2018年05月28日

3638話 逃げた部隊


「若槻様討ち死に」
「合田様討ち死に」
 伝令が次々と知らせに来る。
「浦島様討ち死に」
「木下様逃亡」
「逃亡?」
「お逃げになりました」
「に、逃げた?」
「左様で」
 若槻軍は主力で中央。合田軍は左翼。浦島軍は右翼。逃げたという木下軍は左翼合田軍の後詰め。戦いは左翼の合田軍が崩れだしたので、主力の若槻軍がフォローに入ったのだが、そこを敵は狙っていたようで、中央軍に突っ込んだ。それで残った右翼の浦島軍は取り残された。
 左翼と中央を崩した敵はすぐに右翼に襲いかかった。このとき千の兵を指揮していた浦島氏は討ち死に。左翼を助けに入った中央の猛将若槻氏は自ら先頭に立ったため、あえなく討ち死に。これは三軍の総大将を失ったことになる。代わりに追い込まれていた右翼の浦島氏が全軍の指揮をとり、奮戦しすぎて、討ち死に。
 右翼が破られ、中央軍も乱れ、左翼は真っ先に崩れたので、その後方にいた後詰めの木下軍は逃げた。他の兵士達も逃げた。これはただの敗走。本陣の指揮官どころか、左右の指揮官も討ち死にしたのだから個別に動くしかない。だから敗走した。
 ところが三軍が後方に引いたのは本城を守るため。だが、木下軍は横へ逃げた。これは敗走ではなく、本当に逃げたのだ。
 木下軍五百は無傷のまま本拠地に逃げ戻り、村々の守りを固めた。
 そこへ城から伝令が来た。逃げたことは問わないので、お館様のいる本城に入ってくれと。つまり籠城するので、助けに来いと。
 敵は野戦で大勝したが、そのまま本城を襲わなかった。何故なら、戦闘らしい戦闘は緒戦だけで、敵の陣を崩しただけ。殆どの兵は戦わずして城へ戻っている。確かに三軍の大将首は取ったが、兵数は戦う前とそれほど変わっていない。だから迂闊に本城を落としにいけない。
 しかし、実際に本城まで逃げ戻ったのは少数で、殆どは木下軍のように、自分の領地へ逃げ帰っていた。本城の主はお館様と呼ばれていたが、主力の中央軍の兵士にとり、主は若槻家であり、お館様ではない。若槻氏は本城の家臣だが、若槻家の家臣は本城の家臣ではない。だから主が違うのだ。つまり、またものになり、お館から見れば家来の家来はもう他人。
 そのため、城に戻った三軍の兵達も村々へ戻る者が多かった。兵の殆どは百姓なのだ。
 三軍共、主を失ったので、その後、一族の跡取りが下す命に従うことになる。その跡取りは戦場には来ていない。だから本拠地の村へ戻るしかない。
 ところが敵前逃亡し、本城にも戻らず、村城に立て籠もった木下家当主は、れっきとした本城の家臣。だから、城に入ってくれと伝令が来たのだ。お館様の命なら従うしかないが、形勢は不利。籠城戦になると木下軍五百が主力として戦わないといけない。これは避けたい。
 数日後、左翼軍を指揮し、討ち死にした合田家が寝返ったという情報が入った。すぐにあとを継いだ息子が、敵の懐柔を受け、簡単に転んだ。
 この勢力は左翼から崩れるようで、それに続き、中央軍も転び、右翼軍だった浦島家も転んだ。
 当然木下家にも誘いが来た。つまりお館替えだ。この場合主君として仕えると言うより、寄親のような存在。五百ぐらいの兵しか動員できない木下家にとって、それしか生き延びる道はない。
 こうして、三軍を動かしていた本城は落ちた。
 木下氏は少しだけ悔やまれることがある。左翼、中央、右翼、それぞれ千の兵。木下軍五百は左翼の後詰め。後詰めはそこだけなのだ。左翼が崩れだしたとき、木下軍は前に出ておれば、中央軍が出ていくこともなく、また潰れることもなかったと。
 木下氏が後詰めの役を果たさなかったのは、負けると思ったためらしい。腰抜けなのだ。しかし、敵は敢えて前へ出なかったのではないかと勘違いしたようで、好意的に見てくれたようだ。勝てたのは木下軍が逃げ出したおかげだと。
 木下家はその敵に仕え、一郡だった領地が四ヶ村増え、二郡の領主となった。
 木下氏にその才覚があったわけではない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:48| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする