2024年07月29日
5281 神はサイコロを振らない
朝、あるものをチラッと見たのだが、ああ、これもあったかと思いつつ、そのままにしていた。
その後すぐに、またそのものが飛び出してきた。いろいろなものが無作為と思えるように出てくるのだが、朝見たものがそこにある。関連するものだ。
この出方には理由があるのだが、日下の意志とは関係なく、不規則に出る仕掛け。誰もコントロールしていない。
だから偶然とも言えるのが、サイコロを誰かが振っているわけではない。
繁華街での人の流れと同じようなもので、そこを通るには一人一人理由があるだろう。ただのエキストラではない。そのタイプも仕掛人はいない。
朝見たものが昼にも現れた。朝、見ていたので、すぐに分かった。
もし、朝見ていなければ、それほど注目しなかったはず。つまり偶然の連続性。最初の偶然は良くあるのだが、二回続くと、偶然に意味を感じたりするもの。たまたまの重なり、連続が起こる確率はそれなりにあり、そこに意味などないのかもしれないが。
ただ、日下が朝、それを見たとき、少しひっかかった。忘れていたようなもので、これもあったのかと意識はしている。
しかし、それ以上ではない。ところが昼にまた遭遇すると、その意識が強まった。これで夜、また偶然同じものを見たのなら、決定的だろう。三連続は流石に少ない。
これは早く気付けとのお告げではないかと錯覚してもいい。せっかくそんなサイコロの目を見せてくれたのだから。その労に報いたい。だが、それは誰の労だろう。つまりサイコロを振った人。
ただ、神はサイコロは振らないだろう。それに神はサイコロを持ち歩いているのか、またよく使っているのか。まあ、本物のサイコロではないが。
そして、それが出たのは連続しただけで、三連続はなかった。
その翌日。そのあるものが何だったのかを忘れてしまった。昨日の朝見たものだ。そして昼間もまた見たもの。それを忘れている。あれは何だったのかさえ。
ただ、連続したことだけは覚えている。それでは何が連続したのかまでは分からない。意味をすくい取ろうとしても掴むものがない。
神がせっかくヒントを投げかけてきてくれたのに、受け取り損ねたことになるが、それほど重要なことではなかったのだろう。
啓示、神託を忘れてしまった巫女は、作り話で誤魔化したりしそうだ。忘れたことを知られないように。
了