2018年10月09日

3771話 西へ三里の神様


 倉橋は子供の頃の言い伝えを思い出した。故郷の話などをやっているテレビを見ていたのがきっかけ。しかし、そのことはこれまで何度も思い出している。
 たとえば初詣で神社へ行ったときなど。これは毎回ではないが、一人で参拝するときに多くある。つまり他に考えるようなことがないときに入り込む。ただしきっかけは必要。
 村から西へ三里のところに神が住む神社があると。普通の神社には神様がいるのだが、見た人はいない。この神社では見ることができる。
 山間の村だが、西に三里だと山の中になるが、そんなところに神社などない。生まれ育った場所なので、あれば分かる。周辺の野山を遊び場にしていたので、三里先は遠いが、これは分かる。
 この言い伝えは倉橋家に伝わる話ではなく、村に伝わっているので、ほとんどの人が知っていること。たまに脅しで山から神が来て連れ去るぞ、などと言われたが、それはうんと小さい頃まで。
 言い伝えでは山中に立派な社殿があり、神主がいる。この神主が実は神。祭りを執り行う人、または神託などを伝える神官が神になった。これは普通のことで、そのときは神が来ているので、神の代理のようなもの。だからそれを聞く人たちも、まるで神と同じように神主と接する。巫女のお告げなどは、そのときは巫女は神のようなものだ。これは実際には違うのだが、村人が身に付けないような服装。その扮装だけでも神がかったりする。昔の貴族の礼服、官服のようなものだろうか。
 だから子供の頃の倉橋は西へ三里、だから十二キロほど先の山中にいきなり神社があり、そこに神様がいると思っていた。しかも実物。神主という人間が神様なのだから、社殿の奥の鏡などが置いてある場所に神主が座っているのだと思っていた。
 それが豊臣秀吉の肖像画と重なったりした。
 村の言い伝えで、ただのおとぎ話。そんな神社があり、神になった神主がいるだけのことで、それ以上の展開はない。
 村から西へ三里の神社の話は小学生までで、その後、親も言わなくなり、たまに思い出す程度。
 あれはどういうことなのかと、気になり、故郷の母へ電話で聞いた。
 すると、昔々、村の神社で後継者争いがあり、それに負けた競争相手が怒りすぎて気が狂い、山へ入ってしまったとか。
 これはただの失踪だろう。後日談として西へ三里のところに神社を建て、無念を晴らしたとなる。さらに尾びれがつき、神主そのものが神になったと。
 電話を切った後、倉橋は聞かなかった方がよかったと後悔した。そのままの方がファンタジーとしていつまでも不思議な懐かしさとして残ったのにと。
 
   了
 
posted by 川崎ゆきお at 10:28| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする