2019年08月14日

3479話 狐狸の道


 郊外の町から山へ入る道沿いにはお稲荷さんが多い。狐を祭った動物神だ。犬を祭れば犬神様になるわけではない。本来の犬神信仰とは違う。だから犬が御本尊のになっているような神社は希だろう。南総里見八犬伝の地では、犬を祭っているかもしれないが。
 猫を祭れば猫神様だが、これも探せばあるだろう。単に動物を祭るだけのものなら単純で思い付きやすい。
 さて、その狐の神様を祭った祠などが多い場所なのだが、山道の入口から始まり、電柱一本分間隔である。これは多すぎるのではないか。
 ただ、仕掛けは狐の置物。これはお稲荷さんでよく見かける狐だが、売られているので、手に入りやすい。本来の稲荷信仰とは別物だが、この地では、流行っているらしい。
 これは欺されないようにとか、狐に憑かれないようにとか、そっち方面だ。
 山へ入る道は複数枝分かれしているのはまだ里山なので、林業関係の道だろうか。昔なら木樵道。
 メインの道は狐が多いが、枝道に入ると、狸が多くなる。ここは讃岐道と呼ばれている。狸といえば讃岐だろう。
 ここの狸も市販品で、住宅地でもよく見かける信楽焼。玄関先や飲み屋などでもよく見かける。
 これも狐と同じで、人を化かすので、その魔除けの意味もあり、狐があるのなら、狸もあるだろうというようなもの。カップうどんやそばのようなもの。
 さらに奥へ向かうと、狐と狸の祠が交互に並んでいたり、一緒にあったりする。
 しかし、ここまで数が多いと、異様だ。
 里の人達に聞くと、それだけ多いのは、狐や狸に化かされやすい場所なのだが、既に化かされているという。化かされた人達がそういう祠や置物を並べだしたらしい。
 中には狐の祠のある場所から出ている狭い小径。これは道ではなく、ただの植物の切れ目だが、そこにトンネル状に鳥居が続いている。いずれも小さい。こういうのを作ったこと自体、化かされた証拠だろう。
 ということは、それらの祠が効かなかったことになる。
 讃岐道も同じようなもので、ゴミとして捨てられたような狸の置物を集めてきて、並べたりしている。
 既にこの一帯の山は林業などしていない。だから山に入る人など希。山の手入れ、山仕事などではなく、こういうアトラクションのようなものを作りに来るのだろう。
 しかし、それも含めて、やはり狐狸に欺されているのかもしれない。
 
   了
 

posted by 川崎ゆきお at 11:08| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする