2020年05月22日

3758話 田知花


 高級住宅地が田畑に取って代わって久しい。元々は荘園だった場所で、豊かな田園風景が続いていたのだろう。今も緑が多いのは庭木のある家が多いため。庭も大きな屋敷なら広い。小さな神社の境内程度はあったりする。
 その最寄り駅は閑静な住宅地にふさわしく、派手なものではない。派手さは看板類や店屋が演出するのだが、商店街らしきものはあるが、歩道沿の地味なもの。
 村田は隣の市に住んでいるが、自転車で毎日通っている。喫茶店に行くためだ。近くの喫茶店が全席禁煙になったので、遠くまで行くしかない。
 市外になるためか、この屋敷町の駅前にある喫茶店は煙草が吸える。
 また、村田の近所にもあるコーヒーの専門店も禁煙になったが、ここは喫煙できる。同じチェーン店なのだが、方針が違うのだろう。
 
 その駅から南へ下ると田知花という町ある。ある日、喫茶店を出たあと、帰路とは方角は違うが、南下した。海側になるのだが、それほど迫っていない。
 この市内は山側は上品で、海側は下品だと言われているが、この市らしさは下品さにある。というより、より下町風になり、そちらの方が賑わっている。
 その噂を聞いたことがあり、一種の無法地帯。ならず者が拳銃を振り回しているわけではないが、庶民的という意味。屋敷町の禁煙も緩いのだから、下町の田知花町なら、どの店も煙草が吸える感じがする。
 
 村田は田知花町は知っているが、電車で通過しただけ。屋敷町とは違う路線で、駅前も大きく、派手。車窓から見た程度だが、想像はつく。
 南下するには、線路を渡り、駅の反対側から出ている大きな新道を真っ直ぐ進めばいい。その沿道は並木道で、オシャレな店が並んでいる。こちらへ行かないのは、踏切を渡りたくないことと、気楽に入れそうな喫茶店がないため。
 だが、その並木道、すぐに途切れ、トラックなどが行き交う幹線道路にぶつかる。景観が荒っぽくなり、馬鹿でかいうどん屋の看板や、リサイクル店や、全国展開の家電店、業務スーパーなどが見える。賑やかだ。
 その幹線道路が境目だろう。そこを渡ると田知花町と番地が変わるはず。小さな町工場なども目に入る。
 ところがT字交差点で工場の壁にぶつかってしまう。素晴らしく広い並木道なのだが、それが南へは繋がっていない。
 
 村田は左右を交互に見た。信号を見ているのだ。どちらも遠い。似たような距離。それらの信号まで行けば南下できるはず。東西どちらでもかまわないのだが、屋敷町の真南が田知花。左側から渡るか右側で渡るかにより、田知花の東側寄りに突っ込むか、西側寄りに突っ込むかの違い程度で、両方の信号を見ると、町内自治会の一つぐらいは確実に入る幅。
 だから、同じようなものだが、村田は並木道の右端を自転車で走っていたので、右折の方が楽。そして幹線道路の右側の歩道を西へと進んだ。既に信号は見えている。南北へ延びる道と交差しているので問題はない。
 
 村田はこのあたりに入り込むのは初めだが誰かの車に便乗して通ったことがあるかもしれない。幹線道路の西側は大きな都市がある。しかし、電車でないと行けないほど遠い。自転車では無理。
 そして、その交差点に入ると、タイミングよく南側へ渡れる青。
 迷うようなことはしていない。選択肢は二つしかない。その一つを選んだだけ。ちょっと田知花の右側、西側に入り込む程度で、左へ少し戻せばいい。しかし、これがもろに田知花駅前まで貫いている道かもしれない。だから、近付くまでは直進を続けた。
 
 自分は何をしているのだろう、ということを村田は思わないでもない。だが、今思っている頭の中は田知花駅前に突っ込むことだけ。では、そこで何をするのかとなるのだが、それがない。まさか無法地帯を見に行くわけではない。そんな町はないだろう。
 先ほどの幹線道路よりも狭いが、狭いながらも歩道があり、そこを自転車走るが、人がいると、車道に出ないといけない。
 こんなことをして何になる。と、こういう宙ぶらりんなときには思うものだが、自分をもう一人の自分が見ている状態はよくない。田知花の駅を目指すことだけを考えている方が自然。現にそういう行動に出ているのだし。
 しかし、なかなか駅前らしい風景が見えてこない。小さな家が密集している場所で、屋敷町に比べ、貧乏臭い。敷地がどの家も狭い。
 たまに材木置き場とか、重機などが停まっている場所もある。レンタル倉庫と書かれた箱のようなものもある。最初トイレかと思った。
 これは行きすぎたのではないかと思い、何処かで左に曲がる必要が出てきた。上手い具合に線路が見えている。JRだろう。屋敷町の駅は私鉄。規模が違う。その線路が堤防になり、嫌でも左へ入り込まないといけない。線路際まで行けば田知花駅のプラットホームぐらいは見えるかもしれない。
 しかし、村田が見たかったのは田知花駅へ向かう道。いきなり線路沿いに横から立花駅へ突っ込むのは趣がない。やはり徐々に近付きたい。
 それで、線路が見えた状態で、次の交差点で左折した。信号などはない。ただの生活道路だろうか。住宅の密集地で、昔なら貧民街。長屋だろうが、今はそれなりの建て方をしている。敷地に余裕がないのか三階建てが多い。
 その狭い通りは渓谷のようだ。左右に絶壁が迫っている。
 
 そこを抜けると道が向こう側まで繋がっていない。小さな川があるようで、橋がない。左右どちらかに架かっているはず。
 川岸に近所の人が立ち、煙草をくゆらせている。家の中は禁煙なのかもしれない。
 近付くと川岸から水面を見ている。流れは穏やかで、水面に樹木が映っている。緑が多いな、と村田は実像の方を見ると、こんもりとした繁み。一本ではなく複数植わっている。高い木に見えるのは高い場所にあるだけで、それほどの巨木ではない。しかし、このあたりでは一番背の高い木だろう。
 こんもりとした川岸の岡。建物の側面が見える。神社のようだ。
 川沿いの道は軽く湾曲しており、橋が見える。神社名が書かれた看板もある。このあたりではよく見かけるスサノウ神社だ。土地の名が付いておれば覚えやすいが、スサノウ神社だけでは、いくらでもある。
 
 村田は橋を渡るとき、川面を見ると草が川岸に生えており、花も咲いている。さらに動くものがある。鴨だ。この神社が鴨神社なら、そのままだが、そうはいかない。さらに勢いよく動いているものがある。魚ではなく、鴨の雛。
 果たして何をしているのだろう。鴨の親子ではなく、村田自身。こういうのを見に来たのではなく、田知花の町を見に来たのだ。
 このあたりが田知花だと思い、神社近くの電柱で確認するが、水塔と書かれている。田知花ではなかった。
 橋の上から線路が見えたので、南下しすぎたわけではない。東へ行きすぎたのだろうか。僅かな距離しか戻っていない。あの信号の幅の半分ほど戻ればいい。まだ、それに達していない。
 神社は小さく、前の道から全部見えてしまう。しかし、神社の後ろに木が茂っている。神木は別にある。川沿いで見たあのこんもりとした場所だ。
 社殿の左側に隙間があり、別の祠がある。そこから、あの小高いところへ登れるようだ。
 階段があり、その手前に立て札と解説のプレートがある。水塔古墳となっている。古墳時代前期の前方後円墳で、一部は壊れ、原型を成していないらしいが、しっかりと中を掘り起こしたらしい。
 木棺があり、内側は朱塗りだったようで、その棺桶の中に人骨。誰だが分からない。そのとき発掘されたものは、神社の裏側の建物に保管されてあるらしい。よくあるような品々だが、刀剣の他に槍もあるとか。
 村田はそれを見せて欲しいと思う気持ちはないが、その物置のような博物館が開いておれば覗いただろう。小さな神社だ。誰かが詰めていないといけない。それが面倒なため、普段は閉めているようだ。
 きっと古墳時代前期、このあたりを支配していた人かもしれない。しかし、そんな人でも何処の誰だか今はもう分からない。
 こういうのを探すために田知花町へ向かったわけではないが、神社や古墳、そちらの方を目的地とした方がよかったのかもしれないが、その程度のことでは行く気はしないだろう。それに屋敷町から少しだけ寄り道をする程度。何処に寄るかまでは考えているが、古墳や神社ではない。目的地は田知花町。しかし、田知花の何を見るかだ。
 
 ここが漠然としている。村田が住む市よりも、南下したこの市の方が緩やか。煙草が吸える喫茶店が多い。さらに南下すれば、果たしてどんな町があるのだろうか。無法街というのは、法外なことが日常的に起こる町だが、それはただの言葉の綾。そんな雰囲気がするだけ。
 田知花の町に入ると、普通の町だったりしそうだ。
 古墳と同居している村の神社。珍しくはない。よくある。それを背にして、東へ向かう。田知花町はすぐ目の前にあるはず。しかし、入る角度が悪いような気もする。横から入り込むような。
 
 村田は神社の細い階段を下り、西へ向かったのだが、昔の村道だろうか。狭い。道は東へ向かっている。ここが水塔村なら、この村道は田知花村へ繋がっているはず。おそらくすぐだろう。少し行けば見えてくるはず。しかし、狭いので見晴らしが悪く、真っ直ぐな道ではないので、先がよく見えない。
 そして四つ辻に出た。祠が角にあるが、壊れている。小さな廃屋。右側を見ると線路が見える。その線路沿いに東へ行けば、田知花に横入りできるのだが、その道に出ようとしたとき、案内板が目に留まった。宝塔とか石塔とか呼ばれているものらしい。かなり古く、市内では最古らしい。鎌倉時代のものが移転され、寺に置かれているようだ。
 村田はそんなものを見に、ここに来たのだろうか。
 違うだろう。
 
 目的地は田知花町。あと少しではないか。
 水塔町。町名はここから来ているのだろうか。
 線路沿いに行く途中に寺がある。線路沿いではない。昔はそんなところに道はなかったはず。この曲がりくねった村道があっただけ。
 水塔は見学できるようで、門が開いている。石塔なので雨ざらしになってもかまわないのだろう。それに水塔だけに水には強いはず。
 寺は小さい。境内も狭い。人の家の庭程度。
 だが、寺の横、線路方角に空間がある。建物はないが、墓がある。境内の中にある村墓だろうか。かなり古い墓が多い。それらは墓じまいしたのだろうか。もう参る人がいないので、びっしりと並んでいる。間隔がない。くっついている。まるで石垣。
 そこを抜けると、墓場の端っこ。寺の裏側になるが、六地蔵が並んでいる。墓の入口は、こちらだったようだ。その先に橋が見える。古墳もある。その橋から鴨の親子を見た。また神社の看板も見える。神社から、このお寺まで、ほんの僅かな距離だったのだ。
 古墳、神社、寺が意外と近い。
 
 それがどうしたのか、村田は言いようのない唾液のような言葉が出てきた。そんなことをしに来たのではない。だが、しっかりと見て回っている自分がいる。
 このあたりの村墓には決まって六地蔵がいる。墓を見ても気味が悪いし、人の何かが入っていそうだし、実際に骨が入っているはず。地蔵さんなら安心して見てられる。
「来たか」
 声が聞こえた。まさに、来たか……だと村田は感じた。
「よく来たなあ」
 どの地蔵だろうか。
「痒い」
 何が。
「目の上が痒い。かいてくれるか」
 しかし、どの地蔵か分からない。内山田洋とクールファイブ。ダークダックス。何でもいい。六体の中の一体だが、どれだか分からない。しかし、六地蔵全部がハモっているのかもしれない。よく見ると顔や持っているもの、ポーズなどは違う。それぞれ六道の担当がいるのだろう。
 村岡は立った位置から一番近い左から二人目の地蔵の目の上をそっとかいた。
「そっとな。力を入れると、石がとれるのでな。取るのは付着しているやつだ」
 村田は、そっと石カビに爪を立てた。
「だから、石まで削っちゃ駄目だと言ったでしょ」
 村田は謝った。
「しかし、よう来た。わしは地蔵で、五人の中の一人、六道の中の一つじゃが、一人で六役やっておるので、本当は一体なんだ。それに、こんなところにずっと立っていると飽きるし、こればかりやっていると、他のことができん。たまには諸国を旅したい。
 村田は、急にそういった個別の事情を聞いても何ともならない。愚痴だろうか。地蔵が愚痴を言う。そんなことはあり得ないが、喋る地蔵そのものがそもそもあり得ない。あり得ないものがあり得ないことを言うと、それはあり得るのかもしれない。
「疑っておるじゃろ。本当にわしが地蔵なのかを」
 流石地蔵だ。閻魔さんにもなる地蔵だけに、読まれている。これはまずい。
「まあいい、たまには会話をしないとなあ。もういいから好きなところへ行きなされ。目の上が痒いのだけが気になっていたのじゃ。悪かったなあ、引き留めて。しかし話の分かる人間が来るのを待っていたんだ。もういい、去っていいぞ」
 村田は、まだ石塔を見ていないので、もう一度境内を探すと、門のすぐ横にあった。後ろを見ないで奥へと向かったので、死角だった。
 大した塔ではない。それに石仏のように表情がないので、観賞の仕方が分からない。しかし、六地蔵のように喋り出さないだろう。石塔が口をきく。なくはないが、一般的にはないし、例外としてもない。例外にもない例外。
 そんな地蔵や石塔は目に入ったので、見ただけで、目的は田知花町。寄り道のしすぎだ。
 
 寺を出て、先ほどの線路の見える場所へ向かい、その線路沿いの道を東へ向かう。これなら確実だ。スピードを緩めた電車が走っている。駅が近い。
 やがてホームらしいものがちらっと見え、すぐに建物が遮り、広い目の線路沿いの道はそこで終わり、商店街らしいところの端に来た。正解だ。横っ腹を突く感じで、悪くはない。
 田知花は無法街。
 六地蔵が喋るのだから、本当にここではギャングとギャングが撃ち合いをしているかもしれない。無法の意味にもよる。
 商店街の道に入ったのだが、これは本通りではなく、横から入り込んだ枝道だろう。すぐに大きなアーケードで空を隠す本通りに出た。
 駅には用がないし、遠くまで来すぎたので、戻ることにした。本通りのアーケードをそのまま北へ向かえば出発点に戻るはず。
 シャッター通り商店街が多い中で、ここは人が多い。閉まっている店は希。これは時節とは関係なく、個人的な廃業だろう。
 少し進むと古めかしい喫茶店があり、全席喫煙と書かれている。この町にある喫茶店は全て吸える店ではないかと思える。村田の住む市とは違う。無法街とはその程度の意味。
 お好み焼きの匂いがしたので、昼ご飯はまだなので、それを買って、昼食とすることにした。
 自転車は降りて通ってくださいと立て札があるが、そんな人はいない。さらに商店街内での交差点に番人が立っている。だが注意もしない。他の自転車もその見張り番のどん前を平気で通過する。荷物を満載し、子供を乗せた電動アシスト自転車など、降りて押せば重いだろう。
 やはり、ここは無法街。村田の住む市の市場などは全員降りているし、また乗っていると注意される。
 そして、アーケードの下を北へ北へと向かうと、流石に商店街も果てるはず。
 そのはず、が、はずではなくなると怖い。
 六地蔵が喋るのだから、六道の中の一道へと向かわないとも限らない。
 六道のどの道も、この世にもあるのかもしれない。
 
   了
  



posted by 川崎ゆきお at 12:05| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする