2020年08月05日

3833話 記憶へのスイッチ


 市街地をうろついていると、妙なものに出くわす。それは岸和田にとっての話で、他の人にとっては何でもないものだろう。
 岸和田の古い記憶にアクセスするようなもの。これは個人的なことで、そういった記憶があったとしても、特別なものでなければ、さっとスルーするどころか、見向きもしないだろう。意識にも上がらない、町並み一般。
 岸和田は、そういったきっかけになるようなものを発見するのが好きだ。これはスイッチになる。そのため、どんなにつまらないものでも、一応は見る。ほとんど何の反応も起こらないが、複数集まると起動することもある。
 記憶へのスイッチ。それが押された場合でも、日常に大した変化は起こらないが、一寸した過去のおさらい。復習だ。復讐を思い出すと怖いが、そんな復讐心など起こすようなことなら、普段から気に掛けているだろう。そして復讐を企てるというようなことは大時代の話。今なら、一寸した仕返し程度だろう。殺すまでのことではない。
 あちらこちらで殺し合いが演じられた大時代なら別だが、そこまできつい仕返しはないだろう。絶無ではないが。
 過去の復習。それは悔やまれることもあるので、あまり思い出したくない。都合の悪いことは忘れる。記憶から消す。しかし、完全には消えない。それが何らかのスイッチで、思い出してしまうことがある。
 だから、市街地をうろうろしながら、急に顔が青ざめた馬になることもある。余計なスイッチが入ってしまい、余計なことを思い出すためだ。それはまだ今も生きており、休火山であっても、活動を始めるかもしれない。
 逆に、いいことのスイッチが入ることもある。忘れていたいいことで、それを思い出したとき、拾いものをしたようなもの。
 市街地をうろつく。何でもないことだが、用事がないのに移動する。ここが大事で、他に用がないので、注意深くスイッチを見付けようとする。集中力が違うので、見付かる可能性も高い。これは釣りだ。
 ふとしたことで思い出す。と言うこともあるが、その「ふと」にも何らかのスイッチがある。気付かないうちに押していたりする。
 岸和田がうろつくのは「ふと」に頼らないで、積極的に「ふと」を探す。しかし、そのほとんどは視覚的なこと。
 それとは別に、市街地の風景ではなく、別のことを思ったり、考えているとき、「ふと」が来る。おまけのようなもの、連想だろう。
 そういうのがごちゃ混ぜになりながら、岸和田は市街地をうろつく。果たしてそれが意味のあることなのか、役立つことなのかは、岸和田にも分からないが、頭の中が攪拌され、気持ちよく酔えることもある。車酔いではない。
 
   了
 


posted by 川崎ゆきお at 12:35| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする