2019年10月11日

3537話 すっきりさせる


「色々思うところがありまして」
「辞めるのかね」
「はい」
「何を思った」
「いえ、事情がありまして」
「それを思ったのか」
「はい」
「どんな事情かね」
「諸事情」
「だから、どんな事情なのかね」
「それは言えません」
「理由はそれだけかね」
「はい、一身上の事情でして」
「君だけの一方的な事情だね」
「そうです。僕だけの問題です」
「まあ、いいがね。去る者は追わずだ」
「ここがどうこうしたとかのことではありません」
「どうこうとは何かね」
「いえ、仕事関係ではなく、家庭の事情です」
「だから一身上の事情なんだね」
「そうです」
「分かった。手続きをしておこう」
「はい、有り難うございました」
「嬉しそうだね」
「いえいえ。苦しいです。折角慣れてきたところなのに、すぐに辞めてしまうのは心苦しいのですが」
「苦しくなさそうだけど」
「じゃ、これで」
「最後に」
「はい」
「一つ聞きたい」
「あ、はい」
「何か言いたいことがあるだろ」
「いえいえ滅相な、何もありません」
「そうか、じゃいい」
「失礼します」
「もう二度と会うこともあるまい」
「はい」
「すっきりしただろ」
「いえいえ」
「私はすっきりした」
 
   了




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2019年10月10日

3536話 片隅の人


 神田という人がその業界にいるが、存在感が薄い。それは若い頃からそうで、そういう人がいるということは当然認識されているが、ほとんど相手にされていない。目立たないのだ。影が薄いのだろう。それで神田ではなく、影田と呼ばれている。
 注目されるだけのものがなく、また大人しい性格で、口数も少なく、いつも隅っこにいる。つまり辺境の人だが、中原での人の入れ替わりが激しい中で、神田の存在も何の保証もないのだが、不思議と無事でいる。都ではなく田舎なので、影響が少ないのかもしれない。
 そして中心部での争いなどにはまったく関わらない。辺境に神田がいることは知られているが、役に立たないので、無視されていたのだろう。また、数に入れなくてもかまわない存在。
 その神田ももういい年になっていた。その間体制が何度も変わり、消えていった人も多い。神田は相変わらず業界の片隅でひっそりといる。いてもいなくてもいいような存在なのだが、それなりに業績を積んでいる。キャリアだけは長くなり、若手にとっては大先輩に当たる存在。だが、そんな人がいることさえ影の薄さからなかなか気付いてくれる人もいない。
 ある時期、大変動が起こり、体制派と反体制派の凄まじい闘争になり、共倒れした。
 さて、そこで出てくる。
 人がいないのだ。
 そういえば神田という大先輩が一人いたなあ、ということで、思い出してもらえた。
 神田はこの業界のトップとなった。
 人がいないのだ。
 神田には元々人を引っ張るような力はなく、リーダーの条件をほとんど持っていない。
 しかし、下の者の意見をよく聞く人なので、その温和な性格でか、結構丸く収まった。
 よく考えると、この業界、リーダーなどいらなかったのだ。
 
   了




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2019年10月09日

3535話 思い出の中の人


 過去は戻ってこない。と思うのは、思い当たることがあってからのことだろう。
 以前行ったことのある土地、町でも山でも場所でも建物でもいい。同じことがまたできるのなら、そうは思わないだろう。消えてなくなったものならもう二度と行けない。その場所までは行けても、目的とするものがなかったりするため。
 また人もそうだ。何年何十年も経つと、もう関係が消えたりし、その人が生きていても、もう二度と会えないとか、会ってはいけないとか、そういったことがある。状況が違っているためだ。
 当然以前行った旅行先。これはそっくりそのまま戻れるかもしれない。多少は変わっているにしても。しかし、そこへ行く気がもうなかったり、また旅行などしなくなっていたりすると、思い出の地へは行けない。物理的には行けるが、問題は本人が昔のままではないということ。これが一番大きい。その時代、その年の頃は再現できない。
 そういうのは何かの拍子で思い出すことはあっても、以前ほどには鮮明には覚えていない。旅行から帰って来たあたりでは一部始終覚えている。車窓から見える山並みとか、離れた席に座っている人の話し声とか。会話のセリフ全ては無理だが。
 それが一年、数年になると、かなり間引かれてしまい、もっと年を重ねると、そういう所へ行った覚えはある程度にな。行ったことは覚えている程度。
 昨日のことを思い出そうとしても、結構忘れているのに、遙か彼方の過去のことになると、ほとんど記憶から消えているだろう。ただ、事実関係程度は何となく覚えている。
「思い出の中によく出てくる人なのですがね」
「はい、誰にでもいますよ。印象深い人が」
「ところが記憶にないのです」
「記憶にあるから思い出すのでしょ」
「はい、色々なところに出てきます」
「じゃ、記憶にあるじゃないですか」
「ところが、誰だか分からない」
「まあ、忘れることもありますよ」
「覚えていないのに忘れることもないでしょ」
「え、どういう意味ですか」
「思い出の中だけに出てくる人なのです」
「ほう」
「そんな人はいません。私の過去の中には」
「何と」
「当然名前も曖昧で、顔も曖昧です。しかし、よく知っている人なのですが、誰にも該当しないのです」
「それは夢の中での話ですか」
「違います。普通に昔のことを思い出したとき、色々な人が出てきますが、その中に混ざっているのです」
「何か、故障でしょ」
「そうなんですか」
「そうですよ」
「故障とは、また……」
「思い出というのは作られるものかもしれませんからね。その都度ね。だから、その再現装置が故障したのでしょ」
「いやいや、もっと神秘的で不思議な話ですよ。これは」
「何か影響ありますか」
「ありません。ただの回想ですから」
「じゃ、それでいいじゃありませんか」
「あ、はい」
 
   了




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2019年10月08日

3534話 菓子箱


「秋の初めの頃は体調が悪くてねえ」
「夏の終わりがけにも言ってましたよ」
「いや、夏の終わりと秋の初めじゃ違う。タイプがね。だから体調の悪さも違う」
「そういえば夏頃は何も言ってませんでしたね」
「安定してたからね、天気が。だから体調も安定していた」
「冬もそうですか」
「そうだ」
「じゃ、秋の終わり頃は」
「悪い」
「冬の始まり頃は」
「悪い」
「秋の終わりと冬の始まりは同じじゃないのですか」
「これも違うのだよ」
「じゃ当然冬の終わり頃とか春の始まり頃とかも悪いのですね」
「そうだね」
「それは治るのですか」
「季節が深まればね」
「はい」
「それだけの話だ」
「そうですね」
「しかし、影響がある。体調が悪いときは静かにしている。だから生活は落ち着いている。だから悪い時期じゃない。体調は悪いがね」
「じゃ、体調が悪い方がいいと」
「それはいけない。特に秋の初めのだるさは何とも言えん。夏の終わりにはそれがないが、秋の初めは怠い。それと風邪の症状と似たものがある」
「はい。それは辛いでしょ」
「そこまで厳しくはない」
「はい」
「ところで今日は何かね」
「少し頼み事がありまして」
「さっきまで聞いていただろ」
「まだ話していませんが」
「いやいや、体調が悪いと言ってるんだ。頼まれごとなどできる状態じゃない」
「でも、簡単なことなので」
「うーむ。面倒なことはこの時期したくない。静かにしていたい」
「尻に火が点いています。助けてください」
「自分で消せ」
「何とかお願いします。ある人物を紹介して欲しいのです」
「消防の人か」
「違います」
「さっさと言え、回りくどい」
「西田さんを紹介してください」
「西田か」
「はい」
「必要なのか」
「西田さんなら助けてくれます」
「分かった」
「助かります」
「安い御用だが、あの人も体調を崩しておるはず」
「そうなんですか。どんな容体で」
「私と同じだ。秋の初め頃は体調を崩しておられるはず」
「じゃ、見舞いがてら、伺います」
「しかし、わしよりひどいぞ」
「そうなんですか」
「まあ迷惑な話だ」
「すみません」
「それに」
「はい」
「今日は頼み事をするのに、手ぶらかね。横の風呂敷包みは何だい」
「はいはい、これをどうぞ」
「何だ、菓子か。しかも包装もしていない」
「粗末なものなので」
「菓子箱だけは立派じゃなあ」
「はい」
「それに重いのう。水菓子か」
「いえいえ」
「甘い物か」
「え」
「だから甘い菓子か」
「それは、忘れました」
「しかし、重いのう」
「饅頭だと思います」
「あんこの重さか」
「はい、つまっていると」
「しかし、どんな菓子か分からんとさっき言っていたが」
「いえ、おそらく、そうだと」
「分かった。じゃ、西田へは電話しておく。それでいいな」
「はい、有り難うございました」
 
   了




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2019年10月07日

3533話 何でもないもの


 何でもないもの、これが一番扱いにくかったりする。特徴がないためだ。特に何かが飛び出しておらず、これといった引っかけどころがない。簡単で、たわいのないもので、ありふれている。これを意識的に扱うとき、掴み所がないのだ。
「世の中にはそういう面もありますねえ」
「ほとんどそうだったりしますよ」
「そうなんですが」
「ごくありふれたものなので、何処にでもあり、何処にでも転がっており、見飽きるほどありふれています。だから、逆に難しいのですよ」
「ほう。平凡すぎてですか」
「そうです」
「じゃ、平凡に扱えばいい。だから一番簡単で扱いやすいはずですよ」
「だから難しいのです」
「うむ、その理屈が分かりませんが」
「平坦すぎてメリハリがない」
「それが特徴でしょ」
「特徴と言えるものが少しでもあればそこを弄れますがね。それがない」
「ほう」
「だから、特徴が有り、非凡なもののほうが扱いやすい。ポイントがはっきりしていますからね。そこを弄ればいいのですよ」
「のっぺらぼうでは弄りようがないと」
「だから、ここからはかなりの技巧が必要なんです。一番扱いが難しいのでね」
「その場合、どうされるのですか」
「のっぺらぼうに目鼻を付けます」
「なるほど」
「扱う人によって顔が変わります。特徴がないのですからね、僅かな起伏を膨らませることになります」
「妙なことをされているのですね」
「平凡なもの、ありふれたものから価値を見出す。これをうまくできるようになれば、宝の山ですよ。ゴロゴロ素材が転がっていますからね」
「そんなうまい話があるのですか」
「いや、これは心がけの問題でしてね。元々何でもないものなので、何もないわけです。だから勝手に何かあるようなつもりでやるわけです」
「はあ」
「最初から難しそうなものは意外と簡単なのですよ」
「違いは何でしょう」
「違わないところを違えることです」
「もう分かりません」
「まあ、何でもないものを扱うのは超上級者でしかできません。なぜならどう扱っていいのか見当が付かないからですよ」
「難しいお話、有り難うございました」
「理解できましたか」
「できませんでした」
「簡単な話過ぎたようです」
 
   了






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2019年10月06日

3532話 不思議な話が残る村


 小倉村から先は辺境に入る。小倉村そのものも片田舎にあるのだが、それなりに平地がある。盆地だ。古くから開けていた場所なので、田舎だがそれなりの文化も育っている。ただ、中央から見れば草深い田舎。実際、草の丈は長いようだ。
 小倉村には様々な伝承があるが、その中でも怪異談が豊富。小倉村の先は何もない山々が続き、村落はない。ただ、僅かながらも平らな場所もあるのだが、敢えてそこには村を作らない。山の神の土地だと言われているためだが、奥山とはそんなものだ。そこから神が漏れてくるわけではないが、御山の入口あたりで色々な話が残っている。
 当然村内にも数え切れないほどの怖い話や、気味の悪い話、また妙な現象についての言い伝えもある。当然楽しい話、愉快な話もあるにはある。要するにそういった昔話の宝庫。だから怪異談の数も多い。決して怪異談だけが伝わっている村ではない。
 ここを調査した人は結構いる。ほとんどが口承で、口から口へ耳から耳へ、それをまた誰かに伝えるというもの。
 当然書き留めた人もいるが、数は少なく、口承のほうが圧倒的に多い。
 最近になって、一人の研究家が、そこを訪れた。既に調査され尽くし、聞き取りなどはもう既に終わっており、それを聞いたとしても、既に初めて聞く話ではない。
 本田というその学者は、いつ頃からの話が多いかを調べた。すると平安時代までは遡らないようで、鎌倉時代の中頃からの話が多い。当然この村の歴史は古いので、さらに昔の話も伝わっているはずだが、それはない。
 さて、細かい話は抜いて、本田が調べた結果を話そう。
 鎌倉時代に入るまで、このあたりは中央とは切れていた。その頃流れてきた人がいる。流浪の語り部らしく、琵琶法師のようなもの。ただ、楽器は使えない。だから一席設けて、そこで話して金銭を得ていた。勧進坊主のようなもの。
 怪異談のほとんどは、この男の創作らしい。本田が調べたのは、この男の消息だが、ほとんど分かっていない。
 この男の話を聞いた村人が、他の村人に伝えだした。不思議な話なので、人に喋りたくなったため。
 そこには山の神や鬼や、河童や狸や、馴染み深いものが登場してくる。
 先に話ありきで、フィクションが先なのだ。
 それを村人から村人へ、そして、その子から孫へと話しているうちに、フィクションであることを忘れたのだろう。
 その後、そういう異変がよく起こり、不思議な現象、山から天狗が下りてきたとか。川で河童を見たとかが続いた。
 河童が先にいるのではなく、河童の話が先にあるのだ。それから河童が出るようになった。
 本田は鎌倉の中頃に来たその漂泊者を調べたが、手掛かりは何もない。あるのは、そういう人が村に来て、不思議な話を聞かせてくれた程度のもので、これは書きもので残っている。しかし、その後まったく忘れ去られた。
 こいつが原作者なのだ。
 その後、本物の異変が起こり、妖怪変化がうじゃうじゃいる地方になった。
 これこそ不思議な話だ。
 
   了
 


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2019年10月05日

3531話 腹八分


「腹八分がいい」
「また、急に何を言い出すのですか」
「茶碗がある」
「はい」
「それに富士山じゃないが八合目あたりで止める」
「八割ということですか」
「まあ80パーセントということじゃ」
「茶碗の大きさにもよりますが」
「細かいことはいい。八分で止める。ましてや山盛りは駄目」
「てんこ盛りですね」
「それは亡くなったときに備えるご飯で、これは縁起が悪い。それに箸をご飯の上からグサリと刺すとなると最悪。墓じゃないか」
「箸墓ですねえ」
「まあ、そういう話じゃない。ほどほどにしておけということだろう」
「それが最近の好みなのですか」
「やや不足している程度がいい」
「でもその不足分、すぐに手に入るのでしょ」
「それを控える」
「満腹じゃ駄目ですか」
「満ち足りてしまうとね」
「満ちないほうがいいと」
「そうじゃな。まだ余裕を残しておる状態。しかし、やればできるのだが、しない。満腹ではそこで終わってしまう」
「もの凄くよく聞く話ですが」
「分かっていてもできない」
「腹八分目はどのような境地ですか」
「やればできるのだが、しない」
「駄目じゃないですか」
「そうだな。何か手を抜いているように聞こえるが、そこが際どいところでな」
「はい」
「寸止めの余韻」
「また、ややこしいことを言い出しましたねえ」
「ややこしくはない」
「村八分などはどうです」
「あれは村人としての付き合いは八分は駄目。しかし二分はできる。葬式とかには出られる」
「じゃ、腹八分とはまた違うわけですね」
「腹二分になるからな」
「そうですねえ」
「二分じゃ食べたことにならない」
「今回はどういうところから、思い付かれたのですか」
「わしの話は全部思い付きか」
「そうじゃなく、急に言われるので、何かあったのかと思いまして」
「控え目の良さのようなものを体験したのじゃ」
「師匠ほどの人が、今頃そんなことを」
「立派な師匠なら、こんなところで、ゴチャゴチャ垂れてはおらん」
「はい」
「控えるというのは少しだけ欲を抑えることでな。全部じゃない。少しだけ。これがいい」
「はい」
「腹八分なら空腹ではないはず。だから支障はない。我慢とかではないはず。少し物足りないかなと思う程度だが、美味しおかずがあればもっと食べたいと思うが、普段の飯はそんないいものではないはず。さっさと済ませたいときも多い。食べるのも疲れるのでな」
「それだけですか」
「いかんか」
「それだけでは物足りません」
「だから腹八分にしなさいと言っておる」
 
   了



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2019年10月04日

3530話 隅の埃


 何の事務所かは分からないが、個人事務所。だから小さい。建物も古い。場所もオフィス街から離れている。町名一つで安くなる。
「何かありますか」
 訪問者が聞く。
 仕切りが一つあり、そこに接客用のテーブルがある。
「何もありませんねえ」
「ありませんか」
「まあ、無理に探せばあるにはありますがね」
「ほう、どのような」
 訪問者は身体を乗り出す。
「部屋の角に埃が溜まりましてねえ。既に綿ぶく状態です」
 訪問者は事務所の角を見るが、どの角も物が置かれている。
「ここじゃありません」
「分かっています。冗談です」
「これが気になってましてねえ。さっと箒で掃けば済むこと。しかし、その行為には至らない。何故だと思います」
「さあ」
「少し綺麗になるだけです。まあ、普通になるだけで、綺麗さが新たに加わるわけじゃないですが、この隅は板の間でしてね。いい木を使っているので、磨けば光るかもしれません」
「何かあるとはそのことですか」
「いや、その程度のことじゃ何ともならないでしょ。ただの掃除ですよ」
「私に掃除を依頼したいと」
「何かないかといわれたのでね。その程度しかないということですよ。頼めますか」
「分かりました。引き受けましょう」
「わざわざあなたが出るほどの用事ではないでしょ」
「他に何もないので」
「そうですか。じゃ。お願いします」
「その部屋の角の埃だけでいいのですね」
「そうです。そこだけです。そこに溜まりやすいのです」
 訪問者は地図を書いてもらい、鍵を預かった。
 場所は郊外。住宅地。
 地図にある建物を見付け、玄関口に預かった鍵を差し込むと、カチッと開いた。
 そして、建物に入り、教えれた部屋に入る。二畳ほどの板の間。その隅は一箇所。
 確かに埃が溜まっていた。
 そのまんまの依頼だった。
 
   了




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2019年10月03日

3529話 陰獣対陽獣


 平田陰獣と蛭田陽獣がいる。どういう分け方かはすぐに分かるだろう。
 この陰獣と陽獣は意外と仲がいいかもしれないし、悪いかもしれない。また普通だったりするかも。
 少し暗い人、明るい人はいる。陰獣はうんと暗い人で、陽獣はうんと明るい人。両端にいるのだが、その端っこの人数はかなり少ない。暗すぎる性格もおかしいし、明るすぎる性格もおかしい。ほとんどの人は中獣だろう。
 だから中獣の場合、特に語ることはない。それが問題にはならないためだ。
 ある日、とある業界の総会で、偶然この二人が同席した。座敷だ。しかも狭い。茶室にもなるらしい。ここはそれなりの人しか入れない。茶の席では身分はなくなるのだが、ここは偉い人の控えの間のようなもの。または休憩所。
 そこに偶然平田陰獣と蛭田陽獣とが鉢合わせになる。
 総会行事は大広間で行われているが、今は雑談状態。懇談会、親睦会のようなもの。一寸した展示などもある。
 二人共長老格だがライバル同士ではない。本当の長老は別にいる。普通の人だ。陰獣では駄目で、陽獣でも駄目なので、二人とも端っこにいる長老。そして長老が結構多い。
 だから総会ではなく、長老会のようになっている。
 この業界、もう古くなり過ぎ、若い人がいない。全員年寄りだと、いきなり若者は入りにくいだろう。その中間の年齢の人がいればいいのだが。
「まずいです」
「二人一緒かね」
「そうです」
「何をしている」
「お茶でも飲んでいるのでしょ。静かです」
「会話は」
「ありません」
「じゃ、何も起こっていない」
「しかし、まずいです。両極端なので」
「そうだね」
「それに二人とも暴れます」
「獣だからね」
「そうです。危険です」
「まあ、二人共大人だ。馬鹿なことはしないだろう。それに長老なんだし」
「そうですね」
「しかし長いねえ。なかなか出てこない」
 幹事は心配になり、その茶室風の襖を開けた。
 すると、二人とも横になっている。向かい合ったまま横たわってしまったのだ。
「睨み合っていたのでしょうねえ」
「そうに違いない」
 相打ちと言うより、共倒れだった。
 
   了



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2019年10月02日

3528話 創意工夫


「多彩なアタック方法ですか」
「そうです。多様な」
「そのメリットは」
「同じことでも新鮮に見えます」
「あ、そう。中身は同じで、やっていることは同じなので、結果も同じでしょ。だから同じことの繰り返しに過ぎませんねえ」
「まあ、そうですなあ」
「それで、新たな展開とか、進歩とか、そういったものが、その新たなアタック方法で生まれるのなら別ですがね」
「生まれません」
「じゃ、駄目ですねえ」
「しかし、同じことを繰り返しておりますとですね、もう考えなくてもできる。暗記してますからね。意味など考えない。次はこれをして、終われば、これをしてとかの流れが自然に付いていますから」
「それは慣れというものですねえ」
「そうです。しかし」
「はい」
「意識してやり出すとできない」
「ほう」
「次は何をしていいのか順番さえ見失います。しかし前後のことを考えれば、すぐに分かりますがね。でも、これでいいのかと不安になったりします」
「ほう。何でしょう」
「パターンで覚えているのでしょうねえ。中身じゃなく」
「それはありますねえ。私はパソコン操作が苦手なんですが、ファイル一覧からファイルを選ぶとき、上から二番目とか、三番目とか、そういう方法でやっています。ファイル名など見ない」
「それに近いです」
「これは会社のパソコンですがね。たまに誰かがフィル一覧の順番を入れ替えたりしています。更新順とか、新しい順とか、名前順とか。すると、もう分からなくなります。ファイル名を見ないと、探せません。ところがいつもは上から三番目です。これを動かされると止まりますねえ」
「はいはい、それと同じなんです」
「ファイル名もですねえ。ずらりと並んでいる中から探すときでも、短い目のファイル名だったので、まずはそこから探します」
「もうその話はいいです」
「そうですか」
「本題はアタック方法を毎回変えるということです」
「ああ、忘れていました。そういうお話しでしたねえ」
「順序を変えると、違った道を歩いているようなものでしてね。通り方によって、印象が違うのです。それで、新たな発見があったりします。パターン化したやり方では気付かないことです」
「はい」
「終わりました」
「ああ、それだけでしたか。何かすごいことを言い出すのではないかと期待していたのですがね」
「まあ、同じことばかりしていると飽きてくるものですよ。だから飽きないような工夫です」
「でも新たなものを産み出す方法じゃないでしょ」
「それは先ほど聞きました。それがどうかしましたか」
「いえ、進歩とか、色々と」
「多少進んだ程度では何ともなりませんよ」
「なりませんか」
「千メートルに一ミリ足す程度ですから」
「ああ、なるほど微々たるもの」
 
   了





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2019年10月01日

3527話 範囲内の世界


 世の中には範囲がある。当然個人にも範囲がある。その範囲から外に出ようとするのはうんと若い頃だろう。自分を試すためではないものの、行けるところまで行ってみようと。つまり未知なる可能性を持っているためだ。未知に対しては憧れを懐きやすい。夢や希望というのはそのあたりにある。つまり今の範囲から出たところ。
 ただ、範囲を確かめる必要もない人もいる。与えられた範囲、常識的な範囲で充分という感じだが、それさえ難しい場合もある。普通にやればここまで行けるだろうという一般的な事柄でも、辿り着けなかったりする。
 一般的な人達にとり、あたりまえのことであり、普通のことでも、そこに達していない人にとり、それは未知の世界。
 当然、それら一般的な範囲から遙か彼方まで行った人もいる。平凡な村人ではなく、飛び抜けた村人で、平凡ではないので非凡な人だろう。こういう飛び出しは嫌われるものである。ただ、村のためにもの凄く役立つことをする人なら大歓迎だろう。村長になれる。しかし、村規模を越えてさらに広いところを範囲とした人は、あまり村には貢献しなかったりする。
 それなりの年、分別が付く頃には、自分の範囲が何となく分かる。それが分別というものだ。ではもう冒険しないのではないかというと、そうでもなく。実はこの範囲内にも秘境があるのだ。
 県会議員が市会議員ほど市内のことを知らないようなもの。あまり細かすぎて、そこまで見えないだろう。ローカルすぎるためだ。さらに市会議員よりも、町内の自治会の人のほうがよく知っている。ただ、お隣の町内のことはあまり知らなかったりしそうだが。
 それをぐっと縮めていくと、向こう三軒両隣となり、そして我が家となり、自分個人となる。流石にここまで来ると、もう本人にしか分からなかったりするが。
 さて範囲内の秘境だが、それは探せばいくらでも深みがあるはず。何も広い世界に出なくても、狭い町内でも十分深かったりする。
 ある範囲内で物事を行う。これは広い世界で自由に泳ぐよりも、難しいかもしれない。
 限られた資源を使い、それだけでやるようなもの。その範囲を超えた芸や手を使わないで、やりくりする。そこでは創意工夫とか、色々と凝ったことをしないといけない。だから難しいのだろう。
 たとえば何でもないものを何でもなくはないように見せるようなもの。
 これは幼児が使うクレパスで名画を描くようなもの。こちらのほうが実は奥が深かったりする。
 
   了


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2019年09月30日

3526話 秘境サイト


「落ち着けるものがいいですねえ」
「それは物事が落ち着かないと、落ち着けないでしょ」
「そうですねえ。しかし、落ち着いたものが好きです」
「それも結果的に落ち着いたので、落ち着けるのじゃありませんか」
「結果ですか」
「辿り着いたとき。目的を果たした地点。そこが落ち着き先ということでしょ。何もしてないのに落ち着きだけを求めるのはどうかと思いますよ」
「いや、世の中、次から次で、落ち着いたと思っても、また色々と起こりますからねえ」
「そしてまたそれが解決するなりして、落ち着けるわけです」
「でも着いた瞬間、また立たないといけないようなのでは落ち着きがありませんねえ」
「それが世の中ですよ」
「まあ、それはそれとして、私が思っているのは、落ち着いた雰囲気のものが好きだという程度です。何も事を起こしたり、解決したりして得る落ち着きではなく」
「なるほど、趣向の問題でしたか」
「そうです。好みの問題です。しかし、これは必要なんです。そういう落ち着ける場所が」
「場所」
「はい」
「場所」
「そうです。場のようなものです」
「たとえば?」
「私はネットを見るのですが」
「落ち着けないでしょ。色々と騒がしそうで」
「いえ、個人が作られたホームページが好きなんです」
「ほう」
「もう更新も止まっていますがね。だから動きはありません。新しい記事とか情報とか。しかし、そういう止まったものを見ているとほっとするのです。絶対に更新されませんからね。動きません。それがいいのです」
「でも役立つ情報が得られないわけでしょ」
「もう何度も何度も同じものを見ていますので」
「それじゃ、そこは学び所のようなもので、名著のようなものですか。何度も何度も読み返すような」
「いえ、テキストもありますが、見ているのは絵とか写真です。それとか告示のようなもの。何かイベントがあったのでしょうねえ。何年も前のものですから、情報としては死んでいます」
「そんなのを見て役に立つのですか」
「私には必要なのです。誰も知らない、誰も触らない、弄らない、話題にならない、そういった場所は隠れ家のようなものでしてね。静かで落ち着いていて憩えるのです。下手な芸など見るよりもね」
「それでは時代の流れというか、そういったものを得にくいのではありませんか」
「そんなものは期待していません。むしろ、ないほうがいいのです。そしてあるべきものがいつもあり、変化しない。たまにしか入らないリンク先を覗いたとき、ああ、これを見るのは久しぶりだと、新鮮に感じることもあります。しかし、既に分かっていることですがね」
「私にもそういった隠れ里のようなサイトを教えてください」
「探せばいくらでも見付かりますよ。廃墟、廃屋巡りです。何処とも繋がっていない離島、孤島サイトもありますよ」
「ほう」
「これが必要なのは落ち着ける場所が必要だからです」
「分かるような分からないような話ですが、まあ、消極的な話ですねえ」
「既に終わったもの。これは落ち着けますよ」
「なるほど」
「ところがです。死んでいるはずのそのホームページ、更新があったのです。まだ生きていたんだ。このときはびっくりしました」
「ほう」
「だから、変化が全くなく、完全には終わっていないわけです」
「そういう廃墟サイト、アクセスなんて無いでしょ」
「いえ、カウンターが付いてましね。それは私が動かしているのでしょう。一日数回見に行きますから、その回数分増えていますが、色々な人が偶然検索などで引っかけて、偶然開くこともあるようなので、決して私だけの数字ではありません。他にもいるのです。見に来る人が」
「秘境ですなあ」
「だから、落ち着くのです」
 
   了



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2019年09月29日

3525話 千古万古


 千古からあるものは人が関わっているが、万古からあるものはどうだろう。今もまだ引き継がれているのは当然千古の昔のものが多く、馴染みが深いかもしれない。
 千古万古の昔からあるもの、そして未だに続いているものはやはり価値がある。続いているだけでも馴染みの線が切れていないためだ。
 しかし、今のものでもよく見ると、千古万古からあったものの発展型かもしれない。
 では千古万古からある考え方などはどうだろう。千年前と同じ感情のままのものは結構ある。四季の変化に関する形容とかだ。それらは古歌として言葉で残っていたりするが、その時代の言葉を聞いても、分からないかもしれない。
 坊主殺せば何代か祟ると言われている。七代か八代かは忘れたが、考えてみれば、かなりその一族は反映するということだ。絶えないで何代も続く。ただ祟られるだけで、亡びはしない。一寸苦しい程度だろう。
 これは坊主が言いだしたことなのかもしれない。一応僧侶なので、殺生できない。だから祟る程度。
 明治大正昭和令和。これだけで四代だ。だからその倍以上祟られるのは大変だが、二代や三代で亡びてしまわないので、その血筋は十代近くまで確実に保証されていることになる。その後、その呪いは解け、呪い明け後パタリと絶えたりしそうだが。
 祟られている間、その一家が絶えてはいけない。祟る相手が無くなるからだ。それが終われば、もう祟らなくなるが、長くその一家が続くかどうかは分からない。
 別に祟られなくても、絶えて消えてしまった家などいくらでもある。しかし血の繋がりのある親族などが残っていたりする。本家も絶え、分家も絶えると、もう駄目だ。血の繋がりではなく、一族としての存続だ。
 たとえば男子がいなければ養子を取ればいい。娘は親の血を継いでいるので、その子も引き継ぐ。
 千古から続いている家系もあるだろうが、続いていても分からないことがある。どこから始まったのか、何処から数えていいのかも。そして大した家でなければ、続いていても分からない。
 千古の昔からそこに棲み着いた人達もいるだろう。村の歴史などでは、よくあることだ。だからそこにあるような古い家は、千古の昔から続いているかもしれない。
 また、その村に棲み着く前から数えると、凄い数の先祖がいることになる。
 先祖代々の墓はあるが、それを参る子孫がいなかったりする。絶えたのだろう。または引っ越してしまい、遠すぎて放置したのかもしれない。
 古そうな家を見ると、この家は何代続き、先祖はどんな人達が連なっているのかと想像する。誰一人名を成した人などいないのが普通だろう。いたとしてもそのこと事態忘れられたりしている可能性がある。
 千古万古と続いているものに価値が出ても不思議はない。続いていているだけでも貴重だ。
 
   了
  



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2019年09月28日

3524話 古い農家が残る村


 何度か通った覚えのある通り。別にその道を通らなくてもいいのだが、ついつい入り込んでしまう。それは下田が自転車で走っているときだ。散歩のようなもので、一寸したサイクリングだが、街中を練り走る程度。市街地を見て歩くには自転車が都合がいい。遠目で見ているこんもりとした森などは神社か寺か公園なのだが徒歩だと寄りにくい。時間の取り方の問題で、行っても見るべきものがなければ無駄足を踏むことになる。
 これが車では一方通行などがあるし、曲がりにくい交差点もある。
 下田はその日は高木神社を目指していたのだが、これはただの目標で、別にその神社へ行きたいわけではない。そこへ至るまでの道沿いを見て回るのが目的。場合によっては高木神社に入らなくてもいい。
 吉村という村がある。吉村村ではなく吉村。だから縁起のいい「吉」の村だろうか。高木神社まであともう少しのところにそれがある。その吉村の横に島村がある。これも島村村ではなく「島」という村だ。これは珍しい。海や湖に浮かぶ島の島だが、実際には当て字だろう。神社には志摩と書かれているのだが、どうしたことか、これを島にしたのだが、志摩も当て字で、「シマ」と呼ばれていた土地らしい。やくざの縄張りのシマかもしれないが、固有の地名にならないので、これも違うだろう。村という名の村がないように。
 高木神社へ行く前にこの二つの村を見て回るのがコースになっている。下田が勝手に作ったコースで、二年以上行かないことある。だからよく行くコースではないので、たまに入り込むと以前と少しだけ違っており、年々村落時代の遺物のようなものが消えている。大きな樹木も伐採されていたりする。枯れかかっているとか、電線と接触するとか、落ち葉が面倒とか、色々とあるのだろう。落葉どころか、落木もある。枝ごと落ちたりする。
 この二つの村にも神社があり、大きな木があるが、流石にそれらは伐られないで残っている。
 吉村を一巡し、そこを抜けると町工場があり、殺風景な場所に出るのだが、その先に島村がある。それも無事見学するが、以前の記憶がどれだけあるかを試しているようなもの。
 二つの村にはそれぞれ神社があるが、似たような造りで、境内もそっくり。合わせてあるのだろう。
 この二つの村を抜け、方角を北に変えて直進すると目的地の高木神社に出る。そこはちょっとした市街地で、それなりに賑やか。昔から町屋などがあった場所だろう。
 その道を進んでいるとき、こんもりしたものが見えてきた。どうも神社らしいし、農家なども遠目に見える。道を間違えて、島村からまた吉村に戻ってしまったのかと思ったのだが、北へ向かっているのは太陽の位置で分かる。
 そして近付いていくと、田畑が見てきた。もうこのあたりは田んぼなどやっている農家などいないはず。それに工場や分譲住宅や、小さい目のマンションなどで田んぼのあとは埋まっている。それに高木神社へ行くに従いもっと開けてきて、賑やかになるはず。それが逆方角の田舎っぽい所がまだ残っている側へ行くような感じになっている。
 田んぼを抜けると、農家や小屋や、石垣などが見える。流石に茅葺きの屋根などないが、形は同じで、トタン葺きになっていたりする。以前は茅葺きだったのだろう。こんなものがあれば覚えているはずなのだが、記憶にない。
 田んぼを抜けると石垣が続き、村の道に入る。
 村というよりも宿場町のメイン通りのようなところ。意外と道が広い。
 島村も吉村もそうだが、残っている農家などほとんどない。しかし、ここはかなり残っている。
 高木神社の近くだ。通り道だ。こんな村があるのなら既に探検している。まさか新しくできた村ではあるまい。しかもより古い村が新しくできたようなもの。
 そして、よく見ると、電柱も車もない。綺麗な道だが、舗装されていない。
「というような村に迷い込むのを期待しているんだ」
「下田君、それは妄想だよ」
「そうだね」
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:54| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月27日

3523話 新しいもの


「分からなくなりましたなあ」
「どうかしましたか」
「最新のものを使っているのですがね」
「ああ、よくあることですよ。最初は素晴らしいと思えるのですが、しばらくすると以前のものに戻りたくなりますよ。いくら以前のものよりもいいものでもね」
「いや、最近のものは気に入ってますよ。何の落ち度もない。以前はその落ち度が多かった。だから最新のものにしたわけです」
「じゃ、何が分からなくなったのですか」
「さらに最新のものが出るのです。それと比べると、今の最新のものが古臭く見えてきましてね。何の不満もないし、よすぎるほどなのですが、最新のものは、今のものの弱点を補っています。それが弱点だったとは気付かなかったのですがね。それと、最新のもののほうがよりよくなっています」
「ああ、よくあることですよ」
「それで、久しぶりに以前のものを使ったのですがね。これがまた悪くない。またじゃなく、まだまだ使える。むしろ今持っている最新のものよりいい箇所もある。でも全体的に見て、新しいもののほうがいいのですがね」
「よくあるパターンですよ」
「それで、分からなくなった」
「最初から、何も分かっていないのでしょうねえ」
「そんなことはありませんが、味と言いますか」
「え、味ですか。そんなものが介入してくるのですか」
「そうなんです。以前のもののほうが味わい深い」
「それは機能とは関係がないでしょ」
「それも一つの機能なのです。そして古くなればなるほど、その味が増していく」
「そんなところへ行ってますか」
「行ってます」
「じゃ、どうするのです」
「だから、分からなくなったといっているのです」
「古いのでも新しいのでも同じだということですね」
「新しいものには古いもののよさがない。古いものには新しいよさがない。しかし、その当時は一番新しかったのですがね」
「しかし、味わいに走るのはよくないと思いますよ」
「その味に接していますとね、しっとりとくるのです」
「じゃ、それは好みの問題ということで、好きなようにされたらいいでしょ」
「そうですね。しかし、そこで分からなくなったのです。どちらへ向かおうかと」
「だから、いい味が出ている方へ行くのでしょ」
「そうですねえ」
「今の最新のものでも古くなります。既にさらに新しいのが出ているのでしょ。だったら、それも古くなり、さらに時間と共に古くなり、いい味が出て来るんじゃありませんか」
「おおそうじゃ」
「急に驚かないでください」
「そうじゃな、それで行ける」
「しかし、しなくてもいいようなことなので、何でもいいんじゃないのですか」
「まあな」
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 10:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月26日

3522話 渋沢邸の一匹


 渋沢氏は古い家に住んでいる。先祖代々から住んでいる家ではないが、明治あたりからここに棲み着いている。その頃の先祖といっても結構近い。写真が残っており、仏間に一人一人飾られている。歴代横綱の写真のように。
 明治の頃はまだ武家屋敷のままだったが、戦後建て替えられた。当時とほぼ同じような造りだ。庭も広い。
 さて、こういう古い屋敷では出るものが出やすい。屋敷が建て替えられても、そこにいるものがいるのだろう。だから土地、場所に根ざした何者かだ。地霊といっても範囲が広い。有り難いものから、あくどいもの、悪戯好きの動物霊などもいる。しかし誰も見た者はいない。
 また、その家、その家族にずっと取り憑いているものもある。渋沢家に出るのは、実はこのタイプだろう。先祖が何か悪いことでもしたのだろうか。その恨みが消えずに残っているらしい。
 渋沢家の今の当主が、それを感じている。その父親や、そのお爺さんの代には出ていない。そんな話は聞いていない。ところがお爺さんのお父さんが、それを体験していたらしい。
 今の渋沢家の当主も年をとり、既に仕事関係は引退しているのだが、死ぬまでは当主。何代目かの。
 この渋沢家も、今の時代なので、大家族で住んでいるわけではない。子供は既に独立しており、長男は別のところに住んでいる。だから老夫婦だけの暮らし。孫や曾孫が書生のように住んでいたことがあるが、学校を卒業すると、出てしまった。
 だから二人で住むには広すぎるので、使っていない部屋のほうが多い。
 出るのはその部屋で、奥の離れへ続く廊下脇の二つの部屋のどちらかに妙なものがいるらしい。離れは渋沢氏が使っている。夏場など、ここは三面庭と面しているので、風通しがいい。冬場は寒いが、書斎として使っている。
 だから、母屋と離れの間の廊下脇の二部屋は使っていないが、その前は始終通っている。
 この屋敷には二階はない。
 ということを長々と渋沢氏は語った。聞いているのは妖怪博士。
「それで何が出るのですかな。肝心要のところをまだお話しされていませんが」
「前置きが長くなりました。離れへ出る廊下際に並んでいる二つの部屋が」
「それは聞きました。それで何が出たのですかな」
「それが」
「はい」
「分かりません」
「あ、そう。あ、そう」
「気配といいますか」
「それがすると」
「しかし何か見えそうで、見えないような。はっきりしないのですが、しかし何者かがいるのです」
「その二つの部屋のどちらですかな」
「両方です」
「では、そのややこしいものは複数」
「いえ、一匹だと思います」
「一匹」
「はい」
「一匹ですか」
「それが何か」
「一人でもなく、一つでもなく、一羽でもなく、一体でもなく、一匹」
「はい」
「じゃ、犬や猫のような大きさですか」
「そうです。だから妖怪だと思いまして、博士の所へ」
「一匹」
「はい」
「そこはまでは分かるのですな」
「そうです。それぐらいのものがいるような」
「でも、見てはおられない」
「そうです」
 渋沢氏は先祖から伝わる話をした。
「でもお父さんもお爺さんも見ておられないのでしょ」
「そうです」
「どうしてでしょう」
「きっと私の霊感が強いので」
「あ、そう」
「どうすればいいのでしょう」
「分かりました」
「方法はありますか」
 いつもなら適当な御札を出して誤魔化すところだが、今回は違っていた。別の手を提案した。
「開け放って電気を付けっぱなしにするのですか」
「そうです」
「それだけでいいのですか」
「さらにその廊下の電気も忘れずに」
「薄暗いです」
「じゃ、廊下脇にグリップ式のLEDライトを取り付けて、廊下を明るくしなさい」
「あ、はい。分かりました」
 その後、ややこしいものは出なくなったらしい。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:11| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月25日

3521話 見る


 人は見ていないようでも見ているが、見ているようでいて見ていないこともある。
 そんな細かいところまで見ているのかと感心することもある。それもほんの小さなところを。普通なら見ないようなところを。当然全体も見ているのだが、それはもう分かっているので、細かい箇所に目がいくのだろうか。
 じろじろ見ている人は何も見ていなかったりしそうで、軽く窺っているだけの人のほうがしっかり見ていたりする。
 じろりではなく、そっと見ている人のほうが正確だったりする。じろりと見ている人は、見ていますよということだけを言っている場合もある。
 これが人に対してなら、じろりと見詰められると、何かあるのかと思うだろう。当然じろりと見ている人もじろりと見ていることを見られている。
 次はチラリと見る場合だ。これは一瞬なので、じろりよりも短い。瞬間だ。
 その次は目の周辺で見ている場合。そこにはピントは来ていないので鮮明には見えないのだが、何となく分かる。視野内に入っていれば、その端っこでもそれなりに見えている。ここで見ている人はプロだろう。
 何のプロかは分からないが、要するに見ていることが分からないように見ている。意識して見ていませんよという程度。これは見ていることを知られるとまずいためだろう。または、見ていることを見られたくないとか。
 年寄りが道行く人をじろりと見ているのは、目が悪いこともあるし、あれは誰だろうかと思い出している時間。知っている人なら挨拶しないといけないし、などとそれが確認できるまでじっと見詰めている。
 しかし目を合わすとまずい相手だった場合、もう遅い。最前からずっと見ているのだから。
 または目を合わせてはいけない相手、見てはいけない相手もいる。見たこと、これは相手の目だろう。顔でもいい。まあ、顔を見たときは目を優先的に見るだろう。鼻や口などを優先的に見ない。余程目立つものが付いているのなら別だが。
 目を合わす、顔を見る。その瞬間意識したということになる。これだけでもコミュニケーションなのだ。目と目で話すようなもの。
 そして見てはいけない相手がいる。目だけでもう始まっているのだ。
 まあ、人の顔をじろじろと意味なく見るのは失礼だろう。見られている側は何かなと思うはず。
 相手の目を見れば、その人が分かるというのは嘘。もの凄い嘘つきが、もの凄く澄んだ目をしていたりする。まあ、本人は嘘はついていないと思っている場合もあるし、また確信犯的な嘘つきでも目は綺麗だったりする。人はそれに欺されたりするのだが。
 目を見れば分かるは、非常にいい言葉なのだが、ほとんど分からないだろう。ただ、瞬きの多さなどで、嘘をついているのがバレたりする。
 目玉、瞳だけでは決まらず。瞼や、その周辺のシワなどで決まる。たとえば目をほんの僅か細めるとか、見開くとかで、表情はかなり違ってくる。
 目は心の窓も嘘で、心など最初から見えないではないか。たとえ窓が開いていたとしても、何を見るのだろう。
 目は口ほどにものを言い……などは川柳に近いが、これはあるだろう。目でものを言うというのは。たとえば簡単な合図なら目でできる。しかし目玉ではなく、大きさを変えることで。たとえば急にすっと目を細めると、これは何か合図を送っているように見える。状況によって意味が違う。にこやかにも見えるし、まずいですよと、伝えているようにも見える。だからその場の状況で、意味が変わる。
 要する手足や胴体や頭の動きでは目立つので、目だけでものを伝えるのだ。まあ、鼻でもいいし、口の一寸した変化でもいいが、目が一番分かりやすいし、目立たないで合図を送れる。
 眼科のお世話になる眼球ではなく、心眼というのもある。ここまで来ると、目玉ではなく、心で見ていることになる。だからビジュアルを見ていない。
 これが一番レベルが高いだろう。しかし、この心眼が一番狂いやすそうだ。
 
   了




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2019年09月24日

3520話 体感温度


「寒くなりましたなあ」
「急にねえ」
「この前まで暑くて暑くてたまらなかったのにね」
「涼しさを飛び越して、寒いですよ」
「秋抜きですなあ」
「いやいやまだ秋が始まったばかりで、夏も残っていますよ。半袖のシャツ一枚の人だってウロウロしているほどですよ」
「しかし、その中に混ざってジャンパーを羽織っている人もいるじゃないですか」
「個人により温度差があるのですよ」
「それは大事だ」
「いや、それほどのことじゃないですよ」
「この温度差というのが曲者だね」
「暑がりと寒がりがいるだけですよ。両方兼ね備えた人もいますがね」
「個人により受け止め方が違う。かなり幅がある。これが大事だといっておるのです」
「暑い寒いじゃなく?」
「その他一般に対しての温度差」
「はいはい。それはありますねえ。生まれ育ちも違うし、暮らしぶりも違うでしょうし、夢や希望も違うでしょうし、得手不得手も違うでしょうし、好みも様々」
「それです」
「それが何か」
「ああ、これもあたりまえのことでしたねえ」
「そうですよ。深く考えなくても、そういうものだとほとんどの人は体験しているはずですから」
「学ばなくても分かっているということですか」
「そうです」
「人それぞれ個性があるということですな」
「これもあたりまえのことでしょ。同じ人間は二人といない。だから既に誰だって分かっていることなので、言う必要もないでしょ」
「そうですな」
「むしろ力説するほうに裏を感じます」
「個性的な生き方などですか」
「そうです。そんなこと心得なくても、普通にしているだけでも個性的ですよ」
「そうですねえ。個体差があるので、それが反映しますものね」
「でも」
「何か」
「みんな似たような感じで、標準的な一般的な人が多いので、それに合わす必要はないという意味じゃないのですか」
「みんなで田植えをしていても、一人一人違いますよ。同じことをしているようでも、動きが違う。器用不器用の差は出る。早い遅いや、腰がすぐに痛くなるとか」
「でもやっていることは同じことでしょ」
「そう思っているだけですよ」
「そのへんになるとややこしいですねえ」
「個人の主張などなくてもいいのです。そんなことをわざわざ言わなくても、既にやっているのですよ」
「我の強い人を個性的といいますねえ」
「それは悪口でしょ」
「ユニークな人とかも」
「それも悪口です。褒めてはいない」
「そういうあなたも、妙な意見をいいますねえ」
「ああ、言い過ぎました」
「そうですね。黙っているほうが賢明です」
「しかし、今日のような涼しすぎる日は、冬服を着たいところです」
「できないでしょ」
「そうです。誰もまだ着てませんからね」
「ここに一般常識のラインがあるのですよ。そのラインを突破しても、大した価値はありませんよ。ただ、心では思っていたりしますがね」
「それで、この時期なら、この時期みんなが着ているものに合わすのですね」
「そうです。しかし気持ちは別です。スタイルは一緒でも中身が違う。個性とはそんなものですよ」
「分かりにくいユニークな話、どうも有り難うございました」
「貶しましたか」
「いえいえ」
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 10:31| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月23日

3519話 若き隠遁者


 世の中のことが分かってくると、もう興味をなくす人がいる。よく分からないので、興味があったのだろう。そしてこんなものかと分かると、そこで止まってしまう。
 しかし、その後も世の中は進み、以前にはなかったことや、新たな謎が出てきたりするのだが、それまでの知識で何となく持ったりする。劇的な変化ではないためだ。相変わらずの世界が相変わらず続いているようなもの。
 だが、世の中のことに興味をなくしていても、日常の暮らしの中に、世間一般の風潮は入って来る。ここは学ばなくても、興味を持って調べなくても、それなりに順応していく。
 世を捨てた人を世捨て人いうが、人など入り込まないようなところで暮らさない限り、世間の風は次々に入ってくる。
 また、隠遁というのもある。これは世捨て人と同じだろう。ただ、それができる身分というのがあり、金銭的に不自由のない人達だろう。
 白川は若いのに隠遁者。これは別のタイプかもしれないのは年が年なので、世を儚むには早すぎるし、まだ何もやっていないのだ。
 やらない先から、もう隠遁。もの凄い先読みだ。
 若いのに悟ったようなことをいう人がいる。若いのに年寄りのように。これは若年寄だろう。そういう役職とは違う。
 この白川、小学生の頃からその兆しがあるので、悪くいえば病気だろうが、決して病んでいるわけではない。決してボケてはいない。
 隠遁は嫌悪感から来る場合が多い。要するに世の中が嫌になった。そんな機会は誰にでもあるが、世の中というところまでスケールを広げない。そうでないと世界そのものが嫌になったということになる。もっとローカルな、ある部分が嫌になった程度で、それが全体のように思ってしまうのだろう。
「白川君、相変わらず悟ったような顔をしてるけど、それはポーズかい」
「違う」
「まあ、いいけど、まだ若いのだから、世をすねたような態度はやめたほうがいいよ。誤解されるよ」
「もうされている。しかし誤解じゃなく、そのまんまだ」
「まあ、これから進学や就職がまだまだ残っているのだから、これからだよ」
「そういうのが嫌になった」
「そういう時期が確かにある。僕はないけどね」
「このまま行くとどうなるのかが楽しみだ」
「自分でいうなよ」
「どうなると思う」
「戻ってるよ」
「そうなの」
「何処かで、また世間の中に入り、世間並みのことをするようになる」
「本当かなあ」
「こうして話に応じているだけで、もう十分大丈夫ってことだよ」
「分かった。それなら安心して隠遁できるね」
「隠遁か。何か忍者みたいだなあ」
「そうだね」
 
   了




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2019年09月22日

3518話 ある読書子


 下田は暇があれば本を読むタイプだが、本を読むために時間を作ることは滅多にない。しかし朝夕の電車内では必ず読んでいる。これだけでも結構な読書量になるし、何かで待っているときなども、待ち時間に読むし、喫茶店などに入ると、本だけ読んでいたりするので、読書家の部類に入るし、趣味は読書でも通るだろう。
 名著、名書、古典的定番など、それなりに読んできた。そのため一般常識以上のことを多少は知っている。歴史に関してもかなり突っ込んだところまで読んだりしているので、それなりに詳しい。
 しかしである。
 何も役立ってはいない。
 下田が身に付けた知識や知恵。世の中のこと、人と人とのこと、等々はほとんど実体験から得ている。本に書かれていたことなどいざというとき、役立たないというより、思い出せないのだ。じっくり時間を掛ければ別だが、そのときの状況や感情などが先立つため、身についたものしか役立たない。これは動物的な勘のようなものかもしれないし、下田独自の流れ、流儀のようなものが自然と備わっているのだろう。
 ではあれだけ読んでいた難しい目の本などは何だったのか。そんなものをいくら読んでも知識は増えるが、すぐに忘れたりする。あまり必要ではないし、使わないためだろう。それは下田にとっての話で、実際には下田個人のローカルな問題は自分で何とかしないといけないということだ。
 ただ、物事を多少本から得ているので、豆知識程度はあるので、物知りの部類に入るだろう。世の中にはこういうものがあったり、こういう考え方があったり、こういう世界があったりと、見てきたわけではないが、知っていることは知っている。しかし、その知り方というのがやはり浅い。また知っているだけでは何ともならなかったりする。
 また、肝心なときに、知っているはずのことを度忘れし、ここぞというときに、それを披露できなかったりする。
 そんな下田だが、隙間時間があると、もう癖のように本を開いている。活字を追うのが好きなのだろう。そしてそうしているときが一番落ちつく。
 活字を追う目が荒れたり、ギクシャクしたり、また頭に入ってこないときは体調が悪いとき。本を開くとそれが分かる。当然一番使うのは目なので、視力の変化も分かる。そちらのほうが本の中身よりも役立ったりする。
 一枚の名画を見るよりも、ありふれた自然の風景を見ているほうが入ってくるものが違う。絵など現実の風景には所詮敵わない。だから絵画など見なくてもいいのだが、絵は絵として見る楽しさがある。絵は劣化するが、基本的には四季の変化は受けないし、動かない。動く絵は動画だ。しかし、動かないから絵画的価値がある。絵を見て、現実の何かを引っかけ、想像する楽しみもある。絵を見て絵を書いているようなもの。想像で。だから同じ絵でも見る人によって違う。
 下田は名画のコピーを額縁に入れ、飾っているが、それをたまに見るとほっとする。もう見慣れたものだが、風景の位牌ではないが、そこで固まって死んでいるのだが、それでこそ絵としての寿命が始まる。
 まるで小説のような話、まるで絵に描いたような風景。そういうものと出くわすとき、やはり本や絵を見ていたからこそ分かる。
 目が退屈し、頭が退屈しないように、そういったものも必要だろう。
 知る楽しみ、それだけでも十分かもしれない。
 
   了
 

posted by 川崎ゆきお at 11:10| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする