2020年12月25日

3974話 最後の一葉


「紅葉狩りへは行かれましたか」
「もう終わりでしょ。冬ですよ。もう、雪もちらついていました」
「いや、まだ残っていますよ。色づいた葉が。残り物には福が付くと言いますから、最後の一葉見学が良いのですよ」
「付くのですか」
「そうです。福が付きます」
「福付きの最後の一葉ですか」
「そうです。今ならまだ間に合うどころか、まだ早いかもしれませんよ。結構葉は残っていますので、これからが旬です」
「旬」
「この時期でしか得られない福です」
「福笹じゃなく、福葉」
「黄色が良いです。赤よりも」
「分かります。黄金色。小判の色ですね」
「福笹に小判を飾ることもあるでしょ。金運を招くためのトッピングです。しかし黄色い葉ならその必要はありません。小判は最初から付いてます」
「それは見ているだけでいいのですか」
「そうです。枝を折って持ち帰らなくてもいいのです。持ち帰ったとしても、すぐに落ちるでしょ」
「見るだけ?」
「そうです。見るだけ」
「それで効用はありますか」
「さあ」
「じゃ、ただの淋しい紅葉狩りですねえ」
「黄葉狩りです。または効用狩りです」
「行ってもいいのですが、淋しそうです。それにもう寒いですよ」
「そうですねえ」
「あなたは行くのですか」
「まだ早いので、もう少し経ってから」
「しかし、最後の一枚の黄葉だと思っていたら、まだまだあったりすると、最後になりませんよ」
「それは承知しています。まだ残っている葉が別の木の枝に付いていたりしますが、それはいいのです」
「何がいいのですか」
「どれかにあたりがあります」
「おみくじですねえ」
「だからポツンと一葉だけ残っているものなら、どれでもいいのです。しかしスカかもしれませんがね」
「はあ」
「で、去年も行かれたのですか」
「去年は体調を崩して行けませんでした」
「それは大変だ。今年は行けるのですね」
「そうです」
「私も行きたくなりました」
「近場でもいいのですよ。ただそれだけを目的にして行くことです。最後の一葉だけが目的で、他のことはしない。まあ、戻り道なら問題はありません」
「そういうこと、何処で教わったのですか」
「オリジナルです」
「あなたが作ったのですか」
「作ったというほどじゃありません。それにそんなこと行事化しないでしょ」
「はあ」
「だから良いのです。効きそうですから」
「御利益は小判ですか」
「私はそれを願っていますが、別のものでもいいんです」
「いやいや、貴重な話、有り難うございます。何か行ってみたくなりました」
「そうでしょ」
「はい」
 
   了





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2020年12月24日

3973話 本多郷領


 隣国との国境、常に小競り合いがあり、戦闘状態。慣れたもので、敵が押し出してくれば、こちらからも迎え撃てば、敵は退却する。実際に戦いになることは少ない。矢が飛んでくる程度。軽い矢合わせで済んでいる。そのあと突っ込むはずの槍隊は動かない。
 白根砦では、それが日常化している。ここを守る武将は交代制。僻地と言うほどではないが、長くいたくないのだろう。
「敵の有力部隊が来るようです」
 物見からの報告。
「誰だ」
「奥山の兵とか」
 奥山は敵の主力部隊に近い。だからこれまでの兵とは違い数が多いし、本気でかかってくる可能性が高い。
「それはまずい、すぐに本城へ伝令を」
「はっ」
 しかし本城では別の敵が来ているので、そこに兵を出したあと。
 白根砦は何とか持ちこたえよとの命令。
 それでは見捨てられたようなもので、守るにしても落とされるのは時間の問題。この砦を奪われてもまた取り返せばいいと思い、白根砦に詰めていた武将や配下は引き上げた。もの抜けのカラで、もう誰もいない。砦を捨てたのだ。
 敵の奥山隊は戦わずして白根砦を得た。
 本城の主力部隊は別の敵と戦っていたのだが、これが苦戦で、何ともならない。その隙に白根砦から本城へ奥山部隊が突っ込んできそうな雰囲気。
 本城に主力兵がいないので、これはかなり危ない。
 さて、白根砦から逃げ出した武将とその配下は吉良村に入った。ここは中立地帯の寺領。
 本城に戻っても危ないと思い、そこに逃げ込んだのだ。
 または状況を見るため、一時待機ということで。
 白根砦守備隊は数百規模。本多重森という武将が本拠地の村々で動員した兵達。
 吉良村は寺領と言っても小さな寺がある程度、普通の村だ。しかし町屋が多いのは戦闘のない村のためだろう。店屋も多くあり、一寸した町。
 白根砦を奪った敵の大将奥山が僅かな供回りで、その寺領へ入った。白根砦の敗走兵が、ここに来ていると知ったので。
 しかし、ここでの戦闘は禁止されている。この寺領の本山を敵に回すと五月蠅いためだろう。それにそれは決まりだ。奥山の一存でできることではない。
「奥山様がお見えです」
「ここまで追ってきたか」
「僅かな供回りです」
「分かった会おう」
 本多重森が仕える主筋は二方面から攻められているようで、いずれ亡びるだろうという話を奥山が語った。今なら本城は空き城同然なので、そのまま攻め取れる。
「そこで相談だが」
 つまり、寝返れと言うことだ。このまま本多隊が本城に入り、そこで反旗を翻せと。それなら無血で落ちる。
 密談は成立した。
 本多重森は本城で謀反を起こし、敵の奥村隊を引き入れた。
 本多は数ヶ村与えられる約束だったが、それを断り、本拠地の村に引き上げた。
 この本拠地の村々がある郷、寺社領と同じ扱いにして貰いたいと奥村に頼んだ。
 奥村はそれを引き受け、希望通りになる。
 本多家はその後も実質上誰にも仕えず、明治まで本多郷館主として続いた。
 
   了
 


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2020年12月23日

3972話 勢い待ち


 勢いというのは向こうからやってくる。また向こうからやって来ないと勢いとはいえない。勢いは自分で盛り上げていくことでも勢いよくなるが、ただの気分だろう。そこで完結してもいいのだが、盛り上がりに欠く。一人芝居のように。
 やはり向こうから勢いが来ないと、盛り上がらない。勢いを呼び込むようなものだが、待ち受けるだけのものを持っていないと、素通りしていく。そして興味も引かなかったりする。だから受け皿が必要で、待っているものがないと駄目だろう。
 そして普段から注意深く、その動向を見ていること。そうでないと、勢いが向こうからやって来ているのに、見えない。当然興味のないものは最初から見えていても見えていないが。
 ずっと待っていると、向こうから勢いがやって来る。勢いを呼び寄せたのではない。見逃さなかっただけ。
 ただ勢いには浮き沈みがある。別にそのものが沈んでいくわけではないが、興味が沈むと、勢いが盛んなものが来ても、値は低い。
 だから勢いは、まずは自分から盛り上がっていくことから始めることになる。盛り上がりのないところに勢いのあるものが来ても、知らぬ顔だろう。
 だから最初は自己完結で自己満足でもかまわない。それに、勢いがあるだけでも大したもの。また、そういった盛り上がるものを持っているだけでも大したもの。
 まあ、普通の人が普通に盛り上がるようなものは世の中には沢山あるので、珍しいものではないが、少し掘り下げたところのあるものは共有する人が少ないだけに、少数の人しか盛り上がらないような事柄になる。
 この少数の人、というのは、それだけ狭い世界で、より個人的な面が出ているところ。一般の人にとり、どうでもいいようなことだったりする。それに、これも受け皿の問題で、それがない人にとってはただの皿。
「長い説明ですが、結局どういうことが言いたいのですか」
「はい、勢いが落ちましたので」
「だから待機して、勢いがやって来るのを待つわけですか」
「いえ、自分からも色々と仕掛けますが、結局はその先は待つしかもう方法はありません」
「それで、今日もぼんやりしているのですか」
「釣り糸を垂らさないと魚は釣れません」
「で、釣れるのかね」
「それは何とも言えませんが、そのうち」
「本当に勢いが向こうから勝手にやって来ると思うのかね」
「はい」
「あ、そう」
 
   了



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2020年12月22日

3971話 見える


 日々安穏と暮らしている高峯だが、たまにはとんでもないことをする。しかしそれは人は知らないし、また誰にも分からない。部屋の中で異常なことをしているわけではない。もし監視カメラで監視されていても、そのとんでもないことは分からないだろう。そのような映像はないので。
 テレビを見たり、寝転がったり、たまに掃除をしたり、料理を作ったり、本を読んだり、散歩に出たり、買い物に行ったりで、全ての行為を監視できたとしても、分からない。
 では、高峯のとんでもない行為とは何だろう。それが行為といえるかどうかは疑わしい。しかし、何かをやっている。これは確か。
 寝ているとき、それを監視されても夢の中までは見えない。ただ、寝返りを多くうったり、寝言を言ったり程度は分かる。何か夢を見ているのだろうと。しかし夢の中までは覗けない。
 それに近いことを日常の中で高峯はやっているのだ。買い物をしている高峯。籠に品物を入れる高峯。何も変化はない。レジに立つ高峯。ここでも変化はない。しかしその最中にやっている。
 何を。
 高峯がそのとんでもないことができるようになったのは最近のこと。実は子供の頃からその片鱗はあったが、気付かなかったようだ。
 例は違うが、家庭科の授業でポテトサラダを作って、昼はみんなでそれを食べたとき、全員中毒のような症状を起こした。これはジャガイモの芽を取らなかったためだと後で分かった。しかし、一人だけ平気な児童がいる。本人は気付いていない。
 それに近いことが子供の頃、高峯にもあった。
 高峯は一人暮らしだが、気楽な暮らしぶりで、また人柄も温和。目立ったところはない。
 とんでもないこととは、この世のものではないものと交流できること。たとえそれが本当でも人には言えないだろう。
 それが見えるのだが、普段は見えない。見る気を起こさないと見えない。
 この見る気を起こすことがとんでもないこと。
 では何が見えるのか。
 スーパーで買い物をしていると、蝶々のようにひらひら飛んでいるものが見える。そして高峯に気付いて近付いて来る。そして肩に止まったりする。そこで世間話をする。当然蝶々は他の人には見えないし、声を出して会話しているわけではない。唇も動いていない。
 しかし、時間は短い。ほんの数分で、蝶々も消える。
 鳥がさえずっている内容が分かっても、大して役に立たないだろう。それと同じだ。
 その蝶々もそれに近い内容しか話さない。賞味期限間近台にトマトがありますよ、とかだ。
 人に話せばとんでもないことなのだが、本人にとっても大した内容ではない。
 高峯はそれが見えだしてから、少し心配になり、いろいろと調べてみたが、一番近いのは妖精らしい。
 これが幻覚なら安いトマトがあることなど分からないだろう。
 高峯が見えるようになったのか、妖精である蝶々のようなものが見えるようにしてくれたのかは分からない。
 
   了
 


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2020年12月21日

3970話 自分らしさ


 選択肢が多くある。これは迷う。どれでも良いというわけではないが、選べるのは一つ。何故それを選んだのかの問題がある。選ぶことの問題だ。それを選べば問題が起こるわけではないが。
 ただ単に選ぶわけではない。それまでの履歴というのがある。経験とか、蓄積とか。それとの統合性も必要だ。まったく必要ではないものもあり、それは新規のもの。冒険だ。これまでのものとは切り放されたところにあるが、何となく繋がっている。ただ、ポリシー的には違うものだったりするので、これは冒険。新境地と言ってもいい。しかしそれまでの繋がりを捨てるわけにはいかない。もったいない。
 その意味で従来のものの発展型ならさっと選べる。しかし発展させる必要はないのではないかと思うと、選べない。ほとんど進歩のないソフトのアップグレード版のようなもの。ただ、時代の要請に少しは応えている。辞書なら新語が加わるだろう。
 人には歴史がある。これは何をしてきたかの経歴のようなもの。そこからの押し出しは強いし、また新しいことをするとき、そこからの抵抗も大きい。
 また、自覚している自分らしさというのがある。これは想像ではなく、過去を振り返れば分かるだろう。おそらくその延長線上の自分らしさに将来の選択も囲われているはず。自分らしさがあるものは安心感がある。
 ただ、この自分らしさを疑うこともある。過去の履歴からの推測なので、実行していないものは無視される。現実化しなかったのだろう。だから自分らしさに取り込まれないまま今も彷徨っているのかもしれない。
 ただ、自分が気付いていない自分らしさもある。これは一つではないのだろう。自分らしさは色々な範囲に及んだりする。実際に実現したり、現実のものになるのは限られている。それほど多くのことができないため。だから選択する。
 自分らしさとは、よく似合っていること。これは自己評価よりも他人から見た方が正確かもしれない。自分よりも他人の方がしっかりと見抜いていたりする。
 自分のことは分からないが、他人のことは分かる。これはかいつまんでみるためだろう。
 自由に選択できる場合、この自分らしさに関わってくる。その自分らしさを自分で想像するのは難しかったりする。だから自分らしさの迷路に入り込む。
 このときの抜け道は難しいが、実際にはどれを選んでもいい。一応候補に挙がっているものなら、全てOKだろう。だが、どれを選んでもいいとなると、さらに難しかったりする。
 そこで最終的な決め手となるものを発見したとき、それこそ、それが統合性のある自分らしいものとなるのかもしれないが、これも時期などにもよる。
 自分らしさは難しい。オリジナルも難しい。本当はなかったりして。
 
   了


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2020年12月20日

3969話 年の瀬のプラットホーム


「今年も暮れていきますねえ」
「そうですねえ」
「今年何をしたのかと思い出すと、これといったことはしていません。何か思い出せるような凄いことをしたいものですが、もう迫ってきました。今からじゃ遅いし、その期間でできることなんてしれていますから、何ともなりません」
「記念品でも買われたら」
「買うのですか」
「良いものを買えば思い出しやすいですよ」
「必要な物はあります。もう買う必要はない」
「じゃ、贅沢品を買われたら」
「それは贅沢というものです。私がこれまで何とかやってこられたのは贅沢しない。欲を出さない。地味に過ごしてきたからです」
「地味なので印象に残るようなこともなかったのですね」
「今年もそうです。特にいうほどのことはない」
「だから、余計なことをすればよろしいかと」
「余計?」
「そうです。しなくてもいいような」
「必要ではないものには興味はありません」
「無趣味なんですね」
「遊びません」
「じゃ、この一年全部地味で、印象に残らないのですね」
「そうです」
「しかし、この一年、何かした、というのが欲しいんじゃありませんか」
「欲しくはありませんが、一寸気になっただけ」
「要するに平穏無事、淡々と過ごしてこられた。良い事じゃありませんか。望んでもできない人がいますからね。それこそ印象に残りすぎるほどのことが色々あって大変な人が」
「そうですね」
「じゃ、今年もこのまま静かに年の瀬を迎えられたら如何ですか」
「しかし、何か物足りない」
「あ、そう」
「何か出し惜しみの人生のような」
「何を出していないのですか」
「何か」
「あ、そう」
「しかし、何か出さないといないのに出していない」
「何でしょうねえ。その何かとは」
「いや、何でもいいのですよ」
「それは余裕ですよ。出し切ったあと、さらに出し続けないといけない人もいるのですから」
「そうですねえ」
「しかし、冒険をやる気はある?」
「冒険」
「一寸変わったことをしたいとか。思い切ったことをしたいとか」
「それは常にありますが、やっても仕方がないと思い、実行には至りません。よく考えれば、しなくてもいいようなことばかりですから」
「冒険とはそんなものですよ」
「私は発展家じゃないので、憧れはしますが、できません」
「そろそろ発車の時刻です。もう二度とお目にかかる機会はないかと思いますが、お元気で」
「そうですか。私の便は、そのあと来ます」
「しかし、この駅まで何をしに来られたのですか」
「ちょっと」
「いつもの用事ですね」
「いえ、ちょっと」
「何処へ行かれるんでした。次の次の便は大垣行きです。大垣まで行くのですね」
「いえ、はっきりしませんが、そっちへ」
「それは聞きますまい」
「はい」
「列車が入って来ました。じゃ、これで」
「はい、あなたもお元気で」
「はい、お互いに」
 
   了



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2020年12月19日

3968話 刺客


 草加の日常は何もない日が続いている。しかし最小限の用事はあるので、決して何もなくはない。だが将来を見据えた何かというのがもう消えている。やるべきことは既にやり終えた隠居の身。あとは楽して生きればいい。重荷もない。
 草加はその気でも、周囲は違う。
 その日も何もないので縁側で日向ぼっこをしていた。その時刻、いい感じで陽だまりができる。こういうのは猫がよく知っているのだが、草加もそれを覚えた。
 すると木戸から庭に入って来る編み笠の武士。大刀だけを一本腰に突っ込んでいる。浪人者かもしれない。
「草加殿ですな」
 低い声だが、よく通り、木戸と縁先はそれなりの距離があるのに、よく聞こえる。
「そうじゃが」
「ご無礼とは知りながらも、押し掛けました」
 表には番の家来がいる。裏にはいない。
「何ようかな」
「実は」
「そのようなところではなんだ、もっと寄りなされ」
「ご免」と言うや、さっと太刀を抜き、斬りかかってきた。
 草加は座ったまま後ろへころりと転び、そのまま番の家来がいるところまで突っ走った。
 編み笠の武士は当然だがワラジのまま座敷に上がり、草加を追った。
 廊下の角を曲がった板廊下で、武士はひざまずいた。足をやられたようで、歩けるには歩けるが、痛い。それを我慢し、立ち上がり、もう一歩足を出したところで、また激痛。両足ともやられた。
 そのうち番の家来が駆けつけ、取り押さえた。
 草加は蒔き菱を使ったのだ。
「誰が放した」
「え」
 武士は意味が分からないらしい。
「誰に頼まれた」
 武士は失敗すればきっとそう聞いてくることを知っていた。
 番の家来は編み笠をとり、身元が分かるようなのを探した。
「分かった、言う」
「誰じゃ」
「村岡庄左衛門様です」
「おぬしはその家来か」
「いえ、雇われました」
 草加は、番の家来に放してやれと命じた。
 武士は取り上げられた太刀を腰に差し、編み笠を被り、入り込んだ縁側へ戻ろうとしたが、歩けない。
「歩けません」
 草加は下男を呼び、家来と二人で裏木戸の外まで運んだ。
「訴えましょう、大殿様」
「いや、面倒はしたくない。なかったことにする」
「はあ」
 刺客の武士は木戸の前から何とか歩きだした。やられたのは両足の裏。しかし側面は使えるし、足の指だけでも歩けそうなので、傷口に当たらないよう工夫し、立ち去った。
 下駄なら良かったのに、と呟きながら。
 今日も何もない日が続くと思っていた草加だが、今日はいいものを見せて貰った。しかし、長く引っ張るつもりはないようだ。
 
   了



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2020年12月18日

3967話 偽書のある神社


 市街地からも見えている山の取っ付きにある神社がある。地元の村の神社ではないようだ。既にこのあたりは村の面影など一切消えている。山と海に挟まれた狭いところ。稲作が盛んになる前は海沿いの、この山裾に人が住んでいたようで、遺跡が残っているが、古墳ではない。それ以前だろう。
 その山の取っ付きに神社があるのだが、灯台としても知られている。最初から高いところにあるので、石灯籠のようなもの。昼間は目立たないが、夜に明かりが入ると海からもよく見えたのだろう。それは神社とは関係がない。
 山の取っ付きといっても市街地とはそれなりの距離があり、なだらかな山ではない。神社は平らな場所にある。その敷地だけが平ら。そしてかなり古い古木が林のように拡がっている。樫や栗だろうか。ある人に言わせると縄文時代に栽培していたのが、今も残っていると。そんな古い木が残っているとは思われないが、縄文杉もあるぐらいなので、縄文栗もあるのかもしれない。樫、ドングリのことだが、この樫の名が付く地名が多いのは、その頃からの名残かもしれない。
 特にこの神社の境内にかなりの本数があり、老いすぎて枯れたり、倒れたり、立ち枯れ状態のもある。その横にある梅園よりも広い。いずれも山の取っ付きの広い場所は神社の土地。この平らな場所こそ縄文時代、村があったのではないかと思われる。遺跡はさらに山側にある。
 神社の成り立ちは不明、またいつ建ったのかも不明。氏子はいるが、漁村の人達。今はそんな港などない。漁村だった場所をさらに埋め立て、工場地帯になっている。だから氏子はいないのだが、その近くの人が寄進とかしている。正式な氏子ではないが、このあたりでは貴重な聖地。神社は他にない。
 この神社は知る人ぞ知る神社で、太古に書かれた文書の写しが残されているらしい。漢文ではない。古代文字。
 ここに本当の日本の歴史の始まりが書かれているとか。当然偽書。さらにこの神社にあるとされているのは、その写しだが、嘘だと分かっていても、この場所の雰囲気や立地条件などで、本当ではないかとついつい思ってしまう。
 古代王朝が、この地にあったとしてもおかしくない。たとえば卑弥呼時代にも無数の国々があった。それ以前なら、全国至る所にあっただろう。だから古代王朝の王は一杯いたに違いない。
 
   了

 


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2020年12月17日

3966話 偶然の寓話


 良い偶然と悪い偶然がある。まんが悪いとかもある。
 これは心がけでは何ともならない外との関係。ただ、悪い偶然を減らすことはできる。当然良い偶然も増やせる。まんが悪い場所に行かないとか、危険そうなところには近付かないとか、危ない話には乗らないとか、そういった危機意識というよりも、憶しているだけだが、この臆病さが命拾いになる。ただ、それだけでは良い運と巡り合えるチャンスも減るかもしれない。
 良い巡り合わせや、幸運は危険なところにあったりする。
 人というのは偶然の巡り合わせで一生を終えるのかもしれない。作為的なこともあるが、ただの偶然で決まることもある。
 また全ての偶然は必然というのもあるが、これは言い過ぎだろう。ただ目に見えぬ運命のようなものがあり、最初からシナリオが決まっていたりする説もある。その場合、そのシナリオを意識しだしたときからおかしくなったりする。それもシナリオの内なのかどうかは分からない。シナリオを意識したときから流れが変わる。
「最近起きた偶然の出来事について語って頂けますか」
「寓話ですな」
「何でもかまいません」
「自転車置き場がいつも一杯で、止めるところがないのです。探せばあるのですが、本来の場所ではなく、歩道にはみ出してしまいます。そこに止めちゃいけないことになっていますが、一杯の時は止めている人が多いのです。他に置き場所がありませんからね」
「偶然は?」
「あ、はい。その日、一杯一杯のはずなのに、隙間がポッカリ。しかも余裕のある広さ。キチキチじゃ自転車をこじ入れる必要があるのです。そのときハンドルとかが引っかかって、自分や相手の自転車の何処かをこすりつけたりします。これはまずいですね。それと入れたはいいが自転車の横に立てない。キチキチですから。だから前籠の荷物などは手を伸ばさないと掴めないし、掴めてもその角度からでは重い」
「はい」
「また鍵を掛けるにも、窮屈なので往生します。手元がよく見えない。私の自転車の後輪の鍵、これが上手く閉まらないことがあるんです。コツがいるんです。油を差せば改善しますが、最近忘れていました」
「偶然の話なのですが?」
「いま話しているじゃないですか。そういう状態が多いのに、左右に十分隙間が空いた空間があるのです。これなら自転車の横に立てる。これが偶然なのです」
「ああ、そういう偶然ですか」
「これは滅多にありません。しかし、いつもガラガラの駐輪場なら、偶然もクソもありません。普段から一杯一杯だからこそ、この偶然の隙間が有り難いのです」
「そういう説明は私がします」
「失礼しました」
「それだけですか。最近の偶然は」
「そこに自転車を止めて」
「また自転車の話ですか」
「違います。あとを聞いて下さい」
「はい」
「そこで自転車を止めて喫茶店へ入るのですが、喫煙室がいつも一杯一杯」
「またですか。それで、空いているテーブルが偶然あると嬉しいとか、ですね」
「それは私がこれから語ることです」
「どうぞ、次を」
「もう、あなたが言ってしまったので、話す気がしませんが、その日に限ってガラガラでどの席にでも座れる。この二点。良い偶然でしょ」
「そうですねえ」
「ただの偶然ですが、これも普段の状態があるから、良い偶然だと感じるのでしょうなあ」
「それは私が言うことです」
「失礼しました」
 
   了



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2020年12月16日

3965話 妖怪木泣き爺蝉丸


 一段落付いたので、吉田はのんびりしている。しかし、妙に退屈。緊張が取れ、プレッシャーが解け、リラックスできるのだが、何か頼りない。くにゃっとしてしまう。
 これは休憩が必要で、またやっと休憩できるようになったので、のんびりでもかまわない。
 こののんびりが意外と手強い。のんびりほど簡単なものはなく、何もしなくてもいい。しかし、何か芯がない。目的を失ったためだろうか。ターゲットに向かい邁進する、これが欠けている。
 だが、目的は果たしたばかり。一段落付いたのだから。
 しかし何もしていないと、魂の抜けたような人間になる。魂とは外に向かっての何かだろう。内側だけでは発生しない塊。
 こういうときは余計なことをして時を過ごす方がいい。現実的なことではなく、それとは違うような。
 それで思い付いたのが、森林浴。ターゲットは木。別に森へ行かなくてもいい。一本のそれなりの木があればいい。そしてかなりの大木で太い木が好ましい。これは近場で思い当たるのは神社の神木程度。少し遠出すれば山へ行けるが、その規模ではない。木があればいい。
 森林浴ではなく、林浴でもなく、一本木浴。
 ただ、木から降り注ぐ精気を浴びるわけではない。木に手を当てる。これだけでいい。これの方がディバイスとしては直流。
 駅近くの商店街の裏側に神社があり、その木が見えていたので、そこへ行く。
 遠くからでも見えていたので、大きいだろう。その神社へ入ったことはない。目的がないし、余計な寄り道などしないので。
 吉田は役立つことしかしない主義。
 しかし、その主義では限界があり、今日のようなのんびりしてもいい日が苦手になる。だから一寸非現実なことに走らないと、間が持たない。ターゲットや目的がいる。
 大木に片手でも両手でもいいから手の平をぺたりと当てる。だから細い木だと握るような感じになるし、もたれかかればゆさゆさするだろう。そのため、大木がいい。
 ほとんどやっていないような商店街の横から神社へ抜ける道がある。裏側から入ることになる。今は駅が町の中心だが、昔はこの神社が中心だったのではないかと思われる。そのため、細い道が、この神社に集まってきている。
 狭い路地だが人が意外と通っている。駅への抜け道で、近道なのかもしれない。
 左右の二階のベランダに洗濯物が干されている。
 商店街裏なので、何かの店らしい跡がポツンポツンとある。もう普通の家の玄関になっていたり、物置になっていたり、錆びて開けるのが難しいようなシャッターのままの店跡もある。シャッターがやや波打ち、傾いている。これは開かないだろうと、余計なことを吉田は心配する。
 それでいいのだ。今日は余計なことをしに来たのだから。
 神社前に出たらしく玉垣がある。裏というより、横を突いたのだろう。それで回り込んで鳥居のある正面から入る。
 神木は社の真後ろの繁みの中にある。人が来ないような場所なので、都合がいい。そんなところを知ってる人間に見られると厄介だ。
 田中は一直線に神木に向かい、隠れん坊で鬼を見付けたように、神木にタッチする。これを「デン」と子供の頃に言っていたのを思い出す。
 そして両手をかざし、両の手の平をピタリと幹に当てる。
 そのとき、両手の左右に何かある。幹の両端から指のようなものが出ている。そっと田中は回り込むと、人が幹に抱き付いていた。
 田中は、怖いものを見たと思い、逃げ出した。
 妖怪博士はその話を聞き、それは「木泣き爺の蝉丸じゃよ」と説明したようだが、これこそ、どうでもいいような話だ。
 
   了




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