2020年02月09日

3657話 風の宿


 観光地らしいが、よく知られていない。曖昧なためだ。古い街並みが残っているのだが、これは旧街道。
 大きな幹線道路、これは国道だが、それができてから淋しくなった。
 その旧街道は今でもあるが、道が細く、曲がりくねっている。その旧街道の宿場町へ武田は来たのだが、古さが中途半端。江戸時代のものが残っているところもあるが、メイン通りにそれが並んでいるわけではなく、新しい家もある。当然だろう。しかし、それらの家も戦前からあるような造りで、江戸時代よりも新しいだけ。
 ホテルや旅館はなく、民宿が数軒ある程度。いずれもそれほど古くはない。古民家ではない。江戸時代から続いているような建物もあるが、土産物屋になっている。観光地らしさがあるのはそこだけだが、民宿の玄関口にも、土産物は並んでいるので、やはりここは観光地だろう。
 それに提灯が通りにぶら下がっている。だがよく見ると、この地の神社の祭り用で、観光用に作ったものではなさそうだ。祭りの提灯をそのまま仕舞わないでぶら下げているようなもの。
 武田はネットで予約し、その宿に入った。普通の家だが、母屋の天井は高く、武田の実家にある田舎の農家のように広い。といっても屋敷と言うほどではない。
 案内されたのは別館で、建て増して延長したのだろう。そちらはまだ新しい。これは民宿用に建て増したものなので、旅館風だが、床の間とかはない。押し入れがあり、蒲団が入っている程度。しかし、八畳ほどの広い部屋だ。
 仕事を済ませてから来たので着いたのは夕方。観光は明日にしようと、すぐに風呂に入る。大きな風呂で、一寸した銭湯並み。一人で入るのはもったいないほど。湯は澄んでいる。温泉ではない。
 夕食は母屋で食べた。客がもうひと組いる。若いカップルだ。お膳が三つ運ばれ、汁物を温め直しているらしく、しばらくして出てきた。
 そしてお膳には名物らしい馬肉。馬刺しだろう。
 カップルは早い目に食べ終えたのか、すぐに出ていき、しばらくして、もう一人入ってきた。それは一人客の老人。
 武田がゆっくりなのは、あまり腹がすいていないため。いつもはもっと遅いためだろう。
 天気が急変したのか、妙な音がする。あまり聞いたことのない風の音だ。街中の風とは違うのかもしれない。
 食べたあと、少し玄関口を覗くと、開いたままなので、外が見える。既に薄暗くなっているが、雨は降っていないようだ。
 持ち物はショルダーだけなので、そのまま散歩に出ることにした。特にキーなどはない。二階には武田しか泊まっていないようだ。
 玄関を出たとき、その建物を振り返って確認する。覚えていないと、何処の家なのかが分からなくなる。
 風が強いので提灯が揺れている。電球が入っているのか、それが灯っている。そこだけが観光地らしい。
 ここへは駅から歩いて来たのだが、その取っ付きにある民宿しか見ていない。偶然そこが予約していた宿だったのだが、旧街道が宿場町らしくなる入口だったようだ。だからその先を一寸見ることにした。
 暑くも寒くもない気候で、旅先でのそぞろ歩きには丁度いい。似たような民宿があるので、そこから出てきた人もいる。やはり一寸した散歩だろうか。宿の浴衣は着ていない。上に何か羽織らないと、まだ寒いためもあるが、宿屋しかない場所ではなく、普通の家の方が多いので、普通の服装の方が合っている。それに見て回るものもないようで、夏祭りに神輿が出る程度の観光資産だろうか。江戸時代の宿場町の面影は、欠片程度しかない。
 武田はもう暗くなった街道跡を歩いたのだが、急激に暗くなったので、少し妙に感じた。山が近いと、そんなものかもしれない。
 提灯の端っこまで、あっという間に来てしまった。宿場町らしさは、ここで終わるのか、提灯が足りないのかは分からない。
 さらに進むと、明かりが多くなる。街明かりだが、もう宿場の面影はないが、家々は結構古い。昔の商家風な建物脇に倉などもあり、町屋跡だったことが分かる。宿が集まっている場所から町屋が集まっているところへ出たのだろう。ここは明るくなってから明日、ゆっくり見ようと思っていたが、明かりが綺麗なので、そのまま進んだ。窓に色硝子が入っているのか、それで綺麗な色に見える。
 風がきついのか、洗濯物がハタハタなびいている。夜になっているのに、取り込んでいないのだろう。長い服だと思っていると、着物のようだ。表通りから丸見えだ。そういう洗濯物があちらこちらではためいている。
 まだ少し寒い頃なのに、二階の窓が開け放たれ、煌々と明るい。眩しいほどに。
 そこにも提灯が灯っているが、神社のものではないようだ。
 しかし、風が強い。ヒューンと何かが頭の上を飛んでいった。洗濯物だろうか。軽そうだったので、手ぬぐいか紐かもしれない。最初鳥だと思った。
 さらに進むと、風の音に混ざってリズムのある音がする。笛のように聞こえたが、高さが違う。また、ポンポンと叩く音も。
 その音が出ている場所らしきものが前方にある明かりだろうか。かなり明るい。玄関先というより、一寸した溜まり場でもあるのか、縁台のようものが覗いている。近付くと、それは舞台のようで、さらに近付くと、焚き火だ。地面ではなく三つ股の上での篝火だ。
 舞台に近付き、奥を見ると、能。
 最初、菊人形でも飾ってあるのかと思ったのだが、動いている。しかもじんわりと。そして例の能面。衣服は古く、汚れが見える。大昔のものだろう。そのまままだ使っているようだ。
 薪能にしては客はいない。この土地の神社の行事にしては、演者と演奏者しかいない。練習でもしているのだと思い、武田は通り過ぎる。
 そして、道の左右はまだまだ先まで明かりが煌々と灯っている。いずれも開け放した玄関や二階からの窓明かりだが、座敷の中も丸見えだ。
 風が強く、さらにまだ肌寒い時期、そんなことをするだろうか。
 武田は怖くなってきた。理由が分からないし、これは難しい問題になってきた。
 時計を見ると深夜になっている。見間違えではない。暗くなり出してから外に出た。ここまで十分もかかっていないだろう。しかし、この時計、よく故障する。
 これはやばいことになったと思いながら、急ぎ足で引き返した。この奥へ進めば進むほど、もっとやばいものに遭遇するはずなので、厳しいことにならないうちに、戻るのがいい。
 出るとき建物をしっかりと記憶していたので、泊まっている民宿はすぐに分かった。それに端にあるので、それだけでも分かる。
 武田はまだ開いている玄関をそのまま通り、三和土から廊下に出て、先ほど夕食を食べた部屋の前を通る。老人はまだ食べていた。そうなのだ。その程度の時間なのだ。
 部屋に大きな柱時計があり、それを見ると、まだ宵の口。そうなのだ。それでいいのだ。
 老人は晩酌らしく、宿の人がつまみなどを持ってきたところで、バタリとぶつかりそうになる。
 宿屋は覚えているが、自分の部屋が何処だったのか、忘れてしまったので、それを聞く。建て増したためか、一寸回り込んだところに入ってから二階への階段を上るのだが、その順路を忘れていた。下手なことをすると、訳の分からない部屋に入り込み、出られなくなるかもしれない。それがあってもおかしくないような先ほどの体験。
 部屋に入ると、既に蒲団が敷かれていたので、武田はすぐに床についた。長旅で、しかも寝不足気味だったのか、すぐに寝入ってしまった。
 そして朝、目覚めたとき、昨夜のことは夢だったのか、実際にあったことなのかが曖昧になってしまった。
 だが、心の中では、本当にあったことと確信していた。しかしそれを認めるのは怖いので、曖昧にしておいた。
 そしてすぐに宿を引き払い、宿場町跡を見学した。
 洗濯物が風でなびいていたあの窓、薪能の舞台、いずれも、そんなものは見つからなかった。
 あの風景、風が運んできたのだろう。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 12:50| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする