2018年11月11日

3803話 過去への上り階段

過去への上り階段
 岩田は久しぶりに都会へ出てきた。最近は郊外でも都会と同じものがある。そのため大都会へ出る必要はない。
 岩田の住んでいるマンションからも都会は見える。ビルが彼方に見えている。電車に乗れば一時間以内で行けるだろう。昔はそこが仕事場で、そして遊び場でもあり、青春時代の多くの思い出も詰まっている。
 しかしもう青春をやるわけでもなく、仕事をやるわけでもないので、行く用事がない。
 だが近場の郊外に飽きたとき、密度の濃い都会へ出たくなる。これは近くを走っている電車を見る度に、そう思うが、なかなか行かないのは、行かなくてもいいことのため。
 その日はどういった風の吹き回しか、どんな風に押されたのか、凪がされるように駅へ向かい、ホームに立ち、電車に乗り、そして都会のターミナル駅に降り立った。そこはもう駅というものではなく、全体が巨大なショッピングモールのようなもの。
 都会に出たときのネタは懐かしのシリーズ。昔よく行った場所を巡回する。記憶の巡礼。岩田にしか分からない娯楽だろうか。しかし、何らかのイベントが起こるわけではない。ただただ思いに耽りながら歩いているだけ。
 様変わりしたものも多いが、昔からのものもまだ残っている。人が大勢流れている通りは地下鉄や私鉄へと繋がっており、岩田もその流れに以前は乗っていた。だから目を瞑っても歩けるほど。
 そのメイン通りの脇道があり、その奥にトイレがある。そこで行き止まりではなく、さらに続いている。これは間道、近道なのだ。しばらく行くと大きなホテルの裏側に出る。その地下に潜り込めば、あっという間に向こうにある大きな筋に出られる。人が少ないので歩きやすく、急いでいるときは走れる。
 その途中に喫茶店がある。上は巨大な駅のガード下になるのだが、建物は二階建て。だらか非常に高い高架下だ。
 間口は狭いが、ここは昔からある喫茶店で、岩田の作戦参謀本部。ここで人を呼び出したり、またここで一人で作戦を練ったりした。まだ携帯もスマホもノートパソコンもなかった時代。
 紙のノートに何かを書きながら過ごしたものだ。そのノートは何冊も溜まり、今も岩田の部屋にある。読み返すことはないが、捨てられない。誰かに読まれてはまずいわけではないが、頭の中のことを書き出していたので、いわば超プライベートな情報だろう。だから、用はなくなったが、捨てられない。
 その喫茶店に久しぶりに入る。
 客はまばらなのは場所が奥まっているためと、表からは中が見えないので、入りにくいのだろう。昔から来ているが常連さんなどはいない。どの程度からが常連かどうかは分からないが。
 そしてよく見ると岩田と同世代が多い。ある年になると、下なのか上なのかが分かりにくくなるが、どれも一人客。岩田と同じ思いで来ているのだろうか。
 岩田は小さな鞄から文庫本を取り出し、読み始めた。もう作戦会議をする必要がないので、間を持たせるため活字を追う。モダンの次にくるもの。近代の次にくるもの。そのポストモダンは何処へ行ったのかを描いた悲痛な文章。その中身は思想家達のバトルロイヤル。プロレスのようなものだ。誰が最後に勝ち残るのかを判定する人さえいなくなる話。
 ポストといえば穴を思い出す。長細い穴。郵便ポストの穴。
 うーむと、目を活字から離す。一気に読むと、次に読む本がないので、読書はそのへんにして、店内を見る。こういうときは動いているものに目がいく。
 老人が奥へ向かっている。トイレだろう。出るのなら岩田の前を通りレジへ向かうはず。
 しかし、薄暗い奥を見ると、階段がある。トイレは壁の横にあり、ドアは岩田からは見えない。老人はトイレのドアを開けたのか、音がしたような気がした。それよりも、階段が気になった。改築でもしたのだろう。
 高架下の一階部に喫茶店がある。この喫茶店には二階はない。若い頃から来ていたので、それははっきりしている。
 二階は物置か何かがあるのだろうか。しかし、二階へと続く階段など見たことがない。
 岩田は気になり、その階段へ近付き、当然上った。
そして出たフロアはただの踊り場。やはり二階はなかったのだが、岩田は踊るように回り込み、さらに上へと続く階段を上った。これは不可能なはず。なぜなら高架下のため、二階が限界。上は電車が走っている。
 三階も踊り場だが、回り込んでも上の階段はないが、横への通路がポカリと開いている。行くしかない。
 しばらくはコンクリートの壁に囲まれた四角いトンネルで暗いのだが、その先から光が来ているので、暗闇ではない。
 光が来ているところ、それは出口だろう。
 人が大勢横切っている。
 岩田の頭の中の地図ではここは三階箇所。何処かのビルの横腹を突いたのかもしれない。
 そこに出たとき、もの凄く懐かしいものがまず鼻からきた。匂いだ。下を見ると煙草の吸い殻、痰壺。通路の隅は赤さび、濡れている。
 そこが何処なのか、すぐに分かった。若い頃からよく通った地下鉄と私鉄を結ぶ地下通路なのだ。
 これはえらいことになったと思うと同時に、あの頃へ戻れたことで、意外と落ち着いた気持ちになれた。しかし事態を重く受け止めなければならない。これは現実とは違うことを。
 といった妄想をしながら、喫茶店で過ごしていたのだが、それぐらいにして、伝票を掴み、岩田はレジへと向かった。
 そんな階段などあろうはずがない。
 
   了
 
posted by 川崎ゆきお at 11:17| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする