2021年03月06日

4045話 宿題


 何かあったのに竹田は忘れた。それは大事なことで、これは良いことだと思えたのだが、忘れてしまった。竹田が考えたことではなく、ネットを見ていて知ったこと。ある言葉が少しだけ出てきており、それがメインの情報ではなかったのだが、竹田はそのフレーズが気に入った。これは何かの打開策になるか、または頭の中に留め置いた方がいいと考えた。それが根付けば、いい感じになるのではないかと。
 しかし、その良いフレーズを思い出すこともなく過ごしていた。そして、そういえば良いことを聞いたことがあったと、思い出したのだが、その言葉が何であったのかを忘れてしまった。
 良いことを聞いた。見た、知った。しかし忘れている。ただ、それは良いことであることにかわりはない。だが、忘れたのだから、よくない。
 竹田はメモを取らないし、日記も書かないので、手掛かりがない。また、ネットで適当に閲覧しているときに、見付けたものなので、それが何処にあったのかも分からない。ブックマークもしていない。
 見たページの履歴を調べれば出てくるかもしれないので、調べようとしたが、途中でやめた。
 忘れてしまうような内容なのだから、それを思い出しても、また忘れるだろうと。だから大したことではなかったのかもしれない。
 竹田は色々な人から色々と良いことをリアルでも聞いている。一応聞いてみる。素直に。そしてその度に理解し、納得する。しかし実行しない。
 話を話としてしか聞かないためだろう。それはあくまでもお話しであって現実とはまた違うし、たとえそうでも実行しなかったりするが、参考にはなる。だから参考書の山ばかりが高くなっていく。
 それで、すっかり忘れてしまったのだが、ある日、手掛かりを得た。リアルな人間と話しているとき、相手がそのフレーズを言ったのだ。
 竹田は大笑いした。思い出したので喜んだわけではない。そのフレーズ、凄い洒落だった。駄洒落だ。
 え、そんなことが大事な言葉だったのかと思えるほど。名言でも何でもない。しかし、可笑しかったのだ。
 ただそれは厳密に言えば駄洒落ではない。また相手も洒落のつもりで言ったわけでもない。語呂が偶然重なって洒落のように竹田には聞こえたのだ。
 その洒落のような繋がりの中に何かを竹田はそのとき発見したのだが、それを忘れた。
 要するに外からの情報ではなく、内から出てきたもの。そのとき良いものを掴んだと思ったのだが、忘れたのでは仕方がない。
 竹田は小学生のように「忘れました」と呟いた。宿題を忘れたのと同じ顔で。
 しかしそれは宿命のようなものだったのかもしれない。
 
   了



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2021年03月05日

4044話 心の冬


 暦の上での春。今日から春に入るというカレンダー上だけの春。ところがその年の春はドンピシャで、きっちりと合わせてきたのか、暖かい。まさに春うらら。暑いほど。それでは行き過ぎなのではないかと思われるほど。ところがすぐに雲が出てきて、雨が降り出し、肌寒くなりだした。
 最初だけ、真春のシーンを一寸見せただけの冷やかしだったのかもしれない。
 水原は春の暖かさを期待していなかったのは心が冬のためだろう。ここに外側だけ暖かいものが来ても白けるだけ。揃っていないのだ。心が凍っているため。
 それが事実なら、心臓は止まるが、心は何処にあるのかは分からない。
 ちょい見せした春。季節はまた戻ったのか、雨風が強い。これが暖かい雨なら春一番かもしれないが、それほど強くはないし、また雨も冷たい。
 水原の心境からすれば、先に春が来てもらうと困る。
 心は冬だが、春の風、春の空気で心の冬が春の心になる可能性もある。それを水原は何処かで期待したのだが、因果関係はない。
 ただ、水原の知らない因果関係が実はあるのかもしれない。ただの気分の問題として。
 その後も雨は続き、曇りの日も多く、春らしい日はなかなかやって来なかった。
 水原は心の冬をやっているので、何の問題もなかったが、たまに春らしい日もある。出来ればそんな日は無視したい。春になってもらうと困る。
 桜は咲いても心は冬の状態は水原にとってはたまにある。そういう年が。春どころではなく、桜どころではない。
 季節を季節通り感じ、季節の移り変わりをただ単に眺める。これは実は貴重なのかもしれない。それどころではないよりも。
 気温とは関係なく、人には冬の時代があるのだろう。そして春の時代も。我が世の春。そういう絶好調もあれば不調もある。
 しかし、単純な季節の移り変わりが、水原の心の冬を暖かくしてくれるかもしれない。
 その後、その通りになったのかどうかは分からないが、心の冬を気にしなくなりだした。慣れたのだろう。
 そして四季は気候だけで、心の中の季節感は、何処かへ行ったようだ。
 
   了


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2021年03月04日

4043話 夢の散歩道


 三島は寝起きすぐに自転車に乗り、散歩に出掛けた。
 しかし道が少し違う。同じ道だが少しだけ様子が違う。舗装が少し違うし、沿道の建物も同じものだが少しだけ違う。よく見ると最初からそういう建物だったような気がするし、いや、こんなのではなかったとも思える。
 古いのではなく、様子が違うのだ。これはおかしいと思いながら、自転車を進めた。
 そして次の辻に出たとき、かなり違っていることが分かる。公園前に出るとあるはずの木がない。伐られたのだろうか。しかし根こそぎないようで、最初からなかったような感じ。だが、確かにそこに木があったのだ。あたりまえすぎるほどあたりまえのようにして。冬場なので葉は落ちているが、その枝振りは知っている。枝の多い木だった。
 おかしいぞと思いながらその辻を左に曲がると、さらに変化が激しい。果たして同じ場所なのかと疑う。部屋を出てから五分も経っていない。
 そこで三島はあることに気付いた。どうして寝起きすぐに自転車などに乗っているのかと。そんな習慣はない。散歩には行くが、起きてすぐではない。昼頃だ。
 風景の変わり様よりも、そちらが気になった。何がきっかけで出たのだろう。目的は散歩なので、朝一番の用事があったわけではなさそうだ。用事なら出るとき頭にあるはず。
 出るとき、頭にあったのは散歩に出ること。まるで毎朝の日課程度の感覚で、普通にさっと出ている。考える必要はない。日課なので。
 しかし、三島にはそんな日課はない。
 さらに進むと顔だけ知っている年寄りと出くわした。家の前に立っている。しかし、その家も少し違うし、老人は帽子を被っている。帽子ぐらい被るだろう。しかし服装も、センスが違う。それで別人かと思ったのだが、顔を見ると、たまに見かける人だ。
 さらに進むと、同じようなことが起こっている。見知っている場所なのだが、少しだけ違う。しかし、何かが起こるわけでもなさそうだ。
 三島は寝起きすぐに散歩に出るようなことはない。それをも一度確認した。すると答えが出てきた。
 まだ寝ているのだと。
 そのうち夢がすっと覚めると思いながら、先へ先へと進んだ。
 
   了
 



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2021年03月03日

4042話 ギリギリの人


 ギリギリと余裕。同じことをする場合でもギリギリ何とかこなすとか、余裕たっぷりで暇なほどとか。これは同じ人でもそうなることがあるし、当然人によっても差が出る。
 箕田は世間一般のことに関してはギリギリで、それで目一杯なタイプ。少し余裕があるときもあるが、それは滅多にない。余程調子の良いときだろう。これも滅多にない。
 精一杯やってもギリギリ。しかしギリギリだが世間を渡ることは出来る。
 そういう出来の悪い箕田だが、それは世間一般のことに関して。だから世間から外れたことに関しては凄い面もある。特出している。だが、世間から外れているので、そんなものは評価されない。
 箕田の能力は一般的なことではなく、一般外のところで使われているのだろう。もし能力に分量があるとすれば、分配を間違ったようだ。
 一般外の能力、それは一般的な世間では役立たない。しかし、世間には一般的なもの以外のものを必要としていることもある。
「箕田先生のお宅ですか」
 お宅というような場所ではない。アパートの一室。しかもいつ取り壊されてもおかしくないほど古い。
 ドアを開け、箕田は顔を出す。
「そうです」
「いきなりで、申し訳ありません」
 セールスもこんなところには来ないだろう。商品を売るにしても、買えないだろう。泥棒も入らない。金目のものがないと判断して。
「お願いしたいことがありまして」
「これから仕事なので、また次にしてください」
 既に昼は過ぎている。
 箕田は体よく断ったわけではない。本当のことなので。遅刻が多いので、気をつけないといけない。それにいつもギリギリだし。
「中に入ってもよろしいですか。ここでは何なので」
 中に入っても声は丸聞こえだ。廊下からも、また両隣からも。
「じゃ、外で」
「どこかいい場所がありますか。内密の話なので」
「仕事先に行く道筋で」
 座り話ではなく、立ち話でもなく、歩き話。別に箕田がそれを狙ったわけではなく、仕事に行かないと、今度こそ首になる。ギリギリなのだ。
「箕田先生にお願いがあるのです」
「はい」
 アパートを出て一つ目の電柱を越えたとき、本題に入った。
 箕田はその話を聞き、ふむふむと頷いた。顔に余裕がある。
「出来ますでしょうか」
「簡単ですよ」
「非常に難しい用件なのですが、大丈夫でしょうか。いえ、疑うわけではありませんが、そんな簡単なことではないと思います」
「簡単簡単」
「ではよろしくお願いします」
「それよりも、少し走ります。間に合わない」
「あ、はい」
 
   了



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2021年03月02日

4041話 小さな夢


 山内は小さな夢をいくつも懐いている。大きな夢を細かく分割して、夢の数を増やしているわけではない。夢があるだけいい。見る夢もない人もいるのだから。それは夢を敢えて作らないとか、夢として捉えていないとかもある。普通のこととして、普通にやっているだけ。
 山内が懐いている夢は実現できそうなものが多い。しかし本人次第なので、その気にならないと出来ない。敢えて夢といわなくてもいいほどのことだが、夢といった方がいい感じがするのだろう。だからすぐにでもできそう夢をいくつも持っている。
 それらはただの希望だったりする。だが叶えることが出来そうなことが多いので、やはり夢らしくない。
 叶わないものほど夢は深い。そして大きすぎたりする。夢は見ているだけでもかまわない。思っているだけでも。それは夢のような話というところの夢。これが本来の夢かもしれない。実現不可能な目標なら、それは夢。しかし、本人は夢とは思っていないかもしれない。
 山内の夢は小さすぎるので、夢とは呼べないが、それを夢ランクに入れている。しかも無数にある。他の人から見ると、それは夢ではないだろう。夢手帳ではなくスケジュール帳に近い。
 だが山内はそれらを手帳には書かないし、何処にも書いていない。夢なのだから、雲の上にあるようなもの。俗っぽくしたくないのだろうが、極めて俗っぽい目標も多い。だからこそ実現できる夢としてある。
 それらの夢は人には語らない。しかし、語ったとしても、相手はそれが夢の話だとは思わないだろう。
 簡単に果たせることなのだが、山内にとっては難しい目標や目的。だから夢に近い。
 そのかわり多くの夢を見ることが出来る。一つ一つの夢が小さいためだ。数だけ多い。
 その数を合わせれば結構大きな夢になりそうだが、中味が夢としてふさわしくないので、小さな夢が並んでいるだけ。
 夢のような出来事は滅多にないが、たまにあるかもしれない。何かの偶然で。また偶然でしか果たせない夢もある。
 だが、山内の夢は誰でも果たせそうなことばかり。ただ山内にとっては難しかったり、先送りにすることが多い。
 いずれにしても夢の大小ではなく、そういうものを心の何処かに持っていることが大事なのだろう。
 
   了
 



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2021年03月01日

4040話 雨の門出


 雨が降っている。雨ぐらい降るだろう。珍しいことではない。
 しかし、雨が降っている。田村は雨を気にしているわけではない。他に思うことがないわけでもないが、目先の雨が先ず目に入る。他の全てのことよりも雨が前面に来る。意識の真っ先に、その先端に。
 傘がいる。傘はある。何の問題もない。田村は玄関に置いてある傘を取る。数日前の雨の日に使ったのがそのままある。置き場所は毎回違うが、目につくところにある。何の問題もない。傘はあるが何処に置いたのかが分からないのではない。
 分からないことではない。全て分かっていること。 玄関ドアを閉め、傘を差し、表に出る。特に考えるようなことではない。日常よくあることで、よくあることをしているだけ。
 しかし、今日はよくあることで出掛けるのではない。そのことは考えたくない。だから雨、傘に意識を入れているのかもしれない。ここなら安全。よくあることで、問題は何もないので。
 問題は行く場所。それを思うと、気が重い。
 安物のスーツ。真新しい。ほとんど着ていない。
 惨めな気持ちになる。こんなものを着ないといけないことが。
 駅までの道も意識を逸らそうと、風景などを見ている。既に菜の花が咲いている。植えたのだろう。最近は鉢植えで育てているようだ。田畑は近くにはない。
 たまに行く駅前までの道だが、菜の花に気が取られるようなことはなかった。花に限らず、沿道風景など見ていない。目には入るが、軽く見ているだけ。
 しかし今日は菜の花でも何でもいい。そういう何でもないようなものを見たい。そして頭の中がそれで満たされるように。
 田村はまだ若い。しかし人生が今日この日から変わるのではないかと恐れた。それは自分で判断したことだが、させられたようなもの。本当の意志でも希望でもない。ましてや欲でもない。
 そのことを思いたくない。
 長い傘。折りたたみ傘の方がよかったのではないかと、そちらに頭が行くが、これは菜の花と違い、これから行くところと関係する。こんな長傘を持ち歩くのかと思うと、ふさわしくないような。
 折りたたみ傘なら鞄の中に仕舞える。こんな長傘を持ったままウロウロするのかと思うと、少し心配。
 しかし、すぐに電線を見た。雨が降っているが雀が数羽止まっている。餌を見付けたのか、さっと路面に降りてきた。そこに人が来たので、すぐにさっと飛び立った。
 こういうのを見ている方がいい。先のことなど見ないで。
 雨でも雀は営業している。偉いものだ。
 いや、営業とかの言葉がそもそもいけない。これから行くところと関係してしまう。
 やがて駅に着き、改札を抜けたとき、田村の足は固まった。
 やはり面接に行きたくない。
 
   了



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2021年02月28日

4039話 夜中のピチャピチャ


 ピチャピチャと音がする。夜中だ。目を覚ましたとき、それが聞こえた。雨でも降っているのだろうか。しかし、いつもの雨音ではない。猫が水を飲んでいるときの音に近い。
 庭に猫が来ているのだろうか。ガラス戸一枚の距離なので二メートルも離れていないだろう。しかし庭には水はない。金魚を飼っていた頃の水槽があったが、捨てている。
 では、やはり雨音だろうか。起きたついでにトイレに立ち、その小窓から外を見るが、雨の降っている気配はない。音もしない。窓からの見晴らしはよくない。全部開けていないため。ほんの五センチほどの隙間。角度を変えると電柱が見え、外灯が見える。雨なら、そこに線が走っているはず。
 そこまで調べなくても雨は降っていないことはもう分かった。
 そして寝床に戻ると、まだピチャピチャと音がする。やはり庭が臭い。
 里中はカーテンを開け、ガラス戸を開けた。当然寝床の明かりは点いている。それで庭を照らすだろう。夏の日は開け放しているので、部屋の明かりで庭のほとんどは見えることは分かっている。狭い庭だが、手入れしていないので荒れ放題。だから猫がたまに入り込む。猫の寝息が聞こえてくることもあった。
 だから、猫だろうと思い、庭を見るが、それらしい物はいない。やはり薄暗いので、いても分からないのかもしれない。
 それ以前に水はないはず。しかし、水が溜まりそうなものが庭にあるのかもしれない。植木鉢とか水溜まりとか。
 しかし、この数日、雨は降っていない。
 だが、意外なことに気付いた。庭を見ているとき、ピチャピチャの音がしないのだ。
 ガラス戸を開けたとき、さっと猫が逃げたのかもしれない。
 もう猫探しはやめて、里中は蒲団に入った。余計な好奇心で、別に害があるわけでもなく、ピチャピチャが五月蠅いわけでもない。
 そして蒲団に入り、寝入ろうとしたとき、また、ピチャピチャと音が聞こえだした。
 どれだけ水を飲んでいるのだ。まだ足りないのか。すると水飲み猫ではないのかもしれない。
 翌朝、庭を見たが水飲み場になるような物はやはりなかった。
 その夜、一度も起きなかったので、夜中にピチャピチャと音がしていても、分からなかった。
 その後も、夜中に起きることはあったが、ピチャピチャという音は一度も聞こえなかった。
 
   了



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2021年02月27日

4038話 暇潰し


「忙しいですか」
「まあまあです」
「私は暇でねえ。時間がなかなか潰れない。まあ何をやろうと、何もやらなくても、時間は経過し、夜になり、寝る時間にはなりますが、その間、退屈でしてねえ。やることがないので、暇潰しになるようなものが欲しいところです」
「今日は問題ないでしょ」
「そうです。こうして来ていただいたので」
「でも小一時間ほどですよ」
「二時間はいて欲しいです」
「用事がこのあとありますから」
「やはり忙しいと」
「大した用事じゃないのですがね」
「何でしょう」
「桜のつぼみを見に行くのです。変化はほとんどありませんがね」
「あ、そう」
「暇潰しです」
「いいですなあ。しかし、私、そんなものに興味はないし、その間、どう楽しんだらいいのでしょう」
「別に楽しくはないですよ」
「でも退屈はしない」
「まあ、ちらっと見るだけで、退屈するほど見ていませんよ。そこへ行くまでと戻って来る時間があります」
「その時間、暇が潰れている」
「そうですね」
「そういった趣味があれば、暇も潰れそうですねえ」
「本当に、何もやることがないのですか」
「ありますが、すぐに片付きますよ。それに顔を洗ったりとか、その程度のことですから」
「趣味を持たれたら如何ですか」
「若い頃から無趣味でして。余計なことはやらない趣味です」
「じゃ、いい趣味だ」
「趣味を作らない趣味です。作っても楽しめませんしね」
「時間潰し、暇潰し、まあ、呑気な話で、いいですねえ」
「そうとも言えますが、仕事を辞めてからは暇で暇で」
「ゆっくりされたらいいのですよ」
「それで色々なことに手を出しましたが、余計なことをしたばかりに、ひどい目に遭ったり、思わぬ出費になったりと、ろくなことはありません。だから静かにしていた方がいいのです。ところが、それでは退屈で退屈で仕方がない」
「寺社参りなどされては如何ですか」
「しました。古寺巡礼。しかし、何が面白いのかが分からない」
「それでいいのですよ。目的があるだけで」
「どの寺もどの神社も似たようなもので、何カ所も回る必要がないほどです」
「違いがあるでしょ」
「ありますが、私にはどれもこれも同じようにしか見えない」
「じゃ、行っても退屈なだけ」
「そうです。そうです」
「じゃ、家にいるのが一番と」
「こうして、来て貰えて、有り難いです。お陰で時間が潰せました」
「あ、そう」
「今日は有り難うございました」
「まだ、一時間も経ってませんよ」
「飽きました」
「あ、はあ」
 
   了




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2021年02月26日

4037話 有馬の隠居談


 立派な武士が供を連れ、馬でやってくる。彦作は用件を知っている。こんな片田舎に来るには目的がある。そしてそれは決まっている。
 彦作は一足先に有馬の隠居に伝えようと思った。駄賃をくれるためだ。
 村道ではなく、畦道や山裾の間道を通り、有馬の隠居に知らせに走った。
 隠居は、そうかと言っただけ。
 彦作が縁先でじっとしている。
 有馬の隠居は銭を与えた。
 しばらくして、立派な武士が馬から下り、庭先から入ってきた。武家屋敷と言うほどではないが、表の門は閉じたまま。
「お力を借りたくて参りました」
 よくあることで、始終だ。
 有馬の隠居も慣れたもので、適当に聞いている。
 隠居とはいえ、力がある。腕力ではなく、影響力が強い。
「何とかしておく」
 最後まで聞かないで、引き受けた。大体分かっているためだ。
 立派な武士は菓子箱を置いて帰った。
 しかし、効かない。そういう金子では効かないのではなく、有馬の隠居には最初からそんな力はないのだ。
 それからしばらくして、別の武士がやってきた。彦作は野良に出ていたので、すぐにそれと分かり、有馬の隠居に知らせに走った。
 しかし、知らせるほどのことはない。ただ、客がもうすぐ来ることが分かるので、有馬の隠居にとっては無駄ではない。それでまた銭を渡した。
 用件の内容は違うものの、同じような話し合いになり、その武士は正方形の木箱を出した。茶碗でも入っているのだろう。有馬の隠居にとっては価値のない品。茶の心得はないし、茶道具を見ても値打ちなど分からない。
 そういうものが、納戸に積まれている。増えると倉に移すようだ。
 しかし、貴重品や金子が果たして効果があるのかどうかは分からない。頼まれたことをやらないためだ。やっても、それだけの力がないので、無駄だし。
 だが、世間はそう思っていない。
 それからまた人が来た。今度は数人で、顔付きが物騒で、服装も物騒なのが数人。これは大変だと彦作は飛ぶように走り、隠居に知らせた。
 これもたまにあることで、隠居は与助に多い目に銭を渡した。
 刺客が屋敷に来る頃、既に与作達というより、村の若い衆が来ていた。
 刺客達は入れない。
 それで、諦めて、帰った。
 有馬の隠居には何の力もないのだが、隠居が裏で手を回していると思われ、命を狙われることもあるらしい。
 
   了
 


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2021年02月25日

4036話 踏み込む


「昨日は忙しかったのですが、今日はゆっくりできます」
「急いで帰られたので、何か無礼でもあったのかと思い、心配していました」
「そんな気遣いは一切無用ですよ」
「昨日は何かあったのですか」
「珍しく人が来るので、その時間にいないといけないので」
「で、会われましたか」
「はい、間に合いました」
 それ以上は踏み込んで聞けないようだ。
「物を受け取るだけですので、僅かな時間ですよ。用事と言うほどでもないし、別に話し合うわけでもなし」
 何が来たのだろう。しかし、踏み込んでは聞けない。
「無事、受け取りましたので、問題はありません」
「大事なことですね」
「いえいえ、大したことではありません」
 気になるが、それ以上は聞けない。
「今日はゆっくりできますので、いつものように、よろしくお願いします」
「はい、分かりました。私こそよろしく」
「ところであなた、お仕事の方は大丈夫ですか。こんなところで油を売っても」
「油屋なので」
「そうだったのですか」
「冗談です」
「そうでしょうねえ」
「私は隠居なので、遊んでいてもいいのです」
「まだお若いのに」
「仕事がいやでしてねえ。それだけです」
「ああ、なるほど。私はまだまだ仕事をしないと食べていけません」
 何の仕事をしている人なのかと、聞きたかったが、踏み込めない。
「風が吹けば桶屋が儲かるような仕事です。だから風任せ、運任せ」
「なるほど」
 まさか、桶屋ではあるまい。油屋と桶屋が会っているのなら、それなりの図になるが。
「それで、今日は何の解釈でした」
「義経千本桜です」
「それは苦労苦労」
 九郎判官義経なので、それに引っかけたのだろう。落語にある。
「吉野の桜、一度見たいものです」
「私は醍醐の花見がしたい」
「太閤さんですな」
「そうそう。我が世の春」
「難波の春ですな」
「難波のことも夢のまた夢とも言ってます」
「辞世でしたか」
「大阪のこと、ただのことじゃない。もの凄いことなのに、さりげなく、難波のことととして片付けた」
「そちらの話に行きますか」
「ああ、義経千本桜でしたなあ。じゃ、続きをやりましょう」
「はい、よろしくお願いします」
 
   了



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2021年02月24日

4035話 午前の用事


 津軽は午前中に用事ができた。それで早い目に起きようと思ったのだが、寝過ごした。それでもいつもと同じような時間なので、遅く起きてきたわけではないが、早い目を狙っていただけに残念。
 それで朝の雑用も短い目に進めた。顔を洗ったり、朝食の準備をし、食べたりというような、毎日やっていることを少し急いだ。
 午前中にやってしまわないといけない作業があり、それもテキパキとこなした。やればできるもので、早くやれば早くできる。しかし、毎日ならしんどいだろう。朝から忙しい思いをしたくない。
 だが、何度もあるようなことではないので、その日に限ってのこと。急にできた用事を済ませれば、あとはゆっくりできる。というより、いつものペースに戻れる。
 急いでいるのは今だけで、すぐに終わるだろう。
 そしていつもより早く済ませたので、約束の時間には十分間に合う。
 ただ、早く起きておれば、急ぐこともなかったのだが、それは仕方がない。
 それで間に合う時間に家を出た。約束場所まで自転車に乗って数十分。半時間はかからないところにある公園。
 たまに通る公園なので、道順も分かっている。最短距離で行ける。問題は何もない。
 朝の用事を急いで済ませたので、何とかなったのだろう。
 こういうときに限って公園までの途中、何かが起こり、遅れることがありそうだ。何の支障もなく、すんなりいくとは限らないが、特に今日はそんな不安が頭をよぎる。
 うまくできすぎている。早い目に起きられなかったが、雑用を早く済ませたので、余裕が生まれるほど。
 そして順調に自転車で進んでいると、もう半ばまで来た。小さな川があり、その横を通っている。公園は右側に見えてくるはず。
 木が植わっているので、すぐに分かる。桜のはずだが、八重桜だったと思われる。ソメイヨシノが散ったあと、咲いていたのを思い出す。去年ではなく一昨年の記憶だが。去年も咲いており、その前を通ったはずだが、記憶にない。
 前方から幅のある車が来る。道が狭いので、津軽は路肩すれすれのところまで避ける。左側は川だが、ガードレールがあるので、問題はないだろう。
 車はゴミの回収車。すれ違うとき、ギリギリではなく、まだ余裕があった。
 そして、公園の入口が見えてきた。
 相手は、その中にいるのだろう。
 津軽は、恐る恐る公園内に自転車を入れた。
 
   了



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2021年02月23日

4034話 なくしたもの


 失ったものを取り戻す。これはよくあることだ。一度手に入れたものを何らかの理由で失うことになった場合、すぐにでも取り戻したり、取り返したい。
 取り消しができるものは、何も失わないが、何も得ていない。取り消したのだから。
 しかし、取り返しが付かない場合、これは何とかしないといけない。一度手に入れたのに消えている。自分のものになっていたのに、それを失う。これは取り戻すため、何らかの動きをする場合もある。
 かなり昔に失ったものなら、もう忘れているし、ないものとしてやっているかもしれないが、失った直後は別だろう。
 失ったものを取り戻そうという気はあるが、もうどちらでもいいかと思うことも多い。それに失ったあとのストーリーがあり、そちらの道へと進んでいるため、取り戻すと話が違ってくるし、もう必要ではなかったりする。
 親の仇のようにいつまでも思い続けているものもあるが、仇討ちをしても親は戻ってこない。
 失ったものがふっと戻ってくると、かなり嬉しい。もうそれは必要でなくなっていたとしても。
 吉永は色々と失ってきたが、増えたものも多い。むしろなくしたものよりも多いかもしれない。忘れ物傘よりも買った傘の方が多かったりする。世界で一つしかない傘なら別だが、何処にでも売っているような傘なら、なくしてもそれほどこたえないだろう。少し出費が必要だが。
 それでも古くなり、傷んでいる傘なら、なくした方が清々するかもしれない。ゴミの日に出さなくてもいいので。
 しかし、吉永にも長く思い続けているなくしたものがある。赤子の頃の至福感などは覚えていないので、それではない。
 そして、何をなくしたのかが分からないが、なくしたような気がすると思い続けている。それでは探し出すにも手掛かりがない。一度も手に入れていないもの、また記憶の中では体験していないことでは、なくすも何もない。持ったことがないので。
 買ったものなら、金を払えば取り戻せる。だから、その方面ではない。
 吉永は大した地位にはいないので、なくした地位でもない。また、なくした名誉でもない。
 しかし、何かをなくしたことだけは分かる。
 何かをやり遂げたあとでの喪失感ではない。天然自然に発生したものに近い。
 何をなくしたのかが分からないまま、それを探している。これは何だろう。
 吉永はそれに何度も気付いているのだが、その不思議な感情は、まだまだ続いている。
 
   了



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2021年02月22日

4033話 通り過ぎたもの


 あることのついでに、三嶋は思い出したことがある。調べ物とは関係しないが、それが気になった。そんなことがあったのかと。
 その路線へは進まなかったのはそれなりのわけがあるはず。良いものなら進んでいる。しかし、こんな良いものを何故今まで無視してきたのかと思うほど優れていた。
 だから、それほど優れていないので、その路線は消え、別のものに取って代わられたのだが、その先、その先へと進むに従い、どうも思わしくない。それでさらに先へと進むのだが、ますます苦しくなる。
 以前、見捨てたものが良かったりすることがよくある。そのときは気付かなかいが色々とやっているうちに浮かび上がる。しかし、それは偶然で、探していたわけではない。それに過去のものなので、それは終わったもの。そこに良いものがあるとは思えないが、惜しいものがいくらかあることは分かっていた。だが、前へ進みたいので、振り返ることはあまりしなかった。
 あまりしないということは、まったくしないということではない。今回はあまりしないが、たまにする。だが、探し物のついでに思い出したためか、これはやはり良い偶然だ。
 三嶋が改めて見いだし、見直したものではなく、偶然。
 その頃、色々なものが多数入ってきた。その中の一つ。そのため、目立たなかったのかもしれない。
 それほど古いものではなく、最近に近い。古すぎると用をなさないが、結構新しい。
 これが実はメインだったのかもしれない。また、メインになるはずのものだったはず。しかし、何らかの理由で、パスしたようだ。
 三嶋にはその理由は分かっている。少し欠点がある。理想的とは言えない。だが、いま考えると、その程度のことなら許せる。その後、色々とやってきて、色々な欠点を見続けたためだろう。
 要するに経験を得るに従い、目が肥えるというよりも、解釈の仕方、受け止め方が変わってくる。
 三嶋は掘り出し物を見付けたように喜んだ。しかし、それがいけない。期待してしまうため。
 だが、色々やってきた中で、これが理想的ではないかということを見いだした。それまでは見えていなかったのだ。
 古い物を捨てるのはいいが、捨て去らないで、いつでも引っ張り出せる程度にしておいた方がいい。三嶋が捨て去らなかったのは、まだ何かあり、可能性があると考えたからだろう。
 三嶋が見いだしたのは、一度通り過ぎたものの中にあった。
 そんなこともたまにある。
 
   了





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2021年02月21日

4032話 魔界の扉


 日常の中に魔界へと通じる隙間や扉があるわけではない。あれば厄介だろう。それに危ない。
 偶然何かの拍子で、すっと入り込んでしまうこともない。だが、魔界とはこの世とは違う別世界だけを差すのではない。魔界に入れば、風景も違い、そこで出合う人や動物、植物までも違うだろう。
 そうではなく、この世と地続きにある魔界もある。決して開けてはいけない何らかの扉。決して入り込んではいけない場所などがある。それらは多くの人にとっては魔界だが、その人だけの魔界もある。
 魔界には魔人もいる。しかし普通の人だ。これもその人にとっては魔人となる。
 だから魔界はその人の中にある。魔界を構成しているのはその人自身の世界。だから布団の中でじっとしていても魔界に入れる。当然寝てしまうと夢の中でその魔界が待ち受けていたりする。ただの悪夢だが。
 また、妙な考えや思いも魔界を開くだろう。魔界なので安全ではない。何が起こるか分からないし、ほぼ良い事は起こらないだろう。何せ魔界なのだから禍々しい世界。禍が降りかかって当然。
 しかし、敢えてその危険な魔界に入り込もうとするのは、良いものをお持ち帰りできるからかもしれないし、またこの日常では見ることができない珍しいものがあるためかも。
 ただの好奇心を満たすだけのことだが、これがすこぶる気持ちのいいことだったとすれば、それに引っ張られやすい。危険を承知で。
 魔界に入り込むと出て来られなくなる恐れがある。もういつもの日常とは違うことになっていたりする。
 日常の中には魔界の口が方々で開いている。下手に足を踏み入れると、大変なことになり、面倒なことになるので、普通は無視する。しかし、入ってみたい気持ちもある。
 いずれも、その人の世界での話で、その人にとってはとんでもない魔界だが、他の人にとっては普通の日常と変わらない世界かもしれない。
 魔界は常に見えている。それこそふと魔が差して入り込むこともある。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 13:07| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月20日

4031話 足軽参謀


「草加源内」
「はい」
「何者じゃ」
「その者が加わってから様子が変わったことをつきとめました」
「聞いたことのない名じゃが」
「私も初めて聞きます。そんな者が家中にいたのかと」
「かなり押され気味じゃ。敵の勢力が増えておるのもそのためか。わが方は減っておる」
「草加源内の仕業かと」
「確かか」
「変化があるとすれば、草加源内が加わったことだけです」
「何者じゃ」
「調べさせてみましたところ小者です」
「使用人か。それでは身分が低すぎるどころか、加われんじゃろ」
「小者に毛の生えたような足軽です」
「足軽身分でも低すぎる。してどんな家柄じゃ」
「だから、かろうじて足軽に取り立てられいますが、それまでは何をしていたのか分かりません」
「うちにも下草嘉平という知恵者はおるが、身分が低すぎて加えられん」
「下草は切れ者。惜しいです」
「家柄も悪いし、身分も低い」
「足軽でしたね」
「そうじゃ」
「敵はそういった身分の低いものを加えておるようです」
「家柄が高くてもろくなやつがおらんからなあ」
「木川寺」
「それがどうした」
「ここが密談場所と分かりました」
「同席できぬからじゃろ」
「おそらく」
「誰が会いに行っておる」
「清原又造殿かと」
「では、清原が策を聞き出しておるんだな」
「そのようです」
「いつもの出方と違っておるので、おかしいと思っていたが、足軽の策か」
「我らも足軽の下草を加えられては」
「それはならん。同席できん」
「では、私が会いましょう。そして私の意見としてならよろしいでしょ」
「好きにせい」
 この二つの政敵同士を仕切っているのは、ただの足軽だということは極秘とされた。
 結局は草加源内と下草喜平が直接会談し、和解の方向で、調整を始めたようだ。
 
   了
 

posted by 川崎ゆきお at 12:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月19日

4030話 会議の果て


 冬の終わり、暖かい目の日が続いていたのだが、寒の戻りでガクンと気温が下がった。白木のテンションも下がり、体調も悪くなった。決して病人ではない。低気圧の影響だろう。
 日々、何もせず、ぶらっとしていると、低気圧の影響を受ける。忙しく働いているときは、気付かない。だから台風が来る前が分かる。ただし天気予報を先に見ると駄目だが。
 そんな日、いつものように散歩に出た。だから元気なのだ。しかし、ほんの僅かな距離を歩くだけで、その先にある喫茶店に入り、戻ってくるだけのコース。これが日課になっており、昼を食べたあとは必ず外に出る。
 ところが喫茶店まで来てみると臨時休業。これは分かっていたのだが、忘れていた。それで白木はまたガクンとテンションが落ちた。
 低気圧の影響で風も強いが、幸い雨は降っていない。青空があるし、陽射しもある。きっと低気圧は北の遠いところにあるのだろう。
 しかし喫茶店が休みなので、別の店に行く必要がある。そうでないと日課を果たせない。
 その日課は喫茶店で小一時間過ごす参謀会議。これで今後の方針などを立てる。それを毎日やっており、参謀ノートも溜まっている。
 いずれも実行した試しのない作戦。だからそんなお一人様会議など開く必要はない。
 だが、それをしないと、落ち着かない。
 それで、別の喫茶店へ行くことにするが、かなり遠い。近くにも店はあるが参謀会議にはふさわしくない。
 ふさわしい店はかなり遠いが、そこに行くことにする。これは作戦でも何でもない。会議などしなくても実行できる。
 白木は遠くの喫茶店まで歩きながら、そのことを考えた。実際に実行していることのほとんどは作戦会議などしていない。躊躇なく、さっとやっている。
 これだろう。
 と、白木は閃いた。
 それで、少しテンションが上がり、強い風を受け、寒いのだが、気にならない。
 その喫茶店へはたまに自転車で行っていた。歩いて行くとなると、時間がかかる。
 上がっていたテンションも、徐々に落ち始め、雲行きも怪しくなってきた。遠くの方に黒い雲が出ている。
 傘は持ってきていない。しかし、戻る気はない。
 自転車の道と徒歩の道とは違う。それで歩きやすい道を選ぶ。このあたりは自転車でウロウロしているので、ほぼ分かっている。
 それで、左に曲がり、右に曲がりしながら目的地へと進んでいるのだが、迷う心配はない。
 そして歩きながらの参謀会議を始めた。書記はいないので、書き留められない。だから記憶の中に入れるしかない。
 今後、どうするかの検討。これは毎日やっているが結論は出ない。出ても、翌日は却下される。否定される。
 これは参謀会議で通っても、御前会議では通らないため。誰のおん前だろうか。白木の超自己だろう。そんなものがいるわけがないのだが、それが「よかろう」とは言ってくれない。
 だから参謀会議も御前会議も飛ばせばいいのではないかと考えた。
 そんなものを開くから動けない。
 そしてようやく喫茶店に辿り着いたのだが、絵に描いたような話になるが、定休日だった。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 13:11| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月18日

4029話 心の整理


 風が唸り声を上げている。嵐が来ているのだろう。上田は部屋の中でじっとしている。ポカンとしているわけではなく、考え事をしているのだが、ただの雑念。それをぼんやり時を過ごしているというのだが、上田にとり、それは決してぼんやりではないし、雑念でもない。大事なことを考えている最中。しかし、他人にとってはどうでもいい話で、大したことではない。
 上田は公開中でも航海中でもなく後悔中。それでどうすればいいのかと考えているのだが、別に考えなくてもいい話。ただ気に入らない。不満。そういったものは事柄のいかんによらず襲ってくる。そして不快感。
 何でもない些細なことでも、これは起こる。そして動きが鈍くなり、気も沈着する。
 ここを脱しないと他のこと、大事なことにも影響する。生活に関わる。仕事も芳しくなくなるし、朝、起きたときも元気がない。
 その後悔事を何とかしないといけないと上田は先ほどから、そのことばかり考えている。
 そして不気味な風音。雨は降っていないようだが、風が悲鳴を上げている。
 後悔事は元に戻せる。やり直せばいい。しかし、それではもったいないし、惜しい。心の整理ができていない。だから、じっと部屋で整理しているのだ。部屋の片付けではなく、心の整理。
「できたかな」
 隣の部屋の吉岡がいきなりドアを開けた。
「何が」
「頼んでいた仕事」
「ああ、そのうちやるよ」
「遅いのなら下倉君に手伝って貰うけど」
「いや、やる」
「そうだろ。早く頼むよ」
「ああ」
 それだけ言って吉岡は出て行ったのだが、実際には部屋には上がらなかった。
 上田は手を動かし出した。
 しかし、あの後悔事のことは頭から離れない。手は動かしているが頭は違うところにある。
 やり直す決心がまだつかない。整理が終わっていないので、頭が切り替わらないのだ。
 いつまでもそんな頭の状態では問題。
 悲鳴が聞こえる。先ほどよりも強い風が吹いている。
「部屋、大丈夫」
 また吉岡がドアを開け、そう声をかける。
「何が」
「風だよ。台風より凄い」
「まさか、屋根は飛ばないと思うけど」
「そうだね」
「しかし、雨戸が外れたことがあった」
「あったねえ」
「だから雨戸は閉めないようにしている」
「僕もだ」
「これぐらいの風なら大丈夫さ」
「そうだね。じゃ、急いでね」
「ああ、すぐにできるから」
 上田は作業に戻った。
 そしてしばらく続けていると、あの後悔事が徐々に薄まっていった。
 心の整理ができたとは思わないが、飽きたのだろう。
 
   了
 

posted by 川崎ゆきお at 12:57| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月17日

4028話 ぶらりと出掛ける


 芳田は天気が良いので、ぶらりと出掛けることにした。日曜で休みだし、丁度いい。これが雨とか曇っていたりすると、その気にならない。陽気に誘われたのだ。
 冬の寒さが薄れ、逆に暖かすぎるほど。ポカポカ陽気を通り越している。まさか夏日になるわけではない。桜はまだ咲いていない。
 ぶらりと出掛ける。しかし、目的地がそれなりにないと、家を出てからどちらへ向かえばいいのかが分からない。決めていないため。
 しかし、駅へ向かう道に芳田は乗る。とりあえず拡がりのある方角へ。
 反対側は徐々に辺鄙になる。歩いてならそちらへ向かってもいいのだが、見るべきものがない。ただの住宅地。少し趣のある風景があるのは、その先だが、歩くとなるとそれなりの距離がある。その間、新興住宅地の中をずっと歩くことになる。そんなものが見たいわけではない。そんなものを見ている時間の方が長くなるだろう。
 駅に出ればワープできる。いきなり良いところへ行ける。駅までの道はそれほど遠くはないし、毎朝通い慣れた通勤路。辺鄙な方角は西。駅のある方角は東。そして北はどうだ。南はどうだ。
 北は工場やグランドがあり、結構殺風景。南側も住宅地ばかりで、その先は川に突き当たる。だから伸びがない。まだ西の方が山へと続いているので、まし。東にある駅から、その山の裏側まで回り込める。一気にワープだ。
 山の裏側はニュータウンになっているが、まだまだ長閑。昔からあるような村が点在している。そして寺社も多い。
 ぶらりと何処かへ出掛ける。目的は、それで決まった。西側にある山を越えること。そのため、東側にある駅まで向かわないといけない。逆方向に歩いているようなものだ。
 山の向こう側へ行くだけが目的。着けば、そのあたりをぶらっとすればいい。これで決まり。
 通い慣れた駅までの道を芳田は歩いている。これだけでも十分、ぶらっと感はある。絶対にやらなければいけない行為ではなく、気が変われば戻れるし、別に駅に行かなくてもいい。しかし、駅に出ないと山の裏側へは行けないので、行方の定まらない歩き方ではない。ぶらっと外に出たわりには、目的地までのレールからはみ出すわけにはいかない。
 だから、芳田は今、決してぶらついているわけではない。
 しかし、思ったより暖かいのか、汗ばんできた。この時期にしては異常だ。
 駅が見えてきたが、ここまでは目を瞑っていても行ける道。
 そして駅に入る。いつもとは逆方向の下り電車のホームに立つ。ここに立つことはほとんどない。降りるために毎夕そのホームに立っているが、実際には歩いている。もう降りたのだから、そこに留まる必要はない。
 しかし、その日は電車待ち。いつも乗っている向こう側のホームが見える。朝の風景とは全く違う。
 日曜なので、本数が少ないのか、電車はなかなか来ない。
 それで立っていても何なので、ベンチに座る。ここで座るのは初めてかもしれない。もうそれだけでも、新鮮だ。
 やがて電車が来て、芳田は連れて行かれた。
 
   了
 


posted by 川崎ゆきお at 14:02| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月16日

4027話 情動のスイッチ


 滞っていたものがスーと通ると気持ちがいい。便秘などがそうだ。出るべきものが出る。また滞っていたものの中に、入るべきものもある。
 溜まるとゴミ出しが大変なように、また支払いなどが溜まると、これもまた大変。
 そういうことだけではなく、気持ちが動かないので、滞る場合もある。その気になかなかなれない。なってもいいのだが、今じゃなく、もう少し後か、先でもいい。今、それをしたくない。
 しかし、やりたくないことではなく、やりたいことであっても、気が進まず、そこで詰まっていたりする。
 タイミング、時期、というのがある。いつでもよかったりするのだが、今日ではないとか、今ではないとか、そのときではないとか、色々とある。
 このタイミングというのは向こうからやってくることがある。しかも偶然だと、これは意味を感じる。同時に、それがきっかけとなりやすい。滞っていたものを開くスイッチのように。
 例えば勇気がないので、なかなか踏み込めなかった場合でも、そのきっかけが誘い水や引水となり、スーと水が入ってきたり、水が出ていったりする。
 滞っていたものがすっと開くと、他のものも開いたりする。溜まっていたのは他にもあり、ついでなので踏み込める。
 要するにあるテンションが必要だった。堰き止めているものよりも高いものなら、乗り越えられる。堤防が決壊したようなものだが、これは悪いことではない。一寸した抵抗体が消えた。
 それらは偶然のタイミングで起こることが多い。そしてその偶然は作れない。向こうからやってくる。内からではなく。
 そのタイミングの良さがスイッチになるのだが、それを外すと、次はなかったりする。偶然なので。
 だからスイッチを押す期間は限られている。今すぐの場合もある。それを逃すと、もうその気は失せるだろう。しかし、消えたわけではない。
 時田はたまにそういうことで動いてしまったりする。何かのお知らせではなく、動かしてくれる。気持ちを。
 だから、ただの情報ではない。情動だ。
 ただ、いずれあることなので、いつでもいいのだ。そのきっかけが欲しいだけかもしれない。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 13:11| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月15日

4026話 優秀な人


 あまり優れていないものにも、それなりの良さがある。優秀ではないので、良いことがあるのかということだが、優れていないことが良さになる。だから、無理はしないし、できない。ある範囲内のこと、特定のことだけなら、より優れたものと同じようにできる。実際にはより優れているものの方がそれでもまだ優れているので、同じとは言えないが。
 だが、ギリギリだが何とかなるという感じも悪くはない。
 難しいことはできないが、優しいことならできる。それで優しいことばかりをする。それを越えると無理が出てくるため、しない方がいい。
 そして優しいことに関しては、かなり詳しくなる。優れたものよりも、よく知っていたりする。そればかりやっているためだ。
 その優しさに関してだけなら、優秀と言ってもいい。
 芝垣はそれに気付いた。それならプレッシャーがかからないので、気楽にできる。やっていることは誰にでもできる簡単な事。優秀な人なら見向きもしないようなこと。優秀な人は難しいことに興味がいき、そちらへ向かっている。優秀ではない人は、そこに隙を見付ける。優秀ではないから見えてくるのだろう。そこでしか力を発揮できないのだから、当然。
 その芝垣がいつの間にか地位を得た。失敗が少ないため。これも優しいことしかしてこなかったお陰だ。レベルは低いが抜群の安定感がある。芝垣に任せておけば、ある程度のことはやる。それ以上は無理だが、ある程度でかまわないのなら、それで十分。一応やってみました程度で。
 芝垣のレベルは非常に低い。しかし全体的なレベルは高い。一つ一つのレベルは低いが、満遍なくこなす。だから隙がない。
 よく考えると、誰にでもできることで、芝垣が特に優れているわけではない。
 だが、芝垣のやり方が優しすぎるためか、分かりやすい。それが信頼に繋がった。
「芝垣君。ぼんやりしていないで、仕事をしなさい」
 芝垣は仕事中、居眠りをしていたようだ。深夜まで趣味をやっていて、夜更かしになったのだ。
 そして、地位が上がる夢を見ていた。
「ああ、そうならないかなあ」
「何がかね」
「いえ、いいんです」
「まあ、仕事中、居眠りをしても様になるのは君ぐらいなものだ。しかし、寝ちゃ駄目だ」
「はい、起きます」
「よし」
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 13:44| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする