2018年11月14日

3806話 橋を渡る


「次は何処へ行きますか」
「見るものがないねえ」
 山が深い。高い山ではないのだが、街から離れているため、深く見えるのだろう。
 夕食も終わり、浴衣に褞袍を羽織り、下駄を履いた宿泊客がそぞろ歩きを楽しんでいるのだが、見るべきものがない。川沿いのちょっとした膨らみ程度の場所。温泉として古くからあるが修験者の宿として使われていた。だから里の人間がわざわざここまで湯に浸かるに来ることは希。
 しかし、今は観光地化され、修験者が泊まったであろう宿坊のようなものがそのまま旅館や民宿となっている。部屋も当時のままなので、大部屋が多い。
 そこに団体客が宴会を開いているのだが、それも終わりがけ。もうお開きになり、寝るころだが、外に出ている人が結構いる。喫茶店やカラオケスナックなどは満席。
「あれは何でしょう」
「鶏小屋だろ」
「地鶏ですね」
 しかし、もう夜なので、中に入って見学はできない。
「何もないようなので、私は戻って缶ビールとチーズでも売店で買って、それから寝ます」
 連れの男は同じ宿の人で、初対面。しかし何か空気が似ているので、すぐに意気投合し、先ほどまでスナックで飲んでいたのだが、客が並んでいるので、ゆっくりできないので、早い目に通りに出た。
 大黒はもう少し夜風に当たりたかったので、一緒に帰らなかった。
「そうそう大黒さん、この先の上流に橋がありましてね。壊れかけています。そこは渡らない方がいいですよ。危ないからじゃなく、ややこしいものがあるらしいので。さっき誰かが言ってるのを聞きましたから」
 これは行けと言っているようなもの。餅つき用の臼に偶然溜まった水の中に浮き草が浮いていたので金魚でもいるのかと、外灯だけの暗がりで探した。そんなものしか見るものがない。
 大黒は当然、見に行った。橋らしきものはすぐに見えてきた。そこにも外灯が付いており、温泉場なので、明るくしているのだろう。夜も更けているので、遠くまでは行けないが、その距離なら行ける。
 大黒は橋の袂まで来た。むき出しの鉄橋で、錆び付いている。これはガシャンと行きそうな雰囲気だ。さらに上流を見ると、もう山の中。
 しかし端の向こう側には明かりがある。
 橋を渡ると階段がすぐにある。この岸はほとんど崖で、川岸というのがない。だから上へ行くしかない。
 階段の下と上に灯りがある。小さな蛍光灯だ。
 階段を上りきると、建物があるが、壊れている。
 神社でもないし、寺でもない。修験場時代の建物かもしれないが、そんなに古くはない。建物の形から道場のように見える。またはお籠もり堂だろうか。修験に関係しているのだろう。
 中は流石に暗いし、ロープも張ってあるので、それを見ただけで大黒は引き返すことにした。時間的にもそんなものだろう。
 階段を降り、橋を渡ろうとしたのだが、ない。
 違う階段を降りたのかと思い、もう一度上がると、今度は建物がない。別の場所に出たのだろうか。
 大黒は流石にまずいと思い、大声で助けを求めた。距離的には旅館街と近いし、まだ外に出ている人がいるはず。
 救援を待つため、橋のあった岸辺に戻る。
 しばらくすると、下流から懐中電灯の光が見える。
 旅館や民宿の人が助けに来てくれた。長い板を何枚か岩と岩の間に渡している。
 渡ろうとしたとき、大黒は気付いた。
 いつからかは分からないが腰から下がびっしょりと濡れていることを。
 橋など最初からなかったのだ。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:15| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする