2019年09月09日

3505話 評価せず


 柴田は変わった先生だが、それが表に現れない。美術学校でデザインを教えている。課題の多い先生で、しかもどれもが小さい。小品ばかり。チマチマとしたベーシックデザインや、簡単なシンボルマーク、そして略画よりも簡潔なイラスト。いずれも一時間もあればできる。ただ、学生は書く以前のところで時間を食うようで、教室ではなかなか書き出さない。一応実習の授業で二時間ある。だから、十分間に合う。
 ここまでは変わった先生ではないのだが、その評価、これは先生に対する評価ではなく、採点方法。課題に対して一点から五点の範囲で採点する。
 五点とか一点を付ける先生は滅多にいないだろう。三点が一番多いはず。少ししんどい作品に二点、少し優れていれば四点。それが一般的だろう。
 ところがこの先生、作品を見ないで採点する。しかも点数は適当。一から五まで賽子を転がして付けているようなもの。六が出ればもう一度振り直せばいい。
 つまり採点が出鱈目。
 だから一点をもらった学生が、次は五点もらえることがある。同じような作品だったとき、悩むだろう。一点から五点になったときは悪くはないが、前回と同じような作品だったのに五点から一点になっていると、これは何がいけなかったのかと考え込むはず。土壌の下狙いとか。
 だが先生にはその意志はない。作品を見ての評価ではないためだ。点数は全て偶然で、いい点を上げようとかの作為もない。
 前回一点だったのに五点の場合、何処がよかったのか、目をこらしてみる。自分では分からない才能の目を先生が見付けたのだろう。だが、特定できる箇所がない。
 結局確率的に、満遍なく悪い点と良い点がもらえる。
 自信のなかった作品が高得点だと自信がつくし、自信たっぷりの作品の点数が低いと、色々と反省する。
 当然極めていいのを提出したはずなのに三点だと、妙に思う。
 それでも、小さな課題で、結果がすぐに出るので、それを見たいため、しっかりとその場で書いて提出する。そして最後に返却してもらうのだが、点数が書かれているだけで、先生からのコメントは何もない。
 自分で考えなさいということだろう。先生そのものが出鱈目な数字を適当に付けているのだから、評価する気など最初からない。
 しかし点数になって戻ってくると、学生達は気になるものだ。
 良いものが悪く、悪いものが良いという結果もある。
 変わった先生だと思われるようになったのは、この先生の評価基準がよく分からないためだ。しかし、変わったものが好きなわけではなく、オーソドックスなものが好きなわけでもなさそう。満遍なく出鱈目。
 しかし、この評価は、結構学生達の頭を耕すようで、意外な結果になることが多いので、何故だろうと、興味深いようだ。一寸した活性化。
 またクラスで一番評価の高い人もいないし、一番低い人もいない。偶然で均されたためだ。
 ここにこの先生の方針なり、ポリシーがあるように思われるのだが、実際には採点したり評価したりするのが面倒なだけのようだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:12| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする