2018年05月16日

3626話 機械の汁


 自分はいいと思っているのだが、他人はさほどいいとは思っていないことがある。逆に嫌ではないが、それほどいいとは思っていないものを、他人は非常にいいと思っていたりする。この他人というのは不特定多数の人々。しかし仲良しグループでも、それがある。
 自分が好きなので、他人も好きだろというのも頼りのない話で、また自分が面白いと思うこともそれと同じで、これも基準としては弱い。しかし本人が弱いだけかもしれないが。
 弱い好ましさ。弱い嗜好。これは対象が弱いのではなく、本人の弱さが出ているのだろう。
 嗜好というのは比較的自由な世界で、特に権利主張などを掲げるようなことではなく、勝手に味わえばいい。好みのあるなしなど、大した問題ではない。嗜好の問題なので。
だから力のない人でも、嗜好の問題ではうるさかったりする。ただの嗜好なので、意見を述べても、何かが動くわけではない。単に好きか嫌いか程度で、それも嗜好なので弱い。
 また、嗜好、好みに関しては敢えて言う必要がないが、腹の底では嘲笑していたりする。
「基準が分からんようになった」
「ほう」
「私の好みが通じなくなった」
「いやいや、最初から通じていませんでしたよ」
「そ、そうか」
「指針を失った」
「どんな」
「自分が面白いと思うことをやってきた。それが通じなくなった」
「もう面白くないからででしょ」
「じゃ、泉が枯れたのか」
「大した水じゃなかったですしね」
「私にとっては名水だ」
「いや、自分で掘った井戸なので、美味しいと思っていただけだよ」
「そうか」
「これからは嫌いなことをする」
「あ、そう」
「この前、嫌いなことをやったんだが、もの凄く受けた。好きなものをやるより、受けたんだ。しかし、しんどい。嫌なことなのでね。好きなことなら楽しくやれて楽なんだ。自分も面白いしね。ところが嫌なことなので、やるのが辛い」
「やっと普通に戻れたんだよ」
「そうなのか」
「楽して受けないさ」
「楽そうにやってる人もいるぞ」
「裏で結構苦しんでいるさ」
「そうなの」
「楽そうに見せるだけでも辛かったりしてね」
「じゃ、本当は辛いんだ」
「好きなこと、面白いことなんて、すぐに尽きるよ」
「泉が枯れたので、それが分かった」
「そうだろ。だから好きでも嫌いでもなく、淡々とやるのが極意なんだけど、これは難しいよ」
「君はそれをやってるのか」
「ああ、しかし、地味なので、受けない」
「うーん。じゃ、残るのは何だと思う」
「機械的にやることだよ」
「ほう」
「しかし人がやることなので、機械のような精密さはない。だけどそこに滲み出る汁が美味しい」
「おお、それが極意か」
「何もしなくてもいいんだよ、特にね。淡々粛々機械的にやっていると滲み出てくる」
「それって、やっぱり地味だなあ」
「まあな」
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:51| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする