2019年04月18日

3961話 モルス街の悪魔


「十五番街はどちらでしょうか」
「番地で聞かれても、よく分かりません」
「じゃ、モルス街では」
「ああ、猿街ですね。この運河の先です。橋がありますので、そこを渡らず右へ入れば、そこがモルス街です」
「有り難うございます」
「貧民街ですよ。あなたのような紳士が行くような所じゃない」
「少し頼まれものをしたもので」
「気をつけて下さい。治安が悪いので」
「はい、有り難うございます」
 老紳士は運河沿いの道を進んだ。
 橋はあるが朽ちている。途中で骨格だけになり、これでは渡れない。老紳士は渡る必要がないので、問題はないが、橋がなければ不便だろう。見たところ代わりになるような橋は近くにはない。遠くに橋が見えるが、それは鉄橋。老紳士はその橋を列車で渡り、ここに来ている。
 十五番街がある場所は運河を渡ったこのあたりの番地で、そこは港町。
 十五番街、旧名モルス街、通称猿街。
 モルス街はこの港町にある住宅地だが、安っぽいアパートがずらりと並ぶ貧民窟で、猿が人を殺したことで有名になった。
 物騒な街で、殺人事件があってもおかしくないが、その犯人が猿だったことで、世間を驚かせた。
 老紳士はその話とは関係しない。頼まれ仕事は猿ではなく、悪魔。
 壊れている橋を左に、運河道から右へ入ると既にモルス街。五階や六階の高さのアパートが並び、通りがまるで渓谷。木々が生い茂る代わりに、洗濯物がなびいている。
 しかし、港町の景気が悪いらしく、住む人々は年々減っているようだ。
 波止場のすぐ近くまで鉄道が来ている。そこが港町一番街。貨物駅に近い。
 そこから十五番街まではかなり遠く、終点の港まで行くより、運河を渡ったところの駅から歩いた方が早いと教えられたので、老紳士はそれに従っている。
 老紳士は五階建てのアパートの階段を上る。最上階の部屋に悪魔が出るためだ。エレベーターがあるのだが故障しているらしい。それで上の階ほど借りる人が減り、残っているのは悪魔のいる五階の部屋。ここは広いので家賃も高い。
 その部屋のドアを開けるが、これが重い。グワーンと鉄の扉が開き、猿が出てきた。
 猿のような婆さんが、この部屋の主で、依頼者。
 この婆さんが悪魔ではないかと老紳士は最初感じたのだが、そんなはずはない。
 しかし、モルス街の殺人事件の犯人が猿というイメージが付いてまわるのか、悪魔とは猿のことではないかと、既に推理している。
 ただ、この老紳士、エクソシストなので、探偵とは流儀が違う。
 婆さんは色々と怖い話を始めたが、猿がウロウロしていると解釈すれば、全て済むようだ。
 この最上階の部屋には屋根部屋が付くが、そこは物置に近い。
 悪魔がいるとすればそこだろう。
 老紳士は細くて狭い階段を上り、屋根部屋に入るが、意外と明るい。明かり窓から下を見下ろすと、遠くに海が見える。古びた貨物船が浮かんでいる。
 明かり窓はロックもカギもない。猿なら窓を開けて中に入れるだろう。
 婆さんも上がってきたので、そこでお祓いをする。
「これで悪魔は何処かへ行きますやろか」
「はい、大丈夫です。そのかわり、窓のロックを忘れないようにしましょう」
「はい」
 悪魔払いは、それで終わった。
 しかし、その後、また婆さんから手紙が来ており、悪魔の赤ちゃんがいるとの知らせ。
 きっと猿に子が生まれたのだろう。あれだけ言ったのに窓のロックを忘れたようだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:44| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月17日

3960話 選択


 一つのことを思うと、複数のものも一緒に起ち上がる。最低一つ。場合によっては三つか四つ。密度が高いのは一つ。たとえばライバル。自分以外は全てライバルだとすれば、密度は薄くなる。
 これは事柄によって浮かび上がるものが違う。箸の一つでも太いか細いか軽いか重いか滑り具合はどうか、長さはどうかで箸売り場で複数の箸から選ぶことになる。割り箸ならそう変わらないはずだが、竹を使ったものは滑りやすいが丈夫だとか、色々と選択肢がある。
 選択の自由がなくても、もし自由になれば、違う選択もできたはず。
 選択のやり直しもある。綺麗に洗えていなかったので、洗濯しなおすわけではないが、似ていなくはない。選択を汚してしまったとか、選択眼が曇ったとか、選択そのものに問題があったりする。
 無選択、これが好ましいのは、選択のためにあれやこれやと考えなくてもいいことだろう。だが、選択の過程で出てくる事実関係、よりリアルな現実が浮かび上がったりするので、決して無駄ではない。
 三択と二択は、試験の解答方法ではないが、どれか選べばいい。二択は二つの中から選ぶ。一択は競合はない。選べるものが一つしかないのだから、選択の必要がない。だから一択とは言わないし、そんな言葉もない。
 言葉を選ぶ。これも選択だろう。選べるほど言葉を多く知っていなければいけないが、同じ言葉でも表情が加わると変わってくる。
 二択でどちらを選ぶかは自由で、三択でもどれを選ぶのかが自由な場合、かえって困ることがある。どれを選んでいいのかが分からないときだ。選ぶ前まではただの想像や印象、またそれにまつわる一寸したイメージだろう。実際に選んで、そのあとにならないと、本当のことは出てこない。
 こんなはずはなかったのに、とか、あちらを選んでおけばよかったのではないかと、選択のせいにする。しかし、どちらを選んでいたとしても、同じことを言っていたりする。
 選択ミスは本人の責任だが、はっきりとした根拠もないのに選ぶことがある。責任の取れる行動をしたいのだが、その目安が見えない。
 ただ、その人が今、その人として生きているのは、もの凄い選択肢の中を阿弥陀籤を引くように選択し続けた結果だ。それで少なくても生きているだけでも大当たりだったことになる。阿弥陀様のおかげではないが。
 選択はやり直せることもある。もう一度分岐点が出てきて、そのとき、路線変更ができたりする。以前捨てた路線の先の駅と交差し、そこで乗り換えることもできそうだ。
 紆余曲折。山あり谷ありで、選択の間違いや正解も、関係しないのかもしれない。
 選択に間違うと寄り道になる。途中で気付くのだが、この寄り道が、あとで意味を持つかもしれない。
 何がよかったのかは、月日が過ぎてからでないと実際には分からない。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 12:08| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月16日

3959話 里の春


 市街地の今と今とがせめぎ合うような道路沿いを歩いていると、もう少し穏やかでゆったりとした風景が見たくなる。
 黒田は別に目的もないままバスに乗った。電鉄のバスなので、市内から出て、駅と駅を繋ぐのだろう。鉄道が事故などのとき、その区間をバスが走ったりする。
 だが黒田は駅前から適当なバスに乗った。色々と行き先があるのだが、三つの乗り場のうち、一番奥を選んだ。行き先は書かれているが、見ていない。それよりもバスが既に来ているので、今ならすぐに乗れる。
 乗れば適当なバス停で降りればいい。
 その適当な場所はしばらくして現れた。橋を渡るとき、土手が桜並木になっていた。人も歩いている。花見だろう。それで、橋を渡ったところに、いい具合にバス停がある。黒田は下りることを知らせるボタンを急いで押した。
 そして下りて引き返し、その川沿いを歩いた。何人も歩いており、これは近所の人だろう。服装で分かる。犬の散歩人もいる。
 川がこんなところにあるのは知らなかった。大きな川なら知っているが、それではない。排水溝の大きなものかもしれない。運河だ。
 桜が咲いているのは僅かな距離で、あっという間に終わるのだが、その先は柳が柔らかな色を見せているので、それも悪くないと思い、先へと進んだ。川や池の土手に柳を植えるのは、盛り土が崩れないようにするためだと聞いた覚えがある。
 さらに進むと喧噪な市街地から住宅地になり、建物も低くなっていくが、たまにマンションが聳えている。しかし、それほど高くはない。
 堤防脇にはその前の家の人が育てたような草花が咲いている。これもまた花見だ。
 さらに奥へ進むと、少しだけ古い家が多くなり、土手道に洗濯物が干されている。かなりはみ出している。
 こんなところがあったのかと思うほど、いい感じの散歩道。ただ、もう歩いている人は黒田一人。他の人は桜が切れたところで戻ったようだ。
 さらに進むと運河は狭くなり、浅くなる。その運河へ流れ込んでいる川がある。黒田はそちらの方へ行ってみる。川岸に雑草が伸び放題で、多少は自然を残している。コンクリートで固められても、土砂などが溜まり、そこに草が生えるのだろう。
 さらに進むと川はさらに細くなり、飛び越えられるほど。壊れそうな木の橋が架かっている。
 これも一興と渡ってみる。土手も低くなり、逆に広くなる。
 さらに進むと未舗装となり、自転車のタイヤ跡などがそのまま残っている。この前の雨でついたのだろう。
 周囲が暗くなる。これは大きい目の木が生い茂っているため。川沿いの家の庭木だろうか。結構太くて高い。桜もたまに見かけるが、種類が違うのか、いやに紅い。
 樹木に囲まれてしまったのか、薄暗いが、そのトンネルを抜けると青空が拡がり、田畑が拡がっている。田園風景だ。
「ありえない」
 バスで少し遠くまで来たが、まだ市内だ。こんな場所はありえない。
 だだっ広い場所。遠くに山が見える。もの凄く広い土地。というより、平野。
 その川は畦川になってしまった。しかし春の小川とはこのことで、土筆が頭を出していそう。
 田植えの用意なのか、野菜を育ていた畝を平らにしている。
 農家が見えてきたのだが、その前に巨大な水車が目に入る。当然農家も見えているのだが、藁葺き屋根が多い。丘沿いに幟が揚がっている。赤い鳥居が見える。
「ありえない」
 しかし、黒田はこのありえないようなのどかな風景を見たかったのだろう。
 里の春。春の里。
 しかし、見たかったものがそこにあるのだが、自分が今どういう立場にいるのかが問題。
 運河まではよかった。そこに合流している小川が虚だろう。
 
   了



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2019年04月15日

3958話 楽しみにしていること


 一寸した気がかりがあって田治見は落ち着かない。大したことでなく日常範囲内。それがこじれて大変なことになる可能性は少ないが、どう転ぶかはやってみないと分からない。ほぼ大丈夫なのだが、安心しきれない。それらの多くは人と絡んでいる。一寸した交渉事だが、毎回順調に行っている。しかし、そうではないときもある。そちらの方が珍しいのだが、それでも大したことにはならない。
 だが、思っていることと違う反応が返ってくる可能性は毎回ある。それですんなり行かないわけではないが、少しだけ面倒な手間が加わる。少しなので大きな影響はないが。
 そういうのが済むまで、楽しみごとは休んでいる。これは好きなことで、しなくてもいいことだが、趣味のようなもの。ここでは好きなだけ我が儘が通る。そして楽しい。だが、面倒ごとが起こっていないときに限る。そんなことをしている場合ではないし、そのタイミングでは楽しめない。心ゆくまで。
 さて、その気がかりな用件だが、簡単に済んだ。前回と同じで、すんなりといった。ずっとその状態が続いているので、もう気にする必要はないのだろう。
 これで気がかりがなくなったので、楽しみごとに没頭しようとしたのだが、その気にならない。もう手放しで楽しめるのだが、やりたいという気持ちが静まっている。これは何だろう。
 あれが終われば、これをして楽しもうと、ずっと待っている間の方が、その気満々だった。
 ということは、そんな呑気なことをしている場合かというようなときにやった方がいいのかもしれない。
 楽しいことを早くやりたいと望んでいたときに、さっとやればどうなるか。これは、気がかりがあるので、安心してできないはず。だから、終わるまで待つ。それが今までの田治見のパターン。そして終わってからは急に気が静まるのも同じ。
 結局気がかりが消えただけで、ほっとし。もうそれだけでも満足。そのことが楽しいのだろうか。だから、そのあと楽しいことをしなくても、もう十分楽しいのかもしれない。
 人は気の生き物で、気持ちの問題が大きい。その気になるタイミングも状況次第。
 気持ちは自然に発生する。人格のようなものも、結構曖昧で揺れているものかもしれない。
 
   了
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2019年04月14日

3957話 説明不足


 ある方向へ向かい続け、針の穴に糸を通すような細かいことをしていると、逆方向、反対側へ向かいたくなる。それは狙いとは逆。正反対のもの。
 これは一種の解放になる。拘ってきたことを解き放せ、自由になる。意外とそれが初期の目的にかなっていたりすることもある。あまりにも固執、凝り固まり、一点に向かって進んでいたためだろう。逆に本質を見失う。ただ、それをやっているときは、本質に向かって丁寧にやっているのだろう。
 初期の頃は自由だった。どちらへ向かってもかまわない。本人次第。望む方向があれば、そちらへ向かえる。それが途中で行き止まりになっても、行けるところまで行く。その過程で得られるものも多いだろう。それで初期の頃よりも詳しくなる。
 そして本質に迫るのだが、本質はさらに逃げる。
「じゃ、今までやってきたことを捨てて、元の木阿弥に戻ったのですか」
「あ、はい」
「それはもったいない。今まで積み重ねたことを捨て去ることになるのに」
「その方が軽くてなって気持ちがいいのです」
「しかし、もったいない。振り出しに戻るわけですから、今までのことが全て無駄になりますよ」
「そうですねえ。無駄でした。しかし、それで見えてくる世界があるのです。それが見えたのです」
「何を」
「さあ、何だったのでしょうか。そのときは覚えていたのですが、忘れてしまいました」
「なんと曖昧な」
「ふと気付いたのでしょうねえ」
「ほう」
「何に気付いたのかは分かりませんが」
「分からないはずはないでしょ」
「上手く説明できません。気付いたというより感じたのです。それは一瞬でしたが」
「要するに気が変わったのですね」
「まあ、一般にはそう言われていますが、これがまた気持ちがいい。すっきりしました」
「ほう。何かよく分かりませんが、たまにいますねえ。その道でのエリートの人が、ある日突然転職して、ぜんぜん違うことをやり始めるとか」
「それとはまた違うのです。やっていることは同じです」
「じゃ、他へ行くわけじゃないと」
「はい、この道を進みますが、もっと自由にやりたいのです」
「よく分かりませんが、まあ、落伍したということですね」
「はい」
「期待していたのですが、残念です」
「はい」
 人の気持ちは変わる。しかし、それを説明するのは難しい。
 
   了


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2019年04月13日

3956話 人生散歩論


 今日は雨。時田は散歩を日課にしている。日課が散歩のようなもの。ずっと散歩中かもしれない。しかし、雨の日は外に出にくい。そんなときでも出るには出る。日課のためだ。
 雨で散歩に水を差すのだが、傘を差せばそれなりに凌げる。だが、それでも濡れる。外に出ていないときならいくら降ってもかまわない。だが、出るときは降っていない方がいい。その確率が結構ある。一日中降っているわけではなく、雨も息をつく。俄雨ならすぐにやむので、これは分かりやすい。
 その日は降っているのだが、小雨。これは同じ雨でも助かる。それだけ濡れにくい。それで外に出る時間になったので、出てみる。部屋にいてもやることがない。ここは外に出る時間で、その順番を崩したくない。それに本来なら外にいる時間に部屋にいると落ち着かない。
 幸い雨は小雨で、やみ始めているようだ。自分が外に出ているときだけ雨は降っていない方がいい。これは偶然で決まるので、何ともならないが。
 散歩はいつもの道を歩き、店屋が並んでいる通りを流しながら、公園のあるところまで進み、そこから違う道で戻ってくる。最近はその途中にパン屋があり、そこで菓子パンを買うのが日課。手作りのパン屋で、昼をかなり回った時間帯なので、アンフライパンが切れている可能性もある。それがないときはふわふわのドーナツを買う。昔は硬い目のドーナツが好きだったのだが、今は柔らかい方がいい。パン屋のドーナツは柔らかい。そして砂糖が細かいタイプ。たまにきな粉パンを買う。時田はそれをおはぎパンと呼んでいる。当然、そんなことは口にしない。
 日課だが、同じように見ていても変化がある。アンフライパンが売り切れておれば、同じにならない。ただ、パン屋へ寄るのは同じ。その中での変化は当然ある。
 中年を少し越えた夫婦がやっており、この時間、レジを交代するのか、親父がいるときがある。奥さんとは違い人慣れして愛想がよくない。作るのが役目で売る役目ではないような顔付きで、無愛想。しかし実際はそれに徹しているのだろう。そちらの方が楽なためかもしれない。
 この店の名物は菓子パンではなく、食パン。何の変哲もない食パンだが、そういうパンほど違いが出る。そのまま囓っても美味しい。だから結構離れたところにある高そうな喫茶店が、それを使っているようだ。トーストではなく、サンドイッチで差が出るらしい。こういうのは客の会話から得た情報。
 時田の散歩とは頭の中の散歩。足だけの散歩ではなく、頭の中でも練り歩いている。ストーリーのある世界だ。それは歴史散歩などのような大層なものではなく、町内の話。だが、この近くに正体が分からない石を祭った祠がある。それが歴史上重大な話と関わるわけではないが、寺社にも歴史がある。しかし祠の中の石になると、話が細かくなる。ただの石だ。しかし、長細く三角に近い。置いたとき、しっかりと左右対称の三角になり、収まりがいい。
 これは昔、占い師が言い当てた石らしい。古墳の堀の底に三角様が沈んでおられると予言した。占い師が底に沈めたのだろう。仕込んだのだ。
 村人もそれは分かっているのだが、そういった縁起が欲しかった。その三角様は今も祠の中にある。村の神社までは遠い。だから、何か祠を置きたかったようだ。
 しかし、それは言い伝えで、その話そのものが嘘かもしれないが。
 時田の散歩は、そういった頭の中の散歩が含まれる。
 そして菓子パンを買い、戻るのだが、その部屋そのものも散歩の途中とも言える。
 今のところ偶然が続き、同じ部屋に戻って来るのだが、生まれたときから、そこにいるわけではない。偶然、今は、そこをねぐらにしているだけ。
 人生散歩論。これは時田が書きかけの原稿だ。論文だが余計な道草をするため、論は散漫で、とりとめない。きっちりとした論文より、軽い散文の方が本当は似合っているのだろう。
 寄り道、道草、余計なこと。等々が多すぎる。それらは個人的すぎ、時田だけが思っているような感覚が多すぎる。
 散策には目的がある。散歩にはそれがない。
 
   了

 
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2019年04月12日

3955話 花見


「花見に行きましたか」
「またですか」
「そうですか」
「花見の話はいいので、他のことでお願いします」
「昨日晴れていたので桜が青空で映えましたねえ。補色の関係ですよ。それも逆光の眩しい桜。これはなかなか見られるものじゃないですよ。毎年咲きますがね。いいタイミングで桜を見るのは滅多にない」
「毎日花見に行ってるでしょ」
「昨日の花見と今日の花見とでは違う。当然でしょ。咲き方が違う。今は満開。まだこれから咲こうとしているのもありますが、散り始めているのもあります。満開といっても全部の桜が満開じゃない。一本の桜でも散りかけもあれば、これから今まさに咲こうとしているのもある。決して同じじゃない」
「そういう桜のしつこい話はそれぐらいにして、どうです。釣りはどうなりました」
「釣り堀じゃ駄目だねえ。風情がない。やはり渓流釣り。そこに山桜などが咲いていると最高なんですがね。それは植えたものじゃない。まあ、誰かが苗を植えた可能性もありますがね。花見の名所でもない場所に、わざわざ植える人がいるとは思えませんが」
「また、桜ですか」
「で、あなた、まだ行ってないのですか」
「気が向けば行こうと思っていますが、あの賑わいがいやでしてねえ」
「じゃ、山桜ですなあ。これは遠くから見ているだけでもいい。そこだけ桜色。実際には白っぽいのですがね」
「花見はいいのですが、なかなかその気になれなくてね」
「はいはい、花見にはそういう精神が必要なのです」
「精神?」
「花と接する精神ですよ」
「そうですねえ。気が乗らなければ、行く気なんて起こらないし」
「それとね。花から見られているわけです」
「え」
「桜にとっては人見なのです」
「花見じゃなく、人見」
「そうですよ。多くの桜から見られているのですよ」
「視線が合いますか」
「合いません」
「そうでしょ。眼光の鋭い桜に見詰められたら怖いですよ」
「しかしです。よく見られている。つまり、人から多く見られている桜は、見られ癖が付くのです」
「見られ癖」
「それで、桜も見られていることが分かりますしね。見られ慣れしてくるわけです。よくいえば人に懐いた桜。そういう桜が、逆に人を見る桜です」
「人慣れした桜ですか」
「それは植物一般に言えることですよ。もっと言えば石や岩でも。竹でもね」
「板の節穴が目のようですね」
「それもあるかもしれません。広げれば物にもあります」
「妙な話ですねえ」
「だから、ただの花見ですが、花から見られているので、それなりの服装をして行きます。見下されないようにね」
「じゃ、花に見られに行くわけですか」
「最近はそれです。私が見るのではなく、花が見ている」
「そこまで行きますか」
「はい」
「行き過ぎでしょ」
「まあね」
 
   了



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2019年04月11日

3954話 夢の入学式


「これは昨夜見た夢なので、そのつもりで聞いて下さないな」
「はい」
「入学式に行ってまいりました」
「お孫さんの」
「いや、私です」
「高齢の方が入学したとか、卒業したとかのニュース、たまに見ますね」
「さあ、私は何歳なのかは分かりませんが、おそらく今の年でしょうなあ」
「あなたの入学式ですか」
「そうです」
「何処の」
「それがよく分からないのです。何処かで見たような、見なかったようなと、それは曖昧なのですが、校門に日の丸が出ています。しかし、静か。おそらく入学式だけしかその日はしていないのでしょう。桜も咲いています。これがまた古そうな幹でしてね。姥桜でしょうか」
「はい」
「講堂があります。今でいえば体育館のようなもの。まあ、屋内で全校生徒が集まれる場所はここでしょ。窮屈ですがね。ところが、その講堂、新入生が少ないのか、数人しかいません。壇上に先生らしき人がいますが、一人です。椅子に座っていますが、ピアノの近くでしてね。そこに机がありまして、そこで何か書きものでもしているようです」
「ピアノは」
「ピアノは、ピアノだけで、その横です。ピアノは正面から見ると斜め横を向いています。その並びに机があり、先生らしき人が座っています」
「はい」
「私は先に来ている三人の後ろに座りました。床は板です。これで時代が分かりますねえ」
「はい」
「椅子はありません。だから先の三人は適当に座っています。正座ではないことは確かです。まあ、運動場で座っているのと同じ姿勢でしょうが、一人は足を投げ出しています」
「それは入学式ですか」
「はい、講堂の扉に入学式の飾りがありました。それに日時も合っています」
「はい」
 壇上にいる先生が、何か紙切れを持って下りてきました。小さな階段があるのですが、飛び降りたようです。それで膝が少し痛いのか、足を引き摺りながら、名前を呼びながら紙を配っています。先の三人、そして私も、その紙をもらいました。無言です。読むとクラス名が書かれていました」
「はい」
「私達は教室へ向かいましたが、何せ初めての校舎。ほとんどが教室でしょうが、一年生の教室を探さないといけません。それで、講堂を出て渡り廊下を通り、校舎に入りました。取っ付きの教室は職員室でした。その先にクラス名が書かれたものがぶら下がっているので、そちらへ向かいました。一年と書かれていたので、ここですね。取っ付きにあるので探しやすい。
「はい」
「それで私は三組でした。先の三人のうち一人は一組のようで、そこで消えました。私は一つ置いて三組なので、そこに入りました。あとの二人は四組とか五組でしょう。そのまま進んで行きました」
「はい」
「教室に入ると、誰もいません」
「一クラス一人ですか」
「そうかもしれません。それで、適当なところに座り、じっとしていました。でも誰も来ません。担任の先生が来ると思い、待っていたのですが」
「それでどうされました」
「授業は明日からです。だから今日は帰ってもいいのかもしれません。それに講堂でクラス分けの紙をもらいましたが、それが入学式だったのかもしれません。それで終わりです」
「はあ」
「それで、教室を出ますと、先の三人も出てきたようです。誰も来ないのですからね」
「はい」
「それだけです」
「え」
「これが夢の全てです」
「はあ」
「一言も発していません」
「そうですねえ」
「セルフサービスの学校なのかもしれません」
「夢は本当にそこまでなのですか」
「もう少しあるのですがね。内容に変わりはありません」
「聞かせて下さい」
「教室から出て渡り廊下ではなく、直接運動場を横切って校門へ向かいました。もう講堂には用がありませんからね。そして開け放たれた校門もそのままで、日の丸もそのままです。それを見ながら、外に出ました」
「何処に」
「え」
「校門の外は何処です」
「さあ」
「分からないと」
「そうですなあ。見たこともない場所です」
「その学校。小学校じゃないでしょ。そんなに幼くはない。だから中学校」
「そうだと思います。校舎は木造でした」
「それであなたは中学生」
「いえ、今の年だと思います」
「先の三人は」
「同じ世代の年寄りでした」
「だから、普通の入学式にはならなかったのでしょう」
「はあ」
「そこへ入ってはいけないし、そんな用件もない。しかし来てしまったので、仕方なく、入学式としての最低限のことだけで終わったのです」
「最低限とは」
「クラス分けです」
「ああ。そうだったのですか」
「しかし、それらは全て夢の話でしょ」
「そうです」
「夢は荒唐無稽、しかし、何か意味するところを突き刺しているかもしれませんねえ」
「ああ、はい」
 
   了



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2019年04月10日

3953話 役者が違う


 全てが順調にいっているとき、須崎が姿を消した。原因が分からない。色々と揉めているグループだが、須崎が入ってから、それが解決した。上手く仕切ったのだ。新人だが、年嵩。リーダーとしての目配りがきき、言いたいことは結構言っていた。仲間内では禁句になっていることでも須崎なら言えた。これは何が禁句なのかを知らないため。他のメンバーはそれに期待したのだろう。
 それで文句だけは一人前の主要メンバーを黙らせた。長く居座っているだけで大した能力はなく、それが妨げになっていた。これを退治するのが宿願だった。内紛だ。須崎を盛り立て、リーダー格に持ち上げたのはそのため。
 それで揉めていたグループが普通になった。その瞬間、須崎が消えた。
 そのままなら須崎が完全に親玉になっていただろう。仲間もそれを歓迎していた。しかし追い出した連中の残党がまだ残っている。これがいずれ反撃してくるだろう。それを恐れて須崎が消えたわけではない。
 丸く収まったあとのことをよく知っている。しゃしゃり出て余計なことをしてしまった。要するに激動期にしか用がなく、平和になれば邪魔になるパターン。須崎がそのタイプ。
 英雄は去るもの。手柄を立てたものは去るに限る。引き際を心得ているのだが、消えてしまったのだから、引きすぎだ。
 須崎がいなくなっても平穏は続いたが、やがて須崎がやっつけた残党が反撃しはじめた。
 それは須崎が入ったときと状況は同じ。旧須崎派がのさばりすぎたのだ。既に須崎はいないので、まとめ役もいない。だから、なあなあでやっていたことになる。この、なあなあは暗黙の了解の世界。
 旧須崎派は須崎を探し出し、復帰を願った。しかし残党にはそれほど力はない。ただ、平穏ではなくなっている。
 同じ頃、その残党が須崎を訪ねた。
「復帰して頂きたい」
 しかし、須崎によって潰された連中の残党なのだ。
 これで須崎の取り合いになる。
 須崎としては面白い展開になったので、戻ることにした。
 そして須崎は旧須崎派も残党も追放してしまった。
 本来の仕事をせず、文句ばかり言い合い、それで共同戦線を張り、やり合ってばかりいたためだろう。
 それでメンバーがほとんど変わってしまった。
 須崎はそれが最初からの狙いだったのかどうかは分からない。
 
   了



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2019年04月09日

3952話 春が来た


 春の陽気に誘われて、固くなっていた頭も柔らかくなるのか、頭突きができないという話ではなく、考え方が柔軟になり、閉ざしていた禁じ手のようなものに、また挑戦したくなる。
 春になると心機一転、新たなことにチャレンジしている滝田だが、春の暖かさで次第に熱だれし、暑苦しくなる頃には終わっていた。それは発作のようなもので、長続きはしないのだが、これまでにはないことをやりたがる癖がある。だが、これは春先ならよくあること。
 そして暑くなってきた初夏、そこでバテてしまい、そのあと来る鬱陶しい雨季で気も滅入り、もう何もしたくない状態となり、閉じ籠もっている間に夏が来て、その暑さで頭が朦朧とし、もう何も考えなくなる。
 ということは滝田は季節の影響を諸に受けて動いているようなもの。つまり何処の誰でもない自然現象、季節の移り変わりが最も強い影響を滝田に与えていることになる。
 朦朧とした頭も夏が終わるとクールダウンし、秋の気候の良さから、天高く馬でそこまで駆け上れそうなほどの覇気を受けるのだが、その年はもう残り少ない。涼しさが寒さに変わる頃、最後の散り花のような紅葉を見てしまうと、これで今年も終わると悟り、既にここで終わる。
 では何を悟ったのだろう。
 毎年毎年悟のだが、次の年に活かせない。忘年会で全て忘れてしまうわけではないが、綺麗さっぱり忘れている。そして春先になると、またあらぬ事をやり始める。
 あらぬからあるようにしたいのだろう。やってはいけないことではないが、やってもしくじるので、それを戒めるため、あらぬ事として除外。それが春になると解ける。気温が高い目になるため、雪解けと同じ。
 そして巡り巡って、この春、滝田は懲りずに何かを始めようとしている。この端は何処にあるのだろう。何か理由があるはず。望みがあるため、やるはず。だからその発端が分かればいい。何処から発しているのかと。
 しかし、そんな難しいことではなさそうで、季候がよくなったので、何かしたい程度のようだ。
 だが、そういう気持ちがあるうちは、まだ大丈夫だと滝田は言い聞かす。途中で終わるにしても、そういうことができる状況を逆に愛でるべきだろう。
 
   了



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2019年04月08日

3951話 近江坂の山賊


 近江坂近くに山賊の根城がある。これはよく知られていることで、そんなものはすぐさま掃討すればいいのだが、数が多い。一寸した攻防戦になる。砦というほどではないが、それなりに構えがあり、種子島も持っている。
 藩内にあることから藩兵を動かせばいいのだが、多くの怪我人が出ることが分かっているので、誰も言い出せない。そのためか殿様にも伝わっていない。そんなものはいないものとして扱っているためだ。
 近江坂は商人がよく通る。そのため、荷の多い大商人は護衛を付けている。山賊も、そんなものが付くと面倒なので襲わない。旅人はその隊商のような列に加わり、一緒に近江坂を通る。これで人数がさらに多くなり、山賊に襲われることは先ずない。
 一人でぽつりと通るような行商人などは襲わない。あまり金を持っていないためだ。
 藩が山賊掃討に出ないのは、金がないこともある。実際に山賊とやり合うのは藩士ではなく、有志達だ。これに支払う金がない。
 この藩は豪商から金を借りており、その豪商から何度も山賊掃討を言われているが、曖昧なまま。
 そして相変わらず近江坂で襲われる人が続く。追い剥ぎが多いのだが、どうも山賊ではないらしい。山賊のなりをした連中がやっている。
 さて、肝心の山賊だが、この近くでは仕事をしないようだ。あくまでも隠れ家で、最後に逃げ込む場所。普段はもっと遠くで稼いでいる。
 藩もそれが分かっているので、触らないようにしているのだろう。山賊騒ぎは彼らではないことも分かっている。規模が小さすぎるのだ。
 何も知らない殿様が、お忍びで遠出したとき、この山麓に入り込んでしまった。自然が豊かで、鳥や獣が多い。里の人が近付かないためだろう。
 そして山中をウロウロしていると、人家を見付けた。お供の小姓は山賊のことなど知らない。それが根城だとは。
 殿様は休憩できると思い、その中の一軒に入り、水をもらった。
 山中に何軒かの家があり、柵や櫓が施されている。村にして田畑がない。
 殿様は他の家々を覗くと、女子供と年寄りばかり。
 ここは何処かと聞くと、山賊の住処だとしわくちゃの老人が答える。少しもそれでは怖くはない。
 藩内に山賊がいることを殿様は初めて知った。
 年長の小姓に、これはどうすればいいのかと聞くと、退治すべきだと答えた。連れてきた小姓三人と一人は腕が立つ側近。
 さらに聞くと、鎖鎌の流派を作ったらしく、他藩の城下で、道場があるらしい。
 さらにもう一つ流派を作った。それは棒術。
 年寄りが出てきて、先にイガイガの付いた鎖をぐるぐると回し出す。それと棒を持った爺さんとやりあっている。
 殿様は太刀や弓や槍は習ったが、片手に鎖、片手に鎌を持ったこの武術、見るのは初めて、大いに気に入った。棒術は聞いてはいたが見るのは初めて、刃物がないところが気に入った。槍よりは太いが短い。これならその辺の棍棒でもできる。
 棒術の爺さんは天狗から習ったと嘘をいったので、殿様は大笑いした。
 つまり、山賊達が活躍していたのは昔の話だったようだ。
 そして山麓の根城は、武術の里としてその後も続いた。
 ちなみにこの棒術の流派、明治に入っても、まだ続いており、さらに短くなったが警官が使う警棒の先生として、しばらくは続いたようだ。
 
   了


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2019年04月07日

3950話 桜流し


 桜並木も満開で、いい感じなのだが、高峯は体調が悪い。これはたまにある。気温が上がったためだろうか。暖かくなることは有り難いのだが、空気が変わるのか、それで調子が悪くなる。水槽の水替えをしたあとの金魚のように、水が変わるように空気も変わるのだろう。
 しかし、折角の休みで、しかも晴れており、桜も満開。これは出掛けないともったいない。他に用事はなく、これといった予定もない。だから花見という単純なものをネタにするしかない。ネタがないときは季節物や行事物に便乗するに限る。
 しかし、他に何もなく、花見しかないというのは淋しい話だ。特に見たいものや行きたい所もない。誰かと遊びに行くという約束もない。だから季節の風物をそのまま受け入れられる。本来なら花見どころではないほど何かをしているはず。それが外での用件なら、そのついでに桜を見る程度。ああ、桜も咲く頃かと片隅で思いながら。
 しかし、今は片隅ではなく、桜がメイン。他にない。
 それで出掛けようとしたのだが、体調が悪い。これがブレーキになるが、少し調子が本調子でないだけ。だが、こういう日に出掛けると疲れるだろう。
 しかし、他のことでは決心が鈍く、立ち上がりが遅いのだが、桜ならすぐに外に出ることができる。近くの歩道に出れば、そこは桜並木。かなり長い。
 すぐに花見ができるので行けるだけ行って疲れてくれば戻ってくればいい。その程度の体力は十分ある。
 純粋に花見だけのために外出する。これはいいかもしれない。
 足は重く、息が少ししんどいのは暖かいから暑いになってきたためだろう。それに少しだけ体調の悪さが加わる程度。
 並木のある歩道は家を出たときから見えている。桜も見えている。だから満開を知った。
 そこまで出て、歩きやすい歩道に入る。同じように歩いている人がいる。いずれも桜目当てだろう。健康のために歩いている人達ではなさそうなのは服装で分かる。カメラを首からぶら下げた婦人もいる。ぶらぶらするのか、カメラに手を当てている。手かざしで写す小さなミラーレス一眼だ。
 そういう人達とすれ違いながら、何人かに追い越されたが、まだ進めそうだ。桜並木は遙か彼方まで続いている。
 桜を見ながらただただ歩いているだけ。そのうち飽きてきて見なくなるが、体調が悪いとはいえ、こうして並木道を人並みに歩けているのは幸いだろう。
 すれ違う人、追い越していく人が少なくなり、横の車道の車もピタリと消えたようになる。信号の都合でたまにそんなタイミングがあるのだろう。
 一体何が災いの元だったのかは分からない。理由が分からないが、高峯はもしかして、と勘づき出す。
「桜流し」
 こんなに長い桜並木だったのだろうか。結構続いているのだが、続きすぎ。遠くを見ると、桜のもやっとした色が何処までも続いているではないか。そして、人も車も消えた。人家はあるが、記憶にない。
 遠くまで来すぎたようだ。
 体調が悪いはずなのに、疲れはない。足もしっかりしているし、息も切れない。少し汗ばんでいるが、歩けばそんなものだろう。
 何処までも何処までも続く桜並木。これはどう考えてもあり得ないのだが、それを考える頭が少しずつ弱くなり、ただただ歩いているだけになる。
「桜流し」
 道に流されているのだ。水ではなく、川ではなく、桜並木に。
 誰もいない満開の桜並木、どんどん気がおかしくなり出したが、足は止まらない。
 
   了
 


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2019年04月06日

3949話 古典の復興


 一つか二つ昔のものは慣れ親しんだものなので、分かりやすい。それらはほぼ熟知した世界で、よく知っているということだけでも安心感がある。そして今のものは連続性はあるものの、何か少し違う。違ってあたりまえで、これはいい感じでの違い方の方が多いが、逆に進みすぎていると、何故か落ち着かない。
 新しい時代、新しいものを取り扱うのは颯爽としており時代の先端を走ることになるのだが、何故か落ち着かない。
 この落ち着きとは何だろう。まだ新しすぎて落ち着かないためだろう。しっかりと着地していない。足場がまだ緩い。根ざしていない。などが原因かもしれない。だから、ただの慣れの問題なのだが、古いものに触れたとき、ほっとするのは慣れたもののため、馴染みのあるため。
 そう考えると何も問題はないのだが、昔のものはその時点で終わっている。果てがある。その延長、その発展型で、新しいものと切り替わっているのだから、不便なわけではない。逆に便利すぎる。
 逆に、もう昔のものには戻れないこともある。今の時代では使い物にならず、それこそ時代遅れ。ただのゴミ程度の値打ちしかない。売れるゴミならいいが、お金を出さないと持って行ってくれないようなゴミもある。
 しかし、実用性はあり、まだ使える程度の昔のものは結構落ち着く。既に落ち着いたあとのためだろう。その時代でずっと落ち着いている。そしてそれに触れたとき、その時代に戻される。あれから何年経ったのだろうかと。
 十年一昔が短くなったが、その頃に戻っても、今と大して違わなかったりすることも多い。むしろ十年前まではもっと伸びやかでいいものが多い場合もある。
 しかし、これも戻りすぎると、実用性の射程外から外れるのか、そこで果てている。
 だから今もまだ使えるような古いもの。これがいいのではないかと三田村は考えた。
 それは新しいものを追っているとき、もうそれほどいいものがなさそうで、どうやらこのあたりで行き止まりになりそうだと感じたとき。それなら先を見ないで、過去を見てはどうかと。
 三田村は過去の遺産から、いいものを釣り上げているのだが、これは秘密にしている。これは種明かしになるためだ。それと、この方式は既に知られていて、新味がない。
 しかし、過去を振り返った場合、個人差が結構ある。捉え方、感じ方が違う。そして何に意味を見出すのかは個人の問題。感性の問題というより、必要性の問題かもしれない。欲しかったものが過去にあったが必要ないので素通りしたとか。
 しかし十年前ならついこの間。ほとんど今と変わらないので、もう少し遡ることになるが、中途半端に古いと、中途半端に新しい。
 だから、うんと縄文時代まで戻った方がいいのだが、これは生きていない。体験していない世界なので、フィクションと変わらない。
 それでまだ覚えている個人的な昔のことを思い出すようにしている。
 それで一寸したヒントを掴んだ。大まかに言えば、今よりもアナログ性が高いということだろうか。おそらく落ち着きを感じるのは、このアナログ的なもののせいかもしれない。
 アナログ性の復活。これが結論であったとしても、それは秘しておいた方がいい。それと分からないように。
 それと人為的手間暇。いずれもそれらが早くなり、快適になったのだが、達成感が違う。
 三田村は物や事柄に触れるたびに、昔はそれらをどうやってさばいていたのだろうかと考えるようにしている。
 ある日、今風な八百屋で買い物をしたのだが、バーコードがない。レジはある。店員は品物を見ただけでさっと打ち込む。下敷きになっているものはそっと上のものどけて覗く。商品には値段が書かれていないが、売り場には書かれている。
 これがバーコードよりも早い。目がバーコードなのだ。しかも隙間から覗いているだけの小さなものも見逃さない。個数も瞬時に分かる。
 これは電卓時代だ。そういえば昔の八百屋の親父はソロバンを持っていたことを思い出した。
 そして、それを見た戻り道。ソロバンという文字が目に入った。借り手が長い間いないテナントに、珠算塾が入っていたのだ。
 三田村が思っている以上に、少し昔のやり方は復活しているのだろうか。
 デジタルの行き着くところはアナログで、アナログの行き着くところはデジタル。というようなことをデジタル時代になる初期、デジタル時計とアナログ時計の違いで、誰かが語っていたことがある。それを思い出した。
 それを語っていた人は、もう昔の人だ。だからその説も昔の説。
 手間暇かかることを敢えてする。しかし、結果的にはそちらの方が早かったりするし、それをやっているときは保証された安全な時を過ごすことになる。
 三田村の発想はどんどん伸びるのだが、それが自然に発生したもので、無理に捻り出したアイデアではないことを願った。なぜなら発見しただけで終わるので。
 
   了
 


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2019年04月05日

3948話 遊園地跡の花見


「寒いですなあ」
「花冷えです」
「桜は満開でちょうどなんですがね。花見に行く気が起こらない」
「春らしくないですからねえ」
「そうですよ。真冬に逆戻りだ。こんな寒空で花見は無理」
「でも紅葉狩りの頃は、寒くても出掛けたでしょ」
「ああ、紅葉シーズンねえ。でもそれほど寒くはない」
「まあ、気持ちの問題でしょ。冬になる覚悟で行く紅葉狩りと、暖かくなったと思い、行く花見とでは」
「昨日なんてアラレかヒョウか、そんなのが落ちてきましたよ」
「上空に冷たい空気が来ていたのでしょ」
「晴れていたのですがね。俄に降り出した。降っているときも陽射しがありましたが、黒くて高い雲が見えていましたよ」
「青空は」
「同居してます」
「私は昨日はコタツの中で丸くなっていたので、出ていないので、分かりませんでした」
「凄い音がしましたよ」
「あなたが住んでいるところ、離れているので」
「私は花見に行くところでした。だから出先です」
「ニュースにありませんでしたよ」
「そうでしたか」
「まあ、天気予報は予報で、終わったことは言わないですがね。余程被害でも出ていない限り」
「はい」
「ところで、何処へ花見を」
「ケーブル駅の近くです」
「ああ、少し遠いですよ、その山は。麓に遊園地がありましたねえ」
「もう、なくなってます」
「あ、そう。しばらく行ってませんので、それは知らなかった」
「その跡地が公園になりましてね。遊園地時代に植えた桜がいいのですよ。名所です」
「それも知らなかったなあ。それで、アラレかヒョウが降っているのに、花見ですか」
「ですから、晴れていましたから、降るとは思わなかったので」
「それで、行かれたのですね」
「いや、途中で引き返しましたよ」
「その気分になれなかったのですね」
「そうです。寒中花見。それも雨ですよ。春爛漫らしくない」
「まあ、そうでしょうねえ」
「ところで」
「何ですか」
「ケーブル駅はまだあるんですか」
「冬場は動いていません」
「もう花見の季節なので、動いているでしょ。あの山上からの眺めもいいし、桜も咲いているでしょ。だから、きっと動いていますよ」
「駅から降りて、遊園地跡へ向かうときに天気が崩れたので、駅前の喫茶店でソーダ水を飲んで戻りました」
「ソーダ水」
「はい、出掛けたときは、必ず飲むのです。スーとしますから」
「あ、そう」
「人出は」
「結構ありましたよ。荒れるという予報はありませんでしたからね。少し寒い程度です」
「いま、満開ですよ。今から行きませんか」
「だから、こう寒いと花見は」
「まあ、そうおっしゃらず、その遊園地跡の桜を見て、ケーブルで山上へ行き、春の下界を見ましょうよ」
「いや、寒いので、遠慮します」
「そうですか。そりゃ残念だ。じゃ、一人で行くことにしますか」
「それは辞めた方がいいかと」
「風邪を引くからですか」
「いえ、その場所は」
「え」
「行かない方が」
「遊園地跡でしょ」
「はい」
「何かあるのですか」
「実は」
 
   了




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2019年04月04日

3947話 旬番町見回り組


「このあたり、得体の知れぬものが闊歩しております」
「あなたでしょ」
「え」
「あなたがウロウロしているのでしょ」
「そうでしたか」
「そうですよ。誰もこの夜中歩いていない」
 と、いった瞬間、その人が問題になる。誰も歩いていないのだから。
「そういうあなたは誰ですかな。もしやして得体の知れぬ者では」
「そういうあなたは誰ですか」
「ワシはこのあたりを巡回しておる者」
「巡回」
「得体の知れぬものが出るので、それを見ています」
「見てる」
「はい」
「見てるだけ?」
「突き止めます。何者かを」
「で、何処の誰です。あなたは」
「旬番町の者です」
「遠いじゃありませんか。そんなところからわざわざ見回りに」
「有志です」
「はあ」
「で、あなたは」
「私はこの町内の者ですよ」
「でもどうして夜中に」
「散歩ですよ」
「じゃ、あなたでしたか、得体の知れぬ者とは」
「知られていますよ。このあたりの人は顔見知りですからね。何処のどの家の者なのか」
「じゃ、やはり、ワシですかな、怪しいのは」
「見たことのない人ですしね」
「しかし、このあたりに得体の知れぬ者が徘徊しておると聞いて、来ているのです」
「どうして」
「え」
「わざわざそんなもの、見に来ることはないでしょ。それと、誰からそんな話を聞いたのですか」
「同じ見回り組の者からです」
「見回り組?」
「旬番長にその組織があるのです」
「組織?」
「有志の集まりです。得体の知れぬ者を監視する組織です」
「私は毎晩、夜中、散歩に出ていますが、怪しい人など見かけたことはありませんよ。今夜あなたを見るまではね」
「じゃ、仲間の見間違いかもしれません」
「もしかして、その仲間が見たのは私かもしれませんねえ」
 見回り人はドキリとした、というより最初からそうであることは分かっていたためだ。
「私が疑われているのですね」
「いえ、この町内の人なら、別に怪しくはありませせぬ。だから一応確認をとりたかっただけです」
「あ、そう」
 そのとき、影がそっと動いた。
「もう一人、来ているのですか」
「あ、そうです」
「じゃ、二人一組で」
「そうです」
「挟み撃ちするため」
「いえいえ」
「じゃ、誤解が解けたので、失礼しますよ」
 物陰に潜んでいたもう一人の見回り組の相棒が出てきて、二人で、その男を尾行した。
 この町内の者だと言っているが、本人が言っているだけなので、信用できないため。
 夜中の散歩人は一回りしたあと、また、戻ってきて、その近くにある家に入った。
 やはり、この町の人だった。
 その男、その後、旬番町を訪ね、見回り組について聞いてみたが、そんな寄り合いのようなものはないことが分かった。
 
   了
 

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2019年04月03日

3946話 山中の遊郭


 里の村人から山入りと呼ばれている村がある。この村の村なのだが、普段は山仕事の人が立ち寄る程度。そこから山へ入ることから山入りと言われている。まあキャンプ地のようなものだが、その山入村は少し奥まったところにある。この山は村のもの。だから山入村も村の一部。
 だが、戸数が多い。山仕事の道具や、一時置き場程度の規模にしては家の数と合わない。納屋程度のものでいいはず。そしてどの家も大きい。二階屋もあり、尖った屋根の裏にも人が住めるほど。
 山入村は分かりにくいところにある。奥山へ向かう山道沿いではなく、一旦下り、そこから山襞に分け入ったところにある。
 この村で生まれた子供でも、山入村へ行くのに迷うほど。非常に分かりにくいところにある。
 これができたのは戦国時代。もう使わなくなったのはその末期。村といっても畑が少しある程度。
 つまりここは避難所。この村の周辺でよく戦があり、強奪などの難を逃れるため、山へ逃げ込んだことから始まる。それが何度もあるので、山中で多くの村人が野宿していたのだが、戦が長引いたとき、一寸した小屋を建てた。また、万が一ここまで兵が来たときは、ある程度防げるように、入口に土塁を築いた。一寸した城郭だ。しかし、この城郭、後で呼び名が変わる。
 そして戦が起こると、村人全員が住めるまでになった。家が大きいのはそのためだ。そこに詰め込むわけだ。
 山奥というのは逃げ込みやすいが暮らしにくい。元々里に住んでいたのだから、山育ちの人々とは違う。
 この避難先は山奥に近い地形。つまり見付かりにくい。
 江戸時代になると、流石に用はなくなった。それで、山仕事のときに寄る程度になるのだが、大勢の人が入れる家々があるため、よからぬことで使うものが出てきた。
 それを注意する人もよからぬことで使っていたので、見て見ぬ振り。
 この悪所へは近隣の村々からも人が来るようになる。
 人気のない山中で、煌々と明かりが灯り、三味や太鼓の音まで聞こえる。
 もし、それを知らない人が、偶然そこへ立ち寄れば、これは明らかに化かされたと思うだろう。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 13:27| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月02日

3945話 低レベル


 平田氏は低次元の素晴らしさに気が付いた。もの凄く良いものではなく、ほどほどのもの。最低線をギリギリクリアしたような並レベルのもの。だが、並よりも少し劣るが、実用性を損なわない程度のもの。
 高級ではなく、普及。その下は粗悪なもので、使えないようなシロモノになるため、それは避ける。なぜなら実用性がないので、使えないためだ。
 高次元を目指すのではなく、低次元を目指す。これは目指さなくても、既に手に入れている。低レベルなので、簡単に手に入るし、また実行できる。上等ではなく下等。勝とうと思わないためだが、勝負したくないのだろう。それができるレベルにいないため、そのステージ上にはいない。これはそこに立ちたくないので、棄権しなくても参加資格が最初からない。
 学校での成績が悪い場合、進学校が厳しくなるが、一番低いレベルでも入れる学校がある。そこだと低レベルを保ったままの人達なので、非常に楽。むしろこれまで末席だったのが、主席なっていたりする。周囲のレベルが低すぎるためだ。
 それよりも程度の低いことをしていると、気楽。本格的ではなく、ずっと素人のまま。プロではなくアマ。アマの中でもハイアマではなくローアマ。入門者、初心者以前のレベル。
 平田氏はそういうところにずっといた。最初から打たれている杭なので、打たれることはない。むしろ下から叩いて持ち上げないと、杭が杭であることの意味がなくなるほど。
 低レベルほど安定している。そのため平田氏は若い頃から低レベルを保っての活発な動きに定評があり、重心の低さ、頭の低さ、すぐに身を引く謙虚さ、等々で安定した人生を送っていた。
「いやいや、私なんて、生きているだけで、一杯一杯ですよ」
「ご謙遜を」
「私などがこの地位にいるのは不似合い。何度も辞めようとしたのですがね」
「天下の平田さんがそのようなことを」
「私はもっともっと下の人間なのですよ。皆さん何か誤解されておられます」
「天下の大人物ではありませんか」
「いやいや。私なんて小物も小物」
 しかし、平田氏の思惑とは違い、非常に高い地位に昇ってしまったのだ。掃いて捨てるようないくらでもいる木っ端役人が、大きな役職に就いているようなもの。
 目指していたその他大勢の中の一人とは全く違う。
 低いものを目指していたのだが、逆に高いところに上ってしまったのだ。
 この平田氏、その世界では独裁者に近い力がある。しかし、自分で決めたことなど何もない。
 だから平田氏のレベルの低さは昔のままで、それを貫き通していることは確か。
 これは学校で級長を決めるとき、なり手が誰もおらず、誰も立候補しない。それであまり成績に恵まれない生徒を全員で推薦し、級長にしたようなもの。
 一番上に低レベルの人を置くことで、システムが非常に安定するのか、平田氏の天下は長く続いた。
 という話が本当にあるかもしれない。
 
   了
 


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2019年04月01日

3944話 壺にはまる


 坪井か坪田かは思い出せない。それよりも何処に出てきた人物だろう。坪だけが残った。しかし、これは壺だ。壺として記憶にある。ということは文字で見たのではない。耳から入って来たのだろう。二日以内の話で、それまでは坪井も坪田の記憶はない。ただ、何十年か前、何かの会で坪と付く名前のメンバーがいた。むちっとした小男で、頭の鉢が大きい。そこで坪井ではなく、壺と記憶していたが、それから関わることがないので、坪井なる人物との接触ははないし、また思い出すこともない。
 二三日前だ。坪井か坪田が出て来るのは。しかも耳に入った名。目に入った名ではない。
 前田はそのことが気になったが、テレビやネット動画などで映像としては出て来ないが、坪井か坪田の名を言ったのだろうか。
 文字ではなく、耳から入って来た名前として覚えている。これは大きなヒント。しかも二日以内。
 メディアからの情報とは限らない。誰かが話しているのを聞いたのかもしれない。
 ではその坪井は何をしたのか。何に関係する人なのか、どういうところで出てきたのかが分かれば、すっきりする。しかし、それが思い出せない。
 その中に坪井がいた。とか、その中に坪井も含まれる、などのニュアンスで出てきたことは覚えている。中心人物ではなく、関連する程度の人物。
 耳に入って来ただけの名前だが、その他大勢の中の一人よりは、少しはキャラ性がある人物。重要人物ではなく、その脇にいるような。
 そして、それを聞いたとき、坪井という人物を覚えておこうなどとは思わなかったはず。一寸耳に入っただけ。
 最大に見積もっても、坪井という人もいた程度だろう。主人公ではないし、メインではない。
 しかし、肝心の状況が分からない。古い時代の人なのか、最近の人なのか。またどのジャンルに属する人物なのかが分からないのだから、何ともならない。
 思い出せるのは数十年前の坪井君の名前と顔程度、知っている坪井君。二三度話したことはあるが、縁遠い同級生レベル。しかもその会は三ヶ月ほどで終わったので、坪井というメンバーを覚えているだけでも大したものだ。
 それで、誰だか分からない坪井か坪田。これはやはり坪井が引っ張っている。本当は坪田かもしれない。しかし、坪田という人物と今まで接したことはない。坪内逍遙なら知っている。昔の作家だ。しかしその程度の印象。坪内という名の女優が昔いたことも何となく覚えている。それに比べ、坪田はまったく印象にない。
 だが坪井ならリアルで接したことがあるので坪井か坪田かどちらかで迷ったときは坪井が引っ張るだろう。吸収してしまう。その方が記憶に磁気があるためだ。
 それで、坪井が何をしたのか。これは思い出せないが、知っている頭の大きな坪井と同じように、こういう人もいた程度。またはいる程度。
 その影は薄い。前田にとり、そういうポジションにいる人物は、大勢いる。これは前田から見ての浅さや深さで、本人はまた別だろうが。
 しかし、坪井を思い出しているとき、これは一つの何かを指し示しているような気がした。色々あった中の一つ。色々いた人の中の一人。
 このあたりにポイントがあるのではないかと思い、今、思案中の案件を、その坪井風な方向で模索することにした。
 これは壺にはまるかもしれない。
 
 後日談がある。数日後、坪井の正体が分かった。その名の発生元は選挙カーだった。正しくはスピーカーからの発声音。
 
   了


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2019年03月31日

3943話 村巫女


 疋田村の村巫女は高齢。老婆だ。この辺りの村巫女は年寄りが多い。どの村にも一人、そういう巫女がいる。これは特別な存在なので、一人。それ以上抱え込めないし、巫女は鬼道を使うため、船頭は二人いらない。迷ってしまう。一人の巫女が決定すればいい。ただ、もう今は巫女に頼るようなことはないが、本当に迷ったとき、それこそ丁半博打のように巫女に託す。
 疋田村の北にある真田村の巫女は、もっと北の方から来た巫女のようで、流儀が違う。所謂イタコの系譜。これは北方の巫女と呼ばれ、今はなくなった人とのコンタクトが専門になっているが、昔は鬼神とコンタクトが取れたらしい。これは神様のようなもので、こちらの方が巫女らしい。真田村の北方シャーマン系と疋田村の南方シャーマン系、二人の老婆が、ある日、出合った。まあ、同じ生業なので、同業のよしみだろう。
 二つの村、どちらにとっても一番近い隣村のためもある。当然近隣の村々にも村巫女がいる。この辺りはほとんどが南方の巫女で、北方の巫女は真田村だけ。
「娘は素質がないし、孫も駄目じゃ」
「ワタイところも同じ」
「どうじゃろう、養女をとらぬか」
「ワタイもそれを考えておったのです」
「少し離れておりますが、秩父に気性の激しい気の立つ娘がおると聞きました」
「ワタイも聞いております」
「信濃は遠いが、そこにもいるとか」
「もっと近くにおりませんかな」
「うちの村にはおらんしな」
「じゃ、秩父の気の強い娘にしましょうか」
「どちらが貰いますかな」
「占いで決めましょう」
「そうしましょう。そうしましょう」
 それで、秩父の村娘を養女にした。親も村も手を焼くほどの気の強い娘で、じゃじゃ馬娘。簡単に縁組みが決まった。
 二人の巫女は占いで決めたというが、実際にはクジ。北方イタコ系の真田村巫女が当たりを引いたので、養女とした。
 この巫女、あっちにいる人を呼び寄せる力はない。だから南へ下ったのだ。この辺りにイタコの風習はなく、占い婆さんとか、マジナイ婆さんとか呼ばれている。霊を迎え受けるより簡単なためだ。
 南方系の疋田村の巫女も養女を見に行った。
 この気の強い娘、何かが入っていると、北方の巫女は感じ、それを追い出すことから始めた。
 それには誰かを知る必要がある。しかし、イタコ系でも力がないので分からない。
 そこで、疋田村の巫女が呪文を唱え、御札を乱発させ、護摩も焚き、娘をいぶした。手荒いことをするのが南方系の特徴。派手なので、村ではこちらの方が受ける。それに北方の巫女は地味な普段着だが、南方の巫女は遊女以上に派手な化粧をし、衣服も派手。しかし婆さんなので、バケモノだ。
 気の強い娘は、それぐらいでは動じない。逆に二人の巫女に圧力を掛けてきた。これは神経に来るようなイライラが起こり、気が狂いそうになった。
「これは手強いですなあ」
「本物じゃわ」
 要するに、この二人の村巫女、神秘的な力など最初からないので、敵う相手ではなかったのだ。
「きつねが入っておるんじゃ」
「いや、違う、鬼神じゃ」
 結局二人の村巫女は、この気の強い娘に仕えることになった。
 秩父の村では厄介者だったが、疋田、真田両村や、その周辺では大変な評判となり、受け入れられた。
 しかし、その期間は短く、娘が大人になりかけたとき、鬼神が来なくなったのか、普通の娘に戻ってしまった。人が変わったように、大人しい子に。
 巫女としてはもう使えないので、娘の親とも相談し、戻すことにした。
 古い記録では、そうなっているが、実際には、ある日、高僧が娘を見に来て調べた結果、鬼神を操れるほどのシャーマンであることが分かったため、それを使えないように、何かをしたらしい。
 この娘の将来を気遣ってのことだろう。
 
   了
 


posted by 川崎ゆきお at 12:22| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月30日

3942話 春うらら


 森永は春になれば始めようとしていたのだが、季候がよくなると、身体も頭もリラックスするのか、緊張感がなくなり、何かをやろうという気が失せてしまった。
 新年もそうで、年が改まったときスタートを切ると決めていたのだが、寝正月で終わったので、スタートに覇気がない。そのあと真冬を迎え、気持ちは閉じた。その雨戸を開け、窓を開けても寒くない春を迎えたのだが、気持ちは開放的になるものの、頭は春うらら。緊張感、緊迫感、危機感、そういったものが緩くなっただけ。それで、スタートが切れない。
 マラソンならスタートした瞬間から歩いているようなもの。
 流石にこれではいけないと森永は思うものの、真剣ではない。うららかなときに考えることなので、そんなものだろう。
 こういうとき、仲間を訪ねるのが森永の流儀。そんな流派はなく、高度な知的技術でも何でもない。
「いるか」
「ああ、森永君。やはり来たね」
「春だからね」
「平日の真っ昼間から来られるのだから、相変わらずだね」
「そういう君も、部屋にいるじゃないか」
「それを見に来たんだろ」
「まあ、そうだけど」
「安心していいよ。寝たきり青年だから」
「本当に病気になるよ」
「もうなってる」
「あ、そう」
「要するに、立て直したいわけでしょ」
「表向きはね」
「立派な社会人になる気なら、ここには来ないよ」
「そうだね。しかし、何とかしたい」
「そりゃ僕だってそうさ」
「春は駄目だねえ。眠くて」
「うんうん」
 こうして、頷き合うからいけないのだ。
「社会人は無理だけど、個人でできる何かを探しているんだ」
「何をやっても、個人がやることでしょ」
「そうだけど、一人でやるということ」
「ああ、一人でね。まあ、誰だって結局は一人だよ。仕事に行っても、その中の一人であることにかわりはないし」
「だから、一人でできる仕事。これを探している」
「まあ、それを考えるだけで疲れるよ」
「一人でできて、やりがいのあること」
「贅沢な」
「そうだ、これがやりたかったんだと思えるようなことで」
「ないない」
「君も考えたんだろ」
「考えたけど、あれも夢、これも夢で終わったよ」
「駄目じゃないか、終わらせちゃ」
「そのてん森永君は立派だね。まだいろいろと考えて実行しようとしている。僕より勝っている」
「そんなの低レベルでの競い合いだろ」
「結局なんだろうねえ」
「怠けたいだけだよ」
「ああ、それを言っちゃあ駄目だよ。それは社会に出たとき、絶対に言ってはいけない希望だよ」
「怠けることに怠ければいいんだ」
「え、よく分からないよ。状態が」
「怠けようとするのを怠けるんだ」
「うう、掴めない」
「怠け心を起こさなければ全て上手く行く」
「それは分かるけど、楽をしたい」
「それは怠けないで懸命にやったから得られる成果だよ。いい結果が出て楽になる」
「あ、楽にならなくてもいいから、しんどいのがいやなだけ」
「まあ、その話は何度もしたから、もう繰り返すのはよそう」
「そうだね。議論し尽くしたからね」
「それでだ」
「何か、まだあるの」
「運だよ。運」
「運に頼るか」
「世の中、どんな偶然が待っているのか分からない」
「可能性としてはあるねえ」
「それまで、寝ていりゃいいんだよ」
「果報は寝て待てというからね」
「しかし、それは怠けていては、やってこないでしょ」
「そうだったか」
「地道にやりながら、機会を待つという意味だよ」
「地道か」
「そう、真面目にね」
「タナボタはどうかな」
「寝ているとき、棚からぼた餅が落ちてくるか。これはいいねえ。何もしなくてもいいんだから」
 この二人のミーティングは過去何度もやっているのだが、今回はタナボタで同意を得た。
 森永は春うららの中、安心して頭もうららのまま引き上げた。
 友達を選ぶべきだろう。
 
   了






posted by 川崎ゆきお at 11:37| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする