2017年10月02日

3400話 逢魔が時の妖怪


「逢魔が時に出る妖怪はいませんか」
 妖怪博士付きの編集者が、今回は答えやすい質問をしてきた。夕方の薄暗い頃なので、妖怪などウジャウジャいるだろう。
「魔に遭う時と書くか」
「はい」
 妖怪博士はまずは言葉から入っていく。そして字面通りの答えしかしないときは怠けているか、興味がないときだ。それに面倒なときも。
 だから面倒が時とかもあるのだろう。
「ウジャウジャのう」
「はい、今回は話しやすいでしょ。いつものようにひねった妖怪ばかりじゃ、難しい話となり、子供には分かりませんから。単純明快、シンプルで可愛いのがいいのです」
「可愛い魔か」
「色々出る時刻ですので」
「これは出ておらぬ」
「え」
「逢魔が時専門の妖怪はおるが、それはつるべ落としとか、その程度のもの」
「釣瓶は一寸」
「そうじゃろ。井戸から水を汲むときのあの釣瓶じゃ。そこから説明せんといかん」
「では博士は逢魔が時とは何だと思います」
「これは空間の妖怪だろう」
「時間は」
「だから、時間は断らなくても、夕方から夜になるあたり。黄昏時の空間、あるいは空気を差しておる」
「特に妖怪はいないのですね」
「だから、夕方に出る妖怪や、夜になる妖怪を含めればウジャウジャおるだろうが、妖怪のタイプが違うのじゃ」
「また、困ったことを」
「何が困る」
「だから、それでは子供には」
「黄昏時、夕方徐々に暗くなっていく、心細くなっていく。もうありふれすぎて、語る気にもならんわ」
「では字面通りに」
「そう、魔に遭う時間」
「その魔とは」
「昼間見えなんだものが見える」
「薄暗いのですから、余計に見えなくなるのでは」
「だから、別のものが見えるのじゃ」
「別のものとは」
「暗いと何が潜んでいても分からん。そういうことじゃ」
「照明の問題ですか」
「夜の怖さ。暗くなることの怖さ。闇の怖さだろう」
「はあ」
「夜から闇へ。この変化じゃ」
「え、よく聞き取れませんでした」
「明るさ暗さの問題から、闇というまた別のものになる」
「はあ」
「夜より、闇の方が怖いじゃろ」
「闇夜はどうなんですか」
「夜は暗いが月明かりがあるし、町の明かりもあるだろう。闇とはまったく光がない状態。まさに暗闇。これが、闇じゃ」
「暗室のような」
「まあ、そんな状態になれば何もできんから寝ておる。まあ、用があるのなら、明かりを灯す」
「逢魔なんですから、魔物と遭うわけでしょ。魔物との遭遇。その魔とは何ですか。どんな妖怪ですか」
「だから逢魔が時に関しては実体がない。具体的な形などない」
「妖魔とか、悪魔とか、魔がつくキャラは」
「キャラものではない。もっとランクの高いものじゃ。そのため、私はこの逢魔が時には触れたくない。触れると、何も出なくなるからな」
「はあ?」
「この言葉、そっと取っておいた方がよろしい。使いすぎると、手垢が付く。黄昏時もそうじゃ」
「はあ、なんと繊細な」
「時々、この言葉がふっと頭をよぎることがある。そのときの気持ちや気配を逃したくない」
「やはり言葉から入っていくのですね」
「言霊の世界じゃ」
「言霊」
「呪文や祝詞のようなものかもしれん。それには意味はあっても、実際にはない。全体を包む、何かを指し示す効果音のようなものじゃな」
「バックミュージックですか」
「そうだな」
「今回も、難しい話なので、子供向けではありませんから、釣瓶落としで行きましょう」
「そこが落としどころか」
「はい」
 釣瓶落としとは実は妖怪ではなく、秋の黄昏は早く、あっという間に日が落ちるので、まるで、井戸に釣瓶を落とすときのように早いという程度のもの。その釣瓶にものすごい顔をした妖怪が入っているというもの。これはただの季節もののような時間ものだろう
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:22| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月01日

3399話 よく分からない話


 一度嫌な思い、怖い思いをした場所へは二度と行かない。猫などがそうだ。逆に一度いい思いをした場所、気持ちが良かった場所へは何度でも行きたくなる。これは場所だけではなく、事柄にも当てはまる。
 しかし、何度も嫌な思い、怖い思いをしながらも行くことがある。これはそれを超えるだけの良い事があるためだろうか。それも何度も何度も嫌な思いになるのなら、そのうち行かなくなるだろうが。
 我慢とか辛抱は、その辛さを乗り越えるときに必要で、これはある程度は耐えるだろう。最初から行く気がしない場合は別で、その方が利口かもしれない。
 我慢することでの成果が大したものでなければ、我慢強い人と言うより、余程鈍いか我慢するのが好きな人になる。しかし、それは別の趣味だろう。
 快不快は単純なセンサーだが、それだけに頼っていると、今一つ進歩がない。これは進歩や成長などを望まなければ問題はない。好き嫌いだけで生きていけばいい。
 しかし、好きなこともそうざらにあるわけではなく、簡単に手に入る快感も、徐々に薄くなるようで、以前ほどには気持ちよくならなかったりする。
 悪いことでもなく、怖くも危険さもないのに、なぜか嫌がることもある。何を恐れているのか分からなかったりする。しかし、そう感じるのだから、何か落とし穴でもあるのだろう。油断できないような。
 快楽主義というのもあるが、そんなに快楽が沢山あるわけではなく、快楽ばかりでは逆に飽きるだろう。ここで出てくるのが陰陽の関係だろうか。このバランスで何とかなるらしいが、そんなことは普段から心がけるわけにはいかない。
 ただ、おやつでも、甘いものばかりを食べていると、辛いもの、塩気のものが欲しくなったりする。どろっとした飲み物ばかりだと、さらっとしたお茶などが飲みたくなる。これも陰陽のうちだ。
 つまり、自身の定点は意外と細かく動いており、好き嫌いも、変化する。そのときは好きだったとか、そのときは嫌いだったとかも。
 自分の定番があるようでなかったりするが、自分が思っている自分というのもまた変化するためだろう。
 認識しても、すぐに風化するし、その認識も賞味期限が切れたりする。当然認識の仕方が変わると、そのものに対する態度も変わるだろう。
 こういった精神的な話は、高きも低きもあり、何やらよく分からないことになるが、リアルというのは分からないということだろう。それでは不便なので、何かをあてがっているだけかもしれない。
 
   了
 
posted by 川崎ゆきお at 10:48| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月30日

3398話 雨の降る前


「雨が降りそうですなあ」
「午後からだと言ってませんでしたか」
「もうすぐお昼です」
「降り出すのが早いようですが」
「私もそう思います」
「そうでしょ。だから傘なんて持ってきませんでした」
「私もです」
「しかし、まだ持つんじゃないですか、昼過ぎからじゃなく、午後からと言ってましたから」
「同じだと思いますよ」
「午後から雨なので、夕方あたりでもよろしいかと」
「そうですねえ。昼過ぎから雨なら、昼を過ぎたあたりから雨」
「午後というと広い」
「はい」
「しかし、困りましたねえ。戻り道濡れますよ」
「まだ降っていませんから、もう少し持つのでは」
「持って欲しいですなあ。秋の雨は冷たい」
「じゃ、もう帰りますか」
「いや、持つかもしれません。午後から雨なので、その午後の幅に頼るしかありません。降りそうで降らないことがよくあるでしょ」
「あります」
「しかし、雲行きがあやしくなってきていますねえ。さっきまで陽射しが少しあったのに、今は陽が見えない」
「そろそろ降らす準備をしているのでしょ。分かりやすくていいじゃありませんか」
「いきなりの俄雨よりも分かりやすいです。雨のことなど考えていないのに、降り出す。だから雨の心配など降るまでしていない。こちらの方が気楽でいい」
「今日の雨は予報でありました」
「はい、それで出るとき、頭にありました。降るだろうと。しかし午後からでしょ。だから、まだ大丈夫かと」
「そろそろ午後ですよ」
「昼を回りましたか」
「はい、今降り出してもおかしくありません」
「じゃ、帰りましょう。早い目に帰れば、まだ大丈夫かもしれませんから」
「そうですね」
「しかし」
「何ですか」
「降れば傘を買えばいいんですよ」
「ああ、そうですなあ。今使っているビニール傘、バネが悪くてねえ。いやバネではなく、曲がっているのですよ、芯が。だからすっと伸びないので、すっと開かない。だから新しいのを買ってもいい頃なので、急いで帰ることはない。あなたはどうですか」
「私は常に傘は二本使っています。二本同時に差すのじゃないですよ」
「そんなこと分かっています。そんな人、見たことありません。二本杖ならよく見ますが。それに平行には差せないでしょ。そして本人は間になるので、二本も傘を差しているのに、濡れることになります。縁と縁の間は隙間だらけですからね。四角な傘ならいいのでしょうが、繋ぎ目から漏れます」
「二本使っているとは、いつも二本用意しているということです。ところが一本、この前の台風で骨が折れましてねえ。一本だけになってしまいました。だから補充しないといけない。だから新しい傘を買う時期に差し掛かっています」
「じゃ、丁度いい。降り出せば買えばいいんだ」
「そうです」
「だったら、急いで帰ることはない」
「はい、その通り」
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 10:43| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月29日

3397話 長老の果て


 その道の達人が一家をなし、そして流派をなし、それを後輩が引き継いでいく。しかし、流派の勢いがなくなることがある。これは時代の影響だろう。その全盛時代の達人の一人が生き残っている。既に引退しているが、最長老だろう。
 しかし、この達人、当時それほど目立った存在ではなく、数いた達人、これは兄弟衆のようなものだが、弟に当たる人が流派総代を継ぎ、今はその弟子が継いでおり、この流派の頭となっている。
 宮田はその最長老を訪ねた。既に普通の老人になってしまったが、その眼孔は未だに鋭い。何度か訪ねるうちに、近くの大衆酒場で話すことが多くなった。払いは当然長老。しかし大した金額ではない。安い店のためだろう。
 訪ねて来る人などいなく、またその業界の人も避けている。
 宮田は一寸したイベント屋だが、人脈を増やすため、この長老に目を付けた。
 その長老は全盛期、門人に辛く当たった。一番厳しい師匠筋ということだが、自分の一門だけではなく、他の一門の後輩に対しても意見は辛辣、手厳しく、褒めたことが一度もない。しかし、その教えは的を得ており、よき師匠なのだが、その後、この人を慕う人はない。我が一門の弟子さえ別の一家を構え、挨拶にさえ来ない。いやなのだ。この師匠の言い方が。
 鉤鼻で、話すとき、その鈎でえぐられるようにきついことを言い、その口は意外と小さいが、尖っており、傷口をその口でくどく突き刺す。これは神経に来る。頭に来ないで。
 つまり、叱られたときのダメージが一生尾を引いているようで、懐いたり慕ったりできる雰囲気ではなかったのだろう。それで、最長老になってからも、誰も相手にしなくなった。長老は数多くいるが、最長老はいないことになっている。
 その長老、酒場で宮田と話すときは機嫌がいい。普段から人と話すことなどないためだろうか。弟子や家族からも見放されたような人で、孤高の人なのだが、これは悪い性格からきている。人柄に問題があるのだ。
 ただ、宮田には愛想がいい。それは全盛時代の話を全部聞いてくれるからだ。宮田の聞き方が上手いのはプロのため。この宮田の聞き方の上手さに長老は気付いていない。あの鋭い眼光も、敢えて光らせない。宮田が得意とする聞き方は、相手の自己愛を引っ張り出すことで、これは見え据えた手だ。しかしその言い方がいやらしくない。長老は猫のように簡単に喉をゴロゴロ鳴らしっ放しにしている。それを看破するだけの力がなくなっているのだろう。
 今、現役で活躍しているこの流派の第一人者たちに対する物言いはきついものが残っているが、自分の息子や孫の世代なので、そんなものだろう。
 相変わらず人を認めようとしないところは昔と同じだが、そのため、誰も寄り付かなくなったことには触れない。当時は言うべきことを言っただけなのだが、問題はその物言いだ。これが後輩たちの神経を傷つけすぎた。
 宮田は話を聞くうちに、これはやはりまずいだろうと思い出した。この人と関係があるというだけで、不利になるような。
 しかし、その夜の酒場でも長老は機嫌がよく、宮田にも親切だ。あのいやなことを言う人ではなくなっている。
 何かのとき、この長老を引っ張り出せば、押さえになるかもしれないが、隠し球としての威力は昔ほどにはないようだ。
 意外とこの長老と気が合うのは、宮田も似たような性格のためかもしれない。そしてこの長老が全盛期のときと同じ様なことを宮田もやっていることに気付いた。
 その後、宮田は自分の仕事も上手く行かないようになる。原因はあの長老と同じ。それからは、もうあの酒場へ行くこともなくなった。未来の自分を見ているようで、見たくなかったのだろう。
 
   了

 
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2017年09月28日

3396話 奇妙な町


「奇妙な町がありましてねえ」
「あなたが奇妙なのですよ」
「はあ」
 それでは話が続かないのだが、続けたくないのだろう。その奇妙な町について少しは聞きたいところもあったが、竹中は打ち切った。どうせ、この老人の気のせいでそう見える町の話なので、客観性がない。それに、そんな町は、もう町ではないだろう。町として存在できないためだ。
「誰かに聞いて欲しかったのですが、まあ、いいです。別の人に話します」
「じゃ、触りだけでいいのなら」
「はい、私も全部話す体力がありませんから、少しだけ聞いてください」
「じゃ、どうぞ」
「何処から話していいものやら」
「決めていなかったのですか」
「いきなりだと分かりにくいので、どのあたりから話せば分かりやすいかと」
「何処からでも構いません」
「はい。では私がその町を訪れたのは他でもありません。実は何もなかったのです」
「最初から面倒そうな話ですねえ」
「その町があることは知っていました。一度は行ってみたいと。その一度が来たのです」
「かなり手前から離しているようですねえ。町に入ったところからお願いします」
「古い街並みが残るとされている平野部の外れにある町でして。支線のまた支線のような鉄道が走っておりまして。便が悪いのですが、一応電車が走っているので、便といえば便です。一日二本程度のバスに比べればはるかに便がいい。しかし、この町にはバスは来ません」
「早く町へ」
「はい。思い立ったが吉日。何かに押されるように、あるいは誘われるようにして、その駅に降り立ちました。無人駅でしたがね。意外と道路がないのです。これだけでも大変な発見でしょ。だだっ広い田んぼが拡がっておりまして、地平線まで続いているようなね。農家は彼方にありまして、お隣の町と背中合わせ。逆に町並みのある駅前が山沿いにあるのです。だから田んぼの端にポツンとある町なんです。農村じゃありません。町です」
「はあ」
「要するに鉄道でしか辿り着けない町なんです」
「そこで破綻してますよ」
「え、何がですか」
「町の人の車はどうなるのです。町から車で出られないじゃありませんか」
「そうなんです。だから奇妙な町なのですよ」
「もうそこまで聞けば充分です」
「私は駅に降りたとき、それで納得し、すぐに帰りました。無人駅ですからね。改札がないので、電車から降りるとき、運転手に切符を渡すだけ。乗るときは……」
「そんな話より、あなたはその奇妙な町は何だと思います」
「はい、それが核心です」
「で、何だと」
「きっと私は存在しない駅で降りたのです」
「まあ、あなたがそう言いはるのなら、そうでしょ」
「話はこれだけです」
「意外と簡単でしたねえ」
「はい。途中で話すのが面倒になってきたもので。それにあなたの聞き方が悪いので、乗りが悪くて悪くて」
 
   了
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2017年09月27日

3395話 小用


 玄関を開け、自転車を出し、さっと乗り、ペダルを踏んだ瞬間煙草を忘れてきたのではないかと下田は胸のポケットに手を当てたとき、隣の家と、その向こう側の家の間に見かけぬ老人が立っているのが見える。
 煙草はポケットに入れていたことを確認したので、次の注目ポイントはその老人。
 立っているのが不審というより不思議。隣の家か、その向こうか、さらに右側の奥にまだ家があり、そこに来ている人だろうか。しかし、そんな詮索前に濁って震えた声が先に来た。
「こんへんで……」と、後は聞き取れない。下田は「ええっ、何?」というような顔をすると、老人は同じ言葉を繰り返した。
「この辺でおしっこしていいですか。叱られるでしょうねえ」
 緊迫した状況のようだが、おしっこだ。しかし、本人にとってみれば抜き差しならぬ緊急ごとだろう。隣と、その隣の家の間に通路があり、さらにその左右に家がある。その先は突き当たり。
 下田もよく知っている人たちが住んでいる。その時間、誰がいるのか程度は何となく分かる。
「その辺でやったらいいですよ」
 その通路は私有地で、人の家の庭に近い。
 老人はその余地のようなところに入り込み、こちらを見ているので、誰も今は住んでいない家の壁を指さした。
 老人は許可が出たので、安心して用を足したはず。そのとき、下田は自転車で既にそこから離れていた。
 たまに道ばたに濡れた跡がある。そこだけ雨が降ったような。これは大型犬だろう。また溜め込んだ犬が我慢できず一気にやったような水たまりがある。しかし、犬ではなく、人間かもしれない。犬は分割する。匂いを残したりするため、全部出し切ると用が足せない。用を足しきることで、用が足せなくなる。だから一気にやらない。よほど辛抱し倒した犬なら別だが。
 さて、その老人の正体だが、手がかりは無精ひげで、あまり身なりはよくない。しかし外出着。そして紙袋を手にしていた。顔の彫りが深く、何処かの国の外務大臣に似ている。
 しかし、こんな町内にホームレスが入り込むようなことはないし、最近見かけない。紙袋の中身までは見ることができなかったが、チラシ配りかもしれない。チラシを配っているうちに催したのだろうか。この近くに公園はあるがトイレはない。一番近いトイレはコンビニ。または家などの工事中に持ち込まれる電話ボックスのようなトイレ程度。
 しかし、本当にチラシ配りだろうか。徘徊老人の線も考えられる。
 チラシ配りなら立ち止まらないはず。事情を聞けばそれなりのストーリーがあり、ああそれで、この町内に来ていたのかと、分かるはずだが、今となっては永久に謎。
 ただ、「ここでしても……」という言葉を発するときの外務大臣風の老人の情けなさそうな顔が目に焼き付いて、しばらく臭い思いをした。
 
   了

 
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2017年09月26日

3394話 満席の日


 疋田は安いファスト系喫茶店へ毎日通っているのだが、たまに座れないほど人が多い日がある。これは年に一度もあるかないか。
 その日は秋晴れの日曜日。ショッピングモールは自転車を止めるときから既に満車。止める場所を探すのが難しい。
 しかし、その喫茶店はいつもすいている。人出の多い日でも余裕を持って座れる。それで疋田は安心していたのだが、自転車を止めるとき、遠目で見ると、人が大勢座っている。そんなことは滅多にない。何かの偶然が重なったというより、他の飲食系の店が満員なので、流れてきたのだろう。この安い喫茶店しか開いていないので、仕方なしに、かもしれない。
 疋田は買い物でもして、時間をずらすことにした。入る前から座れないことは分かっているし、この店で空席待ちの客が並んでいる姿も見たことがない。
 そこで疋田は家電を見に行くことにしたのだが、せっかく安い喫茶店で節約しているのに、余計なものを見て衝動買いなどする危険性がある。そこで、実用性の高い衣料品店を覗いた。季節は秋。既に冬物に近いのが並んでいるので、衝動買いの危険度はない。今すぐ着られるようなものなら別だが、ひとシーズン先のものなど買わないだろう。しかし、夏物の売れ残りがあり、その値段が下がっているので、今がチャンス。だが消化できないほど同じものを持っているので、消費欲はあって、買うものがない。
 そして家電店へ行くと、新製品が出る前は値段がガタンと落ちていたのに、新製品が出た瞬間、ガタンと値が上がった。何だろう、この現象は、と思ったのは、新製品の評判が芳しくなかったのだろう。逆に旧製品の値打ちが上がった感じだ。どちらにしても値がさらに下がっておれば衝動買いしたかもしれないが、上がっているので、それはなく、無事に家電店を出る。
 そして喫茶店を覗くと、まだ客が多い。どのテーブルにも人がいる。こんなに流行っている状態を見るのは年に一度もないだろう。
 それで、また買う気はないが、買い物の続きをすることにしたが、安いパン屋があるのを思いだし、そこでパンを買う。これを夕食にするという真面目な展開なので、問題はない。それに夕食代も安くつく。
 それで、また喫茶店を覗くと、所々に空きがある。これならいけると思い、ドアを開ける。
 日々同じ様なようで、年に一度、こういう展開になることもあるのだ。
 それだけの話だが、この事はしばらく覚えているだろう。いつもがら空きだが、座れない日が年に一度程度はあることを。
 だが、もの凄く重要なことではない。
 
   了
 
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2017年09月25日

3393話 行くも戻るも同じ道


「たまには出かけられたらどうですか」
「毎日、ここまで出かけていますよ」
「毎日でしょ」
「そうです。だから毎日出かけていますよ」
「同じ道を通り、同じ階段を上がり、同じドアを開け、そして私と雑談し、その後トイレへ行き、また同じ道を戻る。しかもいつも同じ時間。これじゃ出かけた意味がないでしょ」
「ありますよ。今日も元気で出かけられたと」
「薄いでしょ」
「髪の毛が」
「いや、効果がです」
「効果」
「少し違うところへ行かれてはどうですか。あまり行ったことのない場所とか」
「はあ」
「そういう変化が欲しいでしょ」
「そうですなあ。たまにはねえ。しかし、出不精で、なかなか」
「じゃ、道を少し変えてみるとか」
「いや、ここへ来るまでの道筋は磨き抜いた完成品です」
「まるで、廊下でも磨くようにですか」
「道筋は実はいろいろとあるのです。長年かけて一番安全で、しかも夏場も日陰があり、景色もまずまずの道順を試した結果、今の道筋ができたのです。開通です。これはもういじれない。いじると悪くなる。これがベストなんです」
「でも、同じ風景ばかりじゃ退屈でしょ」
「天気は日々違いますからねえ。空も違う。雲の形も違う。街路樹の色も違う。さすがに成長の様子までは一日じゃ見学できませんがね」
「私が言いたいのは、そういうことではなく、積極的な働きかけについてなのです」
「それについてですか」
「そうです。何か今日はやったと思えることをやるのがよろしいかと」
「いやいや、道を変える程度で、やったなあとはなりませんよ」
「しかし、変えるという行為、普段はしない行為に出たことで、してやったり感が生まれます」
「生まれますか」
「生まれます。これが大事なんです。所謂積極的な働きかけ、受動ではなく、能動です」
「農道も通りますよ」
「その農道じゃない」
「はい」
「これで日々新鮮な頭になります。まあ、そんな道を変える程度のことじゃなく、普段とは違うことをたまにしてみなさいということですよ。だから、毎日毎日同じ道を通って、ここに来て私と話し、そして、また同じ道を通って戻るようなパターンじゃなくね」
「しかし」
「何ですか」
「そういうあなたも毎日ここにいるじゃないですか」
「まあ、そうだけど」
「それで、戻るときの道は変えていますか」
「いや、それはたとえだよ」
「じゃ、同じ道でしょ」
「まあね」
「そして、ここにばかり来ている。しかも毎日」
「だから、それじゃいけないという話をしているのですよ」
「いいじゃないですか、好きなようにして」
「まあ、そうだがね」
 
   了

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2017年09月24日

3392話 生乾きの昔話


 昔あったことで、当時は見過ごしていたが、今見ると、ものすごいものだったと、再発見、再認識することがある。この昔とは、その人にとっての昔で、その人が思っている昔だ。年寄りほど昔の量は多くなるが、若い人でも、結構多い。それは年寄りはもう記憶から消えてしまっていることでも、若い人ならまだ覚えていたりするためだ。だから絶対量は同じとは言わないが、これは思い出す機会と関係する。つまり、昔のことを思う回数だ。そのため、暇そうな年寄りほど回数が多いのかもしれない。その回数分、古い話に触れる機会も多い。
 昔のことに思い出すのは、何かのきっかけが必要で、日課のように思い起こしている人は少ないだろう。何かを見たとか、何かに触れたとか、そういう話を聞く機会があったとか、それらが引き金になる。それとは別に、ふっと思い出すようなこともある。これはただの匂いだったり、何かの瞬間、ポロリと出てきたりで、思い出そうとして思いだ出すのではなく、自然に思い出してしまうのだろう。
 さて、見過ごした、見逃した昔の話のことだが、これは体験したものだけではない。映画でもいいし、テレビでもいいし、歌でも芝居でも、イベントでも観光地でも何でもいいし、また物でもいい。
 ただ、人に関しての話は少し感傷が入るだろう。これは思い出すと痛いとかだ。楽しかったことで、痛かったことなどなかっても、二十年前、三十年前の人となると、その間、年をとっており、もう昔の面影など少ししか残っておらず、もう物が違っていたりする。当然、二度と戻れない場所となるので、それが痛いのかもしれない。
 引退したのかどうか、また現役なのかどうかさえ分からないような歌手が、懐メロ番組に出ているのを見たときなどもそうだろう。全盛時代を知っている場合は、これは何ともいえない気持ちになるだろう。それを見ている側も、それなりに年をとっていることを考えないで。
 ところが全盛時代を知らず、また当時は見向きもしなかったのだが、今、見ると、再認識することもある。認識するだけではなく、高く評価する。こんなすごい人がいたのに気付かなかったと。知っているのに、分からなかったのだ。
 この鑑賞はただの鑑賞の問題なので、それだけの話だが、実際に関係した人物などでは、もっと重くなる。そして鑑賞の話ではなくなる。
 過去の一瞬の輝き。これも戻れないし、また繰り返せないとなると、思い出の名シーンへと殿堂入りする。
 さて昔、見過ごし、見逃し、または評価しなかったものを掘り起こすサベージ作戦のような趣味も悪くはない。ましてや、知らなかったものの中で、ものすごくいいものがあると、感動がある。リアルタイムでも感動できたのにと残念な気もする。
 歴史となるには、かなり経ってからでないと評価できないのは、近いと生乾きのためだろう。しかし古すぎると、記憶にはないだけに、乾きすぎている。
 この生乾きの状態が、結構感傷を誘う。まだ、終わっていないためだ。
 
   了


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2017年09月23日

3391話 東屋の読書人


「同じ人かも」
 植村は毎日自転車で近所を走っている。散歩のようなものだが、その途中にある公園の東屋で本を読んでいる身なりのいい老人をたまに見かける。道から公園の奥の東屋は遠いので、遠目でしか見ていないが、そこに座っている人がいると、視点がそこに行く。
 ある日、そこからかなり離れたところにある寺へ行った。これは用事の帰りに、寺の境内に立ち寄ったのだ。モミジやイチョウが色づくのにはまだ早いが、この境内は誰でも入れるため、散歩コースには丁度いい。境内は広く、竹林があったり、お堂が点在していたり、野仏などが草むらの中に隠れていたりと、それなりに見所がある。池もあり、鐘撞き堂もあり、山門には立派な仁王さんも立っている。
 その山門に入ったところに龍の口から水の出る手洗いがあり、その横に、これもまた立派な東屋がある。椅子で四方を取り囲んだような建物だが、しっかりと囲いや屋根がある。そして椅子に座っている人は、頭だけしか見えない。
 その頭を見て「同じ人かも」となったわけではない。帽子は似ているが、本を読んでいるかどうかは分からない。それで、囲いが壁になっているので、正面の入り口から覗くと、本を読んでいた。ここで「同じ人のようだ」となる。
 近くに自転車が一台だけぽつんと止まっている。これに乗ってきたのだ。結構遠いが半時間程度。いつも見かけている公園から、ここへ遠征に来たのだろうか。
 公園の東屋は午前中で、夕方前はここにいるのだろうか。もしかして東屋読書の梯子をしている人かもしれない。ベンチではなく、東屋専門の。確かに屋根があるので、夏でも日陰ができるので、都合がいい。
 どちらにしても木々に囲まれ、いい場所だ。
 ずっとそれを覗いていても仕方がないので、少し回り込んで、別のものを見ることにした。池に蓮の葉が浮かんでいる。空気袋が見える。別の浮き草かもしれない。
「浮き草の宿」を植村は連想した。浮き草暮らしとかも。そして東屋をもう一度見た。今度は帽子が見えない。もう帰ったのだろうか。
 植村はもう一度中が見えるところまで行き、確認すると、寝転んでいる。横になってしまったのだ。
 相手からの視線がないことを幸いに、その人を観察したが、着ているものが粗末だし、意外と若い。別人だったようだ。
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 10:26| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする