2018年01月10日

3499話 仕事場風景


 岸和田は自宅でもできる仕事をしている。そのため通勤時間はない。あるにはあるが寝間から机までの距離。しかし布団の中でもできるので、この場合はゼロ。だが、これではメリハリがないので、朝食後、一度外に出る。散歩の趣味はないので、一番近くにある喫茶店へ通っている。コーヒー代を交通費だと思えばいい。また朝ご飯を作るのが面倒なときはモーニングセットを頼めばいい。最近はそちらの方が多くなった。トーストと卵だけだがモーニングサービスなので、値段はコーヒー代に含まれる。だからこれは食べないと損。最初の頃はコーヒーだけだったが、いつの間にかここで朝食を取るようになる。
 そしてしばらく今日の予定とか、段取りなどを考える。新聞や雑誌が置いてあるので、それも読む。
 そして自宅へ戻るのだが、これが出勤に近い。喫茶店から家まで少し歩かないといけない。これが通勤路になる。だから逆転した。喫茶店がまるで自宅で、本当の自宅が会社のように。
 この切り替えは上手くいき、蒲団から出ていきなり仕事を始めることを思えば、いい感じだ。
 ところが仕事が減り、一時はなくなったことがある。そのときも、その喫茶店へ行くのだが、予定や段取りを組む必要はなく、朝食を食べ、コーヒーを飲むだけになっていた。
 そして自宅に戻ってもやることがないため、適当に過ごしていた。休憩しているのと変わらない。そのうち、ゲームを始めたり、テレビを見たり、本を読み出した。
 そういう日が長く続き、もうこの仕事は無理かと思ったとき、少ないながらもまた仕事が入ってきた。しかし、そのときのテーブル周りは、もう仕事をやるような雰囲気ではなくなっている。これは仕事仕様に片付け直せばいいのだが、パソコンはゲーム機になっており、ここで仕事をする気にはなれない。そんなものしなくてもいいのだが、そういう雰囲気に部屋がなっていた。ここでは頭が働かないと。また仕事をするのがもう嫌になっていたこともあり、片手間でやることにした。
 しかし、ゲームや動画などを見ていると、なかなか仕事に頭が切り替わらない。
 そこで岸和田は朝に行く意味のなくなった喫茶店で仕事をすることにした。本来は自宅で仕事をするため、休憩の場だったのに、そこに仕事を持ち込んだ。
 これで逆転した。喫茶店が仕事場になり、自宅は普通の自宅になった。自宅では仕事は一切しなくなる。
 しかし、考えてみると、こちらの方がノーマルなのだ。毎朝喫茶店へ通うのだが、それは仕事場へ行くようなもの。そして戻ってきたときは、自宅が休憩所になる。普通だ。喫茶店はそれほど粘れないので、何軒か回るようになる。喫茶店から喫茶店へと渡り歩くのではなく、一度自宅に戻って昼ご飯を食べたり、夕食を食べたりとかもする。だから日に何度も出勤をしていることになる。
 自宅で仕事をしていたころはだらだらとやっていたのだが、喫茶店を仕事場にすると集中できるのか、短時間だが効率がよかった。
 喫茶店はオフィスではない。しかし、人がいる。一人で部屋で仕事をしているより、こちらの方が社会に出ているような気になる。
 こういうノマド風な人がその喫茶店にもいる。岸和田のノートパソコンは十インチだが、そのノマドは十三インチ。これは負けていると思い、十四インチを買った。流石に十五インチは重くて持つのが大変。
 その後、そのノマドは七インチのタブレットを持ってくるようになった。仕事をしている人ではなかったのだろう。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 10:26| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月09日

3498話 フェチ

フェチ
「今年も一つ年を重ねましたなあ」
「いや、まだ新年始まったばかり、数日重ねただけですよ」
「いや、去年の分」
「しかし、一年ぐらいでは年は感じないでしょ」
「それもそうですが」
「三年前との差も、分かりにくい。これは健康状態を言っているだけで、他の因子を外した感想ですがね」
「じゃ、何年ほど」
「一気に年をとるわけじゃなく、徐々に来ています。ガクンとある日きついことになることもありますが、大概はじわじわときているので、そのスピードがよく分からないほど」
「私は数年前、病気をしましてねえ。それがなかなか治らないとき、年を取ったと感じましたよ。その後、徐々に治り始め、やっと去年あたりから病は消えました。すると、若返ったようになりましたよ」
「病のせいでしょ」
「そうです。年を取っていくのは病気じゃありませんからね」
「今は本当に治ったのですかな」
「はい、以前のようになりました。まあ、それで普通なんでしょうねえ。特に元気というわけではなく」
「精神的にはどうですか」
「ああ、もう年ですなあ。これから先、何かやろうとしても、時間がない。だから短期でできるようなこととか、どうせ今からでは無理なことでも、一歩一歩先へ行けているだけでも、まあいいかという感じで、急がなくなりました。急いでもどうせこの年では辿り着けませんから」
「ほう、それは結構なことで」
「そのためか、今年の抱負を作りませでした。どうせもう大したことはできませんからね」
「でも、何かやっておるのでしょ」
「残るものは残ります」
「やった結果ですか」
「いや、未だにやっていることがです」
「やれることが減り、やりたいことが減り、その中で、まだやり続けているものがあると」
「そうですなあ」
「本能的なことですかな」
「それはベースで、誰にでもあるでしょ。そうじゃなく、不思議と若い頃から続いていることがあるのです。これは大したことではないし、それを目標にしたこともありません」
「ほう、何でしょうなあ」
「誰にでもあるでしょ」
「悪趣味とか」
「それに近いですが、決心しなくてもできることです。しかし、それをメインだと思って意識しだすと駄目になりますから、そっとしてます。だからこれは公言できません。それに言いにくいですし、言ってもあなたには理解できないと思います」
「ますます気になる」
「いやいや、話題にしては駄目な話なんですよ」
「じゃ、聞きますまい」
「あなたにもあるでしょ」
「確かにありますが、それは」
「それは」
「ちょっと言えません」
「そうでしょ」
「確かに言いにくいですなあ」
「結局私的なものが残るんですよ。決してその人にしか分からないことじゃなく、もの凄く一般的なことでも、接し方が私的すぎるんでしょうねえ」
「何を差しているのか分かりませんが、私事は意外と残りますなあ」
「私は数年前まで病んでおりまして、身体がえらかったのですが、そのことだけはできました」
「ほう」
「いやいや、やめておきましょう。ついつい何をやっていたのかを言い出しそうになりますから」
「それは危険ですなあ。これ以上聞くのはやめましょう。私にもそのタイプのことがあることを改めて知りました。やはりそれは表に出すとまずいということがよーく分かります」
「はい、有り難うございます」
「いえいえ」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:21| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月08日

3497話 慣れ親しむ

慣れ親しむ
「取引会社を変えるのですか」
「何か粗相でも」
「お互いにない」
「ではどうして」
「慣れ親しみすぎた。それはいいのだが、重くなった」
「重用されているからでしょ」
「その気になればいつでも変えられることを見せたいわけじゃない」
「じゃ、次は何処と」
「昔からある会社だがね。かなり大きい。大きすぎて嫌だった。しかしサービスはいいし、時代に合わせ続けておる。今は主流で大メジャーだ。それだけのことはある。大きなグールプの代表でもあるのでね」
「しかし、我々とは水が合いません」
「寄らば大樹の影」
「はい、それでは今までのシステムやその他全て入れ換える必要があります」
「古いシステムは捨ててもいい」
「今も使っていますよ。乗り換えると、一からまた」
「似たようなものだ」
「しかし実際はどうなのですか」
「実際?」
「本当のところです」
「面倒になった」
「何がですか」
「古い付き合いがね。しがらみができすぎた。悪いことじゃないよ。いずれも良いことなんだ」
「それだけのことですか。反発されませんか」
「それがあるから切りたいんだ」
「え」
「今度乗り換えたい相手はドライでねえ。切っても、あ、そう程度でいい。取引先が多いので、そんなものだよ」
「しかし、どう説明しますか。落ち度もないし」
「慣れ親しみすぎたのが落ち度だ」
「はあ」
「縁ができすぎた。これが重い」
「では、どう説明します」
「何か作れ」
「落ち度もないのに」
「適当に作れ」
「あ、はい」
 そう決めて、実行した。
 ところが、一番大事な取引先が連動するように消えてしまった。
 それで社長はガッカリした。
 その理由は皮肉にも、同じだった。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 12:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月07日

3496話 昔へ帰る人


 山間を走る国道が急に細くなってきたが、石黒は気付いていないようだ。いや分かっているのだが、あまり見ていないのだろう。国道を徒歩で故郷まで帰ることにしたのは反省の時間を持ちたいため。結構時間はかかるが、そこは昔の大きな街道でもあるので、次の町は宿場町。そんなものはもうないはずだがビジネスホテル程度はあるだろう。昔の人が歩いた道だ。
 IT関連の会社を辞め、国へ帰るのだが、これは上手く行かなかったため。石黒程度のレベルでは、もうちょっとネットやデジタルものに強い程度ではやっていけない時代になっていた。それで故郷へ帰り、やり直そうと考えた。しかし、まだ決心が付かない。心の整理もできていない。
 そこでその時間を作るため、徒歩で帰ることにした。これなら歩きながらじっくりと考えられる。様々なことを反省できる。
 そして出発してから三日目。結構ホテル代がかかる。車で帰ればガソリン代だけで済むのだが、売ってしまった。だから電車でも高速バスでもよかったのだ。
 しかし、そういった少しでも早くとか、少しでも効率よくとかに、もうIT業界にいたときは飽き飽きしていたので、思いっきりローテクなことがしたくなった。デジタルではなくアナログを。
 三日目も同じ国道だが、道が狭くなっている。山間に入ったためだろうか。しかし左右に余地があり、崖や川で拡張できないわけではない。田舎に行くほど狭くなるのは分かっていたが、少し狭すぎる。
 四車線から二車線になったのは納得できるが一車線ではトラックがすれ違うには待機場所がいるだろう。
 それよりも故郷に戻ることは昔に戻ることになる。これは今では望んでいることで、過去へ向かいたい。出直すとは、出発点に戻ることで、綺麗さっぱり国を出てからのことは忘れようと思った。
 頭の中はそんなことで一杯で、何とか気持ちも均されていき、初期化に成功したのかもしれない。過去に戻るべきだ。前へ前へと行きすぎたのだ。もっともっと後退すべきなのだ。
 しかし車の姿が見えない。
 歩道のない道なので、その方が好ましいので、気にはしていなかったが、田舎とはいえ国道。車の姿を見ないというのも不思議だ。
 そんなことはどうでもよく、メインは気持ちの整理、頭の中で、纏めだした。けじめを付けるための時間はまだ十分ある。
 山間の町に出たのか、建物がある。最初に目に入ったのは火の見櫓。田舎ではよくあるが、それほど辺鄙な場所ではないはず。
 そして町の入り口はまるで宿場町。これは昔の宿場町跡が残っているので、観光地化しているのだろう。
 そう思いながら夕暮れも近いので、ビジネスホテルを探そうと思ったが、町の様子からそんなビルは無理だ。そのかわり道沿いに宿屋が軒を連ねている。宿場町なのだから、探す必要などない。その多くは民宿だろうか。普通の家に近い。中には茅葺きもあるし、玄関先に大きな水車がある。回っていないが。
 宿場町風観光地に入り込んだのだが、人がいない。これはおかしいと思い、宿屋の中を覗いてみた。すると、三和土の向こうに帳場があるらしく、そこに老婆が座っている。
「まさか」
 そう思うのは、髪型が時代劇のためだ。髪は薄いが、日本髪を結っている。お婆さんが単に髪を後ろに纏めて団子にしているのではなく、左右に開いている。カツラの日本髪は見たことはあるが、この老婆の髪型はリアルすぎる。
 それで入るのをやめ、宿場のメイン通りを進む。そして人がちらほらと見えるのだが、これも時代劇。まるで映画のオープンセット。
 昔に戻りたい。とは思うものの、これでは昔すぎる。
「やりすぎたなあ」
 と思いながら、適当な宿屋に入ったが、入る前、少し躊躇した。心配した。
 宿賃が高いのではないかと。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 12:28| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月06日

3495話 ある交渉


「彦左衛門が出てきたか」
「はい、これはちょっと」
 彦左衛門とは隣村の実力者。彼がわざわざ出てくるのだから、これは重要なことだろう。
 隣村との揉め事があり、その話し合いだ。
「こちらは誰を出しましょう」
「村おさを出すまでもあるまい。それにまだ若い」
「では庄蔵さんが」
「わしか、わしは彦左衛門が苦手でな。相性が悪い。いつも言いくるめられる」
「では」
「お前が行け」
「私はそれほどの力はありません。彦左衛門とは渡り合えません」
「困ったなあ」
「先生にお願いしては」
「あの先生か」
「浪人とはいえ御武家。格は百姓の庄左衛門とは違います」
「あの先生は、ちょっとなあ」
「武芸はだめですが、学者です」
「まだ寺におるのか」
「もう長いです。この村で落ち着きたいともいっております」
「あの御仁に村のことが分かるのか」
「揉め事は猟師の人数でしょ」
「こちらが大勢出し過ぎた」
「取り決め違反ですから」
「その程度の問題なら、先生でもいいか」
「弁舌は立ちます。漢文で喋ります」
「漢語ができるのか」
「はい。ただの漢学者ではありません」
「通訳をやっていたとか。それで逃げたとか」
「逃げた。上手く話せないので逃げたのか」
「密貿易です。その通訳です」
「それで見付かって逃げたのか」
「はい」
「悪くはない」
「そうでしょ。そういう荒事をこなせる先生ですから。猟師の人数を減らしてくれというような話し合いなど簡単でしょ」
「じゃ、頼むか。こういうときは癖の強い者を出すに限る」
「で、聞き入れますか」
「約束違反だからな。一応聞き入れる。猟などこっそりやればいいのじゃ。向こうもそれをやっておるくせにな」
「はい、先生なら彦左衛門と渡り合えましょう」
「しかし、なぜ彦左衛門が来るのじゃ。猟の話ではなく、別のことで来るのではないのかな」
「そうですねえ。表向きとは別の用件で」
「それなら村おさを出す必要があるが」
「若いので、そのあたりの勘が働きません」
「じゃ、わしがやはり出るか」
「先生は」
「本当は猟の話ではなさそうなので、わしが出る」
「それがよろしいかと」
「しかし庄右衛門が苦手でなあ」
 こういう話し合いは一対一ではしない。
「じゃ、先生を付けましょう」
「そうして貰うと有り難い」
「では、そのように計らいます」
「うむ」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 12:25| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月05日

3494話 正月様の御旅所


「正月も過ぎましたなあ」
「いや、まだ松の内ですよ」
「え、いつまでですか」
「七日か十五日までは正月ですよ。それに私なんて一月を正月と思っていますから、月末までです」
「それは長いですなあ」
「まあ、門松が取れれば正月は終わりですがね」
「今日はまだ三日目。これで終わるのかと思いましたが、まだ三日目なんだ」
「正月三が日というやつです。まあ、この三日間だけでしょ。正月気分でいていいのは」
「正月様は来ましたか?」
「何ですかそれは、年神さんのことですかな」
「うちの田舎では正月様と呼んでます。表からではなく裏から来ます。竈に来ますから、炊事場にお供え物をするのです。餅とか蜜柑とか」
「じゃ、家単位の神様ですなあ。うちでは年神さんと言って、新年を持ってくる神様です」
「干支とはまた違うのですか。今年は戌年なので、犬が年神様ではだめですか」
「それじゃ犬神様になってしまいます」
「どちらにしても、神社などへ行かなくても来てくれるんですね、神様が。もう正月様のお供えはしませんし、普通のその辺の神社へ参ってますよ。来てくれるのなら行かなくてもいいんだけど、田舎の話で、ここには来てくれないかもしれません」
「そうですねえ。元旦に神社などには昔は行かなかったようですよ。あんなに大勢の人が一気に行くなんてのは最近の話かもしれません。まあ、誰にでも新年は来ますからね。神様から来てくれます」
「そうですなあ」
「ところで初詣へは行かれましたか」
「夜中に行きました。日が分かり、年が変わってすぐに」
「それは素早い。寒いし、眠いでしょ」
「いや、年越しのときは夜更かしになりますよ。夜中の二時か三時になるとだれてきますがね」
「初詣は何処へ」
「これは私が信仰している祠です」
「ほう」
「長い間、祠だと思っていたのですが、物入れでした。小さな小屋でした。中には入れませんがね」
「何の小屋です」
「農具でも入れておくんでしょうなあ」
「はあ」
「田んぼの横にありましてね。畦道沿いです。私はずっとそれが地蔵でも祭ってあるのだと思っていましたが、そうじゃなかった。それに使っていないのか、放置状態。休耕田です。こういうのは家庭菜園に切り替わることが多いのですが、そのまま放置です。だから野原のようになってましたね。そこに祠。これはいい景色だ」
「はい」
「それで、ただの物置だと分かってからでも初詣は、ずっとそこでやってます」
「でも神様はいないのでしょ」
「ところが私と同じようにお参りに来る人がいるのですよ。丑三つ時前でしょうかなあ」
「その人も物置だと分かっていて来るわけですか」
「犬小屋のような大きさです。ポンプとか、モーターとかそういったものが入っているような。錆びちゃまずいようなね」
「その人もあなたと同じように祠だと思って来るのですかな」
「いや、物置だと最初から知っているようです」
「ほう、じゃ、なぜお参りに」
「訳を聞くと神様の御旅所なんです」
「御旅所」
「休憩所のようなものです」
「ほう」
「この辺りに来る様は、ここで休憩するらしいです。だから正月様が来てくれる前に、ここで正月様に挨拶するとか」
「でもその物置、昔からはないでしょ」
「そうです。しかし、良い場所なので、使うようになったのでしょ。祠の大きさから考えて、かなり小さな神様のようです」
「じゃ、その物置がなくなると、別の場所へ」
「そうでしょうなあ」
「珍しい話ですねえ。有り難うございました」
「嘘ですよ」
「ああ、いけませんなあ、正月から嘘は」
「でも普通の神社も、そういった嘘の固まりじゃありませんか」
「はいはい」
 
   了
posted by 川崎ゆきお at 11:58| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月04日

3493話 寛ぎの場


「何処で寛げるかでしょうなあ。楽できるとか」
「何処でしょうか」
「以前はそういう場所が何処かにあるのではないかと考えていたのですが、最近は自分がいつもいる場所に変わりました」
「いる場所?」
「いつも座っている場所です」
「はい」
「安楽椅子とまではいきませんが、べた座りのできる座椅子です。前のテーブルはコタツです。そこにパソコンが乗っています。キーボードも。以前は真正面にテレビがありましたが、パソコンでもテレビを見ることができるので、テレビは使っていません」
「そこに座っておられるときが一番寛ぐのですか」
「ここは私の司令塔。中枢部です。ここから全ての指令を出せますが、実際に動くのは私だけです」
「はあ」
「この指令というのは次は何をしようかという作戦に基づいて実行されます」
「つまり一人参謀会議を行う場なのですね。それじゃ寛げないのではありませんか。テレビを見ているようなわけにはいかないでしょ」
「いや、参謀会議は私一人なので、思い付いたことを実行すればいいのです。殆ど実行していませんので、最近は作戦も練っていません。練りに練った作戦ほど面白味に欠けます。そして重くて腐腐になってしまいます。思い付けばさっとすぐにやる方が好ましいので、司令塔をやる時間など実際には瞬時です。だからあとは寛いでいます」
「何をされて寛いでいるのですか」
「テレビは殆ど見ていません。これは見ていて寛げませんから。それにいらぬ刺激が一方的に襲ってきますからね」
「じゃ、ネットですね」
「そうです。こちらの方が知りたいものを探して見ることができます。まあ、それも限りがありますから、それ以上のことは分かりませんし」
「それもよくある過ごし方ですね」
「そうですねえ。ただ、その寛ぎ方は何もしたくないときに限られます」
「はあ」
「それと私は仕事をしていた時期は、それをやっているときが一番寛げました。仕事を辞めてからは自分の居場所がなくてね。何かしないと一日が長い。だから色々と用事を作って忙しそうにしていましたが、何か違うのです。忙しいので当然寛げません。これは無理に作った用事のためでしょ」
「はい」
「目的が寛ぐことだと気付いたとき、何が一番寛げるのかを考えてみました。何をしているときが寛げるかをね」
「それが部屋でぼんやりとしていることだったわけですね」
「そうです。しかしこれがなかなか難しいのですよ。一番簡単ですぐにでもできることなのですがね」
「退屈するからでしょ」
「それもありますが、時間を忘れるほど寛げるようなものが理想です。なぜか最近、気ぜわしく日々が過ぎ去りましてね。ゆっくりできるはずなのに、なぜか時間が押し気味で、ゆとりがありません」
「全部が全部ゆとりの時間じゃないのですか」
「そうなのです。一日のんびりとしていていいのです。それなのにゆっくりできない。寛いでいるという実感がなくなりました」
「じゃ、部屋の中のその場所は寛げる場所ではなかったのかしれませんよ」
「そうなんです」
「そうでしょ」
「じゃ、他にそんな場所があるのでしょうや」
「さあ、こればかりは個人差がありますし、そんな場所など必要のない人もいますよ。あったとしてもたまに行くだけでしょ」
「たまねえ」
「そうです。ずっと寛げるようなことって、ないと思いますよ。たまにそういうのがある程度でしょ」
「そうですなあ」
「それと」
「まだありますか。他に」
「蒲団に入り、さあ寝ようかと思うとき、寛げますよ」
「ああ、一日が終わって、あとは寐るときねえ。確かに寝ているときは寛いでいると思いますが、眠っているのでそんな意識はないので、残念ですが」
「人は必ず寝ます。だから皆さんそこで寛いでいるのですよ」
「いやあ、参考になりしたよ。寛ぐための作戦なんていらないんだ」
「そうです」
「有り難うごじゃいました」
「いえいえ、御達者で」
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 12:20| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月03日

3492話 視願


 平沼は無事年を越したのだが、昨日から今日になった程度で、大した変化はない。しかしいつもの朝ではなく、新年の朝なので、少しは受け止め方が違うようだ。そういえば寝る前も今年はこれで終わるという思いが少しはあった。今日が終わり、明日になる規模よりも一年の規模の方が大きいが、実感するほどの値が平沼にはない。仕事納めもなければ忘年会もなく、元旦の朝の食事も昨日の残り物。ご飯だけは炊いたが、普段と変わりはない。
 雑煮でも作ればそれらしくなるのだが、年末に買た餅を食べてしまった。
 初詣に行く気もなく、また誘われることもなく、いつものように食後の散歩に出ただけ。その近くにも神社はあるのだが、寄らない。その神社、たまに用事のついでに寄ることはあるが、通りから見ているだけ。朝の散歩はそのコースには入っていないので、お参りもなし。また、神社に行くことはあってもお参りはしない。手も合わせなければ賽銭も投げず。
 信仰心とか、信心には興味がないわけではなく、結構神秘的なことは好きで、験を担ぐことも多いし、迷信だと分かっていても、一応はそれを立てるタイプ。ではなぜ初詣をしないのか。初でなくても、仕舞いでも詣でない。もっと別のところにそのタイプのものがあると思っている。たとえば誰も信仰しないような、ただの木とかだ。当然神木でも何でもなく、ただ古いだけとか、目立たないところにあるとか。枝振りがいいとか。何処か自然界の驚異のようなものが出ているような木を選ぶ。それで木に願をかけるわけでもなく、手や身体を当ててエネルギーを吸収するわけでもない。あれは木の精が入ってくるのではなく、逆に木に抜かれる。だから悪いものを木に吸い取ってもらうにはちょうどいい。アースのようなものだ。神木に悪いガスを捨てるようなもので、犬の小便と変わらない。神木を汚しているのだ。
 では、お気に入りの木に対して、平沼はどう接するかというと、視願をする。これは遠隔ものだ。直接触れたりしない。視願というのは一種の念波だろう。目で物を言うようなものだが、言葉はない。目で少し木に挨拶をする程度。願をかけてもそれは言葉だろう。神様なら知っているかもしれないが、日本の神様は英語では駄目だ。
 木には耳がない。だから木に気をかける。視願は一瞬だ。
 これだけでいい。だからもし平沼が神社でお参りをするとすれば、遠くからでもそれが可能。しかし、それをしないのは、神社には神様などいないからだ。もし神と呼ばれる何かがいたとしても、それは何かではなく立派な名前があるのだが、神秘性が薄い。自然発生的な精霊の方がまだしもリアリティーがある。
 要するに作られた神々ではなく、手垢の付いていないタイプを平沼は好んだ。人が弄れないものがいい。これもまた自然崇拝のようなタイプに入るのだが、そちらの方がまだしも清い。
 山の精、草の精、水の精、谷の精。そういったものと接する方を好んだ。人格のある神というのは生臭いのだろう。作られた神は作った人の臭みが出る。
 空ゆく雲。風。そういったものに視願を当てている方が効くような気がする。当然元旦の初日の出もいいのだが、その時間平沼は寝ている。起きてまで見ようとは思わないので、その程度の扱いだ。
 これは信心ではい。信じていないためだ。少し距離のある関係でいる方を好む。だから樹木にちょと目配せする程度がいい。
 それでその朝も、いつもの散歩コースを歩いただけだが、最近気になっている廃屋の庭木があり、その枝振りが気に入った。神詣でしないで、そっとその木に視願を送ったが、願い事の中身はない。願い事全般という欲ばったものではなく、木に対して、気にかけている。その存在を認識しているという程度でいい。
 また更地が野原のようになり、あまり見かけない地味な野草が咲いていた。これはいけると思い、視願した。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 11:46| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月02日

3491話 玉手箱


 常世の国から玉手箱を持ち帰った北島は、開けるかどうかと迷った。玉手箱の意味を知っているからだ。しかし、常世の国では玉手箱といっているが、別のものかもしれない。
 それは宝箱かもしれないし、パンドラの箱かもしれない。一番いいのは宝箱。しかし、どんな宝だろう。これが大判や金塊や宝石類ならもっと重いはず。持った感じスカスカで、箱の重さ程度しかないように思える。だから通常の玉手箱で煙りしか入っていないのだろう。
 それなら開けると白髪のお爺さんになってしまう。一気に時が立ち、その間の北島の人生はなかったも同然。北島だけが時を経るのではなく、周囲も経ており、もう北島を知っている人もいなくなる。
 パンドラの箱ならどうだ。これは開けると全ての災いなどが飛び出し、パニックになるが、直ぐに閉めれば希望だけ底に残るらしい。だから希望を得るには、まずは災いを先に走らせないといけないことになる。希望などいつでも手に入る。しかし、いい状態のときは逆に希望が希薄になるだろう。満ち足りているため。
 北島は常世の国。これは島だった。そこの姫と夫婦になるが、風の便りで親が死にかかっているので、見に行ったのだ。しかし姫はここを出た人は二度と戻ってこないことを知っていた。それで餞別代わりに玉手箱を渡したのだ。
 北島はその意味が分からなかった。ただのお土産だと勘違いした。しかし、玉手箱を持ち帰った人の話を知っている。開けると老いるし、周囲も様変わりする。親の家はもうないほど村も変わってしまっているだろう。病気の親を見舞いに行けなくなる。
 開けるとやはり宝箱で、軽いがものすごく価値があり、直ぐに換金できるものが入っていたとすれば、薬代になるし、医者にも診せられる。しかし、何が入っているのかは分からない。
 北島は浜辺から村へ戻る途中、気になって気になって仕方がない。それに持ち歩くのも邪魔だ。
 そして親の家が見える砂山の上で開けてしまった。案の定白い煙が出た。正真正銘の玉手箱だった。周囲が煙で真っ白になる。自分の髪の毛も真っ白だろうと思い、一本抜いてみたが黒い。身体を見ても老いている様子はない。
 やがて煙が引いたとき、姫が嬉しそうな顔で立っているのが見えた。
 ワープ装置だったのだ。
 
   了

posted by 川崎ゆきお at 12:57| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

3490話 ヒキガエルの大将


「退却じゃ」
「まだ何もしていませんが」
「これは負ける予感がする」
「いやいや、それではここまで進軍した意味が」
「分かっておる。しかし勝たねば意味はなかろう。無駄に怪我人を生むだけ」
「それはありがたいのですが、それでは使命が」
「では進撃した振りをしよう」
「はい、その方がまだ見栄えがあります。何もしないで、敵の姿も見ないで引き返すよりは」
「そうじゃな」
 槍部隊が所謂槍衾を張りながら押し出していった。騎馬は使わない。
 敵は気付いたのか、出てきた。先陣は騎馬。これが一気に駆けてきた。
「怯えるな! 騎馬では槍を越えられぬ。横の隙間をもっと詰めろ」
 これは敵の脅しで、流石に馬では突っ込めない。後方から投石隊が飛び出してきて、石を投げ、その後ろから弓隊が迫ってきた」
 投石で槍衾が揺らいだ。そこに弓。
「だから、引くのじゃ。引けーい! 引けーい!」
「出ましたねえ」
 この大将がヒキガエルと呼ばれている由縁。「かかれー」というかけ声は勇ましいが、「引けー」の大将は悪い名を残すのだが、配下はその声をいつも待っていた。
 弓が届かない距離まで引くと、もう部隊は崩れ始めている。そこを騎馬が突撃してきた。
 既にヒキガエルの大将は馬で逃げていた。それを追うように全軍全速で後退。このときの早さはすさまじい。
 しかし騎馬は直ぐに追い付くが、人数が少ない。逃げながら馬を槍で囲み、弓で射る。
 退却したとはいえ、騎馬を止めただけ。しかし槍や弓隊が追撃してくる。
「散れい、散れい。固まるな」ヒキガエルの大将が叫ぶ。本隊が何処にあるのか分からないように散らすのだ。当然馬印とかは倒している。
 敵は勇敢だが、相手が悪い。逃げ専門のヒキガエルの大将率いる部隊のため、逃げることに関しては超一流。
 追撃してきた敵軍も、深追いしすぎたのに気付いたときは、引きの大将の友軍が、敵の左翼を突いた。左翼が出過ぎたのだ。
 戦いに勝利したが、一番の手柄は左翼を突いた部隊で、ヒキガエルの大将は引いてしまったので、褒美はなし。
 しかし、でっぷりと太った総大将の殿様は、決してヒキガエルの大将を褒めないが処分もしない。
 このトノサマガエルとヒキガエルのコンビは結構続いた。
 
   了

 
posted by 川崎ゆきお at 11:24| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする