2020年12月09日

3958話 滑らない塗り箸


 快感は楽しみすぎだが、快適ならいい。妥当なことで、適当。良くもなければ悪くもないが、快適は多少良い側に傾いているが、快感とまではいかない。
 適当になると、快適より、少し落ちる。しかし不快ではない。快適の範囲内にギリギリ入る。適当の幅は広い。それは使い方だろう。どうでもいいようなことなら適当でいい。どうでもよくないことでは適当を使わないで、別の切り口を使う。
 箸など適当でいい、それが箸なら。割り箸でもいい。ただスプーンやフォークでは駄目という程度。しかし、うどんを挟める塗り箸や、滑りにくい塗り箸となると、適当な箸では無理で、ここで一段踏み込む。さらに丸箸が良いか角箸が良いかとなると、もう適当さから外れる、どうでもいいようなことではなくなる。
 少し考えないといけない。適当は前例のあるときに限る。考える必要はない。
 丸箸の方が使いやすいが、角箸の方が滑りにくく、テーブルに置いたとき、転がりやすいのが丸箸。そこまで考えるかということだが、これは箸を転がして下に落ちる頻度が高かったので、気になったのだろう。当然テーブルの上ではなく、茶碗の上に二本の箸を乗せて運ぼうとしたとき、一寸傾くと丸箸は転げ落ちる。
 それを見て可笑しくて笑うわけではない。箸が転んだだけでも笑うのは小娘。
 箸の先にギザギザが付いているものもある。こんなものを選ぶのは、拘りがあるのだろう。その拘りは経験から来ていたりする。挟んだうどんが滑り落ちるとかだ。割り箸を使えばいいのだが、ずっと使い続けている愛用の割り箸などないだろう。一度使えばそれで終わるような箸だが、ずっと使えなくもない。ただ、色が変わったり曲がったりする。
 うどんが普通の塗り箸で挟める。これは快適だろう。快感とまではいかないのは、特に凄いことではなく、箸なので、挟めるはずのため。しかし、快適という感覚もないかもしれない。挟めて当然ということ。しかし、塗り箸でうどんは挟みにくいもの。だから滑りにくい塗り箸を作ったのだろう。そういう加工が施されている高い箸だ。
 だからそういう箸を選んだ場合、適当な箸を選んだことにもなる。一番ふさわしい箸のため。だから当を得たもの。アタリを引いたのだ。この場合、うどんが滑らない箸という条件が分かっているため、滑りにくいとされる塗り箸を買えばいい。
 適当さにも幅がある。箸なら何でもいいわけではなくても、それにふさわしいものを適当に選ぶ。間違っていない。いい加減ではない。しかし加減はいいので、良い加減だろう。
 しかし、その条件を満たす箸でも、塗り色とか太さとか長さとかがある。これで二段目だ。そこは適当でいいとなると、少し精度が落ちる。条件に入っていないので、考慮していない場合だろう。
 一番いいのは適当にいくつかの箸を買い、気に入ったものを使うことだ。その中に生き残る箸がある。しかし、まだ不満があり、快適とはいかななかったりする。その箸は良いのだが、塗り色が悪いとか、太すぎるとか、長すぎるとか、重いとか、色々出てくる。全てを満たすお気に入りは滅多になかったりする。もしそういうものに巡り会えば快感が走るだろう。
 しかし、箸の上げ下げ程度の話なので、それこそ適当でかまわなかったりする。
 
   了

 

posted by 川崎ゆきお at 12:58| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする