2019年11月03日

3560話 引き時


 潮時は満潮よりも引き潮に使われるときが多いようだ。潮時なので、どちらかのピークか、または引き始めた頃か、満ち始めた頃の潮の変化時で使うのだが、日常会話で使われるのは潮時とは引き時が多い。引き上げ時なのだ。だから、潮が引くように身を引く。
 これが実際の砂浜なら満潮が近付くと引かないといけない。立っている場所まで海水が来るためだろう。要するに相手にとっては満ち潮。こちらにとっては引くこと。だが、引き潮のときは沖側へ少し行けるようになるので、引き潮の時がいいのだが、これは潮の引きと人の引き際の「引き」が同じなので、混同してしまう。海から見るか人から見るかによって違う。
 引き際が大事ともいう。満潮とかは月と関係しているらしいが、満月と満潮は似ているが、波は常に引いたり寄せたりしている。そのテンポは早い。しかし、海と陸との境というのは波で始終変わっている。海になったり陸になったりする。その幅は大したことはないが、大きな波が来れば陸地が減る。
 引き潮、満ち潮は自然の摂理。月がある限り、満ち引きはあるだろう。だから引き際が大事というのは、引くのもまた自然の摂理。それを無理に留まるのは不自然ということになる。何かに反しているような。
 引き際を心得るとは、どのタイミングなのかをあらかじめ決めている場合もあるが、何となく、そろそろこのあたりでまあいいかというような気持ちが動いたときだろうか。その気持ちとは勝手に動くわけがないので、何らかのきっけとなることがことがあったときだろう。
 ここを崩されると、もう終わりだ。とか、周囲を見渡し、仲間たちがみんな引いているので、そろそろ引くべきだろうとか、それは様々。
 引き際の汚い人は、全部引かないで、ある部分だけ残していたりする。どうせ引くのなら、全部引く方がいい。
 さて、引き際を心得た人が、綺麗さっぱり引いてしまったそのあとはどうなるのだろう。
 これは一線を引いて二線になるというのもある。第一線から引いて、少し後ろに下がるという程度だ。
 引き時というのはその前にその前兆が何度か見えるのかもしれない。
 引けば楽になることもあり、それならもっと早く引くべきだったと思ったりする。
 これは年を経た人の話ではなく、若いときでもそうだ。前へ進むのも早いが、下がるのも早い。まさに波打ち際で波と戯れているようなもの。
 また、引き時というのは様々なシーンであり、行くべきか引くべきかと迷うこともあるはず。だが、先はなく、引くしかない場合は、話は簡単だ。
 人は個人個人世界を持っており、人の数だけ空があるとも言われている。だから、その世界が変わるのは、一寸気になる話になる。
 だが、個人の持っている世界も、決して一つではない。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:55| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする