2019年06月06日

3410話 美学の森


 森の中にぽつりとあるような館。しかし普通の民家。その建物が神社であってもおかしくない。広い敷地目一杯樹木が生い茂っている。
 元々はさる大名家の別宅だったらしいが、その痕跡は何も残っていない。当時から残っているとすれば、伐採しないで残っていた古木程度か。これも年を経るうちに枯れたり、台風で倒れたりし、残り少ない。
 しかし、今は普通の村の神社並みに森が神社を囲み、外からは建物さえ見えないほど。神社なら鳥居ぐらい表側にあるのだが。
 ただ、その周辺は庭木の栽培が盛んで、住宅地の中にぽつりとあるのではなく、周囲と混ざり合っている。
 というような長い説明だが、妖怪博士が、その神域のような館を訪ねた。ただの見学ではない。館は半分洋館風。
「妙なものが出ます」と、またかというほどによくある依頼だが、今回は依頼されたわけではない。頼まれたのだ。似たようなものだが、担当編集者の知り合いの美学の大家。大学教授だが、色々とゴタゴタがあり、今は退職しているが、美学者としてそれなりに活躍している。世の中には色々な職種があるが、妖怪研究家も美学の研究家も似たようなもので、実学とは言い難い。
 坪内昭明というのがペンネームらしい。
 坪内家はこの別屋敷があった時代の大名に仕えていた家老の家柄。その関係で、この別宅を譲り受けたのだろう。ただ、長い間ただの雑木林。建物はすでにない。もう必要ではなくなったため。つまり坪内家は安く主筋から土地を手に入れた。
 しかし、これらは本筋とはまったく関係しない。
「出るというのはどういうものですかな」
「あなた大学は」
「いえ、野の学者です」
「僕も今は在野ですよ」
「それで、何が出るのですかな」
「あの編集者が喋ったのですね」
「あ、はい」
「それであなたを寄越した」
「まずかったですかな」
「そんなことはありません。彼に相談したのは確かです」
「で、何が出るのですかな」
「美学というのは錯覚です」
「はい」
「そこにあらぬものを見るのです」
「で、どのようなバケモノが」
「まあ、ご覧下さい」
「同居者ですか」
「いや、ここは仕事場でして、家族はニュータウンに住んでいます。もうオールドタウンですがね。それに家族が妖怪ではありません」
「はあ」
「まあ、ご覧下さい」
 そこは民族博物館かと思われるような部屋で、何部屋も使われ、廊下にもびっしりと妙なものが飾られている。
「よくこれだけ集められましたねえ。博物館として公開できるほどですよ」
「このお面はニューギニアで土地の人から譲ってもらいました。長い顔でしょ」
「この象のようなものは」
「それはガンジス川で出た聖天さんです」
「ガネーシャですね」
「その原初の古い形のようです。また古い絵も何枚かあります」
「極彩色で、密度が高い絵ですねえ」
「こちらは秋田で買ったナマハゲです」
「秋田で」
「レプリカです」
「こちらは神像です」
「これは和物ですか」
「そうです。日本の神様です。仏像のように、数多くありません。珍しいものです。これは神社から貰い受けました。神主の納屋から出てきたのですがね。いらないというので」
「値打ちがあるでしょ」
「ありません。古いものじゃないですし」
 別の部屋に行くと、壁一杯にお面。壁そのものがお面。もの凄い数の視線を感じる。
「濃いですねえ、この密度」
「いずれも地方や、海外でコツコツと買い求めた物です。貰ったものや、譲り受けたものもあります」
「これはその気にならないと、ここまで多くは集められないでしょ」
「いつの間にか増えていただけです」
「はあ」
 これで何が出るのかは説明はいらない。
「音の共鳴があるように、こういうもの同士の共鳴もあるようです。当然反発も」
 妖怪博士が言おうとしていたことを先に坪内氏が言った。
「それよりも、中に混ざり込んでいるのでしょ。この中のいくつかの中に」
「流石妖怪博士、そこに目がいきましたか」
 見るからに悪魔の像がある。蝙蝠やトカゲのような顔をしている。
「これらの魔像は美術品でしてね。本物じゃありませんが、本物の悪魔の像など存在しません。全て想像上のもの、あるいはイメージ。こういう形をした悪魔がいるのかもしれませんがね」
「出たのは悪魔でしたか」
「違います」
「何が出ました」
「ウジャウジャと」
「坪井さん、これは出ますよ。これだけ集めれば」
「これは私の専門じゃありません。このコレクションは美学のためではありません。ただの趣味です。しかし、その形から色々とインスピレーションが湧きます。いずれもこの世に存在しない形です。僕はその中に美を感じるのです。美とは反対側かもしれませんがね。美しいだけのものとは標準的なものでしてね。人の顔もそうです。どこか歪んでいる。整った顔が綺麗に見えるのは、標準的な人の顔だからです。だから一番平凡な顔が美男美女となります。しかしそんな顔の人は滅多にいません。作らないとね。それと整った顔はそれ故に特徴がありません」
「醜の中の美ですか」
「これらのコレクションは醜ではありません。また異形で怖い顔でもありません。神聖なお顔もありますがね。そちらは私が弄らなくても多くの人が扱っていますから」
「はあ」
「真善美と三つで言い表す人もいます。僕は美です。美だけでいいのです。その中に真も善も含んでいますから。これは真だけでも言えることでしてね。入り方が違うだけです。見ているものは同じです」
 美学の講義が始まり、バケモノの話が遠ざかった。
「それで、どのような現象が起きたのですかな」
 妖怪博士は本筋へ戻した。
「彼がそう言ったのでしょうが、実は違います。具体的に面が笑い出すとか、動き出すとか、飛んでいるとかじゃありません。僕の耽美が飛んでいるのです」
「しかし、これだけ集めれば、出てもおかしくありません。また怪異が起こっても」
「ご心配なく、それに本物の悪魔や邪がここに潜んでいたとしても、あなた、手に負えないでしょ」
「まあ、そうですが」
「悪魔像だけでも百体以上あります。小さいのを集めるとね」
「はい」
「まあ、彼のお節介です。僕は困っていませんし、怖くもありません」
「じゃ、私は悪魔払いじゃなくお邪魔者でしたねえ」
「いえいえ、妖怪博士のお噂は彼からよく聞いております。お会いできて光栄です」
「あ、それは恐縮です」
「まあ、お土産に一つ、何か持ち帰って下さい」
 妖怪博士が物色していると「これがいいかもしれません」と坪内氏は小さな悪魔像を小箱から取り出し、裸のまま渡した。鉄でできているようで、持つとひんやりした。
 マントを着けている風に見えるが、実は翼のようだ。
 最初から怪異など起こっていないので、これでは怪異談にはならない。
 その小さな悪魔、今も妖怪博士宅に南部鉄の亀の子と一緒に引き出しの中で眠っている。
 しばらくしてから担当編集者が来たので、坪内氏の消息を聞くと、今もお元気で活躍されてるとか。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:08| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする