2020年07月29日

3826話 会長の朝会


 会長の朝会は今始まったことではなく、江戸時代から続いている。社長を退き、会長になったのだが、今は名誉会長。しかし、その人脈は生きており、力も衰えていない。これは権力という力だ。腕の筋肉とかは関係しない。足などは細いが、邸内をよく散歩する。築山があり、そこを毎日上り下りしている。たまには邸内を出て、そのあたりを歩いている。ただの老いぼれにしか見えない服装で。
 この会長の朝会は伝統があり、もう何代、何百年も続いている。江戸の初めの頃、その藩の家老職だった人が始めた。朝に必ず人を呼んでいた。これは招待だ。夜の商工会議所ではなく、朝の会議所だ。朝会の走りだ。その中には町人や女性も混ざっていた。
 その朝会が綿々と続いているのだが、今は会費がいる。食事代。それがべらぼうに高い。そんな朝定食など、一流料亭でもないだろう。だが、料亭が朝から開いているかどうかは分からないが。
 招待ではなく、会費を払えば誰でも参加できる。社員以外の取引先や、その他様々な人達が参加している。しかし十人ほどで、それ以上多いと別間になる。まるで料亭のような屋敷だ。しかし武家屋敷が料亭になったりするので、その逆だろう。ただ、会長邸は武家屋敷ではない。
「あまり効果はありませんなあ」
 会長邸へ向かう道で、二人の客が話している。
「私は毎朝通っていたこともありますよ。まあ会社の経費で。しかし、効果がないので、最近は月一です」
「僕は自腹を切って月一です」
「高い朝飯代だ」
「そんなもの朝飯前です」
「そんな洒落を会長の前でいうと、とんでもないことになりますよ」
「そうでしたね」
「黙って、静かに食べている人が好きなようです」
「それと会長の話なんですがね。あれは何とかしてほしいです」
「いや、落語と同じで、毎回語り方が違いますよ」
「そうでしたか」
 この会長、特に大活躍したわけではないので、武勇伝もないし、伝説もない。非常に地味な話が多い。一応教訓らしきものはあるが、それがコロコロを変わったりする。そのあたりも聞き所なのだ。
 頻繁に通っているのは取引先の人達。社員もたまに顔を出すが、高いので、何ともならないので、一度か二度顔を出す程度。
 この二人、高田と岩下だが、これを最後に来なくなった。効果がないためだ。
 この朝会、実際に仕切っているのは奥さんで、小遣い銭にしていた。
 そして出席簿を持っている。それをたまに会長に見せる。
 出席簿とは、朝会に来た人の名簿のようなもの。
「高田と岩下が最近来ないねえ」
「はい」
「米山はよく来ているねえ。顔を覚えたよ。最近来る回数も増えている。ふむふむ」
 会長のふむふむにはどういう意味があるのだろう。そして効果を発揮するのだろうか。
 
   了



posted by 川崎ゆきお at 12:04| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月28日

3825話 恐怖小説家と幽霊画家


 馬が合うとは乗りやすいのか、乗せやすいのかは分からないが、人と人の関係でも、馬が合うタイプがある。ここに登場する小説家と画家もその関係で、長く付き合っている。互いにジャンルが違うためか、踏み込みすぎた関係にならないためだろう。小説に関して小説家よりも詳しい画家もいるし、画家よりも詳しい小説家もいるが、この二人はそんな関係ではなく、もっと単純なもの。目指しているのは似ていても手段が違うと、また違うのだろう。だからライバル関係ではない。
 しかし、目指すものが似ているのは、扱っているものが似ているため。ホラー小説と幻想画。確かに似ているが、もう一歩踏み込むと、ホラーだが、怪奇小説、恐怖小説という、もう一段狭いところにいる。そして幻想画家も、幽霊画のようなものを書いているのだ。この一段の踏み込みは貴重だろう。そういった二人が偶然知り合ったのは奇跡のようなもの。ただの小説家と画家ではない。
「どうもいけないなあ」
「またですか」
「幽霊を書いていたのだけど、怖くなって。捨てた」
「またですね。僕も、少し怖い話を書いたのですが、保存するとき、キャンセルしてしまったのです。保存したはずなのですが、違うところを押していたんでしょうねえ。自動バックアップは外していましたから、痕跡は何も残りません。残念です。しかし、非常に怖い話でした。もう一度書く気はありません。短い話ですが、同じことをまた書く気がねえ」
「私もそうです。途中で破り捨てて、ゴミ箱です。あとでもったいことをした。惜しいことをしたと思い、もう一度書こうとしましたが、また怖くなってきて」
「何でしょうねえ。僕は一度じゃなく、何度もあります。またか、という感じで」
「私もそうです。若い頃から」
 二人は既に四十代に差し掛かっている。
「私が思うには、やはりこれは作為がある。止められているんです。何かが止めに入っているのです」
「僕もそうだと思います。若い頃など下書きのノートが消えていました。ノートを落としたんじゃありません。メモのようなものをノートに挟んでました。数枚です。手書きでも、ワープロを使っても、パソコンを使っても、似たようなことが起こるのです。ファイルが消えたとか、間違って削除したとか。いずれもその気はまったくありません。これも止められているんでしょうねえ。妨害です」
「私は若い頃、書きかけの恐怖画を汚してしまいました。醤油が付きましたねえ。取れません。書き直さないと。何故そんなところに醤油が、という感じなんですが、イーゼルの前で餃子を食べていたのです。タレがないので、醤油を付けようとして、醤油瓶を掴み損ねたはずみに」
「やはり、書かせないようにしているのですね」
「そうです。仕上がれば傑作です。幻想画というより、恐怖画です。それには幽霊は出てきませんでしたがね。まだ中途なんですが、幽霊がいそうな絵なんです。だから、傑作です」
「はいはい」
「その後、本当の幽霊を書いたのです。幽霊画です。もろです。その絵があまりにも怖くて、その続きを書けませんでした。もし書き上げておれば、傑作です」
「僕も似たようなことが幾度もありましたよ。こんな怖い小説は初めてだというようなときに限って、止めが入るのです。書かさないような」
「やはり、何かが止めているんでしょうねえ」
「そうだと思います」
「私は若い頃に書いた絵が世に出ていれば、もっと有名になれたはずです」
「僕もそうです。あのとき、メモを落とさなければ傑作ができていたはず。しかし落としたため、もう書く勢いが消えました」
「水を差された感じですねえ。やはり止めが入った」
「そうですそうです」
 二人は年齢的には脂の乗りかかる頃で一番いい仕事をする年代なのだが、鳴かず飛ばずのままでいる。
 止めに入るものさえいなければ、というのが二人の共通点で、これが絆になっている。
 それで、その日も、大いに盛り上がった。
 
   了



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2020年07月27日

3824話 価値の病


 佐竹は求めていたものを得たので満足した。その満足感とは、すっきりとしたことだろう。滞っていたものが、スーと通ったような感じ。便秘ではないが、出たときは気持ちがいい。張っていた腹がすっきりする。出すものは出した方がいい。
 さて、佐竹の求めているものは、実はそれではないが、それに近い。おそらくその延長線上にあるものだが、行き過ぎると、また違ってくる。最終地点があり、またこれが究極だと思われるものは、意外と満足感はなかったりする。そして案外ありふれたもので、普通のものがよかったりする。
 佐竹が求めているのは、微妙なチューニングだ。中間だろうか。間。これとそれの間ぐらい、というのがいい。だからゴールになるようなところは、その中間ではない。終着駅のため、先がもうない。
 その終着駅に来てしまうと、あとがない。戻るしかない。それでは不満だ。
 佐竹が求めているものは、この世にはないのかもしれない。それは幻想のようなもので、現実とは少し違う。求めているのが現実ではなく、幻想的なものだとすれば、これは際限がない。それだけに広い。
 それだけではなく、初期の頃に求めていたものが変化し出す。気付かなかったものを見出すため。これは新たな価値だ。最初はなかったのだから。この価値というのは佐竹だけの価値かもしれない。誰でもそういった自分だけの宝物のようなものを持っている。
 佐竹は満足を得たのだが、次は何処へ行こうかと探している。大凡のことは分かっている。ただ、満足を得られるだろうと予測できるものは逆に怖い。この怖さは裏切られたときの残念さだ。期待が大きいほど、それがある。
 だから本命というのは怖い。
 よくある価値、最初はそれに引っ張られるのだが、徐々に佐竹が見出した価値も加わる。
 価値を見出す。これが実は本命なのかもしれない。
「間に何かあるんだ」
「間」
「中間」
「それはきりがないでしょ。間の間の間の間と」
「そうなんだ。一本道の先より濃い」
「一本道には終わりがあるからね」
「やり過ぎても駄目だし、足りなかっても駄目」
「中間は難しいよ」
「そうなんだ。それに気付いたんだ」
「中途半端というのもあるでしょ」
「ある」
「それについては、どう思う」
「最近そういうのに興味がいくようになった。中途半端さ加減が好ましいと」
「ほう、見出したね」
「半端なほど伸び代があるし、位置が微妙」
「絶妙というやつだね」
「そうなんだ」
「徹したものより、いいと」
「徹したものは厳しい。しんどそうだ」
「中途半端はいけないんじゃない」
「いや、中途にもよるし、半端にもよる。いいタイミングで決まれば、絶妙となる」
「それで、佐竹君は何をしているんだった」
「何もしていないけど、色々と見ている」
「あ、そう。じゃ、観察眼が上がったんだ」
「色々とね」
「まあ、価値の病というのがあって、それにかかると当分飽きないので、いいよ」
「そうだね」
 
   了



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2020年07月26日

3823話 杉田の顔色


 杉田という青年は仲間から一目置かれている。少し風変わりだが大人しい。自分から話すようなことは滅多にない。必要最低限のことは、自分から話すが、これは訊ねる程度。聞かないと用が果たせないときでも黙っている方がおかしい。当然そういう人は仲間もいないだろう。杉田も実際には仲間のいないタイプに属している。これが杉田の特長で、それでも仲間達とでも十分やっていける。だから孤立していない。孤立しているが仲間がいる。
 一目置かれているのは思慮深い性格のため。あまり感情を表さず、いつも冷静。仲間が熱くなっていても、その熱は受けない。といって協調性がないわけではなく、それなりに一応は反応しているが、出方が低い。
 杉田はまだ若いが、こういう人が将来大物になるのだろう。その片鱗が態度で出ている。仲間達もそれに気付いている。
 そして、何か困ったことがあれば、最終的には杉田と相談する。その判断は妥当で、安定感がある。
 また、相談しなくても、杉田の表情を見ていると、肯定か否定か程度の違いが分かる。だから杉田の顔色を見るだけで、済んだりする。会話はいらない。それに杉田はあまり喋らない。話すのが得意ではないようだ。
 要するに大人しく目立たないが、仲間の信頼を得ており、なくてはならないメンバーになっている。
 このメンバーにとり、うちには杉田がいるというのが誇りだが、お守りのようなもの。守護神。
 ある日、トラブルに巻き込まれた。杉田が登場するのは最後の最後。まだ出番ではない。
 しかし、このトラブル、かなり面倒で、杉田に相談するしかないと、もう早い目に杉田に声をかけた。
 杉田は状況を聞き、黙っている。
 何か策はないかと仲間達は聞く。
 杉田にもないようだ。というより、最初からないのだ。
 杉田の顔色が少し変わった。調子が悪いようで、答えに詰まっている。この答えとは、すっと判断を下すということ。それが今回できない。
 いつものパターンとは違うのではなく、調子が悪いのだろう。
 杉田の顔色が変わるのを仲間達は見た。これは余程凄いことになるかもしれない。余程凄いことが起こっているので、杉田の顔色が違うのだと。
 杉田はその日、腹具合が悪かった。滅多にない。そういうときは妙に落ち着かない。それが偶然、そのときにぶつかったのだ。
 仲間達は杉田の判断を待つ前に、その顔色を見て、方針を固めた。
 それで、無事、トラブルは解決した。
 この杉田という青年。最初から何もないのだ。今回それがバレそうになったが、仲間達はその後も杉田を大事にしている。
 
   了









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2020年07月25日

3822話 夏が来た


 春夏秋冬、香山は毎日通っている喫茶店がある。昼食後のコーヒーだ。部屋でも飲めるが、喫茶店で飲みたい。そして本を読みたい。たまにはケーキも食べたい。そういう日が続くのが何よりもいいことで、これを欠かすような日は、ろくなことのない日。その日一日で終わるのならいいが、その後、昼の喫茶店など行ってられない状況になったりする。
 香山は今日も昼食後、喫茶店へ向かっているが、これは幸いなこと。自覚はないが、平和なもの。ただ、梅雨が明けたのか、ここ数日非常に暑い。喫茶店までの道はそれなりにあり、歩いていると汗ばんでくる。暑いので速く歩いて、陽の当たるのを短くすべきか、または下手に力んだ方が余計に汗をかくのではないかと、そんなことが重大事になっている。そんな判断など大したことはなく、間違った判断でもとんでもないことにはならない。普通に暑い日の普通の状態で、炎天下とはいえ、日射病にかかるほどの距離ではない。
 それで道半ばに来たとき、歩くスピードを緩め、ゆっくりと歩くことにした。香山が最初にとった判断は、早く炎天下から抜け出すことだったが、これは失敗だったようで、ゆっくりと歩いた方が楽。
 そして冷房のよく効いた商業施設に入り、その中にあるいつもの喫茶店のドアを開ける。入ると冷蔵庫のようだ。暑いので、これで人心地付くが、息はまだ上がっているし、汗もまだ引いていない。
 いつもの席がいつも通り空いている。この時間、その席は誰も座らないのだろう。だから香川の指定席。
 そして暑いのだが、いつものようにホットコーヒーを注文する。春夏秋冬コーヒーはホット。これは癖で、アイスコーヒーでもいいのだが、冷房の効いた喫茶店では、熱いコーヒーを飲んでも、汗ばむようなことはない。
 本を読みながら煙草を吸い、コーヒーを飲む。それだけのことだ。たったそれだけのことだが、それができない日が何度かあった。
 しかし、活字に目がなかなか吸い込まれない。まだ炎天下を歩いた影響が出ているのだろう。汗は引き、息も弾まなくなったので、落ち着いたはずだが。
 しかし、人心地付いた状態を維持したいと思ったのだろう。またはこれで満足を得て、他に何も望みはないのか、しばらくその状態でいたいと思ったようだ。
 本を読む気が起こらなかったが、煙草とコーヒーは問題ない。そして硝子窓の外に見える大きな雲、白い建物が眩しく輝いているのを見ている。
 心に何をも思っていない。単純明快に、そういうのを直に見ているようなもの。そして意味はない。それだけのことが目の前にあるだけ。
 しかし、いつまでもぼんやりとしてられないのか、そういう心境にも飽きてきて、本に戻る。
 ただ、その活字文字の言葉や意味などが、薄べったい紙切れのように、軽いものに見えた。立体感がないためだろう。
 それで、ひとときを過ごし、喫茶店を出て、家に戻るのだが、相変わらずの炎天下。これは戻れば昼寝するしかないと、また呑気な選択肢の中にいる自分がいる。
 明日もそういう日が来ればいいとは切には望まないが、香川にとり、夏越えの一日が始まったようなもの。誰でも越せるようで、越せない夏もある。
 
   了




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2020年07月24日

3821話 趣味の世界


 最初の頃は分からなかったが、目が肥えてくると、その意味が分かり出す。最初はそのままだが、そこに意味が加わることで、見方が変わってくる。
 目が肥えるとは目に栄養が行き渡り、ふくよかに肥えるわけではない。目玉そのものが太るかどうかは分からないが、瞼とか、その周辺は肉付いたり痩せたり弛んだりするだろう。しかし、見え方に変わりはない。奥目でも出目でも糸目でも。
 意味というのはそのもの以外の要素が加味される。そういう含みを知ることで、目が肥えるのだが、これは視力、観察力ではなく、情報だろう。頭から入ってきた。
 そのため、目から直接受けた感覚ではなかったりする。
 しかし、人がものを見るとき、ただの映像ではなく、もっと総括的、総合的に見ている。その範囲を広げたり狭めたりする。路上の石ころなど、狭い範囲でしか見ていない。それ以上の意味がないため。しかし、コンクリート舗装された道路や歩道に石を見出すのは珍しかったりする。そのときは、昔見た路上の石とは意味が違ってくる。この石はどうしてここにあるのか、などだ。以前なら道端に小石ぐらいゴロゴロあった。また道そのものが砂利道だと、小石だらけ。
 だから、そういった推移も含めて見ているので、石にも意味が加わり、ただの石ではなくなるかもしれない。
 路傍の石という小説があったが、見付けるのが難しかったりする。
 さて、目が肥える話だが、これは個人的な感覚もある。見たいものや見たくないものがある。好みの問題。そして、この好み、嗜好は慣れてくると変わってきたりする。美味しいものばかり食べているとまずいものが食べたくなるということではないが。
 当然つまらないもの、凡々としたものに価値を見出すという捻ったものでもない。自然な流れで、決まっていく方向のようなものだろうか。
 そういった感覚の変化、好みの変化、趣味の変化というのは、個人的だが、その変化が楽しかったりする。
 同じようなものばかり見ていると、退屈するのだが、決して同じではない。何らかのパターンがある。そのパターンはほぼ同じだが、多少の違いがある。僅かな変化、違い。ここに何か違ったものを見出す。これはよく知っていないと、その違いが見えない。最初の頃は全部同じに見えるだろう。
 この僅かな違いに大渓谷ほどの深さを感じたりするのがツウの世界。しかし、ツウというのは、通らないといけない。いきなりでは無理。意味が分からない。違いが分からない。
 そしてあまりにも小さな違いだと、もう本人にしか分からない。
 ものが大きく動くより、止まっているはずのものが微妙に動いている方が目立つ。
 どちらにしても、このあたり、実用性はない。だから趣味の世界というのだろう。
 
   了

 


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2020年07月23日

3820話 呪い師


「呪詛ですか」
「そうです。呪い殺してもらうのです」
「平安時代のようですねえ」
「今も綿々と続いています。呪い師が」
「そんな情報、何処で得たのですか」
「あなた、心療内科へ通っているでしょ」
「はい」
「私も、そこから得たのです。医者が呪詛処方をしたわけじゃありませんよ。その横の薬局へ行き、その医者の処方箋を渡せば、呪詛箋がもらえ、それで誰かを呪い殺す。というような治療ではありません。当然医者はそんなことはしません。そこに通っていた人の話です」
「どんな人ですか」
「心の病と言いますが、ほとんどの原因は人でしょ。特にビジネス街の心療内科の客は。あの人を除けば全て解決。または、自分からあの人と離れるため退職する。まあ、人が絡んでいるわけです」
「僕の場合もそれです。取り除いて欲しい人がいます。あなたではありませんよ」
「それで、その客が診療所の帰り道、不思議な老人に会ったそうです。これは客引きでしょ。呪い師の」
「呪い師」
「そうです。客を探していたのでしょ。その客から私が聞いた話なので、又聞きですが、できるだけその通り伝えます」
「はい」
「呪詛で人を殺す。これは殺人罪になりません。なぜなら呪ったりしても、人は死にません。因果関係がない。証明できません」
「じゃ、呪い殺し放題ですね」
「念とかを送っても、死なないでしょ。だから、呪い殺し放題にはなりません」
「そうですね。もし呪って人が死ぬのなら、そのへんでバタバタ倒れているでしょうねえ。しかし、殺したいほどにくい相手も、そういるものじゃありません。できれば、消えて欲しい人はいますが。もしそうなれば、どれだけすっとするか」
「その客の話では、その呪い師も、呪いで直接相手を殺せないと言っています。しかし、間接的には……」
「間接的」
「死にはしません。しかし、消えることがあるでしょ。職場から消えればいいのでしょ」
「僕はそこまで言ってません」
「その客の場合です。消えればいい」
「では、その呪い師、何処に呪いをかけるのですか」
「当然、消えて欲しい相手にです。しかし、直接苦しめるような念の力などありません。普通の人間でも、少し念の強い人間でもね」
「じゃ、何をやっているのですか。その呪い師は」
「相手の運命に対してです」
「弱そうな術ですねえ」
「運が悪かったってことはよくあるでしょ。一寸した狂いで、大変な事故になったとか」
「間接的とはそういうことですか」
「これが、私が聞いた、その客からの全てです」
「その客、その呪い師に依頼したのですか」
「断ったそうです」
「いいチャンスなのに」
「常識では考えられないので」
「僕にその客を教えて下さい、またはその呪い師のいるところを教えて下さい」
「その客から、それは聞いています。呪い師のいる場所は私が知っています」
「是非、教えて下さい」
「はい」
 
   了


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2020年07月22日

3819話 寝言衆


 白根城には根来衆がいる。伊賀や甲賀と同じ忍びの者達。しかし、ほとんどは信長に滅ぼされた。
 根来衆は戦国生き残りで、江戸時代になれば、いくさはなくなり、あまり活躍できなかったのだが、大名が密かに抱えていた。
 白根城の奥まった中庭に、常に控えている。お庭番といってもいい。しかし、城の中にまで敵が忍び込むことは先ずない。
 戦国生き残りの老忍がいる。既に役に立たないが、役立つ場面もない。殿様相手に昔の話をする程度。この殿様、藩主だが生まれたときは既に徳川の世なので、いくさは知らない。
 根来衆とは別に、この奥庭には寝言衆がいる。お伽衆とも呼ばれているが、これは密かにではなく、茶坊主のようなもの。ただ、頭は剃っていない。普通の武家の服装だ。
 お伽衆の中には零落した名家や、名のある武将もいる。
 寝言衆とはそのままの役で、寝言を言う役目。しかし藩主の前で寝て、寝言を言うような無礼なことはできないので、普通に話す。その内容が寝言に近いので、寝言衆と呼ばれている。実際にあった話ではなく、嘘話。または、言ってはならないことを言ったりする。好き放題に言えるのが、この寝言衆の特権。
 殿様には耳の痛い話も多いが、寝言だと思えば聞いてられる。また、殿様も寝言衆と合うのは決め事で、武芸を習うのと同じようなもの。義務づけられている。
 その日の寝言は政への忠言ではなく、ただの寝言。殿様も眠くなってきた。その日は、根来衆の老忍も同席しており、一緒にうたた寝を始めた。
 余程眠い話だったようで、話の筋が分からない。断片的描写が多く、擬音がやたらと多い。
 まさか、本当に寝ているのではないかと思うほど、リアルな寝言だった。
 殿様も老忍も、釣られるように欠伸を始め、眠りだした。
 実はこの寝言衆、本当に眠ってしまい、本当に寝言を言っていたのだ。大した芸だ。
 そして、目を覚ますと、殿様と浪人が何やら話している。しかし、会話が噛み合っていない。
 二人とも目を閉じている。
 寝言衆が、寝言を聞く。滅多にない話だ。
 
   了
 


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2020年07月21日

3818話 平穏心


 妙に落ち着き、穏やかな日がある。気持ちの上で。田中はそういう日がたまに来る。ということは普段はそうではない。そちらの方が日常的で、いつもの気分だろう。
 しかし、何かが落ちたように、池の水面が鏡のようになる日がある。何が映っているのだろう。田中の気持ちではなく、周囲の風景だ。青空が入り込んでおれば、綺麗だろう。しかし、鏡なので、ほぼ同じものが映っている。そこにさざ波や波紋が来れば水面は揺れる。それで印象派のような絵になる。しっかりとは見えないが、同じものを見ているより、こちらのほうが変化があり、更に動いている。
 さて、心安らか、波風が立たない状態に、田中はたまになるのだが、これは一段落したり、いっときの熱気や活気、または騒がしさが去ったあとだろうか。穏やかなのだが、何か気が抜けたようになる。ふぬけとまではいかないが、頭の中にあまり何もない。燃やすようなものが入っていないためだろう。
 その状態は長くは続かないが、しばらくは続く。半日いくかどうかは分からないが、その状態が意外と怖い。
 まるで悟ったようになる。おそらく悟った人はそんな気持ちでずっといるのだろう。平穏なのだ。しかし、田中は怖い。
 この状態というのは諦観。何かもう諦めたような、投げ出したような状態になるため。
 それと何かに拘り、何かに熱中し、頭の中はそれで一杯のときの方が調子が良い。悟りとは逆だ。常に雑念、妄想の中にいる状態。こちらの方が生きている感じがする。
 その日、田中はそういう平穏な気分になりかかったので、眠気を覚ます意味で、何か刺激的なことをやろうと考えた。実際にはそういったものが終わったので、静まったのだが。
 俗事、煩悩、色々ある。悟りへ至るためには捨てなければならないもの。また、それらを消すのが目的だが、これは退屈だろう。
 しかし、たまには一休みするのもいい。だから、たまに気が抜けたような状態になる。ということは修行などしなくてもいつでも悟れる。しかも定期便のように常にそれはやってくる。そしてすぐに去るのだが、そのほうが幸いだ。悟ると幸いということもなくなるので。
 そんなことを考えているうちに、いつものように心にさざ波が立ちだし、いつもの田中に戻りかけた。それでいいのだ。
 
   了






posted by 川崎ゆきお at 13:14| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月20日

3817話 特異体質


「晴れましたねえ。梅雨が明けたのでしょうか」
「いや、まだ先です。この晴れは梅雨の晴れ間です。雨は一休み」
「そうですか。しかし暑いです」
「気温差が確かにあります」
「これじゃバテます。もう身体が怠くなっています。これはまずいです」
「大丈夫ですか」
「暑いと駄目です。じっとしているだけでもバテます」
「それは大変だ」
「また雨が降ればいいのですがねえ」
「すぐに降りますよ。まだ梅雨なので」
「しかし、あなたは大丈夫ですか」
「何が」
「この暑さ」
「暑さに弱い種族じゃありませんので」
「それはいい。じゃ、寒いのは駄目でしょ」
「いや、気温差の影響を受けない種族です」
「私は日がいけない。明るいのが駄目」
「じゃ、寒いところや暗いところは得意なのですか」
「得意という程じゃないですが、まあ、普通です」
「川北さんは強いようですよ」
「あの人はその種族ですから。しかし陽に当たると駄目でしょ。あのタイプは」
「そうですねえ。夜にしか外に出ていないようです」
「黒田さんはどうでした」
「あの人は雨に弱い。だから梅雨時は外に出ない。従って最近見かけることはない」
「雨に弱ければ、晴れに強いのでは」
「特に強いわけじゃないようです。晴れている日、特別凄くなるわけじゃないようです」
「田中さんはどうでした」
「あの人は月が駄目です」
「月」
「特に満月。これを見ると駄目になります」
「満月なんて、よく見かけますよ」
「欠けてる月ならいいのです。三日月とか。しかし満月がきついようです」
「完全な満月の夜ですか」
「いや、その前後でしょ。丸くなるとまずいようです」
「たいへんですねえ。ところであなたは」
「人を見ると駄目なんです」
「今、私が目の前にいますが」
「もう少し近付くと駄目なんです」
「今は」
「安全な距離ですが、あと十センチ」
「十センチって、微妙ですよ。少し前に屈めば」
「私もそうです。少し前のめりになれば」
「じゃ、一緒にやってみますか」
「試しますか」
「じゃ、同時に」
「はい」
 
   了







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