2020年05月15日

3751話 消える村


 比婆の山上に山寺がある。まさに山門。ある宗派の総本山のようだが、山奥ではない。山上まで車で行けるがバスの便は少ない。お寺関係の人が来る程度で観光の寺ではない。山上からは下界を見下ろせる。少し遠いが高層ビルが見える。下が下界なら上は上界だが、天上界ではない。見晴らしがいいのだが、展望台はない。しかし、清水の舞台のような広縁があり、そこからの眺めは特別。ただ一般の人はそこには立てない。観光寺ではないため。
 ただ、寺の門はいつも開いている。入ってもいいのだが、人の家にお邪魔するようなもの。当然受付や、おみくじなどを売っている場所もない。
 寺の北は大都会だが、南はガクッと風景が変わり、田舎びている。この落差が凄い。山の裏側は山また山で里らしきものはない。昔からそのあたりに村はない。田畑が作れないためだ。それらの山地が途切れたあたりに町はあるが、山頂からは見えない。
 山上までの道路は頂上近くで終わっており、裏側へ出る車道はない。便がよくても、山また山では用がないためだろう。山の向こう側へ行くには回り込んだ方が早い。そこにはしっかりとした大きな幹線道路がある。
 ある土曜日、何の気まぐれか、田宮は下界のバスターミナルからバスに乗った。行き先を見ていなかったようだ。その必要は実はなく、見ないようにした。その方が無作為な選択となり、無作為で目的地が決まる。休みの日など、そういうことをたまにやる。
 田宮が乗ったバスは偶然だ。バスターミナルに停まっているバスにさっと乗る。一台もバスがなければ、入って来たバスに乗る。そういう決まりだ。
 それで山上に出た。寺があることなど知らなかったが、下からその一角は見えているはずだが、遠いので分からない。
 バスを降りたとき、青々とした頭の青年がいた。
「見学ですか」
「ああはい」
「入れますよ。一緒に行きましょう」
「ああ、はい」
 寺の青坊主に偶然誘われたのだが、田宮は寺を見に来たのではない。しかし、偶然乗ったバスの終点で降りるルールがあり、あとは自由行動。そのまま戻ってもいいし、そのへんを見て回ってもいい。
 青坊主のあとを付いて山門を潜る。質素なもので、仁王さんなどいない。どちらかというと武家屋敷の門に近い。
 境内は狭いが、建物は多い。山上の寺、高野山や比叡山を連想すればいい。
「見るもの、ないですし、建物内には入れませんから、展望台がいいと思います。案内します」
 清水寺の舞台のような所だが、縁側は広くはない。太くて長い柱で踏ん張る必要がないのは突き出ていないためだろう。
 展望台は湯豆腐屋のような感じで、テーブル席がある。まあ、休憩所だろう。
 寺の事務員だろうか、法被、これは制服だろう。それを着たお婆さんが隅のテーブルで煙草を吸っている。
「まあ、見るものといえば、この眺め程度です。ゆっくりしていって下さい」
 青坊主は去った。親切な青年だ。
 田村は比婆山の頂上付近から下界を見ろしていたのだが、何となく居心地が悪い。誰だお前はと、後ろから声をかけられそうだ。そして下界といってもビル群。毎日見ているような風景だ。遠いところに横に拡がった市街が見える。人の気配を感じないのは遠すぎるためだろう。
 ここが観光寺なら、気楽に眺められる。人も多いし。
 事務員の婆さんも姿を消したので休憩所は無人。独り占め。これが居心地の悪さの原因かもしれない。下界を見たければ、寺の外から見ればいい。
 寺といっても五重塔などはなく、何処が本堂か、講堂か、庫裏かが分かりにくい。峰の上なので、横並びに建っているのだろうか。敷地の問題だろう。
 田宮は、もう十分休憩をし、展望も楽しんだので、山門へと向かった。
 そのとき、左側を見ると、人がいる。南側ではなく、北側の展望を楽しんでいる人がいる。
 よく見ると、坊さんだ。そこには一寸した屋根のある東屋。しかし少し長い目だ。屋根だけで囲いはない。
 表展望台と裏展望台があるのだろう。裏側は比婆山の裏側で、その先はずっと山なので、山並みしか見ることができないが、そちらの方が田宮には珍しい。
 しかし、坊さんがいるので近付きにくい。だが、坊さんの服装ではない。ジャンパーを羽織っている。頭も少し伸びており、胡麻塩。
 田宮の気配に気付いたのか、坊さんの頭が動いた。さっと見た感じでは脂ぎった中年男で、僧侶という感じはしない。
 焼香のときに使う壺のようなものを持っている。しかし線香の煙ではなく、煙草の煙。
 坊さんは田宮に会釈を送る。ここでは難しい意味はない。笑顔で頷いてくれただけ。
 田宮がまだ躊躇していると、今度は手招き。
 招かれざる客ではないと分かったので、田宮はその長細い東屋に腰掛けた。坊さんと少し間隔を空ける。そのスペースに灰皿がある。
「さっき池田君と一緒に来た人でしょ」
「はい」
「ここはねえ、裏展望台でしてね」
「そうなんですが」
「山また山ですが飽きない」
「はい」
「ここから見る下界もいいものです。高いところから低いところを見る。しかし高い地位にいるわけじゃない。位置にいるだけ」
 説法でも始まるのかと思い、田宮は愛想の悪い返事をし続けたが、そのうち、妙なことを言いだした。
 ずっと下の山々の切れ目とか、裾の近くを見ていると、村が出てくるとか。
「村ですか。見えませんが」
「それがねえ、見えてくるのですよ」
「何ですかそれは」
「誰も辿り着けない村。それがあるのです」
 来たな、と田宮は眉をしかめたが、判断を急いではいけない。何かの喩えかもしれない。
「今日はまだ見えない」
「お邪魔したようで」
「いやいや、見える日など希」
「はい」
「あの村へ行ってみたい」
「航空写真を見れば、分かりますよ」
「肉眼でしか見えない」
「そうなんですか」
「調べ抜いた」
「実際に行ってみましたか」
「見えたときにね。それで、大凡の位置を確認して、見に行ったのだが、結構遠いんだ。着いた頃には、消えていた」
「村が消える」
「そうなんだ」
「はあ」
「だから、辿り着けない村。辿り着けない下界もあるんだ。上じゃなくね」
「冗談なのでしょ」
「ああ、当然だよ。そんなこと本気で言うやつは狂っているだろ」
「そうですねえ」
「君も試してみるか」
「さっきから見てますが、村なんて」
「ずっと見続けるんだ。すると見えてくる。まあ、最初から見える人なんていないだろうが」
「冗談でしょ」
「勿論」
「そろそろ、バスの時間ですので」
「そうだね。それが行くと、明日の朝になるねえ」
「はい。お邪魔しました」
「気をつけてね」
「はい」
 田宮は急ぎ足で山門を抜けた。バスの時間まで、まだ余裕があった。あの脂ぎった坊さんの話に合わすのが面倒になったので立ち去ったのだ。
 
   了
 



posted by 川崎ゆきお at 12:48| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする