2018年07月27日

3697話 草団子


 鎌倉幕府が揺らぎだした時代、これまでの秩序も同時にぐらつきだしていた。下克上、戦国時代は、このあたりから既に始まっている。
 山間部にある草加郷。そこの豪族が兵を挙げ、京の都を目指した。草深い村里でもそれなりに都の情報は届く。
 動乱のどさくさで一旗一旗揚げようという感じだ。文字通り旗を揚げた。誰に味方し、どの陣営につくのかも決めないまま。
 草加郷の兵は五百。田畑などもう放置しての出兵。別に誰からも頼まれたわけではない。そういう密使が届くほど都に近くなく、また名も知られていないためもある。
 僅か数百の兵がいつの間にか万を数えるほど増えるというのは、こういった小さな勢力が馳せ参じるためだろう。
 勝ち組に乗っかれば、今よりも良くなる。それだけの話。
 草加郷でお館様と呼ばれている草加庄源。兵を引き連れているのだが、実際には山賊の首領程度の規模。それにそんな立派な館などもない。鎌倉時代なので、守護大名や地頭はいるのだが、それらとは別枠。
 都までの兵糧はない。挙兵の目的、実はそこにあった。一山当てることが目的だが、食べるものがないのだ。山賊には田畑はない。しかし、草加郷に棲み着いた彼らには幕府黙認の土地がある。そこが山賊とは違う。
 草加庄源が目を付けたのは、兵糧が尽きるあたりでの戦い。ここで二つの勢力が争っている。どちらかが宮方でどちらかが鎌倉方。そこに参陣すれば、兵糧の心配はなくなる。
 草加軍は、鎌倉方が有利なので、鎌倉方についた方が安全なので、そちら側へついた。しかし、数が多いのか、無理なようだ。鎌倉方にも充分な米はないのだ。凶作が続いていた。
 鎌倉方に加えてもらえないので、草加軍は宮方についた。こちらは草加軍のような連中が多くいた。そして無事食べることができた。このまま宮方の一団と行動を共にすればご飯の心配はない。
 しかし、数が少ないためか、押されに押され、敗走した。
 草加軍はそのために米を積めるだけ荷駄に積み、逃げ出していた。そして徐々に都に近付くと、何処の村にも米はない。先客が持ち去っている。
 米が村にない。戦場にある。そう踏んだ草加軍は都へ接近した。
 京の都を巡っての攻防戦。草加軍はご飯を求めて奔走した。
 しかし、どの軍にも米がない。都へ近付くほど米がない。当然都の中が一番米のない場所。
 要するに草加軍は今日食べるご飯のため、敵味方を無視して陣替えした。
 そして、敵の陣を打ち破っても手柄にならないことが分かった。すぐに奪い返されたりする。手柄のご褒美をもらえるのは戦いが終わってからの話で、動乱が収まってから。それがいつ収まるのかが分からない。ここ一番の大勝負に出るにしても五百の兵では何ともならない。
 最後は都へ肉薄していた赤松勢に加わるが、被害が大きく。五百の兵が減っていく。これでは草加郷に残した家族達に申し訳が立たないと思い、夜逃げした。
 押していた赤松軍が押され出したとき、米を真っ先に奪い、逃げた。
 一旗揚げるにはものすごい犠牲を出さないといけないことを知り、もう戻ることにしたのだ。
 しかし草加軍はこのとき赤松軍や足利軍と一緒にしっかりと戦っておれば、少しは世に出たかもしれない。
 戻り道、具足で武装はしていたが、荷駄が増えている。まるで荷駄の護送隊のように。その道中、商いを覚えた。また行商人の護衛も引き受け、ちょっとした大商団になった。キャラバン隊だ。
 凶作はまだ続き、米は相変わらず手に入りにくいが、鳥や獣の肉なら何とかなった。五百の完全武装の兵で狩りをした。また戦いがあった場所では拾い矢をし、売り物にした。干し肉や干し芋も作り、草団子なども作った。それらを売りながら故郷へ向かった。
 草加郷に戻ってから、この草団子が受けたのか、のちに草加団子として有名になる。
 戦乱はその後も続き、干し肉や草加団子は携帯食料としてそれなりに人気を得たようだ。
 
   了
 
 
posted by 川崎ゆきお at 10:57| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする