2017年12月01日

3459話 小夜が来る


 賑やかな港町から少し離れた場所に城下町がある。こちらはひっそりとしているのだが、城下やその周辺の村々に小夜が来る。一寸した夜のひとときということだが、妙な間だ。
 小夜は武家屋敷にも来るし、町屋や百姓家にも来る。
「小夜いらんかえー」と、暮れかけたとき、物売りが来る。何も持っていないので、何を売りに来ているのかは分からないが、小夜と言っているのだから、小夜を売りに来ている。
 子供がこの声を聞くと怖いことになると言われ、親は耳を塞ぐらしい。
 半纏を着た小男が売り歩いているのだが、客はそれを見付け、近付く。そこで軽く立ち話。それで売ったことになり、買ったことになる。小男は客の家と名だけ確認する。一枚の紙にそれを書き、もう一枚を客に渡す。御札のようなものだが、名が書かれている。
 つまり、これは小夜の宅配。
 しばらくすると、小夜が客の家なり屋敷なりを訪れるが、裏口からそっと招き入れる。
 他の地方ではこういうものはないが、この地域だけにある。似たようなものとして北国の雪女もあるが、それは素人だが、こちらはプロ。
 この城下だけにそんな風習があるのは賑やかな港が近いためだ。ここは大歓楽街でもあり、遊郭が無数ある。
 その夜あぶれた遊女が出張しているだけのことだが、それを小夜と呼んでいる。
 売れ残りなので安いということもあり、また遊郭まで行くのを躊躇う人のため、それなりに流行り、常連客も多い。
 問題は日本家屋の間取りだが、そこは心得たもので、小夜の間というのをそれとなく作っている。
 小夜達はコスプレではないが、客に合わせた服装で来る。按摩に扮した小夜もおり、これはそのまま出張マッサージだろう。何かの師匠や、武家のお女中姿もある。これは家人を誤魔化すためだが、そんなものはバレている。
 また城下に小夜が歩いていると、すぐに分かる。これも丸わかりなのだが、見て見ぬ振りをする。
 小夜。一寸した夜の間。
「小夜いらんかえー」の声は鉄道ができ、港町が寂れ始める頃まで聞こえていたらしい。
 
   了

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2017年11月30日

3458話 三本の狼煙


「切羽詰まっています」
「そうか」
「早く、ここから逃げないと危ないです」
「まあ、そう慌てなさんな。どんな状態かを先ず把握しないとだめでしょ」
「敵はすぐにやってきます」
「敵」
「そうです」
「誰じゃ」
「分かりませんが多勢でやってきます」
「見たのかね」
「山から狼煙が上がりました」
「しかし、それだけでは分からん。それにどの敵が来たのかも分からんのだろ」
「しかし、差し迫っているのは確か」
「そう慌てることはない」
「一刻も早く、逃げないと」
「もう少し情報が集まるまで待とう」
「しかし、あの狼煙は三本。これは非常事態です。敵襲です」
「以前も三本上がったぞ。あとで間違いだったと分かった」
「はい、しかし、敵は多勢、こちらは対抗できません。逃げるしか手はないのです。その合図が三本の狼煙です。今、逃げれば間に合います」
「数日持つ。そのうち援軍が来る」
「伝令を出してから、間に合うかどうか」
「敵も一気に来ないはず。敵の目的が何かも分からず、どの敵なのかも分からずでは、手の打ちようがない。情報が足りん。もっと冷静になりなさい。落ち着くことじゃ。慌てふためいて動いてもろくなことはない」
「三本の狼煙の意味は一つしかありません。ここは逃げることです」
「相談して決めるので、まあ、待ちなさい」
 その相談が長引いたためか、待ちきれない連中は勝手に逃げ出した。これは違反だ。
 逃げ出すとき、既に敵の大軍がもうそこまで迫り、間一髪で脱出できた。
 しかし、これは違反なのだが、それをとがめる重臣達は既に大軍に飲み込まれ、館もろとも跡形もなく消えていた。
 
   了


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2017年11月29日

3457話 内なる世界


 風邪が入ったのか内田は元気がない。積極的に何かをする気が起こらない。気分も盛り上がらないので、好きなことをしていても、今一つ乗らない。
 外気は冷え冷えとし、底冷えがするが小雨。雪にならない方がましなのだが、冬の暗さが重々しい。当然日差しはなく、外は暗い。
 こんなとき、内田は内なる世界に籠もりたくなる。外へ向かう気が失せるためだ。しかし何をするにしても内だけのことでは済まない。内もまた外にある。外もまた内にあるので、観念世界だけで暮らしているわけではない。
 やはり風邪で気が塞いでいるのか、大きなことはできないが小さなことならできるというわけでもないようなので、何もしたくないのだろう。
 風邪を引いているのだから、安静にし、寝ていればいい。だから何もしなくてもいいのだが、寝込むほどの症状ではない。少し風邪っぽい程度。
 早い目に仕事を済ませたのだが、殆ど捗っていない。集中力がなくなっているため、途中で投げ出し、仕事をしている振りをしながら勤務時間まで過ごした。ここが一番きつかった。
 事務所を出ると、雨が降っているので、地下道の入り口まで小走り。まだそれぐらいの体力はあるが、息苦しい。これは寄り道しないで、地下鉄に乗り、そのまま私鉄に乗り換えて、さっさと帰るのが好ましい。いつもは乗換駅が繁華街のため、そのあたりをウロウロしてから戻っている。ほぼ毎日そこで夕食を済ませていた。
 しかし、こういう場所ではあっさりとした軽いものはあまりない。お茶漬けを食べたいのだが、そんな専門店はない。焼き肉屋や飲み屋にあるのだろうが、メインを食べ終えてからの話で、それだけを食べに来る客はいないだろう。
 しかし、壊れかけの大衆食堂があるのを思いだした。ただのめし屋だが、まだ潰れないである。その店にはお茶漬けはないが、ご飯にお茶をかければ、それで済むことだ。おかずの漬物は最初から付いてくる。沢庵が二切れほど。普通のおかずは、皿に盛られて並んでいる。これは軽い物を取ればいい。
 繁華街は元気で景気のいい食べ物屋が多いため、弱っているときの病人食のようなものを出す店は最初から期待していない。元気な人向けの店ばかりだ。弱っているとき、そういう看板や飾り付けがうるさく見える。
 その裏道に入ると雨は強くなっていた。その通りはアーケードがないので、濡れること覚悟で、小走りで暖簾を潜った。
 夕食時間帯だが客は少ない。ここはサラリーマンが昼に食べに来ることで持っているのだろう。どの店も昼は満席で、その客が流れてくる。ここで満席なら立ち食い蕎麦屋程度になる。
 タラコの焼いたものはないが、菜っ葉を卵で綴じたものがあっさりしていそうなので、それを手にする。出てきたご飯に、大きな薬缶でお茶を注ぐ。テーブルに醤油やソースと一緒にコショウと塩があったので、塩を振る。これでお茶漬けが出来上がった。
 風邪薬を買うのを忘れていたが、眠くなるし、今飲むとまずい。あれは睡眠薬と同じなので、要は寝て治すのが基本なので、別に困らない。寝る前、頭が冴えすぎたとき、風邪薬は鎮静効果もあるので、飲むことはあるが、今日は内なる世界に入り込んでいるので、頭のさえはない。
 お茶漬けをすすり込むと汗が出てきた。やはり風邪だろう。この汗で治るかもしれないが、体力が一段階減ったような気がした。
 それで、さらなる内の世界へと思いを巡らし始めた。これはヒストリーだ。内田自身の物語を語り出した。単に昔のことを思い出すだけなのだが、内田が内田であることの証しのようなものなのだが、そういう意味ではなく、以前に体験した楽しい思い出を再現させているにすぎない。
 内田が内田であることは過去の思い出の中にしか入っていない。これを単に取り出すことが、内田にとっての内なる世界で、大袈裟なものではない。まるでそれをドキュメンタリー番組の語り手のように、頭の中だけで語り始める。
 だから単に思い出に浸っているだけのこと。
 そして食べ終えた内田は勘定を済ませ、ガラス戸を開け、暖簾を頭で押し、裏通りに出たとき、雨はやんでいた。さっきまで雨音がしていたのに、急にやんだのだろうか。
 アーケードのある本通りまで走る必要がない。裏通りはがらんとしているが、表通りの横が遠くからでもよく見える。裏道の幅だけのスクリーンのようで、通りすぎる人が見える。そちらは明るい。
 ふと後ろを見ると、右に大衆食堂があるのだが、その裏道の先がまだある。ここは行き止まりで、ホテルの裏側の壁で終わるはずなのだが、小さな灯りが長く長く何処までも続いている。
 以前からそうだったのかもしれない。別の裏通りだと勘違いしていたのだろう。
 内田はそこへ踏み込む気力も体力もないので、無視した。これがさいわいしたのか、無事戻ってこられた。
 
   了

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2017年11月28日

3456話 踏み迷う


「モミジの名所でしてね。ややこしいことになるとは思いもよりませんでしたよ。踏み迷ったと言うべきでしょうか。少し外れてしまいました。でもその先にまだ赤いものがありましてね。少し上り坂になりますが、道らしきものはありません。滅多に人が足を踏み入れない場所なんでしょうなあ。しかし下を見ると、大勢の観光客がいる。だから安心していました」
「何が起こったのですか」
「もう年なので、今年が最後の紅葉狩りになるやもしれぬと思いながら、目に焼き付けに来たのですがね。いい思い出になると張り切ったのがいけなかったのか、坂道も苦にならない。まだまだいけると、奥へ奥へと踏み込んでいったのです。これじゃ来年も来られるなあと嬉しがりながらね」
「迷ったのですか」
「振り返ると、大勢の人がいた場所がもう見えない。別の谷間に入り込んだのでしょうなあ。しかしモミジはまだありました」
「迷ったのですね」
「先へ先へと進んでいるので、迷うような感じではありません。もと来たところを戻ればいいので、そのときは迷ったとは思いませんでした」
「しかし、ここでこうして話されているのですから、結果的には戻れたわけでしょ」
「そうです」
「それで何があったのですか。そのややこしいこととは」
「気が付けば山中にいました。山襞がいくつも見えます。山一つぐらい超えたというか、過ぎたのでしょうねえ。沢伝いに来たと思いますから。それに息もそれほど上がっていない。山を乗り越えたわけじゃない。それで場所を確かめようと少し高いところに無理に登ったのですが下を見ても山また山。大勢人がいた場所からなら下の町がよく見えるんですよ。それよりも高いところに立っているはずなのに、町が見えません。遠くを見ても、ずっと山が続き、そして赤く霞んでいます。紅葉で山の色が変わっているんでしょうねえ。それと」
「何ですか」
「高圧線が見えません」
「高圧線」
「鉄塔です。山に一つもそれがない」
「はあ」
「最初は気付かなかったのです」
「そんなに遠くまで来たのですか」
「そんなはずはありません。一時間も歩いていませんよ」
「はい」
「それで怖くなり、踏み込んではいけない世界に踏み迷ったのではないかと思いまして、すぐに引き返しました」
「はい、それでこうして無事に戻って来られた」
「帰り道、真っ赤なんです」
「紅葉でしょ」
「こんなに赤くはありませんでした。目が悪くなり、全部赤く見えるのかと勘違いしたほどです。地面も落ち葉で真っ赤。いくら紅葉の季節でも、こんなに赤くありませんよ。来るときはところどろろに赤いものが見えていました。だからそれに誘われて奥へ奥へと踏み入れたのですがね。ですから違うところを通っているのだと、すぐに分かりました」
「モミジですか」
「分かりません。もしモミジなら、ものすごい数で、ものすごい密度です。人が大勢いたところが一番モミジやカエデが多いのですが、ここはそんな規模じゃない。だから、ここが名所になるはず」
「そこを抜けて戻られたのでしょ」
「そうです。怖くなって走り出しました。下り坂なので、ものすごい早く。何度か転びましたが、何とか人が大勢いるところまで戻れました」
「無事で何よりです」
「目の前が真っ赤でした。あれは何だったのでしょうねえ。これじゃまるで赤目の滝だ。しかし、目の前が真っ黒になるよりはましですが」
「そうですね。目医者へ行くことです」
「あ、はい」
 
   了

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2017年11月27日

3455話 高や町へ


 長くかかっていた仕事が一段落し、木村は一息も二息も、それ以上にゆったりとした呼吸ができる日々を過ごしていた。次の仕事はまだ先なので、しばしの休み。しかも結構長く休める。
 ここ最近の息詰まる忙しさからの解放。それはいいのだが、気が抜けたような息遣いになり、何もする気がしなくなった。忙しいときは、暇になればあれもしたいこれもしたいと、それを楽しみにしていたが、それらのメニューがいざできるようになってから急に色あせた。食べたくなくなった。そして今、何が食べたいのかとなると、これが思い付かない。何も食べたくないのだろう。
 それで何することなく過ごしていたのだが、次の仕事が迫ってくる。ぼやぼやしていると、また息が詰まるような日々になる。
 それで尻に火が付いたわけではないが、出掛けることにした。火が付くほど危険な状態になるわけではなく、自由な時間をエンジョイすればいいのだ。これは仕事中ずっと願っていたこと。今、果たさないといつ果たす。しかし、やる気がない。
 仕事もやる気がなかったが、尻に火なので、これは否応なくやっていた。しかし、遊びは強制されたものではない。好きなことをすればいいのだから。
 それで、余暇時間の過ごし方のメニューを繰ってみた。暇になったとき用のメモのようなもので、これを書くのが楽しみだった。
 その中の一つを無作為に選び、実行することにした。それは見知らぬ町をうろつくことだ。これはお金がかからない。
 見知らぬ町の候補も書かれており、暇になれば、あそこへ行こう、あの駅で降りてみよう、あのバスに乗り、妙な名のバス停があるので、そこで降りてみよう。また新しくできた超高層ビルの展望台に上がってみようとか、とんでもない値段のする湯豆腐を出す土産物屋レベルの食堂へ行ってだまされてみようとか、色々なことが書かれている。
 全て果たせることで、夢を書いたものではない。実現可能だ。
 無作為に選んだ見知らぬ町での彷徨を選んだのは、ただウロウロしているだけでもいいので、楽なためと、目的は現地で見付けることで、何をしに行くのかが一番曖昧なためだ。
 見知らぬ町の候補がいくつかメモられており、これもサイコロを転がすように、適当な数字を得て、メモの上から何番目かに当てはめる。大きな数字が出た場合は、また上から数え直せばいい。それで出たのが高の町。高の駅は高の町にあり、これはテレビをそれとなく見ているとき、出てきた町。名の通り高いところにある。周辺は平地だが、その高の町だけは丘の上にある。平野部に隆起したような地形だ。これが実は日本最大の古墳ではないかと妄想する。その証拠に山ほどには高くないが、ぽつりと島のように、その丘がある。しかし古墳としては大きすぎる。
 高の町はそのとっかかりにあるが、丘程度なので、普通の住宅地になっている。ただ山頂に当たるところには家がない。ここは森林公園になっている。
 テレビではその地形を紹介する番組ではなく、移動豆腐屋の話。昔の豆腐売りと同じだが、車で売りに来る。偶然その背景になっていたのが高の町。だから高の町の紹介ではなく、何処でもよかったのだろう。しかし、木村はその地形に注目した。その町名をメモしただけで、その後詳しく調べたわけではない。これは見知らぬ町探索用で、下調べして行くと、もう謎がないので楽しめない。現地でウロウロしながら発見する方がいい。
 これに決めたのだが、その日は腹具合が悪かったので、翌日にした。
 翌朝、腹具合は治っていたが、空具合が悪かった。しとしと降る冷たい晩秋の雨。これでは興ざめだろう。傘を差してまでウロウロしたくない。
 水を差された翌朝は晴れていた。しかし朝から友人からの電話。遠くへ引っ越し、滅多に会う機会がないため、帰省したときは必ず会っている。
 その翌日は曇っていた。これでは盛り上がらないので中止。
 その翌日は晴れていたが、高の町のことを忘れていた。
 二日後、思い出し、さあ行こうと思ったのだが、何か気が進まない。盛り上がらないのだ。
 そのうち次の仕事が始まったので、高の町はお蔵入りとなった。
 そして息が付けないほど忙しい日々の中、高の町のことが前面に出てきた。早くこれを終えて高の町へ行こうと。
 こうして行こうと思いながら行けないままのネタが数多くある。高の町もその一つになってしまいそうだ。
 
   了


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2017年11月26日

3454話 スリルとサスペンス


 ひやりとすることがある。これは何か危険な状態に入った瞬間だろうか。頭だけではなく、体に来る。ひんやりなら冷たいとか寒いで、ひやりよりも緩い。またひんやりが気持ちいいこともある。
 ひやりとなったとき、それはかなりまずいときで、または、そのまずい状態に入りそうになったときだろう。
 ひやりとすることは避けることができる。全てではないが、ひやりとなるような行為をしなければいいのだ。しかし普通にしていてもひやりとなることもある。
 スピードを出しすぎるとひやり率も上がる。そうかといってゆっくりと走っていたのでは逆に危険かもしれない。流れに乗るのがいいのだろう。
 ひんやりを楽しむように、ひやりを楽しむこともあるが、これは全体が分かっていることで、予測できること。スリルを楽しむのだが、滅多なことでは危険なことにはならないことに限られるだろう。一つ間違えば怖いことになる。これが二つならまだ安全だ。しかし一つでは、それに失敗すると、一巻の終わりになる。しかし、安全だと分かっていると、スリルがない。
 スリルと似たようなことでサスペンスがある。一寸した謎がスリリング。スリルよりもサスペンスの方が物語性がある。同じようにぞっとするようなこと、危険なことなのだが、スリルは体に来るが、サスペンスは頭にも来る。
 どちらも似たようなものだが、危機感ということが共通しているようだ。危険な状態の質の違いだろうか。サスペンスはそれ以外に謎が含まれるミステー性もある。
 スリラーものとサスペンスものの違いははっきりしない。どちらの要素も入ってしまうためだろう。ただ、スリラーものの方が生理的な怖さが高い。
 こういうのは分けなくていいのだが、それぞれにニュアンスの違いがあるようだ。
 日常でもこういう怖い話はある。瞬間的なものもあり、見間違えたり、うっかりしていたときなどにも起こる。あるはずの鞄の中の財布がなかったりすると、怖いと言うより、ひやっとするだろう。落としたとなると、中の現金もそうだが、カード類は面倒だ。
 鞄にではなくポケットに偶然入れていたとすれば、ここでほっとする。この安心感がもの凄く良い。この安堵感はひやっとしなければ出てこなかったりするので、敢えてひやっとなるようなことをして、戻りを楽しむこともある。危険なスポーツはそのスリルを味わうためだけではないが、多少その面がある。
 用もないのに冬山に登るというのもそうだ。余程の偶然が重ならない限り遭難したり、落ちたりしないのだが、これも足場の一つが崩れると、そのままいってしまうだろう。
 しかし、何も仕掛けなくても、ひやりすることはある。一寸先は闇で、何が起こるのかは分からない。
 
   了

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2017年11月25日

3453話 下手な考え


「下手なことはできん」
「でも、下手ですよ」
「だから下手なことはできんと言っておる」
「じゃ、何もできませんよ」
「上手くやればいい」
「それは無理です」
「努力が足りん」
「これで一杯一杯ですが」
「何とかならんか」
「なりません。ここは動かしがたい事実なのですから」
「じゃ、下手にやれということか」
「今までそうしてこられたのですから」
「しかし、恥ずかしい。いつもいつも下手な真似では」
「真似なくても、下手ですから、真似てもいませんよ」
「じゃ、何だ」
「下手でもやってこられたのですから、良いじゃないですか。他に方法はありません」
「下手は下手なりにということかね」
「そうです。上手く動くよりも」
「しかし、恥ずかしいじゃないか」
「下手こそものの上手なりと言います」
「言わない。そんなことわざなどない」
「そうでしたか」
「もっと上手い手を考えなさい」
「先方はこちらが下手だと思っています。これだけは真理に近いほど確実なことですから」
「念を押すな」
「はい。だから期待していないでしょ。だから上手く動くのです」
「え、下手で良いんじゃなかったのか」
「違います。上手に下手に動くのです。上手く立ち回ろうと下手に動くのです」
「どっちじゃ。下手なまま動くのか、下手に動くのか」
「どちらを選んでも下手なままですから、結果的には同じです。ただ、上手に動くことを下手に動くと言いますから、先方もそれを予想しています」
「方法を考えなさい。そんないい加減な作戦じゃだめだ。自分でも何を言っておるのか分からんだろ」
「それを下手な考えと言います」
「じゃ、上手い案を考えることが下手な動きになるのか」
「結果的には下手で終わりますから、何をどうやろうと、下手なまま」
「じゃ、最初から下手なままを押し通せば良いのだな」
「それも下手な考えです」
「下手を自覚しての理知的な動きではないのかね」
「り、理知的ですか」
「そうだよ君」
「下手な考え休むに似たりとも言います」
「下手な鉄砲数打ちゃ当たるとも言うぞ」
「ですから、そんなことを言っている状態そのものが既にだめなのですよ」
「そうか」
「下手で元々とかはないのか」
「ありません」
「じゃ、どうすればいい」
「何をやろうと下手なのですから、今まで通りでよろしいかと。それで何とかやってこられたのでしょ」
「そうか」
「上手く立ち回った連中は高転びしてますよ。私達が転んでも低いところからの転落なので、大した怪我はありません。すぐに立ち直れたでしょ」
「うむ」
「上手く動かないで、下手に動くのです。これからも」
「下手に動くということは、上手く動こうとして失敗することじゃないのかね。だったら下手に動くと危ないじゃないか」
「上手く動いても失敗することは分かっています。だからこそ下手に動くのです」
「大丈夫かね君」
「任せておいてください。私の下手な考えに」
「訳が分からんようになったので、もう勝手にしろ」
「じゃ、これから下手な考えで、下手な動きをしてきます」
「ああ、期待しないで待っておるぞ」
「ぎょい」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:36| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月24日

3452話 ガード下の幽霊


 いかにも出そうなガード下に、妖怪博士が出向いた。待ち合わせのためだ。出ると言えば幽霊。ここは幽霊スポット。待ち合わせ相手は幽霊博士。
「わざわざすみません」幽霊博士はまだ若いのだが老けて見える。目の周りが黒い。
「ここは有名な心霊スポットですかな」
「そうです。たまには先生の意見を聞きたくて」
「そうなのですか。しかしガード下では最近の幽霊ですなあ」
「戦前からありますから、結構古いです」
「こんなところに線路がありましたか。知りませんでした。あるはずがない線路じゃないのですかな」
「そこまで大袈裟なスポットではありません。それじゃスポットじゃなく線です。それにエリアが広すぎますよ。しかし、確かにこの線路は馴染みがないと思います」
「何線ですか」
「貨物の引き込み線です」
「じゃ、乗ったことがないはず」
「戦前からあります」
「では幽霊とは幽霊列車ですかな」
「違います。このガード下に出るのです。鉄道とは関係ありません」
「どうしてここなのですかな」
「出やすい雰囲気のためでしょう」
「それでもう解が出ておるじゃないか。私を呼ぶ必要はありませんよ幽霊博士」
「ここでの目撃例が非常に多いのです。だから有名な心霊スポットになっています」
「見ましたか」
「何を」
「幽霊ですよ」
「残念ながら僕は幽霊を追っていますが、一度も幽霊を見たことがないのです」
「それは健全だ。しかしあまりこの種のものには深入りしない方がよろしいですぞ」
「霊に接していると、健康によくないようです」
「そうじゃろ」
「そこで相談なのですが、いませんか」
「何が」
「妖怪です」
「ここは幽霊じゃろ」
「いえ、心霊スポットと言われているところは、実は妖怪の仕業ではないかと思うのです」
「それじゃ、あなたの仕事がなくなりますぞ」
「何か、それらしい妖怪がいそうな雰囲気はありませんか」
「さあ、急に問われても」
 ガード下は普通の道路と違い、側壁が汚れ、岩のようにも見える。普通の道路よりも野性的で、グロテスク。気持ち悪い場所。
「つまり、狐狸がそういう化かし方をしているのではないかということかね」
「下等霊の仕業が多いのです。人じゃなく、動物霊です」
「見ましたか」
「見ていません」
「写真はありませんかな」
「ここでの心霊写真は腐るほどありますが、全て合成です。動物は一枚もありません」
「あ、そう」
「だから幽霊など出ないのです」
「幽霊博士がそう仰るのなら、身も蓋もなくなりますぞ」
「僕は心霊を研究しているだけなので、商売でやっているわけではありません」
「今回は依頼じゃなかったのですか」
「依頼で何度も調べに来ましたが、分からないままです。だから手詰まりで」
「上の引き込み線が臭いようですが」
「僕もそれを考えましたが、幽霊とは結び付きません。貨物でしょ。客車じゃない」
「色々な荷が通ったのでしょうなあ」
「貨車ですから」
「人ではなく、物。人なら幽霊、物なら物の怪」
「そう来ますか」
「このガード下。列車からすれば、鉄橋。そして下から空が見える。隙間が一杯。天上が塞がれておらんガード下」
「荷は落ちないと思いますが」
「しかし、そういうものと繋がっている接点かもしれん」
「そうですが、ここでの目撃例の霊は鉄道とも貨物とも関係ありません。ずぶ濡れの女性が座っていたり、足音や大勢の声が聞こえたり、ここを通過中悪寒がしたり」
「座り込んでいる女性以外に、どんな幽霊が出ていますかな」
「ビニール傘だけが歩いて来るとか。側壁に人の顔が現れるとか」
「それらを全て幽霊博士は調べられたわけでしょ」
「はい、共通しそうな原因はありません。バラバラです」
「じゃ、嘘でしょ」
「写真も合成ですから」
「出やすい場所とは、出やすい雰囲気だからでしょうなあ」
「妖怪の可能性はありませんか」
「妖怪が人を化かすことは多くありますが、全て幻覚です。だから化かされた人の数だけネタが違うのです」
「バラバラなのはそのためではないかと思い、先生をお呼びしました」
「つまりこれは幽霊ではなく、怪だと」
「ただの怪異だと思います」
「似たようなものじゃ。どちらも怪しい話。つまりその現象が怪しいのではなく、話が怪しいのですよ」
「僕もそう思います」
「しかし、それじゃ仕事にならんでしょ」
「一つ一つの嘘話を追っていくうちに、健康を害したようです」
「病院へ行きなさい」
「しかし、因果な商売です」
「あなたの目の周りが黒いのは、悪い霊が憑いているためかもしれませんぞ」
「そのこともあって、先生に相談を」
「じゃ、きっと下等な霊。所謂動物霊。そして私にいわせれば、それは妖怪」
「はい、何とかなりませんか」
「幽霊の正体よりも、あなた自身のことですね」
「そうです」
「切り札があります」
「ああ、あの御札は効きませんでした」
「そりゃ気の毒だ。気のせいじゃ済まないところにおるようじゃな」
「はい」
「内臓が悪いのでしょ」
「はあ」
 幽霊を見たことのない幽霊博士と、妖怪を見たことがない妖怪博士なので、それ以上調べようがなかったようだ。
 
   了

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2017年11月23日

3451話 闇太郎


 寒くなってきたためか、妖怪博士はホームゴタツの中で固まっていた。南に面した奥の六畳がいやに暗い。既に日が暮れかかっているためだろう。
 妖怪博士は長すぎる昼寝から起きたあとも、またうたた寝をしていたようだ。
 誰かが戸を叩かなければ、そのまま朝まで寝てしまい、そのまま冬眠していたかもしれない。
 誰かが来ていることが分かったので、電気を付け、客を迎えた。
「闇太郎ですかな」
「そうです。あれは闇太郎です。最近よく見かけます」
 妖怪博士が妖怪名を探す前に、既に客が知っていたことになる。妖怪に名を付けるのが妖怪博士の仕事で、お寺さんが戒名を付けるようなもの。
「何ですかな、その闇太郎とは」
「真っ黒なやつで、町内を歩いています」
「通行人でしょ」
「全身真っ黒です」
「顔もですかな」
「そこまで近付いて見ていませんから分かりませんが、目だけ光っているような」
「頭の形は?」
「坊主です」
「じゃ、闇坊主の親戚でしょ」
「闇坊主ですか」
「あなたが見た闇太郎は闇坊主のことです」
「何ですか、その闇坊主とは」
「海坊主のようなものです」
「はあ、しかし私が見たのは陸にいました」
「進化して陸に上がったのでしょう」
「最近その闇太郎がウロウロしています。何度も見ました」
「時間は」
「深夜です」
「深夜の町で見かけたのですな」
「そうです」
「あなた、そんな真夜中、どうして外に?」
「はい、夜中の散歩が趣味でして」
「趣味?」
「いえ、趣味と言ってますが、実は昼夜逆転しまして、夜中中起きているのです」
「じゃ、今は」
「今は起きたところです。これから一日が始まります」
「あ、そう」
「夜中の散歩。これは僕にとっては昼間の散歩と同じことなのですが、町内を一回りします。そのとき、見かけるようになったのです」
「見ただけですかな」
「そうです。闇太郎に近付いていくと、逃げていきます」
「じゃ、散歩しているだけでしょ。その闇太郎は」
「闇坊主はどんな感じです。闇太郎と同じものでしょ」
「闇坊主は大人しい妖怪で、海坊主のような荒々しさはありません。岡に上がった魚のようなものですからな」
「闇坊主は何をする妖怪でしょうか」
「だから、散歩しているだけですよ。それだけの妖怪です。まあ、妖怪は何か一点だけに凝り固まったようなのが多いのです」
「散歩だけですか」
「散歩というか、暗い場所を黒い姿でウロウロするのですがね」
「僕はどうすればいいのでしょ。そんなものを見てしまったのですから、何か怖いことでもあるような」
「ああ、闇坊主を見るようになれば、少し危険だと言われていますなあ」
「昼間が嫌いなのです」
「どなたが」
「私がです」
「あ、そう」
「だから夜に引き籠もっています」
「なるほど」
「それがやはりだめなんでしょうねえ。それで闇太郎を見てしまうのでしょう」
「ところで、どうして闇太郎という名を?」
「分かりません。それを見たとき、あ、闇太郎だと思ったからです」
「確かに昔の盗賊で闇太郎という架空の人物はいますし、付けやすい名なので、他にもいるでしょ。過去に闇太郎という名を聞いた記憶はありませんか」
「ありません」
「あ、そう」
「これは何でしょう」
「このままでは闇の世界に引きずり込まれます」
「その気がします。もっと濃い闇の世界に籠もりたいと思っていましたから」
「闇坊主、それは闇の病とも言われています」
「やはり普通の生活に戻れということですか」
「それは自覚しておられるでしょ」
「はい、闇太郎がその警告だと思います」
「理解が早いですなあ」
「いえ」
「じゃ、そういうことでいいですね」
 そして客は去って行った。
 妖怪博士は見料を取るのを忘れてしまった。いつもなら適当な護符や御札を渡して、札料を取るのだが、別に魔除けを必要とする妖怪でもなく、また本人も生活習慣を改めるということで、解決したようなもの。
 客が帰ったあと、またホームゴタツでうたた寝を始めたのだが、長い昼寝だったので、もう眠気はない。ただ寒いので、じっと座って固まっているだけ。
 そして寝る時間になったので、蒲団を敷いたのだが、目が冴えて眠れそうにない。
 眠れいないときは資料の整理にあたるので、それをやっていると、寝たのは朝方だった。そういうサイクルが続き、妖怪博士自身が昼夜逆転してしまった。
 客が見た闇太郎。昔からいる闇坊主。これは人から移るようだ。まるで風邪じゃなと、妖怪博士は苦笑いした。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:57| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月22日

3450話 訳ありの女


 京都大原、晩秋、空は哀しいほど晴れ、木々が恥ずかしいほどに赤い。
 そこを訳ありらしき女性が野を行く。たまに立ち止まり、何やら思案。ふと前を見ると似たような訳ありの女性がいる。事情は違えど、こんなところに一人で来ていることが訳あり。
 さらにその先の道にも女性がポツリポツリと歩いている。その道沿いに昔の茶店のようなものがあり、赤い毛氈の腰掛け台にやはり似たような女が間隔を置いて座っている。
 その先に人の列が見える。いずれも訳ありの女で、大きなお寺の前まで続いている。その山門を潜ると境内はもう頭しか見えないほどの人人人。いずれも訳ありの女達。ものすごい数の訳があるのだろう。
 山門横に土産物屋が並び、そこに訳ありの店の看板。
 中に入ると、訳があるのは女ではなく、品物のようだ。そこに入った女は死んでいた目が生きる。ブランド品がもの凄く安い。これは何らかの事情で傷が付いたような訳あり品ではなく、偽ブランドだろう。
 その横に訳ありレストランがあり、これは流石に客は一人もいない。明らかに失敗してるため、近いうちに閉めるはず。
 訳ありの女達がその訳を話せる場所がある。占いの店だ。これも軒を連ねている。
 女一人大原での逍遙は無理で、ポツンと立てない。
 訳ありの女の情念が紅葉をさらに赤く燃やし、紅蓮の炎が天まで焦がす。しかし、これだけ多いと火事場の野次馬。
 三味や踊りは習いはするが、習わなくても女は泣けるらしく、どの訳ありの女も涙目。
 それはいいのだが、こうも頭数が多いと訳が分からない。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:14| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする