2020年09月20日

3879話 無期待の期待


 期待していたものより、期待していなかったものの方がよかったりする。何を期待するのかにもよるが。
 期待しないことを期待する。ということがあるだろうか。期待していないものは最初から期待していない。それを期待するというのは、どういうことか。
 期待していないものは最初から期待できないもの。問題はその期待だ。それを欲と置き換えてもいい。善くでも良くでもいい。期待の対象はまちまち。ものにより、事柄により、タイミングや時期にもよる。
 期待していなかったものが意外と良かった場合、次はどうなるか。敢えて期待できないものを選ぶのだろうか。期待できないものの方がよい結果なら、そうなるかもしれない。
 それで、期待していないものを選ぶと、やはり期待できなかったりする。それで普通だろう。
 では期待していなかったのに、良かった場合は何だろう。例外だろうか。
 期待すると期待外れが来る。期待できると思うためだ。期待していなければ外れはない。最初から外れているのだから。しかし、たまにアタリがある。
 それ以前の問題として、何を基準にして期待するかだろう。これは色々な情報や、経験から来ているはず。またはカンもある。
 期待していないもの、期待できないものを選ぶのは期待に疲れたためだろうか。期待疲れ。
 当然期待するものが違ってくる。期待していたものが期待通りで、非常に良かったが、次からは非常が抜ける。非常と言うほどではなく、単に良かっただけになる。それをさらに繰り返すと、悪くはない程度。そして普通になる。すると、期待しなくなる。
 それでも悪いもの、良くないものよりもまし。
 期待するものの変化、これを欲の変化と読み替えると、望むものの変化だろう。
 また、個人の変化で、望むものは変わってきたりする。
 期待外れ、それは何を考えていたのかだ。何を期待していたのか、その何かが問題。
 それらは期待し続けることよって得たものかもしれない。それで期待の中身が変わっていく。
 これは好みの変化と似ている。
 新たな期待を掘り起こし、見出す。そちらの方が新鮮で、それだけで十分な場合もある。
 
   了

 

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2020年09月19日

3878話 シースルー少女の微笑み


 超能力者と噂される少女がいた。それを発見した毛羽博士は後悔した。その能力は主に透視。
 噂が噂を呼び、テレビ局に達した。
 公開の場で、生放送でその能力を試すためだ。透視少女、これはスケスケの服装ではないがシースルー少女と名付けられた。
 番組の主旨は決まっている。偽物であることを晒すこと。
 サイコなのでサイコロを振るわけではないが、出た目を当てること。サイコロは一つ。
 サイコロは振られ、ツボを開ける。三十回振り、三十回とも外れた。
 ツボの中のサイコロが見えなかったのだろうか。
 次は数字当て、十枚の木札が用意され、一から十までの数字が書かれている。横一列にトランプのように裏返して十枚並べる。そしてかき混ぜる。そして並べ直す。
 木札は分厚い。サイコロのツボよりも。
 これも少女は全部外す。
 似たような透視実験をさらに続けたが、正解は一度もない。
 これで決まりだ。
 少女を見出した毛羽博士は公開の場では能力が発揮できないとか、色々説明するが、言い訳にもなっていない。
 それで、この少女には透視能力がないと判定。それが番組の主旨なので、そちらへと盛り上がった。
 少女は嘘をついていた。彼女を見出した毛羽博士も当然大恥をかいた。
 だが、毛羽博士は決して恥じていない。
 少女の能力に逆に仰天した。
 立会人の中の一人が、何か意見を言おうとしたが、司会者が割って入り、他の立会人の声で、かき消された。
 毛羽博士はほっとした。
 何故なら、その立会人の意見が怖かったのだ。おそらく言い当てているだろう。
 それは当たらないということだ。
 サイコロを三十回以上振った。でたらめを言っても一度どぐらい正解する。
 数字の木札も、一つぐらい当たるだろう。
 そのあとも、似たような実験だった。
 そして最後の実験では二択だ。確率は五割。それを何度繰り返しても、一度も当たらない。
 毛羽博士が少女に指示したのは、全部外せということだった。
 少女は見事に外した。
 立会人の一人がそのことに気付いたのだが、発言を止められた。
 少女は芝居ができない。
 言われた通り見事外すことができたので、満足の笑みを浮かべた。
 
   了



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2020年09月18日

3877話 秋の収穫


 稲が黄金色になり、もうすぐ刈り入れ。今年の収穫だ。
 それを見ていた田岡は少ししょんぼりとした。田植えをしなかったので、当然稲など実らない。刈り入れ時でも、刈り入れるものがない。だが、田んぼはあり、水田状態になっていたためか。ヒエとかアワが育っている。当然それより背の高い草も。水は涸れているが、草の種類は多い。中には実がなっているのもある。植えた覚えはない。マメ科の何かだろう。あとは庭鳥の餌のような葉っぱの大きいのが目立つ。決して野菜として食べる人などいないだろうが、細かく刻んであく抜きをすればいけるかもしれない。塩をたっぷり入れて漬物にしてもいい。
 稲作ではなく、草作だが育ては覚えはない。勝手に生えているだけ。
 それらの草にも勢力争いがあり、負けて枯れている草もある。
 決して収穫がないわけではない。売れない草だが。
 そして虫が多い。それらの虫も売れないだろう。
 収穫とは言えないが何かを得ている。そのまま放置すれば、冬になればそれらの草も枯れるかもしれない。刈り入れるのなら今だ。牧草になるかもしれないが、家畜は飼っていない。
 田岡はこの時期憂鬱だ。何もしてこなかったのだから、当然のこと。秋の祭りはない。収穫がないのだから。
 荒れ放題の田んぼだが、コスモスが咲いている。これが収穫だ。これも植えた覚えはないが、去年も同じ場所で咲いていた。
 米とコスモス。価値は米の方が高いのだが、花もまた別の意味で価値がある。花より団子だが、団子より花の人もいるだろう。
 地味だが価値のあるものは派手な花は咲かさないで、しっかりと実だけを付ける。
 しかし田岡は花を咲かせてしまった。だが、勝手に咲いているだけなので、栽培したわけではないし、コスモス畑にしようと考えたわけでもない。
 何もしていなくても花は咲く。誰もが一生のうち一度は花が咲くと古人も言っている。
 しかし花では食えない。
 だが、田岡の田んぼは人気がある。野原のようになっているので犬の散歩コース。多くの犬の散歩人が来ている。集まっていることもある。
 子供は虫籠を持ち、網を振り回している。
 また、道行く人も足を止め、コスモスやその他の野草を見ている。
 田岡はそれらの人を見る度に、これが収穫ではないかと思ったりした。
 
   了



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2020年09月17日

3876話 無芸者


 平田源八は考えさせられた。これはどういうことかと。
 武芸、ここでは刀や槍による試合だが、それに負けた。当然木刀で決められたときも、相手も強くは打たない。勝負があったため。突きも止める。怪我をするので。
 平田源八は何でもない技で負けた。平凡な太刀筋で、単に上段から振り下ろすだけ。そればかりの流派もあるほど、単純な技なので、技と言うほどではない。ただ勇気がいる。胴が全部開いているのだ。
 そして、上段からの振り下ろしは太刀筋が分かりやすいので、避けられやすい。相手もそれが分かっているので、勇気がいる。下手をすると相打ち。
 平田源八はある流派の極意を極めている。奥義だ。当然免許皆伝。その奥義は奥深い。しかもかなりの技術、太刀の振り回し方にコツが必要で、それを会得するのに数年かかる。それほど複雑な技で、秘伝とされている。
 その奥義を使わなくても平田は十分強い。これは天性のものだろう。
 ところが平田は負けた。上段からの降り下ろしを喰らい、防御する前に頭にコツンときた。木刀でもまともに喰らえば大怪我だろう。
 上段から来るとは分かっていた。しかし、それは見せかけの場合が多い。太刀を構え直す瞬間別のところに剣先が来る。平田はその手は喰わないため、中段に構えたままでいた。
 そのまさかが、来たときは遅かった。
 実に何でもない打ち込み。しかし、これが基本だろう。だが、その基本の手は意外と使わない。相手も知っている。そのため、迂闊に踏み込んでも打ち込めない。
 だから、安心していたわけではないが、次の手を考えていた。秘伝の太刀筋、奥義の技をどの機会で使うかばかり考えていた。
 ところが、試合が始まった瞬間、相手は木刀を振り上げたまま突っ込んできて、そのまま薪割りのように、振り下ろした。そして、ポコッと当てただけで、さっと引いた。審判が勝負ありを宣言した。
 平凡な技での瞬殺。平田は何もしていない。握った木刀は秘伝の技を組み立てるため、少し動いただけ。
 試合後、平田は相手と話す。
 その技は何処で会得したのかと。
 相手は、そんなものはないと答えた。
 基本の技で、誰でもやっている技。それが早いかどうか程度の違いしかないし、間合いを掴む程度の技。
 平凡な基本技だけで行く。
 平田は、凝った技よりも、これかもしれないと、悟ったが、それなら誰でもやっていることなので、芸がない。
 しかし、その無芸者に負けた。
 
   了







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2020年09月16日

3875話 安穏


 日々安穏と暮らす。これはできるようでできない。できたとしてもしばらくの間だろう。
 忙しく働いている人が安穏と暮らしている、というようなことはあまり聞かないのは、忙しいと安穏とが水と油のためだろう。しかし、忙しい人が毎日忙しいのかというとそうでもない。たまにはゆっくりとしている日もあるだろう。その日は何もしないで、じっとしているかもしれない。それでは安静だが。
 忙しく日々立ち回っている人が意外と安穏たる日々を送っている可能性もある。忙しい方が安定していたりする。そして安らいだりも。逆に何もなく穏やかに暮らしている人の方が、心穏やかではなかったりする。これはまったく逆だ。見かけと中味は違うように。
 忙しさの最中は意外と静かだったりする。熱中しているため、雑音が聞こえない。
 安穏に暮らしていると、小さな雑音が気になる。それがうるさくて仕方がない。
 極楽にある地獄、地獄にある極楽のようなもの。そういう場所へ行って戻った人はいないので、あるのかどうかは分からないが、現実の何かの比喩だろう。イメージだ。
 このイメージは自分でも作れるので、何とでもなる。ただ、多くの人は似たようなイメージを懐いているので、それほどかけ離れることはないが。
 さて、安穏と日々を送るのを理想としている吉村だが、これは退屈で仕方がない。地獄の方が退屈しないのだが、刺激が多すぎる。
 それでちょとした刺激でいいので、何か少し野性的な、野蛮な、またはいけないことを少しだけ考えた。
 だが、それらは考えなくても、何処かからやって来るようで、安穏とした暮らしも、すぐに潰されたりする。
 生活を根こそぎ変えなければいけないことになると難儀だ。そんなときはいつもの暮らしに戻りたいと思うだろう。
 どちらにしても安穏とした暮らしは長くは続かない。ただ、気持ちの持ち方で、どんな状況でも呑気に暮らせるかもしれない。
 この呑気というのは良薬で、貴重なもの。なかなか呑気になれるものではない。呑気な人は最初から呑気。成ろうとして成ったのではなく、ただの気性だろう。
 それで吉村の理想はなかなか見付からない。呑気な気性ではないが、怠け者ではある。
 この怠け癖を活かせば、結構いいものができるのではないかと考えた。
 それもまた呑気な話になるのかもしれない。ということは吉村にも呑気のケが結構あることになる。
 
   了


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2020年09月15日

3874話 大義名分


「人を動かしているのは、何でしょう」
「昔と今とは違う。今は大義名分などはない。細々とまだその古典をやっておる人はいるが、例外だろう。まだそれが生きている世界もある」
「今は何でしょう」
「昔もいたかもしれない」
「今は、何でしょう」
「知りたいか」
「はい」
「君の思っていることとほぼ同じだろう」
「はあ」
「だから敢えて答えなくてもいい」
「私が思っていることですか」
「そうだ」
「私を動かしているものですね」
「そうだ」
「さあ」
「ないのか」
「あるはずですが」
「家のためか」
「さあ」
「仲間のためか」
「さあ」
「仕事のためか」
「それは少しありますが、仕事はよく変わります」
「血のためか」
「血」
「血縁とか」
「それはありません。そんな時代劇のような」
「じゃ、何だ」
「ありました。でも、それでいいんでしょうかねえ」
「それでいい」
「実は、私を動かしているのは」
「動かしているのは」
「楽しみです」
「そう来たか」
「はい。楽しみです」
「楽しみたいと」
「だから、恥ずかしいので、人にはなかなか言えません。それと楽しみといっても色々ありますし、コロコロと変わったりします。一つじゃありません」
「正解だろう」
「そ、それが人を動かしているものですか」
「うむ、そのあたりのことだ」
「でも、私の場合、もの凄く個人的で、プライベートすぎて、人には言えません」
「それが動かしておる」
「つまらないことですよ。もの凄く大事なことじゃありません」
「事を成すよりも、成したあとの一服の茶が美味しいので、それを飲むのが目的」
「え、そんなの、最初から飲めばいいじゃありませんか」
「味が違う」
「でも、人を動かしているのが、お茶じゃ」
「君も似たようなものだろ」
「まあ、そうです。お茶を美味しいと感じたことはありませんが、お茶漬けは好きです。でもお茶漬けのために生きているわけじゃありませんから。それこそ人に言えない」
「人に言えない。それが正解なんじゃ。人を動かしているものの正体はな」
「はあ」
「そして自分を動かしているものを正確には言えない。大義名分のようにな」
「なるほど」
「分かったかね」
「違うと思いますが、分かったような気になりました」
「うむ」
 
   了



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2020年09月14日

3873話 蟻の田中


 涼しくなりだすと、夏場死んだように働いていた蟻が動き出す。
 死んだように働く。それは働いているときの自分は死んでいるためだ。その蟻、田中は秋に蘇生する。
 そして死んだようにではなく、しっかり自分を生かした生き方に戻る。
 その蟻、田中がキリギリス宅を訪れた。キリギリス吉村は友人。この時期夏場の疲れで寝込んでいる。しかし、蓄えがないので、何ともならない。寝て治すしかない。
「うな重だ」
 その声で飛び起きた田中はアパートのドアを開ける。そのときは非常に元気で、衰弱していない。うな重の一声で回復したのだ。
「おお、田中君か、差し入れか」
「助けに来たよ。キリギリス君」
「有り難う蟻君」
 田中はバイオリン弾き。そのバイオリンだけは手放さない。安いので、値段はしれているし、売っても捨て値だ。それに商売道具。ただ、それだけでは食べていけないので、普段は働いているが、サボることが多く、今年は特に怠けていたので、蓄えがない。
「いつかキリギリスの恩返しをするよ」
「僕はこれから走り出す」
「ああ、夏場よく働いたからねえ」
「見ていたか」
「凄い仕事をしていたねえ」
「その頃は死んでいた。いま生き返ったんだ」
「怖いなあ。で、何をするつもり」
「旅に出ようと思う」
「そんなに稼いだの」
「小旅行になら行ける」
「僕は、このウナギを食べて、養生するよ」
「そんな一食だけでは足りないだろ」
「そうだけど」
 田中は鞄から札束を取り出し、ぽんと置いた。
「使えよ。これで養生するんだ」
「有り難い、借りるよ」
「さあ、僕は出掛ける」
「しかし、夏場働いただけで、札束を人に貸すほどお金が入るものなの。しかも今から旅行に行くんだろ」
「それは蟻の秘密さ」
「どちらにしても助かった。これでいいのを食べ、栄養を付け、元気になるよ」
 キリギリスの吉村は回復しても、働きに出ないで、バイオリンを弾いている。小さなライブハウス回りをしているだけなので、食べていけるわけがない。しかし蟻の田中から借りた札束が効いている。当分遊んで暮らせる。
 その頃、蟻の田中は旅行中で、それがまだまだ続くようで、なかなか帰って来ない。長旅だ。旅の途中、仕事をしているらしい。
 冬になった。
 キリギリスの吉村は相変わらず遊んでいる。冬を越せるだけの金はまだ残っている。
 しかし、遊び疲れたのか、飽きたのか、吉村は普通にまた働くようになった。
 一方、旅に出た蟻の田中は戻ってこない。行く先々で仕事をしているようだ。
 蟻の田中、いったいどんな仕事をしているのだろう。
 
   了
 



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2020年09月13日

3872話 意浴


 体調を崩しているとき、よくなれば、あれもしよう、これもしようと思うのだが、治ってみると、何もしない。意外と元気なときよりも、弱っているときの方が意欲が湧くものだ。
 それに気付いた坂上は、それならば体調を崩した方がいいような気がした。意欲だけは盛んで、元気。非常に前向き。しかし動けない。
 これは実際には今すぐやらなくてもいいので、意欲も湧くのだろう。実際には実行できないのだから。そして実行できる状態では、意欲が消える。下手に意欲を湧かすと、やらないといけない。これで止まる。
 坂上は足を痛めたことがある。歩くのが少ししんどい。だが、歩くことは歩ける。それで、元気になろうとよく散歩に出た。しかし、治ってからは歩いていない。散歩にも出ない。だから弱っているときの方がよく行動していた。しかし、普通には歩けないので、本当の意味での散歩ではないが。
 それで、足が治れば遠くまで散歩に出たいと考えるのだが、これも同じで、治れば何処にも行かない。
 身体だけではなく、気持ちが弱っているときもそうだ。
 要するに坂上はへたっているときの方が元気ということだ。気持ちが。
 しかし回復すればやらないというのはどういうことだろうか。何でもできる状態になっているのに、無視する。
 これは実際行動を伴うのが面倒なためだろう。本当に実行することが。ただ想像ならいい。そのときの方が元気。想像ではなく、実際にやるとなると、もう駄目になる。だから考えなくなる。
 それで坂上は色々なことを先送りし、手付かずの事柄も多いが、あのとき実行しておれば、今頃大変な目に遭っていることもある。やらなくてよかった、手を付けない方が実はよかった例も結構ある。
 当然、あのとき動いておれば、良い目にあったのに、というのもあるが、その良い目もまた、時期が来ると元の木阿弥になっていたりする。浮き沈みがある。
 元気なときにもリスクがあるし、当然良い結果にもなるが、元気がないときも、似たようなものなのだ。どちらがいいのかは分からない。
 ただ、どうでもいいようなことなら、どんな体調や精神状態でも、実行する。大事なことではないほどやりやすい。
 そして本来やるべきことは、そのままではしんどいので、それなりの加工をしてやる。たとえば掃除が嫌いなら、それを修行としてやる。決して掃除をしているわけではない。修行をしているのだと、すり替える。
 等身大というのがあるが、無理のないその人らしい感じだろう。その能力にふさわしいような。
 そして、それは意欲があろうとなかろうと、何となくやっている。
 下手な意欲は身を崩す、かどうかは分からない。ただ、意欲が湧き出しているときは気持ちがいい。温泉に入っているようなものかもしれない。
 意欲ではなく、意浴だろう。
 
   了






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2020年09月12日

3871話 家宝の名刀


「岸本嘉平殿はご在宅か」
 奥から岸本が出てきた。
「私が岸本嘉平だが、何か」
「あ、人違いだ」
「人違い」
「別の人だった」
「このあたりで岸本は私だけだが」
「いや、わしの知っておる岸本殿ではない」
「そうか」
 岸本は奥へ戻った。
「いや、やはりあなたかもしれない」
 岸本が振り返ると、その男は既に廊下にいる。上がってきているのだ。
「確かか」
「確かめたい」
「それより勝手に上がり込んでは困る」
「つい」
「まあ、奥へ来なさい。といっても家人はおらん」
「やはり岸本殿じゃ」
「何故分かる」
「困った顔をしたとき、頬に皺が寄る」
「いま家人がいないのでもてなせないが、よいか」
「お構いなく」
 岸本と男は、奥の小書院風の座敷で白湯を飲んでいる。
「喉が乾いていたので、これはいい」
「まだ暑いのでな」
「そうですなあ」
「ところで、私に何の用だ。それに用も聞かずに座敷に通したが」
「ご無礼いたしました」
「で、用とは」
「もう一度岸本殿にお会いしたかったのです」
「もう一度とは、一度会ったか」
「はい、戦場で」
「どの戦いじゃ」
「先年の」
「確かに私も加わった」
「合田新兵衛といいます」
「その方の名か」
「名乗ったはずです」
「忘れた」
「あのとき、見逃してくれました」
「敵だったか」
「そのときのお礼をと」
「私の名をどうして知った」
「同僚から教えてもらいました」
「そんなことで来たのか」
「わしにとっては命の恩人」
 合田新兵衛は刀に手をやった。
 岸本嘉平は身体をぐっと反った。
「お礼でございます」
 名刀らしい。
「旧主から頂いた家宝」
「そんな大事なものを受け取るわけにはいかぬ」
 合田新兵衛は刀を抜いた。
 岸本は片膝となる。
「ご覧下され」
 黒光りし、角度を変えると、真っ白。
「おお」岸本嘉平は手に取って、じっくりと見た。
 既に刀は合田新兵の手にはない。
「受け取って頂きたい」
 合田新兵衛は鞘も渡した。
「うむ」
「これで、すっきり致しました。礼を言いたかったのです」
 合田新兵衛はすっと立ち去った。
 勝手に屋敷に上がり込み、勝手に出ていったことになる。
 岸本は、そのとき、やっと思い出した。確かに見逃した敵がいた。手傷を負っていたためだ。確かに合田新兵衛と名乗っていた。
 数日後、岸本は合田新兵衛について、家中の者に聞いてみた。
 先の戦いで、亡くなっていたとか。
 負っていた傷が深かったのかもしれない。
 合田新兵衛が先日来たとき、置いていった名刀は、まだ残っている。
 岸本はそれを家宝とした。
 という言い伝えが岸本家に残っている。
 
   了





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2020年09月11日

3870話 ある安堵


 台風は去ったのだが、箕田の生活は安定しない。生活が天気により、安定するのかどうかは分からない。何らかの因果関係はあるだろうが、普通はない。しかし、生活ではなく、体調の変化はある。天候と体調はかなり関係しており、その影響が出る。低気圧だと、どこも身体が悪くなくても、しんどかったりする。
 台風が来る前のしんどさというのがあり、箕田はそれを感じていたが、去ると少しはましになる。その後、雲が多かったのだが、怖いほどのスピードで流れて行った。雲足が速い。
 そして雲が履けると青空。これを台風一過の空というのだが、箕田の心は晴れない。つまり、生活が芳しくないためだろう。ただ、これは慢性化しているので、それほど気にすることではないが、好きなものが食べたいときでも、それを食べると月末のおかずが貧しくなる。
 しかし、その貧しさが箕田の好みでもある。今よりももっと貧しい暮らしをしていた。夕食のおかずがちくわ一本。それを薄く輪切りにし、多くあるように見せた。醤油を一杯かけ、ちくわの穴が表面張力で幕を張るほど。
 これだけでご飯は進むが、栄養的にはどうだろう。ただ、米を食べているのだから、そこだけは押さえてある。それと魚は出汁じゃこ。これは尾頭付き。魚を何匹も食べていることになる。味付けはしない。そのままでも香ばしい。そして噛めば噛むほど複雑な味がする。噛んだりしがんでいるとき、箕田は猫のように目を細める。これは人には見せたくない。「見たな」「見たであろう」と油をなめている化け猫のようなもの。
 しかし晴れたので、体調はよくなり、それで機嫌がよくなった。それだけのことで、気分が変わる。いい感じだ。安上がり。特に何かをしたわけではない。
 箕田は夏場遊んで暮らしていたキリギリスではない。年中蟻さんをやっているが、いい有様にはならない。蟻程度の動きでは何ともならない。もう少し大きな虫でないと、運ぶ餌も小さい。
「空は晴れても心は闇よ」と呟きながら、箕田は路上を行く。いいものが落ちているかもしれないと、期待しているわけではない。
 雲が流れ、動いているように、箕田も動いている。その動きがよくないのか、いつも迷走。瞑想しながら歩いているわけではない。
 市街地の賑やかなところに出た箕田は、知り合いを見付けた。軽く「やあ」という感じで手を上げると、その友人、一瞬気付いたようだが、さっと視線を外し、身体の角度も変え、何か思案げな顔をわざとらしく作り、さっと方角を変えた。
 箕田に近付くとろくなことはない。だから、友人知人は避けて通る。
「箕田さん」
 逆に声をかけられる。後ろからだ。
「箕田さんじゃありませんか」
 芝垣という怠そうな男だ。
 箕田は聞こえないふりをし、ポケットから手帳を取り出し、それを見る振りをし、早足で、後方の芝垣から遠ざかった。
 箕田が避ける相手。その芝垣、余程重症なのだ。関わるといけないと思い、箕田は逃げた。
 自分よりも下がいる。箕田は少しだけ、安堵した。
 
   了



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2020年09月10日

3869話 ある集まり


「夏の疲れが出たようです。今日は休ませて頂きます」
「頂きたいか」
「はい」
「分かった」
 富岡は電話を切った。先に切ったのは、まだ何か言いたそうな声が聞こえたため。その声とは最初の言葉「あ」だったか「そ」だったのかは曖昧だが、そのあとを聞かないまま切った。どうせ言うことは決まっている。
 仮病で欠席。よくあること。これは仕事ではない集会、寄り合いだ。
 そろそろこの団体と手を切りたい。もう飽きてきた。最初から好奇心だけで参加した。いったいどういうものだろうかということもあるが、富岡の将来に役立つ可能性が大いにあった。その路線に富岡がいる。どんびしゃだ。
 しかし中味は親睦会で、雑談会。中味がない。大事なこと、本当のことはここでは語り合わないようで、よく知られた情報は流れるが、その程度なら富岡も知っている。一般人でも知っているだろう。
 先ほど電話したのは林田という幹部で、富岡はこの林田系となっている。勢力は小さい。林田に人望がないためだろう。それと口うるさく、文句の多い人。語っていることは愚痴がほとんど。そしていつもぼやいている。
 富岡はこの林田がとっつきやすかったので、その仲間に入った。あまり偉い人ではないのが付け目。
 しかし林田も本当のことは言わない。他のメンバーもそうで、雑談して帰る程度。その雑談も世間話や、個人的な日常噺。最悪は天気の話だ。
 この親睦会の後ろに大物がいる。富岡はその大物に近付きたかったのだが、寄り合いには来ない。この人が実は主催者らしい。
 そして、この寄り合いに来ているのは雑魚。
 そういことが分かりだしてから、もう行く気がしなくなり、欠席が続いた。
 その大物は何故こんなつまらない会を開いたのだろう。大物にとって何処かで役立っているのだろうか。そうでないと無駄なことをしていることになる。
 電話が鳴った。
 取ると、先ほどの林田。しつこい。
「吉田さんが来るらしい、君に合いたいとか」
 吉田とは、例の大物だ。
 富岡は飛ぶように向かった。
「こうでもしないと、君は来ないからね」
 林田の嘘に引っかかった。
 富岡は今度こそ脱会する決意をした。
 
   了




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2020年09月09日

3868話 狐狸の木の葉


 庄助村に妖怪が出るというので、妖怪博士は呼ばれてやってきた。どの村にも妖怪が出放題なら、全国津々浦々まで妖怪博士は出向かないといけない。巨大な妖怪市場。儲かって仕方がないだろうが、妖怪博士はただの研究家。調べるだけ。
 しかし庄助村とは何だろう。庄助など百姓によくある名。庄助が拓いた村なのかもしれない。何処の庄助だろう。庄助村の庄助では重なりすぎる。庄助村を拓くまで、この庄助さんは何処の村にいたのだろう。村の百姓ではなかった可能性もあるが。
 そんなことを調べに行くわけではないが、村名が気になる。
 その庄助村だが、辺鄙な場所ではない。田畑も多いが一寸した町。
「先生に来ていただくほどの妖怪が出たわけではありませんが、その欠片のようなものが出ました。それで御足労願ったのですが、期待しないで欲しいのです」
「いえいえ」
 老人のようだがまだ若いようで、お面を作っているようだ。しかも紙粘土の薄いもの。まあ、縁日で売っているようなセルドロものよりも高級程度。少しは厚みがあるし、ニスのようなものを塗っているのか、この塗り具合がいいのか、手触りがいい。ただのお面だが、天狗とか、鬼とか、そういったよくあるもの。
「これは手書きですかな」
「そうです。天狗の眉なんて、結構コツがいるんです。ハネのね。あとは頬あたりを色で立体的に塗ります。手間はかかりますが、まあ、順番通りやれば面倒な作業ではありません」
「これらは売り物ですか」
「ここでは売りませんが、土産物屋で」
「この庄助村に土産物屋があるのですかな」
「いえ、全国津々浦々らしいです。こういったお面の卸元に納めているのです」
「それで食べていけますか」
「難しいですが、まあ、弥勒菩薩が売れたりしますよ。観音さんも。まあ、仏像なんて、似たようなお顔ですからねえ、よく間違えます。それと仁王さんに七福神。般若もあります」
 お面職人は色っぽい顔の面を取りだし「これは般若のお百です」と説明。
「毒婦です」
「そんなものが売れるのですか」
「これは依頼です。受注生産」
「ところで、妖怪ですが、これらの面と関係ありますか」
「ありません」
「はい」
「裏山に出る木の葉です」
「木の葉?」
「葉っぱです。枯れた」
 まだ、紅葉の季節ではないが、枯れる葉もある。
「その葉が何か」
「狐か狸の葉です」
「はあ」
「あの連中は化ける前とか、戻るとき、木の葉が舞うのです」
「それはありますなあ」
「その葉を見たのです」
「はあ」
「きっと狐か狸が何かやろうとした形跡ではないかと」
「大量に舞ったのですかな」
「いえ、一枚です」
「葉が偶然、そのとき枝から落ちたのでは」
「舞ったままでした。舞い続けていました。動力もないのに。それに羽根もないのに。風はほとんどありませんでした。あれは狐狸の痕跡かと」
「だから、妖怪の欠片ということですな」
「そうです」
「まあ、その話はそれぐらいにして」
「いえいえ、それでわざわざお越し頂いたのですから」
「それよりも、出るとすれば、ここのお面でしょ。これだけの枚数があると、危ないでしょ。お面での異変はありませんでしたか」
「ありません」
「あ、そう」
「これらの面の表情が変わるとか、話し出すとか、そういう話がふさわしいのですがな」
「面は面です」
「あ、そう」
「行きましょう」
「ど、何処へ」
「わしが見た木の葉が舞っていた場所へ。きっとあのあたりに化け狐か狸の巣があるに違いありません。妖怪退治です」
 妖怪博士は渋々、裏山を登り、木の葉が舞い踊ったという木立の中に入った。
 そこから庄助村が一望できる。
 お面職人が盛んに説明を続けるが、妖怪博士は村の地形を見ている。庄助さんが、ここを拓いたとすれば大したものだ。それだけの指導力があり、人を集める力があったのだろう。
 後ろを見ると、お面職人がいない。探すと、木立の奥へ入って行くのが見えた。
 妖怪博士が呼び止めると、彼は振り返ったが、顔が違っていた。
 狐の面を付けている。
「狸の方がよかったでしょうかねえ」
 二枚、持ってきたようだ。
 
   了




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2020年09月08日

3867話 石人


「これが猫石で、これが蛸石。そしてこれが赤目石」
「その赤目石は何ですかな」
「この二箇所、水で濡らすと赤くなります。その二箇所、丁度人の顔の目の位置に近いでしょ。それで赤目石」
 妖怪博士はそれらの石を丁寧に見ているが、何処かで落ちているような石。人が手を加えたものではないようだが、この石人がその後、磨いた形跡がある。
 石人、それは石をめでる人で、また集める人、そして石に対しての信仰がある。そういう秘密結社のようなものがあったのかもしれない。だが、この人はそれとは関係がないようで、ただの趣味だと言っている。
 名も岩代といい、これは屋号かもしれない。石と岩は近い。石代ならそのままだ。岩代なら屋号にして大きい。昔の国名だ。そして官位として使われただろう。
「猫が入っているのですかな」
「泣き石です。この猫石は耳を当てると猫の泣き声が」
 妖怪博士は漬物石ほどの重さがあるので、持ち上げるのが厳しいので、こちらから耳を持っていった。そのはずみに胸のポケットからタバコが落ちた。
「聞こえませんが」
「たまに聞こえます。ずっと泣いている猫などいないでしょ」
「やはり猫が入っていると」
「そうです」
 妖怪博士はそれを見抜く力はない。これはその種の感覚を持ち合わせていないため。
「まだ、色々とありますが、見ますか」
「いや、これで十分です。私が見ても何ともならないと思いますしね。専門外です。しかし、どうしてこの種の石を集めておられるのですかな。趣味だというのは分かりますが、何故石ですか」
「さあ、子供の頃から石をよく集めていました。何かに似た石を。庭にその頃の石を蒔いています」
「石を蒔く」
「小石ですから」
「砂利のようなものですな」
「そうです。その中に妖怪が入り込んでいるのではないかと思いまして」
「残念ながら、私には分かりません。それよりも石に拘る理由は何だと思います」
「さあ、子供の頃からなので、特に考えがあったわけではありません。ただ拾ってくる石に変化はあります。最近は漬物石ほどの大きなものが好みです。程良い大きさですから。でも重いので、運ぶのが大変です。車があっても、発見した場所は川際なので、どうしても歩いてでないと上り下りできなかったりします」
「お仲間はおられますか」
「いません」
 妖怪博士は石の結社を考えたようだが、違っているようだ。
 石に何かが入っているのではなく、この岩代さんに何かが入っているようだ。
 そのことを言おうとしたが、その程度のものは種類は違うものの誰にでも入っているので、敢えて言うほどではないので、やめた。
 帰り際、蛙石を頂戴した。これは小さい。
 その蛙石の説明を担当の編集者にしているとき、以上のようなエピソードを語った。その石は妖怪博士宅の庭に無造作に置かれていた。
 
   了
  




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2020年09月07日

3866話 台風男


 台風一過で涼しくなった。夏が終わったのか、途切れたのかは分からない。台風が去ると晴れるものだが、雲が多く、雨も降っている。台風は遠くの方に去り、そのとき連れてきた雲が来ているのだろう。この雲が雨雲で、それで雨。しかし、その上空にあるのは夏空か秋空かは分からない。ただ気温は下がっている。これは夏でも雨が降れば下がるだろう。
 台風は季節をかき混ぜる。平常の季節の移り変わりとは別に、これが加わると計算が狂う。台風も季節ものだが、発生する期間が長い。冬以外発生しているだろう。
 倉橋はこの台風が去りきったあと、空模様がどうなるのかを心配しているわけではない。遠いところを通過しただけなので、影響はない。これが大きな台風が接近中の場合は心配するだろう。ただ、この心配の度合いはそれほど高くはない。台風で外に出られないので困る程度。家が吹き飛ばされるとか、洪水で家が流されるとかは考えていない。
 台風が心配なのではなく、台風男。その男が来襲するのではないかと、心配している。この男が来ると日常がかき乱される。たまにはそんな刺激もいいのだが、あとが大変。台風男が通ったあとは草木が育たないというわけではないが、かなりダメージを受ける。これはただ単に疲労だろう。疲れるのだ。
 今年はまだ台風男が来ない。いま何処にいるのかも分からない。住所をよく変える。そして音沙汰が全くなかったりする。連絡を取り合っていないのだ。来るとすれば向こうからで、こちらからは行ったことはない。日常内に取り込むには危険なため。そういった音沙汰がなく、かなりの期間合っていない旧友などいくらでもいる。だから台風男もその中の一人だが、凶暴なのだ。だから注意が必要。
 台風は予測できるが、台風男はできない。いきなり来る。
 倉橋は平穏な暮らしをしているわけではなく、最近煮詰まってきて、身動きが取れない。だから、あまりよくない。何とか活路を見出したいのだが、実行するだけの勢いがない。何とかこの閉塞感から抜け出そうとしている。
 こういうとき、台風男にかき混ぜてもらいたい。来てくれるのを半ば期待していたりする。来られては困るが、刺激も欲しい。彼が来ると活性化する。
 夏の終わりがけから秋にかけての台風。そのシーズンに台風男もよく現れる。年により二度も三度も。それは台風男の当たり年で、数年ほど姿を現さないこともある。去年は来なかった。だから、今年は来る可能性が高い。冬場は来ない。秋が危ない。
 そういうことを思いながら倉橋は台風一過で晴れるはずの空が雨ですっきりしない下を歩いている。気温が少し下がった程度で、これだけでもありがたいのだが、台風一過の晴れ晴れしさを見たい。
 台風男。台風男一過、彼が来て暴れまくり、そして去って行く。その翌日が意外と清々しく、晴れ晴れとした気分になれる。去ったことによる安堵感だろう。
 やはり倉橋は暗に台風男を待っている。
 
   了



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2020年09月06日

3865話 お取り潰し


 夏の終わりの雨。炎天下に水を差した。いい差し水。いいおしめり。
「これで涼しゅうなりましょう」
「そうであると有り難いのですが」
「いずれ涼しゅうなる。それがいつかは分からぬだけ。このまま暑さが続くわけではあるまい」
「しかし、今年の暑さは長引きました。もしかして、雨後もカンカン照りになるのではと」
「しかし、いずれは涼しゅうなる」
「そうですねえ」
「そうじゃ」
「台所は火の車で、金蔵の中だけが涼しいのですが、これは何とかなりましょうか」
「ずっとそうかな」
「はい」
「最初からかな」
「いえ、少しは良い状態もありましたが、一瞬です。ほぼ火の車、金蔵は涼しいどころか冷え切っております」
「じゃ、そのままじゃろう。常夏の国もあるし、常冬の国もある。季節は巡らんが、小さな夏、小さな冬はその中にもある」
「先生はいつも常春のように穏やかですが」
「そうかのう。暑い夏、寒い冬も欲しいところ。常に春では眠くて仕方がない」
「よろしいですなあ。その余裕、私に分けて貰いたいところです」
「まあ、春は高く売れるがな」
「あ、そうなんですか」
「ところで、財政はそれほど悪いのか」
「それで、先生にご指導をと」
「誰が」
「殿です」
「借りて踏み倒せばいい」
「そんな乱暴な。それは何度もやりました。もう貸してくれません」
「そうか、では取り潰して貰おう」
「誰に」
「幕府にじゃ」
「藩がお取り潰しになれば、家来は路頭に迷います」
「今も迷っておるではないか」
「そうですが」
「それに藩侯も投げ出した方が楽になるぞ。苦しい財政、借財の山、それらから全て解放される」
「しかし、お取り潰しは」
「お取り潰しになるようなことをしでかすのじゃ」
「早速計ってみます」
 しかし、この計略を起こす前に、幕府そのものが潰れてしまった。
 
   了




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2020年09月05日

3864話 一手の違い


「まだ暑いですねえ」
「夏が長引いているようです」
「たまりませんねえ。こういう日が長引くと」
「長引いていいこともありますからね」
「でも暑いのは、このあたりで終わって欲しいですよ。もう九月ですよ」
「コスモスの葉が濃くなってきました。そのうち咲くでしょ。私はこのコスモスのモヤッとした細く繊細な葉が好きでしてね。むしろ花びらよりも」
「そうなんですか」
「モミジもそうです。青いときがいいです。あの薄さがね」
「少し見所が違うのですね。でも長引く暑さは如何ともし難いでしょ」
「そのうち淋しくなりますよ」
「涼しくなるんじゃなく、淋しく」
「勢いが落ちていくものは哀れを誘います」
「でも今は暑くて難儀です」
「そうですねえ。しかし最後のあがきでしょ。去ってしまうと、暑かった夏を懐かしく思うものです。すぐに過去のもの、昔の遠いことのように感じてしまいます」
「でも、涼しくなれば、もう暑かった夏など思い出すこともないと思いますが」
「過去もそうです。去ってしまえば思い出す機会などほとんどない。もう今とは関係しない場合はさらにそうです。孤島のようにポツンとある記憶。繋がりが低いので、手繰れない。しかし、たまにそのポツンとした思い出のようなものが蘇ることがあります。これはいきなり来ます。すると、さっとその頃のことがワッと出てきます。そんなことがあったのかと今では意外なことがね」
「それはありますね」
「その過去のワンポイント、それがあるから今があるようなものです。何処かで影響しています。行き先がね」
「ほう」
「もしあのとき、というのが歴史でもあるでしょ。歴史が変わるような。しかし、過去の一寸したことでもいいのです。それがあるから今がある。だから忘れてしまったようなことでも、今と繋がっているのです」
「じゃ、一つ一つの出来事は大事ですねえ」
「何らかの影響を受けます。一寸した順番の違いとかもね」
「この長引く暑さも影響を受けますか」
「受けるでしょ。あのとき、少し涼しければできていたことを暑くてやらなかったとかね」
「ほう」
「一手の違い、歩の一つの動き、それらは全て流れを決めるものです」
「じゃ、日々は大事ですね」
「大事にしすぎて、一手遅れたりもしますよ。だからそれほど意識しないで過ごせばいい」
「この暑さ、どうしましょう」
「暑がっておればいいのです」
「そうですね。暑い暑い」
「はい、暑い暑い」
 
   了




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2020年09月04日

3863話 逆振り


 特徴のあるもの。何か他と違うもの。不思議なもの。怪しいもの。当然素晴らしいもの。滅多にお目にかかれないようなもの、誰もが感動するようなこと。等々が注目に値するのだが、それなりに癖の強いものもある。特殊なものや、例外のようなもの。中には掟破りなものも。
 いずれもそれなりに目立つ。だからそれを見たり触れたり、またはイベントなら参加したりする。当然そのタイプの本なら買って読むだろう。特徴があるためだ。読むに値する何かが。
 西村はそういうものを漁っていたのだが、最近何でもないものにピントが行くようになった。ただの自転車、変哲もないママチャリ。そういうのをじっと見ているほうがおかしいだろう。何処にでも植わってそうな街路樹、その中の一本と他の一本の違いなど、ほとんどない。どの一本でもかまわないのだが、偶然足を止めたときに見た一本の街路樹をじっと見詰めている。決して珍しい木ではなく、梢や幹に何かいるわけではない。逆にいえば、そういうのをじっと見ている方が不思議なのだ。
 西村はそれに気付いたわけではないが、珍しいものを漁りすぎたため、そうなったのかもしれない。これは応用問題ではない。何でもない茶碗に価値を与えるというようなひねくれたことでもない。
 要するに目を休めたいだけかもしれない。何でもないだけに何もない。何もないことはないが、特にこれといったものはない。街路樹の幹に蟻が登っているのを見たとしても、決して不思議な生態ではなく、あるだろう。
 西村は何がきっかけかは分からないが、何でもないものに安らぎを感じた。刺激がない。逆にそれがいい。休めるためだ。だから安らぐ。憩える。
 いつもは一寸変わった店で食事をするのだが、そういうことも辞めた。着るものも、そんなもの何処で売っているのかというようなものではなく、どの店に行っても似たようなものが吊されているようなタイプ。実に何でもない衣服。
 一枚の安っぽいカッターシャツ。しかし、よく見ると、それなりのデザインが成されている。それが大きく目立つようなことはないのだが、そのシンプルさが潔い。拘りのなさがいい。
 西村は元来濃い性格で、油っぽい。その濃さを少し薄めた。油も抜いた。
 すると、さらっとした人間になれるわけではないが、脂ぎった暑苦しい眼差しがましになる。これはましになっただけで、まだまだ濃い。
 それで、普通のものをじっと見ていたり、興味ありげに見ていると、逆に不審がられる。
 何でもない安っぽい建て売り住宅。有名な建築家が設計したわけではない。だから、そういう家をじっと見ていると、不審がられる。
 しかし西村は、何でもない建物をそれなりの見方で見ているだけ。今まで、興味がなかったものをしげしげと見ているだけ。
 何でもないことなのだが、そこに何かが潜んでいる。逆に何もない方が、豊だったりする。
 西村は逆方向へぐっと振りすぎたようだ。
 
   了



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2020年09月03日

3862話 夏の終わり


 出るときカンカン照りだったので、今日も暑い日が続くと、竹中はうんざりしながらも、夏の終わり、最後の見納め、今年はこれで夏は終わるだろう。夏はまだ続くだろうが、外に出て、夏の気分を味わうのは、この日限り。翌日、また出掛けるのなら別だが。
 夏の暑さを味わう。果たしてどんな味だろう。汗で塩辛いかもしれない。目に汗が入り、染みたりする。
 夏を味わうには、夏を観察すること。それでそれ用のカメラをいつも持って出る。
 そして白壁に浮かぶ木の葉の影。昼間だが影絵だ。葉にはしっかりと輪郭があり、ぼやけていない。ピントの合った影。
 ファインダーを覗いた瞬間、影が薄くなりだし、そのうち消えた。
 陽射しが遮られたのだろう。雲が多い。その雲がかかった。折角のチャンスを逸した。この場所はよく通るので、次の機会もあるが、今日のような強い陽射しではないかもしれない。
 夏を満喫する。それには空が広く見える場所がいい。しかし、雲が結構多い。入道雲のようなものが明快に見えていたのだが、その輪郭が薄らぎ、白い雲がモヤのように立ちだした。白い雲に灰色が混ざり、太陽は見えなくなる。そのおかげでカンカン照りではなくなったので、歩きやすいが、これは目的に反する。日陰を探さないといけないほどの炎天下を期待していた。そして影に入り、ほっとする。そういう図ができている。
 そのうちパラッときた。俄雨だろう。雲の隙間から青空が見える。それで安心していたのだが、雨は大粒。それがパラパラと地面を打つ。まるで機関銃。この雨弾の密度だと死ぬだろう。数発は被弾。
 傘を差しておれば、パンパンと五月蠅いかもしれない。いいおしめりで歓迎する人もいるが、竹中は暑さを求めていた。
 当然傘など持ってきていない。そんなとき用の折りたたみ傘はあるが、持ち出すことなど思いも付かなかった。晴れ渡っていたのだから。これが少しでも雨の気配を感じるような雲が出ていたりすれば別だが。
 雨は強くなり、歩道を叩く、煙か湯気か埃か分からないきな粉のようなのが立つ。
 竹中も立ち止まってられない。濡れるだけなので。それで、歩道横にある小さな児童公園に逃げ込む。何もないが、よく茂った樹がある。その下に入れば少しはましだろう。
 軒下を借りるという手もあるが、道端にそんな軒などいきなりない。門があるし、塀がある。母屋の軒など、長屋にでも入り込まないと無理。または店先。だが、周囲に店屋はない。
 雨宿りの樹を見ると、赤い小さな実が成っている。サクランボに似ているが、桜の木ではない。
 その実が雨に濡れて宝石のように光っている。赤にも種類があり、色目の違う実がいい感じで配置されている。
 しかし、ポタッと水滴を首筋に受けた。大粒の雨よりも、この樹から落ちてくる水滴の方が玉が大きいようだ。
 これでは何ともならないと思い、竹中は大降りにならないうちに、引き返すことにした。しかも急いで。
 鹿も急ぐ雨。
 そして家に近付いたとき、雨はやみ、陽射しが戻った。
 所謂狐の嫁入り。これがあると、夏は終わる。
 
   了
 



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2020年09月02日

3861話 満足を得る


「満足度ですか」
「そうです」
「それは微妙ですねえ」
「人によって違いますから」
「つまらないものでも満足される方がおられる。また、ものすごいものでも満足なされない」
「それが満足度です」
「不思議ですなあ」
「気持ち、精神力、体力。考え方、好み、まだまだ言えば切りがありませんが、それらが織りなす綾なのです」
「誰もが満足するはずのものが、ある人には不満とは言わなくても、それほどのものではなかったりします。これはやはり本人の事情によるものでしょうなあ」
「仰る通りです」
「僅かな人だけが満足を得られることもあります」
「特定の状況が揃っていないと無理な場合がありますから、条件が付きます」
「誰でも得られる場合は条件が低いのでしょうなあ」
「そうですねえ」
「私は好みの変化が満足度に関わると思っております。しかし、何故好みが変わったのかが、問題でしょう。変わらざるを得ない状態になったとかもありますしね。また、今まで必要としなかったものが必要になるとかも」
「そうなんです。色々な要素が絡み合っていますから、そこが微妙なんです。また微妙なだけに好きが嫌いになったり、嫌いなものが好きになったりします」
「満足度とは好みの問題でしょうか」
「そのあたりだと思われますが、その好みというのがまた微妙で、好まざるを得ないような好みもありますし」
「満足を得たいものです」
「いや、知らないうちに満足することもありますよ。狙わなくても」
「しかし、満足は狙うものでしょ」
「狙ったものがよいとは限りませんから」
「何でしょう」
「ただの感性でしょ。感覚。気持ちの問題でしょ」
「それだけですか」
「まあ、満足を得るには、それなりの蓄積も必要でしょう。二三歩で山の頂上よりも数時間かけて登ってやっと頂上なら、同じ場に立っても満足度が違うと思いますよ。過程が加わります。この過程がものを言い、山上からの眺めはつまらないものでも、感動したりするものです」
「それは自分に対して感動しているようなものですね」
「そうでしょ。だから満足度というのは、色々な綾が絡み合って熟すのでしょうなあ」
「有り難うございました。いい話でした」
「満足を得ましたか」
「いいえ」
「あ、そう」
 
   了




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2020年09月01日

3860話 隠しオフィス


「地下三階なのですが、地下二階は機械室で、ここまでは入れます。地下一階は駐車場です。地下三階があるとは思っていませんでした。地下二階の機械室の端に下へ降りる階段がありました。古くはありません。このビルができた頃のものでしょう。上階の非常階段と同じ階段です。しかし踊り場がなく、深いです」
「その先は」
「階段を降りきると廊下に出ました」
「明かりは」
「あります。上階と同じような廊下で、明るいです」
「先へ進みましたか」
「はい、左右にドアがいくつもありました。これは隠しオフィスですねえ。さらに進むと突き当たりに階段があります。上に昇ると、機械室に出ました。何でしょう。あの地下三階は。ドアが並んでいましたが、怖いので開けませんでした。誰かいるとまずいですし」
「絵です」
「え」
「でもノブがありましたし」
「そこだけは本物です。だからそれらのドアは全て開きません。地下三階は通路だけの階なんです」
「これは極秘ですか」
「機械室までは誰でも入ろうと思えば入れます。故障したときなど、メンテナンスの人が来ますしね。一般の人も駐車場から降りられるので、入れます」
「どうしてそんな通路だけを作ったのでしょう。機械室の下に廊下があるだけでしょ。何か意味があり、用途があるのかもしれませんが、何故ドアが並んでいるのですか。それに綺麗でした。廊下も壁も、上の階のように」
「あなたが降りていった機械室の階段、二箇所あることはお分かりですね」
「はい、降りた口と昇った口」
「その階段への入口、どうなっていました」
「ドアはありません。普通の階段でした」
「だから、機械室の一部なんです」
「でも通路だけですよ。下は廊下だけ。何のために、そんな通路を。それに二箇所ある降り口、見えています。地下を潜らないと行けない場所じゃない。それに、あのドアの絵はなんですか。ノブだけが本物とすれば、そんなもの付ける必要もないし、ドアそのものも部屋がないのなら、書く必要はない」
「あなたは、どうして、そこへ行ったのですか」
「どうして」
「そうです。機械室に用でも」
「いえ、下に階があるので、何かなと思って、駐車場から降りていったので、下も駐車場かな、と思ったのです」
「このことは積極的に人には話さないようお願いします。別に秘密でも何でもありません。あなたが見た通り、種も仕掛けもなかったでしょ。ドアは絵なので、ただの通路。だから地下三階などないのと同じです」
「絵じゃないドアがあるのかも」
「そう考えますか」
「言われるまで、それは絵だと思いませんでした。ドアが左右に並んでいるのですよ。隠しオフィスだと思いましたよ」
「気になるのなら、また侵入すればいいでしょ」
「しかし、誰が何のために」
「さあ、私にも分かりません」
「有り難うございました」
「いえいえ、別に秘密にしているわけじゃありませんからね。しかし積極的に人に言わないで下さいね」
「はい、承知しました」
 
   了




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