2018年02月09日

3529話 同じでない日々


「日々同じというのでは何なので、変えてみました」
「えっ、何が何なのですか」
「同じことの繰り返しでは片寄ってしまいます」
「あ、はい」
「先ずは立ち回り先を変える。これは毎日行っている場所ですがね、そこしかなければ変えようがありませんが、その場合は行く道を変えます。立ち回り先も、変えられるものがあるのなら、そちらへ一日置きに変えます。これで何通りになりますか」
「数えていません」
「場所を変えることで一回。行く道を変えることで、同じ場所でも二回。行く道筋が複数あればもっと増えますし、行く場所も増えれば、ものすごい組み合わせになります。これで同じ場所へ同じように日々行っているとは言えなくなりましょう」
「ほう」
「だから日々、同じことをしていない」
「そうですねえ」
「茶碗は常に複数、箸も複数用意しておきます。茶碗など一つあれば充分ですが、二つあると交互に使える。だから毎日同じ茶碗でご飯を食べているわけじゃない。そして箸もそうです。さらにご飯もそうですよ。流石に複数の米びつに別の銘柄を入れて交互に毎日炊くわけにはいきませんが、なくなれば、前のとは違う銘柄にする」
「ほう」
「私は昼はパンですがね。毎日サンドイッチを食べていました。作るのが面倒だし、テレビを見ながらかじれますからね。これも変える。おにぎりでもいいし、カップラーメでもいい。しかし続けては駄目。片寄るからです」
「出掛けるときの靴や鞄もですか」
「ご名答。これはかなり玄人です。しかし、それだけの数を揃えられないと思いますので、これも交互でいいのです。二つ用意すればいい。即ち二つです。三つが難しい場合は二つ。そして交互」
「はい」
「靴は古くなると買うでしょ。しかし、今まで履いていた靴なので、捨てるほどではない。破れておれば別ですがね。だから新しい靴を買えば、都合二つになる。靴は他にもありますよ。しかし服装と合わない靴は駄目でしょ。葬式専用とかね。普段履く靴、これも交互に履けるでしょ。一足しかないのなら別ですが、いずれ買うはず。一生同じ靴を履いているわけじゃない」
「靴下もそうですか」
「私は靴下は毎日履き替えません。同じのをずっと履いていました」
「僕もそうです。汚れて底が硬くなって、足袋のようになるまで履いたりして」
「余計なことを言わなくてもよろしい」
「はい」
「なぜそのようなことをするか」
「靴下ですか」
「そうじゃなく、小まめに変えるかです」
「片寄らないようにでしょ」
「それもありますし、それがまあ目的なのですが、日々同じことをやっていると言わせないためです」
「誰から」
「自分自身からです」
「はあ」
「しかし、実際の意味は同じでしょ」
「やっていることは同じでも、やり方が違う。ここが大事なのです」
「しかし、同じことをやっているのでしょ」
「それはまあ、そうだが」
「じゃ、同じような日々を送られているわけでしょ」
「だから、細かいところが違う」
「僅かな差でしょ」
「その差が大事なのだ」
「はい、お好きなように」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:32| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月08日

3528話 夢は老いない


「寒いですなあ」
「こんな日は気も滅入ります」
「寒いですからねえ」
「そうです。全ては寒さのなせる技」
「技ですか」
「その技で決められました」
「寒さに負けたのですな」
「一本も二本も取られましたよ」
「若い頃はどうでした」
「何ともありませんでしたね。暑くても寒くても。これは野心があったからでしょう。目的がね」
「ほう」
「目的というよりイメージですなあ。これをすればああなるこうなると、先々のため」
「その先々に、今おられるわけでしょ」
「そうです」
「若い頃、考えておられた先々が今なのですが、果たせましたか」
「何となく」
「じゃ、結構なことで」
「まあ、かなり妥協し、満足な結果にはなりませんでしたが、何とか目的らしいものだけは果たし終えましたよ」
「それは良かったじゃないですか」
「あまり良くはありませんなあ。若い頃に夢見ていたことが、これなのかと思うと、別に果たせなくてもよかったのではないかと」
「分かります。若い頃の情熱。あれは何処へ去って行ったのでしょうなあ」
「あなたにもありましたか」
「ありましたなあ。今も残っているかもしれませんが、まあ、身体が動きませんよ。それを果たしても、大したことはないと分かるようになってからは、そこそこにしています」
「若い頃の夢は何だったのですか」
「忘れました」
「そんなはずはないでしょ」
「言うと恥ずかしいようなことばかり、それにいろいろありすぎました。夢がどんどん変わっていきましたねえ」
「はあ」
「だから具体的な夢ではなく、何かをしたかったのでしょうなあ」
「今の夢は?」
「小さな夢ですが、それなりにありますが、力むほどのものではありません」
「夢見ることがなくなったと」
「具体的には分かりませんがね、そこはかとなく沸き上がる夢はありますよ。本当はそんな具体的なことじゃなく、感情でしょうなあ」
「感情」
「印象のようなもの」
「イメージ的な」
「具体性はありませんがね」
「じゃ、夢は見ていないのに、見ていると」
「ほう、それは複雑だ」
「つまり、若い頃の夢なんて、何でも良かったのでしょ」
「それはあります。それしかないと思い、やっていましたが、途中で、これじゃないと気付いたりしましたね。うまくいかないときはね」
「夢って何でしょう」
「漠然としたものでしょう」
「漠然」
「何かがイメージ化されたものでしょ」
「それは難解だ」
「若い頃に見た夢は老いませんが、私が老いました」
「それでついて行けなくなったのですね。そういえば私もそうですが」
「夢を持つということは妄想を抱くことです」
「はあ」
「この妄想のエネルギーは強い。リアルなものよりもね。だから夢を持っている人は強いのです。寒さにも負けず、暑さにも負けない」
「私らは負け続けていますなあ」
「身体に合った妄想に変わったからでしょ」
「若い頃の情熱を今も持っているというのはどうですか」
「お好きなようにです」
「それだけですか」
「しかし、そんなことを言っている人も口だけでね。本当はもうその炎も弱まっているはずですよ」
「それは寂しい」
「だから若い頃の情熱を持ち続けたいのでしょう」
「夢はあっても身体が動かない。気も動かない」
「それで当然です」
「はい」
「しかし最近思うのですがね」
「何でしょう」
「最近、夢の中にいるような気がします」
「え」
「夢かうつつか分からないような状態に」
「薬、飲んでません?」
「飲んでません」
「じゃ、涅槃が近いのでしょ」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:56| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月07日

3527話 目先を変える


 立花はその日、目先を変え、いつもの喫茶店ではなく、別の喫茶店へと向かった。真冬の寒い頃で、外に出ただけで風邪を引きそうな曇天。風も強く、遠い場所より、近くの店を選んだ。これを目先を変えるということだが、目の先、確かにいつもの方角とは九十度違う。そのため、目の先にある風景も違っているが、見知った通りだ。
 その前に、出掛けるとき、いつもカメラを持って行くのだが、これも目先を変えるためではないが、別のカメラを持ち出した。この二つが普段とは違うところ。
 そして通りを進んでいると、曇天のはずなのに、急に夕日が顔を覗かせた。これは写真になると思い、カメラを構えた。目先の違うカメラ、それはファインダーの違いで、確かに目先が異なる。安っぽい電子ファインダーで、鮮明ではないが、逆に新鮮だ。
 そして電子音のシャッター音がいい音色で聞こえた。何かがコロンと転がるような。その瞬間、ピッピッと警告音。液晶を見ると、カードが入ってませんと表示。カメラを交換したことを忘れたのだ。そのため、写したのに、記憶されなかった。
 そして、目先を変えるために入った喫茶店は満席で、順番待ち。何度か入ったことのある店だが、待ってまで入ろうとは思わない。以前に一度そんな日があったが、すぐに出ている。
 しかし、今日は寒いし、そんな中、別の喫茶店を探してウロウロしたくない。できるだけ外にいたくないので、目先を変えて、近くにしたのだから。
 それで仕方なく、待つために最初からあるのか、背もたれのない椅子に座る。その前に名前を記入しないといけない。喫茶店に入るだけなのに名乗らないといけない。これも目先の変化だろうか。別に変わったものを見たわけではないが、家を出るときは考えもしていなかったことだし、予想だにしていないこと。
 雑誌を流し読みしているうちに席が空いたのか、無事にテーブルまで案内されたが、カウンター席。これも予定にはない。しかし、カウンター席は窓に面しており、外を行き交う人や車が見える。今まで気付かなかったが、大きな薬局ができたのか、派手な看板と派手な色目の壁が目に入る。これも目先の違いのおまけだろう。
 目先を変える。これは一寸した刺激が欲しいのだろうが、その日は、そんな理由ではなく、寒いので近場で済まそうとしただけ。それを目先を変えるという前向きな目的にすり替えた。
 この時間帯、いつもの喫茶店へ行った場合、戻り道にスーパーがあり、そこで食材を買い、それを作って食べるのだが、目先を変えたおかげで、そんな店は近くにはなく、コンビニがあるだけ。外食できる店もない。だからコンビニ弁当が夕食になるだろう。
 目先を変えてしばらくすると、その先のことが開けてくる。予測できるようになる。日常の中では大したことは起こらないのだが、それでもいつもの風景とは違う展開になっている。
 立花はこれを活かせないものかと考えてみた。目先を変えることで、予想外のことが起こる。これを利用できないかと。
 その後、立花は、それを狙って仕事の上でも目先を変え続けているのだが、変えた目先もすぐに普通のものに取り込まれ、単に目先を変えただけの結果しか得られなかった。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 12:31| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月06日

3526話 ある場合


「場というのが大事ですなあ」
「その場の雰囲気とかですか」
「そういう場合もあるでしょ」
「ありますねえ。場違いとか」
「場は時とも絡みます」
「同じ場所でも時期により違いますねえ」
「花見の場も、桜が咲いていないと、その場は成立しないでしょ」
「そうですねえ。相撲なんかも冬場所とか春場所とかがありますねえ」
「だから場所、場、というのは大事です。物事が執り行われる場ですからね。地図に載っている場所じゃなく、ネット上の場所もありますしね。人が集まる場とか、一人になれる場とかもね。またその人だけが気にする場や場所もあります。場とは、シーンだと思えばよろしい」
「市場もありますねえ」
「市が立っている場所でしょ。市がシーンのようなものです。動きがあります。何をかしているでしょ」
「はい」
「個人的な場もあります。プライベートな場でしょうねえ。それとは別に、場違いをおかしたときのような場です。他の人にとっては普通の場でも、その人にとっては違和感のある場。その逆もあります」
「はい」
「何かが起こったとき、それは何処で起こったことなのかが気になったりします」
「そうですねえ。起こったときの場所が気になります。起こったことも気になりますが」
「そういうことが起こらない場所で起こった場合、気になります。ミスマッチのようなね」
「場所柄をわきまえなかったので、騒ぎになったとか」
「場の中にも、また場があります。宴会などでもあるでしょ、上座とか」
「はい」
「場をしめる。これは空間をしめることだけじゃなく、色々と意味が加わっています」
「はい」
「場とは空間だけの話じゃないのでしょうなあ」
「そうですねえ。いい話、ありがとうございました」
「いやいや、我々は自分の居場所がない。世間一般のことを言ってる場合じゃありませんがね」
「はい」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 11:44| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月05日

3525話 石地蔵の怪


 稲賀道と古くから呼ばれている小道がある。昔の道なので、人がすれ違える程度の幅しかない。これが村落部や町に入ると、ものすごく広い大路になることもあるが、田んぼが続くようなところでは細い。
 稲賀道は富岡村と稲賀村を結んでいたらしい。村と村とを結ぶ幹線道路。その先はもっと遠いところと繋がっている街道。
 その稲賀道は今でも曲がりくねりながらもある。細さはそのままだが、畦川があった場所は蓋をすることで、広くなっている箇所もあり、ゴミの車ぐらいなら何とか通れる。
 沿道にはもう田畑はなく、住宅地。ここは村の外れにあるので、農家などはない。
 その村外れに相当する箇所に祠があり、そこで地蔵が目撃されている。そんな目撃例は古い記録にはなく、元村人だった人も、そんな話は聞いたことがないらしい。
 祠は犬小屋程度の大きさで、中に石饅頭があるだけ。別に地蔵を祭っているわけではなく、祠のあった場所に石地蔵が立っていた時期もあるらしい。村と村との境界線あたりにはありがちなこと。
 その石地蔵は祠の前で立っているようで、時間は夜。住宅地の中の道なので、水銀灯や街灯で明るい。真っ暗な道ではない。
 最初それを見た人は人が立っていると思うだろう。祠がある関係で、立ち止まってお参りでもしているのだと。
 祠は町内の誰かが掃除をしたり、供え物をしたり、石饅頭に前掛けを付けたりしている。放置された祠ではないが、何を祭っているのかは分からない。村人だった人に聞いても知らないらしい。だから適当にその辺にある石を祠に飾ってあるだけかもしれない。
 しかし、元々は石地蔵が立っていた場所。それはかなり古いらしく、その頃のことを覚えている人も、その話を知っている人も、何世代か前からの言い伝え程度。そういうのが、昔立っていたよと。等身大の地蔵。だから大きい。
 最近、その祠の前に立っているという石地蔵は、きっとその頃の地蔵ではないかと考える人もいる。当然、住宅地の人達ではなく、古くから住んでいる人達だ。
 さて、その石地蔵だが、歩く。
 石には関節はない。そのため足を動かして歩かない。そんなことをすると、割れるだろう。だからスーと移動するらしい。
 多くの目撃例では、祠の前でじっと立ち、しばらくして、スーと立ち去るらしい。
 立ち地蔵だ。犬小屋程度の高さの箱には入れないため、立ち去るのだろうか。そして何度も何度も入り方を考えに来るのか。
 元々、この地蔵が立っていた場所だ。それはわずかな時期だったらしい。
 ある朝、毎朝そこを通る近所の人が祠が壊れているのを見た。あの石地蔵が強引に入ろうとしたのだろうか。
 世話人達が相談したが、結局片付けただけ。その場所は、元農家の田んぼの隅っこ。そこは売らないで残していた。そして、今では何もない場所。ゴミ置き場にはちょうど良い広さだが。
 その後石地蔵の姿を見た人はいない。地蔵菩薩ではなく、別のものが入っていたのかもしれない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:18| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月04日

3524話 世界認識


 どの人の世界も一定の大きさがあり、これは小さいも大きいもない。同じ大きさであり、同じ小ささ。世界の量が限られているためだ。
 大宇宙の果てにある小さな星を知っていても、自分の家の前にある小道の石までは知らない。
 大都会を知っていても、更地になった草むらの雑草の名は知らない。多くの道を知っている人も、路地裏の横にある小道は知らない。
 世界の量は同じなのかもしれない。これは二人でなら倍になりそうだが、重なっている箇所もある。それを差し引いても、倍にはならない。同じ世界を見ていないためだろう。
 多くのことを知っている人も、これにも限りがあり、頭の中にそれほど入らない。そしてそういった世界は記憶の中にあるのだが、その記憶は思い出す機会が減ると、減ってしまう。
「また妙なことを考えていますねえ、竹田君」
「いや、これは昔から思っていることなのです。特に調べたわけではないのです」
「記憶とは何かという話ですか」
「世界とは何かです」
「それは、ここではふさわしくないテーマです。これは誰にも分からないことですから」
「はい」
「もっと分かることを研究テーマにしなさい」
「でも、既に分かっていることでは」
「分かっていることも、実はよく分からないのですよ」
「そうですねえ」
「それより竹田君、君は研究テーマを変えすぎじゃありませんか、毎回テーマが違います。一つのことをじっくりとやりなさい。そうすれば、実績が付きます。そんな八百屋のように品が多いと、専門性というものがない」
「はあ、つい目移りするもので」
「それよりも、君の世界とは何だと思いますか」
「僕の世界ですか」
「そうです」
「全部が自分の世界です」
「というより、自分を通してでないと世界は現れない」
「そこなんです。それを研究したいと」
「そういうのは古典です」
「既にあるのですか」
「人が思い付くようなことは、ほとんどあります」
「じゃ、焼き直しになりますねえ」
「いや、同じことを言うにしても、コースというのがあります」
「コース」
「頂上までの道はいくつもあります」
「それもよく聞きますが」
「それもまた古典ですがね」
「じゃ、古典の勉強をするのが良いのでしょうか」
「それじゃ新味がない。だから、自分の世界から見た昔の人達の考え方などを読み替えなさい」
「ああ、あまり本を読むのは得意じゃ」
「じゃ、何が得意なのですか」
「空想です」
「ク、クウソウ。そんな子供のような」
「妄想に近いことをしたいのです」
「どうしてですかな」
「古典を読むと、それに影響されて」
「そうですねえ、昔の人の地図通りに進んでしまいますからね」
「はい」
「しかし、昔の偉人が言った言葉も決して固定したものじゃないでしょ。原文を読めば分かるはずです。結構あやふやで、曖昧なものがありますよ。本人もよく分からないまま、ふらふらしていますよ」
「そのタイプが良いです。決め言葉で決めないで」
「だから、決まらないと言うことを言っているだけの人もいます」
「ああ、それそれ、その方面が好みです」
「しかし、それは寝言に近いですからねえ」
「はあ」
「世界は人の分だけあると言ってしまうと、これは禁じ手に近くなります。だからそちらはやめておきなさい」
「それは昔の人も言ってますか」
「言ってます」
「じゃ、別のを考えます」
「それよりも、研究テーマを固定しなさい。毎回違うことを言ってるようでは、困ります」
「はい」
 
   了


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2018年02月03日

3523話 姥捨て山出版


 大きな印刷会社の工場がある。本社があった場所だが、今は印刷方法も変わり、旧式の印刷機械などは姥捨て山行きになったが、この工場がそもそも姥捨て山。
 姥捨て山と漢字で書くと、お爺さんはどうなのかと思うのだが、これは余談。
 この姥捨て山工場はお爺さんが多いが、若い男女もいる。まだ若いのに捨てられたわけではない。これほど大きな会社だと労働組合がいくつもある。ここには組合員が多くいる。首になっても当然のような人も、組合が守り、ここで働いている。もうメインの印刷はここではしていないので、旧式の印刷機で、町の印刷屋程度の仕事をやっている。
 さて、その大きな敷地には無数の建物があるのだが、取り壊されないで残っている。当然本社としては、ここを売却したいのだが、組合が許さない。また役員や大株主の中にも反対する者がいる。
 だだっ広い工場の中に別練とか別館とか言われている建物がある。本社の大工場時代に建て増しが続き、それらが不規則に並び、露出したパイプ類や外付け機材などがまるで戦艦の甲板のように続いてる。
 その中で一番奥まった場所にある三階建ての建物を別練とか、別館とか、特別な言い方で使われている。これは建物に付けられた名ではなく、そこにいる人に対しての名で、別練さんとか、別館さんと言われている。
 三階建てだが実は二階までで、下は工場。上階にいる人の密度は工場内で一番濃い。労働組合の事務所ではない。
 ここは出版社なのだ。大印刷会社の出版部門ではない。印刷会社は関係しない。また、関係性が生じることもない。なぜなら出版業などやっていないためだ。
 別練とはいえ、下は印刷関係の作業場なので、結構広い。作業所の機械は稼働していない。下でうるさい音を立てると邪魔なため。
 一階は二階分以上の高さがあり、上の部屋まではむき出しの鉄の階段で上がる。天井が高いため、ここを登るだけでも一寸ひやりとするほど。上の階は事務所や休憩所があったようだ。仮眠室も。
 その大きな部屋に人がびっしりといる。出版社の人達だ。デザイナーやイラストレーター、カメラマンもいる。この人達はまだ若い。
 この大手印刷会社は出版はしていないが、町の印刷屋程度のチラシや冊子程度は作っているので、その編集やレイアウト、デザインから版下まで作っている。しかしそれにしては人数が多すぎる。社会部とか、文化部とかのデスクがあるが、チラシのレイアウト程度では必要ないだろう。
 しかし、別練さんのメインは雑誌と単行本。だが、一冊もそんなものは出したことはない。姥捨て山に捨てられたので、やることがないので、始めたらしい。
 機械は古いとはいえ、印刷機械は別の建物で稼働している。いくらでも出版できるのだが、刷れば赤字になるだけなので、そこは遠慮し、本気で出す気はない。
 しかし、メインの雑誌は週刊誌で、編集会議で明け暮れている。雑誌の創刊は十年前。だから十年分の記事がある。単行本は千冊を超える。印刷に回せばすぐにでも刷れる状態のまま溜まっている。一応ゲラ刷りだけは残っている。
 一冊分の原稿を十年間校正し続けている編集者もいる。
 そういう状態をまだ稼働している印刷機で、町の印刷屋レベルの仕事をしている人達が、別練さんと言い出したようだ。
 また、ある人は、その出版社のことを姥捨て山出版とも呼んでいる。
 ご苦労な話だ。
 
   了

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2018年02月02日

3522話 いつも通り


 いつも通りにやれることは、そのまま続けてもいい。というより、日々それをやっていると、これは日常化し、普通のことになってしまう。あくまでもその人にとってだが。
 いつも通りにやるのが苦しくなったり、また、いつも通りやれない状態になったりと、外因が加わることで、いつもの流れがぎこちなくなることもある。一過性のものならそのうち直るのだが、そうではない場合も。
 目指しているのはいつも通りの状態だとすると、そこに戻すのが目的になる。長年使っていた道具類などが劣化したり、壊れたりする場合、買い換えればいいのだが、以前に買ったものが、もうなかったりする。それよりも、より良い物が時代とともにでき、それしかなかったりする。
 それを使うことで、いつも通りに戻るのだが、実はそうではなく、進歩しすぎていたり、便利になりすぎていた場合、そこまで望んでいない場合もある。また勝手も違い、使いにくかったりする。
 単純なものなら昔とそれほど違わないだろうが、逆に単純なものはもうなくなっていたりする。他のものと合体し、その中の一つとして機能していたりとか。
 いつも通りの使い心地とか、いつも通りの事柄というのにも始まりがあり、あるところから始めているはず。気が付けば、ずっとそれを続けていたこともあるし、途中でやめてしまい、普段はもうやらなくなったこともある。
 いつも通りは何処かで始まり、いつの間にかいつも通りとなる。同じことを日々やっていると、この繰り返しが日常の日々となり、こなれた世界となり、特に深く考えなくてもやっていける世界。これは惰性でもいい。癖でもいい。
 その人の日々の生活のベースになっているのだろう。だから昨日と同じような今日が来て、今日と同じような明日が来ることを望みはしないものの、当たり前のこととして受け取っている。有り難いとは思わないし、迷惑だとも思わない。
 嫌なことも日々繰り返していると、当たり前の嫌さ加減になり、嫌なことは嫌なのだが、それを省略すると、あとで苦しいことになるので、保険的に受け入れ、嫌事でもやるのだろう。
 日常の日々というのはそういったもののが張り巡られた世界で、いわば結界。
 これは自分の流儀というほどのものではなく、自然とそうなったのだろうが、ものすごく決心し、そうなるように始めた事柄もあるだろう。今では何でこれを続けているのか、もう理由さえ忘れていることもあるかもしれないが。
 とにかく、この結界のようなものが崩れると、日常が少し乱れる。ある程度まではいいのだが、ペースが狂い出すと、いい感じで日々続けていたことにも影響する。
 そんな大げさなことではないのだが、日々の過ごし方は大事だ。それが狂いだしたとき、その有り難さを感じるもの。
 一寸した工夫で日常がより快適になるのだが、敢えてそれをやらない人もいる。これはバランスが崩れるためだろう。何処かを動かすと、何処かがおかしくなる。そのときは気付かないが。
 しかし、いつも通りも実際には変わっていく。一つが変わると、他のものも変わりだしたりする。子供時代のいつも通りと大人になってからのいつも通りとが違うように。
 いつも通り。これは安定している。過去の実績があるというより、何度も踏んだ道のためだろう。だから大丈夫だという保証がある。
 しかし、人は必ずしも安定した日々を求めているわけではない。気持ちの何処かで、ここではない別のものを見ていたりする。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 12:01| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月01日

3521話 夢のまた夢


「最近どんな夢を見ましたか」
「見てませんねえ」
「ほう、そりゃいい」
「よく夢を見られるのですか?」
「よく見ます。これが良くない」
「悪夢ですか」
「そうではなく、夢を見ることがいけないわけじゃないのですが、あまり良くないときでしょ」
「そういえば体調の悪いとき、よく夢を見ましたよ。悪夢じゃなく、いい夢でした。懐かしいような」
「あなたの心のふるさとのような夢でしょ。超プライベートな」
「そうです。ですから、それは一寸語れません」
「当然ですね。しかし体調とは関係なく、夢を見ることがあるでしょ」
「最近はないですが、以前ありましたねえ。毎晩夢を見ていました。身体は別に悪くない時期ですが、少し疲れ気味だったのかもしれません」
「夢を見ないのは満たされているからですよ」
「そうなんですか」
「これには色々と説がありましてねえ。一概には言えませんが、現実を考えてみれば分かります」
「現実」
「リアルな生活のことです」
「はい」
「起きて見る夢があるでしょ。眠って見る夢じゃなく」
「ありますねえ」
「最近どんな夢を見ます」
「リアルでの夢ですね」
「そうです」
「あまりないです」
「だから、満たされている。夢を見る必要がない。今はこうだが、先はこうなりたいとかの夢です」
「じゃ、僕は満たされているのですか」
「誰も自分が満たされているとは感じていないかもしれませんがね」
「でも果たせないかもしれませんが遠い夢は描いていますよ」
「それはリアルでは無理な将来に対する夢じゃないのですか」
「そうですねえ。妄想とまではいきませんが、夢のまた夢なので、これは夢としてたまに思う程度です。別に実現しなくてもいいのです」
「じゃ、あなたはいい時期だ」
「でも、この前、風邪で寝込んだとき、続けて見ましたよ」
「体調が悪いときに見る夢は、また別だと思われます」
「そうなんですか」
「夢は見る方がいい。夢を描くことはいいことだ。しかし、今が良くないか、満足していないからでしょ」
「よく分かりませんが」
「そうなのです。夢とは何か、これは難しい問題でしてね。色々と解釈がある」
「あなたの夢は何ですか」
「私の夢は、夢とは何かを知ることが夢です」
「被さってきましたねえ」
「夢のまた夢、そのまた夢」
「はあ」
「私たちのこの現実も夢の中の話かもしれませんよ」
「はあ」
「まあ、夢のことなど思わない方がいいでしょ」
「はい」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 12:30| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月31日

3520話 雪だるま


「寒いですなあ」
「冬ですからね」
「大寒波ですよ」
「冬ですからね。夏には来ないでしょ。来て欲しいですがね」
「こういう日は早く帰って何もせず過ごしたいです」
「いつも早い目に帰られているじゃないですか」
「そうですなあ。それに早く帰っても、結局は何もしていませんなあ」
「雪だるまは作りましたか」
「え」
「雪だるまです」
「そうですなあ。珍しく積もっていて、子供が小さなのを作っていたのを見ましたが、まさかこの年ではしゃいで雪だるまなど作りませんよ。もう孫もいますからね。孫に作ってやりたい気はあるのですが、それほど積もっていません」
「作る方がよろしいかと」
「大の大人が雪だるまをですか」
「そうです」
「どうしてまた」
「あれは魔除けなのです」
「はあ」
「だから庭先ではなく、門とか玄関口に置いているでしょ。門松のように」
「何に効くのですか」
「魔除けなので、魔物に」
「聞いたこと、ありませんなあ」
「滅多に雪も降らず、積もるのも珍しいこの地方では、これは効きます」
「でも一晩で溶けそうですよ」
「ひと冬効きます。一度作れば」
「魔物ですか」
「そうです。それが入って来られない」
「溶けても」
「そうです」
「今冬だけですかな」
「そうです。冬に一度作れば、それでいいのです」
「どんな魔物に効くのですかな」
「冬に来る魔物です」
「そんなもの、この地方にいましたか。いや、いるも何も、そんなものいないでしょ。冬になると、そんな魔物が町内をウロウロしている姿なんて」
「魔物は見えません」
「でも、どうしていると分かるのですかな」
「寒鬼のことだと思われます」
「寒気ですかな」
「寒鬼は寒気のようなものですが、天候のことではありません」
「それが魔物で、雪だるまが、それを防いでくれるわけですな」
「寒鬼は寒々しい魔物で、その家を冷やします。気温のことではありませんよ」
「それでどうなるのですかな」
「気持ちが寒くなります」
「はあ」
「風邪の悪寒ではありません。家冷えを起こし、不幸になります」
「それを雪だるまで防げるのですかな」
「家の前でで先に冷たい奴が立ちはだかっていますからね」
「雪だるま、足も手もありませんが」
「雪だるまが既にいると思い、魔物は入れません。先客がいるのでね」
「でも、溶けて消えるでしょ。すぐに」
「魔物は一度雪だるまがいる家を見ると、絶対に入り込みません。溶けても大丈夫です」
「それで、雪だるまを作れということですかな」
「今ならまだ溶けずに雪が残っています。小さくてもいいので、それを作って家の前。マンションならドアの前に置きなさい」
「そんな風習、ありませんが」
「知られざる呪術です」
「おお、帰るとき、雪を集めて、早速作ることにしましょう」
「夜になると吹雪くようです。今夜は冷え込みそうです」
「いい話を聞きました」
「寒い話です」
「はあ?」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:54| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする