2018年05月20日

3630話 ネット賽銭箱


 梅雨が近いのか湿気が強くなっている。こういう日は寝苦しいのか、何度か木下は夜中に起き、その度にまだ早いとまた寝るのだが、そのサイクルで次に目が覚めたときは早い目の朝。ここで起きてもかまわない。少し早起きになるが、早起きは三文の得。早起きすると枕元に一文銭が三枚置かれているのなら、これは具体性がある。しかし一文銭では値打ちがない。古銭として売れるかもしれないが、売りに行くときの交通費の方が高く付きそうだし、その労だけでも三文以上の人件費が掛かるだろう。まあ昔の三文を今でいえばいくらになるかは分からないが、大した金額ではなさそうだ。
 枕元にチャリン。これは賽銭のようなものだが、似たようなことを木下は以前やっていた。パソコンからコインが出る仕掛けだ。それにはコインをパソコンの中に仕込んでおかないといけないが、これは本物の銭ではなく、ネットビジネスのようなもの。
 木下がホームページ上に作成したのは神社。そして賽銭箱。その罠に引っかかった信心深い人が賽銭を投げてくれる。それを朝見ると、パソコンからお金がチャリンチャリンと自販機の釣り銭のように出てくる。
 と、早起きしたわりには爽やかな話ではないが、少し時間のゆとりがあるので、そんなことを思い出したのだろう。
 早く起きたとはいえ小一時間ほど。これは時間としては長いのか短いのかは分からないが、ぼんやりとしているときの小一時間は結構長い。その時間を使い、木下は何かをするということはないが、朝の用事をゆっくりとできる。急がなくてもいい。普段よりも時間があるので余るほど。それで別の用事もできたりする。やはり三文の得だ。
 そして小一時間のゆとりも昼頃には使い果たすようで、それからはいつもの時間通りになってしまった。
 しかし、朝方考えた自販機のようなチャリンが気になる。小銭でもいいから、朝、パソコンからお金がポトンポトンと出てくればいいだろう。大した額ではなくても日銭が入る。
 そういう仕掛けをもう一度作れないものかと考えた。
 しかし殆ど詐欺のようなものなので、合法的なコンテンツ販売や閲覧でお金を取るのがいいのだが、それでは普通のネットショップになる。売るものなど持っていないので、仕入れてこないといけない。これも面倒だ。元手が掛かるので。
 やはり昔考えたネット神社がいい。
 それで、夜中までかかってネット神社のウェブサイトを作り、勝手に総本山を名乗った。しかし中身は神社か寺か分からないようなものになったが、欲張って賽銭箱を増やした。また色々なところへお参りできるように周遊コースなども作った。聖地の箱庭のようなものだ。
 そこには小さな石饅頭から、お地蔵さんや、祠、そして神殿や本堂とか、幹だけになった古木の下とかに賽銭箱を仕掛けた。
 音まで入れ、ガラガラの音や、賽銭が落ちたときの音、お寺では念仏まで入れた。いずれも音源はネット上にある効果音。
 それでは飽き足らず、ゲーム性を出すため、秘密の神社とか、隠された奥の院とか廃寺を作り、その下にダンジョンを作り、迷路抜けまで作った。
 そういうのは思い付いた日の夜にできたわけではないので、数ヶ月かかった。大作だ。
 そして朝起きると、無数にある賽銭箱からお金がざくざく落ちてくるはずなのだが、世の中そんなに甘くはない。しかし辛くもないようで、ザクザクではなく、ポツリポツリと一円玉程度は落ちてくるようになった。
 これを作る手間暇労賃を考えると赤字。
 また、そんな仕掛けを作る時間働ければ、それなりの銭は得ただろう。
 
   了




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2018年05月19日

3629話 人の世


 人の世があるのなら虫の世もある。昆虫などは集団で暮らし、社会がある。だから虫の世もある。しかし人が人の世を思うとき、思うことで人の世が出てくるが、虫は虫の世のことを思うだろうか。近くにいる虫について思うところはあるかもしれないが、どの程度の距離だろう。犬や猫、鳥あたりなら親や兄弟のことを思うかもしれない。そのとき、犬の世として、猫はただの動物扱いになるとは思えない。猫から見ての犬も。
 ちょっと違う生き物程度だろう。それが脅威なら逃げだし、特に危険がなければ一緒にいるかもしれない。水飲み場の動物など混ざり合っている。動物にとり、この水飲み場が広い世間かもしれない。
 人の世の、この世とは人々にまつわる色々なことという程度かもしれない。世の中というのは自分が発見しなくても生まれたときからあるものだが、親兄弟親族、そして親戚から近所の人、よく見かける人。ある場所へ行けばいるような人。店屋などがそうだし、道に出れば様々な不特定多数の人達が行き交っている。世の中には自分たち以外にも、同じように生きている人達がいることを知る。
 小さな子が保育園や幼稚園、さらに小学校へ行くと、それぞれの家や町内から同じように来ている他の家庭の子供達と遭遇する。決して小さい子は自分一人ではなく、大勢いることが分かる。
 世間にも範囲や括り方があり、また直接触れることができる世間や間接的にしか知ることができない世間もあるが、ぼんやりとではあるが大凡の状態は大人になれば分かるようになる。世間を見渡せるようになる。
 しかし世間ではなく、人の世となると、ちょっと情味が加わる。大昔のことでもよくなる。その時代も人の世として、今のようにあれこれのことがあったはず、それが変わらず続いていたりとか、人が生きて動いている限りあるべきことが起こり、それに伴う感情も今も昔も変わらないような、あるパターンができる。世の常とかが、そこで出て来る。
 人の世は何か哀れを誘うような印象があるのは、人の世云々というときの状態が、そういう情味のあるときが多いためかもしれない。別の言い方もあったはずだが。
 そして人の世ということで、これは個々の小さな話から世間一般のもっと広いところまで広げることで、普遍的なこと、よくあることとして諦めやすくしているのかもしれない。まあ、悪いこと哀しいことばかりが人の世ではないが、これは我々人類が、という風に言うと、細かい話から遠い話になり、個々のことも大海に流れて、いずれ雨になり、戻ってくるような所へと持ち込み、いわば自然に近いものではないかという意味で人の世が使われているのかもしれない。
「吉田君」
「はい」
「間違ってます」
「え」
「勢いは感じますが、比喩が間違っていますし、言葉の定義もできていません。これは駄目です」
「残念です。折角調子の良い論文ができたのに」
「それはただの作文で、感想程度。それでは世の中では通じません」
「まさに人の世ですね」
 
   了




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2018年05月18日

3628話 歌の家


 諸国を遍歴し、経験値をたっぷり蓄えた白ノ俊だが、それを活かす機会がない。しかし良く考えるとずっと遊覧船に乗っていたような旅。苦労などしていない。これは本家が金持ちのため。若い頃の苦労は買ってでもしろと当主に言われ、旅に出たのだが、路銀はたっぷり持って出た。銭で解決することは銭で解決した。殆どのことは銭で解決した。
 これは一応外遊をした坊っちゃんに近い。坊っちゃんのままだが色々なものを見聞し、世俗の知識も増えた。世間の事情にも詳しくなった。
 当主は早い目に隠居した。気楽に遊んで暮らしたかったのだろう。それと入れ替わるように白ノ俊が当主になった。
 しかし白ノ俊の家はもう形式だけのようなもので、実際には何もしなくてもいいのだ。当主の仕事はこの名家を守る程度で、普通の家長の役割と代わらない。だがまだ若い白ノ俊が逆に余計なことをすると叱られた。
 ただ、色々な席に出ることが多くなり、それが負担になったが、特に何かをするわけではない。座っているだけでいいような役だ。父親はこれが嫌で、早く引退したのだろう。そして旅に出ると言いだし、姿を消してしまった。
 この家は歌の家で、家業は歌。歌詠みだ。しかし歌手ではない。ただ、声が大事で、節回しも覚えないといけないが、そこは適当で良かった。ただ、そういう家は他にもあり、白ノ俊の家は序列から言えば末席。だから、なくてもいいような家だが、数が少ないと見栄えがしないので、頭数の一つとして続いている。
 本当は昔の人が詠んだ歌を全部そらんじなければいけない。丸暗記だ。さらにその解釈も必要。しかし白ノ俊も父親もその先代も、物覚えが悪いのか、見ないと詠めない。しかしそんな出番は滅多にない。あったとしても家人の誰かが代わってやってくれる。
 それでも歌の家に生まれ育ったので、いつの間にか耳で覚えた歌はかなりある。だから一般の人よりも多くの歌を知っていることになるが、先々代の時期から歌会もなくなり、そんな機会は実際にはない。あれば必死で覚えるだろう。
 しかし、大昔の家人が詠った歌の解釈がある。これは口伝。文字には残さない。これは業務秘密なのだ。それを受け継いでいるからこそ値打ちがある。
 白ノ俊は子供の頃から、子守歌代わりにそれを聞かされた。そのため、それは暗記したものではなく、自然に覚えた。歌の注釈のようなもので、いわば虎の巻。
 これが、白ノ俊が持っている最大の財産。しかし活かすところがない。旅に出て見聞を広げたときと同じ。
 白ノ俊の先祖に偉い人がいたのだろう。その人が独自な解釈をしている。この歌はこういうことを本当は詠んだものだというストーリー性のあるもので、個々の言葉についてはあまり触れていない。だから独自すぎて、評価は低い。歌の家のランクが低いのはそのためだ。
 この解釈というか解説、歌よりも、物語性があり具体性がある。白ノ俊がお伽噺でも聞くようにスーと覚えてしまったのは、そのためだろう。
 白ノ俊は後に作詞家になり、この国の風景を情緒豊かに歌い上げている。その一曲ぐらいは誰でも聞いた覚えのある童謡として、今も残っている。
 若い頃、色々なところに旅したことが、ここで活きたようだ。苦労のない呑気な旅だったが、風景だけは感慨深く眺めていたようだ。
 
   了


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2018年05月17日

3627話 踏切を渡る


 線路側からプラットホームが見える場所。そこは踏切。その場所から電車がホームに入って来るのを佐々木は待っている。ここがスポットで、休みの日など同じように写しに来ている人もいる。そのため、佐々木が見付けた秘密のスポットではない。
 流石にホームにいる人は肉眼では見えないが、いるかどうか程度は分かる。電車がホームに入って来るまでに写さないと、それからでは踏切が閉まる。ホームに止まったあたりでもう踏切は閉まり出す。
 そうすると線路が真ん中に見える位置から写せなくなるので、出ないといけない。閉まると閉じ込められてしまう。
 だからホームに着いた瞬間写せばいい。一瞬のタイミング。写したあと、すぐに閉まり出す。踏切の脇からでも写せるが、シンメトリーにならない。斜めからになるため。
 佐々木は望遠レンズで狙いを付け、それを待つ。流石に望遠だとホームにいる人が見える。ベンチに座っていた人が立ち上がる。そしてドアが開いたのだろう。降りる人乗る人の動きが見える。遮断機が閉まる前のけたたましい音を立てる。その駅のすぐ手前に大きな道がある。当然そちらはもう既に閉まっているだろう。写せば、さっと立ち退く必要があるが、一枚目を写したとき、ピントが違うところに来ていた。AFのポーズ位置が電車ではなく、線路のコントラスト高い所に合っていたのだ。だからピンポイントの一点AFにすべきだったと後悔したが、もう一度シャッターボタンを半押しにすると今度は電車の正面ではなく、手前の車に当たった。あれっと思ったのは当然だ。
 一回目のシャッター後、出ないといけないので、二枚目を写したため、遮断機が下り始めているので、写真よりも、踏切内から出る方が先。
 今のは何だったのかと、佐々木は肉眼で駅手前の踏切を見るが、変わったところはない。客を乗せ終えたのか、電車は走り出したようだ。
 そして佐々木のいる踏切前を通過していった。
 あれっと思ったのは駅手前の踏切は閉まっているはずなのに、車の姿を見たのだ。渡っているところを。そこをカメラのAFが拾い、そしてシャッターを切った。
 佐々木はすぐに背面液晶で、今写したものを見たが、車の姿はない。その前に写したのを見ると、客が乗り始めた止まった状態の写真。これを写したかったのだが、やはりピントが来ていないので鮮明さがない。
 そして最後に写したのをもう一度見ると、車は写っていないが、電車にしっかりとピントが来ている。だから、満足したのだが、二枚目は確かに車が横から入り込んできていたはず。渡っているのだ。そしてピントが車に合ったことまで分かっている。しかし、車は写っていない。
 それよりも閉まっている踏切では渡れないはず。
 その踏切はホームに近い。電車はまだ止まっているが、遮断機は下りていたはず。
 どちらにしてもあり得ない現象だ。その証拠に写したはずなのに写っていない。
 きっとその車、白かったが、踏切を強引に渡ったのかもしれない。しかしそれなら写っているはず。
 白い車が横切った証拠写真がない。逆に写したはずなのに写っていないことが証拠になる。
 
   了



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2018年05月16日

3626話 機械の汁


 自分はいいと思っているのだが、他人はさほどいいとは思っていないことがある。逆に嫌ではないが、それほどいいとは思っていないものを、他人は非常にいいと思っていたりする。この他人というのは不特定多数の人々。しかし仲良しグループでも、それがある。
 自分が好きなので、他人も好きだろというのも頼りのない話で、また自分が面白いと思うこともそれと同じで、これも基準としては弱い。しかし本人が弱いだけかもしれないが。
 弱い好ましさ。弱い嗜好。これは対象が弱いのではなく、本人の弱さが出ているのだろう。
 嗜好というのは比較的自由な世界で、特に権利主張などを掲げるようなことではなく、勝手に味わえばいい。好みのあるなしなど、大した問題ではない。嗜好の問題なので。
だから力のない人でも、嗜好の問題ではうるさかったりする。ただの嗜好なので、意見を述べても、何かが動くわけではない。単に好きか嫌いか程度で、それも嗜好なので弱い。
 また、嗜好、好みに関しては敢えて言う必要がないが、腹の底では嘲笑していたりする。
「基準が分からんようになった」
「ほう」
「私の好みが通じなくなった」
「いやいや、最初から通じていませんでしたよ」
「そ、そうか」
「指針を失った」
「どんな」
「自分が面白いと思うことをやってきた。それが通じなくなった」
「もう面白くないからででしょ」
「じゃ、泉が枯れたのか」
「大した水じゃなかったですしね」
「私にとっては名水だ」
「いや、自分で掘った井戸なので、美味しいと思っていただけだよ」
「そうか」
「これからは嫌いなことをする」
「あ、そう」
「この前、嫌いなことをやったんだが、もの凄く受けた。好きなものをやるより、受けたんだ。しかし、しんどい。嫌なことなのでね。好きなことなら楽しくやれて楽なんだ。自分も面白いしね。ところが嫌なことなので、やるのが辛い」
「やっと普通に戻れたんだよ」
「そうなのか」
「楽して受けないさ」
「楽そうにやってる人もいるぞ」
「裏で結構苦しんでいるさ」
「そうなの」
「楽そうに見せるだけでも辛かったりしてね」
「じゃ、本当は辛いんだ」
「好きなこと、面白いことなんて、すぐに尽きるよ」
「泉が枯れたので、それが分かった」
「そうだろ。だから好きでも嫌いでもなく、淡々とやるのが極意なんだけど、これは難しいよ」
「君はそれをやってるのか」
「ああ、しかし、地味なので、受けない」
「うーん。じゃ、残るのは何だと思う」
「機械的にやることだよ」
「ほう」
「しかし人がやることなので、機械のような精密さはない。だけどそこに滲み出る汁が美味しい」
「おお、それが極意か」
「何もしなくてもいいんだよ、特にね。淡々粛々機械的にやっていると滲み出てくる」
「それって、やっぱり地味だなあ」
「まあな」
 
   了



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2018年05月15日

3625話 雨男


「雨で何ともなりませんなあ」
「あなたそれ、何十回言ってます」
「え」
「百回を超えてますよ」
「百回。なるほど雨の降る日百回。これはありうる回数ですなあ。しかし、今まで雨が降った日はもっと多いでしょうが、毎回毎回言ってるわけじゃないですよ。この前、雨が降ってましたねえ」
「さあ、記憶にありません」
「私は覚えています。ボロ靴では濡れるので、新しい靴を買うきっかけとなった雨でした。そのとき、私、あなたに、雨が降ってますとは言わなかった。つまり雨話題は一切しませんでしたよ」
「細かい話を」
「だから、毎回毎回雨が降ってます降ってます。雨で往生します。困ったもんだ。雨で何ともならん、なんてことを言い続けているわけじゃない。言わないときもあるんだから」
「では、雨が降っているときに雨の話題をなさらな日はどうしてですか」
「他に喋ることがあるからです。雨の話などしておる場合じゃない」
「じゃ。話題がないときは雨ですか」
「いや、話題があっても、雨話をするときもありますよ。ちょっと印象が違うと言いますか、趣きが違う雨の降り方や、かなり厳しい降り方をしたいたときとか」
「では今日はどうですか」
「何が」
「だから、他に喋ることがあっても、どうしても雨の話がしたい日ですか」
「いや、したくない日です。雨で何ともならんと言ってみたかっただけで、続きはありません」
「しかし、長い続き話になってますよ」
「そうですか」
「だって、ずっと雨の話で始終です。私、今日は用事があるので、先に帰ります」
「あ、そう」
「明日も雨の話、しますか」
「降っていなければしません」
「あ、そう」
「その代わり、今日は雨が降ってませんなあとなりますが」
「やはり雨ですか」
「はい、好きなんです。雨が」
「はい、じゃ、また明日」
「はい、ごきげんよう」
 
   了



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2018年05月14日

3624話 誰かいるのか


 堀口は早く仕事を終えて遊びたいとか、自分の時間をエンジョイしたと思うのだが、そんなときに限り、仕事が捗らない。あと僅か。ほんの数十分で済む。調子の良いときはその半分で済む。そして大してプレッシャーの掛かるようなものではないので、さっとやれば、さっと終わってしまう。だが早く済ませたいときに限り、そうはいかないのだから、皮肉な話だ。
 簡単なはずのことで手こずる。やり出せばすぐなのだが、止まってしまう。
 何が災いしているのだろう。これは早く済ませたいと思う気持ちがプレッシャーになるため。当然堀口がそんな止めに入るようなことはしていない。もっと早くと勢いを掛けているのに。
 それで、どうにも前へ進まなくなったが、これを終えてから遊びたい。中断した状態では気が重い。さっと終えたときの解放感がない。
 さっとできるどころが、まったく止まってしまい、何ともならなくなった。このままでは座っているだけ。何もしていないのとかわらない。
 しかし……と三村は考えた。仕事を早く上げるのはいいのだが、何をしてそのあと過ごすかだ。それはまったく考えていなかったが、自由な身になることだけでもよかった。好きなことができる時間、自由時間、それを得るだけで。
 それには終わらせないといけない。そうでないと解放感がない。
 それで仕方なく普段の数倍の時間を費やして何とか仕事をやり終えた。
 外に出ると、もう夕方から夜になっていた。この時間から遊ぶにしても、子供なら暗くなってからは鬼ごっこもしないだろう。
 それで遅いという感覚が先に立ち、そのまま真っ直ぐ家に帰った。
 ドアを開けると様子が違う。帰り道にウロウロしなかったので、結果的には昨日よりも相当早く帰ってきたのだ。しかし昨日と同じで外は暗いし、部屋の中も暗い。休みの日は別だが、仕事に出ている日に、こんなに早く帰ったことは今まで殆どない。
「誰かいるのか」
 堀口は急にそんなセリフのようなものを吐きたくなったのか、声を掛けてみた。こんなものは一人芝居で、誰もいないことが分かっているからできること。
 がさっ
 と音がした。ペットは飼っていない。
 声の振動で、何かが落ちたのだろうか。そんなことはあり得ない。もしあるのなら客が来て話しているとき、その声で棚からボタボタ物が落ちっぱなしになってしまう。
「誰かいるのか」
 堀口は少し不安になってきた。靴を脱ぎ、忍び足で廊下を進み、居間を覗いた。
「誰か来たの」
 今度は反応はない。
 そんなことを楽しんでいる場合ではないので、リモコンで灯りを点けた。パッと居間のLED灯が灯り、明るくなった。これで、この怪談は終わりだろう。
 しかし、今度は確実に何かの気配がする。後ろだ。
 これはやるかもしれないと思いながら、堀口は一気に振り返った。
 誰もいない。
「誰かいたの」
 反応はない。
 がさっと音がした犯人は誰だと思い、居間の隅々まで見るが、物が落ちた形跡はない。横の和室も覗くが、朝起きたときのままの掛け布団がベッドからずり落ちている程度。これが「がさっ」の正体だなと分かり、もう「誰かいるのか」劇を終えた。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 11:28| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月13日

3623話 土讐


 子供が妖怪を見たと誇らしげに語り出した。場所は妖怪博士宅。ここなら思いっきり語れるのではないかと大喜びの大はしゃぎ。
 実は妖怪博士、子供が嫌いだ。それが小さければ小さいほど幼ければ幼いほど気味悪がる。世間の人情とは違っている。赤ん坊などは以ての外。生まれたてなど、見るとぞっとする。いずれも妖怪じみて見えるのだろう。胎児になると、もう駄目だ。
 そんな妖怪博士だが子供向け雑誌に妖怪の話を書いている。殆どは担当の編集者が代わりに書いているのだが。これは本来の仕事ではないためと、偶然そういうところの仕事しか来ないため。
 これで一つネタが出来たので、助かるのだが、語っているのは子供。これは嘘だとすぐに分かる。そう頭から決め込んでいるのは、子供は正直でないためだ。嘘ばかりつく妖怪のような存在。だからその先入観が先に走る。
「川にかな」
「そうです。もうコンクリートで固めたドブ川ですが、その中にいたのです」
「そんな排水路のよう中では魚もおらんだろ」
「魚はいませんが、雑草が生えています」
「コンクリートじゃろ」
「水が流れている端っこに泥が溜まって、そこから」
「ああ、あるのう」
「それと繋ぎ目や割れているところからも草が伸びています」
「つまらんものをしっかりと観察しておる。えらいのう」
「うん」
「それで妖怪はどうした」
「そこに大きな虫がいました。大きな亀ぐらいの」
「じゃ、亀じゃろ」
「大きさはそれぐらいですが」
「亀の子束子が流れついたのじゃ名」
「違います。お爺ちゃん」
「私はそこまでまだ老けておらん」
「足が一杯あって」
「じゃ、カニだろ。何処かで飼っていたものが逃げた」
「違います。大きな頭をしていました。顔がありました」
「じゃ、タコか」
「違います」
「で、その妖怪、どんなことをしていた」
「え」
「だから、何をしておった」
「ずっと僕を見ていました」
「ほう」
「何か話しかけるような」
「うむ」
「でも怖い顔をしていました」
「それから」
「草の中に入っていきました。そして消えました」
「ヒビ割れとか、切れ目から出ている程度の草じゃろ。そんなに茂っておったのかな」
「ぜんぜん」
「では何処に身を隠した」
「知りません。だからこれは何だろうかと思い、博士にお知らせを」
 妖怪博士はしばらく本朝草木図鑑などを頭に描きながら、イメージ検索をしていたのだが、子供がそれを見て笑い出した
 思案中の妖怪博士の顔がおかしかっためだが、ここが妖怪博士が子供嫌いの主因。そんなにおかしな顔にはなっていないのに、無理に笑ういやらしさ。これが大嫌い。
「ドシュウじゃな」
「ドジョウ」
「土と、復讐の、讐と書き、土讐」
「ふーん」
「草の根にいる妖怪でな。昔は草原、野原にいるとされておる。草が生えておるところなら、何処にいてもおかしくない」
「僕が見たのは土讐なの」
「草とくっついておるが、実は土の妖怪。川底の泥の中にもおる」
「ふーん」
「分かったか」
「面白くありません」
「君が見たものに近いのはそれじゃ」
「でも土なんてないし」
「泥が溜まったり、土砂が溜まったり、ヒビの入ったところなら土は近い。セメントの下は土じゃ。いくらでも土はある」
「でもその妖怪、怖い顔をしていました」
 妖怪博士は人がそういう工事をして、地肌を覆うようなことをしていることを物申す気はないので、その説明は省いた。
「分かったかい」
「面白くない」
「土讐はその名の通り、復讐系。近付くと怖い目に遭う。面白いとか面白くないとかの問題じゃない」
「分かりました」
 子供は丁寧に礼をして、帰っていった。
 見てもいない妖怪を勝手にでっち上げる嘘つきな子供。今度来たら何か悪いものでも憑けて帰してやろうと妖怪博士は思った。
 
   了



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2018年05月12日

3622話 闇のパトス


 ある閃きを得たなら、すぐに実行すればよかったのだが、竹下はもっと丁寧に検証することにした。そのまま実行に移すのは無茶だと考えた。しかしこれが後で考えるとブレーキになり、一瞬の閃きがもう閃かなくなった。
 一瞬光を見たのだが、その後の検証で闇が見え始め、暗くなり出した。暗雲だ。
 最初に閃いたときは晴れていたのだろう。しかしよく調べていくうちに雲が見えだし、そのうち黒雲となり、まさに暗雲。
 では最初に見たあの明るさ、あの閃き。そして希望。わくわく感は何だったのか。それはよく知らなかったためなのだが、かえってそれが邪魔をし、動けなくなった。
 あのとき、もし、さっと動いておればどうなったのかと、今も想像する。あくまでも想像だが、その想像の材料が揃いすぎたため、点数が低くなったどころか、これはやってはいけないことに見えたため、想像もまた、それに合わせたものになる。
 しかし竹下の今までの経験で、成功したときのことを思い出すと、いずれも何も考えないで実行したケースが多い。熟考したものは殆ど全滅している。考えが足りないのはいけないが、足りないからこそできることがある。
 成功例を思い出すと、そういう細かいことは後回しにして突っ込んでみたいという衝動が強かった。考えるとできなくなるので、考えないのではなく、やりたいから突っ走ったのだろう。これは衝動的で、危険。しかし、人道上に関わらないことなら、問題はない。
 ここで突破しないといけないのは世間ではなく、竹下自身なのだ。自分との戦いのようなもので、止めているのは自分。敵は自分。
 動いてみて初めて分かることもあり、勢いだけで出ても二三歩で終わることもある。そういうことばかりを繰り返しているため、竹下はよく考える人になったのだが、この安全装置のおかげで、冒険ができなくなった。
 つまり安全地帯しか歩かなくなる。欲しい物は安全地帯にはない。だから釣り上げる魚も小さい。
 それよりも最近は閃かなくなった。インスピレーションではなく、情動のようなものだろう。このエネルギーは強い。それを使わないで動くので、いつも何か燃焼不足。当たり前のことが当たり前にできるだけなら感動はない。
 竹下が思っているわくわくする世界とは、シナリオがない、筋書きにないことと出合うことだろう。物語は語り出さないと生まれないようもの。何が飛び出すのかが分からないからいいのかもしれない。
 竹下は次回、何か閃いたときは、そのまま突っ込んでやろうと決心した。
 しかし、閃き路線を封印していたためか、最近は何も閃かなくなったようだ。
 一瞬の閃き、それは眩しいばかりの光を見ると同時に、闇のパトスで走れるのだろう。
 
   了
 



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2018年05月11日

3621話 三村君じゃないか


 三村はとりあえず散歩に出た。このとりあえずがいけない。これという判断ができないので、適当なことをしていることになるのだが、それでもとりあえず動ける。それが解答ではないにしても。とりあえずやってみようという感じだが、やることが分かっているのなら問題はないが、やることがないので、とりあえず何かをするというのが問題。
 三村はとりあえず散歩に出た。これは本来の目的ではない。散歩に行きたくて、散歩に行くわけではない。こういうとりあえずのときは、よくないことが起こるのだが、散歩程度ではそれほどもの凄いことなど起こらないだろう。ただ、交通事故に遭うと問題だが。
 それぐらいは普通に回避するはず。頭がパニックになり、外に出て、そのパニック状態のままウロウロするのなら別だが、その日の三村はそれほど重症ではない。
 居ても立ってもいられない。座っていても立っていても駄目。それなら歩けばいい。それで散歩に出た。文字通り一歩一歩歩を進めることができるが、歩くことが目的ではなく、歩いて到着する目的地もない。あるとすれば、とりあえず間が誤魔化せることだろうか。この間は、問題の間で、間を置くということだろう。
 そういった難しい解釈をしながら、三村は家の近所を歩いているのだが、これはとりあえずの散歩。しかしいくらとりあえずでも、何処へ向かうか程度のことは決めないといけない。ただ、決めなくても家の前の道を適当に進めば、それで済むこと。どちらの方角へ行くか、関係がないのなら、それこそ適当でいい。このとき、右へ行くか左へ行くかは癖や慣れや歩きやすさなどで勝手に判断を下しているようだ。
 とりあえずの散歩でもとりあえずの目的地なり、コース取りが必要なので、三村はとりあえず静かな方角へ向かった。
「三村君じゃないか」
 三村はよく聞こえなかったが、自分を呼ぶ声かもしれないとは思わなかった。
「三村君じゃないか」
 今度ははっきりと聞こえた。
 三村は周囲を見回すが、誰もいない。空耳にしてははっきりとした声だった。
 三村はしばらく立ち止まったまま、じっとしていた。しかし、その後、声は聞こえない。やはり空耳なのだ。だが、二度も聞いた。
「ここだよここ。見えないかい」
 そんなものは見えない。
「僕だよ。正岡だよ」
 三村は走り出した。正岡を知っている。しかし姿がない。何処かに隠れているのだろうか。住宅地の狭い道だが、人の気配などない。
 三村はそのまま歩きだした。もし隠れているのなら、追いかけてくるだろ。そのとき姿が見えるはず。
 しかしその後、声は聞こえてこなくなった。正岡は知っているが、この近くには住んでいない。それに何年も合っていない。そういう友人はいくらでもいる。同級生などそんなものだ。卒業すればもう合う機会もないため。
 奇妙なことがあるものだと三村は思うものの、それが凄い現象だとまでは考えていない。よく考えると、凄いことが起こったのに。
 そして戻って来たときは、このとりあえずの散歩も終わったことになる。そして、本当にやらなければいけない問題について、もう一度考え始めた。今度は避けないで取り組むため。
 そして、無事に問題を乗り越え、ほっとしたとき、「三村君じゃないか」というあの声を思い出した。そのときは空耳だと思っていたのだが、よく考えると、もの凄く怖い話だ。
 正岡の消息が気になるので、共通の友達に連絡し、正岡のことを聞いた。すると、特に変化はないらしい。
 やはり空耳だったようだが、何度思い出しても、ぞっとする話で、後で効いてくる。
 
   了



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