2019年06月11日

3415話 安心楽路


 田中は楽をしたいと思うようになった。この思いは一番簡単で、黙っていてもそれは思っているだろう。水が低いところへに流れるように、楽をしたい、楽になりたいなどは一番自然なことで、努力は必要ではない。苦労することもない。新たな発想も必要ではない。
 だが、田中はそれができないでいた。少し楽をすると、その見返りが来る。笑ったときの皺が、そのまま苦しいときの皺に変わる。笑った分だけ皺が増えたりしそうだ。
 それよりも将来いい結果を生み出さないので、若い頃は苦労は買ってでもせよとなる。苦しい仕事をこなしたのにもかかわらず賃金が安いのではなく、その分、自分で払うということなので、これは赤字だ。そんな金が何処にあるのだろう。月給分を毎月買うようなもの。その間、何で食べているのだろう。これは蓄えがあるためだ。
 だから、金持ちの子でないとできない。まあ贅沢な環境で育てるよりも、金持ちの子ほど苦労させればいいのかもしれないが、これは大きなバックボーンがあり、安心して苦労できたりする。ある意味、苦労を楽しんだりする。
 田中が楽をすることに躊躇していたのは、そんな手を抜いた生き方ではろくな者にはならないためだろう。信用の問題もあるので将来よくない。
 だが、その将来になったのだが、大したことはない。楽をしないでやってきたのに、この程度か。ということになった。
 ならば、このあたりで手を緩めてもいいのではないか。どうせ凄い将来がこの先あるわけではないので。
 そしてもう楽をしてもいい年代に達したとき、このあたりで、楽へと走ってもいいと思えるようになる。田中はこれを楽路と勝手に言っている。
 楽をしてもいいというのは、もうそれほど頑張らなくてもいいという意味。まあ、頑張ってもたかがしれていることも分かっているし。
 安心楽路。安心して楽をしてもいいのに、田中はそれができないでいる。楽をしないのが習慣になっていたため、少しでも手を抜いたりすると、罪悪感に苛まれる。こんな楽をしているとろくなことにならないと。
 つまり、楽をしないというのは狙いだったのだ。方針であり、知恵だったのかもしれない。
 それで安心して息が抜けない。もう楽をしても何処からも文句が出ないのだが、悪いことが起こる予感がする。
 これは貧乏性なのかもしれないが、気を抜くのを恐れた。
 楽をする。怠ける。これは意外と難しいのかもしれない。
 田中は楽をしてもいいのだが、楽にはできない。楽はしたいのだが、気楽にできない。逆に楽をしない方が楽だったりする。
 楽路は遠い。
 
   了




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2019年06月10日

3414話 シマイバナ


「雨ですねえ」
「これで梅雨入りでしょ」
「明日晴れるらしいです」
「そうなんですか、で、そのあとは」
「下り坂です」
「じゃ、すぐにまた雨」
「さあ、曇りかもしれませんし」
「この雨で、もう梅雨入りでもいいでしょ」
「じゃ、明日の晴れはどうなります」
「梅雨の晴れ間」
「ああ、そう思った方がよろしいですねえ。今日の雨が梅雨の雨だと思えば何ともない。夏が暑いように梅雨は雨ばかり。これは諦めがつきます」
「ところでアジサイを見に行かれましたか」
「咲いてますねえ。まだ咲き始め。まだ見所じゃない」
「ツツジも見に行かれましたか」
「まだ咲いてますなあ。しかし時期が過ぎた。サツキは五月に見るもの。六月はアジサイにバトンタッチ」
「しかしまだ咲き始め。ツツジは咲き終わる頃ですが、まだ咲いています。どちらも早いか遅いか」
「まあ、どちらも見ることができるわけですな」
「どうです。六月の梅雨で雨が降っている頃に見るツツジのシマイバナ見学は」
「それは考えもしなかった」
「まだ、咲いていますからね。品種が違うのでしょ。場合によっては満開で、見所ですよ」
「雨にツツジ。まあ、いいかもしれません」
「ツツジの前は何でした」
「桜です」
「桜の前は」
「梅です」
「梅の前は」
「椿です」
「いずれも木ですねえ」
「それは気付きませんでした」
「雨ですが、行きますか、濡れたツツジを見に」
「そうしますか。しかしアジサイも咲いていますよ」
「じゃ、両方」
「いや、アジサイはもう少し寝かせましょう。まだまだこれから飽きるほど見ますから。ツツジはもう終わりなので、見納めです。ラストチャンスのシマイバナ」
「じゃ、その方針で行きましょう」
「はい」
 
   了




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2019年06月09日

3413話 納豆の糸


 暑い日だった。急に暑くなった。いきなり夏になったようだ。朝から暑い。
 吉岡はいつものように昼寝をしていたのだが、よく眠れる。途中で目が覚めたが、寝たりないというより、また眠りに落ちようとしているのが分かる。それをどうすることもできない。無理に起きてもいいのだが、その理由もない。スケジュール的な問題もないためだ。
 真夏の昼寝。これはそれほど眠れない。うとっとなる程度で終わる。暑くて寝てられない。それなのにまだまだ眠れる。これはおかしい。きっと暑気で朦朧としているのでないか。本来の眠気ではない。そしていつもよりも昼寝の時間が長すぎる。この時期短いか、眠りにさえ落ちないか、どちらか。横になっているだけの日も多い。
 これは危険だと感じ、吉岡は強引に起きた。納豆のような眠りの糸を引っ張っているが、それを切って。
 起きてすぐにネットで気温を調べると、全国的に高温。確かに気温はこれまでよりも高いが、真夏の凄い暑さではない。
 しかし、朝からグンと気温が高いことは分かっていた。この調子では昼頃、凄く暑くなるはず。しかし、昼寝するとき、それほどでもなかった。
 春から徐々に暖かくなり、身体もそれに慣れてきており、さらに初夏で暖かい、から暑いに変わってきたのだが、それにも慣れたはずだが、今朝の暑さはその慣れを超えたものらしい。だからいきなり夏に襲われたようなもの。
 吉岡はいつものように昼寝を終えると散歩に出る。部屋にいるよりも涼しいかもしれないと思ったのだが、逆だろう。夜なら外の方が涼しいかもしれないが、昼間は日影の方が涼しい。陽射しがないだけ。
 ドアを開けると、むっとする空気が、ということもなく、室内とそれほど気温は変わらない。しかし、いつもよりも暑いのは確か。
 いつもの散歩道を歩いていると、人もいつものように出ている。行き交う人や自転車、車。いつもと変わらない。特に異変はない。外に出られないほどの高温ではない。そんな日でも出ている人はいるだろう。
 散歩コースは緑の多い通りで、炎天下を歩いているわけではない。そしていつもの距離を歩き、戻ってきた。
 そして夕方まで仕事を続けたのだが、その頃はもう普段と変わらない。
 気温を見ると、下がりだしたようだ。そして夕方になると、涼しいほどに。これは季節としては妥当。
 翌日もまた暑くなったが、その日は窓を大きく開けての昼寝。閉めていた窓が別にあり、そちらも開け、部屋と部屋との仕切りも全部開けた。
 そして仕舞い込んでいた扇風機を取り付けた。
 その状態で吉岡は眠りに落ちようとした。暑いが意外とすんなりと眠れるようだと感じながら。
 そして普通に昼寝から目が覚めた。眠りも納豆のような糸は引かなかった。
 
   了

 
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2019年06月08日

3412話 桶屋は儲からない


 平原部の端にある城下で、町が賑やかなのは山岳部への入口のためだろう。山側からすれば平原部への玄関口。山岳といっても村々が点在し、険しい山は近くにはない。浅い山々と村々が平原部並みに拡がっている。
 この城下は冒険者や武者修行者が特に集まる。当然それらよりも商人やただの旅行者の方が多いが。 人が多く住む場所は住んでいる人達も当然客になり、市場は大いに賑わっている。
 その裏に武器屋があり、横に薬屋がある。その間の路地の奥に依頼所がある。仕事を斡旋してくれる場所。
 その横に巨大な居酒屋があり、そこにも依頼者がいる。正式なものではないが、美味しい仕事が多い。
 一人の冒険者が依頼者と話している。一番よく見かけるタイプの冒険者で、武者並みに腕が立つものもいるが、装備は貧弱で、小商いをしながら諸国を回っている人が多い。旅行者ほどには気楽ではないが、こういった斡旋所があるので、食いつないでいける。ちょっとした用事をこなせばお金になる。
「桶屋への配達だ。簡単だ。頼まれてくれるかね」
「はい」
 冒険者はこれで宿賃程度は稼げるので、引き受けた。
 桶屋は職人町にあり、ここは製造直売。既製品ではなく、オーダーメイドの桶がメイン。桶屋は市場にもあるが、その桶屋ではなく、製造や卸屋もやっているので、専門店。大量の桶が欲しいときはここに来る。普通の人はわざわざ職人町まで買いには来ない。
 だが、そこに目的の善米桶屋店がない。店舗や作業所は残っているが、籠屋になっていた。
 籠屋の主人に聞くと、善米桶店は何処へ引っ越したかは知らないが、親戚の米屋が知っていると答えた。
 冒険者は市場のメイン通りのある米穀店、そこも桶屋と同じ善米となっている。
 善米米穀店の主人に聞くと、桶屋は親戚だが、恥ずかしいことに夜逃げしたらしいと答えた。
 何処へ逃げたのかと聞くと、おそらく山の方だろうということだが、詳しくは分からないらしい。
 知りたければ、夜逃げを手伝った男が親友にいるので、今度はその夜逃げ屋を紹介された。
 流石にこれは裏の稼業なので、店構えはない。
 長期滞在者などが泊まっている宿屋にいるらしいので、前田という人を探した。
 前田はすぐに見付かったが、桶屋の引っ越しを手伝ったのは自分ではない。別の奴だと答えた。
 今度はその別の奴の居場所を聞き、冒険者は城下外れの村へ行った。
 ここは実は悪所で、妓楼が軒を連ねている。前田と同じ引っ越し手伝い人竹中は、その村の住人。
 その実家は竹中という大きな農家で、探している竹中は放蕩息子で、今は昼時なので、妓楼で昼定食を食べているとか。
 三階建ての大きな建物の前に縁台が置かれ、そこで昼メニューをやっていた。冒険者も腹が減っていたので、注文する。名物は桜定食で、赤カブの漬物を花びらのように敷き詰め、その上にアユの佃煮が乗っている。定食なのだが弁当だが、お吸い物と冷や奴が付いた。
 店の人に竹中さんが来ていないかと聞くと、二つ向こうの縁台で一人で桜弁当を食べている大男がいる。店員は彼を指差した。
 大男の竹中は確かに桶屋の夜逃げを手伝ったが、城下を出て、山に出る関所までだと答えた。田舎への出入り口。山へ逃げたのだろう。
 それで手掛かりが分からなくなる。手紙を届けようにも、地方へ消えてしまったのだから、何ともならない。
 それでしゅんとしていると、大男が、訳を聞く。
 自分は関所まで桶を運んだが、関所からは別の奴らが手伝っているはず。関所の役人に聞けば分かるだろうと教えてくれた。
 冒険者は任務を果たすため、関所まで行き、教えられた役人に、そのことを話す。
 確かに桶屋の善米はここを通った。荷物や桶を運んでいた人足達は、すぐ近くの村の連中だろうと教えてくれた。
 居酒屋で依頼者から手紙の配達を頼まれたのだが、職人町の桶屋で渡せば簡単に済む仕事。だから依頼料も宿賃程度。これは割のいい仕事なので、引き受けたのだが、桶屋に合うまでいったいあといくつ段階を踏まないといけないのかと考えると、これは依頼をキャンセルした方がいい。手紙を依頼者に戻せばいいだけのこと。
 そして戻り掛け、急に風が吹いてきた。雨でも近いのだろうか。
 風が吹くと桶屋が儲かるという話がある。何段階か踏んで、結果的に桶屋が儲かるという話だが、この冒険者、いきなり桶屋を追いかけたことになる。
 しかし、この桶屋、夜逃げしたのだから、風が吹いても儲からない桶屋だったに違いない。
 
   了



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2019年06月07日

3411話 天田城の謀反


 本拠地を取り囲むように城が点在している。元々囲むためではなく、この一帯の中心部にあるため、そこに建てた城。これを本城と呼んでおり、このあたりを治めている殿様がいる。
 その中の一つの城、これは支城とはいいにくい。確かに殿様の家臣が城主だが、元々そこを領していた豪族なのだ。その豪族の親玉が本城の殿様のようなもの。家来というより、以前は同格。
 本城から見れば支城であり、出城。砦のようなもの、敵国と近いため、そういう位置づけになっている。
「謀反」
「天田城の動きが怪しいのです。敵と内通しているらしいのです」
 天田城が裏切れば、本城への入口でもある街道の一つが通っているので、これは大変だ。
「敵に兵糧を送ったり、密書のやり取りもあるとか」
「詮議する必要があるのう」
「天田殿に限り、そんなことはないと思いますが、一応申し開きに来てもらいましょう」
 しかし、嫌疑を掛けられただけで恐れ、天田は城から出なかった。実はやっていたのだ。
「これは臭い。天田を攻撃する。天田は既に敵だ」
 そんな簡単に言えるのは、本当の家臣ではないためだろう。しかし天田は主従の関係をとっており、家来として振る舞っている。
 ちょうど天田方面ではなく、別の方面で戦っている最中で、天田に兵を送りたくない。しかし、天田方面から敵が来るともっとまずい。本城を一気に抜かれる。
「天田征伐ですかな」
「そうです」
「それはやめた方がよろしい」
「砦程度の出城。千も兵はおりません」
「確かに五百ぐらいでしょ。しかし、天田は簡単には落ちません」
「土塁と柵程度の城。要害の地でもありません」
「天田が米を送ったのは確かでしょう。姪が敵の武将に嫁いでいます。かなり前ですがね。そこに米を送ったのでしょ」
「しかし、密書のやり取りを」
「だから、姪を心配して、手紙のやり取りをした程度でしょ」
「しかし、申し開きに参りません」
「殺されると思ったからでしょ」
「殿も丁度いい機会だから、天田を取りたいといってます」
「御味方の城ですぞ」
「まあ、そうですが」
「天田を攻めると、姪が動いて敵が救援に来るでしょ」
「そんな余裕は敵にはないかと」
「天田の弟が赤松殿の養子になっておりますなあ。赤松城主の。それと岩見城主とは昔から仲が良いとか。禅寺での竹馬の友だったとか。清水城の隠居はこのあたりでは名声の高い長老。この人が天田を可愛がっていましたなあ。この長老と禅寺の高僧は影響力があります」
「たかだか五百の兵しか動員できない城。一日で落ちるでしょ」
「下市の寄場、川港がある場所です。あそこの連中が天田兵に多くいます。召し抱えたのです。下市にはまだまだウジャウジャ人がおりますぞ」
「それはただの野武士」
「いやいや、数が多い。天田は金持ちだし、下田との関係も深い。それらの仲間が仲間を呼び、川沿い山沿いの土豪まで駆けつければ五百どころか、こちらの寄せ手の数を超えましょう」
 流石に宿老のいうことは違う。殿様もそれを聞き、今回は諦めた。
 しかし、この家老、少し大袈裟に言い過ぎたようだ。
 
   了





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2019年06月06日

3410話 美学の森


 森の中にぽつりとあるような館。しかし普通の民家。その建物が神社であってもおかしくない。広い敷地目一杯樹木が生い茂っている。
 元々はさる大名家の別宅だったらしいが、その痕跡は何も残っていない。当時から残っているとすれば、伐採しないで残っていた古木程度か。これも年を経るうちに枯れたり、台風で倒れたりし、残り少ない。
 しかし、今は普通の村の神社並みに森が神社を囲み、外からは建物さえ見えないほど。神社なら鳥居ぐらい表側にあるのだが。
 ただ、その周辺は庭木の栽培が盛んで、住宅地の中にぽつりとあるのではなく、周囲と混ざり合っている。
 というような長い説明だが、妖怪博士が、その神域のような館を訪ねた。ただの見学ではない。館は半分洋館風。
「妙なものが出ます」と、またかというほどによくある依頼だが、今回は依頼されたわけではない。頼まれたのだ。似たようなものだが、担当編集者の知り合いの美学の大家。大学教授だが、色々とゴタゴタがあり、今は退職しているが、美学者としてそれなりに活躍している。世の中には色々な職種があるが、妖怪研究家も美学の研究家も似たようなもので、実学とは言い難い。
 坪内昭明というのがペンネームらしい。
 坪内家はこの別屋敷があった時代の大名に仕えていた家老の家柄。その関係で、この別宅を譲り受けたのだろう。ただ、長い間ただの雑木林。建物はすでにない。もう必要ではなくなったため。つまり坪内家は安く主筋から土地を手に入れた。
 しかし、これらは本筋とはまったく関係しない。
「出るというのはどういうものですかな」
「あなた大学は」
「いえ、野の学者です」
「僕も今は在野ですよ」
「それで、何が出るのですかな」
「あの編集者が喋ったのですね」
「あ、はい」
「それであなたを寄越した」
「まずかったですかな」
「そんなことはありません。彼に相談したのは確かです」
「で、何が出るのですかな」
「美学というのは錯覚です」
「はい」
「そこにあらぬものを見るのです」
「で、どのようなバケモノが」
「まあ、ご覧下さい」
「同居者ですか」
「いや、ここは仕事場でして、家族はニュータウンに住んでいます。もうオールドタウンですがね。それに家族が妖怪ではありません」
「はあ」
「まあ、ご覧下さい」
 そこは民族博物館かと思われるような部屋で、何部屋も使われ、廊下にもびっしりと妙なものが飾られている。
「よくこれだけ集められましたねえ。博物館として公開できるほどですよ」
「このお面はニューギニアで土地の人から譲ってもらいました。長い顔でしょ」
「この象のようなものは」
「それはガンジス川で出た聖天さんです」
「ガネーシャですね」
「その原初の古い形のようです。また古い絵も何枚かあります」
「極彩色で、密度が高い絵ですねえ」
「こちらは秋田で買ったナマハゲです」
「秋田で」
「レプリカです」
「こちらは神像です」
「これは和物ですか」
「そうです。日本の神様です。仏像のように、数多くありません。珍しいものです。これは神社から貰い受けました。神主の納屋から出てきたのですがね。いらないというので」
「値打ちがあるでしょ」
「ありません。古いものじゃないですし」
 別の部屋に行くと、壁一杯にお面。壁そのものがお面。もの凄い数の視線を感じる。
「濃いですねえ、この密度」
「いずれも地方や、海外でコツコツと買い求めた物です。貰ったものや、譲り受けたものもあります」
「これはその気にならないと、ここまで多くは集められないでしょ」
「いつの間にか増えていただけです」
「はあ」
 これで何が出るのかは説明はいらない。
「音の共鳴があるように、こういうもの同士の共鳴もあるようです。当然反発も」
 妖怪博士が言おうとしていたことを先に坪内氏が言った。
「それよりも、中に混ざり込んでいるのでしょ。この中のいくつかの中に」
「流石妖怪博士、そこに目がいきましたか」
 見るからに悪魔の像がある。蝙蝠やトカゲのような顔をしている。
「これらの魔像は美術品でしてね。本物じゃありませんが、本物の悪魔の像など存在しません。全て想像上のもの、あるいはイメージ。こういう形をした悪魔がいるのかもしれませんがね」
「出たのは悪魔でしたか」
「違います」
「何が出ました」
「ウジャウジャと」
「坪井さん、これは出ますよ。これだけ集めれば」
「これは私の専門じゃありません。このコレクションは美学のためではありません。ただの趣味です。しかし、その形から色々とインスピレーションが湧きます。いずれもこの世に存在しない形です。僕はその中に美を感じるのです。美とは反対側かもしれませんがね。美しいだけのものとは標準的なものでしてね。人の顔もそうです。どこか歪んでいる。整った顔が綺麗に見えるのは、標準的な人の顔だからです。だから一番平凡な顔が美男美女となります。しかしそんな顔の人は滅多にいません。作らないとね。それと整った顔はそれ故に特徴がありません」
「醜の中の美ですか」
「これらのコレクションは醜ではありません。また異形で怖い顔でもありません。神聖なお顔もありますがね。そちらは私が弄らなくても多くの人が扱っていますから」
「はあ」
「真善美と三つで言い表す人もいます。僕は美です。美だけでいいのです。その中に真も善も含んでいますから。これは真だけでも言えることでしてね。入り方が違うだけです。見ているものは同じです」
 美学の講義が始まり、バケモノの話が遠ざかった。
「それで、どのような現象が起きたのですかな」
 妖怪博士は本筋へ戻した。
「彼がそう言ったのでしょうが、実は違います。具体的に面が笑い出すとか、動き出すとか、飛んでいるとかじゃありません。僕の耽美が飛んでいるのです」
「しかし、これだけ集めれば、出てもおかしくありません。また怪異が起こっても」
「ご心配なく、それに本物の悪魔や邪がここに潜んでいたとしても、あなた、手に負えないでしょ」
「まあ、そうですが」
「悪魔像だけでも百体以上あります。小さいのを集めるとね」
「はい」
「まあ、彼のお節介です。僕は困っていませんし、怖くもありません」
「じゃ、私は悪魔払いじゃなくお邪魔者でしたねえ」
「いえいえ、妖怪博士のお噂は彼からよく聞いております。お会いできて光栄です」
「あ、それは恐縮です」
「まあ、お土産に一つ、何か持ち帰って下さい」
 妖怪博士が物色していると「これがいいかもしれません」と坪内氏は小さな悪魔像を小箱から取り出し、裸のまま渡した。鉄でできているようで、持つとひんやりした。
 マントを着けている風に見えるが、実は翼のようだ。
 最初から怪異など起こっていないので、これでは怪異談にはならない。
 その小さな悪魔、今も妖怪博士宅に南部鉄の亀の子と一緒に引き出しの中で眠っている。
 しばらくしてから担当編集者が来たので、坪内氏の消息を聞くと、今もお元気で活躍されてるとか。
 
   了



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2019年06月05日

3409話 不図


 ふとしたきっかけでとか、ふと見てしまったとかの、このふとというのはなんだろう。と吉田はふと考えた。この場合、ふとではなく意図がある。図がある。図に意味を感じたからだ。しかし、ふとは不図と書き、ないということだ。意識的にではなく、ふと視界に入ったとか、急に思い立ったとか、思い付いたとか、作為的ではなく、計画的ではない。
 不図は、意識外ではないが、流れの外。いきなり入り込んだもの。途中ではなく別の文節の頭。
 ふと魔が差した。などは情念的なものがそこから来ていたのだろう。魔が差すのだから普段は考慮の外。魔なので、これは普段常用するものではない。だから本来意図的にはやらないこと。
 吉田はふとそれを考え出したのだが、急にそんなものを考えるはずがない。何らかのきっかけで、ふと飛び出してきたのだろう。連想が連想を呼ぶように。だが、ふとは突然が似合っている。そして偶然。
 しかし、道でふと右を見たというのは、さっき左を見たので、今度は右という程度の意図もある。右が目的なのだが、右側に見えているものが目に入ったからではない。首が怠いので、ふと左右に振ったとか、右へ捻ってみたとかもある。目的は肉体的だ。そのときふと見たものがあり、それに興味が走り、そちらへ向かった、などもある。
 きっかけが生理的とか、偶然とか、別の行為の最中で、狙っていたわけではないとか、そんな感じで、思わぬものとの遭遇などのきっかけになるのが、このふとだ。ふっとでもいい。
 ふとやふっとのふは息。息を抜いたような。休憩のような。ふっとかほっととか、その類だ。
 これは「ふ」か「ふっ」でないといけない。長くなると「フー」となり、もの凄く息を吐き出している。疲れたとき、フーといいそうな。こちらは肉体的なのが勝っている。
 ふとは瞬間、急に、そして考慮外の思ってもいなかったこと、予想だにしなかったこととの遭遇のとば口で、このふとが使われやすい。今までは因果関係に沿った動きだが、そこから少し離れて、伏線もなくいきなり来るようなものへの入口。
 ふと妙なことを考えてしまった。などは考えようとした考えたのではなく、それこそふと頭に閃いたのだ。これも実際には何処かに原因があるのかもしれない。寝ているとき、何らかの音がきっかけで、夢が始まるように。
 吉田はそのふとを意識した。すると、もうそのふとは不図ではなく意図になり、本来の不図とは違ってしまう。
 だが、このふと、日常の中でも、何かをしているときでも、あらゆるシーンの中で出てくる。
 それらは雑念のようなものかもしれない。外的なきっかけや内的なきっかけから出てくるのだろ。
 そのきっかけは意図されたものではないので、ふと出てきたもの。
 決まり事の外からのノックかもしれない。いつもの筋立て外。
 吉田はこのふとを利用できないものかと考えた。このときは既にふと考えたのではなく、大いに意図的に意識しすぎるほど考え、意図のしまくりだ。
 そして、最初のふっとの新鮮さが薄れてしまった。そこは何かの入口のようにも見えのだが。
 ふとそれに決めてしまった。などは勇気のある行為だ。何も考えていないのに等しい。考えが麩のように軽く、将棋の歩のように安っぽい。しかし、と金になる。
 それだけではなく、このふとは下手な考えよりも的を射ていたりする。つまり何となく当たっているのだ。狙い撃つより、何の気なしにふううと射た方が当たっていたりする。
 そういうことを考え中、吉田はふと思ってしまった。このふとは結構曲者で手強い相手だと。
 
   了
 


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2019年06月04日

3408話 辿り着けない大木


 こんもりとした繁みがあると高橋は寄ってみたくなる。一本の木が森のように見えていることもあるが、それだけの大木が街中にあるのは珍しい。しかしよく見かけることがあるのは神社の神木だろう。だが、それならその大木だけがぽつりと見えるのはおかしい。神社ならそれを囲むように木があるはず。中には神木飾りのない普通の木の方が高かったりするが、そんな巨木は別のことで指定されている。
 高田はその巨木に近付くと、急に低くなる。遠くから見ているときの方が高く、大きく見えるもの。近付くと小さくなるどころか街中なので遮るものが多くなり、もう見えなくなった。
 そしてその方向へグニャグニャ曲がり込みながら進むが、巨木は見えない。曲がり方を違え、方角を違えたのかもしれない。それで、もう一度戻りながら、別の道や通路に入り込む。住宅地の絨毯爆撃のようにくまなく探すが、見えてこない。
 当然今の時代なので、スマホがある。地図や航空写真でグーと寄れば、地形や町並みさえ分かる。
 しかし、それらしきものはない。真上からの写真なので高さが分からないためかもしれない。それでもそんな大木があるのだから、それにふさわしい場所があるはず。
 確かに広い敷地の家が何軒かあるが、これは農家だった家だろう。肉眼で見ても、それと分かる。中にはかなり古い家もあり、土塀そのものが倉だったりするが、板が剥がれて粘土のようなもの見えていたりする。
 しかし、そんな回りくどいことをしないで、近くの人に聞いた方が早い。
「巨木をお探しか」
「はい。このあたりだと思います」
「あなたは巨木をお探しか」
「はい」
「ほう」
「高くて大きく、もの凄く茂っていて」
「あなたは巨木をお探しなのですね」
「神木でも、大木でも、古木でもなんでもかまいません。大きく高い木です。僕が見たのは」
 高橋は別の人にも聞くが、要領を得ない。
 要するにそんな大きな木はないようだ。このあたりで一番高い木は白川さん宅のポプラか、祠の横に立っているクスノキだが、あれは電線に引っかかるので半分以上切ったため、もう低いので、高くはないと、丁寧に説明してくれる人もいた。
 しかし、高橋は見たのだ。これほど確かなことはない。それで、それを見た場所を探すと、すぐに見付かった。飲み物の自販機が二つ並び、一方はオール百円だったので、それで覚えている。そこに立ち、見たときの方角を見るが、ない。そんな方角など探さなくても、目立つのですぐに分かるのだが。
 迷い家というのがある。山中にそんなところにあるはずもない大きな屋敷がある。
 それに近いものかもしれない。
 
   了



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2019年06月03日

3407話 狸御殿


「家に何かおりましてなあ」
 かなりの老人だ。古い家に一人で住んでいるらしい。古いだけではなく大きい。旧村時代でも有数の農家だろう。だから旧家。しかし、今は一人暮らし。こういう古い家には何かがいたり、出てもおかしくはない。西洋ではそれを誉れとしているほど。これはそれほど古いという自慢だ。
 古さというのは誇るべき事だった。家系がまだ続いているので。幽霊やバケモノが出るのはその証し。
「何がいるのですかな」
「一人暮らしになってから出るようになりました。最初は何かいるような雰囲気だけでしてね。私が外から戻ってくると、つい今まで何かいたような。急にさっと姿を消したような」
「はい」
「次は寝ているときです。こんな広い家で一人は怖いだろうと言われていますが、生まれたときからここにいますのでね。それに自分の家が怖いなど思いもしません。もう見飽きるほど暮らしていますので」
「それで、寝ているときにも出たのですかな。あなたがいるときにでも」
「そうです。きっと眠っていて分からないと思い、出てきたのでしょう」
「見ましたか」
「最初は小さな物音でした。カチンとか、チョンとか。バサッとか、トントンとか」
「音だけですかな」
「何処でそんなのが鳴っているのか分かりませんから。それに部屋の中を見回してもいません。わざわざ起きて調べに行く気もありませんしね。きっと虫とかが入り込んだのでしょ。でもそれは人の気配だとは分かっているのですがね。しかし、そう考えるのが怖い。それで、トイレへ行っただけです。すると、音はやみました。やはり私に気付かれたと思い、鳴り止んだのでしょ。しかし、そういう音ではなく、衣擦れのような音とか、よく聞こえないひそひそ声も聞こえます」
「はい」
「これは幽霊ではないと思いました。もし幽霊なら歓迎ですよ。きっと先に死んでいった家族達ですからね」
「それでどうなりました」
「幽霊でなければ魑魅魍魎、妖怪変化の類いかと思い、博士に相談をと」
 妖怪博士は頷くともなく首を動かした。一寸首を突き出したような動作だ。
「それでどうなりました」
「相変わらず家に戻りますと、さっと引くように、気配も消えます。しかし何者かがいて何かをしていたのは間違いありません」
「複数ですか」
「はい、バケモノは一人というべきか一匹というべきか一体というべきか、迷うところですが、数人いるような」
「心当たりは」
「ありません。子供の頃から、そんな話は聞いていません」
「一人暮らしになってからですな」
「そうです」
「それからどうなりました」
「今度は夜中に偶然目が覚めたとき、不意打ちを食らわそうと、そっと部屋を回ったのです。もう暖かくなってきていますから、どの部屋も戸も襖も少し開けているのです。だから見回りやすい。足音さえ立てなければ、気付かれないはず。私はすり足で畳を滑るように移動し、二つ次の間に近付いたときです。背中を見ました。見たところ人です。着物でしょう。羽織の紋まで見えましたが、我が家のササリンドウではない」
「何でした」
「寄り合っていました」
「寄り合いですかな」
「はい、車座になり酒盛りしていました。音の正体はこれだった」
「それじゃ幽霊じゃありませんか」
「背中越しに、向こうの人の顔が見えました。これで誰だか分かると思い、背中が動いたときの隙間から正面を向いたその顔を見ました」
「どうでした」
「タヌキでした」
 妖怪博士は膝を崩した。
「これは何でしょう」
「タヌキの酒盛りです」
「はあ」
「タヌキの置物であるでしょ。酒瓶を持った」
「ああ、あれは酒盛りをするための」
「いやいや、それは分かりませんが。着物を着ているのでしょ」
「そうです。千畳敷のようなフグリは見えませんでしたが」
「金玉の袋ですな」
「そうです」
「寄り合いでしょ」
「タヌキの」
「そうです。まあ、名誉なことなので、そのままにしておけばよろしい」
「はあ」
「あなたの家が集会の場として選ばれたのですから」
「そんな話じゃなく、こんなバケモノがいるのですぞ。タヌキが夜中に着物姿で大勢で酒盛りをしているのですよ」
「座敷童子のタヌキ版で、しかも数が多い。これは縁起がいいのです」
「はあ」
「広い家で一人暮らし。タヌキ御殿として貸してやりなさい」
「そんなものですか」
「そのうち狸囃子が聞こえ、踊っている姿を見られるはず。いいじゃないですか賑やかで」
「ああ、そうですなあ」
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 11:28| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月02日

3406話 潜在力を引き出す


 倉田は急用が昼前にできた。前日分かっていたのだが、その時間まだ日常業務をやっている時間。これは欠かさずやっているので、日課のようなもの。しかし昼までかかる。だからそこからでは遅い。
 しかし敢えて早起きをして、昼のかなり手前に日課を済ませよとしたのだが、前日と同じ時間、もしくは少し遅い目に起きてしまった。特に早起きを考えなくても、早く起きることがある。だからそんな日が今日なら都合が良かったのだが、遅い目だ。
 そこから急いで日課をしないといけない。忙しい午前中になるのは仕方がない。午前中の用事が入るのは希で、ほとんどないといってもいい。数ヶ月に一度。
 急いだためか、早い目に終えることができた。昼前までにはまだ余裕がある。これで十分間に合う時間。
 倉田はほっとしたが、では今までの日課にかかる時間は何だったのかと考えた。別にゆっくり気味でもなかった。普通のペースだ。そのペースが遅かったのだろう。しかし、遅くする気などない。
 ところが少し急ぐことを意識して始めると、あっという間に終わった。
 この違いは何かと考察する。
 結局分かったことは急がなかっただけのこと。だから急げば早くできる。それだけのこと。さっさと次々にこなしていけば、早い。あたりまえのことだろう。
 物理的に、どうしてもかかる時間は当然ある。ある程度は時間がかかるのだが、その掛かり具合が短くなる。余計なことをしないで急げば早くできる。こういうあたりまえのことしか導き出せない。
 しかし、集中してやったので、疲れた。こんなことを毎朝できないだろう。それと、あまり考えないで、さっさとやったことも大きい。思案する暇がないので、適当にやった。妥当かどうかより、目的を果たすことを優先させた。これは機械的で、あまり良いことではないのだが、思案することでかかる時間が省けた。
 要するに手を抜いた上、さらに手を早く動かしたのだろう。だから当然早く済んだ。
 それで、昼前の用件を済ませることができたのだが、忙しかった。
 慌ただしい午前中。こんなことを毎朝やっていると疲れるだろう。
 普段よりも強いパワーを出せるのだが、火事場の馬鹿力のようなもので、それが標準になるとまずい。
 だから潜在力を発揮するとかは、疲れて仕方がないはず。
 翌日からまたいつもの午前中の日課が続いた。できるだけ午前中に入る用事は避けている。午後に回す。だが、どうしても午前中でないといけないのがたまにある。その午前中だけ、潜在能力全開になるのだが、言うほどの力ではない。ただ単に急ぎ気味になればいいだけのことだろう。
 潜在能力など、誰でも引き出しているのだ。
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 10:37| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする