2021年01月04日

3984話 貧乏餅


 大晦日のことだった。吉田は商店街で餅を買おうとしていたのだが、少しでも安いのを買いたい。お金はギリギリ。元旦に餅が食べたい。雑煮を食べたい。これは子供の頃から続いている習慣。実家を離れてからも元旦の朝は必ず雑煮を食べる。
 それが今年は途切れそうだが、餅を買うだけのお金はある。しかし安いにこしたことはない。餅だけの雑煮では何なので、ネギも入れたい。蒲鉾も入れない。しかも正月用の。だが、この時期買う蒲鉾は高いので、流石にそれは避け、普通のちくわにした。
 何故そんな暮らしぶりになったのかは分からないが、本人は全てを知っているだろう。しかし、分からないことにしていた。偶然だと。
 餅が危ない年の瀬になっているのだが、年が明ければ解決するかもしれない。良い年になるかもしれない。具体性は何もなく、また希望の明かりも見えていない。だからこそ餅が必要。
 つまり元旦に雑煮を食べないと、毎年続けていたものが途切れる。これは縁起物。縁が切れる。だから元旦に餅を食べ、縁を引き付ける。そのため、それを欠かしては駄目。
 最初見たパン屋のはずの店で小餅が売られていたが、固そうだし、高い。それでパスする。
 商店街はアーケードで覆われたトンネル。少し薄暗いのは流行っていないためだろう。昔は歩けないほど人がいた。
 次の店を見付けた。ここは饅頭屋だが、つきたての餅を売っている。杵つきと書かれている。指の腹で押さえると、ぐっと沈む。これだろう。と思い値段を見ると高い。先ほどのパン屋の餅よりかなり高い。
 つきたての餅を煮たり焼いたりすると火事になるといわれているので、もう少し古いほうがいい。しかしパン屋の乾パンのような固さでは困るが。
 吉田はさらに奥へと進む。
 この商店街にはたまに来るが、奥まで行く用事がない。まだ店屋が続いているので、餅を売っている店が他にあるかもしれないと思い、吉田はさらに奥へと踏み込んだ。
 それに従い淋しくなってくる。閉まっている店屋の方が圧倒的に多くなり、客も一人か二人いるだけ。しかもよく見ると店の人かもしれない。
 そして餅と書かれた文字が見える。とってつけたような看板だが、紙にそれを書いて貼ってあるだけ。まるで易者のように。
「易」と「餅」の違い。かなり違う。
 老婆が易者のように座っている。テーブルの上に餅が置いてある。後ろはシャッターが閉まった店屋で靴屋だろう。赤さびと埃で凄い色になっている。
「貧乏餅だよ。買っていかんかい」
「貧乏餅?」
「そうだよ。この中に貧乏神がいるじゃわ」
「そんな気持ちの悪い。余計に貧乏になる」
「そうじゃなか。この中の貧乏神は強いんだ。だから他の貧乏神が来ても寄せ付けんと」
「つまり、どういうことです」
「貧乏封じの餅じゃ」
「注連縄にミカンを付けるようなものですか」
「そうそう飾り餅じゃ。大きさも似ておろう」
「これ以上貧乏にならないのなら」
「そうじゃろ」
「はい」
「一つ千円」
「高い」
「安すぎるがな。たった千円で、それ以上貧乏にならん」
 吉田が出せるギリギリの金額だ。餅屋の餅よりも高いが、雑煮で食べるのは一つでいい。
 金運を呼ぶより、悪い金運を断ち切る方がいいと思い、吉田は買った。
 そして明けて正月。貧乏餅を雑煮しにして食べた。
 その年、吉田の貧乏は続いたが、それ以上落ちなかった。
 
   了
 

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2021年01月03日

3983話 大晦日の阿弥陀籤道


 いよいよ年越し間近の大晦日。明けて新年を迎えてから少し立った頃、島田は大晦日のことを思い出した。すっかり忘れていたのだ。数日前のことだが、思い出したくなかったのだ。
 また去年のことになるので、もう昔のことのように思う。数日前なのに、昔。
 大晦日、島田は彷徨っていた。暮れゆく年の瀬、何とか来年に繋がるような何かを得たいと。
 来年といっても明日のこと。一日で得られるようなことは知れている。しかし、何かを掴みたい、きっかけでもいいので。
 そう思い、暮れかかった大晦日の闇を彷徨った。部屋の中で彷徨ってもいいのだが、檻の中の熊だ。同じところをぐるぐる回っているようなもの。直線コースは短い。
 市街地に出ると、何処までも続いているような直線コースがある。これなら景色も変わる。
 島田はそれなりの外出着で、とぼとぼと歩いている。散歩者というよりも、何処かへ出掛けるか、または戻る人のように。
 直線コースが望ましいのだが、信号待ちが嫌なので、横道に逸れたりする。特に目的地はない。だが少し賑やかなところがいい。人が多いほど目立たない。
 それで、適当に歩いていたのだが、駅前へ向かうことにした。そうでないと、そのまま行くと淋しい場所になる。郊外の住宅と工場が混ざったような場所で、殺風景。
 それなら最初から繁華街のある大きな街まで電車で行けばよかったのだが、まずは歩いてみたかった。歩きながら考えを纏めたかった。しかし纏めるだけの材料がない。
 来年に向かい、何か新たなことがしたい。そのヒントになるようなものを得られればよい。
 来年に架ける橋。それを大晦日の今日、見付けたい。今日、それを見付ければ、来年からそれを渡る。来年とは明日ことだが。
 この間隔がかなり短いような気がする。
 島田は駅前へと進路を変えたが、あまり来たことのない場所まで直線コースで歩いていたので、行き方を考えないといけない。もと来た大きな道沿いを戻ればいいのだが、方角が駅前とは違う。ここからなら斜め方角になる。
 島田は工場と住宅の間をじぐざぐに抜けているとき、まるで阿弥陀籤を引いているような気がしてきた。
 次の分かれ道まで来ると、人影が立っており、それが阿弥陀さんだと、怖いだろう。
 しかし、電柱の横に人影がある。最初は物だと思っていたのは動かないため。
 阿弥陀菩薩ではないが、背の高い人で、かなり痩せている。寒いのに薄着。
「あのう」
 と、その人が話しかけてきた。
 島田は阿弥陀さんだとは思わないものの、阿弥陀の化身ではないかと、一瞬感じたのは、その人の雰囲気だろう。そして「あのう」の声に品がある。
「はい」
「あのう、駅前前はどちらでしょう」
 島田は道を聞かれているのだ。それに自分も行くところ。まさか、この人も来年への橋を架けるため、大晦日の夜に彷徨っているのだろうか。
 駅前までの道順は島田にも分からない。聞きたいのは島田の方。
「下名草の駅なら、この方角ですが、真っ直ぐな道はないようです」
「新京駅です」
 それは歩いて行ける距離ではない。大陸に渡らないと行けないだろう。
 関わりたくないので、島田は、すっと離れた。人のことよりも、自分のことで、一杯一杯なのだ。
 さらにその阿弥陀籤のような道の抜け方をしていると、また電柱の横に阿弥陀さんのような人影。
「そこの人」
 と、先ほどの人とキャラが違う。少し迫力がある。
「はい」
「西京駅はどちらじゃ」
 先ほどの人ではない。
 島田は無視し、その横を通り抜けた。
 この調子なら、まだまだ出るぞと思いながら。
 
   了



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2021年01月02日

3982話 祠巡礼


 妖怪博士は坊さんの月参り、つまり亡くなった人の月命日に参るように、妖怪などが憑いた人や家とかを訪問する仕事がある。これは税金がかからない。それに直接お布施のように現金で車代としてもらう。ただのお車代だが、結構遠くまでタクシーで往復できそうな金額のときもある。それで訪問後、本当にハイヤーを呼んで、お車代分の距離を乗り回したこともある。当然往き道と帰り道は違う。
 そのため、本当にお車代を車代で使い切ったりする。最近はそれを楽しみにしている。
 また、いい場所があれば、そこで降りて、そのあたりを散策し、食事処があれば、そこでいいのを食べる。好物は上トロの刺身。流石にタクシーは降りたときに帰す。
 その日もそんな感じで寺社などが結構ある観光地をウロウロしていた。いつもは降りることはなく、ドライブを楽しむ感じだが、冬場にしては暖かく、陽射しもあり、よく晴れているので、ぶらつきたかったようだ。
 妖怪博士は大きな神社やお寺には行かないで、その周辺にある小さなお堂や、祠や石塔や石仏などを見て回る。
 祠だと思い、覗き込むと犬が飛び出したこともある。そういう形をした犬小屋だった。
 黒くて長いコートの襟を立て、黒くて縁の広い帽子を被り、さらに杖をつき、猫背で歩く姿は異様だが、寺社参りで、そういう年寄りは結構いるので、それほど目立たない。それに服装自体は地味。
 大きな寺があり、それに寄り沿うように、小さな寺も集まっている。神社は遠慮したのか、このあたりにはない。
 そして大寺の裏側にゴチャゴチャした一角があり、そこにお堂や祠などが点在している。当然、そこを順番に回っている土地の人がいる。それらしい人を見付け、あとを付いていけば周遊コースが分かる。
「先ほどから、付いてきていますが、何か御用ですか」
 尾行の仕方が悪かったのか、妖怪博士は魂胆を見抜かれたと思ったが、そうではなく、後ろからややこしそうな人が付いてくるので、気味悪がったのだろう。
「いいところですなあ」
 妖怪博士は、間を飛ばして、その話題に振った。
「ああ、年寄りの散歩コースですよ」
「いくつほどあります」
「参るところかね」
「そうです」
「七箇所ほどあるかのう」
「それは多いと言えますね」
「しかし離れたところにぽつりとあるクワガタさんへは行かないことが多いのです。信号のない道を渡るのが面倒なので」
「え、何がですかな、そのクワとは」
「クワガタさんと言って、クワに関係する神様がいます」
「鍬形のことですかな。兜の」
「そうです」
「兜を祭った祠ですか」
「兜はもうありませんがな」
「それは」
「平安時代の話です」
「それは古い」
「平家の武者が被っていた兜だと聞きますのう」
「それは何に効きます」
「やはり武運でしょ」
「その平家の武者は強かったのですかな」
「祠のあったところで、亡くなったようです」
「それは哀れな。じゃ、弱かった」
「さあ」
「敵に見付からなかったのですかな。そんな鍬形の兜などを被った武者の首なら拾い首でも手柄になる」
「さあ、そこまでは知りませんが」
「首塚じゃないのですか」
「いや、そのへんに埋めたらしいです。村人が」
「そしてお墓代わりに祠を造り、その中に兜を入れたのですかな」
「そうそう。そう言う話じゃと思いますよ」
「じゃ、村人と親しかった平家武者だったのかもしれませんなあ」
「さあ」
「行ってみます。場所を教えて下さい」
「はい、いいですよ」
 妖怪博士はお参り周遊コースから離れた場所にあるという、その祠への道順を聞き、そちらへ向かった。
「あのう」
 先ほどの人が呼び止めた。
「妖怪が出るようなので、注意を」
「はい、有り難うございます」
 しかし、道順を間違えたのか、鍬形へは辿り着けない。近くの人に聞くが、そんな祠はないらしい。
「やれられたようじゃ」
 妖怪博士は苦笑した。
 祠巡り、その周遊コースに出る妖怪がいるのだろう。
 
   了



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2021年01月01日

3981話 一年間の達成感


「今年、これといったことはしていない」
「はい」
「このまま新年を迎えたくない」
「去年はどうでした」
「去年はこれといったことをしなかったように記憶しているが、忘れた」
「その前の年は」
「以下同じ」
「じゃ、例年通りですね。今年も」
「だからこそ何とかしたい。数年分、いや十年分ほど溜まっているかもしれん」
「これって言うことって何でしょう」
「何か成したと言うことだ」
「一つ年をとりますよ。これだけでも十分では」
「そうかね」
「無事に年をとるだけで十分でしょ」
「体調が悪いので、無事ではないと思うが」
「それでも生きて年をとる。死んでからは年はとれませんよ」
「生きていたら何歳とかもあるだろ」
「でも誰も見たことがありません。本人でさえ」
「そうだね。で、君はどうなんだ。良い年だったか。これと言うことを成したか」
「いいえ」
「あ、そう。それはそれは」
「嬉しそうですねえ」
「同じなのでね」
「でも何かを成した年であっても、別にどうってことはないですよ」
「しかし、何もないよりはまし」
「欲しいですか」
「欲しい。何か成したと言うことが」
「今からじゃ遅いですしね」
「買えるものじゃ駄目なんだよ。一年掛けてやったようなことでないと」
「ローマは一日にして成らずですね」
「三日でも無理だ」
「はい。でも、何もなくてもいいんじゃありませんか。逆にすっきりしたものですよ。苦労もいらないし、努力もいらない」
「苦労、努力、どれも避けてきた」
「じゃ、無理ですよ。何か成すにはそれなりのことをしないと」
「君もしなかったのかね」
「そうですよ」
「おお、威張ってる」
「余計なことをしただけで終わることが多いですからねえ。自分のためにも人のためにもならなかったりしますし」
「せめて自分のためだけでもいいから、やりたかったなあ」
「でも、しなかったのでしょ」
「やる気はあったが、新年早々諦めた。しんどそうなのでね。寝ている方がいいと」
「なるほど」
「君はどういうつもりだった」
「僕は何も成せませんでしたが、望んだ通りの年になりました。それで満足です」
「何を望んでいたんだ」
「怠け倒すこと」
「ほう」
「この一年、怠け倒してました。だから何も成果はありませんが、怠け倒したという達成感はあります」
「おかしな人だ」
「これもまた道です」
「若いのに、怖い人だ」
「いえいえ」
 
   了




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2020年12月31日

3980話 暗雲


 年末、もう数日で年を明けるというのに、その手前で三村は立ち止まった。何か重い空気を感じる。白ではなく黒。黒い空気というのあるとすれば、煙が出ているのだろう。それほど黒いと危ないはず。
 そうではなく、暗雲が立ち籠め始めた。実際にそんな暗い雲が空にかかっているわけではないが、三村の頭の中に、それが立っている。あと数日で新年なので、その手前で妙なことが起き、年を越せないかもしれない。越せたとしても、無事に越せないで、その暗雲を引きづったままの年明けとなり、その後、ずっとその雲が取れない。
 三村はそんな気がしてきた。今年は調子が良かった。だからこのまま大晦日まで行けるはず。クリスマスもいい感じで終えた。あと一息ではないか。
 暗雲の原因は分からない。ただ漠然とした不吉さがある。悪いことが起こるような。
 それが何かが分かっておれば、対処の仕方もある。だが、分からない。何が来るのか。
 こういうときは下手に動かない方がいいのだが、押し迫った頃、三村は街中に出て買い物をしたりする。また今年中に済ませたい用事もある。当然楽しい用事が多いのだが。
 だから今年は暗雲が理由で、元気がない。どうせこの暗雲、闇のようなものに包まれ、大変な大晦日になり、大変な新年になる。そう思うと、楽しいことなどできなくなる。
 これは一種の予知能力なのかもしれない。今までにもそれに近いものがあったのだが、そういうお知らせを無視して過ごしてきた。だが、後で考えると、その虫の知らせのようなことは当たっており、それに従っていた方がよかったことが多い。このお知らせはストップがかかる。つまり、それをやろうとすると邪魔が入る。出掛けようとすると雨が降る。軽く止められているのだ。しかし、何の因果関係もない。個人の事情で天から雨が降るわけではない。
 しかし、今年は違う。良い年だっただけに、何か悪いことの一つや二つないとおかしいと思う。
 このまますっと新年を迎えられないのではないかという不安は、そのあたりからも来ている。
 それで三村は年明けまでの数日間、大人しくしていた。
 そして除夜の鐘が鳴り出す手前、三村は注意深く時計を見ていた。あと数秒だ。まだ越していない。最後の際に来るかもしれない。
 目を閉じていたので時計は分からないが、毎年零時に鐘を鳴らす寺があり、それが聞こえてきた。年を越してから鳴らすので、時報のようなもの。それが三度鳴る。そのあとは鳴らない。
 三村は無事、年を越せた。
 そして、そっと目を開けると……
 
   了


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3979話 年越し

「クリスマスはどうでした」
「いつの間にか来て、いつの間にか去っていました」
「そうですか」
「あなたは」
「同じようなものです」
「そうですか」
「年末はどうですか」
「もう数日で今年も終わりますねえ」
「どんな感じですか」
「さあ、いつの間にか来て、いつの間にか新年でした。明けて新年、元旦。正月三が日もあっと来てあっと去るでしょう。初夢を見る暇がないほど早い」
「そこまで早くはないと思いますが、要するに平日と変わらないと」
「そうです。だから色々とゴチャゴチャある年末年始は調子が狂います。早仕舞いする店、休む店。平日の方が良いです。特別な日よりも」
「以前からそうでしたか」
「いや、子供の頃はクリスマスやお正月が楽しみで、早く来い来いお正月でしたよ。ずっと待ってました」
「お年玉ですか」
「クリスマスプレゼントやお年玉、前者は物で来ますが、後者は現金で来ます。プレゼントは予約できて、これが欲しいと言えばそれが来ます。いずれにしても小遣いができ、色々なものが買えます。つまり正月は玩具買いで忙しかったのです。そういうのを買いに行く行事が正月行事だったのです。神社にも行きますが、輪投げをよくやりました。狙っている人形、買った方が安かったです。でもたまに輪を買い足さなくても一発で入れた物もありますがね。これはミロのビーナスですが、ただのヌード人形。これは恥ずかしくて、家に帰っても飾れませんでしたがね」
「何故裸人形を狙ったのですか」
「どうせ入らないので狙ったわけではありません。それに当てて、手前のものを狙っていたのですが、当てたはずが入った」
「急に元気になりましたねえ」
「行事よりも、そういうことが子供には楽しいのです」
「そうですねえ」
「そういうのはもうできませんので、クリスマスも正月も、面白くありません」
「まあ、無事クリスマスを超え、今度は無事年越しできれば、それだけで十分でしょ。但し無事に」
「それでもクリスマスと正月、少しだけ散財したい気分です」
「そんな小遣いがあるだけでもいいじゃありませんか」
「いや、何か買っても昔ほどの喜びはない。子供の頃のようなあの燥ぎ方がね。もうできない」
「年をとるに従い、そうなるものでしょうねえ」
「そうですねえ」
「ところで、あなたはこれからどちらへ。買い物ですか」
「仕舞い参りに行きます。今ならガラガラなので」
「はあ」
「しかし、それが私の初詣なんです。年に一度しか行きませんからね。それが年越し前になるだけです。今年初なので、これも初詣でしょ」
「渋いことをなされるのですねえ」
「あなたはこれからどちらへ? 買い物ですか」
「いえいえ、師走の町をウロウロするのが年中行事でしてね。特に目的はありません」
「そうですか、じゃ、いい年越しを」
「はい、あなたも」
 
   了


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2020年12月29日

3978話 繁華街の裏道


 年末、年の瀬。年が押し迫って来た頃、芝垣は街中をうろついている。迫って来ているのは来年かもしれない。あと少しで正月。新年。それが迫って来ている。大晦日が迫っているのではなく。
 何故ならそんなものは数日で終わるだろう。大晦日など一日だ。長いのは新年。一年ある。
 忘年会の翌日から仕事は休み。今年のことはもういい。忘れるための忘年会。
 芝垣は忘年会ですっかり今年のことなど忘れたわけではないが、もう来年のことを考えている。といっても一週間もない。週が始まったばかりの頃、週明けからのことを考える程度の距離。
 街中を芝垣がうろついているのはやり残したことがあるため。既にクリスマスの飾り付けは終わり、正月ムードがもう既に漏れ聞こえている。今年はクリスマスで終わったかのように。
 正月用の品々の買い忘れがあって街中に出てきているわけではない。その程度のものなら近所でも売っている。わざわざ大きな繁華街のある街などに行く必要はない。そこで祝い箸を買って、どうするのか。
 それに芝垣は祝い箸など使わないが、子供の頃、元旦の朝は、祝い箸が出たのを覚えている。実家にいた頃は毎年出た。使うのはその日だけ。
 芝垣が繁華街に出たのは、その裏にある妙な通路。そこを探検したいと思った。幸い今日から冬休み。仕事始めまでかなり間がある。もし手間取り、一日二日と長引いてもかまわない。おそらく年内、除夜の鐘の前には片付くだろう。
 本当は、すっとその通りに入り、すっと出てくれば時間はかからない。あとは家電店で無線のヘッドフォンを買う程度。コード式は縺れるし引っかかるので邪魔で邪魔で仕方がない。しかし大きな音を鳴らすわけにはいかない。ヘッドホンなしでは小さな音だし、音質も悪い。幅がない。やはり耳元から流れてこないと、伝わる物が途中で落ちてしまうのだろう。それにパソコン内蔵のスピーカーはカサカサする。
 しかし、そんなことはどうでもいい。問題は繁華街の奥にある通路。その先に何があるのかを調べてみたい。
 昨日も実は忘年会のとき、その近くを通った。以前からも、その通りがあることは知っていたが、怪しげなので、なかなか踏み込めなかった。
 それを昨日、思い出した。翌日行ってみようと。それが今日。
 仕事が休みに入って真っ先にやるのは、そんなことか。それでいいのかと思いながらも、他のどんなことよりも気になる。
 ただ、それは人には言えないだろう。ワイヤレスヘッドホンを買いに行くのなら言えるが。
 だから非常に一般性の低い行為。
 芝垣は繁華街のメイン通りからその裏道へ続く入口に入った。その枝道が裏道ではない。そこからさらに奥へ踏み込み、何度か曲がらないと、本当の裏道へは行けない。大凡の行き方は分かっており、裏道の路地の前まで来たこともある。問題はその先。
 夕暮れが近いのかネオンが灯り出す。雰囲気としてはいい。そして裏道へと続く通りや小道を進むに従いネオン看板が少なくなり、場末感が漂う。
 そして、目的とする裏道の前に来た。
 決心はできている。今日から当分休み。安心して突っ込める。
 ずっと気になっていたこの裏道の中、一体どうなっているのか、はたまたその先に何があるのか。
 芝垣は緊張しながらも、足を踏み入れる。入口には人がいたが、裏道の中は無人。その先はトンネルのように暗い。
 何処からかジャズの音色。そういう店があるのだろう。しかし、店屋らしきものはあるにはあるが、全て閉まっている。大きな繁華街とはいえ、この深い箇所までは人が流れて来ないのだろう。まるで深海。
 芝垣は深海魚になったつもりで、裏道の細い通路を泳いでいった。
 
   了


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2020年12月28日

3977話 埒内埒外


 埒外はある範囲を超えたところのものだが、今の範囲内からでもよく見えている。圏外でまったく見えないわけではない。埒内と埒外の違いはあるのだが、それは将来に対してのこと。今のことではない。埒内が増えると埒外だったものも埒内に入ってしまう。
 だから埒外だと諦めたりしないで、いずれは埒内に入ると思えば、埒外も埒内になる。予想される未来のようなもの。しかし、その予想内ではなく、予想外で、本当にかけ離れていてもう無関係に近い埒外もある。こちらが本来の埒外。全くの見当違いで、それを内に取り込もうとすること自体が無茶な話。また無理な話。
 ところが可能性のある埒外もある。先の予定にはなく、埒外なのだが、可能性はある。しかし実現性が乏しいので、埒外に置いている。
 この灰色のような、どちらなのかが曖昧なものもある。少し経過すれば色々と変わり、埒内になる可能性がある。
 埒内のものよりも埒外のものの方が魅力がある。それは身の丈に合わないので、埒外となっているのだが、身の丈が変われば埒内に入る。
 また段違いのものにはそれなりの魅力がある。その段を上っていけば、段が同じにさえなれば、段違いではなくなる。しかし、今すぐというわけにはいかない。
 埒外と思うのは気持ちの問題も大きい。現実を鑑みれば、そういう気持ちになって当然。大きな背伸びになる。または過激すぎたりやりすぎになったり、的外れの暴挙になるかもしれない。そういうことを秘めているので、その含みが気持ちにも出る。気持ちにはその裏付けとなるような具体的なものを飲んでいるので、そうなるのだろう。
 しかし、一つの埒外をものにしたときは気持ちがいい。なかなかできないことであり、勇気もいるし、自分という殻を破る必要さえある。自分はその殻で守られているので、破ると危ないことになるのだが。
 埒外や埒内は計算された世界。それとは別に勘のようなものがある。これなら埒外で何の裏付けもないのにやってしまうことがある。このときの判断はだたの勘としか言いようがない。ただのムードだったりするが。
 そういう直感のようなもの、計算しないで閃いたものは、そのときは良いが、すぐに計算機が働き出し、おじゃんになる。やはり計算が立たないため、埒外に投げ返される。
 しかし人としては埒外な事をやっている人の方が興味深い。いったいどんなバランスで、そんなことができるのかと。
 その人だけの計算式があり、その人の中では計算できる世界で、埒内なのかもしれない。
 
   了
 


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2020年12月27日

3976話 妖怪堂


「祠とお堂の間ぐらいの大きさでしてね。祠は人などは入れないほど小さいのがほとんどですね。お堂になると人が入れる大きさ。それの小さいのがありましてね。庚申堂らしいのですが、今は使われていません。それに中は何もありませんが、台座が残っています。須弥壇というのでしょうねえ。青面金剛さんがいたはずなのですが、いません。もぬけの殻です」
「それで」
「この須弥壇といいますか、台座ですが、その背に板が付いています。大きな板です。黒板のような。ここに色々なことが書かれた紙が貼られていました」
「はい」
「その庚申堂は古墳の近くの繁みの中にありましてね。古墳とは関係ありませんが、近くにお地蔵さんなどもある一角なので、この町の聖域のような場所です」
「それで何が起こったのですかな」
「祠の裏というのをご存じですか」
「裏側ですか」
「たとえば塀とかを背にしたり、山なら崖を背にしたりします。まあ、祠の裏に用事はありませんが、その庚申堂、裏側は土塀ですが、隙間があるのです」
「何が起こったのですかな」
「最近妖怪がこの近くをうろついています。一匹、いや一体と数えるのでしょうか、大小います。何体も何匹も。それが湧き出る場所を私は突き止めたのです。話はそこから始まります」
「妖怪を見られたのですな」
「そうです」
「続けて下さい」
「妖怪のあとを付けたのです。すると庚申堂の裏側に入り込みました。狭い隙間です」
「はい」
「私はそっとそれを見ていると、庚申堂の裏から中へ入っていきました」
「裏口があるのですかな」
「はい、庚申堂は村人の密談場所でもあるのです。それで、もし何かあったとき、裏口から逃げられるように、須弥壇の裏側から出るのです。普段は板のようなものがあるので、戸は見えませんが」
「それで」
「私も、その裏口の背の低い板戸を開けて、中に入りました。すると」
「妖怪がウジャウジャいたのですかな」
「いえ、広いのです」
「何が」
「庚申堂がです。倍以上の広さで、あの板も、台座のような須弥壇のようなものもありません。ただの板の間。かなり広いのです。そして本当の入口を開けてみますと、見たことのない場所が目の前に開けているじゃありませんか」
「それは昼ですかな、夜ですかな」
「夜です」
「どんな場所でした」
「提灯が一杯。人も多いです。何かの祭りのようで、お堂の前の広場でやっているのでしょうねえ」
「何時代ですかな」
「今じゃないのは確かです」
「髪型はどうです。髷を結っていたとかは」
「そこまでは見ていません。少し離れているし暗いので」
「ほう」
「私は怖くなり、すぐに戸を閉め、狭い板戸を開けて、裏に出ました」
「そこは」
「はい、さっき入った所でした」
「はい」
「翌日、気になったので、またあのお堂の裏へ行き、もう一度入ろうとしましたが、そんな裏戸は見付からなかったのです」
「よく出来た話です」
「はい」
 妖怪博士は、もう聞く気がなくなったようだ。
 
   了


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2020年12月26日

3975話 あれも夢これも夢


 下草は何か夢を見ていたようだが、起きてしまうと、忘れてしまった。それが気にならないのは実用性がないためだろう。夢判断には興味はないし、何とでも解釈できる。その解釈の仕方に、その人の深層心理があるのだろう。見た夢ではなく、解釈に。
 しかし深層心理、無意識だが、これは意識できないのだから、何ともならない。何かを実行するとき、この深い意識が作用しているといっても、意識できないのだから、どんな意識なのかは分からない。それもまた解釈の問題で、何処まで行っても深い闇の中から小石を拾うようなもの。小石は一杯転がっている。
 下草は、そんなことを思いながら朝の用意をしていたのだが、何故か気になる夢。覚えていないのだから、気になるも何もない。忘れたので、気になる程度。
 しかし片鱗というか、カケラぐらいは覚えている。具体的なものではなく、ジャンルぐらい。
 ああ、そのあたりの夢なのか程度。
 それはかなり深い夢、奥の方から湧き出て来る夢に近い。似たような夢を見て、覚えていたことがあり、それは実に興味深いというか、根底に関わるような夢だった。簡単に言えば懐かしいような。
 今回、すぐに忘れた夢も、そのタイプだとは見当が付く。
 これは何かを教えてくれる夢だが、具体的なものではなく、抽象的。方向性だけを示唆するような。それを受け入れるかどうかは下草次第。
 懐かしく感じる夢は、過去に懐いた未来へ引き戻そうとしている。
 しかし、今回は覚えていないのだから、印象に突き刺さらない。そこからワッと何かが開けてくるような種のある夢であったとしても、忘れたのなら仕方がない。
 現実は実は夢の中にあり、現実こそ夢だったりする話もある。本当のことは夢の中にあり、その全体像は分からないが、欠片は分かる。これが本当の現実の一部。そう解釈するのもいいのだが、そうなると、夢と付き合うことになり、これはこれで面倒。
 また、夢は荒唐無稽。それが果たして現実といえるかだろう。だから夢は所詮は夢。ああ、夢を見ていた程度のことで、それ以上詮索しない方がいい。
 下草は準備を済ませ、家を出た。
 歩きだしたとき、普通の現実がどんどん流れる。歩くスピードで流れが変わる。
 それで、夢を見て、忘れて、そしてそれは何だったのかと思い出していたことも、忘れてしまった。普通の現実の中を歩いているためだろう。
 布団の中が夢の住処。この布団の中こそ、もう一つの現実。しかし、自分だけの現実。それだけにより個の世界。
 まあ、プライベート空間とかプライベート時間というのももう一つの現実だといってもいい。個人的な世界。
 現実が夢なら、その夢の中でまた夢を見ていることになる。あれも夢、これも夢。
 しかし、あたりまえの話だが、現実と夢との区別は誰にでもできるし、分かりきったことなので、区別する必要もないのだろう。
 
   了


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