2018年07月06日

3677話 行かなかった場所


 ライターの高梨は頼まれ仕事があるのだが、暑いのでやる気がしない。寒くても暑くても、いつもやる気が起こらないので気候のためではない。確かに穏やかな気候のときは少しは仕事もはかどるが、大した差ではない。
 仕事そのものが嫌仕事で、仕事が嫌なのではなく、仕事内容が嫌なのだ。ただ、それをしないと食べていけないので、嫌々ながらでもやっている。
 会社勤めに比べ、自由度が高いので、それに比べればまし。
 今回もルポの仕事が来ていた。いつもお世話になっている人からの依頼だが、その雑誌の編集者ではなく、中間にいる人。いわゆる編プロ。下請けのようなものだ。だから雑誌の出版社の人と会ったことはない。
 その編プロの関根もいい加減な人で、原稿さえ期限までに上げれば、何も言わない人。間違い箇所があっても、勝手に直してくれる。文章の中身まで云々しない。
 今回の取材先は自由でいいらしい。たまに場所を指定してくることもあるが、関根もネタがないのだろう。それ込みで高梨に言ってくる。
 そのネタというのは曖昧なもので、いわゆるスポットものだが、定番スポットは一通りやってしまったので、自分で探すしかない。スポット情報は行かなくても得ることができる。他のメディアで取り上げているものを真似ればいい。
 それもないときは適当な場所へ行き、そこで見つけること。この場合の方が評判がいいのは誰もまだ取り上げていないためだろ。
 しかし、今回は暑くて外に出る気がしない。ネタを求めて炎天下を歩く気がしない。
 暑くなくても面倒なときがあり、そのときに使う奥の手がある。今回はそれを使うことにした。
 それは行ったことにすること。幸い写真は使わない。だから行った証拠を持ち帰らなくてもいい。この方法で三回ほど書いている。
 だが、その方法でも、場所が問題。嘘のルポだが、そのネタも尽きた。ありそうな話をありそうに書くのも、少し嫌になったこともある。
 それで、暑くてどうかしていたのだろう。存在しない町にした。架空の町。そこで見聞したことを書いた。何も見もせず聞きもしていないので、見聞もクソもないのだが。
 それで原稿を書き上げ、編プロの関根に喫茶店で渡したのだが、見もしない。煙草を一本吸っただけで、すぐに立ち上がった。忙しいのだろ。
 そして雑誌に載ると、そこそこ評判がよかった。読者も読むだけで、その町を訪ねるようなことはしないのだろう。近くまで寄れば見に行くかもしれないが。しかしそんな町は存在しない。
 そういう高梨の外回りの記事を集めてムック本にすることになった。それを企画したのは編プロの関根。ムック本のネタが切れたのだ。しかし、定期的に出し続けないと、間が空くといけないようだ。
 ムック本なので、雑誌のようにすぐに消えるだろうと思っていたが、数年後、今度は文庫版で出すことになった。
 どちらにしても、行っていない町ネタが三本あり、架空の町をその後五本も書いたので、少し冷や冷やした。
 それから十年ほど経過したが、誰もそれを指摘する人はいなかった。大した本ではなかったのだろう。
 その後、出版不況で編プロの関根との仕事はとぎれたが、人伝に聞いた話では、行かないで取材した記事や、存在しない町の取材など、すべて分かっていたとか。
 読者も、そのことは薄々分かっていたのもしれない。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:16| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする