2020年12月15日

3964話 懸念


 懸念していたことが起こらなかったので、里中はほっとした。もし起こっていても大したことにはならないが、面倒なことをしないといけない。その面倒も難しい面倒ではなく、よくある面倒。しかし、面倒臭い。これが臭いので、懸念が起こらないことを願ったが、起こるだろうと仮定し、それがほぼ当たっている確率の方が高いので、面倒臭いことをする覚悟までしていた。ただ、覚悟というほどの凄いことではない。日常的なことかもしれない。難度は低い。
 懸念、それはいくらでもある。しかし、普段はそこまで思わないため、数は限られている。そして予測され、しかも確実にやってくるタイプは分かりやすい。問題はいつ起こるのか分からない場合。これは心配し出すときりがないので、普段から心に留め置くようなことはない。そうでないとパンパンに懸念が増え、懸念だらけの生活になる。
 里中はそういった懸念が解決、またはクリアした後、何か楽しいことを用意しておくようにしている。それが餌だ。ご褒美のようなもの。そしてそのご褒美は懸念前に使わないようにする。まあ、単純なプレゼントのようなものだが、これは絶対に必要なものではない。だから半ば贅沢品。
 それは旅行でもいいし、一寸したイベントへ行くのでもいい。いずれも実行しなくても困らないようなこと。
 懸念の前日は落ち着きがない。いつものような暮らしぶりをしていても、どこか違う。懸念のない日常に早く戻りたい。昨日と同じようなことが今日も起こるような。昨日とは全く違うところに立たされる今日ではなく。
 自分の意志で立つのならいいが、立たされる。そして時間もそれで取られる。いつもの日常の節々にはないシーンが挿入される。
 もし昨日と同じような日なら、今頃あれをしていた、これをしていたと思う。そしていつもの日々が如何に平和なのかを思い知らされる。それほど楽しい日々ではないのだが、変化のない穏やかさでパターン通りが繰り返される。つまりワンパターンの良さ。次に何が来るのかが分かっている。これが本当は良いのだろう。
 懸念。心配してもしなくても起こることは起こる。起こらないことは起こらない。だから、心配しても仕方がないのだが、その懸念が去ったあとのほっとした気持ちは、心配してこその収穫だろう。
 
   了
 


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2020年12月14日

3963話 初冬


 初冬、それほど寒くなく、しかも昼過ぎ、一番気温が上がる頃。鈴木は毛糸のセーターだけで外に出た。いつもはその上からジャンパーを羽織っているのだが、暑苦しいことがある。
 一枚脱ぐ、重いコートではないが、ジャンパーを脱ぎ……は春で暖かくなってからのセリフ。これからどんどん寒くなっていくとば口で脱ぐというのはどういうことか。
 寒くなり出してから過剰に着込んだため。
 まだそこまで寒くはないのに。
 しかし寒さに慣れてきたのか、それほど着込まなくてもいいことが分かった。それでその日は脱いだ。
 しかし、セーターだけで出ている人は見かけない。道行く人は冬向けのダウンジャケットやオーバーやコートやジャンパー。
 これは少し脱ぎすぎたかと、鈴木は後悔した。その証拠にビル風がスースーと入ってくる。これが夏場なら涼しいかもしれないが、今は寒い。しかし、何故か気持ちのいい風。それほど冷たい風ではないが、衣服を通過し、身体にじかに回り込むような風。風の被弾。
 それが妙に快いのは、どうしたことか。
 冬場、敢えて部屋の窓を開けっぱなしにすることがある。空気の入れ換えだ。これも寒い。
 鈴木が小学校へ通っていた頃の担任の先生がそうだった。まだ暖房も冷房もない木造教室。隙間風で寒いのだが、先生は窓の全開を命じた。
 暖房はないが、生徒達が熱いのだろう。人が暖房装置になっている。
 そして全開すると、スーと風が入って来て、今までの空気と入れ替わる。まあ、外に出たのと同じ。凍結するわけではない。気温は零下ではない。
 このときの清々しい寒さを鈴木は思い出した。何かしゃんとする。引き締まる。
 たまには冷たい風に当たるのもいいだろう。これは何か別のことでも当てはまるのではないかと考えながら、部屋に戻ってきた。
 当然すぐに暖房を付ける。部屋は暖かくなり、居心地が良い。
 しかし暖かいので気持ちはだらけてしまった。
 それで、鈴木は暖房を切る。そして冷房に入れ直したわけではない。それなら冷蔵庫にいるようなもの。そこまでせず、暖房なしの状態にした。鈴木が戻ってくるまではそうだったはず。しかし外よりも室内の方が少し温度は高い。外にいるよりはまし。また風もない。隙間風はあるが、大したことはない。
 するとだらけていた頭もシャキッとし、あの小学校時代の教室での爽やかさになった。
 その夜、鈴木は風邪を引いた。
 
   了



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2020年12月13日

3962話 何でもない状態


 何でもないものが難しいのは何でもないため。何でもないだけに何もないに等しいが、実際には何かがある。しかしそれだけで間を持たせるのは難しい。刺激的な何か、ポイントになるような見どころのようなものが少ない。しかし、ずっと刺激的なものばかりだと麻痺してしまう。刺激はより強い刺激を求める。だから際限がない。ところがそれ以上強い刺激となると、もうないかもしれない。
 刺激的なものは退屈しないが、そればかりが続くと退屈になる。望んでいるものがより大きくなるためだろう。少々の刺激では応えなくなる。
 ところが何もないものには刺激はないが、なくもない。それとなく刺激的なものが含まれている。ごく僅かだ。気が付かないほど。しかし、やはり退屈。そのため、この間を持たせるのが難しい。
 刺激的なものは簡単で、それを入れればいい。
 間が持たないはずだが、何とか間を持たせる。ここが難しい。それなりのセンスなどで繋いでいくしかない。
 また、刺激を求めないで、穏やかなものを好む場合もある。これは刺激に飽きたためだろうか。贅沢な食事ばかりしていると、それに飽き、あっさりとしたものに箸がいく。
 しかしお茶漬けばかり食べていたのでは何なので、こってりとしたものを欲しがる。その中間があるはずで、これは日々食べている普段のものがそれに近い。
 中間というのは難しい。しかし長く場を持たせるには中間を使うしかない。その中間の間が本当は難しい。徹したものよりも。
「中間ねえ」
「はい」
「中途半端と言うことかね」
「地のような」
「地?」
「普段のような」
「よく分からんが、何かあったのかね」
「日常が充実するような」
「余計に分からんよ」
「あまり刺激的ではない普段が一番居心地がいいような。これは楽しさではなく、居心地です」
「何か知らんがまだ若いのに、悟ったようなことを言うものじゃない」
「そうなんですか」
「日々せわしなく、忙しく、ドタバタし、たまに疲れて休む。それでいいんだよ。妙なことを考えて作為的な生き方をするよりもね」
「はあ、まあ、それで普通ですねえ」
「だから、探さなくても、よい問題だ。良い日々もあれば悪い日々もある。何も感じない日々もある。それだけだ」
「はい、心得ました」
「そんなこと心がけるから駄目なんだ」
「あ、はい」
 
   了
 


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2020年12月12日

3961話 伝えられない話


 蛭田はかなりの年寄りだが、貴重な情報や資料を多く持っている。非常にマニアックな世界だが、その道のさらに奥の細道まで知り尽くしている。また生きてきた時代時代に多くの体験をした。これだけ知っている人は類を見ないだろうが、アカデミックなことではないので、その専門家とはいかない。当然そんな学会はないが、学会とかの組織的なものとは合わないのだろう。
 それらの体験を資料と一緒に本にすればいいのだが、本という形にしても、ほとんど売れないはず。
 蛭田を慕う若者がおり、本にしたがった。または体験談を録画し、ネット上に上げたかった。それで何度もその相談で訪れている。早くしないといけないような年。
 しかし蛭田は断り続けている。もしそんな本なり動画が世に出れば、ただでは済まない。ただというのは無料なので、お金が入ってこないということではない。まだ生きている人がいるので、暴露することになる。そんなことをしてまで出しても意味はない。ただのゴシップのようなもので、当事者達に恥をかかせるだけ。またそんな悪趣味もない。
 そこで青年は秘蔵版と言うことで、一般には公開しないので、作りたいと、伝えた。
 それでは出す意味がないのだが、そういう本なり動画があるというだけで、十分だと青年は説得した。
 何故なら、このまま蛭田が亡くなれば、その部屋にある資料類も消えてなくなるだろう。青年が引き取ればいいのだが、置く場所がないし、また本人に聞かないと分からないような資料もある。
 一冊だけの本でも作れるので、その一冊の中に資料の写真も挿入すればいい。そして一つ一つの資料というか証拠品は動画で蛭谷が説明する。
 蛭田は、それでも承知しない。今更昔のことをほじくり返すのがいやで、相手もいるし団体もいる。そして蛭田自身も恥多きことを語ることになる。
 つまり蛭田も共犯。これでは語れないだろう。
 青年はそれでも諦めないで、それではインタビューだけでもいいので、語れることだけでも語ってほしいと頼んだ。
 蛭田は承知した。
 そして、インタビューの収録が始まったのだが、数分で青年は停止ボタンを押した。あまりにも凄い話のため、中止した。
 
   了


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2020年12月11日

3960話 妖怪式神蚊


 妖怪博士は寒くなってくると冬眠する。ずっと寝ているわけではないが、活動がピタリと止まる。冬籠もりするほど寒いところではない。
 しかし布団の中にいるのは、本当に寝るときだけ。あとはホームゴタツでうたた寝する程度。その間、何もしていない。ただ、たまに昔に書かれたような妖怪に関する本や、怪異談などを拾い読みしている。どれも似たような話で、目新しさはないが、その語りに味わいがある。妖怪よりも、それを語る人。また語り手から聞き取ってまとめた人。いったいどんな気持ちで書いたのだろうかと、そこに注目する。本当に驚いて書いたのか、または冗談半分で書いたのかは文章に出る。怖い話だが、後ろで笑っているような。
 うたた寝が本寝になるときもあり、そのときはホームゴタツの中に潜り込み、座っていた姿勢から仰向けになる。コタツ布団をぐっと引っ張り、胸元までかける。亀が裏返ったような姿勢だ。
 そして寝かかったとき、耳鳴り。
 だが、音がおかしい。小さくなったり大きくなったりする。そして神経質な音で、神経を逆なでる。これは蚊だろう。冬の蚊、生き残っていたのだろうか。
 耳を狙って飛んでくるようで、音が消えたときは、止まっているのだ。耳の近くにいるに違いない。しかし蚊の足の感触は感じない。
 妖怪博士はぴしゃりと耳のあたりを平手打ちした。一瞬、ジーンとなり、今度は本当の耳鳴りになる。強く打ちすぎた。
 遠くまで行くまいと思い、目を開け、周囲を見るが、蚊の姿はない。平手打ちにあたり、潰れたのだろうか。
 夏場、たまに蚊が五月蠅く耳元に来ることがあるが、叩いて退治できた試しがない。音だけなので、耳の近くにいると勘違いする。
 丁度うたた寝する前に式神について書かれたところを読んでいた。その中に式神蚊がいる。これは妖怪で、目的を失った式神蚊が彷徨っているだけ。式神は人が発する。術者が発する。式神蚊単独では動かない。また蚊を式神に変身させるのは術者。それで式神蚊が生まれ、刺客のように誰かに襲いかかる。しかし、襲っているのは式神蚊だが、襲わせているのは術者。従って式神蚊の意志ではない。ただの突撃兵器のようなもの。それ以外の動きはしない。
 しかし、術者がコントロールを失ったとき、式神蚊は彷徨うことになる。
 この式神蚊がフリーになったときから妖怪化する。中にはトンボほどの大きさの妖怪式神蚊もいる。
 その書を先ほどまで読んでいたのだが、この作者、やはり冗談半分で書いたとしか思えない。しかし、想像できそうな蚊だ。蚊なので、よく知っている。
 それとは別に音だけの蚊もいるだろう。妖怪博士を先ほど襲った蚊が、それかもしれない。
 音で欺されることが多いので、有り得る。
 
   了


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2020年12月10日

3959話 滑らない塗り箸


 岩木村の山裾に石像群がある。いずれも小さい。しかし仏ではなく、人の顔。仏になり損ねた羅漢に近い。中には顔も姿もないただの石饅頭もある。
 石仏は横に拡がり、並んでおり、その後ろにも並んでいる。三段ほど。既に周囲は草むしているのだが、誰かが手入れしているのか、完全に草に覆われることもない。数十体もの石像だが、方々から集めてきたものではなく、最初からそこにあったようだ。
 里山歩きの人がそれを見付けたのだが、特に説明はなく、謂れを書いたプレート類もない。
 興味深いのは人の顔をしていること。それほど身分の高い人には思えない。中には笑っているのもある。
 こういうのは飢饉とかで亡くなった人を供養するため作られることもあるので、それに近いのではないかと、散歩者は考えた。
 そこへ運良く老婆が花束を手に上がってきた。よく見ると石像に竹筒がある。花は既に枯れているので、その交換に来たのだろう。
 花は菊。野菊だろうか。花びらが小さい。石像分を束にして持ってきたようだ。まあ、亡くなれば仏になるのだから、石仏といってもいいのだが、仏とは違い、妙に生々しいお顔。しかし、長い年月で風化し、顔立ちがもう分からないのもある。
「これは、何でしょう」
「ああ、亡くなった人達ですよ。この村の人だったと聞いております」
「飢饉か何かで」
「いや、戦って亡くなられたと聞いています」
「一揆とか」
「違うようです。敵と戦った勇者さん達とか」
「数が多いですね。勇者の」
「村の大人は全員戦ったようですよ」
「どんな戦いです」
「この村の領主と共に戦ったのです」
「軍役ですか」
「いや、足軽を出すのなら、この村は数人でいいのです。そうじゃなく、村を守るため、立ち上がったのです」
 木蔵という百姓が、村人をまとめ上げ、敵の侵入を防ぐ戦いを始めたらしい。領主の城へはこの村を通らないといけない。そこに出城や砦はない。村があるだけ。どちらにしても、村に入り込まれる。
 しかし、勝ち目のない戦いで、領主と敵との兵力差がありすぎた。
 隣村も敵の侵入コースに入っていたのだが、ここは村を捨て、村人は山に逃げ込んだ。もう一つ、領境の村は入り込んできた敵の部隊を歓迎し、受け入れた。いずれはこの敵の領地になるのだから、抵抗はしなかったし、また領主も、ここまで兵を出さなかった。そして村人だけでは戦ってもしれているし、無駄なことだと諦めたのだ。
 ところが、石像のある村には木蔵がいた。村の若きリーダーで、いずれは村おさになるだろう。人気があり、人望もある。ただ雄弁で勇敢すぎた。
 敵は農民とは戦わない。これは資産なのだ。年貢を取るための。
 戦いは簡単に終わり、領主が変わった。石像のある隣村の人達も山から戻ってきた。その村人が、この石像を作ったらしい。
 廃村に近い状態になり、その後、人を入れて、新しい村として生まれ変わった。
 老婆からその話を聞いた散歩人は、何とも言えない気持ちになった。
 
   了

 

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2020年12月09日

3958話 滑らない塗り箸


 快感は楽しみすぎだが、快適ならいい。妥当なことで、適当。良くもなければ悪くもないが、快適は多少良い側に傾いているが、快感とまではいかない。
 適当になると、快適より、少し落ちる。しかし不快ではない。快適の範囲内にギリギリ入る。適当の幅は広い。それは使い方だろう。どうでもいいようなことなら適当でいい。どうでもよくないことでは適当を使わないで、別の切り口を使う。
 箸など適当でいい、それが箸なら。割り箸でもいい。ただスプーンやフォークでは駄目という程度。しかし、うどんを挟める塗り箸や、滑りにくい塗り箸となると、適当な箸では無理で、ここで一段踏み込む。さらに丸箸が良いか角箸が良いかとなると、もう適当さから外れる、どうでもいいようなことではなくなる。
 少し考えないといけない。適当は前例のあるときに限る。考える必要はない。
 丸箸の方が使いやすいが、角箸の方が滑りにくく、テーブルに置いたとき、転がりやすいのが丸箸。そこまで考えるかということだが、これは箸を転がして下に落ちる頻度が高かったので、気になったのだろう。当然テーブルの上ではなく、茶碗の上に二本の箸を乗せて運ぼうとしたとき、一寸傾くと丸箸は転げ落ちる。
 それを見て可笑しくて笑うわけではない。箸が転んだだけでも笑うのは小娘。
 箸の先にギザギザが付いているものもある。こんなものを選ぶのは、拘りがあるのだろう。その拘りは経験から来ていたりする。挟んだうどんが滑り落ちるとかだ。割り箸を使えばいいのだが、ずっと使い続けている愛用の割り箸などないだろう。一度使えばそれで終わるような箸だが、ずっと使えなくもない。ただ、色が変わったり曲がったりする。
 うどんが普通の塗り箸で挟める。これは快適だろう。快感とまではいかないのは、特に凄いことではなく、箸なので、挟めるはずのため。しかし、快適という感覚もないかもしれない。挟めて当然ということ。しかし、塗り箸でうどんは挟みにくいもの。だから滑りにくい塗り箸を作ったのだろう。そういう加工が施されている高い箸だ。
 だからそういう箸を選んだ場合、適当な箸を選んだことにもなる。一番ふさわしい箸のため。だから当を得たもの。アタリを引いたのだ。この場合、うどんが滑らない箸という条件が分かっているため、滑りにくいとされる塗り箸を買えばいい。
 適当さにも幅がある。箸なら何でもいいわけではなくても、それにふさわしいものを適当に選ぶ。間違っていない。いい加減ではない。しかし加減はいいので、良い加減だろう。
 しかし、その条件を満たす箸でも、塗り色とか太さとか長さとかがある。これで二段目だ。そこは適当でいいとなると、少し精度が落ちる。条件に入っていないので、考慮していない場合だろう。
 一番いいのは適当にいくつかの箸を買い、気に入ったものを使うことだ。その中に生き残る箸がある。しかし、まだ不満があり、快適とはいかななかったりする。その箸は良いのだが、塗り色が悪いとか、太すぎるとか、長すぎるとか、重いとか、色々出てくる。全てを満たすお気に入りは滅多になかったりする。もしそういうものに巡り会えば快感が走るだろう。
 しかし、箸の上げ下げ程度の話なので、それこそ適当でかまわなかったりする。
 
   了

 

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2020年12月08日

3957話 選択の自由


 似たようなものが二つある。どちらかを選択すればいいのだが、両方選択するという手もある。同じものが重なるのだが、両方を交互に使えばいい。そのうち、どちらがいいのかが分かる。もし片方だけ選択すれば、選択しなかったものがずっと気になる。そちらの方がもっと良かったり、選択したものにある欠点がないような気がする。これは両方から似たようなものを発しているのかもしれない。
 行かなかった場所はどうだろうか。これは同時には行けない。後で行くということになる。しかしその日、その時間でないと駄目な場合は一つに決める必要がある。これは後で行くとかができない。そのため選択しなかったものは永久に闇の中。
 どちらにしても、選ばなかったもの、行かなかった場所が後々気になるもの。
 そして行かなかった場所、選ばなかったものを求め続けたりする。その場合、理想像のように勝手に良いように思ってしまうのだろう。だから理想。到着し得ない。しかし目的がある。目標となる。
 選ばなかったものが目標になるとはおかしな話で、そのとき選んでおけばもう目標にはならないが、片方が今度は目標になる。本当は選ばなかったものがより劣っていたりするのが現実。だから良い方を選んだ。
 選ばなかったものを理想化する。これはもう妄想。勝手に付け足したりする。だから現実的には存在しないシロモノ。理想的だが、存在しない。幻のようなもの。ただ、人は、それに魅力を感じる。想像上の魅力だが。
 人は嘘の方を信じやすい。本当のことは信じなかったりする。嘘であるとされているもの、果たして本当は嘘だろうか。もしかすると、本当ではないかと、嘘に引っ張られる。
 本当のことは、それが本当であると困るとき、それは信じない。所謂本当だとは思えないとなる。本当のことのようだが、嘘であって欲しいと望むためだろうか。
 良い夢を見たとき、夢だったので、これは惜しい。悪い夢を見たとき、夢で良かったとなる。
 万が一とか、意外と、とか、あまり起こらない奇跡的なことを信じたりする場合、これは抜け穴のようなもの。
 選択の自由がない場合もある。それ以外の選択肢がない。だから選べない。だから選択の余地がないので、選択という言葉もいらない。それしかないのだから。これは分かりやすいし、ストレートだ。
 選択という自由。こちらの方がバケモノを生み出す。
 
   了


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2020年12月07日

3956話 ア・ハア


 勢いが落ちたようで、島田はやる気を失った。
 そんなことでやる気を失うのだから大した目的ではなかったのだろう。あるとすれば勢いだけを期待し、勢いが目的だったのかもしれない。だから勢いのあるものなら何でも良かった。
「勢いねえ」
「不調です」
「絶不調というやつですね」
「絶好調のときは楽しかったのですがね、いや、勢いに乗る手前も楽しかった。まだ乗っていないのですが」
「右肩上がりというやつですね」
「それでもう辞めようかと思います」
「勢いが落ち着いてからが勝負ですよ」
「まだまだ落ち続けます。落ち着いていません」
「いや、これ以上落ちないというところがあるでしょ。そこなら、もう勢いの底。落ちようがない。だから落ち着ける」
「それは」
「だから勢いなど期待しない方がいいのです。そんなものを楽しみにしても、いずれ落ちるか、飽きてきますよ。すぐに退屈なもの、地味なものになり果てる」
「白河さんはどうなのですか」
「私ですか」
「そうです」
「私は何もしないことに決めました」
「でも色々やっておられるじゃないですか」
「どれも勢いはありませんよ」
「勢いがないのにまだやれるコツを教えてください」
「何もしないことに決めました」
「やっておられるのに」
「何もしていないのと同じです」
「そうでしょ。もうやってもやらなくてもいいようなものですから。勢いがあるときは別でしたが、今は値が下がった」
「だから元々何もしないことが前提ですので、やっても何もしていないようなものですよ。それこそ何もしていないと暇でしょ、だから何かをしてしまうだけです。これは何もしていないのと変わらない」
「ややこしい構造ですねえ」
「そうですねえ、醒めた感じでやるようなものです」
「それじゃ楽しくないでしょ」
「ありませんねえ。しかし味わいがあります」
「味わいですか」
「地味というやつです」
「僕にはなかなかその心境には」
「まあ、色々やっていれば、そんな感じになるのです。私だけのことで、他の人は知りませんがね」
「やはり勢いがなくなると、そこから脱したいです。地味もいいのですが、それじゃ楽しくない。もっと溌剌としていたい」
「当然それもいいでしょ」
「そうでしょ。だからやはり、勢いがなくなったものは捨てようと思います」
「尤もなことです」
「そうでしょ」
「そうしなさい」
「しかし、白河さんはそうしないで、留まっておられる。どうしてですか」
「いや、何処で何をしても、もう似たようなものですから、動いても仕方がないだけ」
「何かもっと奥深い秘密でもあるのでは」
「何もありません」
「お世話になりましたが、もうここを去ります」
「どうぞどうぞ」
「でも白河さんはずっと居座っておられる。どうしてなのですか」
「ここの椅子、座り心地がいいからです」
「あ、はあ」
 
   了




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2020年12月06日

3955話 極月


「極月ですなあ」
「十二月ですね」
「北極と南極。極まったところ」
「月を極めるわけではないのですね」
「誰が」
「そうですねえ、でも個人的にはこの月を極めたいところです。最後の月ですから、いい感じで終えたい。一年の締め括り、十二月に入ったばかりなので、まだ一ヶ月ある。この一ヶ月で勝負したい」
「何か、そういう用事でもありますか」
「ありません」
「じゃ、極める必要はない」
「そうですねえ。しかし、いい感じでこの月を過ごしたいですよ。世の中忙しそうですが、私は暇なので、差し迫ってきても問題は何もありませんがね。あとは気分の問題です」
「十二月に入って早々年越しの心構えですか。それはまだ早い。クリスマスもある」
「十一月末から感じていましたよ。年越しを」
「まあ、いい感じで除夜の鐘を聞くか、悪い感じで聞くかでは違いますからね。気持ちが」
「そうでしょ」
「しかし、今から年末年始のことを考えるのは少し早いかと」
「いえ、正月に、もう年末のことを考えていましたよ。その後、忘れましたが、一年前から年の終わりを考えていたのは確かです」
「何故途中で忘れたのですか」
「正月行事が終わったからでしょ。普通の日に戻ると、もう年末や年始のことなど、思わなくなるものです」
「それで極月に入ると、再び浮上ですか」
「残り一ヶ月だと思うと、気持ちも迫ってきます」
「しかし、特に何もするようなことはないのでしょ」
「細かいことは色々あります。掃除とか、片付けとか、やり残していることが多い」
「家事ですな」
「そうです。埃が溜まっている家具の隅とか、奥とかが気になったりしますが、まあ大掃除はしませんので、普段からやっておくべでしょうねえ。だから残り一ヶ月の間は少しピッチを上げようかと」
「暇であっても暇ではないと」
「そうです。用事はいくらでもあります」
「平和なものです」
「あなたはそうじゃないと」
「厳しい年末になりつつあります」
「それは大変だ」
「私もあなたのように、家具の隅の埃だけが気になる年の瀬を過ごしたいものです」
「あ、そう」
 
   了


posted by 川崎ゆきお at 13:03| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする