2024年07月26日

5278 袴とベンベン


 古くて広い家。下田は親戚が住んでいたその家で一人暮らし。寝床は奥の部屋。玄関までは何部屋も通り抜けないといけない。部屋が繋がっているのだ。それらの仕切り、ふすまを開ければ大広間になる。
 そこを通り抜けるとやっと廊下に出る。ここから他の部屋へ行けるのだが、かなり入り組んでいる。その先の中庭の手前に縁側があり、その先に便所がある。
 だから夜中トイレに立つとき、結構遠い。
 下田が見たのは袴で座っている人。ただ椅子にでも掛けているのか、一寸中腰。そして股を思いっきり開いている。そして三味線。
 これが一人ではなく、何人もいる。同じスタイルで横に並び。また奥にもいるので、凄い数だ。
 それらがベンベンと三味線を鳴らすのだが、音よりもビジュアルの方で驚く。
 夜中に便所へ行くときに下田は見たのだが、そんなものは幻。いるわけがない。それで三味線部隊に突っ込むと、スッと通れる。
 大広間を抜け、廊下のふすまを開けると、びっしりといる。さすがに並べないのか、行列で。
 電車内でだらしなく大股を開いた学生を思い出す。確かに座っているように見えるのだが、椅子はない。そんなスタイルを良く維持できるものだと、下田はそちらの方で驚く。チラッと見れば野球の応援団のようにも見えるが、袴姿の男達は若くはない。そして怖い顔をし、一点を見ている。その視線の先は下田ではない。だから目が合わないのが幸い。では何処を見ているのだろう。
 それも突っ込むと、スッと通れるが何人も何人も連なっている。これは便所までいるようだ。
 あのスタイルで、三味線を弾いているのだが、下半身だけ見れば、便所で気張っているように見える。それを連想すると、怖い顔の正体も、これだったのかと思うほど。
 顔は同じではない。しかし、見たことのない人たち。似たような中年の顔で髪型も多少は違うが、似たようなもの。しかしコピーではないことは分かる。
 縁側に出ると、中庭にも並んであのスタイルで、三味線をベンベン。やはりこれは便々なのだ。
 ただし下田は夜中に大はしない。
 そして便所の戸を開けると、さすがにそこにはいない。あの広げすぎた足では空間が足りないようだ。
 そして用を足し、戸を開けると、もういない。嘘のようにかき消えている。
 
   了

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2024年07月25日

5277 陳腐と珍奇


「なかなか珍しいものはありませんなあ」
「かなり、お持ちのようで」
「見たり聞いたり直接触れたり、珍しい行動もそれなりにやり倒しましたからな。今更探すとなるとかなり難しい。掘り起こしすぎた感じです」
「珍しいものがいいのですか」
「そうです」
「どう言うところが」
「驚きがあります。刺激や、わくわく感も。これはありがちなものでは弱い。まあそれでもいいのですがね」
「それでもいいと?」
「楽ですからね。緊張感もドキドキ感もありませんから」
「でも刺激はない」
「無刺激が欲しいときもあるのですよ」
「それは何処にでも転がっているようなものや事柄ですね」
「そうです。そちらが良いときと言いますか、そういう気分になることもあります」
「それはまた、なぜ」
「珍しいものは疲れますからね」
「そういうことですか。でも地味なものではすぐに退屈されるでしょ。物足りなくなり」
「それあるからこそ珍しいものの良さが光るのです」
「理屈は分かります」
「だから珍しいものを追いすぎると、珍しいものに麻痺してしまい珍しくも何ともなくなる」
「そういう理屈ですね」
「しかしです」
「まだ、他に理屈がありますか」
「私は別に理屈をこね回しているんじゃありません。感覚上の問題です」
「それこそ理屈ですね」
「そうですなあ」
「では、他の方法とは何でしょう」
「これも良くあります。ありふれた方法です」
「聞きたいです」
「見方を変えること、接し方を変えること」
「ああ、ありますねえ。ごく平凡に」
「相手ではなく自分を変えるという方法です。陳腐すぎるほど良くある手法です」
「珍しいものを探している人が逆に陳腐な方法を使うと」
「意外でしょ」
「しかしそれは陳腐で、ありふれたやり方ですねえ」
「しかし珍しいものを追い求めるよりも難しい」
「陳腐と珍奇は真逆でしょ」
「陳腐なものの中に珍奇を見出す。これです」
「じゃ、そういうことをやっておられるのですね」
「いいえ、やはり珍しいものを単純に追い求めていますよ」
「そうですねえ、捻ったやり方はややこしいですからねえ」
「まあ、多少は見方を変えたりはしますよ。相手ではなく自分を変える。この陳腐な方法、結構疲れます。芝居が過ぎるし、わざとらしいですからな」
「それで実際はどうなのです」
「感じは変わりやすい。それだけです」
「よく分かりませんでした」
「そういう感じです」
 
   了
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2024年07月24日

5276 何もしない夏


 夏場厳しいので、何もしないで過ごそうかと竹田は考えたが、これは考えるだけ無駄。やることはそれなりにあるし、日々やらないといけないこともある。
 それを少し減らし、涼しくなるまで放置してもいい。それでも一割程度減らせるだけで、これでは何もしないで過ごすというのにはほど遠い。
 ご飯も食べないといけないし寝ないといけない。これは略せないだろう。暑いので睡眠は秋から、とかにはいかない。食事もそうだ。
 しかし暑いので食欲が減り、食べる量が減ったのか、食べるのが早い。それで時間的余裕が生まれるわけではない。ちょっと休憩する時間が増えるだけ。確かにその休憩、何もしていないのに近いが。
 また竹田は健康のため、散歩に出る。しかし、この暑さでは健康に悪い。本末転倒。逆効果だ。それならしない方がいい。プラスマイナスゼロになるかどうかは分からないが、散歩の時間、昼寝でもしておいた方がいいだろう。
 それで略せるところを見つけ出し、余計な用事を省くと、二割とか三割ほど何もしない状態に近づく。
 この二割ほどの日課外しは結構効く。別にやらなくてもいいことをやっていたので、見直す良い機会になる。
 しかし入院患者のようにずっとベッドの上というのも苦しい。それほど寝られるものではないので、目だけは冴えているもののやることがない。まあ、適当にテレビとかを見ておれば良いのだが。
 気に入ったものを見ているときは良いが、そうではないものをずっと見ているのは苦痛。それでテレビには目は行っているし耳からも入ってくるが、別のことを考えたり、思ったりする。
 何かをしながら、別のことを思う。これは悪くはない。物思いだけにふける状態など希で、軽く思い出に浸ったり、先のことを思い巡らす程度。そんなに長い時間ではない。
 何もしないで過ごすというのも、結構難しいものだと竹田は考えた。それなら何かをしている方が簡単で楽だと。
 暑い思いをしながら終える一日。布団の上で寝転がったときの気持ちよさがある。暑いことは暑いが座っているよりもまし。それに電気を消すので。
 ここの気持ちよさは、少し暑苦しいことをした日の方が効果がある。やっと寝れると。もう本当に何もしなくてもいい時間に来たと。
 しかし、寝ることも何かをしていることには変わりはない。ただ寝てしまうと、それも忘れるが。
 
   了
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2024年07月23日

5275 順調


「順調ですかな」
「ほどほどに」
「それはよろしいなあ」
「すらすらと片付くことがあります。やる前までは腰が重くて、何度もやる前にやめています。やる気が起こらないのでしょう。これは面倒なことになる可能性がある場合ですが、サッとできることでもやり始められないことが多々あります」
「多々ですか」
「そうです。だから順調にできていることなどごく僅か。多くのことは多々の中に入っています。なかなか気が進まなくてねえ。やればサッとできるのですが」
「でも、順調に進んでいるとおっしゃってましたが」
「やりやすいこととか、緊急性のあるものだけですよ。多々はいっぱいあります」
「でもその多々の中の一部をやられているわけでしょ。それなりに順調に」
「やれば簡単なことだったりしますからね。誰がやってもできるようなことなので、順調にいって当然かもしれません」
「しかし順調に果たすことができれば良い感じでしょ」
「はい。気分が良いですが、次から次へといろいろとありまして」
「そんなにありますか」
「雑用ですがね。あまり効果はないような。まあ、メンテナンスのようなものです」
「それも大事でしょ。地味だけど充実するのでは」
「それはあります」
「どちらにしても順調に事が運び、達成できると、少しは嬉しいはず」
「はいはい。それはあります。しかし、後味の悪い達成もありますよ。こんなことしなければ良かった。やぶ蛇のようなね。余計な仕事を増やすような」
「パンドラの箱のように」
「そんな謎はありませんし、予想は付いているような嫌ごとですが」
「嫌ごとですか」
「嫌なことです」
「平穏に暮らしていると聞きましたが、いろいろとあるのですね」
「平凡な暮らしですが、それなりにいろいろと厄介なことがあるのですよ。ただ厄介ごとだと思う私にも問題がありますがね」
「やはり問題なのですね」
「問題と思うことが問題なのでしょうねえ」
「よく分かってらっしゃる」
「まあ、面倒さに付き合うのも悪くはないですよ」
「付き合っていますか?」
「いません。避け通しています」
「あ、はい」
 
   了
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2024年07月22日

5274 老婆心


「気のせいだと思いますが、何か異変が起こりそうな気がいたします」
「気のせいじゃ」
「しかし、それがしの勘は良く当たるのです」
「何か思い当たるところでもあるのか」
「ありません」
「火のないところに煙は立たぬ。火を付けぬ限りな」
「そうなのですが、少しだけ思い当たるところがあります」
「そこが火元か。では思い当たるところがあるのではないか」
「勘違いかもしれません」
「だから、気のせいじゃ。他言するようなことではない。ましてやわしの耳に入れると言うことは、何か頼みがあるのか」
「頼み事ではござりませんが、用心に越したことはありませんので」
「もったいぶらずに言ってみよ。何処でどんな異変が起きる」
「勘違い、気のせいだけなら良いのですが、吉岡家です」
「吉岡城のか」
「古くから仕える重臣ですが、どうも吉岡領での動きが怪しいと」
「そういえば、この前の評定には来ていなかったのう」
「もってのほかです。これは重臣としての義務」
「病んでいて出てこれないと言っていたぞ」
「仮病でしょう」
「それは気のせいではなく、ただの想像だ」
「あ、はい。それ以外にもいろいろと不審な点が」
「何だ」
「足軽を多く抱えているとか」
「吉岡領は豊かな地。雇えるゆとりもあるのだろう。それにいざ合戦となれば、心強いではないか」
「しかし兵が多すぎます」
「何が言いたいのじゃ。ただの憶測だろ」
「隣国の使者が何度も来ているとか」
「よく分かるのう。そんなことが」
「草からの報告です」
「間者か」
「これは反旗」
「謀反だと」
「はい」
「吉岡は当家の宿老。それはあるまい」
「そうであって欲しいのですが」
「しかし、そこまで調べれば気のせいではすまんだろ」
「決まったわけではございませんが、用心に越したことはないかと思い」
「隣国からの使いと言っても同盟国。吉岡も商売をやっているので、そのためだろう」
「そうなら良いのですが」
「煙を立てておるのはそちではないのか」
「滅相もございません。老婆心ながら、そっとお耳に」
「しかし、気のせいだと申していたはず」
「はい」
「だったら気のせいのままで良かろう」
「そうであって欲しいところです」
「まだ、申すか」
「もう、燃やしません」
 
   了

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2024年07月21日

5273 前評判


「予想とは違うことがある」
「ありますねえ。予想ですから」
「前評判もそうだ。噂なので、そんなものかもしれないが、かなり違っておる。現実はな」
「予想も予測もそうですか」
「予想ではなく、それを見た人の評判も現実とは違っていたりする」
「まあ、当てにならないと」
「目安にはなるが、それが大きく外れると信用ならん。当てにはできんが、おおよそのことは分かる程度」
「それでよろしいのでは」
「現実に接してみると予想も評判も関係しなかったりする」
「全く別のものだと」
「そこまでかけ離れてはおらんが」
「何でしょうねえ」
「本当のことを隠しているんだ。言わないだけかもしれない。または言いたくない。これは黙っていたいのだろうか」
「じゃ、あえて見当外れな事を」
「さあ、それはどうかな」
「何でしょう」
「言えない事象なのだろう」
「公言しにくいような」
「したいのだが、したくないような」
「何でしょう」
「君も考えなさい」
「いえ、何が問題になっているのか知りませんので」
「しかし良いものを見させてもらった。予想や噂では大したことはない低レベルなものとなっていたので、わしもその心づもりでいた。だから期待などしていなかった。そして蓋を開けると、その通りだった」
「じゃ、予想通り、予定通りですね」
「ところが違うのだ。かなり高レベルなのだ。低レベルのつもりでいたので高レベルに変わったときの驚き。これは値打ちがあった」
「え、何でしょう。何が起こったのですか」
「これを隠していたのか、これが言えなかったことなのか。言いたくても言えなかったことはこれかと分かった。これは言えなくて当然だと。言ってしまえばおしまい」
「状況がよく分かりませんが」
「低く見積もることで油断させていたんだ」
「では、予測、役に立ちましたねえ。その予測が効果的に効いたような感じでしょ」
「効いた」
「でも、それは結果的には良いものだったのでしょ。凄いものだったのでしょ」
「高レベルを越えるほどのな」
「では、そういう評価が既にあるはずでしょ」
「ない。本当の評価は言えないのだよ」
「世の中にはそういうこともあるのでしょうねえ」
「まあ、ありきたりなことだがな」
「あ、はい」
 
   了
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2024年07月20日

5272 起伏


「起伏がない」
「それは平坦でよろしいですなあ。見る限りの大平野。歩くのが楽です」
「大平原は飽きる。少しは起伏があってもいい」
「ありますよ。よく見ると」
「もう少し、見た目はっきりとした崖とかな。そういうのがあると、避けて通る」
「不便じゃないですか」
「危ない箇所がある。それだけでも刺激になる」
「平坦な道を行く方が気楽で良いと思いますがね」
「少し歯ごたえが欲しい。きついのは駄目だがな」
「起伏がないというのはどういうことですか」
「良いことも悪いこともないようなものかな」
「じゃ、ずっと良い状態では」
「それがずっとなら良いとは感じないがな」
「期待で胸膨らませ、結果、期待外れで落胆する。こう言うのが起伏じゃ」
「山あり谷ありですね」
「疲れるがな」
「じゃ、平坦な方がよろしいかと」
「まあ、平坦な大平原でも起伏があると先ほど言ったな」
「多少の高低差はあります。坂もそれなりにありますよ」
「その程度でいいか」
「そうですよ」
「喜怒哀楽の幅が小さい。一寸した善さ、一寸した哀しみでは頼りない」
「悪いことがあるので、良いことが光るのでしょ」
「どちらもなくすと平坦か。起伏がない」
「しかし、多少の高低差は」
「僅かな上り坂を凄い坂だと思うか」
「一寸した下り坂が、今度は崖に見えますよ」
「じゃ、どっちも同じか」
「やはり起伏はあります」
「うむ」
 
   了
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2024年07月19日

5271 零戦隼人 


 低気圧で辛いのか、湿気で辛いのか。蒸し暑さで辛いのか、平田は今日は零戦隼人で行こうと決め込んだ。正しくは零銭隼人。
 ゼロ銭、つまり一円にもならない隼人。隼人とは人の名。これはそういう名の主人公の飛行機乗りの話が昔あった。
 平田はそれを覚えている。ただし物語は忘れた。覚えているのは零戦隼人だけ。タイトルだけ。
 だから正しくは零銭平田となり、一円の稼ぎもない平田ということだ。体調が悪いので、今日は坊主でいい。この坊主とは僧侶ではなく、釣り人が一匹も釣れたなかったとき、今日は坊主だったという意味。なぜ坊主なのかは分からない、毛がないから坊主とは思えない。剃っているだけで毛はあるのだ。
 そのため、子供のことを坊主と呼ぶが、それに近いかもしれない。だが。ボウズと書けば、その語呂で何となくイメージされる。
 要するに日銭を稼ぐ必要のある平田だが、サボっただけ、という話。その決断を下すとき、今日は零戦隼人で行こうとなった。勇ましい言葉だが、逆側だ。
 こういう決断、提督の決断とも平田は呼んでいる。連合艦隊の司令長官のように。だから身分はかなり高い人。ただし、平田はただの水兵さんのような身分だが。
 怠ける話だが、大層に、荘厳に。厳めしく。低い声でそうつぶやく、しかも喉を少し震わせながら。
 サボったので零戦隼人になるが、身体にはいい。身体は得をした。だから決して一円の儲けにもならなかったわけではなく、休息することで身体は儲けている。増えはしないが、体調が戻るだろう。
 これは益するのと同じ。だから有益。そのため、零戦隼人で行こうと決めるのは勇断であり、好ましい判断。
 しかし、平田はそれほど疲れたり、体調が悪いわけではなく、蒸し暑いので、動くのが大層なのだ。それだけのことなので、多少後ろめたさがある。
 梅雨時、平田はよくこの零戦隼人を発動させている。そして今日も梅雨空に飛び立つのだが、平田自身は寝転がっている。
 
   了
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2024年07月18日

5270 何かが来る


 何かが来ている。何かが来る。藤原は直感した。しかし具体的なものは何もないし、思い当たるものもない。しかし何かが起こる。来ると言う迫り方。
 そこまでは感じている。その感じから頭の中を回転させ、それに該当するものを探したが、そんなものは自然現象ぐらい。大災害なら突然やってくる。
 だが、それではない。来ているのだ。何かが来ているという感じはそれではないし、自然現象とは少し違うように感じられる。もう少し小さく、そして藤原だけに関係することか、その周辺程度に起こること。これは直感で分かる。その範囲も。
 さらに、その直感から、日常の中で起こるようだ。そこまで直感で分かるものかと思うのだが、そう感じたのだから仕方がない。
 さらに何かが近づいてくると言う感じは、徐々にで急激ではない。だが、近づいて来ているのだが、それが分からない場合もあるはず。その場合はいきなり来たとなる。
 日常の中で何かが忍び寄ってくる。その条件に合うようなのを藤原は探すが、思い当たらない。そして思い当たらないものが来ると言うところが何となく勘で分かる。
 何かは分からないが、藤原が出した答えとは違うと言うことだけは分かる。それではない。これではないと。それなら何だと言うことまでは浮かばない。直感でも。
 さらにそれがいつなのかも分からない。今日なのか、数時間後なのか。数分なのか。あるいは来週か。来月か、来年か。
 来年はないだろうとさすがに藤原は考える。直感したことも一年後には忘れているだろう。
 では何なのだ。
 そして一日を終えようとしていた。今日ではなかったことは確かだが、かなり用心して過ごした。ずっと身構えていたようなもの。
 別にこれと言うことも起こらず、昨日と似たような一日だった。天気が少し違うだけで雨が降りそうな空。違いといえばその程度。夕食で食べたものも違うが。
 そういう日常の中、暮らしの中に、それがスッと現れるはず。直感ではそうなっている。
 直感を藤原が弄ったわけではないが、何か得体のしれないものが現れるというポイントに絞ってきた。何かの現象とか異変とかではなく。人に近いものが訪れるような。何かが起こる。それは人による災いかもしれない。
 これは藤原の最初に受けた直感とは変わっている。解釈を広げたものを入れたためだ。これは直感ではなくただの想像。
 そして、日が変わる零時前、チャイムが鳴った。
 これだな。戸藤原は覚悟を決め、ドアを開けた。
 
   了
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2024年07月17日

5269 落ち着く


 岩城領の岩城氏は右翼の後方に陣していた。これは後詰めに近い。前軍や中軍が崩れたとき、それを回収するようなもの。だから詰めているだけでいい。参陣しているとは言え、後方で陣をしいているだけ。
 野戦だ。それはすぐに始まり、あっという間に右翼の先鋒隊が崩され、押される。中軍は浮き足立ち、下がろうとする。
 それを見ていた岩城隊は中軍までもう下がられたのでは総崩れになると思い、重臣と相談。
「まずは落ち着きを、殿」
「落ちるのか」
「それもありますが、判断を間違えると大変なことになります」
「よう分からんが負けそうなのだから、引くしかなかろう」
「後詰めが引くと、決定的になります。我らは右翼の後詰め。その役目があります」
「真ん中はどうじゃ」
「物見の報告では互角とか」
「左翼は」
「また戦いになっていません」
「では負けているのは我ら右翼隊だけか」
 そこに物見が戻ってきた。
「敵主力が右翼、ここに襲いかかったようです」
「それで下がったのだな。勢いが違うので」
「どうする」
「殿、落ち着きを」
「座っておる」
「ご判断を」
「だから、その判断を聞いておるのではないか」
「それは殿が決めること。私では決められません」
「負けそうなので、引く。撤退する。これでいいな」
「問題はありますが。殿の仰せなら」
「じゃ、そういたそう」
「撤退先は」
「本領だ。決まっておろう」
「岩城領ですな」
「何か不満か」
「我が主君の居城、本拠地ではなく、いきなり戻るのですな。それでいいのですな」
「主君って誰だ。家来になった覚えはない」
「そうお考えなら結構。すぐさま岩城郷まで撤退し、砦の門を固く閉ざしましょうぞ」
 こうして、岩城隊は撤退した。
 右翼は総崩れになったが、中央の部隊は善戦し、さらに左翼隊が横から突っ込んだことで、敵は一瞬だけひるんだ。
 しかし、右翼を突破した敵の主力は、中央隊と左翼の横っ腹を予定通り突いた。これで崩れた。
 敵軍は数日後、岩城領まで来た。砦程度なので、守り切れるわけがない。援軍も来ないだろう。
 そこに敵軍から使者が来て、降参するなら領地はそのまま、領主も兵も命は保証するという、いい条件。
「落ち着きなされ、殿」
「もう落ちた」
「どうなされます」
「もう決まっておるだろ」
「そうですなあ」
「従属先を変えるのは、これで三度目ですな」
「それしか生き残る方法はないだろ」
「ぎょい」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 12:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする