2018年09月13日

3745話 オシロ様


「お待ちしています。どうぞ」
 秘書課の部屋の奥に社長室がある。これは別室と言われ、正式な社長室ではない。この会社、会長はいない。
 秘書室と社長室までの通路というのはない。オフィス内をじぐざぐに横切るようにして突き当たりの壁まで行く。そこにドアがある。決して社長室のドアではなく、掃除用具でも入れている物置のような狭いドア。
 平の三村は社長室などに入ったことがない。ましてや別室など、その存在さえ知らなかった。
「君かね。三村君といったかね」
「はい」
 別室は簡素なものだが、仕切りがあり、ベッドがある。
「屋上で見たのかね」
「はい」
 屋上に何か祭ってある小さな祠がある。鳥居からしてお稲荷さんだ。別に珍しくも何ともない。だからそれを見たのではない。
「本当にキツネだったのか」
「はい」
 稲荷信仰というのはキツネを拝む信仰ではない。しかし、この祠はキツネが御神体。
「猫じゃないのかね」
「キツネです」
「じゃ、イタチか」
「いえ、白狐です」
「それは珍しい。キツネを見ただけでも珍しいのに、白いとは」
「はい」
「本当にキツネだったのか。どうしてそう言える」
「尾が太かったです」
「猫や犬にも尾の太いのがいるだろう」
「じゃ、猫かもしれません」
「そうだろ。犬は屋上まで上がれん。あの硬い体では」
「貂かもしれません」
「テンもイタチも同じようなもの。似ておる」
「じゃ、やはり猫でしょうか」
「ペットが逃げ出したのかもしれん。あの屋上、静かだし、灌木もあるし、花壇もある」
「じゃ、そうかもしれません」
「しかし、白いというのが気になる。ところで君は屋上で何をしておった」
「煙草を吸いに上がりました」
「オシロ様参りじゃないのか」
「祠があることは知ってましたが、お稲荷さんでしょ」
「オシロ様じゃ」
「はあ」
「わしら田代家の先祖神、氏神様だ」
「キツネなんですね」
「白狐」
「はい」
「それを見たというので、驚いた」
「すぐに消えました」
「ぱっとかね」
「消えましたが、また出るかもしれません」
「いつのことだ」
「先週です」
「報告が遅すぎる」
「いえ、係長にそのことをすぐに言いましたが」
「まあいい」
「はい」
「君はこれから祭司じゃ」
「え」
「オシロ様担当とする」
「はあ」
「何かの縁だ。そうしてくれたまえ」
 社長はすぐに秘書を呼び、辞令を作らせた。
 三村は総務部祭事課祭司係長。つまり平社員から一瞬にして係長になった。
 世の中には色々あるが、これは有り得にくい部類だろう。
 
   了


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2018年09月12日

3744話 提督の決断


 雨がパラパラし始めた。ぽつりぽつりと降り出した。山田は傘を差そうかと思ったが、この程度ならまだいいと、そのまま自転車を漕いだ。傘は自転車に突っ込んでいるので、いつでも差せる。
 秋の雨。少し冷たいが、まだ夏の終わり、昼間は暑いと感じることの方が多い。しかし夏の薄い衣服なので、濡れ出すと一気。
 しばらく走っていると、徐々に降りがきつくなってきた。それでもまだ大丈夫。
 さらに行くと、もう目的地が見えてきた。このまま一気に早く漕いで濡れる時間を縮める方がいい。傘を差すには自転車を止める必要がある。サドルの下と後輪の隙間に差し込んであるので片手だけだと引っかかるため、引っ張り出すのは無理。
 しかし雨はザーと音で聞こえるほど強くなっている。パラパラのときは音はない。このザーザーは何かに当たって音を立てているのだろう。今、傘を差せばビニール傘のパンパンという音に変わるかもしれない。傘にも音色がある。張った音もあれば、弾力性のある柔らかな音も。
 目的地はもうすぐ、そこに着けばもう濡れなくてもいい。しかし降り方が結構強く、かなり濡れだし、衣服の色が変わりだし、冷たいものが肌に来た。これが真夏ならいい感じかもしれないが。
 どうせ濡れたのだから、ここで傘を差してももうあまり濡れ方は変わらない。だが今ならまだ半びしょで、びしょ濡れではない。その差は大きい。
 目的地に着いた後、乾く時間に関わる。半びしょとびしょ濡れとでは時間が違う。しかし自転車を止め、傘を抜き取り、傘のひもを外している間に着いてしまう。それと自転車に挟んでいたビニール傘はくっついているはずなので、一気には開かない。
 狭い道。後ろから後続の自転車や車も来ている。だから止まりにくい。
 どうせ濡れている。
 山田はスピードを上げることで、濡れを少しでも抑える選択をした。まるで連合艦隊の提督のように決断した。
 雨が顔に当たり、目の中に入るので、細めた。作戦は成功したとも失敗したとも、どちらとも言えないような結果になったが、反省するとすれば、雨がパラパラし始めたとき傘を差せばよかったのだ。
 こういうことは何度もあったのだが、パラパラ程度ではほとんど濡れないこともあったので、必ずしも提督の決断が間違っていたとはいえない。
 
   了


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2018年09月11日

3743話 地道に生きる


 暑くて何ともならない夏が終わったのか、涼しい風が吹き出した。これで何ともならなくはなくなったのだが、三島はやることがない。だから何ともならなくてもよかったのだが、何とかしたいという気持ちが発生した。これは頭がクールダウンし、冷静に物事を考えられるようになったため、もう部屋も頭も冷ますクーラーはいらない。
 三島は何かをしたいと思うようになったのだが、これといったネタがない。それよりも片付けないといけない用事は山ほどある。それをやればいいのだが、やる気がしない。やる気はあるのだが魅力のあるネタがないのだろう。地味なネタばかり。しかも放置していても、そのときになってからやれば済むようなものばかり。転ばぬ先の杖という言葉もあるが、用意万端しておけば困らないのだが、その用意に魅力がない。これはメンテナンス系で、積極性がない。できれば攻撃に出たい。
 では何処に向かって進むのかだが、それが問題で、いいネタが見付からない。思い付くようなものはほとんどやってしまった。いずれも中途半端で好ましい成果はなかったが。なくてもそれをやり始めているときは楽しかった。この躍動感がいいのだろう。
「また今年もやってきましたね」
 こういうとき、三島は数少ない友人を訪ねる。話している間にいいのが見付かるかもしれないし、その友人が持っているものを盗んでもいい。他人のアイデアを先に使うのは快感。先回りして先にさっとやってしまうと、気持ちがいい。
「秋になると、君は何かないかとよく聞きに来るねえ」
「夏が終わったので、これから何かまたやろうと思うんだ」
「季節ごとに言ってない」
「夏の初めは言わない」
「そうだったか」
 平日の昼間、その友人と話しているのだが、この状態も考えものだ。二人ともぶらぶらしているか、自宅警備でもしているのか、何もしていないのだろう。いわば同類。確かに数少ない友人だと言える。
「ねえ三島君。そろそろ地味なことをやらないかい」
「ずっと地味だけど」
「ああ、地味じゃなく、地道だった」
「最近舗装された道が多いから」
「誤魔化さないで」
「地道ねえ」
「君が地道な生き方にチェンジしたなら、僕もそれに合わす」
「本当か」
「だから、三島君が先に地道にやりなさい。見倣うから」
「地道とは」
「まあ、真面目に会社勤めに出ることだ」
「そうか、ネタ切れで、何ともならないか」
「お互いにね」
「じゃ、競争しよう。どちらが先に地道に歩み始めるかを」
「そうだね。これで勢いが付く。僕も真っ当な暮らしに戻る時期だと思っていたんだ。秋口はそれを実行しやすい。判断も冷静になるし」
「分かった。もう何枚も落としたけど、また目からうろこが落ちたよ。新たな世界が開けた気持ちだ」
「うん」
 しかし二人とも、その後、仕事に出たという話は聞かない。
 
   了
 

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2018年09月10日

3742話 説得の神様


「話し合って相手の意見を少しでも変えたいのですが」
「それは無理でしょ」
「話し合いで解決しませんか」
「対決になるでしょ」
「はあ」
「意見といいましても、根の深いものがあります。当然もの凄く浅い根もね。また根だけではなく、それが何処に生えているか、そういった環境も含まれているのですよ」
「それが何か」
「その人にとって、それが最善策なので、変更しようがなく、ある意見を言い続けることもあるのです。こんなもの話し合いで譲るとかどうかの問題じゃありません。無理でしょう」
「異なった意見でも、何とか妥協点を見出せませんか」
「餌が必要でしょ。おいしいものが」
「それでいけますね」
「しかし、根は変わりませんよ。同意したわけじゃありません」
「それは少し不満です。やはりお互いの意見を理解し合い、手を握りたいのです」
「それじゃ、あなたも意見を変える必要がありますよ。相手が合わせてきたのなら、あなたも合わさないといけません」
「それはできません」
「そうでしょ。だから無理なのです」
「じゃ、やはり餌ですね」
「そうです。餌のために意見があるのですから、餌がもらえれば、何でもよくなります。しかし、根本的なことは変わりませんがね」
「しかし、あなたは説得の神様と言われています。その秘伝を教えて下さい」
「相手の意見は変えられません。それが秘伝です」
「それならやはり餌ですね」
「餌でも無理だから、問題なのです」
「餌が効かない相手ですね」
「そうです」
「そのときはどうなさるのですか、説得の神様としては」
「説得するのです」
「それは分かっています。どういう風に」
「相手の意見をよく聞くことです」
「それは大事ですね。自分の意見ばかり言うよりも」
「相手がそれで意見を言い出せば、何とかなります」
「じゃ、相手の意見を受け入れるわけですか」
「ずっとずっと聞き続けます。相手が疲れるまで」
「はあ」
「一晩中、いや二晩でも三晩でも聞くのです。そのうち」
「そのうち」
「相手は根負けします」
「本当ですか」
「もう、自分の意見を言うのも面倒になります」
「じゃ、説得されて、相手は意見を変えるわけですね」
「変えません」
「じゃ」
「折れるだけです」
「では説得の神様とは、そんな単純なことなのですか」
「しっかりと付き合うことでしょう。相手がもういいというまで意見を聞く。こちらは一切意見を言わない。説得もしない」
「はあ」
「それで今回は相手に泣いたもらいます」
「はあ」
「まあ、相手としては大きな貸をやったようなものです。当然餌も用意しますがね。その餌は出さない」
「流石説得の神様、すごいですねえ」
「いやいや、説得に応じない相手では無理ですよ」
「はあ」
「話し合いに応じる相手でないとね」
「参考になりました」
「しかし、相手の話を綿々と聞くには体力が必要です。だから、体力作りが大事かと」
「はい、有り難うございました。ところであなたの席なのですが、そろそろ引き時かと」
「早速説得に掛かりましたね」
「はい」
「長い長い時間がかかりますよ。付き合えますか」
「はい」
「それ以前に、先ほど言いましたでしょ。その件に関しては話し合いに応じないと」
「話し合いに応じない相手を説得する方法を教えてて下さい。あなた説得の神様でしょ」
「何でもかんでも聞けばいいというものじゃない」
「はい失礼しました」
 
   了


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2018年09月09日

3741話 避暑地の別荘


 高原と言うほど原っぱが拡がっているような場所ではないが、標高がそこそこあるためか、昔から別荘地として知られている。冬ではなく、夏の避暑地。
 それらしい別荘が建ち並んでいるのだが、その奥に特別な避暑地がある。そこは一件一件ポツリポツリと建っている。
 避暑地だけあって別荘とは関係のない観光客も来る。ただ夏場だけ。
 そこで土産物などを売っている店があり、その主人は土地の人。農家のある村はもう少し下にあり、主人の竹岡もそこに普段は住んでいる。
 その竹岡、一番上の方にある別荘の管理もしている。そして持ち主が夏場いるときは、手伝いに行く。
「夏はもう行ってしまいますなあ」
 独り言だ。持ち主が帰ったので、後片付けをしているとき。
 竹岡はたまに別荘に寄り、様子を見に来ることもある。しかし、中に入り込むような人間などいないので、その必要はないのだが。
 ただ、そんな侵入者はいないが、人ではないものがいる。
 先ほどの独り言は、実はそれに向かって語っていたのだ。
 この持ち主、真冬にも来ることがある。いつ来るのか予測できないため、たまに掃除をしておく必要がある。
「夏が去れば、あなたのもの」
 竹岡はそう言い残し、別荘をあとにした。
 数年前まで、それはこの近くにある別荘にいた。ここ数年は竹岡が管理するこの別荘にいる。その前は何処にいたのかは知らない。
 こういった奥まったところにある本物の別荘が数軒ある。その何処かにそれはいるようだ。
 持ち主が滞在しているとき、それは息を潜めてじっとしている。それに気付く持ち主はいない。そんなものがいるなど思いもしないため。
 しかし、竹岡には分かる。それは匂いだ。いや、鼻で嗅ぐ匂いとはまた違うものかもしれないが、竹岡にはそれが匂いとして分かるようだ。
 その匂いは子供の頃、村の神社で嗅いだことがある。その後、その匂いはしなくなった。
 あの別荘で、その匂いを嗅いだとき、懐かしいものと再会した気になった。
 きっと村の神社より、それにしてみれば住み心地がいいのだろう。
 
   了

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2018年09月08日

3740話 夕神


 その日の暮れ方、佐々木も途方に暮れた。沈みゆく夕日とお揃いなので、いい設定だが、このままでは夜の暗みに入り込む。佐々木にとって非常に暗い話に入る直前。しかし、釣瓶落としの季節ではないので、すぐには日は沈まない。結構粘っている。
 また日は落ちても、残照がある。雲はまだ明るい。これが降りると帳も降り、幕が完全に閉まる。
 佐々木それまでに何とかしたいのだが、そんな僅かな時間で解決する問題ではない。
 しかし、夕焼けを見ていると綺麗だ。こういうのは雨でもない限り、毎日やっていることかもしれないが、その組み合わせは二度と再現できない。一回きりのもの。ものすごい偶然が重ならないと、見事な夕焼け空にはならない。そのとき、雲の動きや雲の形が大事で、ここだけははっきりとした具がある。塊が、形がある。
 そんな夕焼け空の解説をしている場合ではないのだが、人の世とは関係なく、上でそんなドラに似た光と色彩が織りなすイベントが行われている。主催者はいない。
 結局途方に暮れた佐々木は夕焼け鑑賞へ逃避した。そこは人の世ではないためだろうか。別世界。
「夕焼け神を見られましたか」
「え、あなたは」
「あなたの目付き、それは神を見た目付きです」
「そ、それが夕焼け神なのですか」
「夕神とも申します」
「それは何なのですか」
「ただの自然現象」
「そうですねえ」
「しかし、そこに神を見出すものです」
「そこまで考えていませんでしたが」
「はい」
「あなたは誰ですか」
「通りがかりのものです」
「あ、そうですか」
「ただ、夕焼け空を見ている人がいると声を掛けたくなるのです。あなたのようにじっと眺めている人は希です」
「いえ、別のことを考えていただけです」
「夕神様にお願いすれば、叶えてくれるかもしれませんよ」
「はい、ご親切にどうも」
 要するに自然に任せろという程度のものだろうか。佐々木は少しそれで気が落ち着いた。
 
   了



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2018年09月07日

3739話 絵の不自由な人


 立花は売れないイラストレーターだが、弟子にしてくれという人がいる。これは合わない。落語家ではないためだ。
 それでも自分を選んでくれたことで、少しは嬉しい気持ちもある。そういう気持ちを出すと隙が生まれる。だが、仕事もなく、暇なので会うことにした。
 しかし相手の得体が知れない。それに家に来てもらうのもいやだ。それに安アパートなので、それを見られたくない。そこで、駅前の喫茶店で会うことにした。複数の店があり、よく打ち合わせで使う店ではなく、滅多に行かない店。というよりほとんど入ったことがない店。
 立花は喫茶店のドアを開け、狭い店内を見回す。
 該当する男がいないどころか、客が一人もいない。店の人も奥にいるのか、姿がない。
 適当なテーブルに着くとき、椅子をカチンと音が出るように引いた。木製のためか、拍子木のような音がした。これで分かるだろう。
 奥からトンボのような目をしたお爺さんが出てきた。年をとると目が小さくなるはずなのだが、逆にまん丸で飛び出ており、しかも大きい。若い頃はもっと大きかったはず。
 注文し、コーヒーを飲みながら煙草を一本吸い終えたあたりで、その男がドアに足をぶつけたのか、鳴り物入りで登場した。
「どうして僕なのですか」
 男はミニコミ誌の編集部で紹介されたらしい。たまにそこで仕事をすることはあるが、その編集者も冗談が過ぎる。アシスタントなどいらないことは知っているはずなのに。
 しかし、立花なら暇なので、相手になってくれると思ったのだろう。
「絵を見せてもらえますか」
「はい」
 立花は百均の落書き帳に画かれた絵を見る。
「絵が不自由なのですか」
「はい自由に画けません」
 話はこれで終わるはず。
「イラストレーターとしてやっていけるでしょうか」
「芸術家ならできるでしょう」
「いや、私は大衆相手の絵が好きでして。そんな高尚なジャンルはちょっと」
「デッサンとかしました?」
「はい、デッサンができるだけのデッサン力がありません」
「だから、デッサンをするのです」
「あれは苦痛の洞窟で」
「何ですかそれ」
「ダンジョンゲームにあるのです。苦痛の洞窟。これをクリアーしないと先へ進めません。これは最初の方に出てくるのですがね」
「知りません」
「先生のような絵でもやっていけるのですから、私にもできるような」
「僕のような絵とは」
「いや、それは言えませんが」
「絵が不自由だと苦労します。だからもし瓢箪から駒で万が一イラストレーターになれたとしても、その先はその苦痛の洞窟ですよ」
「はい、分かりました」
「じゃ、これで」
「はい、有り難うございました」
 これで、完全に話は終わった。
 その後、その男、超一流のイラストレーターに見出され、その後あの不自由な絵で彗星のように登場した。などにはならない。当然それはあってはいけないことだから。
 
   了

 
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2018年09月06日

3738話 幽霊の掛け軸


 一日留守にしていただけなのだが、家に入ってみると、何か様子が違う。こんな家だったのかと思うほどだが、何がどう変わっているのかは分からない。壁を見るとシミがある。最初からあったのかもしれない。気付かなかっただけ。
 引っ越してからもう二年になる二階建ての借家。駅から遠いが安い。いずれ取り壊されるはずだが、そのときはそのとき。ずっとここで住むわけではない。
 前の人が付けたシミかもしれない。柱にも傷があり、これは分かりやすい。子供の背を刻んでいたのだろう。三本ほど横に付いている。高さから見て小学生以下。次の傷がないので、引っ越したのだろう。高島の前の人かもしれないし、その前。さらにその前の家族かもしれない。
 二間と台所と風呂などが一階にあり、二階は二間ある。高島一人が住むには広すぎるが、使っていない部屋とかがあると、狭苦しくなくていい。無駄な空間にも意味がある。
 最初の頃は二階で寝ていたのだが、階段の上り下りが面倒なので、一階の奥に変えた。そして今は二階は何もない。そのため、階段を上がることは希。台風のとき、雨戸を閉めに上がる程度。普段は硝子窓とカーテンだけ。
 何かいたのではないのかと思うと、いるように見えてくるが、目で見えるものではない。本当に見えたら気絶するかもしれないだろう。特に見知らぬ人がそこにいるとかでは。
 だが、見知らぬ虫が這っていても、何とも思わないはず。虫の種類は多い。
 高島は今までも家を空けたことは何度もあるのだが、今回のようなことは初めて。だが、何も起こっていない。気がするという程度。
 何かいたような。
 高島の友人にお寺の息子がおり、そこへ泊まりがけで遊びに行った。御本尊などを置くための須弥壇というのがあり、その中を見せてもらった。友人は隠れん坊でよくその中へ入ったらしい。
 また御本尊の裏側も見せてもらった。狭い隙間があり、裏拝みの場らしい。そんな行事があるわけではなく、その友人が勝手に付けた言い方。
 本堂はすっきりとしているが、その横に寺の雰囲気を崩さない建て方の住居がある。一見して寺の一部に見えるが、庫裏と言われているところ。
 書庫や物置があり、ちょっとした事務所で所謂社務所だが、それがあるだけ。友人の家族はその横の家に住んでいる。こちらは今風だ。
 その夜、友人の提案で庫裏で寝ることにした。これは高島も望んでいたこと。実際には寺に住んでいないのだから、寺で泊まったことにはならない。流石に本堂に蒲団を持ち込むのは親の目があるので、無理だったようだ。
 庫裏内部の密度の高さは、奉納品のためだろうか。または捨て場所に困ったものが持ち込まれているようで、古道具屋にでも来たような感じだ。
 友人が見せてくれたのは幽霊の掛け軸で、これは有名だが、無名の画家が画いたもので、幽霊というよりもお化けだ。しかも紙が破れたり、汚れたりして、その効果で怖い。友人は子供の頃、これが一番怖かったと言っていた。
 いつ誰が持ち込んだのかは、もう分からないらしいが、鑑定してもらったことがあり、大正時代のものらしい。だから値打ちはない。絵は大したことはなくても古ければ価値があったかもしれない。
 高島はその幽霊の掛け軸を見てもそれほど怖いとは思わなかったのは横に友人がいたためだろう。この友人の顔の方が怖ったりする。
 高島が戻ってから、何かいると思ったとき、最初に思い付いたのが、あの幽霊。
 しかし、そんなものが付いてきたとは思えないのだが、合理的判断を超えたところにアクセスしたのだろう。
 そして、疲れたのか、すぐに横になった。昨夜は友人との長話で、寝たのは明け方だった。
 しかし、寝付けない。
 何処でそんなことを思い付いたのか、高島にも分からないが、二階への階段を上っている。二階の二間のどちらかに、あの掛け軸が……。
 何故そんな発想になるのかは分からない。だから、引っ張られているのだ。
 そして階段を上がり、廊下に出て、さっと襖を開け、電気を点けるが、そんなものがあるわけがない。
 さらに廊下に戻り、もう一部屋の襖を開ける。外からの灯りで壁にそんなものが掛かっていれば何となく分かるのだが、一応電気を点ける。
 この部屋だけは床の間がある。掛け軸があるとすれば、ここだろう。しかし、何もない。
 あるわけがないと分かっていても、確認したくなったようだ。
 高島はそれで安堵したのかどうかは分からないが、もう気にしないで寝ることができた。
 朝、起きると、幽霊のことなど頭になく、今日の仕事のことがまず頭を走った。
 
   了


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2018年09月05日

3737話 主力部隊


 蕩尽斉と呼ばれる軍師、軍略家、策士がいる。武家ではなく商家。戦のとき、ぼろ儲けした商人の子として産まれたのだが、遊び倒して財をなくした。まあ、その程度の家だったのだろう。
 家系図を買い、武家として出直したのだが、武芸は今一つ。ただ商才はある。あるなら家は傾かないのだが、財よりも別のものが欲しかった。商才といっても、その中身は情報だろう。
 この蕩尽斉、罠でも仕掛けるように寺に棲み着き、鴨が現れるのを待った。罠とは、有名な軍師が滞在しているという噂を流しただけ。
 早速その罠に掛かってきた。
「敵を知ることが大事かと」
「ご尤も」
「敵は大軍」
「はい。こちらは及びません。だからこそ知恵が必要なのです」
「うむ」
「お教え下さい。勝つ方法を」
 蕩尽斉の情報網は商人にある。そこから得た情報がタネになっているのだが、かなり盛ったもので、蕩尽斉の創作が結構多い。
「敵軍を知ることが肝要かと」
「ご尤も」
「私が見た限り、敵の主力軍は数だけ」
「おお」
「これは見せかけの兵にて、年寄りや弱兵の集まり。これが大軍の正体。恐れる必要はないのです」
「そう言われると、気が楽になりますが、何せ大軍」
「敵の主力は別におります。それが精鋭軍。別部隊として奇襲してきます」
「遊軍ですな」
「主力は見かけ倒し。囮です」
「本当でしょうか」
「それと黒鍬衆が優秀」
 黒鍬衆とは土木部隊のようなもので、橋を架けたり、人馬、荷駄が通れるように道を付けたりする。逆に言えば、相手方の橋を落としたり、道を潰したりする。その他、戦場での後片付けも請け負っている。
「敵はお抱えの黒鍬衆を持っており、これが実は精鋭部隊ではないかと思われます」
「よいことを聞いた。それで、勝つ方法は」
「敵の主力に突っ込めばよろしい」
 その話を聞いた武将は国元に戻り、その策を披露したのだが、やはり張りぼてに近い大軍だとは誰も信じてくれない。
「駄目でした」
「やはり大軍が怖いのでしょう」
「折角いい話を聞いたのに、残念です」
 蕩尽斉はさもあろうというような顔をした。
 その後、戦いが始まった。敵の主力と対峙した瞬間、もう押されて、逃げ出した。そこを敵の遊軍に突かれ、敗走した。
 蕩尽斉の言う通り、逃げないで、大軍に突っ込めば、逃げ出すのは大軍の方だったかもしれない。
 
   了



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2018年09月04日

3736話 国道の走る町


 引っ越して間もないので、その町がどんな町なのかは里見はよく知らない。郊外にある平凡な町。特に変わったところがないので違いを見出す方が難しかったりする。ただそれは外見。内のことは分からないし、表に出ないのかもしれないが、そんなものは何処で知るのかとなると、そこまでして知る必要もないことから、調べるようなことはしないだろう。必要のある場所程度を把握しておけばよく、またそのときになってから調べてもいい。おそらく他の町と同じようにあるべきものがあるはず。
 里見は寝に帰るだけの部屋との往復程度で、駅までの道しか歩いていない。今まで住んでいた町とそれほど離れていないので、この町もそれなりに知っている。通りかかることもあるためだが、この町を目的として訪れることは今までなかった。ただ住んでいた建物が取り壊されたので、仕方なく引っ越した。
 そのため最寄り駅が変わったが、逆に近くなった。これだけでも満足だ。ただ家賃は少し高かった。
 その日の夕方、最寄り駅に降りたとき、まだ早いことに気付く。いつもなら暗くなってからの帰宅。こんな明るい時間帯に戻るのは久しぶり。夕食は会社近くの繁華街で済ませるのだが、今日は早いので寄っていない。
 それでこの駅前で何か食べて帰ろうとしたのだが、ファストフード系がある程度のあまり何もない駅前。これは分かっていることなので、幹線道路に出て、その道沿いの店を見付けることにした。
 いつもは駅から部屋までの最短コースを通っている。その道以外は知らないも同然。
 自分の住む町。しかし馴染もうという気はない。我が町の自慢とかは生まれ育った町ならともかく、すぐにまた引っ越すことになるので、淡泊なもの。
 里見はいつもの最短コースの道を進み、国道があるはずの左側に入って行った。これは初めての道だが、いつもの道沿いと大した差はない。駅から少し行くともう住宅地で、田畑が残っていたり小さな町工場などもある。平野部にあるため、山は遠くにあり、建物で塞いでいるのか、目印にならない。
 国道に出る道。それをどうして知ったのかは簡単なことで、ただの方角だ。国道の何処に出るのかは分からないが、何処かで引っかかるだろう。
 住宅地の中にポツンと寿司屋がある。こんなところで成り立つのかと思えるほど条件が分からない。これこそ土地の人間でないと分からない何かがあるのだろう。元々は小汚い大衆食堂かうどん屋だったのだが、景気のいいときに寿司屋にしたとか。または仕出しで稼いでいるのかもしれない。
 住宅地にある路だが結構道幅が広い。そのわりには車は少ない。大型トラックが止まっているが、明らかに駐車違反。しかし、その前に土建屋でもあるのか、四階建てのモダンな煉瓦造りの家がある。ただ鉛筆のように細長い。その横に建築関係の資材置き場でもあるのだろう。
 そのトラックを越えると、今度は大きな公園がある。児童公園ではなく、緑地だろうか。プレートを読むと避難所となっている。
 さて、ここまで踏み込めば、そろそろ国道とぶつかるはずなのだが、見えてこない。次の辻、次の辻と幾辻も越えたのだが広い道に出ない。これは方角を間違えたのかもしれない。
 住宅地図が貼り付けてあるので、それを見るが、旧地名とかが書かれている狭いエリアの地図で、国道はない。狭すぎるのだ。
 そのうち薄暗くなってきたので、人に聞いた方が早いと思い、人を探す。
 里見は異変に気付かなかったのは、意識して見ていなかったためだ。
 それはどの辺りからかは忘れたが、人を見ていない。トラックが止まっていた辺りまでは車も見かけたが、辻で左右を見ても、人も車もない。
 町は人でできている。だから寿司屋もあるし、土建屋の建物もあるし、公園もある。
 里見は怖くなり、何処をどう走ったのかは分からないが、灯りが動くのを見た。もう暗くなっていたのだ。灯りは流れるように動いている。灯りの海だ。
 そして灯りが途切れたとき、眩しいほどのネオン看板が見えた。
 国道に出たようだ。
 
   了
 

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