2018年01月30日

3519話 環状都市


「丸井町へ行かれましたか」
「丸井町」
「丸い町です」
「そのままですねえ。で、何があるのですか」
「特に変わったことはありませんが、丸いだけです」
「丸いとは?」
「町の真ん中がありましてね。そこから同心円状に道が重なってあるのです」
「ちょとイメージがわきませんが」
「道が丸いのです」
「カーブですね」
「だから輪のような道が、何本もあるのです」
「土星の輪のような」
「そうです。その輪が幾重にもあります。一番端の外周はかなり離れたところにあります」
「妙な構造ですねえ。何のために」
「城のようなものではないかと言われています」
「もしそうなら有名でしょ」
「しかし規模が小さいですし、本当はそんなにしっかりとした円状ではなく、角張っています。どの道も狭いです。そして中心部まで真っ直ぐに行ける道はありません」
「住宅地図で見ればよく分かるはずですが」
「その気になって見れば、丸く取り囲んでいることが分かりますが、ちらっと見たのでは分からない。その後、変わりましたからね」
「それで、中心部には何があるのですか」
「お寺です」
「城じゃなく」
「城としても機能していたようです」
「じゃ、お寺が本丸」
「そうです。だから最初の円の道は二の丸、次が三の丸、次が四の丸。次が五の丸ということでしょうなあ」
「五の丸で終わりですか」
「今はかなり崩れていますがね。途切れたり、また工場などが建ち、跡形もありません」
「歴史は」
「室町時代です」
「お寺は」
「この町の中心でしょうねえ。農家じゃなく町屋が多い場所だったとか」
「寺領とか」
「それに近いです。そこの寺は大きくて、よく一揆を起こしていた宗派に属していますが、領主はいません」
「じゃ、昔の堺のようなものですか」
「それに近いです」
「門前町とはまた違うのですね」
「寺を幾重にも囲み、まるで守っているような地割りですからね」
「それが丸井町ですか」
「そうです。行ってみられればいい。円状は崩れていますし、本当は直線が多いですがカクカクトと回り込んでいますので、分かりにくいですが」
「ありがとうございます。行ってみます」
 そういう寺内町が、まだ残っているのだろう。
 
   了

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2018年01月29日

3518話 緑郷崎奇譚


 リョクゴウザキ。リョクゴウ崎。その地名のようなものを何処で聞いたのか忘れたし、また聞いたことも、見たこともないのかもしれない。しかし高橋はリョクゴウ崎という言葉がたまに頭に浮かぶ。今では緑郷崎と勝手に漢字を当てている。おそらくリョクゴウザキに近い言葉を知っていたのだろう。何かの本とかで。しかし、その名ではなく、間違って記憶したのかもしれない。ただ、地名であることは何となく覚えている。
 地図で調べると、それに近い地名はあるが、場所的に合わない。
 そんなことを長年頭の片隅に置いていると、発酵してきたのか、または何かの刺激で揺さぶられたのか、ぽろりと記憶が戻った。本に出ていたのだ。その本が何であったのかは忘れたが、昔の話を集めたもので、昔話のように古くから伝わっている話ではなく、明治の頃に書かれた創作もの。つまり、その時代に作られた物語だ。その本は今はない。古書店にあった文学全集の中に含まれていた。その全集そのものが古い。
 そして物語は忘れてしまったのだが、リョクゴウザキでの怪異談。高橋にとってリョクゴウザキは緑郷崎となってしまったので、そちらの当て字で表記する。
 緑郷崎は平野部に突き出した山の先っちょのような場所。山というほどの高さはもうなく、木の根のように細く伸びた岡。ここに村があり、そこでの話。
 リョクゴウザキは長細い台地で、その根元は大きな山へと繋がっている。ここがもし海岸なら、緑郷崎は岬になるだろう。
 さて、問題はどんな怪異談だったのか。それをすっかり忘れており、リョクゴウザキという響きだけが残った。昔話なら子供にでも分かるような語りになるのだが、明治の中程から大正にかけて活躍した作家で、子供向けではなく、大人向けのためか、話が分かりにくい。風景描写が嫌に多く、主人公の心情を自然の風景と絡めて綿々と語れており、肝心の怪談そのものが靄に隠れて読み取れなかった。要するに何も出なかったのだろう。出てもおかしくない場所という程度。しかし、緑郷崎の人達は何かを恐れていた。それが何かは分からない。そして恐れる村人を、周辺の村々の人が恐れた。緑郷崎の怪談ではなく、それを恐れている村人が怖いということだ。
 この村だけは台地にあり、高い場所にある。山の根が不気味な形で伸びている地形なので、それだけでも妙な場所でもある。
 緑郷崎の小説では、緑郷崎村と周辺の村々とのやりとりが結構ある。
 高橋はやっと緑郷崎とは何だったのかを思い出したのだが、フィクションであることは確かなので、自分の過去とは関係しない。
 しかし、緑郷崎で本当にあった怖い話は思い出せない。そこは曖昧模糊とした描写で、作者も具体的に書くようなことがなかったのかもしれない。だからやたらと緑郷崎という言葉、語呂が不気味に聞こえ、それだけが印象に残ったのだろう。
 この作家はその後、残らず、文学全集に収録されているのも数作。長編ではなく、他の作家と一緒に短編として残っているだけ。
 作者のプロフィールのようなものがある。生年月日から推定すれば長寿だったようだ。
 緑郷崎。その響きだけが高橋の中では今も語呂として響いている。
 
   了


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2018年01月28日

3517話 何かが来る


「何かありましたか」
「ありません」
「でも心配されている」
「はい、不安です」
「でも何もないのでしょ」
「ありません。だから逆に怖いのです」
「何もなければ、何もないでしょ」
「いや、何かあった方が分かりやすい」
「ほう」
「何かじゃなく、具体的になりますから、構え方も工夫できます」
「でも今は何もないわけでしょ」
「だから不気味なのです。いつも何かあるので」
「じゃ、もう収まったのでしょ」
「そんなはずはありません」
「まあ、そういうものが来たときに心配すればよろしい」
「何が来るのでしょうねえ」
「私には分かりません」
「静なので不気味です。きっと溜め込んでいるのかと」
「いや、もうこの先も何もないんじゃありませんか」
「そうですねえ。ここんところずっと静ですから、このままもう来ないかもしれませんが」
「取り越し苦労です」
「以前、もっと長い間来なかったことがありましてね。そのあと、ものすごいのが来ました。だから間が開く方が怖いのです」
「来るのを待っているみたいですねえ」
「はい、早く来てくれた方がどれだけ落ち着くか」
「調べられませんか」
「無理です」
「前回来たときはどうでした」
「とんでもないものが来ました。予想だにしていないようなことが。決まったものが来るのなら、心構えもできるのですが、違う出方をしてきたのです。これには流石に慌てました。しかし、そう来たかということで、来たので、少しほっとしましたよ。これでやるべきことが決まったと」
「じゃ、今回もその方法でやればいいのですよ」
「この待ち時間が嫌でしてねえ」
「来るか来ないかも分からないわけでしょ」
「そうです。このままもう来ないことも考えられますが、それは私の単なる希望でしかありませんから」
「悪いことが来ると嫌なのは分かりますが」
「え」
「どうかしましたか」
「良いことが来るのです。喜ばしいことが」
「だったら、あなた、そんな心配など」
「良いことや楽しいことが来ると、疲れますから」
「あらま」
 
   了

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2018年01月27日

3516話 汁を出す


 一つのことが終わると、一つのことが始まる。遭うは別れのはじめという言葉もある。終わりよければすべてよしというのもある。確かに終わればそれで終わってしまうわけではなく、その次がある。これは常に何かに向かっているということだろうか。その向かい先が終わりであっても。
 これは終わらせたいというのが目的なら、終わりは早く来る方がいい。当然終わりにしたくない、終わらせたくないこともある。また始めがなかったりすることもある。これは自然に始まっていたとか、最初からその途中だったとか、また意識的に始めていなかったとか。
 嫌なことは早く終わらせたいが、そうすると、次に嫌なことがすぐに来てしまう。そういう順番になっている場合だが。
 今の嫌なことよりも、それが終わってから来る次の嫌なことの方が大きい場合、今の嫌なことを長引かせておき、終わらせないようにする方が、楽な場合もある。
 良いことが終わったあとは、悪いことが来そうな場合も、良いことを長引かそうとするが、良いことは長くは続かないので、そのうち終わってしまう。そのため良いことが起こりそうな種をまき続けるのも方法だ。しかしこれは良いことを欲張っているのかもしれない。
 悪いことが終わると、良いことが訪れるわけではないが、悪いことが去れば普通に戻るだろう。悪いことが続いていた頃に比べれば、良いことなどなくても、有り難い話だ。
 始まりはあるが、終わりがないのもある。始めたが、途中で放置したような例。これはいくらでもある。しかし終わりがないわけではなく、放置したことが終わりになる。
 何かが終われば、次のことを目論む。まるで酒のあてを探しているように。
 人の欲というのは際限ないが、そういうことを知っているだけに、それを封じるのではなく、それなりに活かせばいいのだが、欲というのは情緒的なもので、頭の中の何処かが刺激され、それが快感を呼ぶため、自然と欲望の汁が出てくる。
 実際には単純な話なのだが、それでは何なので、色々と理屈を付けたり、名分を付けたり、主義主張レベルにまで持ち込むのだろうか。本当は個人の頭の中の、一寸した快感が元だったとしても。
 一つのことが終われば一つのことが始まるのは、その汁のなせる技かもしれない。
 
   了



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2018年01月26日

3515話 始める前のプレッシャー


「ほんの軽く、スーと始めた方がよろしいですよ」
「肩の力を抜いて、と言う意味ですか」
「まあ重大なことや、それを始めると色々とややこしいことが起こったり、いつもとは違う状態になるやもしれませんがな」
「当然です」
「だからスタートが切りにくい。始めにくいのでしょ」
「いずれやります。近いうちに。まだその決心が固まっていないだけで」
「いや、そんなものかなり前から固まっていたんじゃないのですか。心配なのはその影響でしょ」
「まあ、そうですが」
「ですから、茶碗と箸でご飯を食べるようにやればいいのです。何か考えながら箸を持ちますか。茶碗を持ちますか」
「条件にもよります」
「ご飯を食べるときにそんな条件が必要ですか。すんなりと食べられるでしょ」
「あまりお腹がすいていないときは、箸も茶碗も重いです。おかずももっとあっさりとした酢の物があればいいのにと思ったりします。また茶碗の中のご飯。これ、食べきれるかどうかが心配で。いつもの量なので、これでは多いかとも。よく残すことがあるのです。そのとき、汚いですが釜に戻します。醤油なんか付いていると汚いですよ。これは避けたいので、食べきれないと思ったとき、残りはお茶をかけてお茶漬けにします。これは意外といけます。それなら最初からお茶漬けでよかったんじゃないかと思うのですが、胃によくありません。お茶漬けだとご飯をあまり噛まないですからね。しかし歯が痛くて噛みづらいときはお茶漬けに限ります」
「余計なこと、言ってません?」
「言ってませんが」
「そうですか」
「だから、条件によって、すっとできない場合もあるのです」
「でも結局は食べるわけでしょ」
「はい」
「ですから、毎日ご飯を食べているような気持ちで始めなさい」
「おかずが」
「え」
「おかずが気になります。ご飯はすんなりと食べられますが、おかずによってテンションが変わります。まあ、食べないとお腹がすくので、食べますがね。決して米だけを食べているわけじゃありません。それにご飯だけじゃ味気なくて食べられないでしょ。一寸味のあるものを添えないと。お茶漬けでも結構水臭い。湯漬けというのになると、もうだめです。やはり塩分です。辛いとか酸っぱいとかがないと。それと甘いものはご飯に合いません。おはぎ、ぼた餅ですね。あれはご飯として、僕は認めていません。赤飯は認めますがね」
「君は何を言ってるのかね」
「ご飯についてです」
「そうではなく、物事はさっと、軽く、すんなりと、何も考えないで、やり始めた方が好ましいと言っているのです」
「そうですねえ」
「理解できましたか」
「そんなこと、最初から分かっていますよ。それができないから問題なのです」
「だから、何も考えないで動き出すことです。深く考えないで、深刻にならないで、ご飯を食べたり、顔を洗ったりするように」
「最近寒いので、顔を洗うとき、ドキッとします」
「驚くようなことではないでしょ」
「急激に冷たいものを顔に浴びるわけですよ。これはやはり身構えないと」
「顔を洗うのに、何を身構える必要があるのです」
「急激な体温の変化で卒倒したり、それと、顔に吹き出物か、何かできていましたね。ゴシゴシ擦って洗えないときがあるんです。それを忘れて、擦ってしまい、痛い思いをしたことがあります」
「うーむ」
「また、顔を洗っているとき、目に水が入るでしょ。それで目を開けられないので、タオルで拭くとき、目を閉じたまま。このとき、目は開けていた方が良いのです。立ちくらみしそうなりました」
「顔を拭くだけで立ちくらみですか」
「目を閉じた状態でタオルを手探りで掴み、そのあと、顔を拭くのですが、かなり頭を動かしているんでしょうねえ。目を開けている状態なら無事ですが、閉じていると平衡感覚が分からないのか、ふらっとして」
「もういいです」
「とりあえず、軽くスーと、平常心のまま、ご飯を食べるようにスタートさせますから、ご心配なく」
「うむ」
 
   了

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2018年01月25日

3514話 のんのんさん


 山道の枝道をのんきそうな顔をした人が下ってくる。小林はその枝道は知っているが、行き止まりになるため、ハイキングの道としてはふさわしくないので、入り込んだことはない。笹が狭い道をさらに狭くし、割れ目程度に細くなりながら上へと続いている。
 のんきそうな顔。これは小林の主観。何かいいことがあっての笑顔ではなく、初期値がそんな顔の人に見えた。笑顔とのんきさとを結びつけたのは小林の経験から来ていることで、心配事などないのか、にやにやしている人。
 町から離れたハイキングコースなので、近くの人といっても、里まではかなり離れている。しかし、そののんきそうな人はハイカーの姿ではなく、庭先に出る程度の服装。
 目が合ったのか、やあ、と手を軽くその人は上げる。小林はそのまま枝道前を通り過ぎてもよかったのだが、下ってくるまで待った。
「上に何かありますか」
 坂道の上は山の瘤のようなところで、その裏側は絶壁に近い。真下は川。川に沿った道はない。
「のんのんさんですよ」
「ノンノン」
「アンアンじゃないですぞ」
「のんのん婆さんというのは聞いたことがありますが」
「アンアンとかマンマンとか、何処にでもある呼び方ですがな」
「上にそんなものが祭られているのですか」
「石だけしかありませんがな」
「のんのん石」
「そんな呼び名はありませんが」
「のんのんさんとは何でしょう」
「幸せを呼ぶ神様ですよ」
「そうですねえ。災いをもたらす神様に参る人もいませんが」
「いや、神様そのものが災いの元でしてた。荒神さんなんてそうでしょ。アラブル神です」
「荒れた神と書きますね」
「だから、それをお鎮めするのですよ。そうすると逆におつりが来る。お礼ですがな。よく祭ってくれたとね」
「じゃ、幸せを招くのんのんさんは」
「ほう、勘の鋭い青年じゃ」
「逆になるわけですね」
「その通り」
「じゃ、幸せの神様を鎮めるわけですから、不幸になる」
「察しがいいのう」
「ではどうして、そんな神様をお参りするのですか」
「だから、誰も参っておらんから、上には何もない。石があるだけ。わしは天邪鬼なんでな。逆にそういう神様に参るのじゃよ」
「それがのんのんさんですか」
「そうじゃ」
「わざわざ不幸になるような行為を」
「わしゃ、幸せが似合わんでな」
「しかし、にこやかなお顔ですが」
「そこなんじゃ」
「はい」
「のんのんさんにお参りしてるからいい顔になったんじゃない。これは生まれつきらしい」
「いいお顔です」
「顔とは不釣り合い。ずっと不幸なまま」
「はあ。しかし、幸福感というのは主観ですから」
「難しいことを言うなあ」
「幸せそうなお顔です。だからのんのん様の御利益が出ているのでは」
「幸せの神様は不幸をもたらす。だから、それはありえん」
「考えすぎですよ」
「そうかのう」
 男は、にこやかな顔のまま本道を下っていった。
 青年はその枝道を登った。
 山というより、そこだけ盛り上がっている程度。笹と松に覆われ、岩が多い。頂上といっても大きな岩が天を向いている。だから頂上に登るには、岩登りが必要なほど。その岩の横から下を見ると、切り立った崖。当然行き止まりなので、ハイキングコースには不向き。引き返さないといけないので。
 のんのんさんのようなものはない。漬け物石程度のものがあると思っていたのだが、探しても見つからない。
 のんのんさんを祭ったあとのようなものも見当たらない。あの人は、ここで何をしていたのだろう。
 小さい目の岩の隙間に煙草の吸い殻がある。あの人が吸ったものだろうか。まだフィルターが白い。古い吸い殻もある。
 のんのんさんがどうのこうの話ではなく、あののんきそうな人、ここではどんな顔をしていたのかと想像すると、少しリアルな気持ちになってしまった。
 
   了

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2018年01月24日

3513話 季節外れのカマキリ


 増田は恨まれたかもしれない。その自覚が根付いたのがいけなかった。自覚しない方がよいのだ。よくあることで同僚を叱った。穏やかに説明したつもりなのだが、相手の古沢の表情が変わった。視覚だけではなく、何かが伝わってきた。念を感じた。
 古沢を注意する同僚は誰もいない。恨まれるのが怖いのだが、そう思わせるだけの視覚的なものが古沢にはある。触らぬ神に祟りなし、身のため。しかし誰も注意をしないので、増長していき、限界に達していた。同僚の中で一番年かさの増田が言わなければいけない。言いたくないが、丁寧に説明した。
 それが出るようになったのはドアの前。マンション三階の通路だ。カマキリのような虫がいる。この季節、カマキリがいるのかどうかまでは気付かない。カマキリに似た虫で、細いが結構長い。
 そのカマキリが部屋の中にも出るようになったあたりで、これはカマキリではないことに、やっと気付いた。廊下で何度か見ているのだが、そうたびたび見るものではないだろう。たまたまマンション内にカマキリが迷い込んだけ。蚊のようなものだ。しかし結構大きい。これが小さければ、とんでもない虫であっても、無視するだろう。
 部屋の中に入り込んだとするとベランダから。ガラス戸はよく開け閉めする。閉め忘れたときに入り込んだとしても、なぜ増田の部屋なのか。
 また、夜中にガサコソと音がする。ゴキブリが何かの上を歩いているような。しかし、このマンションに越してからはゴキブリなど見たことはない。
 次は夜中、目を覚ましたとき、小さな目を見た。直ぐそこにカマキリがいた。
 同僚の古沢との関係は、その後、変化はない。増田が注意したことは守っている。
 増田はある決心をした。何人かの知り合いを経てたどり着いた人物がいる。その老人、舗装されていない路地の奥に住んでいた。
「式神ですかな」
「そうです。飛ばされました」
「それがカマキリだと」
「そうです」
 妖怪博士は古沢との関係や、カマキリについて、詳しく聞いた。
「あなたはそれを古沢さんが飛ばした式神だと思われるわけですな」
「そうです。先生はどう思われます」
「ご婦人だけの職場では、そういうこともあるでしょう」
「じゃ、やはり式神ですね」
「そのカマキリに似た虫。その出方などから見て、おそらく」
「式神ですね」
「まあ、そうでしょうかなあ」
「式神返しとかはありませんか」
「あなた、恨みを買うようなことはしておられないでしょ。注意したのは仕事の段取りの説明でしょ。それを守らないから」
「そうです。規則というだけではなく、他の人が迷惑します。皆さんその段取り通りやっておられるので、別のことをされると」
「そんなことで恨みを抱いて式神など飛ばすでしょうか」
「そうなんです」
「そうでしょ」
「しかし、普段から暗い人で、それに根に持つタイプですし」
「はい、分かりました」
「式神返しをお願いします」
「因果というのがあります」
「はい、ありますが、それが何か」
「悪いことをすると、それがいつか自分に返ってくるとか」
「私が何か悪いことを。丁寧に説明しただけです」
「あなたのことではありません。式神を飛ばした古沢さんです」
「どういうことでしょう」
「その程度の理由で飛ばすような式神などしれています」
「はあっ」
「だから式神返しも必要ないでしょう」
「そうなんですか」
「悪い念を飛ばす人がいます。その後、古沢さんとの関係は悪くないのでしょ」
「以前と同じで、特に変化は」
「悪い念を飛ばしていないからです」
「でも、式神を」
「悪い念を式神に託したのでしょ。だからあなたへの恨みがあったとしても、もう古沢さんからは抜けています。式神に託したわけですから。それに大きな恨みを持つほどのことじゃない。その式神もたかがしれています。しばらく様子を見なされ」
「はい」
 妖怪博士に相談したが、解決しなかった。
 その後もあのカマキリが出まくった。
 ある日、ドアを開けると、カマキリがばらばらになっていた。掃除のおばさんがモップで潰したのだ。
「嫌だねえ。季節外れのカマキリなんてさ」
 といいながら、ちり取りに掃き入れた。
 その後、式神は出ていない。
 
   了


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2018年01月23日

3512話 社運を賭ける


 何をやっているのかよく分からない部署、庶務課がある。この会社では雑用係と呼ばれているが、庶務課課長は部長待遇。元々は営業部長で、この社のメイン部署。営業部の下に複数の営業課がある。だからそこの営業部長というのは幹部であり、実力者。それが格下げされて、庶務課長になった。庶務課の上の部はこの社にはない。
 高橋営業部長が庶務課長に落とされたのは営業不振のためだといわれているが、待遇は部長。それは秘されてある。
 庶務課は対外的な仕事も多い。冠婚葬祭やクレームや、社屋の掃除や備品などの調達。だから雑用係なのだ。他の部署で処理できないことをやっているため、何が専門なのかが分からない。
 この庶務課に古参がいる。係長だが部下はいない。高橋課長はこの古参に目を付けた。この老人を動かすには上司になる必要があった。つまり古参係長の直接の上司は高橋課長となる。
 この二人、実は同期。だが親しく接したことはない。
 高橋課長が古参の庶務課長村谷に興味を示したことが過去一度だけある。それは新入社員研修旅行でのこと。この社は大企業ではないので新入社員の数も知れている。そのため複数の社から参加する研修会社によって執り行われた。この専門会社は旅行会社の子会社で、厳しいことをするわけではない。研修旅行がそうであるように、遊びなのだ。
 ただ、新入社員だけのツアーはそれなりに研修がある。
 高橋の会社からは村谷を含め、五人参加していた。今思うと、残っているのはこの二人だけ。景気が悪くなり、早期退職した。
 研修旅行は温泉地だったが、滝行のイベントを見学した。見ているだけでいい。これで精神力が付くわけではない。見学だけなので。
 滝行とは水行の一つで、所謂滝に打たれること。実際にやるのはプロ。観光用なので、修験者が雇われている。しかし、この人もそれで食べているわけではない。温泉場で働く老人だ。この人は休みの日は修験者として、山を練り歩いたりしている。
 ツアーの誘導員。これはただの案内人に近い。本当なら研修の先生だが、そんなことはしないが、もし希望があるのなら、滝行に参加しましょうと新入社員達を誘う。これは言っているだけで、聞いている側も聞いているだけ。研修旅行の中身はそんなものだが、村谷というあの同期が、進み出た。
 褌を締め、白衣に着替え、修験者と一緒に滝に打たれた。入社式後なので、もう暖かく、しかも滝といってもちょろちょろ落ちてくる程度、滝壺と呼べるほど深くはなく、水もすぐに流れるので、問題はないが、足場が悪い。滝よりも、足の裏の方が痛い。
 高橋が見たのは、まだ若い村谷の精気だった。横の修験者よりも、様になっていた。
 その頃は若いので、遊び半分、そんなことをしたのだと思っていたのだが、社内での存在は地味。フレッシュマンのはずなのだが、老けて見えた。しかし、誰も参加しない滝行に名乗りを上げたのだから、積極性があるはずだが、その後鳴かず飛ばずで年だけ重ね、庶務課の係長として部下もいない。
 おくやみの村谷さんと、庶務課では呼ばれている。冠婚葬祭の、葬式部員なのだ。社員の家族が亡くなると、花輪を手配する仕事。ここで滝行との関係が何となく分かる。そういう陰気なのが似合っている。
 高橋課長が村谷係長に目を付けたのは、最近のことで、我が社ではあの人しかいないと思ったのだ。それで格下げしてでも村谷の直接の上司になった。
 営業不振。営業部がいくら頑張っても何ともならないことはこの道一筋の高橋には分かる。人為を尽くしても無駄。だが営業の最高司令官として何とかしないといけない。しかし営業部長に収まっていても、手の打ちようがなくなっていた。
「村田君」
「あ、部長」
「いや、今は課長だよ」
「はい」
「どうだね。やってくれるかね」
「それは社命ですか」
「庶務課の仕事だ」
 高橋は営業部長のとき、一度頼んでいるが、社命でないと駄目だという。当時の庶務課長は、その手のことに興味はない。だから課長を切って、高橋が乗り込んだ。
「社命とあらば」
「やってくれるね」
「経費は」
「庶務課からいくらでも出る。それにその種の装備品等々は庶務課扱いだろ」
「しかし、護摩を焚くとなると」
「大きな換気扇を用意すればいい。場合によっては工事をしてもいい。調理場を作るといってな」
「はい」
「面倒なことは私が何とかする。これは社命だ」
「鈴が必要です。本物の。飾り鈴の本物は高いですよ」
「いちいち細かいことを言わんでいい」
「はい。じゃ、おおっぴらに執り行わさせていただきます」
「覚えているかい、研修旅行のときのこと」
「はい、ついふらっと滝行に参加しました」
「その後、そっちへ行ったんだろ」
「恥ずかしながらおっしゃる通り」
「そうだと思っていた。それでよかったんだ」
「はい、お役に立てて幸いです」
「二人のときは敬語を使うな。同期じゃないか」
「あ、はい」
 落ち込んだ営業成績、社運をこの係長に託した。
 その後、何をやり始めたのかは、想像に難しくない。
 
   了


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2018年01月22日

3511話 お座式


「これには参りました」
「お参りでも」
「いや、呆れたというか、有り得ないことを言い出すので、長三さんには参りました」
「どう参られたのですかな」
「舞っていると」
「舞う」
「はい」
「舞うぐらいよろしいでしょ」
「長三さんじゃなく、人形がです」
「舞っている人形ですかな」
「九州へ旅したとき、買ったものらしいのです。土産物屋で。しかも相場より安かったそうで、これは掘り出し物だと思ったようです」
「その長三さんがですね」
「古道具屋じゃなく、新品しか扱っていない土産物屋です。何やら訳あり品となっていたようですが、何処がどう違うのかは分からないと」
「博多人形ですか」
「さあ、そうだと思いますが、芸者です」
「買われたのは何処ですか。福岡ですか」
「いえ、熊本だとか」
「はい」
「槍を構えた加藤清正を買おうとしていたのですが、その横に色っぽい芸者を見付けたので、そちらにしたようです。色白で綺麗な肌で……」
「持ち帰るのが大変でしょ」
「送ってもらったとか。それを私も見たことがあります。あれはもう何十年も前です。長三さんもまだまだ元気な頃でした」
「舞い姿の博多人形。それに参っておられるのですかな」
「そんな趣味は長三さんにはありません。小棚の上に硝子ケースのまま飾ってあるだけです。参っているのは私です。その芸者が出てきて踊り出すというので」
「見ましたか」
「長三さんの話です。この話には参りました」
「どんな感じで舞っているのですかな」
「座敷に降りてきて、きっちり座り、頭を下げ、そのあと、優雅に踊り出すとか。人形ですから小さいですよ。だから扇も小さい。踊りといっても腕が主で、腰を少し沈めたりする程度とか。しかし結構足は動かします。しゃなりしゃなしゃなと歩き出したり、くるっと回ったり」
「全て長三さんの話ですな」
「そうです。聞いた話です」
「それはお座式でしょ」
「はあ」
「正確にはお座式という妖怪です」
「そうなんですか」
「お座敷に呼ばれた芸者さんでしょ」
「誰が呼んだのですか」
「長三さんしかいないでしょ」
「そうですねえ。しかしとんでもないことを言い出すので参りましたよ。どうすればよろしいでしょ、妖怪博士」
「踊らせておけばいいでしょ」
「しかし」
「何か、問題でもありますかな。これは無害です。その博多人形もどき、お座敷に呼ばれて舞を披露しているだけ」
「じゃ、熊本で売られていた博多人形が妖怪だったと」
「人形そのものは妖怪じゃないですよ。その中にお座式が入るため、動き出すのです」
「怖いものが入っているのですねえ」
「だから、訳ありだったのでしょ」
「それで、お座式とは何でしょう」
「動力源の一種でしょ。お座式とは、式神の式と同じ字をあてていますが、動かし方の一種です。アナログ式か、デジタル式かのような違いがあるだけです。今回はオザ式でしょ」
「じゃ、そのままでいいと」
「ところで、その人形が踊っている部屋は何畳ですかな」
「八畳です」
「そりゃ博多さんにすれば大広間」
「先生。感想はそれだけですか」
「あ、はい」
 
   了

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2018年01月21日

3510話 天狗の棒術


 まだ日の出前。しかしうっすらと明るい。雪明かりではなく、明けていくためだろう。少年は裏山を少し入った所にある道場へ通っている。山道が途中で膨らみ、ちょっとした広場になっている。少年はそれを道場と呼んでいる。確かに道にできた膨らんだ場所なので、道場かもしれないが、そうではなく、剣の道を究める武道の道場。ただ、そんな建物はない。
 少年はこの寒い中、敢えて道場へ通う。寒稽古というやつだ。
 木刀を適当に振り回しているだけなのだが、毎日それをやっていると、素早く振り下ろしたり、払ったりすることができるようになる。また間合いを幾通りも覚えた。さっと切るか、じわっと切るか。またフェイントではないが、ふわりとした剣先から急激に叩き付けるとか。
 少年は武家ではない。町道場はあるが、藩士でないと入門できない。少年は百姓の五男なので、武芸など必要ではないのだが、武芸好き。
 ただし、木刀を振り回すのが好きなだけで、それ以上のものではないようだ。つまり武芸で身を立てようとかの思惑はない。
 剣術に興味を持ったのは、その練習が面白いからではなく、村に流れてきた股旅を見てから。無宿人。所謂旅のヤクザ。博打打ちだ。
 これが村人を集めてサイコロ博打を初め、そのトラブルで、役人が来ていた。ヤクザは刀を振り回したが、相撲取りの経験のある村人に押し倒されてお縄になった。
 少年はそれを見ていた。太刀を持ったヤクザが負けている。それは武芸の心得がないためだろう。
 少年は相撲取りにもヤクザにもなるつもりはないが、百姓の子でも一応はなれる。そのヤクザも、元は百姓だったはずで、何かの都合で、流民となったのだろう。あのヤクザ、もう少し太刀の練習でもしておれば、素手の相撲取りには負けなかったはず。技術以前に、大男に突っ込まれ、何もできなかったようだ。
 それがきっかけではないが、この頃の少年は強くなりという共通した何かがあるようだ。喧嘩に強くなりたいとか。
 それで少年が選んだのは相撲や取っ組み合いではなく、剣道だった。もし無宿人に身を落としたときでも、剣術の心得があれば、多少は有利なはず。
 それで寒い中、木刀を振り回していた。
「無駄なこと」
 と、声。
 奥山の方から来たのか、背の高い大柄な男がいる。顔が奇妙。山人かと思ったが、山神に近い人。天狗の面を被っている。だが天狗にしては鼻がそれほど長くはない。
「面を取れ!」
「面ではない」
「では天狗か」
「鞍馬の天狗のようなものじゃ」
「じゃ、わしは牛若丸」
「剣術を教えに来たわけではない。無駄だと教えに来てやった」
 天狗は太く長く角張った杖で、少年の足を払った。とっさのことだが、反射的に木刀を立て、払いを止めたが、持つ手が痺れ、離してしまった。
 払い損ねた天狗は棍棒を引き、棒の中程で握り返して少年の首筋で止める。
「無駄なことじゃ」
「武芸が無駄なのですか」
「剣術より、棒術の方が上。だから太刀は無駄なこと」
「そうですか」
「刃物は無用」
「あ、はい」
「偶然、ここを通りかかった。もし棒術を極めたいのなら、教えてやろう」
 少年は刀でも棒でも何でもよかった。ずっと使っているのも棒のような木刀。太刀は刃があり、そこは握れないが、木刀は棒は触れる。
 この天狗。実は僧侶で、少年は弟子になるため、稚児として、天狗に従うことにした。これは年季務めの稚児ということで、親は銭を貰ったので、文句はいわなかった。
 その後、この少年は僧侶になり、大和の国、宝蔵院流棒術の四天王に次ぐ位にまで昇った。僧侶ではあるが、武芸者になれたのだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:51| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする