2019年09月29日

3525話 千古万古


 千古からあるものは人が関わっているが、万古からあるものはどうだろう。今もまだ引き継がれているのは当然千古の昔のものが多く、馴染みが深いかもしれない。
 千古万古の昔からあるもの、そして未だに続いているものはやはり価値がある。続いているだけでも馴染みの線が切れていないためだ。
 しかし、今のものでもよく見ると、千古万古からあったものの発展型かもしれない。
 では千古万古からある考え方などはどうだろう。千年前と同じ感情のままのものは結構ある。四季の変化に関する形容とかだ。それらは古歌として言葉で残っていたりするが、その時代の言葉を聞いても、分からないかもしれない。
 坊主殺せば何代か祟ると言われている。七代か八代かは忘れたが、考えてみれば、かなりその一族は反映するということだ。絶えないで何代も続く。ただ祟られるだけで、亡びはしない。一寸苦しい程度だろう。
 これは坊主が言いだしたことなのかもしれない。一応僧侶なので、殺生できない。だから祟る程度。
 明治大正昭和令和。これだけで四代だ。だからその倍以上祟られるのは大変だが、二代や三代で亡びてしまわないので、その血筋は十代近くまで確実に保証されていることになる。その後、その呪いは解け、呪い明け後パタリと絶えたりしそうだが。
 祟られている間、その一家が絶えてはいけない。祟る相手が無くなるからだ。それが終われば、もう祟らなくなるが、長くその一家が続くかどうかは分からない。
 別に祟られなくても、絶えて消えてしまった家などいくらでもある。しかし血の繋がりのある親族などが残っていたりする。本家も絶え、分家も絶えると、もう駄目だ。血の繋がりではなく、一族としての存続だ。
 たとえば男子がいなければ養子を取ればいい。娘は親の血を継いでいるので、その子も引き継ぐ。
 千古から続いている家系もあるだろうが、続いていても分からないことがある。どこから始まったのか、何処から数えていいのかも。そして大した家でなければ、続いていても分からない。
 千古の昔からそこに棲み着いた人達もいるだろう。村の歴史などでは、よくあることだ。だからそこにあるような古い家は、千古の昔から続いているかもしれない。
 また、その村に棲み着く前から数えると、凄い数の先祖がいることになる。
 先祖代々の墓はあるが、それを参る子孫がいなかったりする。絶えたのだろう。または引っ越してしまい、遠すぎて放置したのかもしれない。
 古そうな家を見ると、この家は何代続き、先祖はどんな人達が連なっているのかと想像する。誰一人名を成した人などいないのが普通だろう。いたとしてもそのこと事態忘れられたりしている可能性がある。
 千古万古と続いているものに価値が出ても不思議はない。続いていているだけでも貴重だ。
 
   了
  



posted by 川崎ゆきお at 12:22| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする