2018年11月19日

3811話 天ヶ峰神楽


 天ヶ峰。それは何処にでもあるような山の名かもしれない。
 この地方での天ヶ峰は高天原伝説と絡んでいる。そこから神々が降臨したというものだが、これは後付けで、そういう必要があったのだろう。世の中の動きで、いかようにも変わる。
 実際にはこの辺りでは一番高い峰なので、天高きところの山という意味だろう。また里から見ると雨が分かる。霧が掛かるためだ。それで天気予測ができたりする。天ヶ峰ではなく、雨ヶ峰かもしれない。当然天ヶ峰の樹木までくっきりと見えるような日は空気が澄み、よく晴れていることになる。
 しかし、ある時代にこれを高天原と言い出した痕跡が今も残っている。天ヶ峰の取っかかりに神社があったらしい。ただ建物はなく、電柱ほどある丸太を二本立てただけ。ここが神様の通り道。ただ、もう神々が降りてこられるわけがない。もう遅い。
 しかし、戻り神、帰り神伝説があり、これも作ったものだ。下界へ降りられていた神々の帰省ポータル。
 お盆でも迎え火と送り火があるのだから、そこから来ているのだろう。
 しかし、帰られては困る。神を戻してしまうのは大問題だが、そうではなく、同じ神でも、あまりたちの良くない神々に帰ってもらうためのもの。
 そういうインチキ臭いことは、すぐに廃れるのか、また時世が変わったのか、その後は神弄りしなくなった。
 世の中が近代化し、そしてそれが行き着いた頃、何故かこういったものが逆行するように出てくる。全て割り切られた合理的な世界では息が詰まるのか、または神々というような郷愁を誘うものに向かう人もいる。
 たとえば古事記という言葉を聞いたり耳にしただけで、妙に懐かしい。
 天ヶ峰高天原伝説がまた復活し、傾いていた柱か鳥居のようなものが、また立て替えられた。これは安いものだ。その辺の木を切って、皮を剥けばいいだけ。
 それで以前あった神楽も復活させた。これは神々に喜んでもらうため、鳴り物入りで舞う。いわば送別会。
 今は里に戻った劇団員が指導している。ただ、アングラ。暗黒舞踏だ。
 自然の森の中での暗黒舞踏は逆に相性がいい。
 神戻りの舞いを振り付けたのだが、これも相性がいい。落ち武者のようなものなので、落ちていく神々を慰めるには丁度いい。実際に下へ落ちるのではなく、天に上がるのだが。
 参加者の中に女性が多いので、かぐや姫風な十二単をもっとおどろおどろしくしたもので、結構グロテスクだが、これが人気がある。
 こうなると神楽以前のもっと原始的な時代に戻っていくのだが、そこにやはり懐かしさのようなものが漂っている。
 古事記など結構グロテスクてエゲツナイ話なのだから。間違ってはいない。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:41| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする