2020年01月31日

3648話 我慢


 一度捨てたものだが、これがいけることがある。つまり、復活だ。そんなことはよくあり、日常的にも繰り返されているかもしれない。そして捨てたものが復活し、またそれを捨てたりする。最初捨てたときと同じ理由だろう。そしてまた再復活する。
 さらに再々復活し、それが繰り返されるようなら、もう捨てたことにはならないかもしれない。
 最初捨てたとき、本気で捨てたわけではないことになる。またはその代わりとなるものに問題があったのかもしれない。しかし、それもまた復活するとなると、結局はどれもこれも、捨てたことになるし、捨てなかったことにもなる。
 当然永久に復活しないものもあり、これは完全に捨てきったことになる。
 だが、長く捨てないものほど、捨てると復活する確率が低い。早い目に捨てたものほど復活しやすい。まだ馴染む前に捨てたのだから、新鮮さがまだ残っているためだろう。または、気が変わったためかもしれない。
 捨てる理由の中に、この気が変わったとか、方針が変わったとか、事情が変わったとかがある。そのものに落ち度はない。
 一度捨てたものを見直す。これは見落としていたのだろうか、非常にいい面を。
 そして最初見ていたのは悪い面ばかりだったのかもしれない。その悪い面があるので捨てる。しかし、いいものもそこで捨ててしまうことになる。このいいものが復活の理由だ。
 だから悪い面を少し我慢すれば、捨てないで済むが、どうしても我慢できないことがあり、それで捨てるのだろう。
 要するに我慢比べ。我慢したぶん、ウロウロしなくて済む。だから我慢は大事。
「それで、今回は我慢しているのかね」
「そうです。我慢比べです」
「誰と」
「自分自身と」
「やせ我慢かもしれんぞ」
「いえ、ここさえ我慢すれば済む話です。面倒なことをしなくても済みます」
「その我慢が一番面倒なことなんじゃないのかね」
「そうですかねえ」
「我慢はよくない」
「はい。でも耐えることも大事でしょ」
「我慢に耐える。確かにそれも方法だ。我慢強さは美徳でもある」
「そうでしょ」
「だが、我慢はストレスになる。これは何処かで爆発する」
「気持ちいいでしょうねえ」
「まあね」
「だから、我慢貯金を増やしているのです」
「それじゃ、我慢とは言えない」
「そうですか」
「我慢を慣らせばいい」
「ならす」
「慣れるというよりも、包み込むんだ」
「はあ」
「だから我慢に耐えるのではなく、上手くコントロールすればいい。そちらの方が賢いよ」
「はあ」
「子供のように気に入らなければ爆発させるじゃなくてね」
「はい」
「我慢が我慢でなくなるように溶かし込むんだよ」
「そうですねえ。いいことを聞きました」
「しかし、君のやっていることをこれまで見てきたが、私は何も言わなかった。温かい目で見守っていたからね」
「有り難うございます」
「しかし、もう我慢の限界だ」
「え」
「堪忍袋の緒が切れた」
「あ、さっきとは話が違います。我慢をコントロールすべきでは」
「人のことを言っているんだ。自分のことは別」
「じゃ、我慢できなかったのですね。僕は今まで我慢して聞いてきたのに」
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 12:17| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする