろう。何かの本とかで。しかし、その名ではなく、間違って記憶したのかもしれない。ただ、地名であることは何となく覚えている。
 地図で調べると、それに近い地名はあるが、場所的に合わない。
 そんなことを長年頭の片隅に置いていると、発酵してきたのか、または何かの刺激で揺さぶられたのか、ぽろりと記憶が戻った。本に出ていたのだ。その本が何であったのかは忘れたが、昔の話を集めたもので、昔話のように古くから伝わっている話ではなく、明治の頃に書かれた創作もの。つまり、その時代に作られた物語だ。その本は今はない。古書店にあった文学全集の中に含まれていた。その全集そのものが古い。
 そして物語は忘れてしまったのだが、リョクゴウザキでの怪異談。高橋にとってリョクゴウザキは緑郷崎となってしまったので、そちらの当て字で表記する。
 緑郷崎は平野部に突き出した山の先っちょのような場所。山というほどの高さはもうなく、木の根のように細く伸びた岡。ここに村があり、そこでの話。
 リョクゴウザキは長細い台地で、その根元は大きな山へと繋がっている。ここがもし海岸なら、緑郷崎は岬になるだろう。
 さて、問題はどんな怪異談だったのか。それをすっかり忘れており、リョクゴウザキという響きだけが残った。昔話なら子供にでも分かるような語りになるのだが、明治の中程から大正にかけて活躍した作家で、子供向けではなく、大人向けのためか、話が分かりにくい。風景描写が嫌に多く、主人公の心情を自然の風景と絡めて綿々と語れており、肝心の怪談そのものが靄に隠れて読み取れなかった。要するに何も出なかったのだろう。出てもおかしくない場所という程度。しかし、緑郷崎の人達は何かを恐れていた。それが何かは分からない。そして恐れる村人を、周辺の村々の人が恐れた。緑郷崎の怪談ではなく、それを恐れている村人が怖いということだ。
 この村だけは台地にあり、高い場所にある。山の根が不気味な形で伸びている地形なので、それだけでも妙な場所でもある。
 緑郷崎の小説では、緑郷崎村と周辺の村々とのやりとりが結構ある。
 高橋はやっと緑郷崎とは何だったのかを思い出したのだが、フィクションであることは確かなので、自分の過去とは関係しない。
 しかし、緑郷崎で本当にあった怖い話は思い出せない。そこは曖昧模糊とした描写で、作者も具体的に書くようなことがなかったのかもしれない。だからやたらと緑郷崎という言葉、語呂が不気味に聞こえ、それだけが印象に残ったのだろう。
 この作家はその後、残らず、文学全集に収録されているのも数作。長編ではなく、他の作家と一緒に短編として残っているだけ。
 作者のプロフィールのようなものがある。生年月日から推定すれば長寿だったようだ。
 緑郷崎。その響きだけが高橋の中では今も語呂として響いている。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 12:01| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする