2019年11月05日

3562話 ある秋の行楽


 秋晴れ、これは滅多にない。台風のシーズンだし、それが来なくても秋雨前線が居座ったりし、晴れている日が意外と少ない。雨は降らなくても曇っている日が非常に多い。その中での晴れ間が秋晴れということになる。だからこの秋晴れは貴重。
 行楽のシーズンでもある秋、いい気候になった秋。
 その日、田宮は晴れているし、休みなので、この日を逃がしては今年の秋はないものと思い、出掛けることにした。これは目的の行楽地があってのことではなく、出たいだけ。要するにお出掛け、外出。しかも遊ぶため。その遊び方はよく分からないのだが、繁華街に出て映画を見るようなことではない。やはり秋を満喫するためには野外に出ることだろう。その野外とは自然豊かな場所。公園でもいいが、それでは行った気がしない。遠くにある観光地の公園なら、行った気がする。
 紅葉にはまだ早い。しかし少し標高の高い山まで行けばそろそろ始まっているかもしれない。
 ただ、秋なので紅葉狩り、という決まりがどうも芸がない。ススキ狩りでもいい。背高泡立草狩りでもいい。戦前にはなかった風景かもしれないが。
 泡立草なので、バブル花。
 しかし、わざわざ遠出しなくても、近所の空き地へ行けば、いくらでもある。
 要するに、何処でもいいのだ、出掛けるだけで。秋の半日ほどをそういう秋晴れの下で過ごせるだけで十分。
 しかし、たったそれだけのことだが、背景が大事。全てが秋晴れの下になるのだが、その下が大事。下はどうなっているかだ。そこが古跡と新興の建て売り住宅地だと大きな差だ。趣の差。やはり少し秋の古典を踏んだような場所が好ましい。山野に入り込むのもいいが、少し遠いし、山登りはしたくない。
 そこで見付けたのが山寺。そして一寸した観光地だが、賑わってはいない。そして場所も郊外の何もないような駅からバスが出ている。少し山に入った所にあるお寺で、周囲は山と田舎っぽい村がある程度。
 バスはお寺近くの村行きがあり、通勤圏内ギリギリだが、バスの本数は少ないためか、車でないと通えないだろう。そのためか、農家が多い。建て直したのもあるが、引っ越して来て、ここで家を建てたものではない。昔から住んでいる人ばかりのはず。
 しかし、ここまでは市バスが来ている。ご苦労なことだ。有力な議員でも昔出したのだろうか。
 田宮が目を付けたのは、郊外まで足を伸ばしただけでも、もう十分だが、さらにバスでもう一押し突っ込めること。そして山寺だが谷にあり、登り道がほとんどないこと。そして紅葉の名所となっていること。だが、聞いたことのない名所。
 田宮は地図を広げ、寺までの沿道を確認する。結構山へと分け入っている。ここまで行けば自然も豊かだろう。
 市バス沿線なのだが山岳バスのように、頑張って、走らせている。地図で見ると、その山寺も、まだ市内なのだ。
 その沿道に妙見堂と聖天堂がある。市の最果ての村までのバスなので、寺とは関係はないが、そういったのがまだ他にもありそうだ。地図には載っていないが、これはハイキング地図とか、別の地図なら、スポットとして書き込まれているかもしれない。
 それで、ネットで、そのあたりの情報を見に行く。まずは市の観光ページ。これでほとんどの名所旧跡などは網羅されているのだ、妙見堂も聖天堂も載っていない。ネタとして小さすぎるためだろうか。
 それで里山歩きの好きな人が作ったホームページへ行くと、写真が大量にある。この人が散策したとき写したものだろう。
 そこに妙見堂と聖天堂が写っていた。意外と近い。
 その解説によると、ライバル同士とか。だが、いったいどんな関係で競い合っているのかは謎。その作者が勝手にそう言っているようだが、これは山寺の紅葉よりも、見応えがあるかもしれない。
 さらに山寺の奥、もう山間も深くなるところだが、蓑笠不動尊というのがある。昔話の笠地蔵が悪化したものらしい。苔むした地蔵さんだが、顔の形が崩れ、怖い顔になっているようだ。
 さらにそこから渓谷伝いに進むと別の支流が来ている沢の奥に池があり、そこに小さな弁天さんがいるとか。水弁天と言われ、半裸らしい。それが人魚のように池の中にいるとか。
 田宮はさらに調べていくうちに、もう十分そのあたりを歩いたような気になり、さて、出ようかとなったとき、少し日が陰り、雲が多くなってきたので、行く気が薄れてきた。それに調べていて時間がかなり経ったのだろう。出遅れた感じだ。
 それで、またの機会に延期することにした。
 こういう探索は、下調べなどしない方がいいのだ。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:57| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする