2020年06月04日

3771話 熱中が過ぎた後


 一つのことに熱中していて、それに飽き出すのはいつ頃だろうか。しばらくすると最初の熱は下がり出す。つまり熱中度は下がる。それが高かった最初の頃に比べ。
 これは熱中とか感動とか、驚きとか、興奮とか、凄さというのに慣れてくるためだろう。
 そういうときはより熱中度の高いものを探すことで、まだ引っ張れるのかもしれない。
 そして半ば飽きてきても、まだ半ば、完全に飽きていない。ここでやめないのは余地があるためだが、それよりも、それに代わる熱中できるようなものが他にない場合、やめると熱中するものがなくなる。そちらの方が淋しい。
 当然熱中するものが見付かる前に熱中していたものがある。それはきっと末期だったのだろう。だからバトンタッチした。
 というようなことを田中は恩師に話した。恩師とはもう現役で教えてもらっていない先生で、恩師も教える義務はなくなっている。中学時代の数学の先生に卒業してからも教えてもらえないだろう。
 その先生宅を訪ねることはできるが、もう数学から離れた会話になる。ただ、後は個人個人の問題で、数学についてもっと聞きたいとか、教えてもらいたいとか程度ならお金を払わなくても、教えてくれるだろう。
 その恩師に、その熱中について聞いてみた。数学の話ではない。
「熱を保つ。しかも高温を維持したまま。それじゃ身体を壊すでしょ。だから、熱は下がるようになっているのです」
「でも熱中できる方がいいのですが」
「どの程度の」
「感動とか、驚きとか、発見とか」
「うーむ。感動の維持は難しい。これは慣れる。驚きも、ずっと驚くほど馬鹿じゃないはず。発見も、ほぼ分かってしまうと、新たな発見など少ない」
「そうなんですが、何とかならないものでしょうか」
「そうですねえ。熱を下げた熱中に至るべきでしょう」
「それじゃ、熱中になりません」
「温度です。温度の問題。ある程度温度があれば、まだ熱中。つまり熱の中。その範囲内ということです」
「はあ」
「高熱より、平熱よりは少し熱のある微熱。これならいいと思いますよ。続けやすい」
「ぬるま湯のような」
「そうです。長く浸かってられます」
 流石恩師だけのことはあり、学生時代一番世話になった人で、田中との相性もよく、今も関係を保っているのだろう。この恩師、そういう教え子は田中だけのようだ。いつまでも懐いているのは。
 また、恩師はこうもいった。熱中とは熱中できる何かがあると。それはそれまでのことから来ていると。
 田中は、もう一つ、凄い言葉だとは思えなかったので、その意味を聞いた。
 すると、見出す力らしい。見出すには、見出すだけの何かがそれ以前になければ出てこないと。
 余計に分かりにくくなったので、後で考えることにした。
 そして、最後に感想を述べてくれた。
 ぬるま湯へ行きなさいと。
 田中はそれがどういうものなのかを考えた。
 この二つの指導から、ぬるま湯に何かを見出しなさいということだろうと、田中は結論を見出した。
 
   了





posted by 川崎ゆきお at 12:39| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする