2019年10月13日

3539話 ライブの前に


 宮内の町でライブをするのなら、しんさんに声をかければいいと聞いた。しんさんは有名人なので、聞けば何処にいるかすぐに分かるとも。
 しんさんは古いミュージシャンで、この世界では草分けに近いが、ヒット曲がなく、もう忘れられた存在だが、この業界では誰もが知っている。知らなければモグリ。だが、最近はモグリのミュージシャンが多く出てきたため、しんさんといってもピンとこない。ましてや地方にある聞いたこともないような宮内の町。
 柴田は全国ツアーで地方を回っているのだが、何度かに分けている。その中に、宮内が含まれているのだが、これは自分で決めた。宮内にライブハウスがあるので、庄内と駿河の間の町なので、ついでなので、そこも入れた。ただ、柴田は無名ではないものの、かなりの若手。
 それで宮内でやるのならしんさんと会ったほうがいいという話。やくざの縄張りではあるまい。
 しかし、やる前にしんさんに声をかけておくことを何度も念押しされた。
 そのしんさんの歌、レコードにもなっていない。ネットで調べてが、まったく引っかからない。そして今はもう歌っていないのだから、普通の人だろう。宮内が故郷なのかもしれない。
 噂では顔を繋いでおかないと、客が入らないらしい。ただ、ファンが多い人は別で、入りきれないだろう。しんさんに声をかけさえすれば、結構人を集めてくれるらしい。そのほとんどはしんさんと縁のある人達だが。やはり地元の強味かもしれない。そこに根を張っているのだから。
 柴田は二人でも三人でもいいと思っている。それほど有名ではないので、それは仕方がない。だから、無理にしんさんに頼んで、客を増やしてもらわなくてもいいような気がするが、宮内まで来てしんさんと会わなかったとなると、問題だという。どんな問題が起こるのだろう。
 しんさんは有名ではないが、その友人達は大御所になっている。凄い名前がずらりと並んでいる。顔が広いのだ。だからしんさんに挨拶しておくのはいいことだという話。後々何を言われるか分からないので。
 それで柴田は宮内の町に入ったとき、すぐにしんさんを探した。
 誰でも知っていると、久保田がいっていたので、通行人に聞いてみた。すると、すぐに分かった。
 教えられた家は、結構古くて立派な屋敷だった。ここが実家なのだろう。
 インターフォンを押すと若い子が出てきた。この家の子供だろうか。高校生だろう。
「しんさんいますか」
「ああ、ちょっと待って」
 そして出てきたのはお婆さんだった。
「しんさんですか」
「そうですが」
「間違いました」
 しかし確認しなくても、姿を見れば分かるだろう。どう見ても婆さんだ。
「あんた、探しているの、のぶさんじゃないかい」
「ああ、そうかもしれません」
 その信さんは四軒向こうにある酒屋にいるらしい。
 酒屋は既に廃業している。配達する人がいないためだろか。しかし自販機は並んでいるが。
 シャッターを叩くと、すぐに人が出てくる気配。
「はい」
「のぶさん、お願いします」
「ああ、おのぶさんだね」
「しんさんともいいませんか」
「おのぶさんです」
「おがつきますか」
「はい」
 ここではもう確認の必要はないだろう。しんさんはもうかなり年を取っているが男だ。
 おのぶさんというのは、この家の出戻りらしい。もう会う必要もないのだが、店舗跡に、フワッと姿を現した。
「何か」
「いえ、しんさんを探しているのですが」
「しんさん」
「男です」
「知らない」
 出戻りは小姑の顔を見る。
 小姑も知らないらしい。
 誰でも知っている有名人ではなかったようだ。
 久保田が大袈裟にいっただけなのだろう。
 そのあとも、しんさんを訪ね歩いたが、一人、やっとしんさんを教えてくれたが、子供だった。
 どうもしんさんというのは通り名で、愛称のようなものだろう。本名が「真」ということも考えられるが、真一とか、信太郎とか、その年代なら、そんな名かもしれない。しかし上の名字が分からないので、何ともならない。
 ライブハウスで聞けば一発だが、久保田によると、その前にしんさんと会えということ。これで、ライブハウス内での扱われ方が全く違うからと。
 しかし、業界内だけで通じる愛称では何ともならなかった。
 結局しんさんは見付からないままライブとなる。
 別に何の影響もなかった。
 後でライブハウスの人に聞くと、しんさんはその日聞きに来ていたらしいが、客の中に知り合いがいないので、途中で帰ったとか。
 宮内でしんさんに挨拶しなかったが、その後しんさんの祟りはない。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:49| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする