2020年12月15日

3964話 懸念


 懸念していたことが起こらなかったので、里中はほっとした。もし起こっていても大したことにはならないが、面倒なことをしないといけない。その面倒も難しい面倒ではなく、よくある面倒。しかし、面倒臭い。これが臭いので、懸念が起こらないことを願ったが、起こるだろうと仮定し、それがほぼ当たっている確率の方が高いので、面倒臭いことをする覚悟までしていた。ただ、覚悟というほどの凄いことではない。日常的なことかもしれない。難度は低い。
 懸念、それはいくらでもある。しかし、普段はそこまで思わないため、数は限られている。そして予測され、しかも確実にやってくるタイプは分かりやすい。問題はいつ起こるのか分からない場合。これは心配し出すときりがないので、普段から心に留め置くようなことはない。そうでないとパンパンに懸念が増え、懸念だらけの生活になる。
 里中はそういった懸念が解決、またはクリアした後、何か楽しいことを用意しておくようにしている。それが餌だ。ご褒美のようなもの。そしてそのご褒美は懸念前に使わないようにする。まあ、単純なプレゼントのようなものだが、これは絶対に必要なものではない。だから半ば贅沢品。
 それは旅行でもいいし、一寸したイベントへ行くのでもいい。いずれも実行しなくても困らないようなこと。
 懸念の前日は落ち着きがない。いつものような暮らしぶりをしていても、どこか違う。懸念のない日常に早く戻りたい。昨日と同じようなことが今日も起こるような。昨日とは全く違うところに立たされる今日ではなく。
 自分の意志で立つのならいいが、立たされる。そして時間もそれで取られる。いつもの日常の節々にはないシーンが挿入される。
 もし昨日と同じような日なら、今頃あれをしていた、これをしていたと思う。そしていつもの日々が如何に平和なのかを思い知らされる。それほど楽しい日々ではないのだが、変化のない穏やかさでパターン通りが繰り返される。つまりワンパターンの良さ。次に何が来るのかが分かっている。これが本当は良いのだろう。
 懸念。心配してもしなくても起こることは起こる。起こらないことは起こらない。だから、心配しても仕方がないのだが、その懸念が去ったあとのほっとした気持ちは、心配してこその収穫だろう。
 
   了
 


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2020年12月14日

3963話 初冬


 初冬、それほど寒くなく、しかも昼過ぎ、一番気温が上がる頃。鈴木は毛糸のセーターだけで外に出た。いつもはその上からジャンパーを羽織っているのだが、暑苦しいことがある。
 一枚脱ぐ、重いコートではないが、ジャンパーを脱ぎ……は春で暖かくなってからのセリフ。これからどんどん寒くなっていくとば口で脱ぐというのはどういうことか。
 寒くなり出してから過剰に着込んだため。
 まだそこまで寒くはないのに。
 しかし寒さに慣れてきたのか、それほど着込まなくてもいいことが分かった。それでその日は脱いだ。
 しかし、セーターだけで出ている人は見かけない。道行く人は冬向けのダウンジャケットやオーバーやコートやジャンパー。
 これは少し脱ぎすぎたかと、鈴木は後悔した。その証拠にビル風がスースーと入ってくる。これが夏場なら涼しいかもしれないが、今は寒い。しかし、何故か気持ちのいい風。それほど冷たい風ではないが、衣服を通過し、身体にじかに回り込むような風。風の被弾。
 それが妙に快いのは、どうしたことか。
 冬場、敢えて部屋の窓を開けっぱなしにすることがある。空気の入れ換えだ。これも寒い。
 鈴木が小学校へ通っていた頃の担任の先生がそうだった。まだ暖房も冷房もない木造教室。隙間風で寒いのだが、先生は窓の全開を命じた。
 暖房はないが、生徒達が熱いのだろう。人が暖房装置になっている。
 そして全開すると、スーと風が入って来て、今までの空気と入れ替わる。まあ、外に出たのと同じ。凍結するわけではない。気温は零下ではない。
 このときの清々しい寒さを鈴木は思い出した。何かしゃんとする。引き締まる。
 たまには冷たい風に当たるのもいいだろう。これは何か別のことでも当てはまるのではないかと考えながら、部屋に戻ってきた。
 当然すぐに暖房を付ける。部屋は暖かくなり、居心地が良い。
 しかし暖かいので気持ちはだらけてしまった。
 それで、鈴木は暖房を切る。そして冷房に入れ直したわけではない。それなら冷蔵庫にいるようなもの。そこまでせず、暖房なしの状態にした。鈴木が戻ってくるまではそうだったはず。しかし外よりも室内の方が少し温度は高い。外にいるよりはまし。また風もない。隙間風はあるが、大したことはない。
 するとだらけていた頭もシャキッとし、あの小学校時代の教室での爽やかさになった。
 その夜、鈴木は風邪を引いた。
 
   了



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2020年12月13日

3962話 何でもない状態


 何でもないものが難しいのは何でもないため。何でもないだけに何もないに等しいが、実際には何かがある。しかしそれだけで間を持たせるのは難しい。刺激的な何か、ポイントになるような見どころのようなものが少ない。しかし、ずっと刺激的なものばかりだと麻痺してしまう。刺激はより強い刺激を求める。だから際限がない。ところがそれ以上強い刺激となると、もうないかもしれない。
 刺激的なものは退屈しないが、そればかりが続くと退屈になる。望んでいるものがより大きくなるためだろう。少々の刺激では応えなくなる。
 ところが何もないものには刺激はないが、なくもない。それとなく刺激的なものが含まれている。ごく僅かだ。気が付かないほど。しかし、やはり退屈。そのため、この間を持たせるのが難しい。
 刺激的なものは簡単で、それを入れればいい。
 間が持たないはずだが、何とか間を持たせる。ここが難しい。それなりのセンスなどで繋いでいくしかない。
 また、刺激を求めないで、穏やかなものを好む場合もある。これは刺激に飽きたためだろうか。贅沢な食事ばかりしていると、それに飽き、あっさりとしたものに箸がいく。
 しかしお茶漬けばかり食べていたのでは何なので、こってりとしたものを欲しがる。その中間があるはずで、これは日々食べている普段のものがそれに近い。
 中間というのは難しい。しかし長く場を持たせるには中間を使うしかない。その中間の間が本当は難しい。徹したものよりも。
「中間ねえ」
「はい」
「中途半端と言うことかね」
「地のような」
「地?」
「普段のような」
「よく分からんが、何かあったのかね」
「日常が充実するような」
「余計に分からんよ」
「あまり刺激的ではない普段が一番居心地がいいような。これは楽しさではなく、居心地です」
「何か知らんがまだ若いのに、悟ったようなことを言うものじゃない」
「そうなんですか」
「日々せわしなく、忙しく、ドタバタし、たまに疲れて休む。それでいいんだよ。妙なことを考えて作為的な生き方をするよりもね」
「はあ、まあ、それで普通ですねえ」
「だから、探さなくても、よい問題だ。良い日々もあれば悪い日々もある。何も感じない日々もある。それだけだ」
「はい、心得ました」
「そんなこと心がけるから駄目なんだ」
「あ、はい」
 
   了
 


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2020年12月12日

3961話 伝えられない話


 蛭田はかなりの年寄りだが、貴重な情報や資料を多く持っている。非常にマニアックな世界だが、その道のさらに奥の細道まで知り尽くしている。また生きてきた時代時代に多くの体験をした。これだけ知っている人は類を見ないだろうが、アカデミックなことではないので、その専門家とはいかない。当然そんな学会はないが、学会とかの組織的なものとは合わないのだろう。
 それらの体験を資料と一緒に本にすればいいのだが、本という形にしても、ほとんど売れないはず。
 蛭田を慕う若者がおり、本にしたがった。または体験談を録画し、ネット上に上げたかった。それで何度もその相談で訪れている。早くしないといけないような年。
 しかし蛭田は断り続けている。もしそんな本なり動画が世に出れば、ただでは済まない。ただというのは無料なので、お金が入ってこないということではない。まだ生きている人がいるので、暴露することになる。そんなことをしてまで出しても意味はない。ただのゴシップのようなもので、当事者達に恥をかかせるだけ。またそんな悪趣味もない。
 そこで青年は秘蔵版と言うことで、一般には公開しないので、作りたいと、伝えた。
 それでは出す意味がないのだが、そういう本なり動画があるというだけで、十分だと青年は説得した。
 何故なら、このまま蛭田が亡くなれば、その部屋にある資料類も消えてなくなるだろう。青年が引き取ればいいのだが、置く場所がないし、また本人に聞かないと分からないような資料もある。
 一冊だけの本でも作れるので、その一冊の中に資料の写真も挿入すればいい。そして一つ一つの資料というか証拠品は動画で蛭谷が説明する。
 蛭田は、それでも承知しない。今更昔のことをほじくり返すのがいやで、相手もいるし団体もいる。そして蛭田自身も恥多きことを語ることになる。
 つまり蛭田も共犯。これでは語れないだろう。
 青年はそれでも諦めないで、それではインタビューだけでもいいので、語れることだけでも語ってほしいと頼んだ。
 蛭田は承知した。
 そして、インタビューの収録が始まったのだが、数分で青年は停止ボタンを押した。あまりにも凄い話のため、中止した。
 
   了


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2020年12月11日

3960話 妖怪式神蚊


 妖怪博士は寒くなってくると冬眠する。ずっと寝ているわけではないが、活動がピタリと止まる。冬籠もりするほど寒いところではない。
 しかし布団の中にいるのは、本当に寝るときだけ。あとはホームゴタツでうたた寝する程度。その間、何もしていない。ただ、たまに昔に書かれたような妖怪に関する本や、怪異談などを拾い読みしている。どれも似たような話で、目新しさはないが、その語りに味わいがある。妖怪よりも、それを語る人。また語り手から聞き取ってまとめた人。いったいどんな気持ちで書いたのだろうかと、そこに注目する。本当に驚いて書いたのか、または冗談半分で書いたのかは文章に出る。怖い話だが、後ろで笑っているような。
 うたた寝が本寝になるときもあり、そのときはホームゴタツの中に潜り込み、座っていた姿勢から仰向けになる。コタツ布団をぐっと引っ張り、胸元までかける。亀が裏返ったような姿勢だ。
 そして寝かかったとき、耳鳴り。
 だが、音がおかしい。小さくなったり大きくなったりする。そして神経質な音で、神経を逆なでる。これは蚊だろう。冬の蚊、生き残っていたのだろうか。
 耳を狙って飛んでくるようで、音が消えたときは、止まっているのだ。耳の近くにいるに違いない。しかし蚊の足の感触は感じない。
 妖怪博士はぴしゃりと耳のあたりを平手打ちした。一瞬、ジーンとなり、今度は本当の耳鳴りになる。強く打ちすぎた。
 遠くまで行くまいと思い、目を開け、周囲を見るが、蚊の姿はない。平手打ちにあたり、潰れたのだろうか。
 夏場、たまに蚊が五月蠅く耳元に来ることがあるが、叩いて退治できた試しがない。音だけなので、耳の近くにいると勘違いする。
 丁度うたた寝する前に式神について書かれたところを読んでいた。その中に式神蚊がいる。これは妖怪で、目的を失った式神蚊が彷徨っているだけ。式神は人が発する。術者が発する。式神蚊単独では動かない。また蚊を式神に変身させるのは術者。それで式神蚊が生まれ、刺客のように誰かに襲いかかる。しかし、襲っているのは式神蚊だが、襲わせているのは術者。従って式神蚊の意志ではない。ただの突撃兵器のようなもの。それ以外の動きはしない。
 しかし、術者がコントロールを失ったとき、式神蚊は彷徨うことになる。
 この式神蚊がフリーになったときから妖怪化する。中にはトンボほどの大きさの妖怪式神蚊もいる。
 その書を先ほどまで読んでいたのだが、この作者、やはり冗談半分で書いたとしか思えない。しかし、想像できそうな蚊だ。蚊なので、よく知っている。
 それとは別に音だけの蚊もいるだろう。妖怪博士を先ほど襲った蚊が、それかもしれない。
 音で欺されることが多いので、有り得る。
 
   了


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2020年12月10日

3959話 滑らない塗り箸


 岩木村の山裾に石像群がある。いずれも小さい。しかし仏ではなく、人の顔。仏になり損ねた羅漢に近い。中には顔も姿もないただの石饅頭もある。
 石仏は横に拡がり、並んでおり、その後ろにも並んでいる。三段ほど。既に周囲は草むしているのだが、誰かが手入れしているのか、完全に草に覆われることもない。数十体もの石像だが、方々から集めてきたものではなく、最初からそこにあったようだ。
 里山歩きの人がそれを見付けたのだが、特に説明はなく、謂れを書いたプレート類もない。
 興味深いのは人の顔をしていること。それほど身分の高い人には思えない。中には笑っているのもある。
 こういうのは飢饉とかで亡くなった人を供養するため作られることもあるので、それに近いのではないかと、散歩者は考えた。
 そこへ運良く老婆が花束を手に上がってきた。よく見ると石像に竹筒がある。花は既に枯れているので、その交換に来たのだろう。
 花は菊。野菊だろうか。花びらが小さい。石像分を束にして持ってきたようだ。まあ、亡くなれば仏になるのだから、石仏といってもいいのだが、仏とは違い、妙に生々しいお顔。しかし、長い年月で風化し、顔立ちがもう分からないのもある。
「これは、何でしょう」
「ああ、亡くなった人達ですよ。この村の人だったと聞いております」
「飢饉か何かで」
「いや、戦って亡くなられたと聞いています」
「一揆とか」
「違うようです。敵と戦った勇者さん達とか」
「数が多いですね。勇者の」
「村の大人は全員戦ったようですよ」
「どんな戦いです」
「この村の領主と共に戦ったのです」
「軍役ですか」
「いや、足軽を出すのなら、この村は数人でいいのです。そうじゃなく、村を守るため、立ち上がったのです」
 木蔵という百姓が、村人をまとめ上げ、敵の侵入を防ぐ戦いを始めたらしい。領主の城へはこの村を通らないといけない。そこに出城や砦はない。村があるだけ。どちらにしても、村に入り込まれる。
 しかし、勝ち目のない戦いで、領主と敵との兵力差がありすぎた。
 隣村も敵の侵入コースに入っていたのだが、ここは村を捨て、村人は山に逃げ込んだ。もう一つ、領境の村は入り込んできた敵の部隊を歓迎し、受け入れた。いずれはこの敵の領地になるのだから、抵抗はしなかったし、また領主も、ここまで兵を出さなかった。そして村人だけでは戦ってもしれているし、無駄なことだと諦めたのだ。
 ところが、石像のある村には木蔵がいた。村の若きリーダーで、いずれは村おさになるだろう。人気があり、人望もある。ただ雄弁で勇敢すぎた。
 敵は農民とは戦わない。これは資産なのだ。年貢を取るための。
 戦いは簡単に終わり、領主が変わった。石像のある隣村の人達も山から戻ってきた。その村人が、この石像を作ったらしい。
 廃村に近い状態になり、その後、人を入れて、新しい村として生まれ変わった。
 老婆からその話を聞いた散歩人は、何とも言えない気持ちになった。
 
   了

 

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2020年12月09日

3958話 滑らない塗り箸


 快感は楽しみすぎだが、快適ならいい。妥当なことで、適当。良くもなければ悪くもないが、快適は多少良い側に傾いているが、快感とまではいかない。
 適当になると、快適より、少し落ちる。しかし不快ではない。快適の範囲内にギリギリ入る。適当の幅は広い。それは使い方だろう。どうでもいいようなことなら適当でいい。どうでもよくないことでは適当を使わないで、別の切り口を使う。
 箸など適当でいい、それが箸なら。割り箸でもいい。ただスプーンやフォークでは駄目という程度。しかし、うどんを挟める塗り箸や、滑りにくい塗り箸となると、適当な箸では無理で、ここで一段踏み込む。さらに丸箸が良いか角箸が良いかとなると、もう適当さから外れる、どうでもいいようなことではなくなる。
 少し考えないといけない。適当は前例のあるときに限る。考える必要はない。
 丸箸の方が使いやすいが、角箸の方が滑りにくく、テーブルに置いたとき、転がりやすいのが丸箸。そこまで考えるかということだが、これは箸を転がして下に落ちる頻度が高かったので、気になったのだろう。当然テーブルの上ではなく、茶碗の上に二本の箸を乗せて運ぼうとしたとき、一寸傾くと丸箸は転げ落ちる。
 それを見て可笑しくて笑うわけではない。箸が転んだだけでも笑うのは小娘。
 箸の先にギザギザが付いているものもある。こんなものを選ぶのは、拘りがあるのだろう。その拘りは経験から来ていたりする。挟んだうどんが滑り落ちるとかだ。割り箸を使えばいいのだが、ずっと使い続けている愛用の割り箸などないだろう。一度使えばそれで終わるような箸だが、ずっと使えなくもない。ただ、色が変わったり曲がったりする。
 うどんが普通の塗り箸で挟める。これは快適だろう。快感とまではいかないのは、特に凄いことではなく、箸なので、挟めるはずのため。しかし、快適という感覚もないかもしれない。挟めて当然ということ。しかし、塗り箸でうどんは挟みにくいもの。だから滑りにくい塗り箸を作ったのだろう。そういう加工が施されている高い箸だ。
 だからそういう箸を選んだ場合、適当な箸を選んだことにもなる。一番ふさわしい箸のため。だから当を得たもの。アタリを引いたのだ。この場合、うどんが滑らない箸という条件が分かっているため、滑りにくいとされる塗り箸を買えばいい。
 適当さにも幅がある。箸なら何でもいいわけではなくても、それにふさわしいものを適当に選ぶ。間違っていない。いい加減ではない。しかし加減はいいので、良い加減だろう。
 しかし、その条件を満たす箸でも、塗り色とか太さとか長さとかがある。これで二段目だ。そこは適当でいいとなると、少し精度が落ちる。条件に入っていないので、考慮していない場合だろう。
 一番いいのは適当にいくつかの箸を買い、気に入ったものを使うことだ。その中に生き残る箸がある。しかし、まだ不満があり、快適とはいかななかったりする。その箸は良いのだが、塗り色が悪いとか、太すぎるとか、長すぎるとか、重いとか、色々出てくる。全てを満たすお気に入りは滅多になかったりする。もしそういうものに巡り会えば快感が走るだろう。
 しかし、箸の上げ下げ程度の話なので、それこそ適当でかまわなかったりする。
 
   了

 

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2020年12月08日

3957話 選択の自由


 似たようなものが二つある。どちらかを選択すればいいのだが、両方選択するという手もある。同じものが重なるのだが、両方を交互に使えばいい。そのうち、どちらがいいのかが分かる。もし片方だけ選択すれば、選択しなかったものがずっと気になる。そちらの方がもっと良かったり、選択したものにある欠点がないような気がする。これは両方から似たようなものを発しているのかもしれない。
 行かなかった場所はどうだろうか。これは同時には行けない。後で行くということになる。しかしその日、その時間でないと駄目な場合は一つに決める必要がある。これは後で行くとかができない。そのため選択しなかったものは永久に闇の中。
 どちらにしても、選ばなかったもの、行かなかった場所が後々気になるもの。
 そして行かなかった場所、選ばなかったものを求め続けたりする。その場合、理想像のように勝手に良いように思ってしまうのだろう。だから理想。到着し得ない。しかし目的がある。目標となる。
 選ばなかったものが目標になるとはおかしな話で、そのとき選んでおけばもう目標にはならないが、片方が今度は目標になる。本当は選ばなかったものがより劣っていたりするのが現実。だから良い方を選んだ。
 選ばなかったものを理想化する。これはもう妄想。勝手に付け足したりする。だから現実的には存在しないシロモノ。理想的だが、存在しない。幻のようなもの。ただ、人は、それに魅力を感じる。想像上の魅力だが。
 人は嘘の方を信じやすい。本当のことは信じなかったりする。嘘であるとされているもの、果たして本当は嘘だろうか。もしかすると、本当ではないかと、嘘に引っ張られる。
 本当のことは、それが本当であると困るとき、それは信じない。所謂本当だとは思えないとなる。本当のことのようだが、嘘であって欲しいと望むためだろうか。
 良い夢を見たとき、夢だったので、これは惜しい。悪い夢を見たとき、夢で良かったとなる。
 万が一とか、意外と、とか、あまり起こらない奇跡的なことを信じたりする場合、これは抜け穴のようなもの。
 選択の自由がない場合もある。それ以外の選択肢がない。だから選べない。だから選択の余地がないので、選択という言葉もいらない。それしかないのだから。これは分かりやすいし、ストレートだ。
 選択という自由。こちらの方がバケモノを生み出す。
 
   了


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2020年12月07日

3956話 ア・ハア


 勢いが落ちたようで、島田はやる気を失った。
 そんなことでやる気を失うのだから大した目的ではなかったのだろう。あるとすれば勢いだけを期待し、勢いが目的だったのかもしれない。だから勢いのあるものなら何でも良かった。
「勢いねえ」
「不調です」
「絶不調というやつですね」
「絶好調のときは楽しかったのですがね、いや、勢いに乗る手前も楽しかった。まだ乗っていないのですが」
「右肩上がりというやつですね」
「それでもう辞めようかと思います」
「勢いが落ち着いてからが勝負ですよ」
「まだまだ落ち続けます。落ち着いていません」
「いや、これ以上落ちないというところがあるでしょ。そこなら、もう勢いの底。落ちようがない。だから落ち着ける」
「それは」
「だから勢いなど期待しない方がいいのです。そんなものを楽しみにしても、いずれ落ちるか、飽きてきますよ。すぐに退屈なもの、地味なものになり果てる」
「白河さんはどうなのですか」
「私ですか」
「そうです」
「私は何もしないことに決めました」
「でも色々やっておられるじゃないですか」
「どれも勢いはありませんよ」
「勢いがないのにまだやれるコツを教えてください」
「何もしないことに決めました」
「やっておられるのに」
「何もしていないのと同じです」
「そうでしょ。もうやってもやらなくてもいいようなものですから。勢いがあるときは別でしたが、今は値が下がった」
「だから元々何もしないことが前提ですので、やっても何もしていないようなものですよ。それこそ何もしていないと暇でしょ、だから何かをしてしまうだけです。これは何もしていないのと変わらない」
「ややこしい構造ですねえ」
「そうですねえ、醒めた感じでやるようなものです」
「それじゃ楽しくないでしょ」
「ありませんねえ。しかし味わいがあります」
「味わいですか」
「地味というやつです」
「僕にはなかなかその心境には」
「まあ、色々やっていれば、そんな感じになるのです。私だけのことで、他の人は知りませんがね」
「やはり勢いがなくなると、そこから脱したいです。地味もいいのですが、それじゃ楽しくない。もっと溌剌としていたい」
「当然それもいいでしょ」
「そうでしょ。だからやはり、勢いがなくなったものは捨てようと思います」
「尤もなことです」
「そうでしょ」
「そうしなさい」
「しかし、白河さんはそうしないで、留まっておられる。どうしてですか」
「いや、何処で何をしても、もう似たようなものですから、動いても仕方がないだけ」
「何かもっと奥深い秘密でもあるのでは」
「何もありません」
「お世話になりましたが、もうここを去ります」
「どうぞどうぞ」
「でも白河さんはずっと居座っておられる。どうしてなのですか」
「ここの椅子、座り心地がいいからです」
「あ、はあ」
 
   了




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2020年12月06日

3955話 極月


「極月ですなあ」
「十二月ですね」
「北極と南極。極まったところ」
「月を極めるわけではないのですね」
「誰が」
「そうですねえ、でも個人的にはこの月を極めたいところです。最後の月ですから、いい感じで終えたい。一年の締め括り、十二月に入ったばかりなので、まだ一ヶ月ある。この一ヶ月で勝負したい」
「何か、そういう用事でもありますか」
「ありません」
「じゃ、極める必要はない」
「そうですねえ。しかし、いい感じでこの月を過ごしたいですよ。世の中忙しそうですが、私は暇なので、差し迫ってきても問題は何もありませんがね。あとは気分の問題です」
「十二月に入って早々年越しの心構えですか。それはまだ早い。クリスマスもある」
「十一月末から感じていましたよ。年越しを」
「まあ、いい感じで除夜の鐘を聞くか、悪い感じで聞くかでは違いますからね。気持ちが」
「そうでしょ」
「しかし、今から年末年始のことを考えるのは少し早いかと」
「いえ、正月に、もう年末のことを考えていましたよ。その後、忘れましたが、一年前から年の終わりを考えていたのは確かです」
「何故途中で忘れたのですか」
「正月行事が終わったからでしょ。普通の日に戻ると、もう年末や年始のことなど、思わなくなるものです」
「それで極月に入ると、再び浮上ですか」
「残り一ヶ月だと思うと、気持ちも迫ってきます」
「しかし、特に何もするようなことはないのでしょ」
「細かいことは色々あります。掃除とか、片付けとか、やり残していることが多い」
「家事ですな」
「そうです。埃が溜まっている家具の隅とか、奥とかが気になったりしますが、まあ大掃除はしませんので、普段からやっておくべでしょうねえ。だから残り一ヶ月の間は少しピッチを上げようかと」
「暇であっても暇ではないと」
「そうです。用事はいくらでもあります」
「平和なものです」
「あなたはそうじゃないと」
「厳しい年末になりつつあります」
「それは大変だ」
「私もあなたのように、家具の隅の埃だけが気になる年の瀬を過ごしたいものです」
「あ、そう」
 
   了


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2020年12月05日

3954話 滅私奉公

滅私奉公
 人に仕えること、商店などでの奉公だが、滅私が加わると、私欲ではなく、自分のためではなく、主人のため、店のために働く。これは使う側にしては都合はいいが、私を滅ぼすと書くのだから、自分のことは考えないで私欲を殺すのだろう。または消す。建て前としてはそうなっているが、私欲などとどめもなく沸き上がるだろう。しかも始終。
 自分のことばかり考えているというのも何だが、実際にはそれで普通だ。
 自分のことを考え、それをメインに行動する。悪くいえば我を通し続ける。自分の我が儘、自分から発している我なので、自我。自我が強い人とか言われると、これは褒め言葉ではない。我が付くとあまりいい言葉がない。我利我利亡者とか。我が利益だけを考えている人。しかし、それで普通だろう。
 しかし、そうであっては上のものが困る。使っている側だ。
 自我が強いほど安定しているが、内に対してであり、外に対しては摩擦が生じやすいので、外側から崩れだすため、安定しない。
 滅私奉公は自分を捨て、主人のために尽くす。店のために尽くす。これは意外と安定している。私欲を捨ててのご奉公だが、では私欲とは何か。仕えることが欲なので、この欲は安定している。よくやることが欲なのだ。
 滅私奉公は世のため人のため、のレベルではなく、もう少し規模が小さい。その主人は私欲を出してもいいはず。その上にさらに仕える人がいないのなら。
 すると主人の私欲に協力することになる。いい協力をすれば喜んでもらえるだろう。評価も高くなる。その評価が目的になってしまうと、これは私欲になる。しかし、そういう褒め言葉や、褒美や、出世がなければ、やってられないはず。滅私奉公だが、そこに私欲がある。それは欲だが、滅私ばかりやるのは修行者に任せればいい。そして、私を捨てるということは悟りを開くことで、それを成した人など見たことがないはず。あくまでも想像上の境地。
 結局滅私奉公でもカタルシスが欲しい。これは名誉とかのレベルだろう。
 我の弱そうな人が、実はとんでもない我を持ち続けていたりする。私欲や我を隠すのが上手いわけではないが、それこそ我慢強いのだろう。我慢しないといけないほど我が溢れ出すのを押さえ込んでいる。
 いずれもそれらは煩悩で、これは大晦日の除夜の鐘で、後頭部をガンガンいわしてもらわないといけない。
 
   了
 


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2020年12月04日

3953話 イライラ波


 その年の夏から異変が始まり、初冬になってもまだ収まらない。異変の正体、理由が分からないどころか、異変そのものが分かりにくい。ただ、人々はイライラしている。分かりにくいからではなく、イライラする異変なのだ。
 くどいが、異変が苛立たせるのではない。苛立ちという異変だ。
 世相が悪い、政治が悪いと言っている人だけではなく、まったく無関心な人まで苛立っている。原因が何処にあるのかは分からない。気象庁は天気が原因だとは考えにくいと思われると記者会見で述べた。もし天気が原因なら全ての生き物、植物にまで影響するだろう。石にも。
 しかし、イライラしているペットはいないようで、飼い主のイライラの影響で、猫まで苛つくようになることもあるが、野良猫はいつも通り。だから自然界そのものには異変はない。人間だけ。
 では赤ん坊はどうか。これは苛立たない。不満があると苛立つのが仕事なので。
 いつもぼんやりとしているような人はどうか。これはやはりぼんやりのままで、イライラしたぼんやりさんは見かけない。アホは風邪を引かないようなものだろうか。
 この異変は苛つきだけではなく、短絡的行為というのを促すようだ。苛立つためだろう。しかし分別のある人は、その手前で食い止める。
 実際の被害はそれほどない。パニックにもなっていない。少し苛立つ程度なので。
 ある人は低周波ではないかと言っている。その周波はまだ観測されていないが、その恐れが高いと。
 冬が始まり、クリスマスが近付いている。夏からもうかなり経つ。
 それで、人々はこの異変に振り回されているわけではない。夏から続いているが、それ以上の影響がないため。
 これが長いと見るか短いと見るかは前例がないので分からない。
 まあ、多少イラッとする程度で、普段でもその程度の苛つきはある。それが増えた程度。そのうち慣れてきたのだろう。
 低周波説を唱える人の中に、巨大な貧乏神が貧乏揺すりをして、その振動が伝わっているのだと発表した。
 人々はここぞとばかり苛立った。
 
   了



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2020年12月03日

3952話 日常のチャプター


 日常は複数のチャプターで成り立っている。その順番、並びはほぼ同じ。朝起きて、夕食は食べないが、夕方に起きてくれば、それが夕食になるが、起きたとき食べるのはやはり朝ご飯だろう。夕食は晩ご飯で、一日が終わろうとしている頃。日が沈み、暗くなってから。しかし、そのシーンは朝食でも夕食でも変わらなかったりする。照明が違うかもしれないが。
 日常は区切られているが、流れがある。順番があり、それが一つの筋。しかも毎日似たような暮らしぶりだと、昨日のシーンと今日のシーンはほぼ同じだが、これも天気により明るさが違うかもしれないが、ビジュアル的には、似たようなもの。ただ、お膳の上のおかずが違うはず。同じ茶碗と箸や皿でも、盛ってあるものが違う。
 また、茶碗ではなく、弁当だったりするし、パック入りのお好み焼きだったりする。シーンとしての意味は同じだが、一回としてそっくりなシーンは存在しない。
 当然、それを食べている人の服装も違うだろう。いつも着ている部屋着でも、四季を通じて同じではない。
 そしてほとんどチャプターの数は同じ。それが日々繰り返されているのだが、当然本人は今日と昨日の違いは分かっている。絵としては同じようなものだが。
 チャプターの数は同じ、チャプターの中味も同じ。これは自然にその数や並びになっている。結構完成されたもの。一つ欠けたぐらいでは問題はないし、また少し増えても問題はない。全体は似たようなものなので。
 ただ、チャプター内での変化はある。これは演出だろう。やっていることはほぼ同じなので、変えるのは難しいが、演出は変えられる。
 山田は、そういうことを思いながら、似たような日々を過ごしていた。昨日やっていたことを今日もやる。そして順番も同じ。それらのチャプターをこなしていかないと、一日が終わらないわけではないが、決まり事の段取り。山田が決めた段取りだが、いつの間にかそうなっていた。
 演出を変える。それは気分を変えることだろうか。山田はそれに気付き、もしこれを映像で撮られていたとすれば、キャラクタの動きも大事になる。箸の使い方や、歩き方とか、仕草や動き。
 繰り返されるチャプター。それらの筋は決まっており、流れも決まっているのだが、当然山田はそんなことを意識しながら一日を過ごすわけではない。あとで思うと、同じシーンを毎回やっていると分かる程度。
 たまにそれらのチャプター数が減ったり、増えたり、今までになかったチャプターが入ることもある。
 
   了
 


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2020年12月02日

3951話 場末の古本屋


 草加は久しぶりに人で賑わう繁華街にやってきた。普段の用事は近場で済むし、ネットでも買えたりするが、電車に乗ってまで繁華街に出てきたのは人を見るため。人を見て買うわけではない。
 世の中がどうなっているのかを見に来たのだ。しかし近場も世の中、その近場にいるような人が大きな繁華街にもいる。しかし繁華街用の人のように見えたりする。つまり繁華街族のように。だが、深夜前に繁華街の人出も閉店後は引くだろう。やはり草加と同じようなところから遊びや仕事で来ただけで、繁華街人ではない。
 ところがその繁華街人がいる。実はその人の顔を見に行くのが目的の一つ。繁華街の人。遊び人ではない。夜の帝王でもない。ただの古書店の主人。
 田中といい、間口の狭い店の二階に住んでいる。倉庫だったところだが、居間兼寝床にした。古本も売れなくなり、店は開いているが、そこを開けないと出入りできないので、開けているだけ。店内は実は玄関のようなもの。土間のようなもの。しかし、本は一応並んでいるが、歯の抜けた棚もある。もう買い入れも、仕入れもしていない。
 草加はネオン街を通りに抜けている。人通りはそれなりにあり、以前とは変わらないが、店屋がコロコロと変わっていく。全部入れ替わったのではないかと思えるほど。
 世の移り変わりだろうが、数年前にも通ったので、それほどの驚きはないが、その頃から見ても、また変わっている。
 そこを抜けると所謂場末。田中の古本屋はさらに枝道に入ったところにある。もう店屋はほとんどなく、通行人もいない。
 季節はクリスマス前。まだ遠いが、それなりに寒くなってきた。草加は作業着のようなジャンパーを着ており、あまり繁華街では似合わない。遊び着が欲しいところだが、懐が寒い。
 古書店は開いているが、誰もいない。奥にレジがあるが、田中はいない。
 レジの横に便所の戸と階段がある。そこから田中を呼ぶと、階段を降りる音。
 別のものが上から降りてきたのかと思うほど、姿がおかしい。田中かどうか分からないほど。まさか、こんなところにモンスターが出現するわけがない。
 田中は蒲団を被って降りてきた。寒いようだ。電気を切られたのだろうか。しかし、店の蛍光灯は点いている。
「風邪かい」
「いや、蒲団がいいので」
「蒲団が」
「暖房要らずだ。蒲団だと」
「しかし、蒲団を被って店番できないだろ」
「客なんて来ない」
「来たらどうするの」
「流石に蒲団は外す」
「ストーブとか置けばいいのに」
「そうだね」
「顔を見に来ただけなので、これで帰るよ」
「そうかい。僕は元気だから、心配なく」
「また顔を出すよ」
 本当に顔だけだ。
「ああ、分かった、またね」
 世間を見に来たのだが、もの凄くローカルすぎるほどローカルな例外的な世間を見てしまった。しかし、それもまた世間の内だろう。
 
   了



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2020年12月01日

3950話 老画家


 旧友。それは昔、付き合っていたが今は付き合っていない友も差すが、岸和田の旧友は古くから付き合っている現役の友人。その老画家の音沙汰が消えて久しい。岸和田はただの老人。年々友人が減っていくのは亡くなるからではなく、付き合いがなくなるため。その老画家とは不思議と馬が合い、長く付き合っている。岸和田は絵には興味はない。そのため、老画家は滅多に絵の話はしないが、個展などがあると必ずハガキが来るし、また電話もかかってくる。在廊の日に来て欲しいと。
 絵を見てもらいたいのではなく、そのあと飲みに行くのが目的。岸和田相手だと絵の話から離れるので、それがいいのだろう。
 その老画家の個展がここ二年ほど途絶えている。多いときは年に何回もあるが、全国各地なので、ハガキが来ても行かないことが多い。それと電話だ。これがないと行かない。絵を見るのが目的ではなく、友達に合いに行くため。
 岸和田と老画家とは比較的近いところに住んでいる。電車で数駅だが、その駅で降りることは滅多にないので、ついでに寄るということも希。
 消息が途絶えたようなものだが、個展をしなくなったためだろうか。
 それで岸和田は暇なので、見に行くことにした。しかし、老画家の家にはあまり行きたくない。妙な建築家が設計した奇妙な家のため、居心地が悪い。その箱の中に入っている老画家が別人のように見える。
 だが、音沙汰がないので、気になる。少しだけ顔を見て、帰ればいい。しかし、いるかどうかは分からない。電話をすればいいのだが、そんな関係ではない。つまり、いきなり押し掛けてもいい関係。アポなしで合える。それほど大層な画家ではないのだが、いつも通り、いきなり行くのがいい。
 閑静な住宅地の中に、一軒だけ妙な建物。これは目立つ。まるで山賊の砦のようで、むき出しの丸太の塀。それも不揃い。
 老画家は雑誌にコラムを連載している。今月号にも載っていたのだが、これはかなり書きためたものがあるらしい。
 丸太の隙間に入口があり、ここが勝手口。裏口だろうか。岸和田は勝手知った勝手口からいつも入る。鍵がかかっており、ロックされているが、これは仕掛けもので、順番通り引いたり押したりすると開く。その手順を覚えているので、簡単に開く。三段階だ。
 そこを潜ると、庭に出る。ここには何もない。芝生だけ。庭木を植えると手入れが面倒とかで、植えていない。それと原っぱを再現させたいのだろう。
 その原っぱを突き抜けると母屋の裏側に出る。数部屋の窓が見え、その一つには縁側がある。老画家の居間。だから縁側からの訪問になる。これは近所の人や馴染みの人向けの設計だろうか。
 箕田君。と、岸和田は声をかけた。
 しばらくして、物音がした。
 そして人影が現れ、近付いて来た。
 人影はガラス戸を開ける。
「ああ、岸和田君か、久しぶりだね」
 老画家は生きていたようだ。
 
   了

 
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2020年11月30日

3949話 立ち話


「下田はいかん。あれは辞任すべきだ」
「交通機関の発達が、果たして人々に仕合わせをもたらしたろうか。利便性が必ずしもいいわけではない」
「下田の経歴を見たか。あれは嘘だ。それが分かっていながら、誰も何とも言わん。それを追求すると、おのれも追求されるからだ」
「私は歩いて旅する。これがいい。しかし、昔は伊勢参りなど歩いて行ったものだ。お参りよりもその道中の方が学ぶところが多いと言える」
 左側から来た人と、右側から来た人が神社前でばったり出合ったのか、立ち止まったまま立ち話をしている。神社が目的なのではなく、通過している最中。
「誰も正しいことを言わん。絵に描いた餅のような正論は言うがな。しかし、正論だけでは世の中、立ちゆかん。だが主義主張のあるいっぱしの人間なら、もう少しましなことが言えるはず」
「この前、近くを散歩したんだが、足が重い。歩いて旅するには鍛えんといかん。昔の人は運動目的で歩いたわけではなかろう。日常的によく歩いていたに違いない。しかし、どの程度のスピードで歩くのだろう。それは人それぞれ」
 二人は向かい合って話しているのだが、どちらも相手の目など見ていない。
「倉橋先生に出てきてもらうのが好ましい。まだ引退するような年じゃない。あの人の時代は良かった。言っていることが痛快だった。やっていることは同じでも言い方を変えると、説得力がある」
「牛に引かれて善光寺参り。年をとるとそれだな。しかし牛を飼わないといけない。昔は農家でも牛を飼っていた。その牛に引っ張ってもらうのも手だが、果たしてそれで合っているのかな。荷運びの牛は見かけるはず。そして荷は私だ。それなら行ける。だが、この時代、そんな牛に引っ張られながら道路に出ておる人などおらんだろ。だから無理だな」
「一人一人がもっと認識を持つこと。これが大事で、世の中のことをしっかりとチェックすることだ。私は毎日新聞を読んでいるが。それは信用できんので深読み、または裏読みする」
 二人は歩きだした。左から来た人は右へ。右から来た人は左へ。
 二人とも、一人でブツクサ言いながら歩いている辻説法系の散歩者だろう。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 12:59| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月29日

3948話 限界越え


 限界を超えると、そこで終わってしまう。いつもは限界内でやっていたのだが、その限界内にもレベルがあり、非常に高い限界内もあれば、それほどでもない限界内もある。その場合、限界など考えなくてもいい。限界を超える必要がないため。
 限界内での戦いがあり、競い合いがあるし、自分自身に対しても挑戦する良さもあるが、いずれも限界内での話。
 限界を超えるのは実は簡単なことで、一つの歯止めを外せばいい。これは誰にでもできる。限界内から見ると、それは反則。禁じ手。御法度だ。
 要するに御法度の裏街道を行くようなものだが、裏とは限らない。堂々と表街道も歩けるが、御法度破りにはかわりはないので、限界内の人から見ると、これは本来のものではないと感じるだろう。
 限界内だけでは不足で、また不満な場合もある。限界すれすれの箇所はほとんど限界を越えたところと変わらなかったりする。しかし限界内。戦いはそこが主戦場だったりする。
「その戦いに疲れました」
「それで第一線から引くのかね」
「ゆとりがありません。余裕も」
「しかし、すれすれのところが良いんだ」
「別にすれすれでなくてもいいんじゃありませんか」
「じゃ、大人しくなるよ」
「はい、もう大人しいのでいいのです」
「君がそう望むのなら、そうしなさい」
「有り難うございます。これでほっとしました」
 しかし、似たような人が大勢いて、大人しいところも満員だった。ここはここで競い合っていた。大人しさ加減ではなく、かなりのセンスが必要だったためだろう。だから、事情は変わらない。何処にいても、人がおり、それなりに競い合っている。
「多いです」
「大人しくはないか」
「はい、それで、もう一段下げたいと思うのですが」
「それを望むのなら、そうしなさい」
「はい。有り難うございます」
 さらに大人しく、地味なところにも大勢の人がいた。そこでは何を競い合っているのかは分からないが、決してのんびりできる場所ではなかった。
「駄目でした」
「じゃ、限界を超えるか」
「それは」
「その方がすっきりする」
「でも御法度破りになります」
「そうだね。そうなると、君ともおさらばだ」
「はい」
「じゃ、どうする」
「さらに下げてみます」
「同じことだと思うが」
「下げすぎるほど下げます。そちらへ向かっての挑戦です」
「君がそれを望むのなら、やってみなさい」
「有り難うございました」
 しかし、そこはずぶの素人の世界だった。
 下げすぎたようだ。
 
   了
 



posted by 川崎ゆきお at 14:28| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月28日

3947話 用事の話


「一つ用事を減らすと楽ですね」
「あ、そう」
「このところ忙しくなりましてねえ。色々と用事を増やすからでしょうねえ。それで一つ減らしました。すると楽になった」
「その用事、しなくて大丈夫ですか」
「大丈夫だったようです。しなくてもいいような用事でして、習慣になっていただけ」
「無駄を省くというやつですね」
「いや、最初から無駄なことをやっていたので」
「あ、そう」
「それで時間にゆとりができ、他の用事や用件もゆっくりやれます。いつも急いでやるものだから、それに比べると楽です」
「他の用事も必要なものですか」
「必要じゃありません」
「じゃ、もっと減らせますねえ。さらに楽になるんじゃないのですか」
「減らしすぎると退屈します。やることがないとね」
「でも減らせるんでしょ」
「しなくてもいいことですから、いくらでも減らせますが、先ほど言ったように用事が減るとやることがなくなる。やることがないので、やることを増やしたので」
「それで増やしすぎて忙しくなったと」
「そうです。それで一つ減らすと楽になった。それだけの話です」
「暇潰しの用事じゃなく、本当にやらないといけない用事もあるでしょ」
「あります。でも、やりたくありません」
「それはいけない」
「それで、本当にやらなければいけない用事がかなり溜まっています」
「じゃ、それをやれば退屈しないでしょ。やることが一杯できる」
「気が進まない」
「あ、そう」
「やらなくてもいいことの方がやりやすいのです」
「それじゃ絶対にやらなければいけない用事はいつやるのですか」
「差し迫ってからです」
「なるほど」
「あなたはどうです」
「そんなこと、考えたこともありませんが、普通の用事だけでも結構ありますから、退屈はしませんよ。わざわざ用事を作りませんがね」
「それで普通なんでしょうねえ」
「そうですよ」
「私はつまらん用事をやるのが好きなんです。しなくてもいいような。これは娯楽なんです。本当の用事はそうじゃないでしょ。仕事のようなものでしょ。やる義務があるような。責任がかかっているような」
「そうですね」
「それよりも無駄なことを一杯やりたい。まあ、それでやり過ぎて忙しくなり、のんびりできなくなりましたので、一つ減らしたわけです」
「呑気な話ですねえ」
「そうですねえ」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 12:47| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月27日

3946話 闇の中の走馬灯


 闇の中を彷徨っていた。二吉はやっとその先に光を見て、出口を見付けた。そこは明るい世界。現実の世界。きっと昼なので、明るいのだろう。
「ほう、闇の中を彷徨っていたと」
「そうです。でも、そちらの方がよかったかもしれません」
「闇では何も見えんじゃろ」
「明るくても実は何も見ていなかったりします」
「ほう、それは奥深い」
「それに何も見えませんが色々なものが見えていました」
「頭に浮かぶものかな」
「そうです。見飽きるほどありました。まるで録画したままの動画のように、全部見るには一生では足りないかもしれません」
「何テラ分じゃ」
「そういう話ではありません」
「録画はどうした」
「自動的に録画できます」
「しかしハードディスクが足りんだろ」
「だから、そういう話ではなく、これまで生きてきたシーンが走馬灯のように頭に浮かび、流れていたのです。それを見ていると、もう十分でした」
「走馬灯。しばし、見たことがない」
「だから、そういうたとえです」
「あ、そう」
「光を見付け、出てきましたが、この現実、相変わらずですねえ」
「まあな」
「またあの闇に行きたいです」
「飯はどうした」
「時間がないのです」
「あ、そう」
「先ほど居眠りしていたでしょ」
「ああ、していたなあ」
「あの間です」
「じゃ、短い」
「そうでしょ。闇の世界ではうんとうんと長い時間でした」
「それは単に夢を見ていただけのことじゃないのかね」
「いや、夢ではありません」
「わしも行けるか、その闇の世界へ」
「さあ。私は偶然入り込みましたが」
「どこから」
「夢の中からです」
「何じゃ、やはり夢ではないか」
「夢の中に入口がありまして、そこに入ると、もう夢じゃないのです」
「ううむ」
「その中で、走馬灯をやったのです」
「幻灯会のようなものかな」
「幻灯はスライドで静止画ですが、動画でした」
「それがよかったのか」
「昔の思い出とかが浮かび上がり、それが、また長い長い物語で」
「死にかかっていたんじゃないのか」
「いいえ」
「そうだな」
「あの闇の世界は私の故郷といいますか、私そのものでした」
「独演会じゃな」
「はい、私だけが主人公でした」
「わしは出てきたか」
「はい」
「どんな感じで」
「それは言えません」
「あ、そう」
「また、あの闇の世界に行ってみたいです」
「夢を見ていただけじゃと思うがなあ」
「そうですねえ」
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 13:03| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月26日

3945話 馬鹿になる薬

馬鹿になる薬
「機嫌良く暮らしておられますかな」
「良いときもあれば悪いときもあります。連日機嫌が良いのがいいのですが、そうはいきません。それに楽しいことが毎日続くと身体も気力も持ちませんよ。そのうち麻痺してしまい。楽しいはずのことなのにそれほどでもなくなってしまいがちです」
「長い説明有り難うございます。ただの挨拶なんですがね」
「そうなんですか、で、あなたはどうなのですかな」
「私ですか。私のことはいいのです」
「悪いのですか」
「いえいえ」
「じゃ、毎日楽しいと」
「そこまではいきませんが、まあ、どうでもいいことです」
「そんなどうでもいいことを私に聞いたのですかな」
「だから、ただの挨拶です」
「ああ、ご機嫌ようご機嫌ようの」
「そうです」
「機嫌が良い方がいいのですがね。機嫌が悪いときもありますよ。だからずっと機嫌が良いわけじゃないし、また機嫌がずっと悪いわけじゃない」
「それは先ほど聞きました」
「それで、あなたは」
「それも答えました」
「そうでしたな。で、用件は」
「機嫌がよくなる薬を持ってきたのです」
「ほう、機嫌が良くなる。それはいいですなあ。飲めば機嫌が良くなりますか」
「はい、なります。効能が切れれば戻りますが」
「原因は何です」
「え、何の」
「だから機嫌が良くなる原因」
「神経でしょ」
「何か良いことがあって、それで機嫌が良くなるんじゃないのですな」
「そうです。何もなくても機嫌が良くなります。気分も良くなり、良い気持ちになれます」
「しかし、理由もなく機嫌が良いって、馬鹿でしょ」
「そうです。馬鹿になれば機嫌が良くなります」
「じゃ、馬鹿になる薬ですなあ」
「そうです」
「私は馬鹿ですが、機嫌がずっと良いわけじゃない」
「この薬なら大馬鹿になれます」
「大きな馬鹿ですか」
「小馬鹿じゃありません」
「じゃ、私は馬鹿じゃなく、アホです」
「阿呆ですか」
「さあ、馬鹿と阿呆、どちらが強いのかは分かりませんが、似たようなものでしょ」
「そうですなあ」
「で、薬なんですが、どうしましょう」
「機嫌が悪い日でも寝れば治りますので、必要ないです」
「なるほど」
「分かりましたか」
「はい」
 
   了





posted by 川崎ゆきお at 13:26| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする