2020年02月13日

3661話 験担ぎ


 島村は験を担ぐ人だが、別に神輿のように担ぐわけでも、荷物を背負うわけでもない。
 帽子を玄関先の台の上に乗せている。椅子のようなものだ。台というほどではない。一寸置く場所が欲しいときに買ったものだが、今では帽子置きになっている。夏でも冬でも帽子を被って外に出ている。これは一度習慣になると、頭に何かを乗せていないと落ち着かない。それよりも寝癖がひどいので、それで隠しているようなもの。
 その帽子が何かのはずみで落ちることがある。これを首が落ちると解釈してしまう。
 それが落ちる確率は年に一度あるかないか。急いで玄関先へ出たとき、帽子を引っかけてしまうことがあるし、何かを運ぶとき、帽子に触れたりして、ポトリと落ちる。だが滅多にない。それが起こると縁起が悪い。それなら帽子かけとまではいかなくても、壁側にかけておけばいいのだ。衣服は部屋で着替えるが、帽子だけは玄関先の廊下。何故か部屋には持ち込まない。
 出掛ける前、帽子が落ちていることがある。滅多にないので、これは目立つ。そういう日は注意が必要で、外で帽子が落ちるどころか、その中身も地面にごろりと落ちることを想像してしまう。首が飛ぶ。これは事故だけではなく、仕事上のことでもそうだ。何か首になりそうなことが起こるような予感がする。ただの験担ぎ、ジンクスだ。
 茶碗が割れるというのもそうで、これも確率は数年に一度だろう。茶碗を洗っているときとか、茶碗を出すとき、手が滑って落とすためだ。落としそうになることはあるが、本当に落ちるのは希。また、落ちた場所と高さが問題で、落としても割れないことが多い。
 茶碗の場合は、落としただけなら、験を担がない。割れたときだ。
 これは十年に一度だったりする。だから何かがあると思ってしまう。そのためこの警告に従い、注意深く一日を丁寧に過ごすよう心がける。これは一日が期限で、一日だけでいい。
 そして帽子が落ちた日も、茶碗が割れた日も、別に何も起こらないことが多い。
 逆に帽子が落ちていたことなど気にしないで、注目もしなかったとき、年に一度あるかないかのときに、ややこしい目に遭ったりする。終わってから、ああ、あのとき帽子が落ちていたなあ、と思いだしても、あとの祭り。
 だから、島村の験担ぎは予防用。実際に帽子が落ちた日は何も起こらない。それは注意深く、用心深く一日を送るためだ。
 風で帽子が飛ぶ、地面に落ちるというのは問題視しない。理由が明快なためだ。強い風なら帽子が飛ぶこともあるだろう程度。台の上に置いていた帽子が落ちるのとは違う。お知らせの仕方が違う。
 また、こういうこともある。贅沢品で、別に買わなくてもかまわないようなものを買いに行くかどうかで迷い、後ろめたさを感じながら、買いに行こうとしたとき、雨が降り出した。雨が止めに入ったのだ。そしてそれを無視して、買った場合、失敗だったことがある。思っていたものと違っていた。
 まあ、タワシを買いに行くとき雨が降っていても気にならない。だが、タワシだけを買いに行くことなど先ずないだろう。
 そういった何らかの合図のようなものを受け取った体験のある人が他の人にもあるはず。高度情報化時代、そんな虫の知らせのような曖昧なものなど無視されがちだが、他人には言わないだけで、密かにそういうものを気にしているのではないだろうか。そして当たっていたりする。
 犬のひと吠えが的を射ている場合もある。
 
   了





posted by 川崎ゆきお at 12:19| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする