2020年03月21日

3696話 花見


「桜が咲きかけていますよ」
「おおそうか。今年は早いのかのう」
「ここ数日暖かったので」
「おおそうか、それは花見をしなくてはのう」
「そうですねえ」
「じゃ、出掛けるか」
「いや、咲きかけで、まだ咲いていません。従って花見客もいません」
「いいじゃないか」
「そうなんですか」
「すいていて」
「しかし、咲きかけもまだしていません。つぼみが赤くなっている程度で」
「いいじゃないか、それもまた桜、桜のつぼみ見に行こうじゃないか」
「そんな人はいないと思いますが」
「咲いてみせればすぐ散らされる。そんな世の中なので、咲く前の方がいい」
「そうなんですか」
「さ、さ、行こう行こう」
「何処へ」
「だから、花見じゃ」
「場所です」
「花見の名所ならいくらでもあるじゃろ。適当なところでいい。まあ、近い方がありがたいがな」
「じゃ、終縁寺はどうですか。近いです」
「何か縁起の悪そうな寺じゃなあ」
「逆手に取ったんでしょう」
「そうか、近いなら、そこがよい」
「まあ、ここは地元の人間に任せて下さい。師匠は旅先」
「ああ、分かった」
 その終縁寺。本当はそういう名ではないが、そう呼ばれている。大きな墓地を持っており、終焉寺がふさわしいのだが、縁の終わりと、誰かが言いだしたのだろう。
 そのため、終焉と解するか、終縁と解するかは勝手、ただし、終縁という言葉はない。
 旅先の師匠と、地元の弟子が終縁寺に来てみると、それなりに人がおり、花見をしている。しかも団体客で、円座がいくつもできている。桜など咲いていないのに。
 何かこれは宗教行事なのではないかと疑ったが、普通の花見の宴会。禁止されているバーベキューもやっている。
「ほほう、桜のつぼみ見が分かる人達がいるようじゃな」
「意外ですねえ。師匠だけの趣味かと思っていましたが」
「別にそんな趣味はないがな」
「そうなんですか」
 花見客の一人に聞いてみると、一週間ほど早いらしい。しかし、予定が組まれていたので、やることにしたとか。
 つまり、今年は桜が早いので、今日なら咲いているだろうと判断したのだろう。しかし、まだ咲いていなかっただけの話のようだ。
「師匠、お仲間が多くてよかったですねえ」
「おお、そうじゃな」
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 13:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月20日

3695話 現実劇場


 芝垣は最近行動範囲が狭まった。別にそれで不自由はないが、何か物足りない。減ったため足りないのだろう。おかげで交通費や時間が省略できるのだが、移動中の時間というのも悪くない。車内で座っているだけ、立っているより楽だが、これといってすることがない。スマホを見ている人が圧倒的に多くなったが、以前は読書タイムだった。この移動中だけの読書時間でも毎日なら結構多くの本が読めた。別に読むために移動しているわけではないが。
 知らない町まで用事で出ると、そのついでに見学もできる。別にその気がなくても沿道の風景などを見ている。寄り道までして見に行くことをしないのは、それが目的ではないため。
 余計なことをすると用事が片付かない。
 今なら、その余計なことをメインにして出かけることになるのだが、余計だからできたのであって、それがメインになると、行く気がしない。それほど大事なことではなく、見学してもしなくても同じようなもの。
 その証拠に以前行ったところの記憶などほぼ忘れている。それが何かに生かされた経験もない。
 何かのついで。これがよかった。
 それで久しぶりに遠出しようかと芝垣は考えた。これは何度も思うだけで、いざ出ようとなると、面倒くさくなり、結局出かけない。魅力のある目的地ではないためだろう。この魅力というのは魅入られたようなレベルに達しないと押し出しがない。そんな魔力に近い魅力のあるものなど、そうそうないだろう。
 これは人が関係し、また仕事や将来が関係し、また血のように存在そのものにでも関係しないと、成立しないのかもしれない。
 一般の人たちが誰でも立ち寄れる場所なので、特別なものではない。
 それでも、うろうろしてみたいもの。
 柴田はこれまでの経験で、どんなにつまらない場所でも、出かければ必ず何らかのイベントがあることを知っている。これは誰かが仕掛けたものではなく、偶然起こる出来事のようなもの。それにはジャンルがあり、ホームドラマもあればサスペンスやミステリーもあるし、喜劇も悲劇もある。だが、誰も演じていないし、シナリオもない。
 だから行ってみるまで出し物が分からない。これといったものがなくても、虚無劇、不条理劇風な展開になったりする。
 それは現実を劇場にしているためだろう。
 
   了





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2020年03月19日

3694話 浅野内匠頭


 目を覚まし、起きたとき、三村は春を感じた。気温ではない。その朝はいつもより寒い方。
 しかし窓から差し込む陽射しが違う。それまで天気が悪かったので、朝の陽射しは久しい。そのためかもしれないが、春を感じる。目でそれを感じるだけではなく、身体が元気になっている。何かがみなぎっている。冬の間、充電してたわけではないが、いい感じだ。こんなことで元気になるのだろうか。気象の影響は確かに大きいし、無料で得られる。
 しかし、三村には思い当たることがある。昨日、解決した問題がある。それから解放されたためだろう。これは断念ということだ。まあ、失敗したのだが、それで諦めがついた。
 それだけなら元気にならない。気力も満タンにならない。
 三村はそこを分析した。そういう癖がある。結論は次のことに移れることだ。失敗したので落胆するはずなのだが、そうではなく、新たなことができるので、わくわくしている。違うことが企める。三村はこれを浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)と言っている。他では通じない。
 三村の浅野内匠頭が動き出したのだ。この人は江戸城松の廊下で刃傷に及び、切腹。まだ若い。桜が咲いている下で果てる。春が来ているのに、我が身は果てるという辞世の句を残している。
 その話と、三村の企みとは関係がない。内匠頭と引っかけただけ。
 赤穂の若い殿様はそこで終わるが、三村は次のことができる。しかも春。スタートには丁度。
 つまり、次へと進めることが喜ばしい。失敗し、終わってしまったので、自由になった。煮詰まっていたものが焦げて灰になり、消えてしまったようなもの。
 新たなこと、それができる。これが今の三村の精神状態。そう分析したのだが、その先までは読まない。
 新たな展開、新たなもの、新しもの。それは未知。そして、それを探すのが好きだ。それは企み。ここでも浅野内匠頭にかかってしまうが、浅はかな企み頭だが、企むのが好きなのだ。それは実際にそれを実行するよりも、次は何をやろうとかと作戦を練っているときの方が好き。これは困ったものだが、三村はそこは分析しない。それをすると、水を差すため。折角の元気も萎れ、枯れてしまう。
 だが、三村が匠になれないのは、すぐにやめてしまうため、長続きしない。だから経験値も積めず、技も身につかないまま終わる。ここでは内匠頭になることが大事だが、初々しい気分をいつも持つことができる初心者レベルが好きなようだ。
 そして、三村の春は始まった。
 
   了
 

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2020年03月18日

3693話 春の陽気


 やっと春の陽気を感じられるようになったので、吉村は久しぶりに出掛けることにした。といっても目的地はない。あるとすればこの春の陽気。まだ春本番ではなく、桜も咲いてないが、梅はもう全部散っている。欲しいのは陽気。冬の陰気ではなく、春の陽気。
 その陽気が来ているため、出る気になったのだろう。つまり気持ちも陽気になった。ただし、かすかに。
 この陽気というのは出掛けたくなるものらしい。だから陽気に当たればそれでいい。そのため目的地などなくてもいい。外に出れば陽気があるのだから。ただ、家の前でボッと立っているわけにはいかない。自分の家の前で不審尋問を受けそうだが、不審者ではない証拠には困らない。
 家の前、近所などは普段でも歩いている。日々の用事で外には出ているが、そこではなく、春の陽気にふさわしい場所が好ましい。
 こういうときは公園がいいのだが、近くの公園は児童公園で、大人は子供の付き添いで来ている程度。普通の大人や通行人が入り込んで、ベンチで座っているのを見たことがない。それに近いので、吉村を知っている人がいる。
 だから、そこではなく、別の場所がいい。
 こういうときは神社やお寺があると便利。特に神社などは普通の人が普通に入り込んでも何の問題もない。ただし本殿で拝むなりしないといけないので、不審な真似はできない。
 まあ、そんな場所など探さなくても、適当に歩けばいい。外に出ているだけでも十分。だからどの道を行こうが陽気は上から来ている。より春の陽気にふさわしい場所など探すから、面倒になる。意外と難しいのだ。
 陽気を受ける。これだけでいい。
 吉村はいつもの駅への道筋に入りかけたので、そこはコントロールしてみた。違う道を選ぶだけでも散策になる。簡単なことだ。道を変える。それだけでいい。
 すぐ近所なのだが、入り込んだことのない道が多い。ほとんどそうだ。引っ越してから五年経つが、用がないので、通らなかっただけ。
 それだけに新鮮。近所にもこんなところがあったのかと思うほど。
 ただ住宅地なので、家が違う程度で、古い家も残っていたりするし、モダンな家もある。門の前に高そうな草花の鉢植えもある。花よりも、その鉢が高そうだが。家も立派で、欧風。小さいが小綺麗な家。きっと建て主はこういう家に住んでみたいと思っていたのだろう。建売住宅ではなく、注文住宅。
 見るものがないし、用事もないので、そういうのに目がいく。それでいい。散歩なので。
 だが、しばらく進むと、様子が変わってきた。このあたりに昔からあった古い地層だろう。そういう一角に出てきた。吉村が子供の頃よく見かけた家が続いている。まるで昔にワープしたようなもの。こんなところがあったのかと思うのは、吉村の不勉強だろう。まあ、寝に帰るだけで部屋を借りているようなものなので、近所には興味はないし、またそんな時間もなかった。
 だが、陽気に誘われ妖気と出合うこともある。何やら風景が怪しくなってきたのだが、陽気が陰り始めたようで、雲が出てきた。季節の変わり目だ。天気も変わりやすい。
 陽気が陰気になり、そして妖気になる。そんなことはないと思いながら、町の古い階層を抜けていく。まるで先住民が住んでいるような一角だが。先にここに家を建てた人達なので、これもやはり先住民だろう。
 陽気が去り、空が暗いが、光がフラットになり、影がなくなった。
 そこを抜けると、見知らぬ町。だが、その町はよく知っている。裏側から入り込んだので、よく分からなかっただけ。リサイクルショップがあり、その建物の裏側に出た。
 もう陽気は消えていたが、一応目的は果たしたので、その店で三層構造のフライパンを買って締め括った。
 
   了
 


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2020年03月17日

3692話 山下


 ひと山越えたためか山下は落ち着いた。そういう山は大小あり、優しい山もあれば険しい山もある。そのほとんどは越えられる山、登り切れる山なのは無理な山には登らないためだろう。
 今回は少しややこしい山に登ったので山下は疲れたようだ。いつもは山の下にいる。だから山下。おそらくその姓をつけた人は、そんなところに住んでいたのだろう。侍ではないので、適当なのにしたのだろう。
 それでひと山越えたので、ほっとしていると、またひと山が来た。これはパスしたいところ。ひと山越えたばかりなので、ゆっくりしたい。
「まあそう言わずに山下さん、是非お願いします。決して難しい話ではありませんので」
「いえ、疲れて、もうその気が」
「簡単な用件です」
「じゃ、他の人に頼めばいかがです。簡単なのでしょ」
「山下さんにしかできませんから」
 山下はいやいや引き受けた。聞けば簡単な用事で、子供の使いに近い。
 しかし、自分にしかできないというのはどういうことだろうか。ここがちょっと引っかかった。他にできる人が大勢いる。しかし山下にしかできないとなると、これは奥があるのではないかと疑いたくなる。
 だが、この依頼者とは普通の関係で、踏み込んだ関係でもない。そんな裏のあるようなことを仕掛けるはずがない。
 それで、疲れていたが簡単な用ならこなせるので、出かけることにした。ひと山越えたばかりなので、休憩したいところだが、軽い山のようなので問題はないだろう。
 だが、その用事、確かに簡単なのだが、妙に疲れる。簡単なように見えて、結構難儀する。低い山のはずなのだが厳しい。
 簡単そうに見えるが実は簡単ではない。それはなめてかかったからではなく、地味に面倒な山だ。
 山下は不思議に思った。なぜこんな簡単な山が難しいのかと。簡単すぎて難しいのではない。簡単なほど難しいのかもしれない。
 山下は難事の山下と言われるほどのベテランであり、達人。高難度の山下とも呼ばれている。
 簡単そうに見えて難しい。確かにこれは山下でないとこなせないかもしれない。だから依頼者の選択は間違っていなかった。
 簡単そうだが難しい、その面倒な用事をやっと済ませたて戻ってきたのだが、すぐに寝入ってしまった。疲労度大。
 その翌日、ふた山越えた分、ゆっくりすごしていたのだが、今度は違う依頼者が来た。
 ものすごく難しい要件で、山下さんにしか頼めませんと。
 山下は数日は休憩したかったが、引き受けた。
 難しい方が実は簡単かもしれないためだ。前回の逆読み。
 しかし実際にやってみると、難事の山下でも手強く感じるほどの飛び抜けて難しい用事だった。依頼者は嘘をついていなかった。
 これで山下は難しい山ばかり三度も超えている。なかなか山の下でゆっくりしている状態の山下にはなれない。
 姓を山上と改めるべきだろう。
 
   了
 




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2020年03月16日

3691話 物怪とは


 春が近いのだが、妖怪博士は相変わらず家の中にいて、滅多に外に出ない。出るとしても夜だ。妖怪博士にふさわしい時間帯。あまり真っ昼間に街をうろつくのは彼らしくない。
 しかし、部屋の中で籠もっていても、色々と人と接することが多い。相談事だ。そのほとんどは妖怪を見た、から始まる。妖怪博士なので、妖怪に関連する人しか来ないのだが、たまにセールスが来る。だが、狐や狸が人を化かすのを研究しているほどなので、セールスに欺されるようなことはない。というより、そんな巧妙な騙し方をするようなセールスなど来ない。一番レベルの低いのがウロウロしているのだろう。そのほとんどは直球で、欺す芸などなかったりする。
 元気の出る飲み物、これは養命酒のようなものだが、それに似たものを売りに来たセールスマンがいた。青い顔をし、痩せている。虚弱体質だろうか。妖怪博士は心配し、君はその薬酒を飲んでいないのかと聞くと、高いので買えないという。セールスの成績が上がれば、買えるのに、と、そちから攻めてきた。
 これは一種の芸だろう。しかも身体を張っての。
「あのう」
「何かね」
「もしかして、ここは妖怪博士のお宅ですか」
「そうじゃが」
「偶然です。僕、知っています。妖怪博士を」
「そうなのか」
 これは芸ではなく、作戦でもないだろう。妖怪博士宅をあらかじめ調べておいて、などと手の込んだことはしないはず。それに高いと言ってもしれているだろう。そんな手の込んだことはしないはず。
「一度聞こうと思っていたのですが、いいですか」
「ああ」
「妖怪と、物怪は同じものですか」
「言葉にはそれぞれ付けたときの意味があるが、まあ、適当でよろしい」
「でも妖怪はいいのですが、物怪って、どうして言うのですか」
「もののかいじゃ」
「それは分かります。聞かなくても。物が化けるわけですね」
「そう解釈した方が簡単。しかし本当は違う」
「え、じゃ」
「驚くような意味はないが、物部氏と関係する」
「物部氏」
 蘇我と戦い敗れている。聖徳太子がまだ青年だった頃だ。仏の蘇我、神の物部との戦い。
「物部の怪。これが正しい」
 政敵物部を倒したのだが、その後、異変が起こる。菅原道真と同じパターンだ。
 ただ、怨念とは違うようだ。
「そんな説があるのですか」
「物部が引き起こす怪異。これを物怪といったらしい」
「僕は、道具とか、そういったものが化けたものかと思いました」
「それも物怪」
「はい」
「まあ、時代により、呼び方が違ったりするもの」
「はい」
「もののけ」という語呂がいいじゃろ。それに仮名で書くと、いい感じのバケモノだ」
「有り難うございました」
「で、養命酒はもういいのか」
「養命酒じゃありません。それよりも効きます。高麗人参とマムシが入っていますので」
「まあ、頑張って、売りなさい」
「新製品もあります」
「興味はない」
「ツチノコ酒です」
「いいセンスをしておるのう」
「はい。でも、説明しているとき、笑います」
「まあ、早く足を洗いなさい。他にも仕事はあるだろ」
「いえ、こういうインチキ臭いのが、好きでして」
「そうか」
 世の中には極一部だが、特殊な趣味を持つ人がいる。妖怪博士もその一人だろう。
 その青年、妖怪博士宅を出て、前の路地を歩いていたのだが、その足取りは軽やか。虚弱体質は演技だったようだ。
 
   了
 



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2020年03月15日

3690話 あれこれ


 これというのがないとき、吉田はこれを探す。しかし探さなくてもこれというののは結構ある。だがそれを今するとなると気が重い。今ではなく、あとに回し、最後までしないこともある。だからこれというものではないのだろう。
 その、これというのはよく変わるし、またすぐに終えてしまうものもある。長く続いているものもあるが、長いとこれというものではなくなっている。
 吉田により、これというのは、あれではない程度。あれでではなくこれがいい程度。あれがこれになることもあるが、距離感の問題だろう。
 だからこれもあれも似たようなもの。これというものは注目しているもの。注視しているもの。気にかけているものの中で、一番距離の近いものだろうか。
 どちらにしても、同じようなもので、あれこれと一つにしてもいい。吉田にとってはこれだが、世間は無視しているか、注目さえしていない場合もある。
 このあれこれの中身はどんどん変わり、今年のこれと去年のこれとは違うどころか、毎日違っていたりする。
 吉田は気が向けばあれをしようか、これをしようかと考えるが、あれではなく、やはりこれをしたい。だからこれがしっかりしていないと、あれをやるしかない。
 吉田にとり、これの方が価値が高い。これが遠ざかるとあれになる。あれが近くなると、これになる。
 これは正体が分かっているが、あれは少し分かりにくい。
 これの正体が分かっていても、それがどんどん分からないものになってしまうことがある。そのときはあれになる。
 それらはすべて吉田の言い分で、吉田の判断でしかない。だからそれは外に出せない。
 あれこれとは別に、それがある。あれでもなくこれでもなく、それ。自分ではなく、相手の視線だったりする。
 本当にやるべきことは、あれこれではなく、それだろう。
 人それぞれの、それだ。
 
   了



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2020年03月14日

3689話 気流


「気流というのがある」
「空気の流れですね。風水のようなものですか」
「人の流れじゃ」
「通行人が多いとか」
「内面の流れ、心の流れ」
「空気を読むとか」
「そうじゃな」
「当たりましたか」
「何かには当たる。そういう風にできておる」
「じゃ、ここでいう気流とは天気のことじゃないのですね」
「人が持っている気分のようなものじゃ」
「気が変わるとかがそうですね」
「そうじゃな」
「また当たりました」
「当たるようにできておる」
「そうですね。適当に言えば、どれかに当たりますから。それで、人の気流がどうかしましたか」
「人の心には流れがある」
「そっちの気流ですね」
「そうじゃ」
「当たりましたね」
「繰り返しになる」
「はい」
「気流というのは一つではない」
「人生の流れは一つでしょ」
「それはメインの流れ。実際に起こっておることが含まれる。想像ではなく」
「はい」
「そのメインの流れは別の流れの影響を受ける」
「別の流れとは何でしょう」
「一寸気になることとか、本題ではないが、最近気にしているもの。拘っているもの、などかな」
「どうでもいいようなことですか」
「そうじゃな、直接人生には関係がないことが多いが、影響はする」
「何でしょう」
「普遍性が低い。個人個人の勝手な思いじゃ。しかし、人生規模じゃない。一寸した好みの変化とか、好みの変わり方とかで、重要事じゃない」
「雑念のような」
「色々じゃ。食べるものの好みが変わったとかでもいい。これを箸の流れが変わるという。着るものが違ってくるのもそうだ。自分の中の流れ、流行がある。いずれもメインではない。そういう気流が常に複数流れておる」
「本流ではなく、傍流ですか」
「いいことを言う。わしより上手いじゃないか」
「いえいえ」
「その傍流の流れ、傍流の気流が本流を変えてしまう。もしくは本流の影響で傍流が生まれ、傍流の流れが生じるとも言えるし、また独立して、本流とは無関係に、そういう流れが続いておることもある」「どっちなのですか」
「個人個人違うので、何とでも言える」
「それで、本日の大事な話は、それですか」
「不満か」
「いえ」
「流れには指向性がある」
「向かっている先ですね」
「それは先々まで見えておるわけではなく、一つ向こう側に着くと、指向性が変わる」
「分かりにくいです」
「指向性とは差しているだけ。指し示しているだけ」
「それは想像の世界ですか」
「その想像が現実のものになると、次なるものが出てくる。それはまだ経験していない世界。やってみないと出て来ん世界。流れが現実化してこそ次が見えてくる」
「もう分かりません」
「傍流は本流ではないが、この傍流の気の流れが本流に影響する。そういう話じゃ」
「はあ。色々と解釈できますねえ」
「その解釈の流れが変わるということでもある。見え方が違ってきたりな。それが気流。本流以外のところでもその気流が発生し、本流を引っ張っていったりもする」
「師匠、単純なところで、止めて下さい」
「それもまた、聞くものの気の問題。先を聞きたがるか、早くまとめて、豆知識程度に収めてしまうのかは、志向性の違い」
「だから、余計ややこしくなりますから、もうこのあたりで」
「そうか。どうも最近わしの気流は乱気流になっておるやもしれん」
「季節の変わり目ですからね。お大事に」
「ああ、そうじゃな」
 
   了




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2020年03月13日

3688話 アルミ


 岸和田は考えがまとまらないので、整理することにした。こんな状態はあまりよくなく、まとまらないことが問題で、これはまとまらないことなのだ。そのため、いくら整理しても、まとまらないだろう。
 部屋で煮詰まったので、外に出ることにした。これは同じことで、外ならまとまるわけではないが、頭を冷やすには丁度いい。
 室温よりも外は低い。だからもろに冷やすことになるが、頭の先が冷たくなるほどの低温ではない。それよりも風があるので、それを受けていると気持ちがいい。煮こみすぎて焦げ付いていたのだろう。
 そのまま散歩に出たのだが、すぐ近所なので、別に変化はない。風景はそこにあるのだが、見ていない。相変わらず見ているのは、先ほどまでの懸案。まとまらないものをまとめようとまた繰り出す。
 まとまらないままでは判断を下しにくい。判断しなければ動けない。止まったままになる。だからまとまらない状態でまとめるしかないが、まとまらないのだから、まとめようがない。
 ではまとまらない状態のまま決めてしまうのはどうだろう。この決定はまとまりのない決定で、決定のための決定。適当に決めたということだが、その適当が意外と難しい。何か背中を強く押すようなものとか、きっかけになるものが一ついる。
 だから適当に決定したものは、すぐにまた取り消される。そのまま進めれば問題はないが、やはりブレーキがかかる。自分に対しての説得力が弱いため。だから動けない。従って、適当に選んだとしても、選べないということ。決まらないまま。
 夜風が気持ちいい。もう寒くはない春の宵。いい感じだ。懸案よりも、こちらの方がよかったりする。それで、頭の中の整理など忘れて、散歩を続けた。
 こういう散歩中に思わぬきっかけを見付け、ああ、そうだったのかとなるパターンもあるが、そんな偶然は先ずないだろう。ただの町内。
 前方にいきなり法師が現れ、何かを伝えて、さっと消える。ということもないだろう。何故法師なのかは分からないが、普通の人よりも賢そうだ。
 折角外に出たのだから、自販機で何かスカッとしたものを買おうとした。炭酸系がいいだろう。
 岸和田はポケットから小銭を取り出し、投入し、ボタンを押す。カランと缶ものが飛び出た。キャップのある小瓶がよかったのだが、仕方がない。
 アルミ缶。
 アルミだ。啓示はアルミだ。
 岸和田はさっと部屋に戻り、アルミをキーワードにして懸案をさっと解いた。見事なものだ。
 散歩には出るものだ。
 
   了
  



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2020年03月12日

3687話 我が世の春


「暖かいですねえ」
「春が来ましたね」
「来ましたか」
「冬が去ったのは確かです」
「そうですね」
「ところであなたの春は?」
「なかなか我が世の春にはなりませんよ」
「そのあと秋が来る」
「夏ではなく」
「そうです。いい頃は善いのですが、やがて黄昏れだし、盛時は去る」
「盛者必衰のあれですね」
「必ず衰える」
「まあ、一度も我が世の春をしないよりはいいでしょ」
「いやいや、我が世の春ができる人など希ですよ。小春ならありますがね。瞬間でしょ」
「でも我が世の春を楽しみたいです。一瞬でもいいので」
「そうですねえ。我が世の春があるだけでも十分かもしれません。しかし、未だ我が世の春がない人の方が先が楽しみですよ」
「そんな見込みなど全くない場合は、期待もしないでしょ」
「何かの拍子で、偶然いい運に恵まれて、そんな状態になるかもしれませんよ。今の延長線上じゃなくね」
「ところで、あなたの春は」
「私、寸止めにしています」
「寸止め」
「その手前でよしてしまいます」
「え、でも我が世の春の手前まで行かれたのですね」
「まだです」
「そうでしょうねえ、凄い人になっていれば、こんなところで菜の花など見ていない」
「ここは菜の花の名所ですが、狭いでしょ。それに裏に回り込んだ、あの家の庭の畑ですから、まあ、一般の人が見学に来ることはありません。だから穴場です」
「しかし、どんな人が住んでいるのでしょうねえ。畑一面菜の花ですよ」
「元々農家だったのでしょ。残ったのは裏の畑だけ。別に百姓をするわけじゃないし、野菜を育てて、それで食べていくようなこともしない。家庭菜園のようなものでしょ」
「しかし、広いですよ」
「庭じゃなく、本当の畑ですからね。規模が違います」
「わが畑の春ですね」
「きっと菜っ葉でも植えていたのでしょ。そのまま放置していただけもしれません」
「そうですね」
「ガラス戸の向こうで人が動いていますね。見物が見付かったのかもしれません」
「そうですねえ。行きますか」
「そうしましょう」
「しかし、あなたもここをよく知っていましたねえ」
「ウロウロしているとき、見付けたのです」
「私も去年見付けました」
「菜の花の黄色ばかり見ていたので、目がおかしくなりましたよ」
「これはねえ、夜が見所なんです。明るいんですよ。菜の花で」
「それはいい」
「まあ、ひとの家の庭ですから、夜に覗くことになるので、駄目でしょ」
「菜の花月夜、一度見てみたい」
「童謡にありそうです」
「さて、駅までご一緒しますか」
「はい、我が世の春の話をもっとしたいので」
「こんな呑気な菜の花見学ができることが既に我が世の春かもしれませんよ」
「そうですねえ」
 
   了





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2020年03月11日

3686話 楽天地


 人は生きている間には進化しないが進歩はする。それは前進か後退かは分からないが、おそらく前進だろう。前進だと進歩となるが、ほとんどの場合変化だろう。
 変化というのは変わること。これは良い意味も悪い意味もなく、変わるだけ。そして意味そのものも変わるので、なんともいえない。ただ何らかの変化がある。これはかなり具体的だ。
 変化にもいろいろあり、タイプがある。自分で決めて自主的に変化する場合もあれば周囲との関係で変わらざるを得ないこともある。おそらく後者の方が多いだろう。世の変化に合わせるように。
 世のはやりなどがそうだろう。流行。
 また環境の変化で、いろいろと変えなければいけないことも多い。そうでないと不都合なことになる。
 最終的には本人が決めることだが、妥当なことならそのまま受け入れるだろう。決心というほどではなく、それが御時世だと思い。
 大石は先にやってしまうようで、変化を強いられる前に。
 だから言われてやるのではなく、自分の意志でやる。実際には強いられていることには変わりはないのだが、それでは仕方なしにやるような感じなので面白くない。
 結局は周囲に合わせるわけだが、その合わせ方に多少の違いがある。そこにやっと大石らしさが出るのだが、そんな個性など出しても仕方がない。ただ個体により順応の仕方が違う程度。
 世の流れに逆らった生き方もあるが、これも程度の問題だ。未だにちょんまげをしているような人は相撲取り程度。
 やはり周囲との関係で違和感が出てきたので合わすことになる。人の自由意志など僅かなもの。
 ただ世間から見て、どうでもいいようなことなら、自分の意志を通し続けることはできるだろう。誰からも文句が出ないほどの些細ごとなら。ここはおそらくその人の世界で、楽天地かもしれない。趣味の世界にそれが多い。
 ただ、世の中に影響を与えたりすることもないので、無視されているようなもの。大事なことではないためだ。
 大石は進んで世の中に合わせ、人にも合わせているのだが、それができるのは楽天地を持っているためだ。ここだけは自分の意志が通るので、当然通し続ける。
 世の中よりもその楽天地の方がメインなのかもしれない。
 
   了





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2020年03月10日

3685話 作戦ノート


 春はスタートの季節。これは暦の上でそうなっていることもあるが、寒さから抜け出し、体も柔らかくなる。頭も柔らかくなるのか、気持ちも軽くなる。軽くなったついでに、つい散歩に出たくなる。だが、散歩ではなく、何か新しいことでも始めようかという頭も働き出す。ほとんどが生理的なことかもしれない。だから生理現象の一つ。頭が先なのではなく体が先で、動きやすくなってきたので、頭も動き出す。
 といったからくりに動かされて、島内も動き出した。ただ、まだ部屋の中。考えている最中。エネルギーはある。だからそれを放出させたくなる。エネルギーは普段の暮らしの中でも放出され続けるので、何をするにも楽になる。そこで使ってもいいのだが、それでは頭が許さない。つまり、頭はそのままのため。
 梅の花が咲いている頃はそうは思わなかったが、桜のつぼみが膨らみ、赤くなりかかってきたとき、島内は動き出す。芽吹くのだ。
 ただ、何を芽吹かせるかまでは決まっていない。ここが最大の問題だろう。エネルギーや、やる気だけはある。困ったものだ。
 つまりそれを放出させることができれば、それでいいわけで、目的はそれだけかもしれない。だから生理現象に近い。
 島内はまずノートを買いに行った。ついでなので柔らかくてインクの出のいいサイペンも。まずはここからで、白紙のノートからのスタート。
 このノートを作戦ノートにし、そしてここが参謀本部になる。
 この参謀本部を持ち帰って部屋で作戦を練るより、喫茶店の方がいい。生活臭がないためだ。それにテーブルも椅子も島内の部屋のものよりもいい。ミカン箱を机代わりにしているわけではないがホームゴタツをデスクにしており、そこには醤油の瓶や箸立てもあるし、テレビのリモコンもあるしで、なんとなく落ち着かない。いや、一番落ち着ける場所なのだが、会議室のそれではない。
 その喫茶店には何もない。メニューもないし砂糖壺もない。ファスト系のためだろうか。または余計なものを置くと管理が面倒なためかもしれない。
 これは作戦参謀本部としてはちょうど。何もないテーブル。まあ、飲み物ぐらいはいいだろう。
 会議室でのテーブルでも水ぐらいは出るはず。
 そして、白紙のノートを開き、買ったばかりのサインペンのキャップを抜き、さっと書き出した。試し書きだ。思ったより線が太い。間違って太字を買ったのかと思ったが、種類はそれしかない。ただ、力を少し入れると太くなった。ペンと筆の中間のようで、筆ほどに柔らかくないので、安定感がある。力むと太くなる。これだ。こういうのが欲しかったのだが、狙って買ったのではない。偶然だ。
 試し書きで一ページ分を使ってしまった。落書きのようなもの。これでは議事録とは言えない。まるで前途を暗示しているようなもの。しかし、そういうのは島内にとり、最初から暗示ではなく、明示だろう。作戦を立てる前から分かっていること。どうせ落書き程度のアイデアしか出ないだろうと。
 瓢箪から駒。落書きからすごい案が出るかもしれない。だからただの落書きではない。
 ひょんなことで、ひょんなことが起こり、ひょんな展開になる。そういうのを夢見るのは、これといった作戦内容がないためだ。
 それで、数ページ、落書きし、一人作戦会議を終えた。
 これが島内の年中行事のようで、春先に一回これをやるようだ。
 実際にはこれといったアイデアもなく、作戦を練る作戦も頓挫したが、これは行事なのだ。この季節、これをやるのが春の年中行事。お寺や神社の行事と同じ。
 無駄なことをしているのだが、一応は前を向いているので、それでいいのだろう。
 
   了
 



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2020年03月09日

3684話 二階の八畳の夢


 八畳ほどあるだろうか。その横の部屋も襖を取り外しているのでより広く見える。夏はそんなものだと思いながら柴田は部屋の真ん中に敷かれた布団から起き上がった。まだ宵の口、開けはなたれた窓から簾越しに明かりが見える。下で子供が花火でもしているのだろう。
 ああ、盆休みで里帰りしていたのだと、改めて思う。
 そこで、目が覚めた。夢の中身は目を覚ましたところだけ。だからこの夢が目覚ましになっていたのだろう。しかし、郷里の実家で寝ていたのは分かるが、寝る前に、何かあったような気がする。実際の話ではなく、夢の話。きっと夢の中でうたた寝をして、そのまま寝てしまったので、忘れたのだろうか。しかし、夢の中で見た、その前のシーンなので、そんなものを思い出してもなんともならない。
 だが実家の二階で目を覚ます前のシーンがあるはずだ。それもまた夢なのだが、それがないと、夢が短すぎる。数秒だろう。
 しかし実家に帰ったときの夢なので、何か懐かしいような気持ちだけは残った。
 そして、夢の中ではなく、本当に目を覚ましたのだが、いい感じで起きてきた。目覚ましはかけていたが、それよりも早い。
 そして、急に襲ってきたものがある。それは今日という日だ。
 入社式。
 半年前からそれは分かっていた。卒業すれば、ここで働くと。来るべきものが来た感じで、兵隊に行くようなもの。ただ赤紙が来たわけではないので、強制ではない。自分で選んだのだから。
 早い目に目が覚めたのは夢のおかげかもしれない。起きる夢なのだから。しかし、それで起きたと思い、安心して寝ているかもしれない。起きてしまったので、夢の続きは分からない。おそらくそのシーンだけの夢だろう。前後はない。だが、起きた場所が郷里だ。しかも二階の八畳は滅多に上がらなかったが、勝手に入り込んで、一人でチャンバラごっこをしていた。広いので、道場。しかし、ドタンバタンと駆け回ると響くので、すぐに分かってしまった。忍者ごっこにすべきだろう。
 あの頃、というのが頭をかすめた。それは一番よかった時代ではないか。
 柴田は支度をし、ビジネススーツを着て、外に出た。
 しかし、夢が引っ張っている。あの頃が引っ張っている。無邪気だった頃の、あの日々が。
 柴田はその引力を振り払い、駅へ向かった。入社式まで十分時間の余裕がある。
 私鉄から地下鉄に乗り換えると、働く人々の群れに吸収されていく。その中の新人に。
 そして会社のある駅で降り、改札を抜ける。階段を上がり、地上に出て、大きな横断歩道を渡り、横道に入り、二つ目の信号を左に入る。既に巨大な墓石のような本社ビルは見えている。
 ここを毎日これから往復するのだ。
 そして徐々に近づいてくる。
 柴田はこれが夢であればいいのにと、何度も思った。これは悪夢だ。すぐに覚めるはずと。
 そして階段を少し上がったところに表玄関がある。入社式会場と書かれた立て札もある。会議室でやることは分かっている。
 そして玄関ロビー手前を見ると、鬼がいる。警備員だろうか。二匹立っている。
 ここはやはり地獄なのかもしれない。赤鬼と青鬼に見えた。
 さらに階段を上がると、とんでもないことが起こり、むちゃくちゃな展開になれば、これは夢に違いないと思い、安心できるのだが、そうならない。
 柴田は覚悟を決めた。
 同時に、郷里の二階の八畳の間を思い出した。瞬間その引力が来た。助け船なのだ。
 スーと柴田は後ずさり、階段を後ろ向けで降りた。最後の段を降り際に、まだ段があると思い、ガクッとなったが、膝が曲がっただけで、転びはしない。そのまま右へ旋回し、さささと歌舞伎役者のようにかっかっかっと本社ビルから離れ、さーとビル街に逃げ込み、地下鉄の駅まで、息を弾ませながら歩いた。
 安堵感が頭から身体に流れ、地下鉄の階段を降りているときは平常に戻った。
 
   了
 



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2020年03月08日

3683話 不平家


 平岡は世の中に対して文句ばかり言っている。それを聞いていた立花は、どんどん不快になっていった。それで、では気に入っているものはないのかと聞くと、それは言わない。褒めるべきものはないのかと聞くと、滅多に言わない。だからけなしてばかりいるので、もう平岡の話など聞かない先から分かってしまう。そして言っているだけ。
 世の中に不平のある人は確かにいるし、不平とか不満はあるが、そればかりだと飽きてこないものかと立花は平岡の内面を探った。
 正義感が強く、正しいことが好きなことは分かったが、果たしてそれだけの人だろうか。
 敵ばかり攻撃しているが、味方もいるはず。その味方までまさか攻撃しないだろうが、そのときは言わないようだ。
 きっとストレスでもたまっているのか、または、そういう性格の人なのかは分からないが、たまに褒めることもある。よくやったと。そのときの発音というか言い方、しゃべり方が、全く違う。ものすごく大事にしているものに触れるような話し方で、立花はその声が嫌だ。聞いていてぞっとする。ここまで態度が変わるのかと思うほど。
 不平家なのに味方はいるようで、その味方に対しての不平や不満はめったに聞かない。だから、不公平ではないかと立花は思うのだが、やはり贔屓があるのだろう。あって当然なので、問題はない。
 世の中はうまくできておらず、理不尽なことばかり。解釈は人それぞれだが、不満話ばかりを聞いていると、聞いている側はいらついたりする。そうだと思えないためだろう。立花には立花の解釈がある。それを言うと、平岡は不機嫌になる。
 それで、いつも一歩下がって聞いている。本気になって聞くと、反論したくなるためだろう。
 それよりも、平岡自身に問題はないのだろうかと、そちらを見てしまう。目くそ鼻くそを笑うようなものではないかと。
 共通の友達に芝垣がいる。彼の対平岡戦は、ただひたすら同調すること。平岡の言うことは何でも正しい。その通り、その通りと。これはただの防御だ。
 しかし、話を平岡に合わせ続ける芝垣の本音は分からない。真意はどこにあるのか。何を考えているのか一切分からない。
 なかったりして。
 立花は平岡よりも、芝垣の方が好きだ。これは相性の問題。それと態度の問題。芝垣のスタイルの方が好ましい。はっきりとしたことは言わないし、立場を明快にしない人だが、こちらの方が大人だ。世の中で起こっていることの真意など、そう簡単に分かるものではない。
 何十年後、実はあのときは、そうすることで切り抜けたとかがある。それはもう当事者が亡くなってからやっと分かることだったりするが、墓場まで持って行く人は、いつまでたっても分からない。誤解されていたとしても、誤解されたまま。ここに何かすごいものを感じる。
 平岡は昨日今日の出来事を、すぐに判断し、断定し、不満や不平を言い倒す。
 平岡が褒めたことでも、事実関係は違っていたと、あとで分かることもある。
 立花自身はどうかとなると、どういうポーズがいいのかと、考えている最中。
 いろいろな友人知人を見ながら、好ましいポーズを探し続けている。
 立花が分かっているのは、不平や不満ばかり言う人に不満がある程度だろうか。
 
   了
 



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2020年03月07日

3682話 自己謀反


 以前よくやっていたことをある日突然やめてしまうことがある。環境の変化とか身体の変化ではなく、気の変化だ。しかも自然に。そのため何か決心をしてやめたわけではない。続けてはいけない理由などはない。これはどちらでもいいことなのかもしれない。
 ただ、毎日やっていたことなら習慣化し、それをやらないと間が持たないとか、物足りないとかもある。そういうものではなく、ただの時間つぶしでやっていたどうでもいいようなことだろう。気が向かなくなり、やめることもある。
 また、別のものに目移りし、そちらに行ってしまうことも。ただ、すぐにそれは戻ったりする。
 しかし、一度やめると、その気にならないこともある。気が戻らないのだ。戻そうと思えばいつでも戻せることでも、何となく気が進まない。それは以前やっていたことなので、もうそれほど期待もしていないし、飽きてきているのだろう。
 そういうものを久しぶりにやることがある。風向きが変わったのか、気の向きも変わったのかもしれない。気が変わったわけではなく、気はそのまま。
 そして以前やっていたものに戻るのだが、相変わらずの世界が続いている。これがいいのかもしれない。相も変わらぬもの。それだけでもいい。
 季節は進んだかと思うと戻る。特に季節の変わり目。だから気分の変わり目というのがある。そういうとき、以前やっていたものに目がいったりする。そちらにもう一度戻してみようかと。
 これは先への展開が期待できない場合や、飽きてきたときなど、少し前に戻る感じ。
 流れを変えると、空気でもかき乱されるのか、攪拌される。この動きが少し見もので、下手をすると混乱するが、たまには無風地帯にいるよりも刺激があっていい。
 進みすぎというのもある。やり過ぎとか。そこまで行くと、もう離れすぎてしまうとか。それを補正したくなったとき、一歩か二歩退く感じ。それで以前やっていたところにまで戻る。そこがカレントだった頃に。そして行く方角や規模とか、そういった舵を切り直すのだろう。
 当然以前には戻れなこともある。そちらの方が多いかもしれない。
 人はそういう微調整を常にやっている。しかし調整する以前に、ただの思い付きだけで、終わることもある。考えているだけで、結局は今のままが多い。あまり現状を変えたくない。その現状とはなるようにしてなった妥協点のような落とし所で着地しているので。
 しかし、常に頭の中では謀反が起こっていたりする。実行することは希だが。
 
   了




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2020年03月06日

3681話 村の三長老


 村の人だが、めったに姿を現さない。当然見た人はいるので、噂だけの人ではない。そして怪物ではない。
 千草の隠居が村のメイン通りを歩いている。何か心配顔で。
 そこを抜けると大きな屋敷が並んでいる。いずれも豪農だろう。その中でも際だって大きな農家がある。武家屋敷並みだ。この村の大庄屋で、近在の村まで仕切っているような家柄。その裏口から千草の隠居が入ってきた。
「珍しい人が来ましたねえ」
 大庄屋は丁寧に迎え入れる。この地方を治めていた人で、その末裔。だからこの大庄屋以前は千草館がこの一帯を仕切っていた。今もその面影が残っている。それは山だ。周辺の山々は今でも千草家のもの。
 千草家は既に力を失い、里山にこもっている。そこが千草の地で、発祥の地。
「何かありましたかな隠居」
「ああ」
 そこへ千草とは反対側の山にある寺の隠居が来た。この人は村でも影響力があり、どの家も寺には世話になっている。むしろ大庄屋よりも力があるかもしれない。
 さらにもう一人、訪ねてきた。これは神主だが、三代前。だから引退して久しく、かなりの高齢。外に出ることはほとんどない。
 つまりめったに表に出ない三人が来ていることになる。
 さすがに大庄屋も圧倒された。村に何か異変でも起こったのか、または何か言うことがあるので来たのか。それは分からない。
 ただ昔から村の大事の時、この三長老が姿を現すという。よほどのことがない限り、外に出ない人たち。だからもの凄く重大なことだろう。
「おや何十年ぶりですかな千草様と会うのは」
「それより住職、もう亡くなられたのかと思っていました」
 三人がそろって会うのは久しぶりのようだ。
 大庄屋は何事が起こったのかと思う。非常時に顔を出すという隠居たち。
「千草はのんびりしておるようですなあ」住職が聞く。
「いやいや、もう山暮らしが身につき、降りてくるのは久しぶり。ご住職もそうでしょ」
「元です。今はただの隠居。奥ですっこんでおります。歴代の住職の供養をする程度」
 神主の隠居は無口な人らしく、ほとんど会話に加わらないが、始終にこやかな顔で聞いている。以前は厳つい顔をしていたのだが、顔も白っぽくなり、棺桶に足の一本は入っている風貌だ。
 三人が雑談を始めたので、大庄屋は酒膳を用意させた。
 この三長老から見ると、大庄屋など子供だ。
 三人は飲むだけ飲み、食べるだけ食べて、帰って行った。酔っているので、それぞれ人を付けて送らせた。
 何が言いたかったのだろうと、大庄屋は考え込んだ。実は思い当たることがある。いつの間に長老たちの耳に入ったのだろう。
 つまり、それは村の危機。それをしてはいけないと言いに来たのだろう。
 大庄屋は新たな事業を興そうとしていたのだが、中止した。
 
   了




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2020年03月05日

3680話 蠢動


 吉田が万年床で寝ているとドアのノック音。コンコンと聞こえ、そのあと間を置いてコン。これは松浦だ。このノック音以外では出ない。ただ、声で呼ばれれば出るが、ただのノックだけでは出ない。
 松浦が来たとなると蠢き現象。これは春になったのだろう。松浦は冬は来ない。夏も来ない。秋も。春だけ来る。しかもまだ寒い時期に。つまり眠りから覚めたのだろう。
 吉田はロックを外し、ドアを開ける。そこには一年前と変わらない姿の松浦が立っている。服装も一枚切りのダウンジャケット、かなり汚れている。しかも安っぽくボリュームがない。空気が抜けた風船のように。
 という吉田も寝ていたのだが、冬眠ではない。昼のこの時間は寝ているのだ。といって夜間のバイトへ行くわけではない。生活時間帯が逆転しているだけ。吉田にとり、これは普通で、起きる時間が一日一時間ほどずれる。そのため、朝にしっかりと起きているときもある。だが、一日経過する度に遅く起きるので、長くは続かない。所謂不規則な生活。だが、十分寝ており、睡眠不足とは縁がない。むしろ過剰に寝ている。
 寝たいだけ寝るため、起きるのがズレる。
 吉田は松浦の姿を見たので、春が来たことが分かったが、まだ寒い。春先に見かける草花や鳥のようなもの。年に一度の御目見得だ。ただ松浦は格下。吉田の方が高い。しかし、最下位近くの争いなので、二人とも格は低い。底の底。
「さて、今年は何を始めようかと考えているのだが、吉田君、何か意見でもある」
「そうだね。その内容よりも、そんなことばかり言っていることに対し、意見したいね」
「あ、そう」
「まあ、何かやることが決まったので、言いに来たんだろ」
「御名答。一応誰かに宣言するのがコツでね。それがスタートだ。その報告先が吉田君、君だよ」
「僕に言っても仕方がないじゃないか」
「言いやすいから」
「で、今年は何だい」
「真人間になる」
「人間じゃなかったのか、今まで何だったんだ」
「細かいこと、言わないで」
「つまり、真っ当な暮らしをしたいというわけだね」
「そうそう」
「立派な社会人になるということだ」
「そうそう。夢は社会人なんだ。社会人として恥ずかしくない暮らしがしたい。当然態度もだよ」
「じゃ、普通の人になるんだね」
「これが難しくてねえ。旦さん今晩はなんだ」
「なんだいそれ」
「段差あり」
「だから、そういう自分だけの言葉を使うからいけないんだ。社会人になりたければ、一般的な言語を使わないとね」
「そうだね。うっかりしてた。今朝思い付いただけなので」
「じゃ、一般社会人になることを今朝思い付いたということだね。今朝」
「それで、急いで言いに来たんだ」
「それよりも実行だよ」
「案内書送れのハガキを一杯出した」
「会社案内」
「いや、通信教育の案内書」
「ほう」
「まずは資格からだ」
「資格なんて、いくらあっても無理だよ。余程いいのを取らないと。取っても仕事があるかどうか、分からないしね」
「まずは空手の通信講座を受ける」
「格闘家にでもなるの」
「違う。まずは体力。身体を鍛える。そしていざというときの護身に使える」
「じゃ、合気道の方がいいじゃない」
「うん、そうなんだ。それで悩んだんだ。どちらがよいか分からないから両方受けるつもりだよ」
「はいはい」
「ところで藤田君」
「吉田だよ。で、何だい」
「君の場合はどう」
「相変わらずさ、寝たり起きたり」
「それはいけないなあ」
「そうだね」
「春なんだし、僕と一緒にやり直そう。再出発だ」
「そうだね。やろうやろう」
 二人はその後、子供相手の駄菓子屋の奥にあるテーブルでお好み焼きを何枚も食べた。小さいのだ。しかし安い。全て野菜焼きだったが。
「来年もまた来るよ」
「頑張ってね」
「ああ」
 駅まで送ろうとしたとき、雨が降り出した。しかしみぞれに変わり、急に寒くなってきた。
「春が来たかと思ったのになあ」
「もう三月だから来てもいい頃だよ」
「そうだね」
「ああ」
 
   了
 


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2020年03月04日

3679話 摂丹峡


「摂丹峡って、ご存じですか」
「知りません」
「有名じゃありませんからね」
「そこが何か」
「仙境です」
「ほう、それは地上にあるのですか」
「摂津と丹波の間。ちょうど境目です」
「それで摂丹峡」
「そうです。しかし、境目なので、これが怪しい。何でもそうです。境界線は危ない。端と端というのは何かちょっと違ったものがあります」
「摂丹峡の最寄り駅は?」
「福知山線ですが、遠いです。しかし、山越えの幹線道路はあります」
「摂丹峡はそこにあるのですか」
「そのあたりです」
「周囲に観光地は」
「ありません。摂津の外れ、もう山また山で、村はありますがね。丹波から見ても端っこですから。そのため、その近くを通るのは丹波と摂津を行き来する人だけでしょ。京の都へ行くこともできますが、いずれにしても山がきついので、これは間道でしょう」
「仙境がそこにあると」
「ところが、そんな土地はないのです」
「はあ」
「このあたりの山々、結構深いですので、谷に入り込むと、渓谷になります。狭苦しい場所です。水路と言ってもよろしい。山々の襞の間です。だから渓谷は無数にあります。でも行き止まりですがね」
「摂丹峡はその中の一つですか」
「ところが、結構開けているのですよ。普通の山間の村のようにね。ただ、長細いですが」
「行かれたのですか」
「一度それらしいところに迷い込んだことがあります」
「仙境でしたか」
「家もありました。ただ、時代が分かりにくいです。藁葺き屋根もあれば瓦葺きもありますし、お寺の大屋根もあるし、道にいきなり大鳥居もありました。だから普通の村落だと思っていましたよ。しかし、そんな村は存在しなかった。丹波から見ても摂津から見ても一番奥ですからねえ。境界線あたりには村はありません。山ばかりです」
「見間違えたのでしょ」
「おそらくそうでしょ、迷い込んで戻ったのか、または丹波にもう入ってしまって、その中にある村かもしれません」
「じゃ、なぜわざわざ摂丹峡と呼ぶのですか」
「別の人も同じ体験をしたようです。一番奥にある村の人も摂丹峡は知っていました。いや、それを摂丹峡だというのをそこで初めて聞いたのですがね」
「土地として存在しない。地図上にもない空間ですか」
「ただの空間じゃない。こちら側の空間じゃないことは確かです」
「不思議な場所ですねえ」
「場所というか、その場が限りなく狭いのです。地図上では点ぐらいの大きさかもしれません」
「人はいましたか」
「いえ、見ません。でも人が住んでいそうな気配はしました」
「中を見なかったのですか」
「はい、中心部に向かって進んだのですが、その途中で、逆戻りしていました。たどり着けません。そして後ろを見ると、山また山で、ただの林道でした。引き返して、もう一度入ろうとしたのですが蜃気楼のように消えていました」
「珍しい体験談、ありがとうございます」
「不思議な話が好きそうな人だったので、つい語ってしまいました」
「でも近くの村の人もたまに迷い込んだのでしょうねえ。だから摂丹峡と名付けたわけですから」
「そうですねえ。それを聞いて安心したのですよ。僕だけの幻覚じゃなかったってね」
「そうですねえ」
「でも、すべてがお話ですから、そこをよくご了承を」
「はい、了解しました」
 
   了





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2020年03月03日

3678話 冬の雨


「雨ですねえ」
「この前も言ってませんでした?」
「別の人でしょ。私はあなたに言うのは初めてです」
「そうでしたか、よく聞いたような」
「季節で区切ります」
「はあ」
「この冬はまだ初めてです。この前、言ったのは秋です。同じ季節に二度と同じことは言わない。これは私の鉄則です」
「ああ、そうだったのですか」
「しかし、ここで一度言うと、もう二度と言えなくなる。次は春まで待たないとね。それにこの冬、何度も何度も雨の日があった。そして、そんな日、あなたと何度も合っている。その頻度は高いです。しかし、我慢して今日は雨ですねえなどと言わなかった。言ってしまうと、二度と言えませんからね」
「言えばいいのに」
「同じことをまた言っていると思われるのがいやなのです」
「よく聞いたように思うのですが」
「別の人です」
「じゃ、野中さんだ。あの人は雨が降っていると、雨です雨ですと何度も言う。別に違和感はないですよ。ただの挨拶なので」
「それ以上話は延びないわけでしょ」
「そうですねえ」
「しかし、私のは違います。雨が降っていたという挨拶では引っ込まない。その先が実は長いのです」
「秋の頃でしたか」
「長かったでしょ。秋の雨にまつわる様々な話、そしてこの雨はどこから来ているのか、などとね」
「聞いたように思いますが、忘れました」
「せっかく熱演したのに」
「そうでしたか」
「じゃ、始めます」
「え、何をです」
「だから、ずっと我慢して言わなかった今日は雨ですねを始めたいと思います」
「あ、野中さんだ」
「今日は雨ですねえ。いや、参った参った。雪よりも寒いですよ。それに降っているのかどうか分かりにくい降り方で、傘を差すとやんでいるし、それで傘の紐をやっとパチンとしたと思ったら、また降り出して、これは運が悪い。タイミングが合わない。私は濡れた傘を触るのはいやなんですよ。だからあの留めるための紐ねえ、あの紐だけならいいが、濡れた傘の本体も持たないと、紐も回らないでしょ」
「ああ」
「それとパッチンですが、これが馬鹿になっていましてねえ、音がしない。だから確実に留まったのかどうかが不安になるほど。錆びたとは思えない。まあ、長い間使っているので、そんなものかもしれませんがね」
「それはそれは野中さん。雨なので来ないと思っていましたよ」
「いえいえ、大丈夫、大丈夫」
「雨について今、私が話そうとしていたところです」
「おや、岸田さんですね。久しぶりです。今日は雨ですねえ。雪の降る日より寒い。もうすぐ春なのにねえ」
「それは先ほど聞きました。私の番です」
「何の番です。店番ですか。のど自慢ですか」
「違う。雨について語ろうとしているのです。今、話さなければ春になってしまう」
「何の話ですか」
「だから、雨の話です」
「それはもう終わりましたよ。さっ、さっ、次にいきましょう」
「私は我慢して雨の話をとっておいた」
「今年花見はどうします。やりますか。去年は寒くて風邪を引きましたよ。だから個々で行くというのはどうです」
「雨の話はもういいのですか」
「はい」
「野中さんも」
「はい」
「私はもう二度と雨の話はしない。絶対にしない。いい話で、感動を呼ぶ話なのに。もうしない」
「はい」
「はい」
 
   了




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2020年03月02日

3677話 自己改革


 藤田は体調を崩したので、仕事を休んでいる。しかし大した仕事などしていないので、休んでいるようなもの。だから影響はほとんどないが、何かで時間を潰さないといけない。ずっと寝ているわけにはいかない。だから何でもいい。何かで時間を潰せばいい。当然潰すだけではつまらないので、有為な時を過ごしたい。何が有為なのかどうかは本人次第。
 ところが藤田はあまり有為なことを知らない。知っているが、やりたくない。だから、適当なものでいい。
 何でもよく、適当でいいというのは簡単に見付かるはずなのだが、すぐに飽きてしまう。長持ちしない。
 テレビを見るより、本を読んでいる方がためになり、身につくものを得られるだろうが、テレビや娯楽番組からでも得られるものが多くある。下手な啓蒙書を読んでいるより身につくかもしれない。
 だが、いずれも見ているだけ、読んでいるだけでは飽きてくる。やはり何かをした方がいい。見学ではなく、自分で何かをする。
 しかし、その何かがなかなか見付からないので、余所見しているわけだ。
 藤田はそういうことで二三日過ごしていたのだが、体調も戻りだした。そして休んでいる間に得たものを探した。これはただ単に部屋の中でゴロゴロしていただけのもので、特に得たものはない。ただ、充電できた程度だろうか。正しい休み方。王道だ。
 だが、少しは得るところがあった。それはもう何もしなくてもいいのではないかと。
 しかし、それでは時間が持たないので、じっとしているわけにはいかない。何もしない状態というのは結構難しく、間が持たない。何かしてしまう。
 そこで、徐々にやることを減らすことにした。これは先々のことを考えてやっていたことが結構ある。だが、その先が先細り、もうやめても悔いは残らないことが多い。
 何もしない。これは色々な意味が含まれている。あることに対して何もしないだけで、別のことではやっていたりする。だから、全てにおいて何もしないというのは無理。
 そこで藤田が思い付いたのは、何かをしているのだが、実際には何もしていないことと同じという状態だ。やっているのだが、実はやっていない。やっているのは間が持たないため。
 これはどういう状態だろう。藤田は自分で考案したのに、混乱した。
 やらずしてやるのではなく、やってやらないということか。
 そこに辿り着いたとき、藤田ははっと我に返った。それならずっとやってきたことではないか。ずっとやっているのに、何もやっていない人のように見せ続けた。実際やっても大したことはせず、やっていないのと同じようなレベルだった。
 やることを整理し云々も。だから仕事が減り、休んでいるのと変わりがない状態になっていた。これは実践したわけだ。
 体調を崩したのは過労からではない。そんなに働いていないので、それはあり得ない。これは別の問題だろう。
 決めなくても、既にやっていたのだ。
 
   了




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