2019年11月12日

3569話 水鳴り


 ポタンポタンと音がする。夜中だ。昼間なら聞こえないだろう。水滴が落ちる音だ。栓をしっかり閉じていなかったのかもしれないと思い、増岡は台所の蛇口を見たが、そこからではない。あとは浴室や洗面所だが、それも異常はない。古い家だが雨漏りはしない。それに雨など降っていない。
 ただ、前日降ったのは確か、そのときの音に似ている。屋根からの音ではなく、屋根瓦などから下に落ちるまでの間にする音。
 また、屋根から地面までに流れ落ちるとき、何処かで溜まってしまうのか、雨がやんでも、ずっと音がしている。その場所は突き止めていないが、ただの地面なら聞こえないはず。もっと響くようなところに落ちる音。
 二階の屋根、その庇、また結構入り組んでおり、真上から見ないと、どういう状態になっているのか、分かりにくい。二階の窓からそれなりに下は見えるのだが、上は見えない。別にそんなものを探し出す必要はないし、いつもする雨垂れの音なので、気にはしていないが。樋の何処かが割れている程度に思えば済むことだ。
 借家なので、大家に言えば修理してくれるだろう。これが自分の家なら、身体の一部のように思うかもしれない。余程古くなれば、引っ越せばいい。借りているだけなので。
 天井裏の忍者を主人が槍で突き刺し、そこから血が滴り出すシーンを増岡は思い出した。
 音のする方角は分からない。これはとんでもない方角違いなところから発していることもあるからだ。屋外だとすれば、窓とか、隙間が空いているところから音が聞こえやすい。
 しかし二階と一階の隙間がどうも怪しい。そこに虫か動物でも入り込んでいるのだろうか。それにしてもポタンポタンと一定の間隔を置いた音なので、生き物ではないような気がする。一番近いのは蛇口から落ちる音だ。まさか心臓だけのフランケンシュタインの音ではあるまい。
 それで、増岡は台所の蛇口を少し開け、滴がポタリと落ちるようにした。しかし、その音ではない。下はステンレスなので、甲高い。
 それでトイレや風呂場、洗面所などで確かめたが、音が小さすぎたり、低すぎたりし、あのポタンポタンという響きではない。
 そして、この音は雨の日に耳にすることがある。やはり外だろう。
 前日降った雨水が下まで行かないで、何処かで溜まっているのかもしれない。
 翌朝になると、もう外の音が色々とするので、あのポタンポタンは聞こえない。そして夜になり、静かになったとき、耳を澄ませて聞いていたが、もうポタンポタンの音はしない。
 そういうことに詳しい人に聞くと、それは家鳴りのひとつで水鳴りと言うらしい。
 
    了



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2019年11月11日

3568話 祭り爺


 前日良いことがあり、燥ぎすぎて夜遅くまで起きていた。翌朝起きてみると、もうその喜びはない。昨日だけのことで、今日は平常に戻っている。祭りの後の寂しさのようなものがある。もう終わったのだと。
 年に何度かそんな祭りや行事があり、日々の暮らしから少し離れたところで遊ぶのだが、それは特別な日。そして次の祭りの日まで地味に暮らす。その地味さの溜が大きいほど祭りは楽しめる。毎日祭りならそうはいかない。
 伍平はそんなことを思いながら、朝の日課をこなしていた。疲れたのか、寝起きもよくなく、身体も怠い。祭りの後の気怠さだろう。
 そして、祭りというのは終わった翌日から次の祭りの準備が始まっている。だから祭りが日常から消え去るのではなく、祭りに関わる用事があるのだ。これは地味な用事だが、祭りが終わっても、まだ祭りを残しているようなもの。祭りはまだ続いているのだ。
 そういった気怠い状態で外に出て用事をしていると、小春日和の秋晴れでいい感じだ。朝夕は寒いが昼間は丁度いい感じで、何もしなくても幸せな感じになる。これは得をした感じ。
 当然そういう日ばかりではない。滅多にない日和。
 田んぼの畦道から山脇に出たとき、派手な半纏を着た老人が歩いてきた。祭りは終わったはずだ。
「終わりましたなあ」
 と声をかけられるが村の人ではない。
「はい、終わりました」
「次は正月だな。楽しい日は」
「はい」
「しかし、隣村の祭りは今日なんじゃよ」
「そうですか」
「わしはこれから出掛けるところじゃ。今から行けばまだ明るいうちに着ける」
「佐々村ですか」
「いや、高津村じゃよ」
「遠いですよ」
「まだ間に合う。お前様も行かないかい」
「いえ、もう祭りは終わりましたので」
「そうか」
 老人は近道だと言って村道ではなく、山越えで行くらしい。距離的にはそちらの方が近いし早い。
 山道に差し掛かった老人の赤い半纏が目立つ。まるで紅葉だ。
 山仕事をし、里に戻り、そのことを年寄りに話すと、あれは祭り爺という奴で、人じゃないから付いていくと危ないらしい。
 
   了




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2019年11月10日

3567話 祈祷婆の予言


「この村の血に呪われた様を見よ。誰も救われんのじゃ。救われたくばわしのところへ来い。?ってあげるでな」
 老婆は村の入口で、そう叫んだ。
「あの老婆は誰でしょう」
 当然、村に入りかけた二人の侍は足を止めた。
「村の祈祷師です」
「拝み婆か」
「はい」
 侍の一人は郡奉行で、数ヶ村を担当している。城から来た役人だ。もう一人はその補佐。
 しかし、この補佐の方は地侍なので、村々の事情に詳しい。
 江戸育ちの郡奉行は、この若い下僚を重宝していた。村には村の事情があり、それを知ることも大切なため。
「血に呪われたとはなんじゃろう」
「このあたりに昔いた豪族のことでしょ」
「おぬしもそうかね」
「いえ、私はここではなく、もう一つ向こうの海老名の出です」
「何があった」
「さあ、それは言わないことになっています。隠さなくてもいいのですがね。よくある話ですよ」
「何があった」
「邪魔な豪族を一堂に集め、酒盛り後、皆殺しです」
「ほう」
「当家のやったことではなく、前の領主時代の話ですよ」
「それはよかった。怨まれるところじゃ」
「しかし、村人も一緒になってその豪族をやっつけたのですよ。だから共犯です」
「その豪族と仲が悪かったのじゃな」
「ええ、流れてきた連中ですから、余所者です。私のような昔からこの地方に根を下ろしている一族ではありません」 
「分かった」
 先ほどから二人を見ていた老婆は、気を引くように、さらに声を張り上げた。呪いから救われたければわしのところに来いと。
 二人は気になるので、老婆の後に従った。
 そこは祈祷所で、狭苦しいが密度の濃い部屋。御札、護符や呪器や飾り物で、普通の日常を送る部屋とは異なっている。
「さあ、これが呪い除けの御札じゃ。お代はいらん。代金もいらん。何もいらん。取っておけ」
「これは木版ですか」
「そうじゃ、刷るのじゃ」
「原板、ありますか」
「原板、ああ、版か。見せようか」
「いえいえ、結構です。これはお婆さんが彫られたのですか」若い補佐が聞く。
「いや、こういうのばかり引き受けているところがあってな。この村にはないが、城下にある」
「村田惣次郎でしょ」
「おお、よく知っとるなあ」
 二人は出ようとしたとき「お隣の榊村に行くのなら昼前がよい。昼を過ぎてから行ってはならん」
 村回りで、二人はこのあと、行くつもりだった。既に昼は過ぎている。
「今のは占いですか」
 若い補佐はこの老婆のことを知っていたが、祈祷師だとばかり思っていたのだ、運も見るのだろうか。初めて知ったが、何となく理解できた。
 つまり、呪い除けの御札は無料だが、そのついでに予言をするのだろう。それで稼いでいるのだ。
 次に榊村へ寄ることは想像できる。だからこれは予言だとはいえないが、昼までならいいが、昼過ぎてから行くと悪いことが起こる、これが分からない。
「それも祟りですか」と補佐が聞く。奉行はずっと聞いているだけで、口を出さない。
「それとは違う。そのお奉行様に関わる悪縁で起こること」
 群奉行は急に振られたので、驚いた。
「わしがか」
「行ってはならん、行くのなら昼までにせい」
 郡奉行はにやりと笑った。
「これは護符では効かぬ。災いは防げん。ただし、行かなければ害はない」
「心しておこう」
「ご無事で」
 二人は祈祷所から出て、いつもの庄屋宅で用事を済ませ、さて次に回る榊村へ向かおうとした。
「行きますか、御奉行」
 昼はかなりすぎている。
「怖いのなら、そちは戻ってもよいぞ」
「はい」
「あんな祈祷婆の言うことを信じるのか」
「私ですか」
「そうじゃ」
「多少は」
「じゃ、戻っていい」
「はい」
 この若い方の補佐の方が迷信深いのではなく、あの祈祷師が一銭も取らなかったことが気になったのだ。
 庄屋宅で二人は別れた。
 補佐の若侍は城下近くまで戻ったのだが、やはり気になり、榊村へと向かった。
 榊村には大庄屋がいる。城のような屋敷に住んでいる。若い補佐と同じ家柄の豪族だが百姓になっている。だから顔見知り。いわば同族。
 奉行はまだ来ていないらしい。
 道筋から考えると、それなら何処かで追いついているはずだ。寄り道でもしているのかもしれないが。
 それで城下に戻ったのだが、上司はまだ戻っていない。
 翌朝登城すると、奉行は休んでいるのか、来ていない。
 何があったのかは分からないが、奉行はその後、出てこなかった。すると老婆の予言が当たっていたことになる。
 まさか予言が当たるように村のものと組んで、奉行を拐かしたわけではあるまい。
 これは神隠しとして処理された。
 やはり、村人には気をつけないといけない。
 
   了
 



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2019年11月09日

3566話 廃村を探して


 鶴田は道を違えたようなので、引き返した。よくあることだ。周囲は木々が生い茂る見通しの悪い山道。これは林道だろう。タイヤの跡が見える。その林道が迷路のように張り巡らされているのだが、新しいタイヤの跡はないようで、もう林業などしていないのかもしれない。その先に廃村があると聞いたのだが、そのためだろうか。
 林の隙間に畑跡があり、畝が崩れずに少しだけ残っている。水を引くためのパイプが割れている。
 さらに進むと納屋がある。それなら道を間違えていないのかもしれない。しかし、阿弥陀籤のような林道なので、一つ間違えると、迷うだろう。メインの道があるはずなのだが、どれがメインなのかは分からない。町から入って来たときの道は既に見失っている。いくつもの分岐点があり、阿弥陀籤を引くように左右どちらかを選んだ。似たような道なので、どちらが本道か見分けがつかなかった。
 しかし、何とか奥まで行けたのは本道だったためだろう。だが舗装が途中でなくなる。途中で工事をやめたのだろう。
 それで納屋跡を発見したので、村が近いことが分かり、ほっとした。既に村に入っているのだが、やはり農家が並んでいないと、村らしく見えない。
 納屋では人は住めない。だから農家が近くにあるはず。
 納屋跡を通過し、しばらく行くといやに道は細くなる。もう車が入れない山道。ここからは樵道だろう。こんな山中なのでハイキングコースではない。小高い山がゴロゴロ重なった場所で、登山向きではない。やはりある程度標高がないと、山登りらしくない。有名な山の方が人気がある。ああ、あの山に登ったのかと、人に言っても分かってもらいやすい。駒ヶ岳とか、鑓ヶ岳とか。富士山ならもっと分かりやすい。
 だが、地を這うような小さな山々は木々が多く、見晴らしもよくなく、また道も高いところではなく、沢伝いにあるため、山登りではなく沢歩きになる。
 背の高いササが道を覆うほどになったあたりで、やはり迷い込んだことを鶴田は知る。
 ではあの納屋は何だろう。そして畑もあった。
 要するに集落部から離れている場所にある耕地なので、農機具などをあの納屋に置いていたのだろう。それに屋根があるので、雨が降ったときも困らない。
 それで納屋まで戻る。半ば壊れているが、屋根はある。農機具らしきものもあるが、全部錆びている。
 袋から白い粉が出ている。小麦粉ではなく、石灰のようだ。
 道を違えたのは確かなので、戻ることにした。最後に選択した分岐点まで。
 そして納屋から出ようとしたとき、納屋の隅に板がある。板床のカケラではない。最初から土間の納屋だ。
 何かと思い、その板の上に乗ると、響く。
 鶴田は板の端を持ち上げると、ぎぎーと上がる。そして穴が空いている。井戸かもしれない。
 納屋の壁を見ると、縄ばしごらしきものがある。
 これは地下室。あるいは地下道への入り口ではないか。穴は地下ダンジョンに続き、廃村は嘘で、実は地下に住んでいるのだ。と、馬鹿なことを思った。
 鶴田は穴に足を入れ、そっと降り始めたが、すぐに足が付いた。暗くてよく分からないので、スマホを点けた。
 腐った野菜の欠片が残っている。ああ、冷蔵庫のようなものかと思い、がっかりした。
 再び最後の分岐点に戻り、選ばなかった方の道へと向かうが、そこも行き止まりで、やはり一寸した空間があり、何かの作業場跡のような場所。椎茸でも栽培したのか丸太がゴロゴロしている。
 そしてもう時間的にも遅いので、廃村探しはまたの機会にした。しかし、既にここが廃村跡なのだが。
 
   了
 


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2019年11月08日

3565話 ポイントカード


「カードお持ちですか」
「持ってません」
「お作りしましょうか」
「何か良いことありますか」
「ポイントが付きます」
「ほう、どのぐらい」
「一パーです」
「百円の買い物をして一円」
「一万円のお買い物で百円です」
「ここでは千円以下の買い物しかしないので」
「千円で十円です。かなりお得です」
「いや、五百円程度の買い物ばかりなので」
「五百円で五円です」
「そのカードを保管する手間があるでしょ」
「え」
「ですから、持ち歩かないといけない。ところが財布はカードでパンパンだ。これ以上入らない。ひな壇式に差し込む箇所がありますが、一つ入れるところを二つ入れる。するとどうなります」
「さあ」
「なかなか抜けない。それで爪を立てて、力を込めて抜く。その拍子で何か落ちたりします」
「はあ」
「それと私は財布は鞄の奥深くにあるファスナー付きの部屋にしまっています」
「部屋」
「ポケットです。鞄にそのまま入れますと何かの拍子で財布が飛んで出たりします。他のものを取り出すとき、引っ張られてね。それで、奥のファスナー付きの中に入れています。これなら鞄の口が開いていても落ちない。ところがです。これが手の入れにくいところにありましてね。しかもファスナーを引くにはコツがいる。まあ、引くときの方角はいいのですが、財布を戻してファスナーを閉めるとき、生地が柔らかいので、くにゃくにゃで上手くレールを走らない。一方を押さえておけばいいのですがね。だから片手では辛い」
「はあ」
「だから、そういう思いをして財布を出し、爪を立ててカードを抜いて出し、また戻す。その手間賃でポイントは帳消しだ。それが十パーなら考えますがね。十万円の買い物すれば一万円。その規模でないとね。ちなみにお金はポケットに入れています。だから現金はすぐに出せます。万札は財布ですが」
「しかし、塵も積もれば山となります。ここでそれぐらい使われるでしょ」
「使いません」
「では、ポイントなしと言うことで」
「はい」
 この会話が長かったためか、レジに行列ができていた。どの顔も爆発寸前で、あと二秒長引けば、どうなっていたか分からないだろう。
 長説明の男は、さらに続けた。
「ほら、こんなポイントのため、こんなに列ができたじゃありませんか。それに私も、こんなカードのためにこんな無駄な説明をしなければいけない。手間取るだけですな。ははは」
 たまりかねた後ろの客が男を押し出した。
 
   了



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2019年11月07日

3564話 妖怪研究への道


 ある日、妖怪博士の担当編集者が、何故妖怪の研究を始めたのかを聞いてみた。
 妖怪博士はしばらく黙っている。これは考えを纏めているところだろうか。ということはシカトした理由が最初からなかったのかもしれない。
「どうなのです博士」
「理由か。それはなあ」
 まだ、考えているようで、纏めきれないようだ。
「いないからじゃ」
「はあ」
「妖怪はいない」
「はいはい」
「だから研究する」
「分かりやすいようでいて何か妙ですが」
「妙かな」
「はい、変です」
「どうして」
「いないものを追いかけているわけでしょ。結局は見付からない」
「だからいいのじゃよ」
「そうなんですか」
「本物は最初からいない」
「いるかもしれないと思い、研究されているものと思っていましたが」
「本物というのは、そのものじゃ。掛け値なし。リアル」
「はい」
「リアルなものには妖怪性は希薄となる」
「妖怪性ですか」
「本物はきつい」
「はい」
「出るかでないか、見えるか見えないかあたりが一番美味しいのじゃ」
「それはどうしてでしょうか」
「あとは想像。これがいい」
「つまり、想像とか、空想を楽しむわけですね」
「何事も現実化すると、つまらんじゃろ。それ以上先はない。そして下手な空想よりも、もろの現実が強い。幻想を剥ぎ取られてしまう」
「そういう難しい話でしたか」
「そのてん、妖怪には現実はない。いないのだからな。だから安心じゃ」
「といっているところに本物の妖怪が現れたりしますよ」
「耳妖怪、目妖怪」
「障子に目あり壁に目ありですね」
「それらはそれぞれ妖怪だろ」
「耳付きの塗り壁のような」
「そうそう」
「障子付きの目玉親父のような」
「うむ」
「分かりました」
「何が分かった」
「いえいえ、大体了解しました。ところで、妖怪が出たのですが、どうしましょう」
「ここにか」
「違います。目撃者が現れました。顔が猿のようなやつのようです」
「猿顔の人じゃろ」
「行きませんか」
「その話は、それで終わり」
「でも猿人間ですよ。猿の惑星ですよ」
「どの顔を見ても、じっと見ていると、猿に見えてくるもの。こいつはゴリラだな、とか、こいつはチンパンジー、こいつはオランウータンか、などと、当てはまるはず」
「そうですが」
「だから猿顔など、いくらでもおるではないか。見飽きるぐらい」
「違うのもありますが」
「猿に該当しない顔かね」
「違います。ミミズの巨大ななのが、現れたのです」
「この前の雨で膨張したんだろ」
「はい」
「ある特徴を大袈裟に言う。これも妖怪化への道じゃが、もう少し風情が欲しいのう」
「目撃者は子供が多いので」
「分かった。良さそうなのがあれば、行ってみる」
「はい」
「しかしじゃ」
「はい」
「いい大人がこんなことをしていていいものだろうか」
「仕事ですから」
「そうじゃな」
 
   了




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2019年11月06日

3563話 宝刀


 村岡はいいものを持っているのだが、それは宝として取って置いた。これは切り札と言うほどではないが、守り札のようなもの。滅多に使わない。普段使うのはそれよりは劣ったもの。しかし、それでもそこそこの動きはするので、問題はないが、不満に思えることも多々ある。それで違うやり方をすることで凌いでいる。
 しかし、最初から良いものを使えば何の問題もない。むしろ出来がよすぎて困るほど。実はそれで困ったわけではないが、あまりにもよくできると使いすぎない方がいいと感じる。常にベストのためだろう。これでは息がつまる。遊びがない。
 要するに村岡は出し惜しみをしている。精鋭部隊を使わない。まあ、それを出してしまうとあとがないためもある。二軍の部隊、B級の部隊を使っている方が余裕がある。いざというとき、精鋭部隊を出せばいいのだ。しかし、いざというときを作らない方がいい。
 最初から最後までいざというときばかりの戦い方をしている場合もある。全てを出し切っても間に合わないのだ。それは最初から無茶な戦いに挑むためだろう。
 宝の持ち腐れというのもある。いいものを持っているのに出し惜しみ、使い惜しみをするタイプ。ケチなのかもしれない。こんなところで使うのがもったいないと。
 しかし村岡が持っている宝はそんな大層なものではない。どちらかというと二流三流レベルのものだと思われているが、それは外見で、実際には刀で言えば名刀。馬で言えば名馬。だが、そう見えないところがミソ。これは村岡が発見し、見出したもの。
 こういうのは知る人ぞ知る優れたものだが、優れものとしての評価はなく、またそれが優れていることを知る人も少ない。気付いていないのだ。
 だが、村岡は気付いた。
 村岡はたまにその宝刀を使う。決して宝刀には見えないのが特徴。そして、さっと引っ込める。宝刀は隠し持ったままでは駄目だし、振り回しすぎても駄目。あるタイミングのときだけ、そっと使う。
 それはどのやり方でも無理なときだけ、そのやり方をする。いつもは使わない。だから、守り札のような切り札。たまに切っているが、気付かれない。
 というような案配になることを村岡は考えたのだが、そんな宝刀など、やはり何処にもないようだ。
 神業とは神しか使えないので、人では無理だ。
 
   了

 

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2019年11月05日

3562話 ある秋の行楽


 秋晴れ、これは滅多にない。台風のシーズンだし、それが来なくても秋雨前線が居座ったりし、晴れている日が意外と少ない。雨は降らなくても曇っている日が非常に多い。その中での晴れ間が秋晴れということになる。だからこの秋晴れは貴重。
 行楽のシーズンでもある秋、いい気候になった秋。
 その日、田宮は晴れているし、休みなので、この日を逃がしては今年の秋はないものと思い、出掛けることにした。これは目的の行楽地があってのことではなく、出たいだけ。要するにお出掛け、外出。しかも遊ぶため。その遊び方はよく分からないのだが、繁華街に出て映画を見るようなことではない。やはり秋を満喫するためには野外に出ることだろう。その野外とは自然豊かな場所。公園でもいいが、それでは行った気がしない。遠くにある観光地の公園なら、行った気がする。
 紅葉にはまだ早い。しかし少し標高の高い山まで行けばそろそろ始まっているかもしれない。
 ただ、秋なので紅葉狩り、という決まりがどうも芸がない。ススキ狩りでもいい。背高泡立草狩りでもいい。戦前にはなかった風景かもしれないが。
 泡立草なので、バブル花。
 しかし、わざわざ遠出しなくても、近所の空き地へ行けば、いくらでもある。
 要するに、何処でもいいのだ、出掛けるだけで。秋の半日ほどをそういう秋晴れの下で過ごせるだけで十分。
 しかし、たったそれだけのことだが、背景が大事。全てが秋晴れの下になるのだが、その下が大事。下はどうなっているかだ。そこが古跡と新興の建て売り住宅地だと大きな差だ。趣の差。やはり少し秋の古典を踏んだような場所が好ましい。山野に入り込むのもいいが、少し遠いし、山登りはしたくない。
 そこで見付けたのが山寺。そして一寸した観光地だが、賑わってはいない。そして場所も郊外の何もないような駅からバスが出ている。少し山に入った所にあるお寺で、周囲は山と田舎っぽい村がある程度。
 バスはお寺近くの村行きがあり、通勤圏内ギリギリだが、バスの本数は少ないためか、車でないと通えないだろう。そのためか、農家が多い。建て直したのもあるが、引っ越して来て、ここで家を建てたものではない。昔から住んでいる人ばかりのはず。
 しかし、ここまでは市バスが来ている。ご苦労なことだ。有力な議員でも昔出したのだろうか。
 田宮が目を付けたのは、郊外まで足を伸ばしただけでも、もう十分だが、さらにバスでもう一押し突っ込めること。そして山寺だが谷にあり、登り道がほとんどないこと。そして紅葉の名所となっていること。だが、聞いたことのない名所。
 田宮は地図を広げ、寺までの沿道を確認する。結構山へと分け入っている。ここまで行けば自然も豊かだろう。
 市バス沿線なのだが山岳バスのように、頑張って、走らせている。地図で見ると、その山寺も、まだ市内なのだ。
 その沿道に妙見堂と聖天堂がある。市の最果ての村までのバスなので、寺とは関係はないが、そういったのがまだ他にもありそうだ。地図には載っていないが、これはハイキング地図とか、別の地図なら、スポットとして書き込まれているかもしれない。
 それで、ネットで、そのあたりの情報を見に行く。まずは市の観光ページ。これでほとんどの名所旧跡などは網羅されているのだ、妙見堂も聖天堂も載っていない。ネタとして小さすぎるためだろうか。
 それで里山歩きの好きな人が作ったホームページへ行くと、写真が大量にある。この人が散策したとき写したものだろう。
 そこに妙見堂と聖天堂が写っていた。意外と近い。
 その解説によると、ライバル同士とか。だが、いったいどんな関係で競い合っているのかは謎。その作者が勝手にそう言っているようだが、これは山寺の紅葉よりも、見応えがあるかもしれない。
 さらに山寺の奥、もう山間も深くなるところだが、蓑笠不動尊というのがある。昔話の笠地蔵が悪化したものらしい。苔むした地蔵さんだが、顔の形が崩れ、怖い顔になっているようだ。
 さらにそこから渓谷伝いに進むと別の支流が来ている沢の奥に池があり、そこに小さな弁天さんがいるとか。水弁天と言われ、半裸らしい。それが人魚のように池の中にいるとか。
 田宮はさらに調べていくうちに、もう十分そのあたりを歩いたような気になり、さて、出ようかとなったとき、少し日が陰り、雲が多くなってきたので、行く気が薄れてきた。それに調べていて時間がかなり経ったのだろう。出遅れた感じだ。
 それで、またの機会に延期することにした。
 こういう探索は、下調べなどしない方がいいのだ。
 
   了



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2019年11月04日

3561話 漫画原稿持ち込み


 かなり前の話である。古き良き時代とまでは言えないが、結構人の出入りが自由だった時代。しかし、歴史的な話ではなく、漫画の話。だから話も漫画だ。
 大都会の大手出版社に一人の薄汚い男が訪ねてきた。漫画の原稿を見せたいと。
 この出版社は漫画雑誌も出しているが、漫画の出版社ではない。
 それで、漫画のどの編集部にも手空きの人がないため、文芸系の担当者が見ることになった。こういうのは歯医者ではないが、予約制。それさえなく、漫画の原稿は懸賞へ送れとなり、さらにデータで送れとまでなりつつある。
 わざわざ編集者が、通りがかりの人と会うようなものだ。そんなことが簡単にできた時代。そのため持ち込む人の中には荒っぽい人もいる。当然有名な作家も持ち込んだりする。
 そして、それほど直接田訪ねてくる人も多いわけではないので、編集者は勉強の意味も込めて、そういった持ち込み者と面会するのも仕事の一つだと心得ていた。また、もの凄い大物になる新人が来るかもしれない。そういったことはほぼあり得ないのだが、そんな夢のあった時代。
「原稿、見せてください」
「先ほどから見せていますが」
「ああ、そうでしたか、失礼。絵コンテでしたか。かなりラフな。ネームをこれで切るわけですね。今度来られるときは完成された原稿を持ってきてくださいね」
「それが完成原稿です」
「え」
「漫画原稿です。完成したものです」
「そうでしたか。下絵にしてはペンが入っていますし、妙だと思ったのです」
「はい」
「これを見ながら、本書きするわけですね」
「いや、もうそれが本書きです」
「しかし、絵が」
「えっ」
「絵がねえ」
「絵がどうかしましたか」
「これはねえ」
「はい、なんでしょう」
「うちは商業誌なので」
「知ってます」
 編集者は絵のひどさに驚いたが、こんなものを持ち込む勇気にも驚いた。いったいどんな頭をしているのかと。
「人物の顔がコマごとに違うのですが、これは別人ですか」
「同一人物です」
「腕の関節が一つ多いのですが」
「足りなかったもので」
「こちらは左腕が非常に長いように思いますが」
「それも足りなかったので、伸ばしました」
「デッサンとかの練習は」
「デッサン」
「石膏デッサンとか」
「しません」
「絵の練習が必要なようですが」
「練習などしたこと、ありません。一円にもならないですから」
「それと、下絵はどうしました。これが下絵ではないことは判明しましたが、これを書くとき、下絵をしたでしょ」
「下絵はしません」
「じゃ、いきなりペン入れですか」
「そうです」
「どうしてです」
「折角書いても消すわけでしょ。もったない」
「どちらにしましても、絵の練習から始められた方がいいのではありませんか。上達すると思いますが」
「しますか」
「保証しませんが」
「じゃ、無駄なことはしません」
「それと、漫画原稿は所謂版下として使います。ですから、手塚先生のような大家でもない限り、こんな薄い紙に書いては駄目ですよ。それにしわくちゃになってますし。折り目が」
「チラシの裏よりもましかと」
「一応拝見しました」
「そうですか。どうでした」
「さっきから返事はしています。まだ続けますか」
「やはり、駄目ですか」
「それ以前の問題かと思われます」
「はい、参考になりました」
 編集者は漫画原稿のようなものを返す前にネームをちらりと読んでみた。
 いやにセリフやナレーションが多い。
 長い目のナレーションを読んでいるうちに、目の色が変わってきた。漫画原稿は八枚程度の短編だが、ネームだけ読み取ると、問題は何もないどころか、その文体に衝撃を受けた。
 彼は文芸部にいるだけに、絵よりも詳しい。
「少し待って頂けますか」
 持ち込みの男が帰ろうとしていたときだ。
「編集長を呼んできますので、少しお待ちを。ああああ、ここじゃなく、一緒に文芸編集部へ来てもらえませんか」
「はあ」
 この男、のち、知る人ぞ知る詩人になる。
 大きな美術館での宣伝ポスターで「絵を見た声も出ない」というのが有名なコピーで、覚えている人も多いだろう。
 というような夢のような話がありそうな時代だった。
 
   了



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2019年11月03日

3560話 引き時


 潮時は満潮よりも引き潮に使われるときが多いようだ。潮時なので、どちらかのピークか、または引き始めた頃か、満ち始めた頃の潮の変化時で使うのだが、日常会話で使われるのは潮時とは引き時が多い。引き上げ時なのだ。だから、潮が引くように身を引く。
 これが実際の砂浜なら満潮が近付くと引かないといけない。立っている場所まで海水が来るためだろう。要するに相手にとっては満ち潮。こちらにとっては引くこと。だが、引き潮のときは沖側へ少し行けるようになるので、引き潮の時がいいのだが、これは潮の引きと人の引き際の「引き」が同じなので、混同してしまう。海から見るか人から見るかによって違う。
 引き際が大事ともいう。満潮とかは月と関係しているらしいが、満月と満潮は似ているが、波は常に引いたり寄せたりしている。そのテンポは早い。しかし、海と陸との境というのは波で始終変わっている。海になったり陸になったりする。その幅は大したことはないが、大きな波が来れば陸地が減る。
 引き潮、満ち潮は自然の摂理。月がある限り、満ち引きはあるだろう。だから引き際が大事というのは、引くのもまた自然の摂理。それを無理に留まるのは不自然ということになる。何かに反しているような。
 引き際を心得るとは、どのタイミングなのかをあらかじめ決めている場合もあるが、何となく、そろそろこのあたりでまあいいかというような気持ちが動いたときだろうか。その気持ちとは勝手に動くわけがないので、何らかのきっけとなることがことがあったときだろう。
 ここを崩されると、もう終わりだ。とか、周囲を見渡し、仲間たちがみんな引いているので、そろそろ引くべきだろうとか、それは様々。
 引き際の汚い人は、全部引かないで、ある部分だけ残していたりする。どうせ引くのなら、全部引く方がいい。
 さて、引き際を心得た人が、綺麗さっぱり引いてしまったそのあとはどうなるのだろう。
 これは一線を引いて二線になるというのもある。第一線から引いて、少し後ろに下がるという程度だ。
 引き時というのはその前にその前兆が何度か見えるのかもしれない。
 引けば楽になることもあり、それならもっと早く引くべきだったと思ったりする。
 これは年を経た人の話ではなく、若いときでもそうだ。前へ進むのも早いが、下がるのも早い。まさに波打ち際で波と戯れているようなもの。
 また、引き時というのは様々なシーンであり、行くべきか引くべきかと迷うこともあるはず。だが、先はなく、引くしかない場合は、話は簡単だ。
 人は個人個人世界を持っており、人の数だけ空があるとも言われている。だから、その世界が変わるのは、一寸気になる話になる。
 だが、個人の持っている世界も、決して一つではない。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 11:55| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする