2020年07月25日

3822話 夏が来た


 春夏秋冬、香山は毎日通っている喫茶店がある。昼食後のコーヒーだ。部屋でも飲めるが、喫茶店で飲みたい。そして本を読みたい。たまにはケーキも食べたい。そういう日が続くのが何よりもいいことで、これを欠かすような日は、ろくなことのない日。その日一日で終わるのならいいが、その後、昼の喫茶店など行ってられない状況になったりする。
 香山は今日も昼食後、喫茶店へ向かっているが、これは幸いなこと。自覚はないが、平和なもの。ただ、梅雨が明けたのか、ここ数日非常に暑い。喫茶店までの道はそれなりにあり、歩いていると汗ばんでくる。暑いので速く歩いて、陽の当たるのを短くすべきか、または下手に力んだ方が余計に汗をかくのではないかと、そんなことが重大事になっている。そんな判断など大したことはなく、間違った判断でもとんでもないことにはならない。普通に暑い日の普通の状態で、炎天下とはいえ、日射病にかかるほどの距離ではない。
 それで道半ばに来たとき、歩くスピードを緩め、ゆっくりと歩くことにした。香山が最初にとった判断は、早く炎天下から抜け出すことだったが、これは失敗だったようで、ゆっくりと歩いた方が楽。
 そして冷房のよく効いた商業施設に入り、その中にあるいつもの喫茶店のドアを開ける。入ると冷蔵庫のようだ。暑いので、これで人心地付くが、息はまだ上がっているし、汗もまだ引いていない。
 いつもの席がいつも通り空いている。この時間、その席は誰も座らないのだろう。だから香川の指定席。
 そして暑いのだが、いつものようにホットコーヒーを注文する。春夏秋冬コーヒーはホット。これは癖で、アイスコーヒーでもいいのだが、冷房の効いた喫茶店では、熱いコーヒーを飲んでも、汗ばむようなことはない。
 本を読みながら煙草を吸い、コーヒーを飲む。それだけのことだ。たったそれだけのことだが、それができない日が何度かあった。
 しかし、活字に目がなかなか吸い込まれない。まだ炎天下を歩いた影響が出ているのだろう。汗は引き、息も弾まなくなったので、落ち着いたはずだが。
 しかし、人心地付いた状態を維持したいと思ったのだろう。またはこれで満足を得て、他に何も望みはないのか、しばらくその状態でいたいと思ったようだ。
 本を読む気が起こらなかったが、煙草とコーヒーは問題ない。そして硝子窓の外に見える大きな雲、白い建物が眩しく輝いているのを見ている。
 心に何をも思っていない。単純明快に、そういうのを直に見ているようなもの。そして意味はない。それだけのことが目の前にあるだけ。
 しかし、いつまでもぼんやりとしてられないのか、そういう心境にも飽きてきて、本に戻る。
 ただ、その活字文字の言葉や意味などが、薄べったい紙切れのように、軽いものに見えた。立体感がないためだろう。
 それで、ひとときを過ごし、喫茶店を出て、家に戻るのだが、相変わらずの炎天下。これは戻れば昼寝するしかないと、また呑気な選択肢の中にいる自分がいる。
 明日もそういう日が来ればいいとは切には望まないが、香川にとり、夏越えの一日が始まったようなもの。誰でも越せるようで、越せない夏もある。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 12:45| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする