2019年07月11日

3445話 原点に戻れ


 日常化したもの、最近やっていること、いつも通りのやり方、等々形ができてしまったものがある。いつの間にかそうなっていたことも多い。不都合があり、それを治しているうちにできてしまったスタイルとか、今では型にはまり、パターン化したもの。
 そういうのも日々の中で徐々に変化し、または古くなってくると、新しいものに置き換えられる。特に意識しなくても、十年前買った家電が故障したので、新しいのを買いに行くと、もうそんな十年前と同じようなものはなく、今風なものに変わっている。最初は戸惑うが、そのうち慣れてくる。
 だから十年、二十年年前のスタイルとは違っている。そして原点。
 原点に戻れというところの原点。これは何処にあるのだろうか。過去の何処かの時期にあるはずだが、うんと遡れば赤ん坊になってしまう。
 これはスタイルのスタイルが決まりだした頃から固まっていくのだろう。そして、何かの原点とは、そのきっかけとなった時期だろう。そのときのスタイル。それを原点と呼ぶなら、ほとんどのことはその原点から離れてしまっており、違うものに変化していたりする。先ほどの家電と同じだ。ただ、自分のスタイルに近いものを選ぶはずだが。
 つまり原点は移動する。それでは原点とは呼べないのだが、意味として、架空の原点のようなものが抽象化されて存在するのだろう。ないのだが、ある。幻の原点だ。
 そして、本当の原点はそれほど遠くはない。うんと昔ではなく、つい最近だろう。つまりこの前まで使っていたものとか、やり方とか、スタイルとか、そういったものだ。それは本来の原点から見ると子孫だろう。その最先端が今なのだが、これは変化していく。過去は変えようがないが、ここは変わる。また変えざるを得なかったりする。自分は変えたくなくても、時代が変えることを強制したりする。
 だから原点はついこの前まで日常的にやっていたことと考えれば、これは原点というような大層なものではなくなる。
 しかし、原点に戻るよりも、その最近の、少し以前には戻りやすい。つい先月とか、去年の今頃とか、そのあたりの距離なら、見えている。そして具体的だ。
 だから原点は比較的新しい。それを原点と言えるのは定着していたためだろう。いつもの物とか、いつものやり方とか、そういうパターンが出来上がっている。この少し前にある原点なら分かりやすい。
 原点に戻れとは、新たなものをやろとして失敗したときに多く使う。新たなものがいずれ原点のようなものになるとしても、それがなかなかパターン化しなく、また馴染みにくかったり、または間違っている可能性がある。だから一つ前に戻れ、上手くいっていた頃に戻れ程度の原点の使い方のほうがいい。
 原点の子孫達が、原点を塗り替えていく。そして本当の原点は、今では通じないような原点になっている。時が流れ、周辺も変わり、また本人も変わるためだろう。
 その意味で、ありもしない原点復帰など、リアリティーがなく、夢を見るようなものだ。
 遠い原点には戻れない。だから敢えて、そこへ戻れと願うのだろう。
 
   了

 


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2019年07月10日

3444話 不戦の人


 芝垣は勝つ戦いしかしないので、これまで戦ったことがない。いずれも負けそうなので。
 不戦不敗とはいうものの、戦わないこと即負けになることが多い。だから不戦不敗ではない。戦わないと負ける。ただ、戦ったときよりも負け方が楽。
 負ける戦いはしないが、勝つ戦いもできない。勝てそうな戦いがないためだ。戦いというのは勝てばいいわけではない。そのあとだ。勝つことで獲得できることがある。そこに魅力があるので戦うわけだ。戦うために戦うわけではない。
 それで勝てそうな戦いも今まであったのだが、勝っても益するところが少ない。ない場合もあるし、逆に負担になったりする。それなら戦わないほうがまし。勝てるが戦わない。
 勝っていいことがある戦いはいくらでもあるが、その中で勝てそうなものはほとんどない。だから戦えない。
 勝率が五分とのときは戦わない。五分五分、互角なら大したものだが、勝つ保証はない。
 勝つか負けるかの予測は芝垣が決める。これはかなり控え目で、五分以上の勝算でも、五分と見なしてしまう。だからこれは勝てる戦いだったことになるが、僅かに強い程度では危ない。余裕がない。
 勝負はやってみないと分からない。勝てるはずの敵にも負けるし、勝てない相手に勝ったりもする。芝垣もそれは分かっている。しかし博打はしたくない。
 不戦の人として芝垣は有名だが、実際には勝てないためだ。また勝てると踏んで戦わないため。そのため、戦いを避けているわけではない。勝負するだけの自信がないためだろう。
 それで、臆病者としても有名になる。戦わない争わないは臆病から来ているのだが、それは芝垣も自覚している。
 どうしても戦わなくてはいけない状況に陥ったとき、真っ先に降参する。これは素早い。意地も根性もない。降参が許されない場合は、逃げるしかない。
 こういう人が凄い人になれるわけがない。ましてや人の上に立てるような。
 しかし、何処をどう間違ったのか、不戦を続けたり、降参したり、逃げたりしていたので生き残った。
 そしてかなり高い地位に就いた。
 実力はなく、臆病なだけの人なのだが、不思議な話だ。
 
   了
 


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2019年07月09日

3443話 籠城


「道はあるのか」
「怖いのは味方だ。敵はそこまで近付いていない」
 昨夜、籠城と決まることが分かった。打って出るだけの兵はあるが、立て籠もることにした。援軍は来ない。周辺の城は落とされている。本城だけとなり、敵の大軍を野戦で迎えるには厳しい。
 籠城即城を枕に討ち死に。粘っても数ヶ月持たないだろう。兵糧も、そのあたりで尽きる。
 それが決まる前に、籠城となることが既に分かっていた。おそらくそうだろうということは考えなくても分かる。
「道はできておるのか」
「何度も聞くな。手はずはできておる」
「怖いのは味方だといったな」
「抜け出すのだからな」
「うむ」
「今なら籠城は決定していない。だから抜けやすい」
「こんなところで、死ぬのは嫌だからな」
「ああ、落ちよといってくれないだろう。そんな主君じゃない」
「残る者だけは残り、とかいってくれれば助かるのに」
「そうだな。命は惜しい。忠義よりもな」
「そうとも。しかし何処から出る」
「敵に包囲されているわけではないが、早いほうがいい。もうそこまで来ておるだろ。そうなると包囲され、逃げにくい」
「早いほうがいい」
「荷物を纏めたか」
「ああ」
「二十人は欲しい」
「それ以上いる」
「じゃ、それで周辺の見回りということで城外に出ることができる。一人でこっそりと出るから怪しまれるんだ」
 この脱出組は全て足軽。ただの槍組の歩兵。
 数カ所ある門の中で、裏口からこっそりではなく、正面にでんとある大手門から抜け出した。一人は馬に乗り、組頭の扮装をした。足軽二十を引き連れて周辺を守るためだ。
 籠城とはいえ、城内に立て籠もっているわけではない。城内近くの道や要所に柵や関所を設け、人の出入りを監視している。そこで戦うのではないためか、兵は少ない。これは城内に侵入する間者を警戒する程度なので。
 それらは外から来る。しかし、脱出組は内から来る。当然顔見知りの同僚達だ。怪しまれるわけがないが、この時期なので、脱走兵と間違われる可能性も否定できない。
 城門を出てすぐのところに柵があり、雑兵が数人いる。士分はいない。
「植田八右衛門以下槍隊通る」
 そんな侍はいないが、雑兵たちもそこまで調べない。ただ、一人、知っている者がいた。
「あ」
「弥二郎か」
「見逃せ」
「わしらも寄せろ」
 雑兵しかいないので、話は早い。
 彼らもその気だったのだ。
 最後の会議が城内大広間で行われたが、その時既に家来は三分の一まで減っていた。
 籠城の噂を聞いた士分達も、足軽雑兵と同じように逃げ出していたのだ。
「まあ、よい。兵糧に余裕ができる。より長く持ちこたえられるじゃろ。当家の意地を示し、その武者振りを示してくれよう」
 これで正式に籠城と決まった。
 籠城のための準備中、一人二人と、出ていく者がおり、重臣などは大隊を組んで堂々と逃げ出した。
 先に一番最初に逃げ出した与次郎以下二十の足軽隊は、後方に異変を感じた。土煙や馬のいななき、荷駄の音までする。
「なんじゃあれは」
 旗指物も馬印もない武者が近付いて来る。
「味方じゃ」
「さては追っ手」
 しかし、同じ脱出組だとすぐに分かり、そこで合流する。
 そのとき、前方に敵が現れた。到着した一隊が陣張りでもしているのだろうか。
 しかし、弥三郎達を見て、城からの襲撃と思い、鉄砲を撃ちかけてきたが、遠すぎて、届かない。急なことで慌てたのだろう。
 弾の装填までの間を狙って弥二郎の槍隊が突撃し、その後ろからおびただしい数の脱出組の兵が続いた。
 結果的には城から打って出たことになる。
 寄せ手も籠城だと思い切っていたので、これには驚いた。
 そして、そのまま敵の本体に突っ込んだ。敵はまだ長蛇の列のまま、陣形など組んでいない。
 そこに向かい突撃したので、敵は道を開けた。
 しかし脱出組の兵は戦わないで、ただひたすら走り抜けた。
 もしこのとき、本気で戦えば、敵にかなりの損害を与えていただろう。もしかすると勝っていたかもしれない。
 城内でその報を聞いた籠城組の重臣達は、惜しいと一声発した。
 
   了
 


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2019年07月08日

3442話 遊軍が立ち寄った村


 榊原の大軍は敵側面を襲うため大きく迂回していた。遊撃隊のような振る舞いだが、実はこれが本軍であり、主力。榊原家の馬印が見えるので、それと分かる。まさに堂々とした遊軍だ。別に遊んでいるわけではない。
 榊原家は大きく、正面から本街道を進む隊も規模は大きい。これは見せかけの主力ではなく、本物なので、こちらのほうが実は兵は多い。主力なのだから当然だろう。
 だが、当主は遊軍の中にいる。側面を突くという作戦を見たかったのだろう。
 ところが迂回しすぎたのか、榊原領を当然出ているが、敵の領内ではない。目前の敵ではなく、この辺りを勢力下に治めている下沢領。こことは敵でもなければ味方でもない。それほど大きな勢力ではない。下沢という勢力があることは知っていたが、何処から何処までが下沢領なのかは実際には分からない。はっきりとした国境がなく、出城も砦もない。
 榊原家とも隣接しているが、その中間は緩衝地帯のような荒れ地があり、そこには村も何もない。だから隣接しているといっても、境が曖昧なので、榊原領内にも出城はない。警戒する必要がないためだ。
 さて、その下沢領の中に入り込んだことを側近が知らせるが、下沢の兵が出てきたわけではない。小さな村があり、普段通りの暮らしをしている。ここは下沢領に属する村なのだが、それも曖昧。下沢家そのものが榊原家のような領主とは少し違うのだ。だから領主と領民という関係が希薄なのが下沢家の特徴。
 また、下沢家の勢力圏内にあっても、独立してる村がいくつもある。年貢を払っていないのだ。
 ある意味、この下沢領は平和なのだ。戦いが少ない。領内での争いはあるが、村と村の争い程度。下沢家が仲裁に入る程度だが、村同士が解決していることも多い。問題は外からの攻撃。そのときばかりは下沢家が兵を集め、外敵から村々を守るのだが、一番隣接しているのは榊原家で、下沢領には興味がないようで、侵略しに来ない。山岳部の中の村々など治めるのが大変ということもあるし、奪い取るほどの場所でもない。これが今後戦略上重要な軍事拠点になるのなら別だが、下沢の山々の向こう側はさらに山々が連なる。そんな奥へ進んでも仕方がない。
「どう致しますか殿」
「知らずと入り込んだ」
 しかし下沢領に大軍で入り込んだことにはかわりはない。村人も驚き、すぐに下沢家の館へ人を送った。
「丁度よい、休憩致そう。馬も水が欲しいじゃろ」
 殿様と旗本の一部だけが一番大きな農家で休んでいると、すぐに使いの老武者が来た。鎧は着けてない。
「えーと、どなた様でしたかなあ」
 取り巻きに、それとなく聞くと、お隣の榊原の殿様らしい。しかもおびただしい大軍。だが、攻めてきたとは考えない。そんなことは一度もないためだ。
「用はない。休憩で寄った。領内を通るが、いいかな」
「ああ、戦でござりましたか、前田殿ですかな、敵は」
「ああ、宿敵なのでな」
「それはそれは」
 下沢の老武者は村人に命じ、行く先々の村々に、お通りじゃということを伝えに行かせた。
 前田家との戦いは、この遊軍が横から突いたため、大勝利を収めた。
 この榊原の若き領主は、その後領土を広げ、大大名になるのだが、本領のすぐ近くにある、あの下沢領のことなど、すっかり忘れていたのだが、ある日、遊軍で立ち寄ったときを懐かしがり、下沢領は今どうなっておるのかと聞いた。
 すると、相変わらずあの一帯は下沢家が押さえているとのこと。もう数十年経つのだが、相変わらずらしい。
 秀吉が天下を統一し、家康が幕府を開いたあとは、この下村領は榊原家の藩領に組み込まれたが、相変わらず下村家に任せたままのようだ。
 
   了

 

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2019年07月07日

3441話 再開


 最下層に落ちたが、再開することにしたようだ。「辞めるのではないのですか」
「休んでいただけ。死んだふりをしていただけ。そういう虫がいるだろ」
「でも、再開しても、無駄ですよ」
「休憩している間、いろいろ考えたのだがね。他にすることがない。思い付かない。それで、再開することにした」
「それは結構ですが、先が」
「いや、この最下層の下はない」
「はあ」
「これ以上落ちない。不動の安定した層なんだ」
「そうなんですか」
「意外とこれがいい。安心だ」
「いやいや、この層にいることが問題なんですよ。安心どころから一番駄目な層なんですから」
「そうとも言えるが、考え方次第」
「低い層でもかまいませんが、以前のように、その中でも中頃にいました。中層や高層は無理でしたが、下層の中程。これはやっていける層です。そこから落ちると、もう成り立ちにいくどころか、成立しません」
「あ、そう」
「だから辞めていたのでしょ」
「いや、休憩だ」
「休憩中、何を考えていたのですか」
「再開についてだ」
「ここまで落ちると、もう諦めなさいということです」
「通常はね。しかし、発想の逆転だ」
「ただの無能です。無茶です。発想にも当たりません」
「まあ、そういいなさんな、他にすることもないでしょ。君も暇でしょ」
「まあ、そうですが」
「だったら、何かをやっていたほうがいい。それで再開に踏み切った」
「あのう」
「何かね」
「最下層にいることそのことが恥なんです」
「あ、そう」
「いたたまれませんよ。だから辞められたのでしょ」
「休んでいただけ」
「いや、やはりショックで、倒れていたようなものですよ。休憩じゃなく」
「まあ、そうなんだがね」
「じゃ、どういう了見なのです」
「いや、最下層がいいような」
「よくありません」
「今後は上を目指さない」
「あのう、この最下層は、上にいくためにあるのです。ここはとどまる場所じゃありません」
「いいじゃないか。この最下層を堅持し、ここを拠点にする」
「何か悪い本、読みましたか」
「読んでいない」
「知恵を絞りましたか」
「絞った」
「愚です。再開するのは」
「誰も選ばない」
「当然です」
「そこが盲点なんだ」
「はあ」
「最下層で花を咲かせる」
「陽が当たりませんから、咲くでしょうかねえ」
「日影の花というのもある。直射日光に当たらなくても間接光が来ている」
「はい、そこまで言われるのなら、やりましょう」
「よし、やろう」
 
   了


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2019年07月06日

3440話 大海を知らず


 梅雨でジメジメし、身体も湿りがちで、気圧の低さのためか、ぐっと身体も重く、呼吸も息苦しい。まるで喉が細くなったような。
 こういうとき、ガクッと体調を崩し、思わぬ病を得るかもしれない。ただ、岸和田の場合、常に体調が悪いためか、それが日常になっている。今まで元気だったのにガクッと、いうわけではなく、今までも元気がないので、目立たない。
 しかし、この期間、岸和田は意外と好きなようだ。雨が好きというわけではないが、この湿気が潤滑油になるらしい。まるで雨にオイルが混ざっているわけではないが、動きがスムーズになる。これは特殊体質だろうか。亀などはのろいので有名だが、水を得るとものすごく素早い。浅瀬の底を泥煙を立てて走る姿をウサギに見せたいところ。当然泳ぎも早い。まるで潜水艦。
 岸和田は両生類ではないが、顔が亀と蛙の間に似ている。どちらも水中移動に対応しているのだろう。
 梅雨時で体調が悪いのだが、この悪さは岸和田にはいいようで、その理屈が分からない。悪いのにいい。
 体調が悪いとテンションが下がり、何もしたくなくなる。何をしても元気がない。覇気がない。これがいいのだ。つまり落ち着く。
 クールダウンしすぎているのだが、冷静な判断ができるようで、低回転を保っての動きは意外と活発で、シャープ。
 しかし、身体は重く、気も重い。重いなりにもスムーズ。ここが妙なところだ。かなり矛盾しており、物理法則にも精神法則にも反する。
 亀は掴み所があるが、蛙は何処を握ればいいのか迷うところ。亀の甲羅は触りやすいが、ぬるっとした蛙は何処を触っても気持ちが悪い。蛙は脇の箇所を握るのがいいようだ。
 だから岸和田も掴みどころがないようでも、実際にはある。ただ掴んでもそれほど気持ちのいいものではない。亀の方がましだが。
 ただ、それらは個人内での話で、その外に出るような展開はない。そしてこの個性も世間では通じない。特技であったとしても、それだけのことで、それによって何か大きな仕事をするわけではないし、人から喜ばれるわけでも、大きな人間にもならない。世の中の片隅でギリギリ生きている程度。
 井の中の蛙大海を知らず、とあるが別に知らなくてもいいだろう。
 
   了






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2019年07月05日

3439話 八百万の神々


 捨てる神あらば拾う神あり。神は人を捨てることもあるのだろう。神は我らを見放した、などもある。拾う神は分かる。誰からも見向きもされない人をそっと神が拾ってくれる。その人を救ってくれる。
 人から見ると、人が捨てる神もあるし、人が拾う神もある。どちらにしても神を捨てたりすればバチが当たるだろう。ただ、日本の神は数が多く、そのキャラ性は多彩。悪い神もおれば、貧乏臭い神もいる。人のタイプほど、また災害タイプ分の神もいるはず。
 つまり人と自然のタイプ別に、ほぼ網羅するほど取りそろっている。
 だから捨てる神、人を見捨てる神がいてもおかしくはない。そしてこのときの神は人だろう。捨てる人もいるが、拾ってくれる人もいる。
 捨てられて困っているとき神が現れる。捨てられていないときはその神も現れないかもしれない。その組み合わせ、偶然性が神秘的で、神がかっている。何という絶妙のタイミングかと。
 人の動きや自然界の動き、それを神という名で語っているのだろうか。
 絶妙のタイミングは、神業と呼ばれている。また飛び抜けていいものとかも。人の技とは思えないほど抜け出ているためだ。まあ、人は人なので、その範囲内の話だが。物や機械も、物理的な、その範囲内の違いで、神秘的な力が加わっているわけではない。
 あるとすれば、タイミングだろう。そしてその多くは偶然。神を見るとすれば、そこだろう。
 するとこれは宗教とは違ってくる。万物に神が宿るとなると、ベタベタになる。もう神だらけで、そこまで多いと、神が神でなくなるほど薄いものになる。
 たとえば一発技の神とか。あるポイントだけに表れる神とか。こちらは専門職で、しかもピンポイントだと、そのことしか知らない神だ。その神と出合える人など限られており、一生出合わないほうが多い。
 
   了

 

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2019年07月04日

3438話 メインなき戦い


 もう、どうでもよくなかったことに対し、坂上は元気になる。これはプレッシャーが解けたためだろうか。メインとしてやっているような大事なことは慎重になる。
 しかしメインから外れ、もうしなくてもいいようなものには遊びが生まれる。少し外れても、はみ出しても支障が無いためだ。ほとんど意味がない。本来なら余計なことをまだしているようなものだが、そのやり方が楽になったので、やり方を楽しんでいるようなもの。それが楽しいかどうかは分からないが、メインの事柄ほどには神経を使わなくてもいい。
 だが、最初からもうどうでもいいことではなく、大事なことだった。メインだった頃は真剣に真摯な態度で臨んでいた。これが実はいけなかったのだろう。真面目な態度はいいのだが、それで固くなり、結構保守的になっていた。下手なことをすると失敗するため。失敗するとあとがしんどくなるし、影響も大きい。失敗は成功のもとにはならないで、失敗のもとを作るようなもの。
 ただ、もうどうでもいい事になってしまうと、失敗も成功もない。当然上手くいった方がいいのだが、失敗しても気にならないメリットのほうが大きい。
 失敗がメリットになるのではない。失敗はあくまでも失敗だが、笑って済ませたりできるし、深い傷にはならない。
 それで坂上はこれを活かせないものかと考えた。この方法が楽でいいし、簡単にできる。むしろ坂上らしさが一番発揮できる。いい面が引き出せる。つまり自由に泳がしているほうが坂上には合っているのだ。
 それを活かせないものか。と、考えるが、大事なことでそれを活かすには危険だ。やはり下手なことはできない。
 ということは上手くこなそうとばかり思っていたのだろう。メインなら当然。それが本筋で、遊びではないのだから。
 メイン替え、本流替えをしたのだが、以前、メインで、しかも今はもうどうでもよくなったことだが、そちらをやるときの快適さ、気持ちよさのようなものを、今のメインでも活かせれば、これほどいいことはない。そうなると、このメインも、もうどうでもいいことにしてしまうしかない。
 しかし、そんな発想方法を変えなくても、既にこのメインも怪しいものになりだし、どうでもいいことになる可能性も出てきている。どうせ上手くいかないだろうと、何となく分かるため。
 そう思うと、それほど頑張って大事にやる必要がない。逆に滑稽だ。
 メインを取り外す。メインなき戦い。
 しかし、坂上の場合、そんなことを考えなくても、既にそれをやり続けているように思われた。
 
   了




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2019年07月03日

3437話 絵になる男


 見かけない男が居酒屋の片隅や、安っぽいバーで飲んでいる。男から見ると見知らぬ町でただ一人。それが板に付いたように見事に似合っている。最初から内装の一部のように。
 その男、黒田はそんなことを思い出していた。以前の話だ。そんなこともあった程度。
 見知らぬ町で一人たたづむ男。
 もう黒田はそんなことはしなくなった。これだけ絵になる男なのだが、用事がなくなったため。そのため、わざわざそれだけをやりに見知らぬ町へ出掛けるようなこともない。これはついでだったのだ。
 出張で全国至る所に行かされたことがあり、これがいやでいやで仕方がなかった。しかしいい時代で出張費は出るし、経費を浮かせば毎晩飲んで過ごせる。給料もよかった。
 いま、それをやりたくても、なかなかできるものではない。逆に黒田は出不精で、誘われなければ旅行に出ることはない。仕事で行ったときのついでなのでできたこと。しかし素性を隠し、まるで旅の人、さすらい人のような振る舞い方で通した。
 実態は地方回りの営業マン。しかし、年中旅して回ることには変わりないが、真面目な勤め人だったのだ。
 しかし、あの頃、いやいやながら行かされていた地方都市の数々を思い出すと、一番よかった時代ではないかと回想の中で酔いしれている。
 特にドラマがあったわけでもない。しかし、それを知らない人達にとり、謎の人物で、普通の人ではなく、何か特別な人だと思われていたようだ。しかし一見さんに近く、仕事が終われば、もう二度とその町に姿を現すことはない。
 黒田はあの頃のように、また地方都市の繁華街の夜をウロウロしてみたいとは思うものの、それだけを目的で出掛けるわけにはいかない。
 そして、もう年をとりすぎていた。出掛けるだけでも大層で、ほんの数キロ周辺の町内が、いまの行動範囲。あれほど旅慣れ、絵になる男だったのだが、いまはその面影もない。
 
   了
 


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2019年07月02日

3436話 墓守


 もう注目されにくくなったもの、ピークを過ぎたもの、人気がなくなったものは、元気がない。人気とは人の気、気を引かなくなったもの。しかし人気はなくても、それなりに続いていたりする。
「もう誰も気にも掛けず、気にも留めていないから安心だよ」
「何が安心なのですか」
「だから、気を遣わずできる」
「そうはいきませんよ」
「いやいや、誰も見ていないのと同じなんだから」
「誰かが見てますよ」
「誰が」
「さあ、絶無じゃないでしょ。少し衰えただけです」
「かなりだよ」
「そうですねえ」
「だから、もう適当でいいんだ。あまり熱心にやる必要はない」
「そうもいきませんよ」
「まあ、そこは適当にやってくれ、もう相手にされないんだから」
「ですから、数は減りましたが、見ている人は結構います」
「多いかね」
「少ないです」
「その程度なら、もうこちらも相手にせずともよい」
「でも厳しい目で」
「誰だ、それは」
「分かりません」
「不特定多数の中の誰かだろ。それは幽霊のようなもの。そんな亡霊に恐れる必要はない」
「そうですねえ」
「しかし、やめてはいけない」
「はい、続けます」
「続いているだけでいいんだ。やめていないだけでいいんだ」
「それって、最低レベルですねえ」
「廃れていくものはそんなものだ」
「また、盛り返すかもしれませんよ」
「そのパターンはここではない。一度落ちると駄目なんだ。そのまま世の中から忘れ去れていく。例外なんて何一つない」
「厳しいですねえ」
「だから、こちらも力を入れていない。スタッフも減らしたしね。残っているのは君一人だ」
「責任を感じています」
「いや、感じる必要はない。何とか続けていけばいいだけで、成果など期待していない。それに一人じゃできることも限られるだろ」
「はい」
「本当はやめた方がいいんだがね」
「じゃ、やめますか」
「君はどっちがいい」
「続けた方がいいです」
「そうか」
「一人だと気楽ですし」
「気楽か」
「はい、楽です」
「まあ、考えてみればいいポジションだよね」
「そうです」
「君がやめると、他にやる人はいないからね。人気が無いんだ。誰もそんな墓守のような仕事、したくないからね」
「はい」
 
   了



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