2020年01月12日

3629話 寒参り


 正月の初詣に行かなかった高島だが、これはまだ冬の序の口、もう少し寒くなった真冬の寒参りを目論んでいる。これも初詣だ。今年初めて参るのだから。
 ハードルをかなり上げ、寒く厳しい中を参る。これは効くだろう。身体だけに効いたりしそうだが。応えてくれるのは神ではなく、身体に応えたりする。
 さらに大きな神社は平地にあり、街中だったりする。そうではなく高く寒い場所。気温はさらに下がるだろう。山の中の神社。しかし、これはあまりない。
 そこで高い場所、つまり山の中にある神社は難しいが寺ならある。山門というほど山とは縁がある。しかし、神様ではなく、仏様。お寺参りになるのだが、伏岡神社というのが山寺にある。実際には寺の奥の院があるような場所で、寺のお堂ではなく、どう見てもお宮さんだ。つまり神殿がある。
 これは公式にはあまり宣伝されていない。昔は寺も神社が一緒だった名残だが、少し遠慮して、見えないところに移している。
 山寺の奥の院は深い箇所にある。背にしている山の中腹辺りにあり、一応階段は付いているが、遠い。寺の普通の境内からは当然見えない。だから、隠したのだ。
 この伏岡神社、正式な名ではない。ここに移転してからの通称で、伏している。つまり身を低くかがめての隠れん坊のように。
 さらに御神体はよく分からない。忘れたのだろう。明治のある時期、寺に神社があることが問題だった。どちらかに決めよという感じだろうか。
 それで、御神体も敢えて伏せた。伏せすぎて分からなくなったわけではない。
 高島はそこまで調べ、いいものを見付けたと喜んだ。寒参りにふさわしい。ありふれた神社へ行けば、遅れ参りのようになる。それを寒参りとし、しかも伏され続けている神社。非常にいい感じだ。
 これは大寒の日に行くべきだろう。大寒と気温の関係は明快ではない。暖かい大寒の日もあるが、これはあとで語るとき、大寒の日に寒参りと言えば、通りやすい。いかにも寒そうな日のように思われるため。
 その山寺まではバスを乗り継いで行った。観光の寺ではないのは、辺鄙なため。元々は修行のための寺だったようで、里との関係は必要ではないというより、遠ざけている方が好ましかったのだろう。
 西洋で言えば、修道院のようなものだろうか。
 二台目のバスから降りた高島は、さらにそこから山道を登り、やっと山門まで辿り着いたのだが、その道中も、結構人がいる。
 山門から境内を見ると、地面が見えないほど。
 寒いので、着ぶくれした人ばかりで、これだけ人が多いとストーブはいらないのではないかと思える。押しくら饅頭状態なのだ。
 しかし、少しだけ人が動いている。境内の左側、本堂の横から人が出てくる。出た分、境内の押しくら饅頭も少し変化する。
 出てきた人だけ入るのだろう。しかし、本堂ではない。本堂には人はいない。
 高島はその群れの一人になり、順番を待つ。
 もうここで悪い予感がしていたのだが、それが的中した。
 境内から裏門へ向かう行列ができており、そこを抜けると山道となり、奥へ向かう。つまり伏岡神社だ。
 この人数、全部寒参りなのだ。
 こういう穴場ほど、知れ渡りすぎて、穴ではなくなっており、どっと人が押し寄せていたのだ。
 誰も来ないような伏したような山中の神社、そのイメージがガタリと壊れた。
 高島は、伏していないではないかと呟きながら、後戻りもできず、巨大ムカデの足の一本にもなったような感じで、石段に足をかけた。
 
   了
 




posted by 川崎ゆきお at 12:17| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする