2021年02月14日

4025話 哲学ノート


 それらしいものが、それらしくなかったり、それらしくないものが、逆にそれらしかったりする。
 それらしくないのに、それらしい。この意外性がいい。それらしくないものや場所に、それらしいものが隠されていたりする。
 近い場所ではなく、遠くに。似ているものではなく、似ていないものの中に。
 王道ではなく邪道の中に龍道が通っていたりするが、元々は邪なるものが王になった場合、邪道に落とされたものが本来の王だったりする。
 王というより正しいもの。だから正邪だろうか。
 正邪入り乱れての戦い。だから、どちらが正しいか正しくないのかが分からなくなる。
 こういうパターンは太古から人や物だけではなく自然界にもある。
「竹田君。また妙なことを考えていますね」
「読まれたのですか」
「日報に書くようなことじゃない」
「あ、つい」
「まあ、君が何を考えているのか、よく分かっていいので、続けなさい」
「はい」
「しかし、業務についてのことも書かないと駄目だよ。でないと日報にならないのだから」
「はい、ついつい哲学ノートをしてしまいました」
「そんなものは自分のノートでしなさい」
「はい、でも、たまにならいいでしょ」
「よく分からないことをよく分からないような書き方では読んでいてもよく分からない」
「哲学ノートですから」
「まあ、気が触れないよう、注意しなさい」
「はい、気をつけます」
「私も若い頃はそういうノートがあり、数十冊ほどあったかな」
「薄いノートでしたか」
「結構分厚い大学ノートだよ。字も小さかったので、単行本が何冊もできるほどだよ」
「その哲学ノート、どうされました。まだあるのなら、読んでみたいと思います」
「焼いたよ」
「なぜ」
「読まれるとまずいからね」
「凄いことが書かれていたのですね」
「大したことはない。ただ、読まれると恥ずかしい。まるで私の弱点をさらけ出しているようなものだからね」
「分かります。恥部を見られているような」
「そうだね、だから君もそんな恥ずかしいことを書くのはやめた方がいい。誤解を招くしね」
「じゃ、日報に書くのはやめます」
「私の同僚に見せたところ、受けたよ」
「そうなんですか」
「笑わせていただいた」
「ああ」
「もっと、そのギャグ、続けてもいいです」
「あ、はい」
 
   了
 


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2021年02月13日

4024話 寒桜


 草薙は春への戻りを感じたので、ほっとした。順調に春へ向かっていたのだが、寒の戻りがあり、寒い日が続いた。それが去ったので、また春への再スタート。
 閉塞感が開放感に変わる。いつも見ている寒桜の花芽が赤い。赤いまま止まっていたが、さらに濃く、そして膨らみを増すだろう。これもあまり変わっていないかもしれない。しかし、昨日見たときは赤みが薄れていたが、今日は赤さが戻っている。これは光線の具合だろう。晴れているときは彩度が高くなるし、コントラストも付くので際立つ。
 日影は暗く日当たりのある場所は極端に明るく眩しい。曇っている日はフラット、日影もないが陽射しが来ているところもない。
 春になれば何があるのか、草薙は何を待っているのか。実は何もない。だからただ単に春を待っている。春待ち。
 寒いときよりも、多少は動きやすくなる。それだけ。
 そして、何に対する動きなのかというと、大したことではない。春に何か大きな動きがあるわけでもない。巡る季節を見たいだけ。
 今のところ草薙が待っているのは寒桜の開花。ソメイヨシノよりも早いだろう。梅は既に満開近い。その後半に寒桜が咲くはず。
 草薙は散歩のとき、必ずその寒桜の枝を見ている。年末には見ていない。まだまだ早いためだろう。年明けにも見ていない。見始めたのは大寒の頃。寒いので、早く春を知らせるようなものを見たかったのだろう。枝に瘤ができているが、まだ茶色い。これは真冬でもある。待っているのだ。
 草薙が毎日その寒桜の前に立っているためか、寒桜が反応した。
 蕾のような頭をした虫が飛んできた。羽根はトンボのようだ。だから、トンボと見間違えたのかもしれないが、冬場、トンボはいないはず。
 それに、声がする。
「まだまだ」
 と。
「いつ咲くのですか」
「さあ」
「自分でも分からないのですか」
「そうです」
「了解しました」
 草薙は寒桜の精と会話を交わしたのだが、その感慨はない。実は大変なことで、人生観が変わるほどの出来事なのだが、平気な顔をしている。路上で一寸した知り合いと出くわし、一寸した会話をしたのと変わらない。すぐに忘れるような。
 凄いことだと受け止めなかったのは、そういう麻酔にかかっていたのかもしれない。
 翌日も、その寒桜の前に立つが、もうあの妖精は出てこなかった。
 
   了
 

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2021年02月12日

4023話 無理な話


 調子の良い日と悪い日がある。昨日は調子が良かったのに、今日は悪い。翌日は良くなる。また、調子の良い日が続くことも、悪い日が続くこともあるが、いつまでも続くわけではない。
 調子は悪いが、少しまし、というときは調子が良いと感じたりする。これは調子が良いときもそうだ。少しだけ劣る場合、調子が悪いと感じてしまう。全体から見れば調子の良い部類に入るのだが。
 さらに朝は調子が良かったのだが、昼は駄目で、夜になると戻るとかもある。一日の中でも変化はある。天気のように朝は晴れていても、夕方は曇っていたり、また夜は雨だったりする。朝の天気が一日の天気ではないので、そんなものだろう。
 当然良い天気もあれば悪い天気もある。天候は万人に影響を与えるし、また同じ体験をするだろう。一人だけ、そう思っている話ではなく。
 室戸は調子の悪いとき、また体調が悪いとき、待てば何とかなると思っている。そのうち戻るだろうと。だから焦らないで、悪いときは悪いまま過ごしている。そこであがいても仕方がないので。
 また、いつまで経っても調子が戻らないときもあるが、そのときは調子が悪いことに慣れてきて、これが標準になったりする。
 しかし、調子というのは何かの弾みで、ポンと弾むようだ。そういうポンを待っているわけではないが、なるようにしかならないという諦観姿勢。
 決して諦めているわけではない。室戸の調子は気分的なものだが、具体的なものが先だっての気分なので、ただの気のせいではない。
 その具体的なものが悪さをしているとすれば、それがどいてくれると治ったりする。室戸の力だけでは動いてくれない場合がほとんどなので、どいてくれるのを待つしかない。
 待てば海路の日和あり、で、この方法は結構忍耐がいる。我慢がいる。
 横断歩道があっても信号がなければ車が止まってくれる保証はない。今なら渡れると思い、サッと渡るのもいいが、万が一というのがある。躓いて転ぶと、すっと渡れない。待てばいずれ車は来なくなるときがある。それほど長くはかからないだろう。
 無理をしない。単純なことだが、無理に無理をしないというのも無理な話だが。
 
   了

 


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2021年02月11日

4022話 何気なく


 立花は何気なく下りた駅の改札を抜けた。そのあとのことは誰にも言わないというより、言えない。
 しかし立花はそれとなく友人に話した。ただし、何気なく伏倉の駅に下りた程度。何処へ行っていたのかと問われたので、そう答えただけ。
 その友人佐原は不審に思った。立花は秘密がバレたのではないかと心配した。
「何気なく」
「そうだよ。何気なく下りたんだ」
「伏倉の駅だね」
「そうだよ」
「途中下車?」
「さあ、それは」
「目的地があったんだろ。伏倉じゃなく、それに電車に乗ったんだろ。切符は何処まで買ってた」
「終点まで」
「何気なく下りたのはやはり途中下車だね」
「いや、何処でも良かったんだ」
「目的もなく乗ったの」
「気晴らしで、適当なところで下りようとしていただけで、終点の駅へ行くのが目的じゃなかったから」
「じゃ何気なく下りたにしても、何かのきっかけがあったはず」
「いや、電車に乗ったのも実は何気なくなので」
「何気なく?」
「特に意味はなく」
「どうしてそんなことができるのかな」
「え、何が」
「何気なくでも何かきっかけがあったでしょ」
「だから何気なく」
「何の気もなく?」
「ああ」
「何の気もなく出掛けられるかなあ」
「休みだったので、何処かへ出掛けたかったというより、部屋にいたくなかったんだ」
「どうして」
「変化がないから」
「それでとりあえず外に出たわけ」
「ああ」
「何も決めないで」
「出てから決めようとしたけど、決まらないまま、終点まで切符を買ったんだ」
「カードとかはないの」
「買っていない」
「そして何気なく伏倉駅で下りた」
「ああ」
「どうして伏倉駅なの」
「だから、何気なく下りてみようかと思って」
「他の駅じゃなく、伏倉なんだね」
「いや、別の駅でもよかった。横に座っている人が居眠りを始めて、頭が肩に当たるんだ。それが鬱陶しくて、下りた」
「偶然、それが伏倉駅の手前だったと」
「そうそう」
「じゃ、何気なくじゃなく、理由があるじゃないか」
「まあ、そうだけど」
 佐原はそれだけ聞くと満足したようだ。何気なくの中味が知りたかっただけのようだ。
 立花は伏倉での出来事は聞かれなかったので、ほっとした。
 
   了
  


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2021年02月10日

4021話 言葉遣い


 冬の終わり頃、春の始まり、浅春。だからまだ春としては浅い。早春と同じ時期だが、早春は、まだ早い春。早すぎる春。だから例年よりも春が早いのだろうか。それとも、もう春かと思うような感じかもしれない。
 春まだ浅き何とか何とかという言葉もある。春まだ早き何とか何とかでもかまわない。それを語る前後と関係しているのだろう。早いよりも、浅いと言った方が適切とか。
 しかし早いと浅いとは違う。早いは時間に関係し、浅いは空間と関係する。浅瀬は深さと関係する。時間ではない。
 浅き夢見し何とか何とかというのもある。
 早き夢見しでは違ってしまう。夢を早く見てしまったのだろうか。夢の中の時間、これは現実の時間とはかなり違うだろう。
 浅き夢見しは、まだ眠りが浅いのか、またはうたた寝で軽く夢を見たのだろうか。すぐ目が覚めるような浅い睡眠。
 こういう言葉は何処かで聞いたのを覚えているのだろう。フレーズとして。だから組み合わせ、または使う機会とか。
 別に学んだわけではないのに、いつの間にか覚えてしまったフレーズがある。それが聞き間違いとか、一生それに気付かなければ、正解は一生知らないままというのもある。だが、何も困らなかったりする。ただし、ひと前で喋るときや書きものでは、バレてしまうが。
 しかし、その人にとり、それが正解であり、本当の正解は拒否される。それに気付いたときは、もうその言葉やフレーズは使わないが、それは人に対してだけ。独り言では生きている。正しい使い方ではピンとこないのだ。
 だから、誰にも見せない日記などでは、凄いことになっているかもしれない。
 間違いを指摘されるのはその場の恥。知らないままなら一生の恥。その一生の恥でいいのではないか。本人が気付かなければ。そして言葉遣いとしては間違いなのだが、通用している言葉もある。普通に使っていたりする。これは指摘しにくい。指摘している本人も使っているので。
 言葉遣いを気にする人は、無口になるのだろうか。下手に喋ると危ないので。
 
   了

 


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2021年02月09日

4020話 ある案件


「暖かいですねえ」
「真冬なのにね」
「ここ、暖房が効いていますから、気持ち悪いほどです」
「暖かいのでほっとするところですが、ムッとしますねえ」
「それに、ここは人が多い。人いきれだけでも湿気が凄い」
「それに人は温かいですからねえ。コタツのように」
「私達もそのコタツの一つですよ。そして湿気発生器」
「まあ、それはいいのですが、本題に入りましょう」
「本題って、ありましたか」
「一応あります。案件の処理です」
「一応聞いておきます」
 その話が続いた。
「しかし、それって、昨日も聞きましたよ。その前の日も。一週間前にも聞いたような」
「一ヶ月前にもしていました」
「そうでしょ。まさか一年前も」
「流石にそこまで古くはありません」
「案件は分かります。毎日聞いているので」
「じゃ、そういうことで、よろしくお願いします。
 その翌日。
「暖かいですねえ。真冬にしては、ここに入るとムッとして気持ちが悪いほどです」
「そうですねえ。じゃ、早速案件に入ります」
 昨日と同じ話だ。
「じゃ、よろしくお願いします」
「あのう」
「何ですか」
「あなた、その案件、やってますか」
「いいえ」
「良かった。私もです」
「でも、よろしくお願いします」
「はいはい、しかと」
 その翌日。
「暑いですねえ。ここ、暖房が効きすぎだ。それに人が多いので、さらに暑い。ムッとして気分が悪くなるほどです」
「真冬なのに、暖かいですねえ」
「はい」
「じゃ、本題に入りましょう」
「何でした」
「いつもの案件です。今日はさらに詳しく話したいと思います。時間、いいですか」
「はい」
 いつもの話だが、今日は長い。しかし中身は同じ。
「ではよろしくお願いします」
「はい、了解しました」
 その翌日も、それが繰り返された。
 
   了



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2021年02月08日

4019話 散歩で入った寺


 吉村は快晴で気分もいいので、少し遠出をした。いつもは自転車で、そのへんをすっと回る程度だが、冬にしては暖かい。それに冬空にしては明るい。見事な青空が拡がっている。滅多にないお天気。
 それで、遠出だが、いつものコースから少し離れる。内野から外野に出るようなもの。内野と外野の境目には結界が張られているわけではないが、外野、つまり外界に出るには、その結界を破らないと行けない。破るにはそれなりの覚悟がいる。目的もいる。
 日常の外側に出てしまうため、その決心をする。ただの自転車移動で、一寸はみ出す程度なのに、大袈裟だが。
 吉村にとり、そこは取り込まれていない世界。当然風景が変わる。結界内と結界外の差はほとんどないのだが、外へ外へと向かうと見慣れぬ風景が現れる。
 しかし、吉村は結界の外にもたまに出ているので、見知らぬ町並みが続いているわけではない。だから、道も知っている。
 遠出のとき、幹線道路で行く。これが結局一番早いし、歩道もあるので、裏道や脇道よりも安全。それに迷うこともない。
 あの道はいつか来た道、というのが結構あるが、もうどんな場所に出るのか、忘れている。
 幹線道路から古い家並みが見える。農家の大屋根だろうか。繁みも多い。村があった場所に違いない。幹線道路のバス停を見ると、それらしい地名。そちらへ向かうことにしたが、信号がなかなか青にならない。幹線道路優先のためだろう。
 それで、もう一つ先の信号で渡ることにした。このあたり、いつも走っているコースとは違い、勝手が違う。
 次の信号まで来たが、赤で渡れない。幹線道路の優先度が高すぎる。
 いつまで立っても青くならないので、どうしようかと思っていると、車が少ないことに気付く。横断歩道はボタン式。押していないので、ずっと赤のまま。しかし、押せば青にすぐに変わるわけがない。幹線道路が渋滞するだろう。押しボタン式でも効かないタイプがある。
 だが、信号云々よりも車が来ない。左右を確認するが、遙か彼方に車は見えるが、ゆっくり歩いてでも渡れるほど。
 それで吉村は、単純な解を見付けたように、さっと、渡った。
 信号は、細い道と交差している。そして左右の建物は古い農家。
 いい感じのところに入り込めた。以前にも来た覚えはあるが、かなり前なので、忘れている。
 古い造りの農家がまだ残っているのは貴重。建て替えた家も大きいが風情がない。
 土塀や板塀、倉も見える。いい感じだ。たまにはいつもと違う風景が見たい。それが叶った感じ。それだけのことだが一寸した冒険。刺激がある。
 自転車でやっと通れる幅の小道の先にお寺がある。それを見付けたので、小道に入り込んだのだろう。土塀の瓦屋根の向こうに黄色い梅の花が咲いている。鐘撞堂もあるようで、それが重なって見える。寺の横から入り込んだようだ。
 小道で繋がっている寺。
 土塀の途中に入口があり、開いている。
 吉村は、塀の前に自転車を止めるが、通行の邪魔になりそうなほど狭い。車は入れないだろう。
 その入口からそっと入ると、左には住職家族の住居だろうか。庭がある。先ほど見た梅の木もある。狭い庭だが、よく手入れされている。
 右に鐘撞堂。そこを抜けると、本堂に出る。
 本堂の右を見ると大きな門。やはり横から入り込んだようだ。
 本堂のすぐ前にバイクが止まっているが、動きそうにないほど錆びている。
 大きな門は閉まっている。
 敷地は狭い。大きな農家程度だろうか。それよりも狭いかもしれない。
 そして本堂の向こう側にも出入り口があるようで、平三門と書かれている。そこも閉まっているが、ためしに押してみるが、開かない。
 それで引いてみる、するとギギッと音がして、開いた。
 吉村は外に出た。こちらも狭い。土塀に沿って正面の門の前に行く。寺の名は書かれていない。そこを回り込むと、最初に入った出入り口。しかし、あるべきものがない。
 吉村の自転車。
 邪魔になるので、誰かが移動させたのだろうか。
 そして再び、その入口から入ると、自転車は鐘撞き堂の前にあった。
 それでほっとし、同じところから、外に出た。
 そしてその小道を走り抜けた。左手の表門を見ながら、左側に曲がると、平三門と書かれた門に出て、そのまま進むが、狭い道は狭いまま。そして交差する道も全部狭い。
 これはやったかもしれない。冒険はいいが、少し厳しいようだ。
 
   了
  

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2021年02月07日

4018話 独自の世界を持つ男


 疋田が会いたいというので、島村は渋々出向いた。昔からの友達だがそれほど親しくはしていない。だが、付き合いは長い。ただし一方的で、島村から会いたいと思うようなことは最近ない。最初の頃だけで、その後、もういいかとなった。
 何がいいのか。それはもう必要ではなくなったため。しかし友達は多い方がいいし、何かと役立つこともある。疋田の積極的な動きで、救われたこともある。
 しかし住んでいる世界が違う。番地が違うのではなく、周波数が違うのか、同じ世界の人間とは思えない。といって別世界ではなく、この現実世界と少しだけ違う程度。別に亜空間の住人でもないし、特殊な世界にいるわけでもない。
 島村が見ている風景と、疋田が見ている世界は違う。同じものを見ているので、ベースは同じはずだが、違った見方をする。現実に対する解釈が違うのだろう。その解釈の集まりが疋田の世界で、疋田はそこで暮らしている。その解釈は理解できないものではないが、かなり掘り下げたもの。そこまで見るか、そこまで考えるかと思えるほどだが、常識の範囲内で、そういう考えを持っている人も確かにいるので、特殊なものではない。
 だから疋田の一寸凝った世界観が島村には息苦しく感じられる。それは島村よりも遙かに進んでいるためでもある。
 さらに断定的なものの言い方をする。これは本当にそう思っているためだろう。「そうかもしれない」ではなく「そうだ」となる。これに対する揺らぎがないので、怖い。
 島村にとり、今は疋田は刺激物。毎日食べたくないが、たまにならいい。
 世界が違う。これだけは確かで、どうしても同調できない。
 当然疋田は出来る人なので、活発に色々なことに手を出している。だが、どれもこれも疋田らしい決め打ちでやるためか、全て同じように見える。つまり全てを疋田色に変えてしまうのだ。その色が世界。 同じ地上、同じ空気を吸っているのだが、ちと違う。
 会う場所は大きな都市の大きな駅。駅が何処にあるのか分からないほど、駅ビルそのものがショッピングモールのようになっている。本当にこの中に線路が通っているのかと思うほど。
 島村は久しぶりに大都会に出たためか、以前とは様変わりしている。それは分かっているのだが、慣れない。
 大きな駅なので、改札は何カ所もある。東口改札が約束の場所だが、二つある。一つは東という文字が入らないので、東口改札は一つ。間違うはずはない。もう一つあるが、地階だ。
 それでいくら待っても疋田は来ない。
 しばらくすると、電話がかかってきた。来ているという。君の姿がないと。
 場所を確認すると、東口改札。
 その東口改札の何処にいるかというので、改札口のドン前の柱だと島村は答えた。
 疋田は「僕もそこにいる」と返事。
 島村はふと振り返ると、柱の裏側に疋田がいた。
 電話で話さなくてもいい距離だった。
 
   了



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2021年02月06日

4017話 書を捨て喫茶店を出よ


「喫茶店に入ってましてねえ。何か落ち着かない。買い物のついでに入ったのですが、先にトイレに行くべきだった。それを忘れていた。それでコーヒーを飲んでいる最中もよおしてきましてねえ。ところが、この喫茶店、トイレがない。聞くと一度廊下に出て非常階段のある通路の端にあるとかでした」
「それで」
「トイレはすぐに見付かりました。矢印もしてありましたのでね。狭い通路ですし、複数のドアがありますが、店舗ではありません。用具入れとか、倉庫のようなものだと思われます」
「それでトイレは」
「はい、すぐに見付かったので問題はありません」
「それだけの話ですか」
「ところが喫茶店に戻ろうとしたのですが、ない」
「え、何がないのですか」
「喫茶店が」
「それはないでしょ」
「だから、ないのです」
「そうじゃなく、場所を間違えたんじゃありませんか」
「初めての場所ので、そうかもしれませんが、そこまで間違うでしょうか」
「あなた、いま、ここでそのことを話されていますよね」
「はい、話しています」
「じゃ、無事戻って来られた」
「そういう問題じゃなく、喫茶店がないのです。鞄はトイレに立つとき持って出ましたので問題はありませんが、たばことか本とかはそのままなんです。まあ、なくなっても問題はありませんが、喫茶店が消えてなくなるのは問題でしょ」
「逆方向へ行かれたとか」
「いいえ」
「それでどうなりました。結局は見付かったのでしょ。喫茶店に戻れたのでしょ」
「かなり探しました。トイレは狭い通路にあります。その先は非常階段の入口、真っ直ぐ行くと衣料品などが売れられているフロア。そちらから来た覚えはありません。長い通路を歩いてトイレに入りましたからね。だから、もと来た通路を戻りました。合っているはずです。見覚えのあるドアもありました。そして、そこを抜けると広い廊下に出て、テナントが色々あります。喫茶店はその右側にあるはずです。それが、ない」
「よく調べましたか」
「はい、左側も見ました。しかし、喫茶店はない」
「不思議ですねえ」
「そうでしょ。だから喫茶店で休憩中、トイレに行って戻って来たという単純な話なら、わざわざ言いませんよ」
「それで、どうなりました」
「商業施設の案内板を見ました。地図が出ています。喫茶店などありません」
「ほう」
「私はどこに入っていたのでしょうね」
「そのあとどうされました」
「帰りました」
「帰り道はどうでした」
「普通です」
「家に帰られたのですね」
「そうです。我が家です」
「家の中の様子は」
「変わりません」
「錯覚でしょ」
「でも本やたばこ、そして小物入れも置いたままです。だからありません」
「本のタイトルは」
「書を捨て街に出よ。です。古書店で買いました」
「考えられるのは」
「何かありますか。この不思議に関する手掛かりを」
「あなた、どうやってその喫茶店に入れたのでしょうねえ」
「普通の喫茶店ですよ。硝子張りで、中はよく見えるし、怪しい店ではありません」
「存在しない喫茶店に入ったことになりますよ」
「そうですねえ」
「よく出て来られた」
「トイレに行くため、出ただけです」
「まあ、そういうことです」
「謎は謎のままですか」
「まあ、本をなくしただけなので、幸いですよ」
「たばこと、それを入れる小物入れもです」
「あ、はい」
 
   了




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2021年02月05日

4016話 坂場の紀次郎


「坂場の紀次郎をご存じですか」
「知りません」
「まあ、縁がない方がいいですがね」
「誰ですか」
「あなたが、いま必要としている人かもしれません」
「私は困っています」
「だから、ここに来られたのでしょ。お金は貸します。しかし返さなければいけない」
「分かっています」
「自力で、その坂道から脱するのがよろしいかと」
「先ほどの坂場紀次郎と関係がありますか」
「はい、下り坂の坂場先生とも呼ばれています。決して上り坂じゃなくね」
「はあ」
「坂場のベテランです。特に下り坂の」
「その人に合わせようとしているのですか」
「そうです。ここで下手にお金を借りても、何ともならないでしょ」
「すぐにいるのです。先のことより」
「それも含めて坂場さんに相談されればよろしいかと」
「怪しげな人じゃないのですか。裏の仕事を手伝えとか」
「彼は何もしません。助言するだけです」
「その坂場さんはお金持ちなのですか」
「いえ、食べるだけで一杯一杯の人です」
「じゃ、まだ坂道を下っている最中の人なのですね」
「そうです。彼の趣味です」
「私も坂道を転げ落ちているようなものですが、これを止める方法を坂場さんはご存じなのですね」
「あなたの事情までは分からないでしょ。だから解決方法なども知らないと思いますよ」
「御自身が下り坂のままで、何ともならないのに、どうして助言などできるのですか」
「助言か何かは分かりません。僕も聞いた話です。坂場の紀次郎さんという大変な人がいるとだけ」
「分かりました。しかし駄目なら、貸してください」
「貸しますが、それでは解決策にならない」
「はい」
 男は坂場紀次郎の住処へ行った。坂を登ったところにあるあばら屋。
 そこで小一時間ほど話をし、坂を下った。
 男は笑顔だった。
 
   了






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2021年02月04日

4015話 折りたたみ傘を取りに戻る


 雨が降りそうで降らない。一度パラッときたので、これは降るかと思い、折りたたみ傘を取りに戻る。家を出てから数秒なので、数秒で戻れる。この距離は何だろう。しかし、玄関の鍵を開けないといけない。靴も脱がないといけない。傘は下駄箱の中の傘入れの中にもあるが、長い。降らないのに長い傘を持ち歩くのは面倒。
 そして靴を脱いで部屋の中に入るのだが、紐靴。きつい目に締めているので、解かないといけない。
 だから家を出て数秒でも、家の中にいる時間がかなり長い。だから数秒では済まない。
 折りたたみ傘は綺麗に畳まないで、廊下の隅に立てかけてあった。短くはしているが、花は半開き。これを紐で括ればいい。幸いマジックテープなので、楽。さらに幅の広いテープなので、さらに楽。
 それで、折りたたみ傘をスマートにし、鞄の中に入れる。以前持っていた鞄は折りたたみ傘を突っ込むコーナー付きだが、いま使っている鞄にはそれがない。横に入れようか、縦に入れようかと考えなら、結局は一番底に横に入れた。降らないと思っているのだ。しかし、家を出た瞬間パラッときたのだから、もう少し鞄の上の方に入れるべきだったのかもしれない。それで、入れ直した。
 そして靴を履く。紐をまた締めて。
 靴が大きいのだ。紐をしっかりと締めないと踵が浮く。もう少し小さい目で、靴紐のいらないマジックテープ式にした方がよかったのではないかと後悔するが、その靴のデザインが気に入っている。
 それでやっと玄関ドアを開け、そして鍵を掛け、表に出る。数秒先を先ほど行っていたのだが、もう秒ではなく、分単位。しかし、五分には至っていないだろう。これはカン。
 携帯電話は持っているが、バッテリーが切れたので、充電中。どうせ携帯に電話などかかってこないのだがスマホの時代に入り、使えない機能があるようだ。まずはカレンダーが死んでいる。だから日付も時間もおかしくなっている。そのため、携帯電話があっても、時間が狂っているので、時計代わりにはならない。
 そんなことを思いながら下田は数秒進む。先ほどUターンした地点までは一気。再スタートだ。別に到着時間までの記録をとっているわけではない。多少遅れても問題はないし、余裕を見て出掛けたので。だから傘も取りに戻れた。
 さて、雨だが、パラッとしていたのだが、それはない。だが、いつザーとくるか分からないほど空は灰色がかっている。だが、傘があるので、心配はいらない。
 足が痛い。紐靴を締めすぎたのか、甲の部分が痛い。靴下のシワが、そこでよじれているのかもしれない。何か異物があるような。
 その程度、とは思いながらも、やはりずっとこの痛い状態のまま歩くのかと思うと、やはり不快。それほどの痛さではないので、そのうち消えるだろうと思っていたが、そうはいかないようで、痛みが続いている。
 仕方なく路肩に寄り、靴紐を緩める。だから、この靴は手がかかり、面倒だと思うのだが、買ったばかりなので、買い直すわけにもいかない。
 そして靴から足を出し、靴下を見る。指でそれと分かる粒がある。皺ではないようだ。それで、靴下の中に指を突っ込むと、硬いものに触れた。そんな豆が出来ていたのだろうか。しかしその豆に触れても痛くはない。それでぐっと取り出した。
 ご飯粒の固まったものだった。
 子供の頃、それをホシリといい、油で炒めると、お菓子になった。それを祖母に作って貰ったのを思い出した。
 そのホシリを道に捨て、再び靴紐を締め、しゃがんだ状態から立ち上がる。
 そして歩きだした。
 雨はその後、降らなかった。
 
   了



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2021年02月03日

4014話 元気な悪夢


 芝垣は朝、すっきりと起きたのだが、目覚めが良かったわりには、何故か眠い。睡眠不足ではなく、頭が眠いのだろう。眠いというより妙に落ち着いている。
 これは良いことなのか、悪いことなのかは分からないが、調子が悪いわけではない。しかし良くもない。欲が湧かないのだろう。意欲というやつだ。意欲は意味がないと湧かない。意味に欲がある。
 これがない方がすっきりとしていて良いのだが、逆に元気がない。元気さは欲が絡んでいるためだろう。
 たまに心静かな日もあるが、夜になると急に活気づく。静かにしているときに、何かが溜まったのかもしれない。または休憩したので、元気になったとか。これは睡眠を多く取ったからではないし、身体を休めていたわけでもない。
 それだけのことだが、芝垣は落ち着かない。いつもの自分とは違うような。まさか聖人になったり、悟ったわけではない。執着が少し落ちたためだろう。実は芝垣そのものはその執着の中にある。
 これは何とかしないといけないが、頭が鎮まり、いい感じなのに、それが気に入らない。いつもの自分とは違い、運転方法が分からなかったりする。
 しかし午後からは回復した。元気になってきたのは欲が出てきたためだろう。執着も蘇ってきた。それに沿っての動きこそ、いつもの自分らしい動きで、そちらの方の操縦方法に慣れている。
 夜になると、ますます盛り上がり、これは暴走するのではないかと心配するほど。
 そしてなかなか寝付けない。頭が冴え渡っている。
 やっと寝入ることができたのだが、途中で何度か目を覚ます。悪夢を見ていたようで、それが何本立てかのお盆の怪談映画のように続いた。
 鬼に追いかけられている夢で、鬼の国から何かを盗んだようだ。それで逃げていた。持ち帰れば凄い金額になるものだが、夢の中なので、それが何だっのかは分からない。
 そのあとまた寝たのだが、今度起きると、もう朝で、いつもの起床時間になっていた。
 起きるとすっきりとしている。頭の中が空っぽになったように、何かが抜け落ちた。
 昨日の朝と同じ状態。
 しかし夕方からまた元気が出てきた。
 色々な欲が湧き出てきて盛り上がってきたのだ。
 このまま夜になると、怖いなあ、と芝垣は心配した。
 
   了




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2021年02月02日

4013話 依頼者が待つ喫茶店


 北村は朝、起きたときから調子が出ない。身体が少し重いようだ。そういう日はたまにある。季節の変わり目とか、寒暖差が大きいときなど。
 気にするほどのことではなく、支障はないのだが、動きが重い。それで動きが遅くなるのだが、それで丁度いいのかもしれない。なぜならいつもは急ぎすぎで、活発すぎるため。元気なときの方が問題だったりする。
 緩慢な動き。これもまた良いのではないかと北村は思い、身体のペースに合わせることにした。気持ちを身体に合わす。よくあることだ。逆に身体の動きに気持ちも引っ張られる。どちらからでもいけるのだが、しんどいときは身体の動きに従うのが賢明。無理をすることになるので。
 その日はペースダウンしたのだが、ゆるりとことを行うのも悪くはない。その気になれば、さっとできるのだが、身体が面倒がる。気持ちは急ぐが身体がついてこない。
 それで久しぶりにのんびりと過ごしていたのだが、急用が入った。そんな日に限って面倒な用事が入るもの。
 依頼者は既に駅前の喫茶店で待っているらしい。それでは断りもできない。急ぎの用らしい。
 北村は出掛けることにした。駅前まで自転車で少しかかるが、無理なことではない。それほど体調が悪いわけではなく、少し重いだけ。だが、用事が入ったので、少し気合いが入り、身体も動き出した。
 ただ、自転車のペダルは重い。ずっと向かい風で坂道を登っているようなもの。力を入れると足が怠い。やはり身体が付いてきていない。
 依頼者を待たせるわけにはいかないが、急いでもそれなので、仕方がない。
 駅前は自転を止められないので、喫茶店の路肩というよりも溝に自転車を入れる。
 そしてドアを開けると、それらしい人がいる。
 北村が近付くと、相手は、おやっという目をする。違うようだ。
 依頼者は北村を知っているはず。顔ぐらいは。
 二三度何処かで合ったことのある相手。かなり前なので、北村は顔までは覚えていない。しかし依頼者は知っているはず。
 それらしい人は彼一人。あとは中年女性四人組がお茶と菓子を食べている。一人が喋っているだけで、残り三人は聞いているだけ。どういう集まりなのかは分からないが、結構静かだ。
 北村は早く来すぎたのではないかと思ったが、電話では喫茶店から携帯電話ではなく、家電話にかかってきている。着信履歴は帰らないと分からない。
 喫茶店まで来ているのなら、すれ違いになるはずはない。
 喫茶店を間違えたのかもしれない。駅前に二軒ある。しかし、この店が一番駅に近く、分かりやすいところにある。入るとすればここだろう。店名を聞かなかったのは不覚だが、頭も重いので、そこまで気が回らなかった。
 それに依頼仕事は面倒なので、断ってもいい。だから、合えなくてもいいと思ったのかもしれない。
 だが、もう一軒の店で、じっと待っている依頼人のことを考えると、やはり見に行くべきだろう。既にコーヒーを注文していたので、それを急いで飲み、さっと店を出た。
 もう一軒は駅裏にある。そちらには商店も少なく、寂れている。
 踏切を渡り、駅裏に出て、細い道をしばらく行く。駅前といいながらも、少し遠い。
 ここに喫茶店があることは知っていたし、何度か入ったこともあるが、踏切を渡らないと行けないので、滅多に来ない。
 しかし、その喫茶店、シャッターが閉まっている。定休日なのかもしれないが、それよりも依頼人はそこではなく、やはり先ほどの店から電話してきたことになる。
 北村は急いでさっきの喫茶店に戻る。自転車なので早いが、そんなときに限って踏切で待たされる。
 そして再び、溝の中に自転車を突っ込み、喫茶店のドアを開けた。
 開けた瞬間、さっと依頼者が立ち上がった。
 話を聞いてみると、喫茶店の前から電話したらしい。北村が来るまで時間があるので、古書店を見付けたので、それを見ていたとか。
 分かってしまえば何でもない話だが、身体が重いときに、ウロウロしたので、どっと疲れた。
 急ぎの依頼は、つまらないものだったが、北村は引き受けた。断る元気がなかったのだろう。
 
   了
  


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2021年02月01日

4012話 歩かない散歩人


「おや、寒いのにお出掛けですか」
「寒中散歩です」
「それは必要ですか」
「いいえ」
「寒い中、散歩はないでしょ」
「あります」
「犬もそうですねえ」
「途中で、そんな用はしません。犬はトイレに立つようなもので、散歩に出ているので」
「じゃ、あなたはそういう用もなく散歩」
「寒いといっても晴れているので、大丈夫です。流石に吹雪のときは出ませんが」
「このあたり、滅多に吹雪などないでしょ」
「たまにありますよ」
「そうでしたか」
「じゃ、これで」
「はい、風邪など引かないように」
「有り難うございます」
 この散歩人が立ち話をしていたのは自然林豊かな場所にある公園。先ほどの人は寒いのに、そこまで出てきたのだろう。人のことは言えない。
 近くに自転車を止めているわけではなく、車も止まっていない。だから歩いて来たようだ。そして、見知らぬ人。
 気になったので散歩人は振り返ってみる。すると、人の姿などない。
 もう帰ったのだろう。
 散歩人は寒中散歩を続け、身体が暖まってきて、いい感じになった頃、戻ることにした。これ以上外にいると、徐々に冷えるので。
 翌日も同じ時間にその公園へ行くと、昨日の人がいる。
「寒いのに散歩ですか」
「寒中散歩です」
「ああ、なるほど」
「ところで、あなたも散歩中ですか」
「いいや、ここにずっといるので、歩いていません」
「でも、ここに来るまで歩くでしょ」
「いえ、ずっとここにいます」
 散歩人は薄気味悪くなり、そのまま立ち去った。そして昨日と同じコースを歩き、身体が暖まってきたところで、引き返した。
 そのとき、もしやと思い。あの公園に寄ることにした。
 公園の植え込みや遊具が見えてきたとき、散歩人は少しドキドキした。
 そして公園の中に入り、周囲を見渡すが、あの人はいない。ずっとここにいると言っていたのに、やはり歩いて戻ったのだろう。
 その翌日も、またその公園で、同じ人を見かけたが、散歩人は素通りした。
 
   了



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2021年01月31日

4011話 梅寒行


 梅見の寒行をやっている人が今冬も出た。初見参。まだ寒い時期に見る花見。桜の咲く頃の花見はポピュラーだが、それよりもまだ寒い頃。春の兆しなどまだまだ出ていない真冬。大寒中の大寒。しかし、今年は暖かいようで、それほど寒くはないので、寒行とは言えないかもしれない。
 寒行なので、薄着で滝に打たれたりする服装が一般的だが、その人は真冬の服装。だから、見た限り行者には見えない。
 それで今年は暖かいので、梅見に来る人が多い。桜の咲く頃と変わらないほど暖かいためだろう。
 梅見の寒行。これは咲き始めたばかりの梅をじっと見る行。それはただの観察ではないかとも思われるが、そういう分析的な頭は動かしていない。漠然と見ている。いや見ていないのかもしれない。
 咲き始めなので一枝に一つ咲いているか、咲いていないかで、丸いつぼみが赤く球のようになっているだけ。これはこれで梅らしい味わいがある。梅干しの酸っぱさが少し入るが。
 その一輪をじっと見続けている。花びらの奥から出ている雄しべか雌しべかは分からないが、それがまるでマツゲのように見える。瞬きするのではないかと思えるほど。
 というようなものは、この行者は見ていない。梅を見ながら梅を見ず。他のものを見ているが、梅の周囲ではなく、目に見える映像ではない。
 一つのものを凝視、ずっと見詰めていると、幻覚が生じる。その人はその梅幻覚を見ている。だから外界ではなく内界を。
 まあ、行とはそんなものかもしれない。
 その場所は山寺の近く。桜の名所だが、その奥に梅園がある。桜が咲く頃で、しかも雨の日に出てくる雨桜の人も、この場所だ。
 桜の花見は人で賑わうが、雨だと誰も来ない。その日に来て傘を差しながら、ずっと桜を見ている人がおり、これが名物になった。
 その人ではなく、梅だけの人だ。別人。真似たわけではない。それに晴れていても来ている。雨桜の人は雨の日にしか来ない。だから流儀が違う。
 ただ、雨よりも、大寒時期はただでさえ寒いので、同じように負荷はかかる。
 今年もその人が先陣を切り、梅寒行が始まる。要するに真似をして、他の人も梅の前に立つのだ。
 そこに立っている普通の人は、桜よりも梅が好きな人だろう。
 中には両方に参加している人もいるが、行は浅い。
 今年は暖かいが、寒い年は、ガタガタ震えるほどで、それで凝視している梅はよく揺れるため、これは時化だ。舟が揺れて船酔いするようなもの。
 寺の住職も、それを知っており、山門前に出している茶店に梅茶のメニューを加えた。売れ行きが良ければ、梅茶漬けを出してもいいと思っているが、そういう梅寒行の趣味の人は限られているようだ。
 
   了

 

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2021年01月30日

4010話 何もないような状態


 あまり何もないような状態は退屈。しかしこの時間や期間が一番長いように竹田には思えた。たまに刺激的なことが起こるが、滅多にない。また竹田から何かを仕掛ければ、あまり何もないような時間から解放されるが、すぐにまたあまり何もないような時間に戻される。
 これは平穏でいいのだが、その期間が退屈。それなりに小さな刺激とか小さな変化はあるものの、だらだらと同じような絵が続くような風景では見飽きてしまう。だからこの時間や期間、日々でもいいが、そこが楽しめればいうことはない。だが通常の刺激とは違うだろう。これは見いだすようなもの。
「ほほう、竹田君もそこに至りましたか」
「まだ、至っていません」
「そこに気付いただけでも十分」
「どういうことでしょうか」
「その何でもない時を上手く過ごせば、良いわけでしょ」
「そうです。刺激を求める必要はありませんから」
「そこなんですよ竹田君。その先が難しい。飽きる。緩和する。退屈。眠くなってくる。これなんです」
「言われなくても承知しています。問題はそれをどう処理するかでしょ」
「いっそのこと寝てしまえばよろしいが、それではただの睡眠。本当に寝ると肝心の夜に寝られなくなる。この睡眠というのはディフォルトとしてあるのです。蒲団に入れば、退屈も何もなくなるでしょ。寝てしまえば。だから起きているときに、起きている状態で寝ているような感じが良いのです」
「それはただ単に惚けているだけでしょ」
「それそれ、それが極地です。一番の至福です」
「先生はそれができるのですか。惚けたような状態に」
「恍惚状態です。これが最大値でしょ」
「なりましたか」
「なれません」
「そうでしょ」
「だから、それは無理でも、ぼんやりとしているような状態だと、それほど刺激は必要じゃない。ここなんですよ竹田君。ここなら可能です」
「やはり一寸目先を変えて違うことをする方が簡単なような気がしますが」
「それじゃ、境地ではなく、ただの横移動。前後、上下移動でも、似たようなもの」
「意味は分かりますが、だらっとしている状態も悪くはありませんが、ただのだらっとではこれもまた飽きてきます」
「何もないような平凡なことに意味を見いだす。この道があるのです」
「意味」
「そうです。単純なものでもじっと見ていると、変化があるし、また何らかの動きや規則性や、意外性などもあるのです」
「はあ」
「普通の風景でもありがたく頂くと、美味しいものです」
「それを見いだすといういことなのですか」
「そうです。退屈なものほど、味わい深いものが潜んでいるのです。その背景などの絡みで、そうなっているとかね」
「はい、退屈なことをやっているとき、一寸見直してみます」
「そうしなさい」
「はい」
 
   了




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2021年01月29日

4009話 サンドイッチ


 とある業界のパーティーで石塚は久しぶりに竹中の顔を見た。見るもなにも竹中がメインのパーティーなので、いやでも目立つ。
 竹中が何か賞を取ったことを石塚は知っている。招待状が来たので、知らせは向こうからやってきた。別に招待状など来なくても、誰でも参加できるのだが。
 竹中は来ている人と話しているのだが、数が多いので、忙しいようだ。
 石塚は業界の人と会うのは久しぶり。相変わらずの顔ぶれだが、知らない人もいる。
 石塚は竹中と並ぶほどの地位はあるが人気がない。人望がないためだろう。しかし、竹中を知っている人なら誰でも石塚も知っている。両雄と呼ばれていた。
 その石塚に話しかける人は一人もいない。方々で人の輪ができているのだが、石塚は座ったまま。最初に着いたテーブルにいた人達は、もう別のところにいたりする。またそのテーブルで話し込んでいる人もいる。知っている人もいるが知らない人もいるが、ぽつねんと座ってサンドイッチを摘まんでいるのは石塚だけ。それを全部食べると、次は大量に残っているスパゲティー。石塚は暇なので、それに手を付けた。
 石塚は飲まないので、乾杯のときのビールをチビチビ口にするだけ。水でもいいのだ。ウーロン茶が欲しいところ。アイスコーヒーがあればいうことはない。
 パーティー会場は時間制限がある。石塚はバイキングの食べ放題に来ているようなものだが、サンドイッチとスパゲティーだけでは何ともならない。肉が欲しいところ。しかしサンドイッチにハムが入っていたので、よしとする。
 それとやはりご飯が欲しい。サンドイッチもスパゲティーもおやつのようなの。しかし、結構な量のサンドイッチを食べたので、よしとした。さらにスパゲティーに取りかかっているのだが、既に満足を超えたレベルにいる。会費分は取り戻せない。会費と食べるものを比べると、全然足りない。交通費が出る程度だ。
 持ち帰ろうにも、サンドイッチはもう食べきった。これをもう少し欲しい。スパよりも。
 それで、隣のテーブルを見ると、まだ残っている。食べきれる自信はないので、持ち帰りたい。そのため、鞄の中にビニール袋を入れている。これは食品用で、ゴミ袋ではない。だが、鞄の中で潰れるかもしれない。
 そう思いながらテーブル移動する。これが初めての移動。実はそのテーブル、誰もいない。もう帰った人もいるためと、大きな輪ができており、そちらに集まっている。
 石塚がビニール袋にサンドイッチを丁寧に入れていると「石塚君」と初めて声を掛けられた。それまで誰とも話していないのだ。
「ああ、竹中か」
 先ほどまで大きな輪の中にいた竹中が抜け出してきたようだ。
「相変わらずだねえ、石塚君」
「ああ、何か分からないけど、おめでとう」
「有り難う。来てくれて嬉しいよ」
「もう帰るけど。この詰め物が終わったら」
「そうか、元気でね」
「君もますます盛んで」
「いや、石塚君が羨ましいよ。そのマイペース振りが。誰にも気を遣わず仕事、してるんでしょ」
「ああ、相手にされないからね」
「僕が今一番欲しいのがそれだ」
「あ、そう」
「また何かあれば連絡するよ」
「ああ」
 先ほどの大きな輪が、二人のいるテーブルに近付いて来た。
 既に石塚は退散している。鞄を指で押し広げ、サンドイッチが潰れないように。
 
   了



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2021年01月28日

4008話 一騎当千


 布施の君原十三郎。真田村の俊蔵。雲母峡の村上武一。その他大勢の勇者がいる。二十人ほどいるだろうか。一騎当千の武者達。
 若君は子供の頃から領内にいるそれら家来の武勇伝をお伽噺のように聞いていた。
 少し大きくなってからは側近が止めるのも聞かず、渋沢村の熊谷信康を訪ねた。二叉の槍の使い手。
 側近と手合わせしたが、敵うものではない。特に馬上から重い槍を振り回す技は、天下一品。
 しかし、それよりも強い荒武者がまだまだいるのだ。
 若君が跡目を継ぎ、領主となった。
 荒武者達は壮年に差し掛かり、さらに勢いを増した。年長の荒武者は引退したが、その息子が加わった。二十人衆と言われているが、それを越えている。
 その頃、隣国と小競り合いがあったのだが、二十人衆が加わることで、蹴散らした。逆に隣国の一部を奪い取り、ますます二十人衆の武勇は拡がった。
 そんな折、その隣国は援軍を呼んだ。そして簡単に奪われた村々を奪還した。元々は隣国の領土だったので、当然だろう。
 さらに勢いづいた隣国と、その同盟軍の援軍が、逆に攻め寄せてきた。
 若君は家督を継ぎ、領主になっているのだが、家老や側近が取り仕切っていた。それに、未だに「若」と呼ばれている。
「若は何もしなくても良いのでござる。全て我らが仕切りますゆえ」
 若は素直に従っている。
 隣国とその同盟軍がひしひしと迫っていたとき、家老や側近は降参を進めた。勝てないためだ。
 若もそれに従ったが、戦わずして負けるのはいやだ。しかし、ここで降参すれば、領土は減るがお家は残る。
「若、ご決断を」
 といっても、これは形だけのこと。
 若は幼い頃のことを思い出しているのだ。当家には二十人衆がいると。そして見に行ったこともあるし、先ほどの戦いでも、まだ健在で、ますます勢い盛んというのが分かっている。
 若がそこまで言うのなら、ということで、二十人衆を呼び集めた。
 騎馬が十五騎、あとの五人は歩いてきた。そしてその供回りを合わせると百人近い。
 この二十人衆が先陣となり、後ろから本軍が続いた。
 まずは物見が先に向かう。この中に二十人衆が二人ほどいる。そういう技能に秀でているためだろう。
 敵は意外と多いことが分かった。隣国の兵だけなら、しれているのだが、同盟国の援軍が多く来ている。これは本気で戦う気があるかどうかだろう。
 二十人衆は、一気に突き進めば、敵の陣を破れるとみた。前回の戦いでも、そうだった。二十人衆が突っ込めば、敵は逃げた。
 作戦はそれで決まり、一気に二十人衆の荒武者が突っ込んだ。
 若はこれが見たかった。我が領内には二十人衆がおり、無敵だと。
 突っ込んだ二十人衆は錐のように敵陣深くまで突き刺す。だが、そのあと出てきたのが同盟軍。この兵数が半端ではない。物見の知らせでは千を越え二千近く布陣しており、こちらへ向かっているのはその一部だと。
 規模が違っていた。
 二十人衆は、それでも敵陣深く突っ込んだのだが、囲まれそうになったので、引いた。多勢に無勢、個々の力では何ともならない。それに矢玉が雨のように降ってくるので逃げ出した。
 その報告を聞いた若は、落胆した。
 そして家老達が寄り合い、和議の交渉を再開した。
 二十人衆の噂は、その後、聞かない。
 
   了




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2021年01月27日

4007話 予想通り


「予想通りの展開になりそうです」
「そうか」
「予想は当たりましたが、何か物足りません」
「当たったのだから、良いじゃないか」
「外れるか、予想外の展開を期待していましたが、そうならないとは思っていましたが、やはり物足りません」
「では、やはり期待していたのでは」
「多少は。しかし、期待通りにはならないことを予想していましたので、問題はありませんが、少し」
「物足りないと」
「物足りないことは最初から予想していましたので」
「じゃ、何が不満なのかね。予想が当たったのに」
「誰でも予想できることです。だから予想などいらなかったのです。しかし」
「何か物足りないと」
「そうです。分かっていることが分かっている通り起こっただけなので」
「そうか」
「しかし、予想よりも少し良かったので、問題はありません」
「じゃ、予想を上回る展開だったと」
「そうです」
「じゃ、満足だろ。予想していなかったのだから」
「いやいや、少しは上回っていましたが、今一つです」
「じゃ、もっと凄いものを期待していたのかね」
「いえ、期待はできないと予想していましたから」
「分からん人だ。何が不満なんだ」
「よく分かりません。何となく不満もあるだろうなあとは予測していましたが」
「じゃ、予想は全て当たっていたんじゃないか」
「いっそのこと予想以下だった方がすっきりします」
「ほう」
「これは駄目だと、諦めが付きます。見切れます。しかし、下手に予想より、少し良かっただけに、残念です。消化不良というか、物足りなさが残りました」
「それは予想できたのかね」
「その可能性は予想していましたが、何か中途半端で」
「その中途半端は予想していたのかね」
「はい、何となく」
「しかし、その後の展開がまだあるはず。この先どうなるのか、まだ分からんのだろ」
「大凡分かっています」
「それも不満かね」
「不満ではありませんが、何か物足りなさを」
「それも予想できるんだね」
「そうです。何かが欠けている」
「ほう」
「その何かは」
「それも予想できるんだね」
「それは予想ではなく、そんなものだろうということです」
「だから、それも予想じゃないか。実際に起こってみないと分からないよ」
「はい、この先も見守っていきたいと思います」
「君自身の態度も、私が見守っていこう。いつも予想通りのことを言うのでね」
「あ、はい」
 
   了





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2021年01月26日

4006話 申し送り


「雨のようじゃな」
「お出掛けになられますか」
「ああ」
「では用意を」
「いや、番傘だけでよい。それほど強い降りではなさそうじゃ」
「供は」
「いらぬ」
 これは前日と同じ。雨が二日ほど続いている。冬の雨なので、それほど寒くはない。
 疋田清司郎は粗末な羽織に着替え、袴をたくし上げ、下駄履きで外に出た。太刀はなく、脇差しだけ。小太刀の使い手として知られているが、それは道場での話。
 疋田清司郎が二日続けて行くのは近くのお寺。住職とは顔なじみ。檀家でもある。
 その寺の別院があり、一寸した丘の上にある。僧はいないが留守番の小者がいる。用心のため短い目の木刀を腰に差している。寺侍ではない。
「既に来られておられます」
 疋田清司郎の顔を見るや、小者がすぐにそれを言う。早く伝えたいためだろう。
 先に別院に来ているのは志位権六という白髪頭の年寄り。既に隠居の身。疋田の上役だった人で、その役を今、疋田が務めている。
「遅れました」
「いやいや、わしの方が早すぎた。何せ暇なのでな。まだ早いとは思いながら早く出た。雨で難儀すると思ったが、すんなりと歩けた」
「この丘、多少坂がありますが、大丈夫でしたか」
「一度ずるっといきそうになったが、途中で止め、大事ない」
 疋田は小者が桶を持ってきたので、足を洗った。
 本題は上司からの引き継ぎ。表向きのものは既に終わっているが、申し送りというのがあり、これは極秘。
 疋田清司郎は膝を正して聞き入るが、それは大変な話。しかし志位老は気楽な喋り方で、笑談に近い。疋田もそれに合わせて口元をほころばせ、また声を出して笑うこともある。
 これは芝居なのだ。
 小者が茶を入れ直しに来た。
「いるか」
「はい」
「何人じゃ」
「二人」
「よし、下がれ」
 どうやら疋田は付けられたようだ。屋敷を出たあと、それに気付いたのだが、知らぬ顔をしていた。
 志位権六は密談ではなく、笑談を始めた。
 おかしくもない話なので、笑えないが、疋田清司郎はあらん限りの声で笑った。
「やり過ぎじゃぞ疋田」
「そうですなあ」
 引き継ぎの話は、どうやら今日で終わりのようだ。しかし、まだ色々とあるらしい。
 別院から出た二人はぬかるんだ降り坂に差し掛かった。
 その横の繁みから、先ほどの人影が四つ現れた。小者の話では三人と聞いていたが、一人多い。
 疋田は志位老を後ろにやり、すっと前へ出た。
 志位権六が先に太刀を抜いた。
 箕田清司郎は番傘を広げた。
 四人は広田に向かいどっと走り寄ろうとしたとき、滑ったようだ。後ろから小者が竹で突いたためだ。
 将棋倒しのようになり、四人の刺客は泳いだ。
 疋田と志位は、そのまま坂を下った。
 その後、藩内で一寸した異変があったが、大変にはならなかった。
 
   了

  



posted by 川崎ゆきお at 13:08| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする