2019年12月09日

3596話 思わぬこと


 世の中には思わぬことが起こる。起こってみればさもあらんということもある。できれば起こって欲しくないことで、思っていなかったことではないのかもしれない。思いたくないことだろうか。
 結果がいい場合もある。思ってもみなかった良い事が起こるとかもある。望外ともいうが、それなりに高いところも見ていたはず。しかし現実にそうなる可能性は低いと思っていた程度。実は思っていたのだ。
 また、落胆したくないので、希望を控え目にいう場合も。
 ただ、控え目なのに、達しなかったりするとショックだろうが、最低限、ここは果たしたいという線はあるだろう。
 しかし、世の中には本当に思ってもいなかったことが起こる。掛け値なしで、思いもしていない事が起こる。これが吉と出れば幸い。こんなラッキーがあると、世の中楽しくなる。滅多にないし、ほとんどなかったりするからだ。
 あっても大したネタではない場合もある。今夜のおかずがひとつ増えた程度で、将来が変わるわけではない。将来にわたっていい道が開かれたとかではない。
 思わぬ偶然とかは逆にできすぎており、運命のようなシナリオがあったのではないかと思えるほど。通常の人では起こり得ないことが何故その人に起こるのかは、考えてみれば不思議だ。
 運を拾うともいう。拾うには確率を上げるため、ウロウロした方がいいと思うのだが、じっとしていたから得られた運もあるだろう。動けば負けで、動かなかったので運を得たとか。そういうのはあとで分かること。
 ただ天運を得ても気付かない場合があり、だから見過ごしてしまう。
 では運を得たから得かというと、おかずに佃煮が増えた程度の平和さだけではない。開けた運でもずっといい感じで開け続けるわけがない。その後はやはり山あり谷ありで、通常の人にはない苦しみも味わうだろう。
 だから、運が開ける方が損だというわけではないが、静かに暮らしたい人にとっては迷惑かもしれない。
 そんな人生規模のことではなく、一寸したことで思わぬことが起こり、一寸喜ぶ程度が無難だろう。
 そういった小さなことでも、運命的な力が働いているように錯覚することがある。よく考えると起こるべきして起こっていたりするのだが、それはいわない方がいいだろう。
 運は開けると、有名な実業家が言った。成功した人だから言える。成功していない人なら、運は開けないというだろう。しかし、名言にはならないし、そんな言葉も残らないだろう。
 
   了
 


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2019年12月08日

3595話 画伯の漫画指導


 町内に古い画家がいる。絵が古いのではなく、キャリアが長い。しかし画業で身を立てるほどの絵は書いていないので、画家としてはそこそこ。しかし、近所では画伯と呼んでいる。そんな風貌をしているためだろう。ベレー帽を斜めに被り、よく近くを散歩している。本業は先生だ。当然絵の先生。美大で教えていたが、定年となり、今は専門学校でデッサンを教えている。これは風貌を買われたためで、いるだけでもいいような。
 アニメや漫画を教える学校のためか、漫画家志望の学生が教えを請いに来た。教室ではなく直接自宅へ押し掛けたのだ。これは授業ではない。だから一円にもならないので、画伯は適当にあしらうことにした。一種のサービス。それに直接遊びに来る専門学生など、この一人だけだろう。
 ちょうど描きかけの絵に飽いてきたところなので、ミルクとバターのたっぷり入ったビスケット、これはもうクッキーに近いのだが、それとお茶を出し、彼の漫画原稿を見た。
「頭で書いてますねえ」
「はあ」
「いや、手じゃなく頭で書いている」
「あ、そういう意味で」
「全て計算立てで書かれている」
「はい」
「漫画のことはよく分かりませんが、君の石膏デッサンを見ると、それがよく分かる。だから無機的なんですね。見る側が入り込む隙が無い。この漫画の絵もそうです。遊びがない。だから魅力が無い。よくできていると思いますよ。非常に整った絵です。だから魅力が無い。まあ、そういうことです」
「頭で書くのではなく、手で書くとはどういうことです」
「それは先ほど言いました。計算した絵だからです。だから計算しないで書きなさい」
「いや、頭で考えて、頭の中のイメージを具体的に絵に起こすのが、いけないのですか」
「あなた、今の言い方、結構ぎこちない。先に言いたいことがあるので、それが先走るのでしょ。絵もそのように書けばよろしい」
「僕の喋り方、おかしかったですか」
「いやいや、日常会話なんて、そんなものでしょ。喋りながら校正できませんからね」
「はい」
「絵もそういう風に書けば、勢いが増します。計算では出てこない絵が開けるはず」
「なるほど」
「あなた、この漫画の絵、かなり下絵をしているでしょ」
「はい。気に入るまで整えますので」
「だから、絵が硬い」
「じゃ、どうすればいいのですか」
 画伯はビスケットを口に含んだまま、じっとしている。唾液で柔らくなるのを待っているのだろう。
「絵は口ほどにものを言います」
「ひとつ頂きます」
「あ、どうぞどうぞ。これ、少し固いですよ」
「大丈夫です」
「中に甘い物がサンドされていますが、あまり良いものじゃありません。歯が痛いとき食べると、しゅみます」
「大丈夫です」
「それで、何の話でした」
「絵は口ほどにものを言い、とか」
「そうそう、絵というのはものを言っているのです。実は絵そのものが何かを言っている。一枚の絵でもね」
「はい」
「ところが、あなたは計算してしまい、それを封じています。だから伝わってくる本音が滲み出ないのです」
「はあ、漫画の絵にそれが必要ですか」
「さあ、私は漫画に関しては素人ですので、何とも言えませんが、絵画一般に言えることは確かです」
「有り難うございました。いい話、聞かせて頂いて。今後、方針を変えます」
「そうしなさい」
 学生が帰ろうとするとき、画伯はビスケットの箱を差し出した。
「少し固いんだ。私には合わない。土産代わりだ」
「はい、有り難うございます」
 この画伯、口は立つのだが筆が立たない。また非常にいいセンスを持っているのだが、それが絵に出ない。
 だから、自分のことを先ほど言っていたのだろう。
 
   了
 



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2019年12月07日

3594話 深夜の散歩


 夜が更けていく。夜更けだ。しかも冬の夜更け。こんなとき外に出るのはためらわれるのだが、夏頃から夕涼みで出歩く癖が付いていた田村は習慣に従ってしまいそうになる。実際、従っている。習慣とは恐ろしい。
 それは夏場だけのことのはずで、その頃だけに当てはまるようなこと。時期を過ぎても、まだ続けている。だが、子供の頃、一度そういったことがあった。それは犬を飼っていて、散歩に連れて行くのだが、それが日課になった。
 田村の散歩コースではない。犬が希望する散歩コースで、コース取りは犬に任せていた。だから犬が好む道筋。田村の好みとは違う。まだ子供なので、年寄りのような散歩はしない。
 それで犬が死んでしまってからも、同じ道を歩いていた。いつの間にか田村の散歩コースになっていたわけではないが、毎日のように通る場所なので、ついつい癖になっていたのだろう。犬がいないのに、犬の散歩。これはすぐにやめたが、たまにその道筋を通ることもある。犬だけが通る道ではなく、普通の道や小径や、隙間道。また一寸した草むらとか、田の畦とかだ。犬がいなければ、そんなところをうろつかないだろう。
 そういう記憶があるので、夏場の習慣を冬になっても続けているのは田村にとっては不思議でも何でもない。
 夏の夕涼みは日が暮れてからだが、徐々に行く時間がずれ、冬には深夜に近い時間帯になっていた。暗いので、早いも遅いもない。風景は似たようなものだが、人通りが少なくなる。
 市バスの最終が通過してからは、さらに人は少ない。そして車も。
 運動のため、歩いていた人達も、この時間は流石に遅いので、もう見かけない。
 若い男が自転車で、さっと追い抜いていく程度。そして歩道脇にじっとしている車。これは不気味だ。
 たまに後ろから足音がヒタヒタと近付き、さっと追い抜いていく。これは練習だろうか。ランニングだ。そういう服装をしている。スポーツをやっている人だろう。
 というのが昨日までの話で、今夜は流石に冷えるので、出る気がなくなっている。習慣がこれでやっと破れる。寒さには勝てないはず。当然雨の日は出ない。
 それで、散歩に出ないで部屋で寛いでいたのだが、何かしまりがない。シャキッとしない。寝るまでまだまだ時間があり、このままのだれた感じでは、何もできない。ぼんやりと過ごせばいいのだが、時間がありすぎる。何か好きなことをして過ごすのがいいのだが、晩ご飯後の眠気も来ているので、やる気が起きない。
 昨日までは、このタイミングで、さっと散歩に出て、戻ってきたときはシャキッとしている。頭も冴える。
 そういう効能があったのかと思い、田村は出る決心をする。寒いので、立ち上がりが厳しいので決心が必要。
 出てしまうと、いつものペースに戻ったことで、自分の時間を過ごしているような気になる。
 出るのを少しぐずついたためか、昨夜よりもかなり遅い出発になった。もうほぼ深夜だ。この深い時間帯に出るのは初めて。
 水銀灯がLEDになったのはいつ頃からだろうと思いながら、そこそこ明るい小径を行く。そこから先は一寸ひっそりとした場所。毎晩なので、怖くはないし、住宅地なので、まだ窓の明かりも多くある。何者かに襲われても声を出せば、人が出てくるだろう。そんなことは先ずない話だが。
 ひっそりとした場所といっても塀が長く続いているためだろう。畑が少し残っており、その端に小径がある。農道跡だ。
 さらに進むと鎮守の森が黒く見える。その横を抜けると最近建った家が多くあり、マンションがあり、窓明かりが綺麗だ。
 昨日も見た風景。しかし時間が少し遅い。
 夕涼みコースだったので、近所を一回りする程度で、距離は大したことはない。
 それで、違う道へ入って、ぐるっと半周するように、戻る。
 だが、まだ戻っていない。戻り道になっただけ。だが、別の道に入り込んでいるのは確か。同じ道を引き返すのも芸がないと思い、そういうコース取りになっている。
 その小径に差し掛かったとき、もう一本細い道が出ているのに気付く。忘れていたような小径だ。隙間のような道。だから道ではない。
 それを見て、一歩そこへ足を踏み込んだとき、ドキッとした。
 長く忘れていたが、あの犬が好んで入り込んだ場所なのだ。
 薄暗い小径の先に、あの犬がぽつんと立っおり、田村の顔を見て、尻尾を振って全速で駆け寄ってくるようなシーンが脳裡に浮かんだ。
 
   了
 



posted by 川崎ゆきお at 12:46| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月06日

3593話 山道の二地蔵


 山に分け入り、そこそこ深いところに来たところに石地蔵がある。二体あるように遠くからは見えるが近付くと一人は人間。丸坊主。同じ高さに見えるのは坊主の方が座っているためだろう。別にそれを狙って並んでいるわけではなく、地蔵の横に腰掛石があるため。
 何もないところに石地蔵など置かない。その証拠に二叉になっており、道が分かれている。見るからに本道と枝道のように。
 仙蔵が近付くと、坊主も先ほどから既に気付いていたのか、改めて顔を上げた。
「脇道があるのですね」
「本来、細い方が本道です」
「じゃ、そちらへ行きます」
「それはやめた方がいい」
「はあ」
「私は山伏ではありませんし、修験者でもありませんが山歩きが好きなので、このあたりの山は熟知しております。しかし、この道は避けた方がよろしいかと」
「でも道があるのでしょ」
「本道です」
「だったら、そちらへ行くのが本道でしょ」
「本道過ぎます」
「はあ」
「今では新道を行く人が多いし、道幅も広い。そのため、間違うことはない。どちらが枝道で、どちらが本道なのかは一目瞭然」
「先に何あるのですか」
「山また山」
「じゃ、新道でも同じでしょ」
「あの山の裏側で合流するので、まあ、同じことですがね」
「じゃ、どうして避けた方がいいのですか」
「山らしい山のためです。本格的な山になります」
「はい、そのつもりで山歩きをしているので、問題はありません」
「しかし、本格的な山だけに、山の怖さがあります。道が険しだけじゃない。人が通らないので、獣も出ます」
「どちらの道も同じでしょ。同じ山の右と左ですし」
「こちらは人の気配がします。獣は近付きません。匂いで分かるのでしょうかね」
「獣だけですか。怖いのは。それと道が険しい程度でしょ」
「山の怖さが詰まっています」
「たとえば」
「迷いやすいのです」
「はい」
「それとあらぬものを見てしまいます」
「はあ」
「この石地蔵が何を意味するのかは、もうお分かりでしょ。供養です」
「折角山に入り込んだのですから、本格的な山を体験したいと思いますが、それはいけませんか」
「この山越えの道を通る人は、目的地があってのことです。だから安全な道を選びます。わざわざ厄介な場所へ行く必要がありません」
「それは、まあ、そうですが、はい、分かりました」
「それこそ分別というもの」
「はい」
 仙蔵は面倒臭そうな坊主なので、もう相手にしなかった。どうせあの道に入り込もうとしても、また咎めるだろう。
 少し歩いたところで、ふっと振り返ると、もう坊主はいない。
 山越の途中、小さな里があったので、そこで聞いてみると、あの坊主そのものが、山の怪だと教えてくれた。
 
   了



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2019年12月05日

3592話 あるコンテンツ


 しばらく衰え、衰退の一途だったのが、戻りだしていることがある。これは何だろう。何が効いたのだろうかと竹田は考えた。
 その間、竹田は何もしていない。盛り返すための努力は最初の頃はやっていたのだが、焼け石に水のようで、無駄な努力。そんなことをしてもしなくても衰退は続いた。それで、もう諦め、放置していた。
 そこで考えた結果、時期のようなものらしい。どんなに混んでいて渡れない道でも、そのうち車列が切れる。そのとき渡ればいいのだが、待たないといけない。切れ目なく車が来ていると、これはもう諦めて、信号のあるところまで行って渡るだろう。
 しかし、時間帯がある。深夜は流石に車も少ない。待たなくてもさっと渡れることもある。
 それだけの問題だったのかもしれないと思うが、これは相手などがいる場合だ。竹田一人で完結していることなら、そんなことは起こらない。
 ただ、タイミングというのはある。いくら自己完結した世界でも、完全に隔離されているわけではない。世間は外ではなく竹田の内側にもある。
「ほう、復活したと」
「はい、寝かして置いたのがよかったのか、最近盛り上がってきています」
「それはよかったねえ。竹田君」
「はい」
「そういうこともあるのだ。何が起こるのか分からないのが世の中だからね。しかし良い事はあまり起こらない。だから今回はラッキーだよ竹田君」
「だから、盛り下がりっぱなしの研究でも続けるべきでしょうねえ」
「何処で火が点くか分からないからね」
「その後、放置状態でしたが、もうある程度出来上がっていましたので、それがよかったのかもしれません」
「じゃ、その研究を続けなさい」
「はい、勢いづいてますので、追い風、順風です」
 それで、その研究は凄い人気になり、竹田は大喜びしたのだが、それだけだった。
「どうかしましたか、竹田君」
「勢いはいいのですが、一円にもなりません」
「あ、そう」
 
   了




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2019年12月04日

3591話 暫定


 昨日、今日あったことが明日を決めるわけではないが、以前思っていた明日が、そうではないようなことが分かると、決め事も当てにならない。決めなければいいのだが、それでは動けなかったりする。
 そして決めないと前へ進めないとなると、まずまずのところで決めて、一応先へ進む方がいい。そうでないと止まったままでは不都合が出る。
 だからそのときの決め事は確定、断定ではなく、暫定。とりあえずなのだ。このとりあえずだけでも結構間に合う。
 また、このとりあえずはしかと見定めたわけではないが、方向性程度は合っている。あとは勘で、ムード的なことも多い。
 そのためではないが、決め事は更新される。固く決心したことでも変える必要があるし、だからとりあえず決めたようなことなど軽いものなので、いくらでも変えられるだろう。暫定なので。
 この暫定は決めているようで決めていない。そして、このいい加減な決め事でも、不都合がなければ結構長持ちし、本気で決めたことよりも、よかったりする。
 決め事をすると、自分の首を自分で絞めているようなことにもなりかねない場合もあるが、そのときは流石に苦しいので変えるだろう。
 よかれと決めたことでも、後々よくなくなっていくこともある。
 それらは昨日や今日にそれが現れる。色々な事柄にも渡り、結構忙しい。
 決め事の影響や成果が出てくるのだろう。それが深刻な場合とか、または単に不快だと感じるようになれば、更新時。すぐには変更できないかもしれないが、方針を変えるチャンス。これがきっかけになる。それは過去というほど遠いものではなく、昨日今日から感じたことの方が発火しやすい。
 その場合、暫定的に、とりあえず決めたような態度なら、これは変更しやすい。重みがないためだ。
 暫定なので変えてもいい。
 当然適当に決めたようなことなので、間違いが多い。だから常に修正し続けたり、修正ではなく、違うものに乗り移ったりする。
 重さにも価値はあるが、軽さにも価値がある。そして重いのに軽いような、軽いようで重いような曖昧な場合、それをオモカルと呼んでいいだろう。重くもあるし、軽くもある。遅いようでいて早い。早いようでいて遅い。
 ほとんどのことは「意外と」でできていたりする。だが、意外なことばかりだと、意外ではない普通のことがよかったりしそうだが。
 
   了



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2019年12月03日

3590話 妖怪板


 妖怪博士は少し珍しいものを持っている人がいると聞いて、出掛けてみた。
 珍しいもの。それはこの場合、怪奇趣味のようなものだろう。世の中には珍しいものはいくらでもあるが、ジャンルがある。妖怪博士なので、妖怪に関係するか、それに近いものになる。
 また、珍しいものを持っている人は、その人自身が珍しい人が多い。
 その例に漏れず、田中という人が持ち主で、平凡な名前だが、非凡な人で、非凡なものをお持ちのようだ。
 場所は繁華街が途切れ、一階がスナックで二階が住居のようなのが所々ある通り。何か特殊な店ではないかと思われるのだが、悪所ではないようだ。
 その通りから薄暗い路地が口を開けており、木造の小汚い家が身を寄せるように並んでいる。その角に祠があり、これは町内によくあるような地蔵さんだろう。
 関係があるかもしれないと思い、妖怪博士は中を覗くと、赤い垂れ幕の奥に石があるだけ。だが涎掛けをしており、それが新しいので、よく手入れされているのだろう。地蔵は石。丸い石で目鼻も何もない。
 その角で曲がると、二階建ての家が蒲鉾状に並んでいるのだが、一軒だけ玄関戸が開いている。最初からないのかもしれない。
 玄関はその奥にあり、軒下に布が垂れ下がっている。まるでお地蔵さんの祠だ。その中央部に紐と鈴があれば神社と間違えるだろう。その玄関も開いている。
 さらにそこを抜けると、三和土があり、幅が広い目の廊下があり、硝子戸がある。それに向かい妖怪博士が声をかけると、ガラガラと開き、長細いヘチマのような人が出てきた。顔の中程、つまり耳がある部分だが、そこがへこんでいるように見える。皮付きの南京豆のように。
「妖怪博士ですね」
「そうです」
「例のものを見たいと」
「そうです」
「分かりました。どうぞお入りを」
 その硝子戸を開けると二畳ほどの板の間で、端に板戸があり、それを開けると長い廊下が通っている。
 その廊下の右側は硝子戸と障子。左側は庭。隣の家が迫っているが、庭木で隠している。
 その廊下の突き当たりに板戸があり、これは厠ではないかと思ったのだが、そうではなく、開けるとここが物置のような部屋だった。しかし、南京豆の作業所らしい。よくあるような大工道具や、万力程度はあるが、イーゼルもあり、絵の具のチューブがが減りすぎたのか、丸まって落ちていたりする。
 その部屋の奥に階段があり、それを上ると、更にゴチャゴチャした物が置かれている部屋になる。どう見ても普通の生活者の家ではない。
「これなんですがね」
 南京豆は壁に立てかけている柱ほどの幅の板を取り出し、表を向けた。
「羽子板ですかな」
「違います」
 厚みのない板に絵だけ書かれた羽子板のように見えたのだが、かなり大きい。
「ほう」
 妖怪博士は、すぐにそれが何であるのか分かったようだが、これは少し薄気味が悪い。絵が薄くなっているためかもしれないが、羽子板との違いは、目鼻が下へ彫られていることだ。最初、それが目だとは思わなかったのだが、よく見ると、バケモノが浮かび上がってくる。いや、木乃伊のような感じだ。
 上部は頭で、中程まで胸と腰、その下は曖昧。書くスペースはあるのだが、書かれていない。
 最初長方形の板に見えたのだが、よく見ると僅かながら端が人型に削られている。これが仏様ならもの凄く平面的で、像とは言えないだろう。しかし浮き彫りではなく、浮かし彫りではなく、沈め彫り。目の穴と鼻の穴と口の穴だけが開いているような感じだ。だから目などは埴輪の目。鼻は盛り上がっているところはそのまま。だからもの凄く平べったい顔と言うことだ。穴だけになった鼻のように見え、これが薄気味悪い。
 妖怪博士が安っぽい羽子板と思ったのは、そんな印象のためだろう。
「ムンクの叫び」に似てますなあと妖怪博士は印象を語る。
「僕は亡霊とか、亡者のイメージです」
「あまり有り難くないものですなあ」
 その板の一番下を見ると、少し細くなっている。そして握れるようになっている。だからやはり羽根突きの羽子板に近い。
「何処で見付けましたか」
「がらくた市です」
「はあ」
「フリマのようなものです」
「ああ、素人の人が店をやる、あれですな。家にあるような物を売る」
「僕は責め具ではないかと思いました」
「この羽子板で百叩きですかな」
「はい」
「しかし、宗教色が少しあるような気がしますが、かなり悪趣味ですなあ」
「地獄で使われていたような感じでしょ」
「いや、ここに何かを宿らせる。降りてきて貰うためのものかもしれません。人型ならそれが一番妥当でしょうな。しかし、趣味が悪い」
 妖怪博士は、バケモノが書かれている板をさらに覗き込むと、傷が結構ある。そして禿げているのだが、痛み具合が気になった。
「一種の邪祓いじゃないかと思われますなあ」
「そうなんですか」
「妖怪祓いのような」
「この板を団扇にように扇いで祓うのですか」
「いや、この傷などから見ると、やはり羽子板の羽根かもしれませんなあ」
「つまり、人を叩くのではなく、妖怪を折檻したと」
「そうです。この板に妖怪を封じ込めた状態で、羽子板をしたのでしょ。もしかすると、対になっていて、もう一つ羽子板があり、それで打ち合ったのかもしれません」
「厄払いじゃなく、厄叩きですか」
「蒲団叩きのようにね。埃が出るでしょ。それと一緒に悪いのも叩き出すのです。または懲らしめられた妖怪は痛いので、もうしません。もうしませんといって終わるわけです」
「じゃ、儀式ですか」
「まあ、何とでも言えます」
「それは民俗学的な世界ですねえ」
「さあ、しかし卒塔婆かもしれません。なくなった妖怪の」
「どうも、有り難うございました。参考になりました」
「ところであなた、何か作っておられるのですかな」
「ああ、前衛アートです」
「そうなんですか。造形家」
「はい」
「じゃ、昔、あなたのような人が遊びで作ったものかもしれませんねえ。あなたが買われたのも、その縁があったからでしょう。しかし、本物の呪術系、呪詛系のものなら、危ないですから、そっとそのまま寝かせておいた方がいいでしょう」
「はい、そうします」
「それがよろしい」
「しかし、博士、これ、本当は何でしょうねえ」
「さあ」
 
   了




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2019年12月02日

3589話 出来損ない


 楽しいことがあった翌日よりも、苦しいことが終わった翌日の方がよい。これはプラス側がプラスマイナスゼロになったためだが、後者はマイナスがプラスマイナスゼロになっているため。プラスマイナスゼロとは平常。
 どちらも平常に戻るのだが、戻り方が違う。前者は下がるが後者は上がる。上がっても平常で、プラスではないが、前日から比べるとプラス。一方楽しいことがあった翌日は一段落ちる。ただし平常に戻るだけなのだから、問題はない。マイナス側ではない。
 だが楽しいことがある前日は楽しい。プラス側へ向かっているためだ。そして苦しいことがある前日は苦しい。これも同じ理屈。
 喜怒哀楽には波がある。色々な出来事、イベントと言ってもいい。別にコンサートやライブをやるわけではないが、生きていることそのことも一つのライブ。現実劇場。だから現実が確実に動く。
 何かを成すには結構苦しく、辛いことが多い。だが良い結果が出れば、それまでの苦労が報われるわけなので、それらを含めるため感慨深いのだろう。
 常に平常で、平坦で、起伏がなく、喜怒哀楽も少ない状態なら、ドタバタしなくて済むのでいいようなものだが、波風は小さいながら、立っている。ただその規模が小さいだけ。だから感情の起伏も少ないのだが、ないわけではない。心がゼロになった人は悟った人だろうが、生きているのか死んでいるのかが分かりにくい。単に頭がぼんやりとしているようにも見えて紛らわしい。
 子供に比べ、大人は好奇心が弱くなってくるのか、または既に知っていることなので、それほど驚かなくなる。
 だから年を経るほどドタバタしなくなるのだが、意外と例外があったりする。
 ただ、好奇心を持つことは、まだ伸び代があるということだろうか。それは僅かなものかもしれないが。
 人というのは悟りへと走るよりも、何処かに楽しみを見付け出そうとしているように思える。これは悟りとは逆方向で、子供の持っているあれに近い。だが、それは大人げないと言われたりしそうだが。
 好奇心とか興味とかは、その先で役に立つためかもしれない。子供の動きを見ていると、その練習をしているように見える。
 できなかったことができるようになると楽しい。逆にできていたことができなくなると悲しい。
 できるかもしれないのにできない状態。出来損ないのようなものだが、まだ伸び代があるということだ。
 
   了
 


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2019年12月01日

3588話 お庭番


「闇が迫っておる」
「日が落ちるのが早くなりましたからねえ。冬至を境に、そのうち早くなりますよ」
「そうではない。闇の者が迫っておる」
「ほう、また闇の長者が動き出したのでございますか」
「何とかせい」
「相手は魑魅魍魎、何ともなりませんが」
「このままでは闇で覆われる」
「そのうち闇も去るでしょう」
「その間は闇じゃ。そしてずっと闇の時代が続く。いつか晴れようが、それでは遅い」
「しかし、私どもに言われましても、相手は闇の長者ですからねえ」
「そのために、お前たちを飼っておるのじゃ」
 このお前たちとはお庭番のことで、屋敷の奥庭で植木の手入れをしている。しかし、今ではただの植木職人と同等で、内命を帯び暗躍するようなことはなくなっていた。
「分かりました。何とかしましょう」
 このお庭番も実際には闇の世界の者で、同類。だが、もうそれは昔の話。
「それでは池を掘り鯉を放つのは取りやめですか」
「うむ、それどころではないのでな」
「錦鯉の見事なのを見付けたのですが、誰かに先に買われてしまいますよ。一応予約はしておきましたが」
 主人は値を聞く。
「それは安い」
「しかし、それより高い値で買う人が現れたら売るとか言ってます」
「池はまだか」
「まだ堀かけもしていません。それに水を引くのが大変でして」
「それはもういい。闇の長者を何とかせい」
「さあ、そこなんですよ」
「何処じゃ」
「闇の長者とは通り名で、符丁のようなものでしてね。何処の誰だか分からないのです」
「だから、何とかせい」
「いっそのこと、当家も闇をやりませんか。それなら恐れることはなくなりますが」
「うむ」
「昔の仲間を伝っていけば、何とかなります。敵として探すのなら無理ですが」
「そんなものか」
「闇の長者も仲間が欲しいはずなので」
「ではそう致せ。ただし、本当に仲間になるわけではない。内部に入り込んで葬れ」
「また、難しいことを」
「行け!」
 お庭番は池を掘り出した。
 
   了





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2019年11月30日

3587話 夢の中の意識


 朝、目覚めると、いつもの自分がそこにいるのは考えなくても分かることで、他人になっているわけがない。また違う自分になって起きてくるわけでもない。どちらもそんなことが起これば朝から大変だろう。目覚めが遅かったとか、悪い夢を見たとか。もう少し寝ていたいとかのレベルではない。
 寝ているときは意識はない。起きているときのような自分というのが消えている。営業していない。しかし深夜営業ではないが、夢は営業している。まさに深夜劇場。このとき意志のある夢がある。自分の意志のようなもの、この場合、コントロールは難しい夢もあるので、意識だろう。だから寝ると意識がなくなるわけではなく、夢の中に移っている。ただ、見ているだけで、映画鑑賞のような夢と、その映画の中の人物となり、その最中にいる場合とがある。
 危なくなれば、逃げ出さないといけないし、また攻撃しないといけないので、その意志が働く場合もあるし、それも含めて見ているだけなのかもしれないが、どの程度コントロールできているのかは曖昧。
 また、自分ではなく、他人の意識になっている場合もある。そこでの主人公は自分ではなく、別人。だから他人の意識であり、自分の意識ではないのだが、まるで憑依したように、その人を動かしている。またはその人を引き受けている。そしてそれが自分だと夢の中では思っている。明らかに自分ではなかったというのは覚めてから分かるのだが。
 ただ、途中で、これは自分ではないなあ、と気付くこともある。様子がおかしいので、分かるのだろう。
 ただ単に見ているだけの夢でもコントロールできそうなシーンがたまにある。これは目覚める前が多い。夢の終わりがけ。そして話がハチャメチャになり、しっかりとした筋書きが消え、乱れてしまうが。こういうときは目が覚める。
 だから寝ているときでも意志があるのだ。夢の中で、まだ自分をやっているし、他人をやっている場合もあるし、ただ単に見ているだけのこともあるが。
 だから、寝ると意識も落ちるのではなく、別のところに飛んでいる。この飛び先は夢なので、話を選べないし、映像も選べない。
 夢の中の意識、それは外に向かっての意識ではなく、内側へ向かってなので、本人はただただ眠っているだけ。夢の中で駆けても、実際には走っていない。
 当然、夢など見ないまま起きてくることがある。実際には見ていたのだが、忘れているだけなのかもしれない。
 夢は願望の表れであると、言った人がいたが、その通りの場合もある。以前に果たせなかった欲望のようなものが、そこで果たせたりする。ここが微妙なところだ。夢の流れのまま見ておれば果たせた夢を見続けられたかもしれないのに、ここで見ているだけではなく意志が働き、より積極的にそちらへコントロールしようとした瞬間、スムーズに進んでいたシーンが急に乱れ出したりする。
 要するに意識しすぎたのだろう。意識過剰で夢も乱れた。
 現実の中に夢が介入するのではなく、夢の中に現実的な自分が介入するのだ。どちらにしても介入は不自然で、流れが変わるのかもしれない。
 さて、普通に毎朝目覚めるのが、やはり少しだけ意識が違う。色々なところに原因があるのだろうが、目が覚めた瞬間、一瞬のうちにリアルな現実が入り込むのだろう。まさに一瞬のうちに起動するようなもの。だから、起きるという。
 この起きたとき、一瞬にして状況などを把握するはずで、それはもの凄く現実的なことだ。
 昨日と今日とでは同じような日でも、やはり少しは動いている。同じ日が続くこと自体、そのことが続くと言うことが起こっているのだから。
 安らかな目覚めとかは、寝方によるのではなく、枕の高さも関係するだろうが、昼間を引き継いだものから来ているはず。
 悪いことをすると目覚めが悪いことをした、とも言う。
 
   了
 



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2019年11月29日

3586話 吉野峰の呪術師


 吉野峰の郁三という男が呪術が達者と都で噂に上がっている。噂はあくまでも噂。それに都から見に行くには遠い。誰も確かめに行く者がいないので、この噂は長く続いた。誰かが見に行けば、その力が分かり、噂にも立たなくなるのだが。
 ある下級の公家に、それに近い爺さんがいる。卜占に長けているのだが、さっぱりあたらない。しかし、こういうのは縁起物で、あたれば困るのだ。むしろ善い罫を出すように最初からできている。
 主人は既に判断を下したあと。だからその後ろ押しの一罫が欲しいだけ。景気づけだ。だから、この爺さんにはそういった能力は無いが、その手のことには詳しい。やり方は優れているのだが、あたらない。
「吉野峰の郁三の噂は聞いておりますやろ」
「はい聞いております」
「どうなんや」
「さあ」
「誰も確かめに行かへんから、行ってみいひんか」
「遠いです」
「その方が行きなはれ」
「もう年で、そんな遠くまで歩けません」
「共をつける。馬も出す」
「噂を確かめに行くだけですかな」
「いいや、場合によっては、都に来てもらいましょ」
「分かりました。確かめに行きましょう」
 しかし、それをすると、この爺さんは首になりかねない。
 自分の首を自分で切りに行くようなものだが、主人の頼みなら仕方がない。どうせ暇なので引き受けた。
 吉野峰の郁三だが、これが山の中腹にある樵小屋のようなところに住んでいる。僅かだが窪地があり、昔はここに村落があったようだが、廃村になる。しかし里から山仕事に出た村人は、そこを足場にしている。だから、人は結構出入りしている。
「私が吉野峰の郁三ですが」
「呪術の達人と聞きました」
「あ、そう」
「主人が雇いたいと申しておるのですが、その前に、何か見せてもらえますか」
「あ、そう」
「では、お願いします」
「何を」
「ですから、術を」
「私はただの炭焼きで、そんな術は」
「吉野峰の郁三さんでしょ」
「そうです」
「間違いありませんか」
「一人しかいません」
「都で評判が立ってます」
「あ、そう」
「それをお見せ下さい」
「そんな術は使えませんが、山の神を呼ぶことができ、色々とお話を聞くことはできます」
「おお、それそれ」
「山神託です」
「それそれ」
「じゃ、少しお待ちを」
 郁三は先ほどから炭焼きをしていたのだが、火の中に、何かをばらまくと、煙が濃くなり、狼煙のように立ち籠めた」
 火薬でも入れたのだろうか。
 これは炭を使った護摩のようだ。
「何か、聞きたいことがあるかな」
「勿論、それより、これはどういう仕掛けなのでしょう」
「そうじゃなく、占って欲しいことです」
「ああ、じゃ、わしは将来、どうなりましょうや」
 郁三はまた何かを火の中にばらまいた。
 煙が乱れ、妙な形になった。
「山神様が、現れました」
「おお」
 煙の形が人型のように見えたが、すぐに流れた。
「で、お告げは」
「将来、吉と出た」
「おお」
 爺さんは都へ戻った。
「どうやった」
「同じでした」
「え、何やて」
「だから、私と同じ縁起物でした」
「ほんなら、呪術は嘘でおますか」
「そのようなもの使える男ではありませんでした」
「ああ、ご苦労やったなあ。残念やが雇うのは諦めましょ」
 爺さんは、山でそのあとも色々な術を見せてもらったが、それは言わなかった。
 
   了





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2019年11月28日

3585話 役者


 落ち着かなかったのだが落ち着き、また落ち着かなくなり、そして何処かでまた落ち着く。この繰り返しをしていると、最初からじっとしていた方が良いのではないかと思うのだが、そうかはいかない。落ち着かないときは落ち着こうとするだろう。
 そして落ち着いているときは、何か物足りない。落ち着いた瞬間は良いのだが、しばらくすると飽きてくるのか、またはここで落ち着いて良いのだろうかと、いろいろと考えるためだろう。
 沢村という人は落ち着いた人で、落ち着きのある人物。しかしそれは外面で、実は内面ではさざ波が常に立ち続け、ときには嵐のようになっているが、それを表に出さない。
 つまり、もの凄く落ち着きのない人なのだ。それがばれるのを恐れて、常に落ち着いた振りをし続けている。心は常に乱れているのだが、これは訓練でできるようになるようだ。ただ、とっさの場合は仕方がない。だから、一考を要するような事象がいい。人の動きに対しても、対応できる。
「まずは落ち着きなさい」と、言っている人が一番落ち着かないのかもしれない。人に言っているのではなく自分に言っているのだろう。
 ここは落ち着いてじっくり考える必要があるものに対しては、あえて落ち着いた行動を、などとは言わなくてもいい。分かっていることなのだ。それが分かっていながら、落ち着かないので、落ち着きを失う。沢村もそのタイプなのだが、ここは我慢して、落ち着いている振りを先ずする。そして落ち着いて物事を考えるわけではない。内心は取り乱しているので、落ち着いて考えているような状態ではないためだ。しかし、見た目は落ち着いている。動じない。
 この臭い芝居のためか、沈着で冷静な判断を下す人とされている。しかし、大した判断などするわけではなく、黙っている。沈黙を守ることで、さらに落ち着いた人ということになるが、中身は何もない。自分の表情や態度だけを気にしている人。
 しかし、これが良い具合に誤解され、それなりに信頼されている。
 落ち着きのない人は目をキョロキョロさせたり、瞬きが多い。当然沢村はそれを知っているので、その対策もしている。決して瞬きしないこと。涙が出るほど我慢する。目も動かしたいのだが、黒目を動かさないで周辺を見る技を身に付けた。だから実際にはキョロキョロしているのだが、黒目が動かないので、分からない。
 果たしてこれを自分を制する力を持っている人なのか、それともただの役者なのかが曖昧。
 沢村の場合、役者なのかもしれない。そのように見られればいいのだ。
 この沢村の臭い落ち着いた芸を見抜く者が現れた。それは目を合わせた瞬間分かった。
「お前もか」
 という感じだ。
 あとはどちらが役者が上か下かの戦いになるのだろう。
 
   了




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2019年11月27日

3584話 山庵の守善


 守善は目が覚めたのだが、また食べて寝て、食べて寝てを繰り返すだけ。それが修行だと言われ、人里離れた庵で過ごしている。しかもたった一人。誰も作ってくれないので、食べて寝るだけでは済まない。畑はあるが、田んぼがない。それに水田があってもまだそれは食べられる米ではない。畑があっても育つまで待つしかない。
 野菜は何とかなるが、米がない。そのため、米は届けてくれる。しかも一年分。
 畑で作らなくても、山や川があるので、食べられる野草なら、何とかなる。そのままでは危ないので、乾燥させる。それから煮て食べる。
 だからこの修行はじっとしているだけではなく、食事の用意が加わる。
 それで山に分け入り、鳥や獣を狩りに行くこともあるが、これは素人では無理。落ちている鳥、既に死んでいる獣ならいいが、そんなものは山の鳥が真っ先に食べてしまうだろう。それに、虫もそれを狙い集まってくる。
 比較的手に入りやすいのが川魚。しかし小魚なので、食べるところがあまりない。大量に捕れたときは残りは干した。
 問題は修行だ。その庵に籠もり、座禅でもやればいいのだが、食べるものが気になる。そろそろ夕方に近い。今夜食べるものがない。米はあるが、おかずがない。干し魚も尽きたし、野草も尽きている。畑の野菜はまだ育っていない。
 書が多く積んであるのだが、読んでいるどころではない。気が散る。
 里へ下りて買えばいいのだが、銭がない。物々交換の品もない。物はそれなりに身に付けているのだが、必要なものなので、売るわけにはいかない。
 それで守善は里へ下りてきて、鍛冶屋の手伝いをした。そんな技術は無いので、掃除とか水汲みとか、その程度のもの。買い物も頼まれる。
 戦乱の世が続き、刀鍛冶は忙しい。
「守善さん」
「はい」
「あなた種子島をご存じか」
「鉄砲のことですか」
「そうじゃ、一丁欲しい。作れるものなら、作りたい」
「鉄砲なら撃ったことがありますよ」
「そうなのか」
「持ってきましょうか」
「持っておるのか」
「城へ行けばありますよ」
「是非一丁欲しい」
「分かりました。取ってきます」
 守善はこの領内の家老の息子。修行のため山庵に押し込められているようなもの。次男なのに兄よりも優れており、目立ちすぎるので、目立たないところに出されたのだ。
 守善は鉄砲組の武器庫から二丁盗み出した。一丁は分解するはずなので。当然火薬類も。
 鍛冶屋は早速作り出したが、やはりうまくできない。
「守善さん、鉄砲鍛冶を知っておるかな」
「はい、探します」
「教えを請いたい。連れてきてくれると有り難い」
「お安い御用で」
 鉄砲鍛冶は城下にはいない。それで、組頭から鉄砲の入手先を聞く。かなり遠い。
 その村まで行くと、鉄砲鍛冶がウジャウジャおり、技術を教える先生もいた。何人もいるが、それぞれ出掛けている。一人だけ戻っていた先生がいた。
 その先生のおかげで、鉄砲が作れるようになった。しかし、火薬類が必要で、これはこれで職人がいる。それも修善が探してきた。
 瞬く間に大量の鉄砲を作れるようになったので、それで大儲けした。
 それで守善も忙しい。
 米はあるがおかずがない。それを得るため小銭を稼いでいたのだが、今では山庵にいることは希で、修行もやっていない。
 
   了
 




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2019年11月26日

3583話 枯れ葉の道


 秋の終わりにしては暖かい日で、冬ごしらえでは暑いほど。岩田はいつものように散歩に出たが、汗が出てきた。それで分厚いジャンパーを脱いでもいいのだが、手に持たないといけない。それも面倒だし、括り付けると余計に暑い。腹に巻くと腹巻きになってしまう。
 巻いていたマフラーも解き、湯上がりで首に引っかけている程度にしたが、それでも首が暑苦しいので鞄に入れた。
 歩くとカサカサ音がするのは落ち葉。葉の僅かな厚みや萎れ具合で、少し弾力を感じる。落ち葉の絨毯というほどではないが、いつもの舗装された表面とは違う。
 落ち葉は目の前でひらりと落ちてくる。ひっきりなしに落ちてくる。落ち葉だが、まだ落ちていない空中にいる葉はどういうのだろう。枝から落ちたところなので、やはり落ち葉だろうか。
 舗装されているので地面に変化はないものの、こうした落ち葉や、雨が降ったあと、僅かにできる水溜まりは、それほど平らではないためだろう。マンホールのあるところなど、少し窪んでおり、水が溜まりやすい。その上を歩くと滑りそうになったことがある。これは新しい靴を履いたとき。スケート靴のようによく滑った。普通のゴムではなく、樹脂のためだろう。土や砂を噛むと、滑らなくなる。
 ここは桜並木の歩道だろうか。横は車線だが、区切られているので歩きやすい。たまに自転車とすれ違う程度。
 新しくできた道のようで、真っ直ぐに伸びている。強引に直線で貫かれているのは、強引に立ち退かせたのだろう。そのため、斜めに切れた家がある。断面が尖っていたりする。
 水平線まで続くわけではないが、肉眼では道の奥は見えない。トンネル状の一番奥はもうぼんやりとしている。だが、その向こうにある山はよく見える。そして少し歩いた程度では山の形は変わらない。ずっと同じ高さ。
 雲はなく晴天。所謂秋晴れで、年に何回もあるようでいて、結構少ない。
 晩秋の色付く歩道を歩く。今日という日はすぐに忘れるだろうが、何処かで覚えているはずだが記憶のほとんどは使わないので、忘れるが、無理に潜り込めば多少は回復する。ただ、違う日や違う年が混ざっていたりしそうだが。
 岸和田はこの記憶に残らないようなものを儚く思う。忘れてしまうことなので、そんなものだ。
 色艶がよく、少し模様のようなものが入っている落ち葉があった。他の落ち葉とそれほど違わないのだが、光線具合や角度で、目立ったのだろうか。
 もっと艶があり、模様も複雑で、虫食いあとなどがあるのは柿の葉だ。色目が複雑で、まるで焼き物。
 岸和田は急に柿の木がある場所を思い出し、そこへ向かった。
 
   了




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2019年11月25日

3582話 三寒四温


「寒くなりましたねえ」
「三日ほど寒い日が続き、そのあと四日ほど暖かい日が続く。これを三寒四温と呼んでおります」
「これからがそのシーズンですか。そのパターンが繰り返されると」
「らしいですが、これは中国での話なので、そのまま我が国に当てはめるわけにはいきません。まあ中国も広いので中原での話でしょ。日本も広い、長いので北と南とでは気候も違う。だから、その南北の幅の中に、三寒四温が当てはまる地があるかもしれませんがね。当然季節風の吹き方も違う」
「じゃ、当てはまらないかもしれませんよ」
「三寒四温が二寒三温になるか四寒五温になるか、はたまた三寒一温になるか、それは分からない。しかし、季節は行きつ戻りつで進む。それはあたっているでしょ。寒くなりっぱなしじゃなく、寒くない日もある。しかし、また寒くなる。前回の寒さよりも少し寒くなっているはず。真冬に向かっている時期はね」
「三歩進んで二歩下がれもありますねえ」
「じゃ最初から一歩だけ進んで、じっとしている方がよかったりしそうですがね」
「勝ちに乗じるな、もありますよ」
「それは勝った勢いでまた勝とうとすることを戒めたことでしょ。調子に乗りすぎるとよくない」
「大欲ではなく小欲ですか」
「こういう名言は裏表があり、結局はどちらでもいいのですよ。折角のチャンスを見逃したりしますからね。取れるはずの勝ちをみすみす逃すようなもの」
「そういうのは何処から得るのでしょうねえ」
「おそらく事例。過去のね。過去にあったパターンを参考にしたのでしょう。想像ではなく、実際にあったことから生まれた言葉だと思われます。しかし、パターンは繰り返されますが、中身が違っていたり周辺が違っていたり、時の勢いも違っていたりしますので、そっくり同じような状況にはなりません。だから当てはめるのはどうでしょうかねえ」
「じゃ、何でもありですか」
「過去の成り行きを見て、今回もと思い、臆病になったり、また、その逆もあるでしょ。あくまでも目安で、過去をそのまま今のことに置き換えないことでしょう。昔あったからという、以前もあったからといって、そのパターンに従うのは、現状をよく見ていないためでしょう。過去ばかり見て、今を見ていない。そして現実はやってみないと分からない」
「ややこしい話ですねえ」
「まあ、過去を引っ張り出すのは、都合が良いからでしょ。この先の未来、現実ですな。それは誰にも分からない。起こってみなければ。予測はできますが、その実感は予想していたものとは違うはずです」
「何故でしょ」
「同じ偶然がそう簡単には重ならないためでしょ」
「偶然」
「三寒四温も起こりやすい偶然という程度。全部あたれば天気予報はいらない」
「分かったようでよく分からない話でした」
「話というのはその程度のものですよ」
 
   了



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2019年11月24日

3581話 まやかし


「最近どうですか」
「色々とやってきましたがね。それで分かったことが多々あります」
「経験を積むことで、色々と知識が増えるわけですね」
「ところが余計な知恵ばかり付いてしまいましたね。これが曲者です。紛らわしい」
「それは経験の副作用でしょうか」
「そうかもしれません。しかし、よりよくなるように、色々とやっているわけですから、今よりよくなるような方法を考えたりするものです。これは積極的でしょ」
「はいはい、前向きです」
「それで、今までとは違い、良い方法がかなりありましてね。しかも結構多い」
「やはり、いろいろと調べてみるものですね。そして動いてみること。その成果ですね」
「ところがあなた、よく見ると、よりいいものとは小賢しいものでしてね。小手先の芸のようなものです。だから基本的なところは以前と同じ」
「ほう」
「いわば欺されたわけです」
「何があったかは分かりませんが、よくあることかもしれません」
「特に新しいものには気をつけた方がいい。色々と複雑なことを言ってますが、やっていることは単純なことなのです。その単純なことで解決しない問題は、新しいものでも同じなのです」
「何でしょうねえ」
「無理なものは無理ということでしょ」
「はあ」
「分からないものは分からない」
「単純ですねえ」
「そこから一歩も出ていなかったりするのです」
「何かご機嫌が悪いようなので、退散しましょうか」
「いや、機嫌は悪くありません。それにより随分と無駄なことをしてきましたが、元の木阿弥が結構正しかったりするものです。あまり変わらなかったりしますからね」
「はあ」
「具体的な話はしませんし、面倒な話になるし専門的な内容ですので、それは省きますが、結論を先にいえば、無理をしない方が良いという程度でしょうか」
「単純ですねえ」
「ベースが悪いと、無理が生じます」
「それは分かります」
「身の丈に合ったとはいいませんが、世の中にはまやかしが多い。その誘い水で身の程知らずとなります」
「それで、色々とやってこられたことを整理されるわけですか」
「そうです。私はまやかしものばかりやっていた。できないことでもできそうな気がしたからです。しかしできないものはやはりできない。それだけのことです」
「それは残念ですねえ」
「それで、以前やっていたような無理のないところで暮らすことにしましたよ」
「そうですか」
「ですから、もうあなたと合うことはないでしょう」
「それは残念です」
「いえいえ、お元気で」
「はいはい、御達者で」
 
   了





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2019年11月23日

3580話 冴えない話


 今日もまた今日が来たのだが浅田は冴えない。毎日冴えていると、逆に疲れるので、たまには冴えない日があってもいいのだが、最近そういう日が多い。それで何とか打開しようと、色々と刺激的なことをやるのだが、それほど持たない。夜半までは盛り上がっていたのだが、朝になると、戻っている。
 頭が冴えれば良いというわけではないようで、むしろぼんやりとしているときの方が、物事もよく見えるようだ。しかし、このぼんやりもなかなか難しい。これほど簡単にできてしまうような行為、行為というほどではなく、ただ単にぼんやりしているだけなので、何もしていないのに近い。だが、それを作り出すのは結構難しい。ぼんやりを狙っても、なかなかぼんやりにはならない。ぼんやりではなく、冴えない状態になら簡単なのだが。
 だから頭が冴えるよりも、この恍惚状態の方が難しい。これは呆けているようなものだが、結構至福状態。日向ぼっこをしている猫が、徐々にうつらうつらとしているような状態。尖った発想よりもまろやかな発想になるようだ。
 しかし浅田はそれは趣味には合わないので、熱中しているときのハイテンションを好む。まだ若いためだろう。現実の上で事をなしたい。幻覚でも見ているような朦朧感ではなく。
 しかし、頭が冴えない状態、物事に対して何か空々しく感じ、どうでもいいかとなるような状態を少し続けていると、意外と、そのためのおかげでか、反動でか次は冴えることがある。何か糸口、突破口を見付けたのだろうか。それこそあらぬ幻想かもしれないのだが、これは実用性がある。
 幻を追うことに実用性はなく、掴んでも幻なので、現実性がない。しかし、幻の城、幻影城だが、そこまでは現実のところを通って行く。幻影城には辿り着けないというより、現実には存在しないが、過程は現実であり、存在する世界。だから幻影城周辺は具体的な世界なので、そこから得られるものが結構ある。
 まあ、旅先でのお土産のようなものだが、これは持ち帰られる。
 だから冴えない状態が続いていても、それは時期というもので、その次は冴え冴えしく思えるものが出現する。
 浅田はそう思うことにし、冴えない状態も、何らかの肥やしになるので、冴えない状態でも楽しむことにした。つまり冴えないことを満喫する。
 これが上手く行けば冴えない状態のときも悪くはないとなる。冴えているときには味わえないものが味わえる。
 というようなことは冴えないときだから思い付く冴えない話なのだろう。
 
   了

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2019年11月22日

3579話 指導者


 今日はもう何でもいいから適当にやってしまうという日がある。何をやるにも面倒で、特に何もないような日だ。
 何かに熱中しているときは、暇を惜しんで突き進むのだが、これはそのことよりも、この熱中で突き進むことの方が美味しいのかもしれない。一種の刺激であり、前へ前へ、次へ次への誘い水があるため。結果を知りたいので、面倒なことでも、シャキシャキとやる。
 これは先に楽しみのようなものがあるためだろう。日常の中にそういうネタがある日とない日とでは違う。その内容ではなく、あるなし。
 内容は二の次で、退屈しないで過ごせる方を取る。ただ、この場合、行き当たりばったりで、やっていることに統合性がなく、統一感もなく、メインとなる道が何処にあるのかさえ分からないような散漫なもの。
 高梨をそれを散漫路と呼んでいる。まあ、散歩道のようなもので、何処へ寄ろうと勝手で、むしろ目的を散らせる方がよかったりする。
「行き当たりばったりでは困るじゃないですか、高梨君」
「はい、でも癖で、気が散るもので」
「散らさないようにしなさい」
「はい」
「もっとひとつのことに集中し、より深く追求していってこそが良いのです」
「でも余所見したくなりまして」
「一箇所に留まり、そこで懸命に生きる。これが研究者としては大事なのです。それでこそ専門家となり、世の中に何人もいない中の一人になれるのです」
「先生もそうですか」
「私は違います。指の数じゃ足りない。そこらにゴロゴロ転がっている中の一人です」
「でも、専門家でしょ」
「だから、その道は険しいのです。まあ、それは私の力が足りないのでしょう」
「じゃ、懸命に励んでも、仕方がありませんねえ」
「しかし、君のように散漫ではものにならん。私の研究は浅いが、それでも世の中に役立っておる。こうして後進の指導を任されておるのだからね」
「でもそれは研究とは関係ないでしょ」
「そうだがね。まあ、研究のやり方を教えているようなもの。その中身じゃなくね」
「教育ですね」
「そうだ」
「はい」
「だから、君のやっていることを見ていると、心配でならん。もっとひとつのことに集中し、そこを掘り下げて行きなさい。これは地味な作業になりますが、先々役立ちます。それだけ経験も知識も増えるのでね」
「いや、僕は研究に熱中できるだけで十分です」
「困ったものだ。私の指導が悪かったのかもしれん」
「いえ、それは関係ないです。僕が勝手にやっていることなので」
「じゃ、いいがな」
「気にしないで下さい」
「まあ、良いが、私もこんな指導、邪魔臭くなってきた。もう好きなようにしなさい」
「先生も、また指導が必要ですねえ」
「それを言うな」
「はい」
 
   了


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2019年11月21日

3578話 調子が良くなる鳥


「この頃になると飛んでくる鳥がおりましてね。それを見るといい年末になり、いい年明けになります」
「渡り鳥ですね」
「そうです。年に一度見られるかどうか、微妙なところです」
「縁起のいい鳥なのですね」
「そうです。昔からこの鳥を見ると良い年末年始になります」
「どんな鳥ですか」
「結構派手な極彩色。雀ぐらいの大きさですが、嘴が長い。まあ、見慣れた雀に比べると、鳥の格が違うように感じますなあ。貴人を見るようなね」
「貴種ですか」
「さあ、よく分かりません」
「はあ」
「それで、最近思いましたね」
「え、何をですか」
「鳥を見る機会です」
「年に一度見られるか見られないほどなんでしょ」
「見ない年は調子が悪い」
「それは聞きました」
「よく考えると、この鳥は山際にいます。里には滅多に下りてこない。まあ、里で見たことは一度もありません。ほとんど山中です」
「それが何か」
「山中で見かけるのは、山中へよく行っているときです」
「はい」
「この時期、毎日行っておれば、先ず見ることができる。ところが三日おきとか、四日おきにしか行かないと見ることは希」
「確率の問題ですか」
「そうです。山にいる時間が長いほど見る機会が多くなる。それだけのことでした」
「何だ」
「しかしです。因果関係はあるのです。調子が悪いときは山へは行かない」
「なるほど」
「確率がそれだけ落ちるわけです。だから既に調子が良い年なんでしょうなあ」
「つまり、調子の悪いときは山に行かないし鳥も見ない。そして調子の良い年末にも年明けにもならない。ということですね」
「そうです。縁を作らないからです」
「でも体調の悪いときは山へ行かないのでしょ」
「いや、たまには行きますが、頻度が低くなります。行かない日が結構出てくる」
「分かりました。単純な話でした」
「いえいえ、お粗末様」
 
   了




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2019年11月20日

3577話 精霊たちの森


「木々の生い茂る場所。まあ、山に入れば大体そんなところばかりですがね。高い山なら違いますが」
「樹霊について教えてください」
「木霊のことですな」
「そうです」
「これはあなた、山に一人で入り、そこでじっとしておると出てきますよ」
「そんな簡単に」
「特に夜に山の中にいると、もっと出てきます」
「そんな簡単に」
「これは木に囲まれた神社の境内でもいいし、手入れしないで放置している庭木の密生しているところでもよろしい。ある程度の空間が必要ですからな。まあ、歩道の並木程度では浅いですが、一寸した公園の茂みなどでは出ます」
「樹霊ですよ」
「木霊です」
「いずれにしても精霊でしょ」
「森がまるで息をしておるかのように、微妙に動いているのですが、これは風です。台風のときなど庭木の梢が悲鳴のような音を出すでしょ。風が全くなくても、木々には色々な生き物がいます。鳥が分かりやすいでしょ。羽ばたくし、梢をゆらす。虫でもそうです。昆虫でもね。耳を澄ますと色々な音が聞こえてきますよ。これが正体です。そのほとんどは音ですなあ。だから夜などもっとよく聞こえますので、色々なものがウジャウジャ出ているように思えたりしますなあ」
「じゃ、木霊は幻聴だと」
「幻聴じゃありませんよ。風の音や鳥の羽ばたきや鳴き声は幻聴じゃないでしょ」
「木霊、木の精、森の精に詳しいと訊いたのですが」
「私ですかな」
「そうです」
「しかし、私が体験したわけではありませんが、山住まいの人達から不思議な話は聞いてます。先ほど私が言ったのとは別種のね」
「それそれ、それについて教えてください」
「錯覚が重なり合ったとき、具として出ることがあるとか」
「はあっ?」
「風の音とは何でしょう」
「はあ」
「何かと触れて音が出るわけでしょ。楽器のように。それが海なら波の音。大時化の海なら海鳴り。森なら梢を震わす音。幹が弓のようにしなるときの音。葉が震動を受けすぎて、これも鳴る。草笛や葉笛のようにな」
「そういうのが偶然重なるとき、本物が出るのですか」
「本物は出ませんが、リクエストにお応えして姿を現すこともあるのです。共振です」
「それが精霊ですね」
「音は分かりやすい響きでしょ。いずれも振動、波動。このレベルのものがいるのですよ。ただ聞こえない波長、見えない波長もあるわけです」
「つまり、電波系と言うことですか」
「静電気のようなものかもしれませんなあ。私はサイエンスには詳しくないので、よく分かりませんが」
「それで樹霊ですが」
「木霊ですな」
「あ、はい」
「だから、こだまですよ」
「ヤッホーの」
「反響ですなあ。しかし誰も発していないのにヤッホーと聞こえるとまずいでしょ」
「もう少しはっきりと言ってください」
「木というのは大人しい奴ですよ。静かな人です。背は恐竜よりも高いやつがいます。生物の中での体重はかなりのものでしょ。これが大人しくただ立っているだけとは思われません」
「はあ」
「一寸の虫にも五分の魂。虫も樹木も生物。魂が入っていてもおかしくないでしょ。巨木の魂など、かなり大きいはず」
「余計に分かりにくくなりました。羽の生えた妖精を期待したのですが」
「木から羽根蟻が飛ぶ立つようにですな」
「そうです」
「まあ、動物の感覚では植物の感覚分からない。私にも分かりませんがね」
「錯覚が重なって具が出るとはどういうことでしょうか」
「もはや錯覚とは思えないものが出るのでしょうなあ」
「じゃ、それが木霊」
「木の精かどうかは分からない。他のものと重なり合い、偶然奏で飛び出るもの」
「それはもうポエムの世界ですねえ」
「ただ、この境地、危険なので、やめた方がよろしいかと」
「どうしてですか」
「存在そのものの怖さ、根本的な怖さを体験することになりますからな」
「それはいったい」
「私達が見ているのは色眼鏡を通してです。それを外すとナマを見てしまう。修行者も、たまにそれでやられます。おかしくなります。だから、そういうものには近付かない方がよろしい。精霊を探しに森に入るとかは、おすすめできません」
「でも、妖精や木霊や精霊を見た人もいるのでしょ」
「本当に見た人は語らないでしょ。そして忘れるようにします。それを認めると生きにくくなります。だから、錯覚で済ませておくのが賢明なのですよ」
「分かりました」
「木霊にしても、それは触れてはいけないもの。触れたものは気が触れるかもしれませんからな」
「でも木に触れてもいいわけでしょ」
「それは、ご自由に」
 
   了



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