2018年09月19日

3751話 十一墓村


 南北朝時代から続く祭りだが、村内だけの密かな祭りで、余所者が来るのを嫌っている。村の祭りはそんなもので、見世物ではないためだ。また素朴な祭りなので、観光には適さない。
 十一祭りと言い、十一様を祭っている。これは一人の神様ではない。十一人。神なので一人とか二人の数え方はおかしいのだが、十一人纏めて十一人様と呼んでいる。当然祟り神。
 鎌倉幕府末期の戦いで鎌倉方が不利になり、ある戦いで敗れた。もうこれだけで十一様の意味が分かるだろう。
 戦いに敗れた鎌倉の武将。これはきらびやかな鎧兜の立派な武者達。遠く離れた坂東まで逃げ帰ろうと、人目の少ない山里へ入り込んだ。よくある話で、落ち武者狩り。
 里に鎧武者が十一人近付いて来た。馬はない。十一人とも傷を負っている。そして食べ物もない。
 村人は狩るかどうかを相談した。相手は武士だがたったの十一人。村の若い衆を集めれば五十人ほどいる。
 祟りのことなど考える前に、鎌倉が危ないことは知っていた。これは亡びるだろうと。だから狩っても問題はない。あとで幕府から怨まれるようなことはないと。かくまったとしても、逆にそれが災難になったりする。
 飯を与えて通過してもらうように言い出す者がいたが、それでは物足りない。
 この里、都周辺での戦いのとき、鎌倉方が来て、兵糧米をふんだくっていった。年貢どころの騒ぎではない。それに金を払わなかった。鎌倉の兵が全てそうではないのだが、運が悪かったのだろう。
 結局落ち武者を里の奥へと連れ込み、殺してしまった。それらはすぐに埋めた。当然金目の物は全て奪った。兵糧米の料金だ。
 しかしこの十一人、抵抗しないで狩られている。戦いに敗れ、疲れ果て、自害しようと思っていたのだろうか。都を守っていたエリートクラスの鎌倉武士だったようだ。
 しかし、弱っている武者達を殺したことにかわりはなく、後ろめたさが残った。
 その後、この村では悪いことが続く。当然だがその流れでは落ち武者の祟りということになり、埋めた場所にさらに土盛りし、塚を造り、鎮めることにした。
 しかし、災いは続くため、酒や食べ物を供え、もてなした。村の娘達にも踊らせた。
 そうすると、災いがましになった。これはただの偶然なのだが、後ろめたさが祟りを生んだのだろう。
 その後、年中行事化し、落ち武者狩りの日は特に盛大に執り行われた。
 十一人は神になったのだ。村の神に。
 こういう話は八つ墓村で有名だ。こちらは八墓明神となった。そんなことが戦乱の世、よくあったのだろう。
 当然ながら、祭りの謂われなどは説明したくない。だから村内だけで密かに執り行われ、余所者が来るのを嫌った。
 毘沙門天などの十二天とちがい、十一なので、あと一人足りない。ここが惜しいところだ。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:13| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする