2019年12月31日

3617話 年の瀬に乗る


 年の瀬、佐々木は別にやることがない。忙しくしている人もいるが、佐々木にはそれがない。ただ座して年明けを待つわけにもいかない。ずっと座ってられないだろう。
 世間のリズム、流れ、調子のようなものがあり、人々の流れに合わせてしまいそうになるが、急ぎ足になる程度。これは寒いので、早足になるのだろう。早く暖かい場所へ入りたいと。
 それと急いでいる方が足腰をきつい目に動かすので、体温も上がるためかもしれない。しかし、鼻水は何ともならない。
 世間に合わせた歩調。しかし、急ぐことはない。それにふさわしい用事があればいいのだが、それがない。忙しい人にとっては羨ましいかもしれないが、何もすることがない人にとっては用のない人間のように思われるので、用なし者は外に出ない方がいいのだ。
 しかし佐々木にも日課がある。散歩とかだ。さらに買い物にも出掛ける。そうでないと外食ばかりになり、そういうものを食べ続けていると、身体によくない。フライものやしつこいものが多いし、それに野菜や果物が少ない。
 それで、スーパーに行ったとき、焼き鯛を見た。竹の舟に乗った正月用の鯛だ。焼き魚だが、まだ正月まで数日ある。それまで持つのだろうかと心配になり、手を出さなかった。大晦日に買ってもいいのだ。
 一人でこの大鯛を食べる。いいではないか。元旦のメインになりそうだ。おせちも売っているが、高いので手が出せないので、安い単品を集めて、盛ればいい。重箱にさえ入れれば、豪華に見えるだろう。ただ、蒲鉾には手を出さない。数倍の値段がしている正月用蒲鉾など買う気がしない。
 しかし棒鱈は買う。これは高くても買う。普段でも棒鱈は高い。
 そういうのを買っていると、テンションが上がりだした。年の瀬の流れに乗ったのだろうか。自分が食べるおかずを買うだけの話なのだが、年末年始の流れに加わったような気がした。
 正月飾りは佐々木は買わない。しかし、餅はどうしても買いたい。飾り持ちではなく、食べるための餅。当然これは元旦に食べる。雑煮だ。そして鯛とおせちの重箱があれば完璧だ。
 鯛も腐らないだろうと思い、それもレジ籠に入れる。焼いてあるのだから日にちが経っても干物になる程度だと思い、決断した。どうしても鯛も一緒に持ち帰りたい。今年最大の獲物のように。
 そしてレジが駅の改札のようにずらりと並んでいるところへ行き、並んでいないレジを探したが、どのレジにも行列ができている。あとはレジ籠の中が少ない人の割合を見る。人よりもレジ籠の量で速さが決まる。そしてレジの人の敏捷さ。だからベテランの人がいるレジが好ましい。そういうことを総合的に判断しているとき、誰も並んでいないレジがあった。休止中だろうと思い、それは無視する気だったが、近付いて覗き込むと、そういう標示物はない。休止中とか書かれたものが見えない。
 きっと今開けたばかりのレジかもしれない。そして、まだ誰も気付いていないのだ。レジ係は真っ赤な口紅を塗ったおかっぱ髪の少女。
 佐々木はレジ行列を横断し、そのレジへと進む。競争者はいない。佐々木だけ。
 レジ台に籠を置くと、いらっしゃいませ、カードお持ちですか、ときた。いつも通りだ。佐々木は手をセンスのように扇いで、ないことを示す。
 そして勘定を済ませ、レジ袋をもらい、レジから出た。少女の赤い唇が一瞬ほころんだ。
 出たことは出たのだが出た場所がおかしい。同じスーパー内で、同じ空間のはず。形式が変わっているわけではない。その証拠に籠からレジ袋に入れるための台もあるし、他の人もそこで詰め込んでいる。
 複数のレジから押し出されてきた客がその台で、それぞれ詰め込んでいる。
 何も変わったところはないのだが、本当にレジから出てきた人だろうかと、妙なことを思った。
 詰め終えた佐々木はレジ袋をぶら下げながら、通路に出た。
 ここがまた何か違う。
 そしてスーパーの自動ドアを抜け、外に出とき、また何かが違う。
 そこから家に向かったのだが、いつもの道なのに、なぜか様子が違う。風景が違うわけではない。冬の緩やかな陽射しで、長い影を作っている。夕方が近いのだろう。
 さらに進むと、その変化はもっと妙になる。取り壊され、更地になったはずなのに、小汚いアパートが残っている。
 そのとき佐々木は気付いた。年越しではなく、年戻りに遭ったのではないかと。
 もしそうなら、用もなく年の瀬を呑気に過ごす人間ではなく、異界に紛れ込んだ冒険者になるではないか。
 年の瀬の流れではなく、別の瀬に乗ったようだ。漂流ではないか。
 佐々木はずんずんとその先、その先へと足を踏み込んでいった。
 
   了




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2019年12月30日

3616話 調子の悪い話


「どうですか、調子は」
「まだ本調子じゃないよ。気怠い」
「まだ風邪が残っているのですね」
「長引くねえ、しかし、調子は悪いが悪くはない」
「じゃ、いいのですか」
「悪いが、この調子も捨てたものじゃない。悪いがいいところもある。テンションが上がらないのでね。気持ちがゆったりする」
「薬を飲まれたからでは」
「飲んでいない。眠くなるしね」
「はい」
「こじらせるといけませんから、安静に」
「安らかに静かにかね」
「よく言うじゃありませんか、安静にしておくようにって」
「まあ、動き回らなければいいんだろ。要するに寝てりゃ」
「そうですねえ」
「しかし、気怠いので、ずっと安静状態だよ」
「ところで」
「そうだ、用件だった。何かあったか」
「安静を崩すようなので」
「いいから言いなさい」
「こちらで何とかします」
「じゃ、わざわざ来ることはない」
「かなり深刻なのです」
「だから来たのだろ」
「はい」
「話してみなさい。寝込んでいるわけじゃないので」
「広田が出てきました」
「あのバケモノめ、生きていたのか、よし、今度こそ退治してやる」
「手強いです。昔の広田じゃありません」
「あれだけ私が昔やっつけたのに」
「かなり昔ですから」
「バックは」
「大物が付いています」
「まずいな」
「広田はこちらの内実に通じています。まずいです」
「じゃ、私が出るしかないだろ。そのつもりで、来たんだろ」
「はい、お察しの通り」
「体調は悪いので無茶はせん」
「よろしくお願いします」
 しかし、散々な目に遭って戻ってきた。
「無事で戻れただけでもよしとしよう」
「はい」
「しかし、広田は手強くなりましたねえ」
「復讐しにやってきたんだ」
「復讐の鬼と化したんでしょうねえ」
「こりゃ、勝てんわな」
「それより、体調は」
「ああ、治ってた」
「それはよかったですねえ」
「ま、まあな」
 
   了




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2019年12月29日

3615話 足場


 人は二本足だが、腕を加えれば四つ足になるが、この場合は四つん這い、歩くというより這うことになる。幼児のハイハイ、四文字だ。
 二本足で立っているが、一本では長く立っていられない。地に足を付けるとは、片足ではなく、両足。
 これは肉体的な話だが、足場とか、立場とかもある。立ち位置とかも。実際にそこに立つ場合もあるが、序列があり、席がある。座る場所が身分や上下関係で決まっている場合もあり、そのときは足場ではなく座り場になる。これは具体的な尻の置き場所だろう。
 しかし、多足の虫がいる。ムカデなどがそうだ。二本よりも多く、四本よりも多い。足を着ける場、足場は多いが、本体から離れたところではない。本体とくっついているため同じ場所。
 ところが人は複数の場に足場を持っている。属しているところが複数ある。
 色々な場に足を運び、色々な場所に足場を持っている。所属とか、帰属とか、その足場での位置は違うが、足を伸ばし、手を伸ばし、舌も伸ばしている。当然触角も。そういうものは人には出ていないが、触手というやつがあり、手のようなものを伸ばしたり、引っ込めたり、また角度を変えたり、探したりする。
 しかし、メインとする足場があり、これは職種とかに多いが、プロフィールとして、ざっくりと書かれているものだ。それが肩書きになっているのもある。何もなければ、誰某の子とか、誰某の兄とか、弟とか、妹とか、伯父とか叔母とか、そういった係累も立派な足場だ。実際にはこれはずっと続く足場でもある。要するに家族や親戚のこと。
 ただ、そういう足場から出て、別のところで、色々と足場を拵える。世間に出て仕事をすれば、それなりの足場ができる。
 建物を建てるための足場組みだけではなく、仕事をするための足場作りもある。
 こういうのを見ていると、身体が出てくる。足がそうだし、肩書きの肩がそうだ。
 肩を貸すと言っても、本当に肩を貸すわけではない。まあ、負傷した人に肩を貸すことはあるだろうが。
 肩入れをする。肩を組む。いずれも肩を使って何かをするわけではない。本当に肩を組み合ってもいいのだが、そういう肉体的なことではないところで使われる。
 簡単には上がれないところでは、足場が必要だ。足をかける場所。岩場などを登るときは、そうだろう。足だけではなく、手を引っかけたり、掴めるようなところも大事だが、この例では足場は次々に変わる。
 逆に進めない原因として足枷というのもある。それが邪魔をして足が出ない。
 住むところが変わると、足場も変わるだろう。もの凄く具体的に。
 仕事や何らかの活動のための足場に拠点というのもある。場所がいいのだろう。動きやすいような。また、人も集めやすいような、または関係する人が見付けやすいようなとか、色々と理由がある。
 しかし、それらは軍事用語だったりしそうだ。実際にドンパチやるわけではないが、別の戦争や戦いをやっているのだろう。
 悪い奴ほどよく走る、と言った人がいたが、これも足だ。
 悪い奴ほどよく眠る。こちらの方が有名だろう。そやつの足場はどうなっているのだろう。
 
   了
 



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2019年12月27日

3614話 妖怪変化


 木枯らしが吹いたのかどうか、今年は分からない。妖怪博士は奥の六畳にあるコタツに入り、ガラス戸の向こうに見える庭の柿の木を見ながら考えていた。柿の葉は落ち、実は鳥が片付けたのだがヘタだけが残っていたりする。
 寒いのでカーテンを閉めればいいのだが、外の一角が見えている方がいい。空は見えないが。
 木枯らしが吹いたとしても、気付かなかったのかもしれない。だから、今年は確認できないまま終わるようだ。しかし木枯らし二号や三号があるはずなので、別に木枯らし一号だけに注目する必要もない。
 そんなことを思っているとき、妖怪博士の担当編集者がやってきた。年末で忙しいはずなのだが、きっとサボりに来たのだろう。
 しかし、今日は真面目な顔で妖怪変化について聞いてきた。仕事顔だ。この押し迫ったとき、仕事でも持ってきたのではないかと、妖怪博士は恐れた。
「へんげです」
「それが何か」
「妖怪変化って、何故言うのでしょうねえ」
「それだけのことですかな」
「そうです」
「まずは妖怪。これは実際には見えない」
「はい」
「それが何らかの形に変化して、やっと見えるようになる」
「じゃ、妖怪だけじゃ、まったく見えないわけですか」
「見えないし、感じられない。いることも」
「はい」
「それが何らかの変化をして、形、あるいは音でもよろしい。また風でもよろしい。木枯らしのようにな。この変化あってこそ妖怪が出たと言っておる。既に出っぱなしでも、それは分からん」
「なるほど」
「だから妖怪は変化しないと見えん」
「変化とへんげは似てますねえ。同じ漢字だし」
「へんげとは形が変わること。かなり変わる。大きく変わる。もう別のものになったようにな」
「はい」
「神仏もへんげする」
「え」
「この場合は人に変化するのが多い」
「それは聞きますねえ」
「だから妖怪変化のように、神変化、仏変化と言ってもいいが、急激な変化はあまりよろしくない。いずれ変わるだろうが、ゆっくりがいい。一瞬にして変わるのは異常だ。そのため変わり身はよくないじゃろ。神仏の場合は別で権化とか化身と言っておる」
「尊いものが何かに姿を変え、登場するわけですね」
「そうじゃな」
「だから、妖怪の変化は汚い。神仏の変化は人々を救うための権化、化身。それに比べ、驚かしたり、悪さをするための変化は、今一つ稚拙」
「妖怪は何かに化けるわけですね。話を戻しますと」
「そうじゃ」
「その化けるというのをへんげという。あまり良い変化ではないがな。悪い意味での変化と言ってもいい。そして人ではなく、とんでもないものに変化して出てくる。ここが神仏の変化と違う所じゃ」
「はい、分かりました」
「しかし、やっていることは同じようなことなので神仏と妖怪とはよく比べられる。どちらが先かは分からぬが神仏と妖怪は関係しておる。これだけは言える。ただ神仏は上等だが、妖怪は下等扱い。ある説では神仏になり損なったのが妖怪だとされておる」
「人に進化しなかった猿のようなものですか」
「猿は猿で立派なものじゃ。人より立派だったりするぞ」
「そうですねえ、犬畜生にも劣る奴もいますからねえ」
「人もへんげするということじゃ」
「はい」
「それがモデルかもしれんなあ」
「これで、答えられます」
「何を」
「小学生からの質問で、何故妖怪変化って続けて言うのですかと聞かれたので」
「私はケペル博士か」
「当然妖怪博士なら、即答できると思いまして」
「そういうのは形而上学の問題でな。何とでも話を繰れるのじゃ。正解など、誰も知らん。本質は想像でしか分からんのでな」
「はい」
「しかし、寒い。君は木枯らしを吹いたのを覚えておるか」
「さあ、強い風なら始終吹いている日がありますよ」
「今なら強い風が吹いても普通か」
「そうです」
「うむ、分かった」
 天気も変化する。ましてやその空の下にいるものが変化しないはずがない。
 変化がきついと化けるとなり、オバケ、バケモノとなる。
 
   了




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2019年12月26日

3613話 口うるさい男


 岩崎惣右衛門という五月蠅い男がいる。ハエ並というわけではないが、親族の中に、一人、こういうのがいるものだ。色々と口うるさい。年長者でもあるので、その立場からでも言えるのだが、若いときならそんな口の利き方はしなかったはず。だから惣右衛門、今が旬だ。
 一族の中では年長者だが、もっと上の人もいる。また同年配も何人かいるが、口うるさい役はやっていない。聞かれればそれなりのことを言うだろうが、先に文句を言い出したり、口を出すのはこの惣右衛門だけ。
 これは冠婚葬祭だけではなく、日頃から一族のことについて、色々と口出しをしている。
 身分もそれほど高くはなく、本家との血縁も薄い。それなのに偉そうにしている。そのため、何をするにも惣右衛門に聞いたり、顔色を窺ったりする。五月蠅いからだ。
 惣右衛門を黙らせるためには、その顔を立ててやればいい。しかし大した顔ではない。
 だが、本家当主以上の力を持っている。これはただの力で、単に力んでいるだけ、勢いがあるのだが、鼻息が荒いだけ。
 五月蠅くて仕方がないのだが、この惣右衛門さえ黙らせれば静かなものだ。惣右衛門が了解すれば他の者で口を挟んだり、反対意見を言う者はいない。そのため五月蠅い男だが、ここさえ押さえておけば意外と簡単。
 しかし、それでますます惣右衛門は図に乗り、本家をしのぐほどになった。本家よりも惣右衛門のことを先に気するためだ。
 本家の当主は若く、大人しい人。その父親、つまり先代は若くして隠居した。風流に逃げたのだ。
 本家を仕切っているのは家老だが、これは老いぼれており、あまりさえない人なので、御用人と呼ばれる人に任せている。家老も用人も本家との血縁関係はない。代々使える家来だ。この本家だけに仕えている。そこが頼りないので、惣右衛門のやりたい放題になっている。
 惣右衛門の家柄は分家の中でも低い方で、羽振りもよくない。しかし口だけは達者。
 この惣右衛門のやりたい放題を止める者はいない。一族のほとんどの者は止めたいが、言い出せない。
 若い当主は病弱で、医者が始終来ている。これは漢方医だ。
 若い当主は、それとなくこの医者に愚痴った。
「気の病でしょ」
「私がか」
「いえ、そのお方です」
「惣右衛門が」
「はい。血が走りすぎるようです」
「何とかならんか。私には押さえる気力がない」
「何とかしましょう」
 惣右衛門は最近では我が家のように本家に来て、家人と世間話をしたり、色々とお節介を焼いている。実際には迷惑な話なのだが、ある日、若き当主は薬草を惣右衛門に渡した。
 気力の付く薬で、毎晩煎じて飲めば、気が充満し、いい感じになると。当然漢方医が処方したものだ。
 惣右衛門はその後、静かになり、あまり家から出なくなり、その後、惣右衛門は口うるさく言わなくなった。薬で押さえ込んだのではなく、普通に戻ったのだろう。
 よく考えると、一族の中でも低い身分なのに、よくそこまで出しゃばっていたものだ。
 実際には薬が効いたからではなく、若き当主の本心が分かったためだ。当主に睨まれては、流石の惣右衛門でも控えるようになったものと思われる。
 煎じ薬の束をもらったのだが、実際には飲んでいない。意味が分かったので。
 また漢方医が与えた薬草は、ただの馬が食べる草だった。
 
   了
 



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2019年12月25日

3612話 常春の夢


 下田は色々とやってきたが、落ち着き先が何となく分かってきた。そういうものは最初は分からない。これは落ち着きを求めてやっているわけではないためだろう。むしろ刺激を求めてやっていた。
 最先端の尖ったもの。これは最新のもので、時代の先端。旬だが、まだ正体は分からない。これが定着するのかどうかさえ。
 新しいものとはそんなものだろう。色々と新しいものが出てくるが、その中で生き残るのはほんの僅か。これは下田にとっての話だ。
 尖った先っぽ。これは不安定だろう。居心地がいいわけはないが、刺激がある。
 そのため、ありふれたものでは刺激がない。また、より上があるのなら、それは途上で、途中。上へと行くだろう。そういう流れになっているのだが、その頂上が意外とまずかったりする。これは登ってみないと分からない。
 下田は下の田と書くが、上田を目指していた。上の方にあるので、上等。
 どうも下田という名が気に入らない。姓名判断を信じるわけではないが、そういうイメージがある。下田より上田の方が偉いように思える。だが名字と本人との因果関係はない。もの凄く珍しい名前なら、少しは影響がある。初めて聞いた人なら印象に残るだろう。
 さて、これまで色々とやってきた結果、先の尖った最先端に疲れてきた。それにそれらは次々と古くなっていく。だから最初から骨董品を扱っているようなもの。
 新しいはずなのに古い。そのときは新しいが、すぐに古くなる。だから先取りすれば最初から古いことをやっている方がよかったりする。どうせ新しいことが古くなるのなら、それは新しいことではないのかもしれない。
 このあたりに下田は気付きだした。新しいものは古くなるが、古くなってからでもまだ存在し続けるものがある。これは定着した新しいものだろう。既に古いのだが、安定している。
 そういうものはないものかと下田は探した。今までやってきたことの中にあるはず。
 そして発見した。既に鋭利なとんがりは丸くなっており、滑らか。触っても痛くない。今では平凡でありふれているが。
 下田はそれをやっていたことがあるのだが、もっと良いものがあったので、すぐに乗り換えた。
 しかし、最近思い出したのは、結構よかったためだろう。乗り換え先のものは先端を走っていたが転んだようで、その先はもうない。
 乗り換えた理由は、それほど素晴らしいものではなかったことや、上にもっと良いのがあることを知っていたためだろう。レベルが違う。だからレベルアップも兼ねて、乗り換えた。しかし、先はなかった。
 やはり下田は上田ではなく、下田なのだ。
 そして下田は下田に降りてきた。まるで住み慣れた故郷の春のように暖かい。要するに暑い寒いがない。
 ここが落ち着き先だったのかと、長い旅を終えた。
 目の前が黄色い。菜の花だ。
 目が覚めたとき、これはもの凄く良い情報ではないかと、夢のお告げを感じた。
 そして、そういう故郷の春の風景のようなものとは何かと探し出したのだが、ピタリと填まるものなど見つからない。
 しかし、下田は今まで無視していたのだが、その中にそっと隠されているのではないかと思い、その後も探し続けた。
 
   了





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2019年12月24日

3611話 恩師は飛ぶ


 わが師である山田先生は年末だが走っていない。年寄りなので走ることは希だろう。それに走ることなどないのではないかと思われる。信号がもうすぐ変わるとき、今なら走れば間に合う。だが急ぎ足では間に合わない。普通に歩いていてならさらに遅い。もう手前で赤になっているだろう。
 滝村は山田先生のことが気になったので、忙しい年末の中、時間を作って、行ってみた。
 家の前に来ると、走っている山田先生を思い浮かべようとしたが、絵が出てこない。走っている山田先生など見たことがないためだ。
 恩師、それはもう今は縁が切れた先生に当てはまりやすい。現役の師では、それが恩となるか仇となるかの判断は、まだ。
 この先生さえいなければ、気がくじけて先へ進めなくならなかったのにとか、後々まで悪いくさびを突き刺したまま縁が切れた先生もいる。
 恩師とは、あとでいい先生だったと思えるタイプだろう。そういう先生は最初からいい感じだ。
 恩師山田先生の宅を訪ねるのは久しぶりだが、先生の手から離れても、その後もお世話になっている。この先生から習ったのは古典だ。国語は嫌いだったが古典は好きになった。この先生のためだろうか。
 山田先生は一人暮らしだが、達者なようで、通された応接間は今では書斎のようになっており、あまり客が来ないのが、これで丸わかりだ。以前はそんなことはなかった。
「玄米パンは食べていますかな」
「いえ、最近は忘れていました」
「くこ茶は」
「それも忘れていました」
「どちらも霊感にはいいのですよ。続けましょうね」
「はい」
「ところで、霊界は見えましたか」
「まだです」
「まあ、長くかかりますがね。霊界が見えるようになるには」
「素質がないようです」
「それもありますなあ」
「先生は、相変わらず見えているのですね」
「そうですねえ。最近はあえて見ようとはしませんがね」
「そうなんですか」
「さて、今日は、何でした」
「年の末なので、挨拶に」
「ああ、それはそれは。私は元気ですから、ご心配なく」
「これはお歳暮代わりにと思いまして、四次元世界の神秘を持ってきました」
「ああ、そうですか」
「古本屋で見付けたので」
「それは私も未読だ。いいものを有り難う」
「じゃ、これで」
「もう帰りますか」
「年末で、慌ただしくて」
「そうですか」
 滝村にとって、この先生は古典の先生ではなく、霊の先生だった。霊に関して、色々と話してくれた。それが楽しくて、楽しくて仕方がなかった。
 この先生、師走でも走らないが、空は飛べるようで、北極の真ん中まで行き、穴が空いているのを見たとか。
 とんでもない師だ。
 
   了
 



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2019年12月23日

3610話 幻の太郎峰


 次郎峰があるのなら太郎峰があるはずだとハイカーは考えた。それらしい山が近くにあるのだが、地図で確認すると、別の名。
 次郎峰は馬の背のような頂を持ち、樹木が生い茂っているので、見晴らしが悪い。その隙間から立花は探しているのだが、地図にないのだから、ないのだろう。
 そこへ同じような年代のハイカーが来たので、聞いてみた。
「太郎峰ですか」
「そうです。ここが次郎峰でしょ。だから兄の峰としてより高いか大きな峰があるはずです。それが太郎峰だと思うのですよ」
「聞いたことありませんよ。この隣に長く延びている山は塩佐尾山でしょ」
「塩佐尾山の別名が太郎峰じゃないのですか」
「でも兄にしては小さい」
「ああ、なるほど」
「じゃ、お先に」
「はい」
 立花もそのあとを追うように歩きだそうとすると、後ろから声をかけられた。
「太郎峰をお探しで」
 真っ白な顔の老人だ。顔中髭が生えており、それが白いので、顔まで白く見える。
「ご存じですか」
「そこに見えておるのが太郎峰だよ」
「やはり、塩佐尾山のことだったのですね」
「そうじゃよ。もう誰も太郎峰なんて呼ばないがね」
「どうしてなんでしょう」
「持ち主が変わったんだよ」
「ああ、なるほど。じゃ、随分昔の話ですよね。僕が持っている地図は相当古いのですが、太郎峰とはなっていません」
「そんな売っている地図にはないと思いますよ」
「じゃ、印刷ものが出る前ですか」
「そうじゃな」
「里に太郎と次郎という兄弟がいたとか」
「いや、大きな峰と小さな峰が並んで見えるので、太郎次郎と名付けただけでしょ」
「じゃ、新しい持ち主はなぜ太郎峰のままにしておかなかったのですか」
「ああ、それが塩佐尾山に変わったのが妙だと言いたいんだろ」
「そうです」
「江戸時代の話だ」
「太郎峰を手放したのも、今の塩佐尾山を手放したのも根は同じ」
「え、塩佐尾山も持ち主がまた変わったのですか」
「そうだよ」
「根は同じとは、原因は同じだと言うことですね。理由は」
「佐尾太夫」
「太夫」
「遊郭の女じゃよ」
「ああ、つぎ込んだのですか」
「田んぼも山もね」
「では遊女の名前なんですね。あの山は」
「まあ、そういうことさ」
「有り難うございました」
 真っ白な老人は、意外と健脚らしく、さっさとその場を去った。
 この老人の話が嘘であるのは、その後分かった。
 次郎峰の由来は、ただの語呂で、太郎次郎の兄弟関係ではなかったようだ。太郎と付けたかったところだが、それほど大きな峰ではないので、次郎峰としたらしい。
 
   了



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2019年12月22日

3609話 最後の紅葉狩り


「曇っていては何ともなりませんねえ」
「曇天です。夕方のように暗い」
「しかし、風がないので助かります」
「あれば寒いですからねえ」
「今でも寒々しいので、元気が湧きません」
「誰かに分けてもらいますか」
「元気など貰えるものじゃありませんよ」
「そうなんですか」
「むしろ与える方が元気になったり」
「はあ」
「しかし、元気のないときもいいものです。こういった冬の曇天、鬱陶しくて、滅入りそうになる。しかし、これは冷静になりますよ。色々とね。落ち着きを得られます」
「どうします。予報では晴れと出ていたのですがね。紅葉、今日が見納めですよ。来週じゃ、もう落ちてます。落ち葉狩りもいいですが、やはり青い空をバックにした映えた紅い葉が見たいものです」
「そうですねえ。この天気じゃ無理か」
「どうします」
「まあ、折角待ち合わせたのですから。でも、映画を見に行くわけにもいかないでしょ」
「映画はごめんです」
「どうしてです」
「意のままにならない」
「まあ、そうですが」
「自分ならこうするとか、そういうことができない」
「まあ、シナリオがありますからねえ」
「話がもう最初から決まっている。助けたい人がいても助けられない。危ない場所があっても引き返せない」
「はい」
「それが気に入りません」
「私は目が回ります。目眩がします」
「ほう」
「久しぶりに大きなスクリーンのある劇場で前の方で見たのですが、目が眩んで映画どころじゃない」
「そうなんですか」
「それで、映画館では映画を見られなくなりました。それに周囲が暗いし、煙草も吸えない」
「はい」
「さて、どうしますかねえ、雨天の紅葉。これはまあ今年最後なので、行きますか。モミジの天麩羅でも買って帰りましょう」
「そうしましょう。折角待ち合わせたのですから、行くべきでしょ」
「はいはい、そうしましょう」
 
   了





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2019年12月21日

3608話 貴霊寺高僧龍を見る


 貴霊寺の住職が発狂した。麓に本寺があり、貴霊寺はその奥の院のさらに奥に入った渓谷にある寺。高僧が住職になっているが、もう俗界とは縁を切っている。麓の本寺は何かと俗界と繋がっている。そうでないと寺を運営できない。
 しかし、この寺、寺領があり、一寸した豪族並みの規模がある。叡山の山法師のような僧兵もいる。ただ、彼らは仏門とは関係のない雇兵が多い。
 そういったこととかけ離れたところにあるのが貴霊寺。尊い霊のことで、これは死んだ人の霊ではなく、心程度。まあ、清らかな心という程度か、あるいは貴重な心持ちだろうか。
 貴霊寺の住職は当然高僧で、もう年なので隠居寺のようなもの。ここで本来の修行をするわけだが、この宗派は悟るのが目的ではない。それが目的なら寺領にこだわり、さらに広げようとまでしない。
 しかし貴霊寺での目的は貴霊と接すること。この場合、精霊、聖獣のようなものかもしれない。
 発狂した高僧は貴霊と交わったのだろうか。または見たのだろうか。様子がおかしくなった。しかし、大人しい狂い方で、呆けてしまったように見える。だから狂って暴れ回るわけではない。人柄もそれほど違わないが、反応がおかしい。年が年なのでボケたのかもしれない。ただ、ボケるような人ではない。
 貴霊寺にはこの高僧しかいないが、稚児が身の回りの世話をしている。三人ほどいるだろうか。
 その一人に本寺の住職が様子を尋ねた。高僧はこの住職の祖父にあたる人。その父は新しく建つ末寺に行っている。
「悟られたのではございませんか」
「他に何か言ってなかったかい。何かを見たはずだが」
「さあ、それは申されておられません」
「そうか」
「今はどうしておられる」
「惚けておられます。じっと座ったまま」
「御身体は」
「元気そうです」
「食べておられるか」
「はい」
「では狂ってはおられぬ」
「時々、妙なことをおっしゃるので」
「たとえば」
「龍が空を泳いでいるとか」
「おお、おお」
「でしょ」
「そうだなあ。それはおかしいのう」
「狂ったとしか思われません」
「分かった。あまり人に言うでないぞ」
「はい」
 そのとき、伝令が来て、異変を伝えた。貴霊寺のことではない。この近くにある神社が動き出したようだ。
 この寺と隣接する神社があり、そこと争っていた。
「分かった、馬引けい。迎え撃つぞ」
「和尚様、ご隠居様はどういたしましょう」
「それどころではない。放っておけ」
「はい」
 
   了





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