2020年03月29日

3704話 土手の桜は風任せ


 もうどうでもよくなったことがある。以前ほどのこだわりがないためだ。そこに何らかの自分を投影していたようで、その自分がぼんやりし始めたのか、それとも注目ポイントが別のものに移ったのか、今ではどうでもよくなったことが多い。これはこれで軽くなり、いいのかもしれない。
 北村は今、花見に出掛けている。少し行ったところに土手があり、そこに桜が咲いている。土手の下に神社があり、その境内と土手とが繋がっている。境内にも桜があり、土手の上から見る境内の桜がいい。
 花見など一人で行ったことがない。誘われて行くこともあったが、花見など興味はない。桜が咲いていようがいまいが無関心。ところがどういった心境の変化か、花見に出ている。だが深い意味はない。花見シーズンらしいので、見に行くだけ。これを見ないといけないような必要性はない。優先順位は低い。それにこれまでは順位の中にさえ入っていなかった。それが入ってきたのだ。だから心境の変化だろう。原因は暇になったため。
 それと、静かなところを好むようになった。人は多いより少ない方がいい。誰もいないのでは困るが、混んでいなければいい。行列ができたり、すれ違うとき、接近しすぎないような。
 だから選んだ場所は川沿いの桜。ここはあまり人は来ないが、近所の人は来ている。地味な場所なので、花見の華やかさはない。花見は人出の多さで盛り上がる。
 桜が咲いているのを見ても、何ともならん。と北村は思っていたのだが、その考えが緩くなった。あまりこだわらなくなった。
 土手の上は風があり、咲いたばかりの花びらが一つ二つ舞っている。くっつき具合が緩かったのだろう。もう少し持つはずだ。満開にはまだ早い。
 早く咲く桜は散るのも早いが、それにしても咲いた翌日、散っているようなもの。運が悪かったのかもしれない。
 土手には程良く草が生えており、斜面も短い目の草、これはクローバーだろうか。そこに腰を下ろす。当然神社側の桜が見える特等席。
 神社の桜は古木で、幹が太いが下の方は割れている。裂けているといってもいい。長い年月だ。それぐらいのアクシデントはあるだろう。桜の木にも寿命はあるが、境内なので、枯れるまで立ち続けるのだろう。それに切られることはない。流石に神木として崇められてはいないが。
 そういうことを思いながら見ているのだが、目の前のものをぼんやりと見ている程度。誰が見ても花見をしている人としてしか映らないだろう。だから土手で座っていても、怪しまれない。実はこれがやりたかった。
 反対側は川幅が少しある河川。ゆっくりとした流れだが、実際に流れているところの幅は狭い。あとは砂地が出ていたり、河原でよく見かける葦原。こちらの方が見るものが多かったりする。また、向こう側の土手にも桜が少しだけあり、歩いている人や、自転車も見える。
 いずれにしても見ても見なくても同じようなもの。そういう北村も誰かに見られているのだが、その視線は軽いはず。
 どうでもいいことをしている北村だが、意外と気持ちがいいのに気付いた。
 
   了
  


posted by 川崎ゆきお at 12:06| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする