2019年06月11日

3415話 安心楽路


 田中は楽をしたいと思うようになった。この思いは一番簡単で、黙っていてもそれは思っているだろう。水が低いところへに流れるように、楽をしたい、楽になりたいなどは一番自然なことで、努力は必要ではない。苦労することもない。新たな発想も必要ではない。
 だが、田中はそれができないでいた。少し楽をすると、その見返りが来る。笑ったときの皺が、そのまま苦しいときの皺に変わる。笑った分だけ皺が増えたりしそうだ。
 それよりも将来いい結果を生み出さないので、若い頃は苦労は買ってでもせよとなる。苦しい仕事をこなしたのにもかかわらず賃金が安いのではなく、その分、自分で払うということなので、これは赤字だ。そんな金が何処にあるのだろう。月給分を毎月買うようなもの。その間、何で食べているのだろう。これは蓄えがあるためだ。
 だから、金持ちの子でないとできない。まあ贅沢な環境で育てるよりも、金持ちの子ほど苦労させればいいのかもしれないが、これは大きなバックボーンがあり、安心して苦労できたりする。ある意味、苦労を楽しんだりする。
 田中が楽をすることに躊躇していたのは、そんな手を抜いた生き方ではろくな者にはならないためだろう。信用の問題もあるので将来よくない。
 だが、その将来になったのだが、大したことはない。楽をしないでやってきたのに、この程度か。ということになった。
 ならば、このあたりで手を緩めてもいいのではないか。どうせ凄い将来がこの先あるわけではないので。
 そしてもう楽をしてもいい年代に達したとき、このあたりで、楽へと走ってもいいと思えるようになる。田中はこれを楽路と勝手に言っている。
 楽をしてもいいというのは、もうそれほど頑張らなくてもいいという意味。まあ、頑張ってもたかがしれていることも分かっているし。
 安心楽路。安心して楽をしてもいいのに、田中はそれができないでいる。楽をしないのが習慣になっていたため、少しでも手を抜いたりすると、罪悪感に苛まれる。こんな楽をしているとろくなことにならないと。
 つまり、楽をしないというのは狙いだったのだ。方針であり、知恵だったのかもしれない。
 それで安心して息が抜けない。もう楽をしても何処からも文句が出ないのだが、悪いことが起こる予感がする。
 これは貧乏性なのかもしれないが、気を抜くのを恐れた。
 楽をする。怠ける。これは意外と難しいのかもしれない。
 田中は楽をしてもいいのだが、楽にはできない。楽はしたいのだが、気楽にできない。逆に楽をしない方が楽だったりする。
 楽路は遠い。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:28| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする