2020年03月27日

3702話 カレント主義


 カレントには意味がある。まあ、全てのことに意味はあるのだが、意味付けしているのは人だろう。このカレントが特に意味があるのは、今、現地点、目下のところ、今、立っている場所のためだろう。つまり今なのだ。今は意味が集中している。意味が集まる場所。それをカレントと高田は呼んでいる。
 カント主義があるのなら、カレント主義があってもおかしくはないが、そんな主義はないので、主義というほどの風呂敷はない。ただの一寸した気持ちのようなものだったりする。だが、カレント主義では気持ちに大きな意味を与えている。
 誰が、それは高田だ。
 その意味を見付けた人は大勢いるだろう。しかし、自分で見出すことが大事。
 ただ、それに価値があるかどうかは分からない。主義ではなく、ただそう思うとか、そんな感じがするとか、そういう気がした。などでは弱すぎる。
 現地点は次の地点とその前の地点を見ている。現在位置は一日経てば変わる。不動産ではなく動産。しかし不動産屋はあるが、動産屋はない。変化が多いといえば相場師がそれに相当するかもしれない。値がどんどん変わる。しかし、土地などの不動産も変わるので、値が動かないわけではない。土地は動かないが。
 現地点、カレントが大事なのは、そこに結果が現れているからだろう。流れの先端。それがその人の本流ではないかもしれないが、成り行きでそうなってしまったということがあり、また偶然そうなったとかもある。
 さて、カレント主義者高田はいつも迷っている。それは流れのためだ。次に何処へ行こうかと悩む。カレントは次を目指す。その次が、あまり芳しくないと、違う流れに向かう。または以前カレントだった箇所へ戻る。
 戻った場合、何段階かはなかったことになり、無駄になる。そのため引き返すのはもったいない。
 望んでそうなったことがあり、その先がまだあるのだが、何となく間違っているのではないかと思いだした。
 このあたり、微妙な話なので、高田にしか分からない。これは高田個人の感覚や感性や性分でないと分からない。普遍性はないが、どの普遍にも当てはまったりする。よくあることとして。
 そんなとき、思い出すのがカレント。今は今の意味なり意義なりがあり、存在の先端であるということ。ここをやはり維持すべきではないかと。
 色々なものを乗り越えてきたのに、戻ってしまうのなら、乗り越えた意味がない。無駄足になる。
 そして過去の何処かに戻り、それをカレントにしても、それは繰り返しになるような気がする。そこ過去から、現地点の今へ来たのだから。
 カレント主義は流れを大事にする。この流れとはその人の物語で、良いも悪いもなく、名作も駄作もない。リアルなものなので。
 そしてカレント主義は目先主義。今のことしか考えていない。それが最先端部なのだから、一番敏感なところ。
 カレントは移動する。今が移動するように、刻一刻変わるように。だが節目のようなものがある。それをポイントと呼んでいる。流れがちょと変化する場所。
 高田がそういうとき、カレントが変化しそうになるが、その流れに乗るようにしている。なぜなら気持ちの流れを大事にするため。
 いずれにしてもあまり芳しいやり方ではなく、どちらかといえばやってはいけないような愚人レベル。知恵のない人のサンプルのようなものだが、知者と愚者の差は曖昧。どちらもどちらなのだ。
 知者の愚よりも、愚者の知の方が乙ではないか。
 
   了
 


posted by 川崎ゆきお at 11:14| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする