2019年07月21日

3455話 夏の思い出


「夏を感じるのはどういうときですか」
「そりゃ暑いときですよ。時と場所を選ばず、感じますよ。ただ冷房の効いたところは別ですがね。それでも冷房でも効かない暑さだと夏を感じますよ。さらにね」
「もうちょっと情緒的なことでありませんか」
「情緒」
「軽いエピソードで結構です」
「子供の頃ありましたねえ」
「朝顔とか」
「観察日記は書いたことがありません。そうではなく、海です」
「海水浴」
「そうです。その夏始めて行く海。砂浜の砂が熱い。そこはさっと走り抜けて波打ち際まで出る。寄せたり引いたりで、陸になったりならなかったりしている波打ち際。ここはもう足の裏は熱くない。さて、そこから海に入るのですが、そこからです。夏を感じるのは」
「はいはい、どのような」
「腰まで浸かり、徐々に胸まで入る。心臓麻痺を起こさないようにね。やはり少し冷たいです。そして、沖へ向かって泳ぎ出す。足が着かないあたりまで泳ぎ進んでいるときの前方の海と空。半々。そこへ向かっているとき、夏を感じます」
「子供が」
「はい、子供ですから、自然の中に入ると、更に動物的になるのでしょうねえ。下手をすると溺れる。私は泳ぎは達者じゃない。犬かきか横泳ぎができる程度。立ち泳ぎもできますがね。平泳ぎは顔に水を被るとそこで止まります。だから立ち泳ぎのような平泳ぎか、犬かきです。そして進むうちに沖に出ていく。出過ぎると戻れない」
「はい」
「私にとって海は無限なのです。しかし、私は有限。泳いで戻れる距離までですからね。そこへ向かっているとき、海や空と同時に夏を感じました。今年も、こうして夏の海で泳いでいると。海水浴なんて、夏休みの間に二回か三回ぐらいでしたからね。毎週行きたかったのですが、天気が悪かったりしますし、親の都合もありますからね。まだ小さいので、一人じゃ行けない」
「要するに空と海ですか」
「空だけでも十分です。夏の空。これは定番でしょ。夏を感じる」
「そうですねえ」
「それを海の上から不安定な姿勢で眺めていた子供時代が最高だった。同じ青い空と白い雲でもね」
「はい」
「ふと見上げた夏の空という感じですが、水平線を見ながら見ていたので、真っ直ぐ前を見ていると、海と空が半々。そこへ向かって進んでいるのですよ。これは最高でしたよ」
「有り難うございました」
「ありふれた話で申し訳ない」
「いえいえ」
 
   了
 


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2019年07月20日

3454話 何ともならない夢


 覚えていないが、何か奥深いところにあるような夢を見た。最近そんな夢をよく見る。まるでシリーズ物のように。何かの特集だろうか。
「覚えていないと」
「はい、目が覚めたときはしっかりと覚えているというより、それに浸っていたりしますが、しばらくすると溶けてしまいます」
「どんな夢ですか」
「ですから覚えていないのです」
「何夜も見られたのでしょ」
「はい、連続して一週間ほど」
「でも、どれか一本ぐらいなら覚えているでしょ。まったく記憶から消え去るわけじゃないですから」
「昔の記憶です。それが蘇りました。それさえ滅多に思い出さない。ましてやそれが夢で再現されていても、実際の記憶以上に夢の記憶は残らないものですよ」
「しかし、僅かでも」
「何かのシーンです。断片的な。しかもそれほど古い時代じゃない。いや、かなり昔のもあったような気もしますが、何せ忘れているので、分かっているのはその程度」
「寝ている間に色々と整理されているのでしょ」
「整理」
「ハードディスクのメンテナンスのようなものですよ。断片化ファイルの整理。無駄な穴が空きますからね。そのとき、飛び出たのでしょ」
「何が」
「ですから、アルバムの整理中、ある写真に目がいって、しばらくそれを見ていたとか」
「そういう例ではないと思いますが、何か調整しているのでしょうねえ」
「記憶だけではなく、身体の中も、色々と寝ているときに調整しているものですよ。これはメンテナンスです」
「それはいいのですが、何か深いものに突き刺さったとか。非常に残念で仕方がないとかの未練とか、そういうものを感じました。その中身は忘れましたが」
「夢の中では釣り落とした魚がわんさと釣れるものです」
「そういう喩えではないと思いますが」
「それで、どうなりました」
「目が覚めたとき、ため息が出たり、また深い層に突き当たり、あの頃のあのシーンにまた戻らないといけないのかとか、しかし、そこへはもう二度と戻れないので、何ともならないしと」
「あのう、覚えていないのに」
「中身は覚えていませんが、そういうことを感じたことは覚えています」
「荒唐無稽でしたか」
「いえ、どの夢も淡々としていました」
「ほう」
「どちらにしてもしみじみしてしまいましたよ」
「しかし、夢の中身が分からないのでは、何ともなりませんねえ」
「覚えていても、何のことやら分からないような話やシーンだと思います。本人でないとね」
「はい」
「昔といいますかついこの間のことでもいいのですが、気になっていたこととかですかね。それを思い出させるような夢でしたが、思い出せないのですから何ともなりません」
「あのう」
「何ですか」
「夢の話を聞きたいのです。だから中身を覚えていないような夢では、それこそ何ともなりません」
「ああ、そうですなあ」
 
   了



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2019年07月19日

3453話 陰気陽気


 来し方の様々な思いというのがあり、どの頃がよかったのかと、田村は友人に尋ねた。
 それは色々あり、あの頃はよかったと思えることはいくらでもあり、特定できないという。それほどいい思いを過ごしてきたのだろう。いいことは忘れ、悪いことばかりを思い出す人ではなさそうだ。
 田村は悪いことを忘れない人で、いいことは忘れる人。これは友人とは対照的。
 君はどの時代がよかったかねと友人に訊かれ、田村は数少ない中から、あれやこれやと思い出していた。楽しかったことはあったようだが、些細なことで、瞬間的な小さなことが多かった。たとえば海水浴場で食べた西瓜。それにかき氷が乗っており、その蜜と西瓜の甘さが溶け合い、もの凄く美味しかった。
 果たしてこれがいい頃の思い出だろうか。悪いことがある時期でも、その海水浴場の西瓜を食べれば、やはり美味しかったに違いないが、あまりいい時代でなければ泳ぎに行こかと考えもしないかもしれない。ただ、この海水浴場へは家族と行った子供時代。
 それを友人に話すと、戻りたいかね、と聞かれた。田村は戻りたいと答えたが、すぐに否定した。
 どうして、と聞かれたので、そこからが辛いと答えた。何が辛いのかは、その後今日までの期間の艱難辛苦を思い出したとき、またそれをやるのかと思うとぞっとしたから。
 そういうのを乗り越えて今日、ここにいる。楽しいことよりも辛いことを繰り返したくはない。
 では今が一番いいのかね、と聞かれたので、そうかもしれないと答えた。今の方がましなためだ。
 今度は田村が友人に聞いてみた。すると、大きな賞を頂いたときだという。彼は研究家だ。その成果が最大限に出た頃だろう。田村も覚えている。一番いい時代のはず。当然の答えだろう。
 あれをまたやりたいので、また研究を続けているらしい。
 でも成果が出るまでが苦しいだろうと聞くと、結果よければ苦しいことは帳消しになるらしい。
 真っ当な考えだ。
 陽を思う人と陰を思う人がいる。陽気な人と陰気な人。
 田村は自分は陰気な人間なのだと、改めて思った。
 
   了
 



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2019年07月18日

3452話 普通


「あの人は普通にしておれば強いのですがねえ」
「そうですねえ、まずは負けないでしょ」
「負けないことは強いこと。しかし、なぜ普通にしないのでしょうねえ」
「色々と思うところがあるからでしょ」
「思いすぎて、空回りする」
「いやに攻撃的になったり、逃げ腰になったりと」
「それが作為的すぎのでしょ」
「作戦でしょ」
「それが外れるから負けるのです」
「はあ」
「普通にしておりゃ勝てるのに。勝てないまでも負けはしないのに」
「普通って」
「いつも通りでいいのですよ。下手に弄らない方がいい。作戦が外れて逆目に出る」
「言って聞かせてはいかがです」
「言ったよ。普段通りやってりゃ大丈夫だと」
「それを聞かないのですね」
「しっかり聞いてくれた。真剣にね」
「それなのに」
「それなのにね、普通に徹しすぎて臨機応変さまで捨てた」
「何処までが普通なんでしょうねえ」
「だから、普通の動きだよ。自然にそうなるでしょ。普通は。難しいことじゃない。普通といってもずっと普通じゃないでしょ。それなりに自然とずれたり、違うことをたまにする。しかしあの人はそうなるところを強引に普通に振る舞おうとした。まあ、私の意見を聞いてくれたのでしょうがね」
「今度は普通に徹しすぎたのですね」
「そうです」
「どうしましょう」
「好きなようにやらすしかない」
「じゃ、また妙な作戦を立てたり、深く考えすぎたりして、普段通りじゃなくなりますよ」
「あの人にとっての普通はないんだ」
「そうなんですか」
「私たちが思っているだけで、それはあの人にとっては普通じゃないのかもしれない」
「要するに考えすぎるのはあの人にとっては普通なのですね」
「そうですね。それで自分で決めたことは生真面目に守る。絶対にずれない。軸がぶれない」
「惜しいですねえ」
「だから、余計なことはもう言わないようにしましたよ」
「しかし、あの人の作戦、たまに当たって、凄い結果を残すことがありますよ」
「うまく填まったときはね。しかし滅多にない。トータルすれば結果はよくない部類ですよ」
「そのあたりをまたアドバイスされてはいかがです」
「それを言えば、またそのことばかり意識して、何ともならんよ」
「じゃ、放置」
「普通にやればうまくいくのに、惜しいねえ」
「難しいですよね。普通って」
「まあね」
 
   了



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2019年07月17日

3451話 社神


 西村は一流企業の正社員だが、業種とはまったく関係のない仕事をしている。そういった雑用的なことは珍しくはない。そのため、社の本業と関わりは何もない仕事なので、業務内容に感しても疎い。よく耳にする企業なので、誰でも知っている。それでその業務と関連付けた印象を人に与えてしまうのだが、関わっていないのだから、詳しいことは分からない。
 その社にいるからといって、その社らしい人とは限らない。
 西村には同僚がいない。上司はいるが、その上司も西村に任せている。今では一番詳しいのは西村だが、担当になってから学んだもので最初は素人に近い。
 同僚に近いのは冠婚葬祭、特に葬式系の担当者だ。しかし専任ではない。
 西村の直接の上司は、総務とか庶務とかではなく、会長。係長、課長、部長、専務、社長を飛び越して会長。しかし、西村はまだ若い。
 別の特務を帯びているわけではない。なぜなら社の業務とは関係しないためだ。
 西村が担当しているのは神様。社神というのは存在しないが、会長が昔から信仰している神様がいる。社長は息子ではないので、関係はないのだが、一応社神となっている。会長時代に決まったことで、会長が会社を興す前からの神様。会長が子供の頃から庭にあった神様で、だから会社とはまったく因果関係はない。業種にあった神様ではなく、会長の家に昔からあった庭の祠。そこに祭られていたのが白髭様。これが社神となり、それを祭る一室が社屋にある。西村はその担当。だから神主のようなものだ。
 西村は五代目に当たるらしい。担当者が地方へいってしまったので、その後任。
 西村はそれまでは研究室にいた。特に成果はないものの、この社の業務と深く関わる大事な仕事だった。
 会長が研究室を視察に来たとき、西村の顔を見て、これはいいと思ったようだ。神主顔というのはどんな顔なのかは会長のイメージを超えない。会長だけが思っている雰囲気だろうか。
 西村は公家のような顔をしている。ドラマなどで出てくる公家顔に近い。それと神主のイメージがだぶるのか、会長は、こいつだと後任に決めたようだ。印象としては眉が薄く、唇が薄い。
 白髭明神とは猿田彦のことらしいが、会長が聞いているところでは、ただの白い髭を生やした仙人のような老人で、いわばただの縁起物。家の守り神らしい。
 会長の家と会社とは関係はないが、それを持ち込んでいる。息子はいるが、出来が悪いので、右腕と頼む部下を社長にしている。だからこの社長は白鬚様を見ても何とも思わないらしい。お稲荷さんやエビスさんのような商売繁盛とか、豊穣とか、その程度の認識。
 この神様、本社社屋だけではなく、支店、営業所にも祭られている。西村の担当はそれらの管理。
 社外にあるネット系のサーバーをたまに見に行くようなものだ。動いているかどうか、コードが外れかけていないかとか。
 当然祝詞もある。これは白髭明神とは関係のない言葉で、会長宅に伝わっている。ただの土着信仰、民間のマジナイのようなものだが、その文句を一応西村は諳んじられる。お経よりも意味が分かるので、覚えやすかったらしい。
 全国に散らばっている支社支店、営業所、そういうところを全部回る。
 だから社の業務とは全く違うが、意外と全部の施設を回るので、これは隠密ではないかと言われている。お庭番のようなものだ。
 しかし、そんな使命は会長からは受けていないようだ。
 
   了
 

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2019年07月16日

3450話 丸い石


 妙見坂を登ると轟町に入る。昔この坂の近くに妙見堂があったらしいが、今はない。ただ石饅頭程度を祭った祠はあるが、妙見さんとは関係がないようだ。しかし、妙見堂よりも古いらしいが、詳しいことは分からない。ただの石饅頭で、何を祭っているのかはもう誰も知らないし、この程度ものは記録にさえ残らないだろう。
 妙見堂が建ったのは江戸中期とされており、これは建てたお寺の記録に残っている。寺が建てたのだが実は神社。目の神様だと言われている。北斗七星と関係する妙見菩薩から来ているのだが、そのお寺の宗派とは違う。その寺は禅宗。この寺は引っ越して、この坂の近くにはない。引っ越した時期と、妙見堂がなくなった頃とが近い。
 それよりも前にあったとされる石饅頭の祠だが、これとの関係は分からない。どちらも妙見坂沿いではなく、少し離れたところにある。坂の名はあとでできた通称で、妙見堂があった頃に付いたのだろう。
 この石饅頭の祠、今も残っており、近所の人が管理している。自治会ではなく、お参りに来る人達だ。祠は公道ではなく中村という土地の人の庭にある。それが通りと面しているので、開放している。その通りは妙見坂と交差している。
 おかしいのは、何の謂われも言い伝えも伝説もない石饅頭が長く保存されていること。また、祠は何度か建て替えられている。犬小屋程度の大きさだが、今残っているものはコンクリートの台の上に固定されている。
 これで、年寄りがしゃがみ込まないで、手を合わせることができる。
 由緒正しい妙見堂が消え、何かよく分からないものが残った。
 中村家の所有となっているが、このあたりは中村姓が多く、農村時代は田んぼも多く持っていたのだろう。中村家の母屋や塀などを建て替えたときも、この祠のある場所はそのままにしている。塀の外にあるためだ。敷地の角にある。
 中村家も、その石饅頭の信者のようなものだ。この家がその気になれば、いつでも取り壊せる。
 しかし、何を信仰しているのだろう。妙見さんは目に効くということで、はっきりしている。妙見さんは星の神様なので星を見ると目がよくなるとされているので、その関係だろうか。だからお寺がそれを目的に建てたのだが、流行るどころか廃れてしまった。そして本寺も廃れ、引っ越した。
 因果関係があるとすれば、石饅頭との関係だろうか。
 その石饅頭、漬物石程度の大きさで、ただの自然の石。何も刻まれていない。当然お顔もない。ただの丸っこい石なのだ。何処からこんな石が出てきたのかは分からない。河原か何処かにそんな石があったのだろう。誰か拾ってきたのか、またはまったく関係のないところから運び込まれたのか、一切分からない。
 昔からここに在るとされているが、それは噂。つまり村ができる前からその石はあったと。
 最初から正体が分からない石なので、なんとでも話を盛れる。
 ここに参る人は、好き勝手で、つまり自分の都合に合わせた効能となる。地蔵でもなければ不動さんでもない。またお稲荷さんでもない。水神さんでもない。無印なのだ。だから神でもあり仏でもあり、何でもありかもしれない。
 名もなく由来、謂われもない祠。不思議な存在だが、近所の人達にとってはごくありふれた存在らしい。
 
   了



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2019年07月15日

3449話 訳の分からない人


 友田はある日突然気落ちしたような気分になる。これは上へ行くほど落ちるようだ。登った分だけ落ちるのだろうか。しかし、かなり落ちる。実はこの降下気分を味わいたいがために登るのだろう。しかし、そんな気はないのだが、ある程度上り飽きたところで、すっと落ち出す。まるで気落ちしたように。
 気持ちが落ちる。沈む。これは何かと考えた。頂上が見え始めた頃に、それが起こるようで、目的とするものが、すぐ近くに迫ったとき、ふと降りてみたくなる。下へ。だから落下。
 これは頂上を眺めたとき、この程度か。と思うためだと友田は自覚している。上り詰めても仕方がないかと。
 目的を果たせば喜ばしい。全ての努力や蓄積がここで一気に花開く。だからもうそこに手が届いているのだから、登り切ったほうがいいはずなのだが、そうならない。
 これは事柄にもよるのだろう。たとえば簡単に手に入るもの。誰でも手に入るものなら、問題はない。目的を果たす。石けんを買いに行き、石けんを手にする前に買わないで戻ることはないだろう。石けんを買うなどは難しい問題ではないためだ。
 また貰えるものは貰う。これも簡単に手が入るため。
 そのタイプではなく、長く願っていたものとか、それまで懸命にやってきたことに対して、それが起こるようだ。
 頂上が垣間見えたとき、興ざめするかのようになる。これが欲しかった目的なのかと、がっかりする。思ったよりも大したことがないと。
 そして、ここまで登ると、もうあとは簡単。いつでもまたここまで来ることはできる。それが分かっただけで、満足したりする。目的を果たすよりも、果たせることが分かったことだけで。
 そして目的を果たしてしまうと、それで一巻の終わり。そこが果てなら、もう先はない。これが寂しいのかもしれない。
 それで、スーと降下し、下の方で暮らす。別にそこに家を建てて住むわけではないが、ポジション的に下位へ行く。そのあたりにいた頃が一番楽しかったのだろう。
 目的を果たした人はその瞬間の歓喜はあるだろうが、そのあとがいけない。あまりいい感じではないことを見ているため。
 友田はそれで降下したあと、また徐々に登り出す。いったい何をしているのだろう。
 世の中には訳の分からない人がいるものだ。
 
   了


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2019年07月14日

3448話 寝る前


 夜も深まっている。まだ寝る時間ではないが、この時間帯には既に眠りに入っている人も多いだろう。田中は夜更かしが日常化しているので、その夜も普段通りで、今布団に入ると逆に早寝となる。だから遅い時間帯だが決して夜更かしだとは思わない。
 いつもの寝る時間を過ぎてもまだ起きていると、これは夜更かしになり、そろそろ寝ないといけないと思うだろう。翌朝いつもの時間に目が覚めたとしても、夜更かし分睡眠不足になる。睡眠がわずかでも足りないと、その日はコンディションが変わる。一日眠いわけではないが、何かすっきりとしない。
 その夜も、もう遅いので、わずかな時間しか残っていない。当然用事のようなものは夕食を食べてからはもうしない。寛いでいるだけ。
 そして寛ぐのにも疲れてきた深い時間帯、ここが好きなようで、一日が完全に終わる直前。しかし、まだ間がある。もう別のことをして過ごすという気もなく、聴いていた音楽も止め、ぼんやりとネットを閲覧している。いつも決まって見るコースがあり、そこを見て回るのだが、チェックしている程度。場合によっては同じサイトを何度も見たりしている。朝見たときと同じのをまた見たりする。そういうサイトは一日一度更新される程度で、場合によっては一週間ほど変化がない場合もある。ニュースなどはよく更新されるが、見出しを見るだけで、本文まで読む記事はめったにない。
 だから見るといっても瞬間、そのほとんどは前回見たときと変わっていなかったりする。何かの目的があって見ていたのだが、今はチェックするだけのものが多い。実は立ち止まりたくないのだろう。変化がないことを確認しに行くようなもの。また変化がないから行くようなもの。見て回るだけでいい。しかし、実際には見ていないのに等しい。
 また、この時間から映画やドラマを見るには重すぎるし、またそんな時間もない。それこそ夜更かしになる。
 もう寝る前のわずかな時間帯。田中はここが好きだ。特に変化のない一日でも、それが終わろうとしている。もうすることは残っていない。なので何もしたくない。その日、一日する用事は終わったのだから。
 これは大晦日に一年を振り返るほど大層なものではないが、それに近い。
 こういうとき、昔のことが頭をよぎる。特に昔関係した人々だ。それらの人達は今どうなっているのだろうかもあるが、ただ思い出していることのほうが多い。それらのキャラが自動的に立ち上がり、まるでドラマのワンシーンのように蘇る。
 その中でも、遠に忘れてしまい、思い出すこともなかったようなキャラが起き上がってくることがある。まるでゾンビだ。
 このチャンネルは自動選択のようで、何が来るのかは分からない。
 プライベートな時間帯とはこのことだろう。自分にしか分からない世界。誰かと共有しているのだが、もうその機会がなかったりする。つまり「あの頃はああだった」「そうそうそうだった」とあとで一緒に思い出すような。
 これは立ち上がってくるキャラによりジャンルが異なる。不快な思いをした人達を思い出すと、胸くそが未だに悪い。嫌なものが立ち上がったと後悔するが、自発的に思い出したわけではないので、後悔も何もないのだが。それはすぐに止める。
 当然過ぎ去った過去だけではなく、先への思いも出てくる。そういうのが回り出すともうそろそろ布団に入る時間。結構しみじみとなったあたりがいい頃合い。これはいいものを思い出したときだが。
 寝る前のわずかなこの時間、田中はいつも小さな自分に戻るようだ。
 
   了



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2019年07月13日

3447話 簡単なもの


「簡略化ですか?」
「そうだ。簡単にしようと」
「今でも結構規模を小さくしていますよ」
「もっとだ」
「これ以上減らすと、もうやっていないような」
「もうやめてもいいんだがね。それじゃ寂しいだろ。だからまだやってます程度の規模でいいんだ」
「分かりました。しかし盛り返した場合、困りますよ」
「その心配はないし、私ももうやる気はない」
「じゃ、どの程度まで落とします」
「最低限まで」
「じゃ、かなりの省略になりますが、かえって手間がかかるかもしれませんよ」
「ゆっくりでいい」
「はい」
「規模縮小。これがいい」
「はい」
 ところが簡略化し、規模も落としてから、急に流行りだした。
「注文が来てます」
「何だろう。苦情か」
「依頼です」
「その注文か」
「どうしたのでしょうねえ」
「分からん。間に合うか」
「簡略化しましたから、大丈夫です」
 さらに依頼が続いた。
「不思議だねえ。いわば手を抜いてから流行りだした」
「粗悪品ギリギリですよ。しかも設備を減らしましたので、ばらつきも多いです」
「何だろう。やる気をなくてからこの祭り騒ぎは」
「そこまで賑やかじゃありませんが。注文が殺到しています。また機械を入れましょう。これじゃ間に合わない」
「急げ急げ、急げ幌馬車」
 しかし、以前と同じ設備に戻し、丁寧で精度の高いものを作り出した瞬間、注文がガクッと減った。
「何だろうねえ」
「分かりません」
 依頼が減ったので、また簡略化した。
 するとまた依頼が来始めた。
「やはり簡略化だ。簡単なものが好まれたんだ」
「まるで夢のようですねえ」
「夢だ」
 
   了




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2019年07月12日

3446話 元気のないとき


「元気のないときはどうしてます」
「私に対する質問かね。それとも君のことかね」
「私的でも一般的でもどちらでもかまいません」
「まあ、これは私的なことなので、私だけに当てはまり、君には当てはまらないかもしれませんよ」
「結構です。参考にしますから」
「元気のないときは落ち着くでしょ」
「はあ?」
「ほら、ここで思い当たって貰わないと、先を喋っても無駄です。どうです」
「元気のないときは落ち着く……ですか」
「思い当たらない?」
「今、考えています」
「じゃ、思い当たらないんだ」
「気が小さくなり、萎縮し、大人しくしていようと思いますが、これが落ち着くということなのですかねえ」
「おそらく。そして、それが君の標準なんだ」
「はあ」
「元気のあるときの状態を標準にすると、あとが厳しい。元気であることが条件になりますからね」
「ああ、思い当たりました」
「そうでしょ」
「しかし、元気を奮い起こさないとやっていけませんが」
「あ、そう」
「そのときはどうするのですか」
「それは元気な態度ばかり見せているからでしょ」
「じゃ、もう手遅れですねえ」
「まあ、いつも元気だとは限らないのでね」
「元気のないときでも元気な振りをしていました。それが辛くて辛くて」
「元気のないときの空元気、これは疲れます」
「それで余計に元気が減る一方でした。今はその状態で、すっかり底です」
「それが君の標準だと思えばよろしい。それが基準で、いつもその状態を維持することでしょ」
「元気を出さないということですね。でも、そんな気力のなさでは」
「それと私的な話になりますが、体調があります。意外とその影響が大きいですよ。あまりにも個人的な話なのですがね」
「今気付いたのですが」
「何かね。私の健康状態かね」
「いえ、師匠はいつもしんどそうにしているのは、そのためかもしれないと。体調じゃなく、元気なときでもしんどそうな態度ですから」
「そうだろ。私は元気がないだろ」
「それは偽装ですか」
「さあ、癖になってしもうてな。このほうが楽なんじゃ」
「僕は元気のないときでも元気そうにしていますから、色々と期待されます」
「期待して欲しいからじゃろ」
「まあ、そうですが、しかしもうくたびれました」
「元気でない状態のときを維持しなさい」
「しかし」
「元気な方が楽しいのでしょ?」
「そうです」
「まあ、そういう元気は自然に出てきますよ」
「そうなんですか」
「元気は天気と同じ。コントロールすると不自然じゃ」
「はあ」
「元気なときは隠しなさい」
「もったいない」
「だから、こればかりは私的な見解になるので、君には当てはまらないのでしょうなあ」
「でも参考になりました」
「あ、そう」
 
   了




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2019年07月11日

3445話 原点に戻れ


 日常化したもの、最近やっていること、いつも通りのやり方、等々形ができてしまったものがある。いつの間にかそうなっていたことも多い。不都合があり、それを治しているうちにできてしまったスタイルとか、今では型にはまり、パターン化したもの。
 そういうのも日々の中で徐々に変化し、または古くなってくると、新しいものに置き換えられる。特に意識しなくても、十年前買った家電が故障したので、新しいのを買いに行くと、もうそんな十年前と同じようなものはなく、今風なものに変わっている。最初は戸惑うが、そのうち慣れてくる。
 だから十年、二十年年前のスタイルとは違っている。そして原点。
 原点に戻れというところの原点。これは何処にあるのだろうか。過去の何処かの時期にあるはずだが、うんと遡れば赤ん坊になってしまう。
 これはスタイルのスタイルが決まりだした頃から固まっていくのだろう。そして、何かの原点とは、そのきっかけとなった時期だろう。そのときのスタイル。それを原点と呼ぶなら、ほとんどのことはその原点から離れてしまっており、違うものに変化していたりする。先ほどの家電と同じだ。ただ、自分のスタイルに近いものを選ぶはずだが。
 つまり原点は移動する。それでは原点とは呼べないのだが、意味として、架空の原点のようなものが抽象化されて存在するのだろう。ないのだが、ある。幻の原点だ。
 そして、本当の原点はそれほど遠くはない。うんと昔ではなく、つい最近だろう。つまりこの前まで使っていたものとか、やり方とか、スタイルとか、そういったものだ。それは本来の原点から見ると子孫だろう。その最先端が今なのだが、これは変化していく。過去は変えようがないが、ここは変わる。また変えざるを得なかったりする。自分は変えたくなくても、時代が変えることを強制したりする。
 だから原点はついこの前まで日常的にやっていたことと考えれば、これは原点というような大層なものではなくなる。
 しかし、原点に戻るよりも、その最近の、少し以前には戻りやすい。つい先月とか、去年の今頃とか、そのあたりの距離なら、見えている。そして具体的だ。
 だから原点は比較的新しい。それを原点と言えるのは定着していたためだろう。いつもの物とか、いつものやり方とか、そういうパターンが出来上がっている。この少し前にある原点なら分かりやすい。
 原点に戻れとは、新たなものをやろとして失敗したときに多く使う。新たなものがいずれ原点のようなものになるとしても、それがなかなかパターン化しなく、また馴染みにくかったり、または間違っている可能性がある。だから一つ前に戻れ、上手くいっていた頃に戻れ程度の原点の使い方のほうがいい。
 原点の子孫達が、原点を塗り替えていく。そして本当の原点は、今では通じないような原点になっている。時が流れ、周辺も変わり、また本人も変わるためだろう。
 その意味で、ありもしない原点復帰など、リアリティーがなく、夢を見るようなものだ。
 遠い原点には戻れない。だから敢えて、そこへ戻れと願うのだろう。
 
   了

 


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2019年07月10日

3444話 不戦の人


 芝垣は勝つ戦いしかしないので、これまで戦ったことがない。いずれも負けそうなので。
 不戦不敗とはいうものの、戦わないこと即負けになることが多い。だから不戦不敗ではない。戦わないと負ける。ただ、戦ったときよりも負け方が楽。
 負ける戦いはしないが、勝つ戦いもできない。勝てそうな戦いがないためだ。戦いというのは勝てばいいわけではない。そのあとだ。勝つことで獲得できることがある。そこに魅力があるので戦うわけだ。戦うために戦うわけではない。
 それで勝てそうな戦いも今まであったのだが、勝っても益するところが少ない。ない場合もあるし、逆に負担になったりする。それなら戦わないほうがまし。勝てるが戦わない。
 勝っていいことがある戦いはいくらでもあるが、その中で勝てそうなものはほとんどない。だから戦えない。
 勝率が五分とのときは戦わない。五分五分、互角なら大したものだが、勝つ保証はない。
 勝つか負けるかの予測は芝垣が決める。これはかなり控え目で、五分以上の勝算でも、五分と見なしてしまう。だからこれは勝てる戦いだったことになるが、僅かに強い程度では危ない。余裕がない。
 勝負はやってみないと分からない。勝てるはずの敵にも負けるし、勝てない相手に勝ったりもする。芝垣もそれは分かっている。しかし博打はしたくない。
 不戦の人として芝垣は有名だが、実際には勝てないためだ。また勝てると踏んで戦わないため。そのため、戦いを避けているわけではない。勝負するだけの自信がないためだろう。
 それで、臆病者としても有名になる。戦わない争わないは臆病から来ているのだが、それは芝垣も自覚している。
 どうしても戦わなくてはいけない状況に陥ったとき、真っ先に降参する。これは素早い。意地も根性もない。降参が許されない場合は、逃げるしかない。
 こういう人が凄い人になれるわけがない。ましてや人の上に立てるような。
 しかし、何処をどう間違ったのか、不戦を続けたり、降参したり、逃げたりしていたので生き残った。
 そしてかなり高い地位に就いた。
 実力はなく、臆病なだけの人なのだが、不思議な話だ。
 
   了
 


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2019年07月09日

3443話 籠城


「道はあるのか」
「怖いのは味方だ。敵はそこまで近付いていない」
 昨夜、籠城と決まることが分かった。打って出るだけの兵はあるが、立て籠もることにした。援軍は来ない。周辺の城は落とされている。本城だけとなり、敵の大軍を野戦で迎えるには厳しい。
 籠城即城を枕に討ち死に。粘っても数ヶ月持たないだろう。兵糧も、そのあたりで尽きる。
 それが決まる前に、籠城となることが既に分かっていた。おそらくそうだろうということは考えなくても分かる。
「道はできておるのか」
「何度も聞くな。手はずはできておる」
「怖いのは味方だといったな」
「抜け出すのだからな」
「うむ」
「今なら籠城は決定していない。だから抜けやすい」
「こんなところで、死ぬのは嫌だからな」
「ああ、落ちよといってくれないだろう。そんな主君じゃない」
「残る者だけは残り、とかいってくれれば助かるのに」
「そうだな。命は惜しい。忠義よりもな」
「そうとも。しかし何処から出る」
「敵に包囲されているわけではないが、早いほうがいい。もうそこまで来ておるだろ。そうなると包囲され、逃げにくい」
「早いほうがいい」
「荷物を纏めたか」
「ああ」
「二十人は欲しい」
「それ以上いる」
「じゃ、それで周辺の見回りということで城外に出ることができる。一人でこっそりと出るから怪しまれるんだ」
 この脱出組は全て足軽。ただの槍組の歩兵。
 数カ所ある門の中で、裏口からこっそりではなく、正面にでんとある大手門から抜け出した。一人は馬に乗り、組頭の扮装をした。足軽二十を引き連れて周辺を守るためだ。
 籠城とはいえ、城内に立て籠もっているわけではない。城内近くの道や要所に柵や関所を設け、人の出入りを監視している。そこで戦うのではないためか、兵は少ない。これは城内に侵入する間者を警戒する程度なので。
 それらは外から来る。しかし、脱出組は内から来る。当然顔見知りの同僚達だ。怪しまれるわけがないが、この時期なので、脱走兵と間違われる可能性も否定できない。
 城門を出てすぐのところに柵があり、雑兵が数人いる。士分はいない。
「植田八右衛門以下槍隊通る」
 そんな侍はいないが、雑兵たちもそこまで調べない。ただ、一人、知っている者がいた。
「あ」
「弥二郎か」
「見逃せ」
「わしらも寄せろ」
 雑兵しかいないので、話は早い。
 彼らもその気だったのだ。
 最後の会議が城内大広間で行われたが、その時既に家来は三分の一まで減っていた。
 籠城の噂を聞いた士分達も、足軽雑兵と同じように逃げ出していたのだ。
「まあ、よい。兵糧に余裕ができる。より長く持ちこたえられるじゃろ。当家の意地を示し、その武者振りを示してくれよう」
 これで正式に籠城と決まった。
 籠城のための準備中、一人二人と、出ていく者がおり、重臣などは大隊を組んで堂々と逃げ出した。
 先に一番最初に逃げ出した与次郎以下二十の足軽隊は、後方に異変を感じた。土煙や馬のいななき、荷駄の音までする。
「なんじゃあれは」
 旗指物も馬印もない武者が近付いて来る。
「味方じゃ」
「さては追っ手」
 しかし、同じ脱出組だとすぐに分かり、そこで合流する。
 そのとき、前方に敵が現れた。到着した一隊が陣張りでもしているのだろうか。
 しかし、弥三郎達を見て、城からの襲撃と思い、鉄砲を撃ちかけてきたが、遠すぎて、届かない。急なことで慌てたのだろう。
 弾の装填までの間を狙って弥二郎の槍隊が突撃し、その後ろからおびただしい数の脱出組の兵が続いた。
 結果的には城から打って出たことになる。
 寄せ手も籠城だと思い切っていたので、これには驚いた。
 そして、そのまま敵の本体に突っ込んだ。敵はまだ長蛇の列のまま、陣形など組んでいない。
 そこに向かい突撃したので、敵は道を開けた。
 しかし脱出組の兵は戦わないで、ただひたすら走り抜けた。
 もしこのとき、本気で戦えば、敵にかなりの損害を与えていただろう。もしかすると勝っていたかもしれない。
 城内でその報を聞いた籠城組の重臣達は、惜しいと一声発した。
 
   了
 


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2019年07月08日

3442話 遊軍が立ち寄った村


 榊原の大軍は敵側面を襲うため大きく迂回していた。遊撃隊のような振る舞いだが、実はこれが本軍であり、主力。榊原家の馬印が見えるので、それと分かる。まさに堂々とした遊軍だ。別に遊んでいるわけではない。
 榊原家は大きく、正面から本街道を進む隊も規模は大きい。これは見せかけの主力ではなく、本物なので、こちらのほうが実は兵は多い。主力なのだから当然だろう。
 だが、当主は遊軍の中にいる。側面を突くという作戦を見たかったのだろう。
 ところが迂回しすぎたのか、榊原領を当然出ているが、敵の領内ではない。目前の敵ではなく、この辺りを勢力下に治めている下沢領。こことは敵でもなければ味方でもない。それほど大きな勢力ではない。下沢という勢力があることは知っていたが、何処から何処までが下沢領なのかは実際には分からない。はっきりとした国境がなく、出城も砦もない。
 榊原家とも隣接しているが、その中間は緩衝地帯のような荒れ地があり、そこには村も何もない。だから隣接しているといっても、境が曖昧なので、榊原領内にも出城はない。警戒する必要がないためだ。
 さて、その下沢領の中に入り込んだことを側近が知らせるが、下沢の兵が出てきたわけではない。小さな村があり、普段通りの暮らしをしている。ここは下沢領に属する村なのだが、それも曖昧。下沢家そのものが榊原家のような領主とは少し違うのだ。だから領主と領民という関係が希薄なのが下沢家の特徴。
 また、下沢家の勢力圏内にあっても、独立してる村がいくつもある。年貢を払っていないのだ。
 ある意味、この下沢領は平和なのだ。戦いが少ない。領内での争いはあるが、村と村の争い程度。下沢家が仲裁に入る程度だが、村同士が解決していることも多い。問題は外からの攻撃。そのときばかりは下沢家が兵を集め、外敵から村々を守るのだが、一番隣接しているのは榊原家で、下沢領には興味がないようで、侵略しに来ない。山岳部の中の村々など治めるのが大変ということもあるし、奪い取るほどの場所でもない。これが今後戦略上重要な軍事拠点になるのなら別だが、下沢の山々の向こう側はさらに山々が連なる。そんな奥へ進んでも仕方がない。
「どう致しますか殿」
「知らずと入り込んだ」
 しかし下沢領に大軍で入り込んだことにはかわりはない。村人も驚き、すぐに下沢家の館へ人を送った。
「丁度よい、休憩致そう。馬も水が欲しいじゃろ」
 殿様と旗本の一部だけが一番大きな農家で休んでいると、すぐに使いの老武者が来た。鎧は着けてない。
「えーと、どなた様でしたかなあ」
 取り巻きに、それとなく聞くと、お隣の榊原の殿様らしい。しかもおびただしい大軍。だが、攻めてきたとは考えない。そんなことは一度もないためだ。
「用はない。休憩で寄った。領内を通るが、いいかな」
「ああ、戦でござりましたか、前田殿ですかな、敵は」
「ああ、宿敵なのでな」
「それはそれは」
 下沢の老武者は村人に命じ、行く先々の村々に、お通りじゃということを伝えに行かせた。
 前田家との戦いは、この遊軍が横から突いたため、大勝利を収めた。
 この榊原の若き領主は、その後領土を広げ、大大名になるのだが、本領のすぐ近くにある、あの下沢領のことなど、すっかり忘れていたのだが、ある日、遊軍で立ち寄ったときを懐かしがり、下沢領は今どうなっておるのかと聞いた。
 すると、相変わらずあの一帯は下沢家が押さえているとのこと。もう数十年経つのだが、相変わらずらしい。
 秀吉が天下を統一し、家康が幕府を開いたあとは、この下村領は榊原家の藩領に組み込まれたが、相変わらず下村家に任せたままのようだ。
 
   了

 

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2019年07月07日

3441話 再開


 最下層に落ちたが、再開することにしたようだ。「辞めるのではないのですか」
「休んでいただけ。死んだふりをしていただけ。そういう虫がいるだろ」
「でも、再開しても、無駄ですよ」
「休憩している間、いろいろ考えたのだがね。他にすることがない。思い付かない。それで、再開することにした」
「それは結構ですが、先が」
「いや、この最下層の下はない」
「はあ」
「これ以上落ちない。不動の安定した層なんだ」
「そうなんですか」
「意外とこれがいい。安心だ」
「いやいや、この層にいることが問題なんですよ。安心どころから一番駄目な層なんですから」
「そうとも言えるが、考え方次第」
「低い層でもかまいませんが、以前のように、その中でも中頃にいました。中層や高層は無理でしたが、下層の中程。これはやっていける層です。そこから落ちると、もう成り立ちにいくどころか、成立しません」
「あ、そう」
「だから辞めていたのでしょ」
「いや、休憩だ」
「休憩中、何を考えていたのですか」
「再開についてだ」
「ここまで落ちると、もう諦めなさいということです」
「通常はね。しかし、発想の逆転だ」
「ただの無能です。無茶です。発想にも当たりません」
「まあ、そういいなさんな、他にすることもないでしょ。君も暇でしょ」
「まあ、そうですが」
「だったら、何かをやっていたほうがいい。それで再開に踏み切った」
「あのう」
「何かね」
「最下層にいることそのことが恥なんです」
「あ、そう」
「いたたまれませんよ。だから辞められたのでしょ」
「休んでいただけ」
「いや、やはりショックで、倒れていたようなものですよ。休憩じゃなく」
「まあ、そうなんだがね」
「じゃ、どういう了見なのです」
「いや、最下層がいいような」
「よくありません」
「今後は上を目指さない」
「あのう、この最下層は、上にいくためにあるのです。ここはとどまる場所じゃありません」
「いいじゃないか。この最下層を堅持し、ここを拠点にする」
「何か悪い本、読みましたか」
「読んでいない」
「知恵を絞りましたか」
「絞った」
「愚です。再開するのは」
「誰も選ばない」
「当然です」
「そこが盲点なんだ」
「はあ」
「最下層で花を咲かせる」
「陽が当たりませんから、咲くでしょうかねえ」
「日影の花というのもある。直射日光に当たらなくても間接光が来ている」
「はい、そこまで言われるのなら、やりましょう」
「よし、やろう」
 
   了


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2019年07月06日

3440話 大海を知らず


 梅雨でジメジメし、身体も湿りがちで、気圧の低さのためか、ぐっと身体も重く、呼吸も息苦しい。まるで喉が細くなったような。
 こういうとき、ガクッと体調を崩し、思わぬ病を得るかもしれない。ただ、岸和田の場合、常に体調が悪いためか、それが日常になっている。今まで元気だったのにガクッと、いうわけではなく、今までも元気がないので、目立たない。
 しかし、この期間、岸和田は意外と好きなようだ。雨が好きというわけではないが、この湿気が潤滑油になるらしい。まるで雨にオイルが混ざっているわけではないが、動きがスムーズになる。これは特殊体質だろうか。亀などはのろいので有名だが、水を得るとものすごく素早い。浅瀬の底を泥煙を立てて走る姿をウサギに見せたいところ。当然泳ぎも早い。まるで潜水艦。
 岸和田は両生類ではないが、顔が亀と蛙の間に似ている。どちらも水中移動に対応しているのだろう。
 梅雨時で体調が悪いのだが、この悪さは岸和田にはいいようで、その理屈が分からない。悪いのにいい。
 体調が悪いとテンションが下がり、何もしたくなくなる。何をしても元気がない。覇気がない。これがいいのだ。つまり落ち着く。
 クールダウンしすぎているのだが、冷静な判断ができるようで、低回転を保っての動きは意外と活発で、シャープ。
 しかし、身体は重く、気も重い。重いなりにもスムーズ。ここが妙なところだ。かなり矛盾しており、物理法則にも精神法則にも反する。
 亀は掴み所があるが、蛙は何処を握ればいいのか迷うところ。亀の甲羅は触りやすいが、ぬるっとした蛙は何処を触っても気持ちが悪い。蛙は脇の箇所を握るのがいいようだ。
 だから岸和田も掴みどころがないようでも、実際にはある。ただ掴んでもそれほど気持ちのいいものではない。亀の方がましだが。
 ただ、それらは個人内での話で、その外に出るような展開はない。そしてこの個性も世間では通じない。特技であったとしても、それだけのことで、それによって何か大きな仕事をするわけではないし、人から喜ばれるわけでも、大きな人間にもならない。世の中の片隅でギリギリ生きている程度。
 井の中の蛙大海を知らず、とあるが別に知らなくてもいいだろう。
 
   了






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2019年07月05日

3439話 八百万の神々


 捨てる神あらば拾う神あり。神は人を捨てることもあるのだろう。神は我らを見放した、などもある。拾う神は分かる。誰からも見向きもされない人をそっと神が拾ってくれる。その人を救ってくれる。
 人から見ると、人が捨てる神もあるし、人が拾う神もある。どちらにしても神を捨てたりすればバチが当たるだろう。ただ、日本の神は数が多く、そのキャラ性は多彩。悪い神もおれば、貧乏臭い神もいる。人のタイプほど、また災害タイプ分の神もいるはず。
 つまり人と自然のタイプ別に、ほぼ網羅するほど取りそろっている。
 だから捨てる神、人を見捨てる神がいてもおかしくはない。そしてこのときの神は人だろう。捨てる人もいるが、拾ってくれる人もいる。
 捨てられて困っているとき神が現れる。捨てられていないときはその神も現れないかもしれない。その組み合わせ、偶然性が神秘的で、神がかっている。何という絶妙のタイミングかと。
 人の動きや自然界の動き、それを神という名で語っているのだろうか。
 絶妙のタイミングは、神業と呼ばれている。また飛び抜けていいものとかも。人の技とは思えないほど抜け出ているためだ。まあ、人は人なので、その範囲内の話だが。物や機械も、物理的な、その範囲内の違いで、神秘的な力が加わっているわけではない。
 あるとすれば、タイミングだろう。そしてその多くは偶然。神を見るとすれば、そこだろう。
 するとこれは宗教とは違ってくる。万物に神が宿るとなると、ベタベタになる。もう神だらけで、そこまで多いと、神が神でなくなるほど薄いものになる。
 たとえば一発技の神とか。あるポイントだけに表れる神とか。こちらは専門職で、しかもピンポイントだと、そのことしか知らない神だ。その神と出合える人など限られており、一生出合わないほうが多い。
 
   了

 

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2019年07月04日

3438話 メインなき戦い


 もう、どうでもよくなかったことに対し、坂上は元気になる。これはプレッシャーが解けたためだろうか。メインとしてやっているような大事なことは慎重になる。
 しかしメインから外れ、もうしなくてもいいようなものには遊びが生まれる。少し外れても、はみ出しても支障が無いためだ。ほとんど意味がない。本来なら余計なことをまだしているようなものだが、そのやり方が楽になったので、やり方を楽しんでいるようなもの。それが楽しいかどうかは分からないが、メインの事柄ほどには神経を使わなくてもいい。
 だが、最初からもうどうでもいいことではなく、大事なことだった。メインだった頃は真剣に真摯な態度で臨んでいた。これが実はいけなかったのだろう。真面目な態度はいいのだが、それで固くなり、結構保守的になっていた。下手なことをすると失敗するため。失敗するとあとがしんどくなるし、影響も大きい。失敗は成功のもとにはならないで、失敗のもとを作るようなもの。
 ただ、もうどうでもいい事になってしまうと、失敗も成功もない。当然上手くいった方がいいのだが、失敗しても気にならないメリットのほうが大きい。
 失敗がメリットになるのではない。失敗はあくまでも失敗だが、笑って済ませたりできるし、深い傷にはならない。
 それで坂上はこれを活かせないものかと考えた。この方法が楽でいいし、簡単にできる。むしろ坂上らしさが一番発揮できる。いい面が引き出せる。つまり自由に泳がしているほうが坂上には合っているのだ。
 それを活かせないものか。と、考えるが、大事なことでそれを活かすには危険だ。やはり下手なことはできない。
 ということは上手くこなそうとばかり思っていたのだろう。メインなら当然。それが本筋で、遊びではないのだから。
 メイン替え、本流替えをしたのだが、以前、メインで、しかも今はもうどうでもよくなったことだが、そちらをやるときの快適さ、気持ちよさのようなものを、今のメインでも活かせれば、これほどいいことはない。そうなると、このメインも、もうどうでもいいことにしてしまうしかない。
 しかし、そんな発想方法を変えなくても、既にこのメインも怪しいものになりだし、どうでもいいことになる可能性も出てきている。どうせ上手くいかないだろうと、何となく分かるため。
 そう思うと、それほど頑張って大事にやる必要がない。逆に滑稽だ。
 メインを取り外す。メインなき戦い。
 しかし、坂上の場合、そんなことを考えなくても、既にそれをやり続けているように思われた。
 
   了




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2019年07月03日

3437話 絵になる男


 見かけない男が居酒屋の片隅や、安っぽいバーで飲んでいる。男から見ると見知らぬ町でただ一人。それが板に付いたように見事に似合っている。最初から内装の一部のように。
 その男、黒田はそんなことを思い出していた。以前の話だ。そんなこともあった程度。
 見知らぬ町で一人たたづむ男。
 もう黒田はそんなことはしなくなった。これだけ絵になる男なのだが、用事がなくなったため。そのため、わざわざそれだけをやりに見知らぬ町へ出掛けるようなこともない。これはついでだったのだ。
 出張で全国至る所に行かされたことがあり、これがいやでいやで仕方がなかった。しかしいい時代で出張費は出るし、経費を浮かせば毎晩飲んで過ごせる。給料もよかった。
 いま、それをやりたくても、なかなかできるものではない。逆に黒田は出不精で、誘われなければ旅行に出ることはない。仕事で行ったときのついでなのでできたこと。しかし素性を隠し、まるで旅の人、さすらい人のような振る舞い方で通した。
 実態は地方回りの営業マン。しかし、年中旅して回ることには変わりないが、真面目な勤め人だったのだ。
 しかし、あの頃、いやいやながら行かされていた地方都市の数々を思い出すと、一番よかった時代ではないかと回想の中で酔いしれている。
 特にドラマがあったわけでもない。しかし、それを知らない人達にとり、謎の人物で、普通の人ではなく、何か特別な人だと思われていたようだ。しかし一見さんに近く、仕事が終われば、もう二度とその町に姿を現すことはない。
 黒田はあの頃のように、また地方都市の繁華街の夜をウロウロしてみたいとは思うものの、それだけを目的で出掛けるわけにはいかない。
 そして、もう年をとりすぎていた。出掛けるだけでも大層で、ほんの数キロ周辺の町内が、いまの行動範囲。あれほど旅慣れ、絵になる男だったのだが、いまはその面影もない。
 
   了
 


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2019年07月02日

3436話 墓守


 もう注目されにくくなったもの、ピークを過ぎたもの、人気がなくなったものは、元気がない。人気とは人の気、気を引かなくなったもの。しかし人気はなくても、それなりに続いていたりする。
「もう誰も気にも掛けず、気にも留めていないから安心だよ」
「何が安心なのですか」
「だから、気を遣わずできる」
「そうはいきませんよ」
「いやいや、誰も見ていないのと同じなんだから」
「誰かが見てますよ」
「誰が」
「さあ、絶無じゃないでしょ。少し衰えただけです」
「かなりだよ」
「そうですねえ」
「だから、もう適当でいいんだ。あまり熱心にやる必要はない」
「そうもいきませんよ」
「まあ、そこは適当にやってくれ、もう相手にされないんだから」
「ですから、数は減りましたが、見ている人は結構います」
「多いかね」
「少ないです」
「その程度なら、もうこちらも相手にせずともよい」
「でも厳しい目で」
「誰だ、それは」
「分かりません」
「不特定多数の中の誰かだろ。それは幽霊のようなもの。そんな亡霊に恐れる必要はない」
「そうですねえ」
「しかし、やめてはいけない」
「はい、続けます」
「続いているだけでいいんだ。やめていないだけでいいんだ」
「それって、最低レベルですねえ」
「廃れていくものはそんなものだ」
「また、盛り返すかもしれませんよ」
「そのパターンはここではない。一度落ちると駄目なんだ。そのまま世の中から忘れ去れていく。例外なんて何一つない」
「厳しいですねえ」
「だから、こちらも力を入れていない。スタッフも減らしたしね。残っているのは君一人だ」
「責任を感じています」
「いや、感じる必要はない。何とか続けていけばいいだけで、成果など期待していない。それに一人じゃできることも限られるだろ」
「はい」
「本当はやめた方がいいんだがね」
「じゃ、やめますか」
「君はどっちがいい」
「続けた方がいいです」
「そうか」
「一人だと気楽ですし」
「気楽か」
「はい、楽です」
「まあ、考えてみればいいポジションだよね」
「そうです」
「君がやめると、他にやる人はいないからね。人気が無いんだ。誰もそんな墓守のような仕事、したくないからね」
「はい」
 
   了



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