2020年02月05日

3653話 世渡り名人


 岩村は世渡りが上手いとされているが、それが最近目立ちすぎるのか、鼻につきだした。褒め言葉だが、けなしているようにもとれる。
 世渡り上手なら、世の中を上手く渡れるので、快適だろう。だから悪いことではない。だが、過度なほどの世渡り上手となると、これは必要以上になり、無難に過ごせさえすれば満足という感じを越えている。
 岩村はそれが気になった。少しでも有利な、条件のいい波に乗ってきただけなのに悪く思われる。
 不器用ではなく器用な生き方をしてきた。しかし不器用にしか生きられないように、器用にしか生きられない人もいる。だから似たようなもの。
 ただ、世間から見ると岩村は甘い汁を吸ってきた。美味しいところに常にいる。まるで、執着心の強い欲の強い人間のように思われても仕方がない。
 馬を換える。これもよくやっていた。乗り換えが上手いのだ。一箇所でじっとしている人間ではなく、甘い水のある場所を飛び回っている。
 頭の回転が速く、要領がいいし、先を見る目もある。だから、岩村にとり、普通のことを普通にやっているだけのこと。
 世渡り上手な人を嫌がる人がいる。上手く渡れなかった人達だろう。だから白い目で見たりする。負け犬の遠吠えだが、そこから悪い噂が出る。嫉まれているのだ。
 新たに出合った人は大事にし、以前からの人を大事にしない。岩村は過去を見ない。先ばかり見ている。だから先々のことを予測し、上手く立ち回って来れた。しかし、軽い。
 岩村にはこれといったポリシーはない。主義主張もない。いずれも邪魔になるもので、動きを妨げるものだと解釈している。だから、義理も人情にも拘わらず、スイスイと泳いでいる。
 だが、人間としてはどうか。人物像としてはどうかだ。あまり褒められたものではない。
 しかし、長年にわたり、巧みに世の中を渡り、いつもいいポジションにいることは誇りにしてもいい。なかなかできるものではない。
 途中で落ちていった人、時代にそぐわなくなり、終わった人、そちらの方が多い。岩村はその意味で奇跡的に生き延びている。ここを評価してもらいたいのだが、ただの世渡り上手としての評価しかない。少しさげすんだ。
 太鼓持ちとか腰巾着だと言われながらも、その主人たちより生き延びている。
 世渡り、これの名人岩田は、もっと評価されるべき人だろう。
 
   了

 


posted by 川崎ゆきお at 12:31| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする