2018年06月06日

3647話 陽射し


「暑いですなあ」
「今日はもう夏です」
「陽射しがきついです」
「陽射しねえ」
「何か」
「いや、少し昔のことを思い出していました。ずっと日影で、陽など当たる場所にはいなかったのですがね、陽射しが強かった」
「え」
「いえ、本物の陽射しです。夏の、今日のようなのじゃなく、もっともっと焼けるようなほど暑い頃ですよ。山道を歩いていました。登山やハイキングじゃないですよ。山間に街道が走っていましてねえ。宿場と宿場を結んでいます。今は大きな道路ですがね」
「じゃ、その横の旧街道を歩いておられたのですか」
「旧街道ではなく、最短距離で次の町へ抜ける道です。地元の人が使っている道でしょ。これが山道でしてね。山裾を縫うように走っています。この道が暑かった。そして繁みから外れた野っ原がありましてねえ。日影がない。私は日影暮らしなので日影が欲しい。陽の差すところは憧れていましたが、真夏で酷暑、この陽射しは避けたいのですが、そこしか通るところがありません」
「はあ」
「その山道のような抜け道、たまに沿道に家がありましてね。数戸の集落です。こんなところにも人が住んでいるのかと思いましたが、私から見ると抜け道ですが、土地の人にとっては生活道路のようなものでしょう。店屋などはありませんが、村というより、家と家とを結ぶような。何せ平野がないのだから、少し平らなところがあると、そこに住むんでしょうなあ。よく見ると田んぼもあるんです」
「はい」
「まあ、こんな話、聞いても意味はないと思いますが、先を見ますと、こんもりとした木がある。あの下まで行けば涼しくなる。そう思いながら頑張って歩いていたのですが、頭にきました。帽子は被っていましたが、それじゃ効かないほど、頭が熱くなっている」
「熱中症のようなものですか」
「さあ、それは分かりませんが、カンカン照りのところに水がある」
「え、川ですか。池ですか」
「井戸かと思ったのですが、そうじゃない。石臼のようなものに水が入っているんです」
「神社の手洗いの、あれですか」
「もっと丸い。臼ですよ。餅をつくときの。よく見るとパイプが出ている。それを辿っていくと山の斜面まで続いている。水を引いているんですなあ」
「そうなんですか」
「私はそこでタオルを濡らし、それを頭の上に乗せて、その上から帽子を被りました。カッパの皿に水を補給したようなものです」
「そのためにその石臼が置かれていたのでしょうか」
「さあ、それは分かりませんが、それで助かりました。頭もひんやりし、元気が戻りました。そして遠くにあるこんもりとした木まで頑張って歩きましたよ」
「それはよかったですねえ」
「頭から垂れているタオルの隙間から見た強い日差し。あれは忘れられませんよ。しかし」
「何かありましたか」
「前方に見えていたこんもりとした木ですがね。消えていました」
「はあ」
「あそこまで行けば陽射しから逃れられる、あそこまで行けば、もう少し、もう少しと」
「目標ですね」
「そういう幻が出るんでしょうねえ。それが見えていたところに来ると、また水を溜めている石臼がありました」
「マラソンの給水所のようなものですねえ」
「そうです。そこでもう熱くなってしまったタオルをまた水に浸して、絞らないで、頭から被りました。木立が見えてきたのはその先へ行ったときです。原っぱから谷へ下るのでしょうなあ。それで繁みがあるので、やっと木陰を歩けます。もう少しです」
「よかったですねえ」
「家が点在しいるのですが、それで一つの村のようでした。その先は旧街道と交わるところです。その最後の家の庭に人がいるので、あの石臼のことを聞いたのです」
「何でした」
「カッパの水桶だとか」
「やっぱり給水所だったのですね」
「そうです。この辺りは水を引くのが大変で、雨が頼り。雨はカッパが降らしてくれるとか。それで川縁のカッパに丘まで来てもらう。カッパの皿の水がなくなるとカッパは引き返すので、水を置いたらしいのです」
「長い話でした」
「いえいえ。言いたかったのはあのとき受けた陽射しが今までで一番で、その後、あんな厳しい陽射しはありません。あの陽射しに比べれば、今日のような陽射しなど、何ともありません。だから、その後、陽射しに強くなりましたよ。もっときついのを体験しましたのでね」
「それで、あなた自身の陽射しは」
「ああ、私は相変わらず陽の射さないところで暮らしていますよ。日の目をみたいところですがね」
「はい」
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 10:43| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする