2019年11月29日

3586話 吉野峰の呪術師


 吉野峰の郁三という男が呪術が達者と都で噂に上がっている。噂はあくまでも噂。それに都から見に行くには遠い。誰も確かめに行く者がいないので、この噂は長く続いた。誰かが見に行けば、その力が分かり、噂にも立たなくなるのだが。
 ある下級の公家に、それに近い爺さんがいる。卜占に長けているのだが、さっぱりあたらない。しかし、こういうのは縁起物で、あたれば困るのだ。むしろ善い罫を出すように最初からできている。
 主人は既に判断を下したあと。だからその後ろ押しの一罫が欲しいだけ。景気づけだ。だから、この爺さんにはそういった能力は無いが、その手のことには詳しい。やり方は優れているのだが、あたらない。
「吉野峰の郁三の噂は聞いておりますやろ」
「はい聞いております」
「どうなんや」
「さあ」
「誰も確かめに行かへんから、行ってみいひんか」
「遠いです」
「その方が行きなはれ」
「もう年で、そんな遠くまで歩けません」
「共をつける。馬も出す」
「噂を確かめに行くだけですかな」
「いいや、場合によっては、都に来てもらいましょ」
「分かりました。確かめに行きましょう」
 しかし、それをすると、この爺さんは首になりかねない。
 自分の首を自分で切りに行くようなものだが、主人の頼みなら仕方がない。どうせ暇なので引き受けた。
 吉野峰の郁三だが、これが山の中腹にある樵小屋のようなところに住んでいる。僅かだが窪地があり、昔はここに村落があったようだが、廃村になる。しかし里から山仕事に出た村人は、そこを足場にしている。だから、人は結構出入りしている。
「私が吉野峰の郁三ですが」
「呪術の達人と聞きました」
「あ、そう」
「主人が雇いたいと申しておるのですが、その前に、何か見せてもらえますか」
「あ、そう」
「では、お願いします」
「何を」
「ですから、術を」
「私はただの炭焼きで、そんな術は」
「吉野峰の郁三さんでしょ」
「そうです」
「間違いありませんか」
「一人しかいません」
「都で評判が立ってます」
「あ、そう」
「それをお見せ下さい」
「そんな術は使えませんが、山の神を呼ぶことができ、色々とお話を聞くことはできます」
「おお、それそれ」
「山神託です」
「それそれ」
「じゃ、少しお待ちを」
 郁三は先ほどから炭焼きをしていたのだが、火の中に、何かをばらまくと、煙が濃くなり、狼煙のように立ち籠めた」
 火薬でも入れたのだろうか。
 これは炭を使った護摩のようだ。
「何か、聞きたいことがあるかな」
「勿論、それより、これはどういう仕掛けなのでしょう」
「そうじゃなく、占って欲しいことです」
「ああ、じゃ、わしは将来、どうなりましょうや」
 郁三はまた何かを火の中にばらまいた。
 煙が乱れ、妙な形になった。
「山神様が、現れました」
「おお」
 煙の形が人型のように見えたが、すぐに流れた。
「で、お告げは」
「将来、吉と出た」
「おお」
 爺さんは都へ戻った。
「どうやった」
「同じでした」
「え、何やて」
「だから、私と同じ縁起物でした」
「ほんなら、呪術は嘘でおますか」
「そのようなもの使える男ではありませんでした」
「ああ、ご苦労やったなあ。残念やが雇うのは諦めましょ」
 爺さんは、山でそのあとも色々な術を見せてもらったが、それは言わなかった。
 
   了





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2019年11月28日

3585話 役者


 落ち着かなかったのだが落ち着き、また落ち着かなくなり、そして何処かでまた落ち着く。この繰り返しをしていると、最初からじっとしていた方が良いのではないかと思うのだが、そうかはいかない。落ち着かないときは落ち着こうとするだろう。
 そして落ち着いているときは、何か物足りない。落ち着いた瞬間は良いのだが、しばらくすると飽きてくるのか、またはここで落ち着いて良いのだろうかと、いろいろと考えるためだろう。
 沢村という人は落ち着いた人で、落ち着きのある人物。しかしそれは外面で、実は内面ではさざ波が常に立ち続け、ときには嵐のようになっているが、それを表に出さない。
 つまり、もの凄く落ち着きのない人なのだ。それがばれるのを恐れて、常に落ち着いた振りをし続けている。心は常に乱れているのだが、これは訓練でできるようになるようだ。ただ、とっさの場合は仕方がない。だから、一考を要するような事象がいい。人の動きに対しても、対応できる。
「まずは落ち着きなさい」と、言っている人が一番落ち着かないのかもしれない。人に言っているのではなく自分に言っているのだろう。
 ここは落ち着いてじっくり考える必要があるものに対しては、あえて落ち着いた行動を、などとは言わなくてもいい。分かっていることなのだ。それが分かっていながら、落ち着かないので、落ち着きを失う。沢村もそのタイプなのだが、ここは我慢して、落ち着いている振りを先ずする。そして落ち着いて物事を考えるわけではない。内心は取り乱しているので、落ち着いて考えているような状態ではないためだ。しかし、見た目は落ち着いている。動じない。
 この臭い芝居のためか、沈着で冷静な判断を下す人とされている。しかし、大した判断などするわけではなく、黙っている。沈黙を守ることで、さらに落ち着いた人ということになるが、中身は何もない。自分の表情や態度だけを気にしている人。
 しかし、これが良い具合に誤解され、それなりに信頼されている。
 落ち着きのない人は目をキョロキョロさせたり、瞬きが多い。当然沢村はそれを知っているので、その対策もしている。決して瞬きしないこと。涙が出るほど我慢する。目も動かしたいのだが、黒目を動かさないで周辺を見る技を身に付けた。だから実際にはキョロキョロしているのだが、黒目が動かないので、分からない。
 果たしてこれを自分を制する力を持っている人なのか、それともただの役者なのかが曖昧。
 沢村の場合、役者なのかもしれない。そのように見られればいいのだ。
 この沢村の臭い落ち着いた芸を見抜く者が現れた。それは目を合わせた瞬間分かった。
「お前もか」
 という感じだ。
 あとはどちらが役者が上か下かの戦いになるのだろう。
 
   了




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2019年11月27日

3584話 山庵の守善


 守善は目が覚めたのだが、また食べて寝て、食べて寝てを繰り返すだけ。それが修行だと言われ、人里離れた庵で過ごしている。しかもたった一人。誰も作ってくれないので、食べて寝るだけでは済まない。畑はあるが、田んぼがない。それに水田があってもまだそれは食べられる米ではない。畑があっても育つまで待つしかない。
 野菜は何とかなるが、米がない。そのため、米は届けてくれる。しかも一年分。
 畑で作らなくても、山や川があるので、食べられる野草なら、何とかなる。そのままでは危ないので、乾燥させる。それから煮て食べる。
 だからこの修行はじっとしているだけではなく、食事の用意が加わる。
 それで山に分け入り、鳥や獣を狩りに行くこともあるが、これは素人では無理。落ちている鳥、既に死んでいる獣ならいいが、そんなものは山の鳥が真っ先に食べてしまうだろう。それに、虫もそれを狙い集まってくる。
 比較的手に入りやすいのが川魚。しかし小魚なので、食べるところがあまりない。大量に捕れたときは残りは干した。
 問題は修行だ。その庵に籠もり、座禅でもやればいいのだが、食べるものが気になる。そろそろ夕方に近い。今夜食べるものがない。米はあるが、おかずがない。干し魚も尽きたし、野草も尽きている。畑の野菜はまだ育っていない。
 書が多く積んであるのだが、読んでいるどころではない。気が散る。
 里へ下りて買えばいいのだが、銭がない。物々交換の品もない。物はそれなりに身に付けているのだが、必要なものなので、売るわけにはいかない。
 それで守善は里へ下りてきて、鍛冶屋の手伝いをした。そんな技術は無いので、掃除とか水汲みとか、その程度のもの。買い物も頼まれる。
 戦乱の世が続き、刀鍛冶は忙しい。
「守善さん」
「はい」
「あなた種子島をご存じか」
「鉄砲のことですか」
「そうじゃ、一丁欲しい。作れるものなら、作りたい」
「鉄砲なら撃ったことがありますよ」
「そうなのか」
「持ってきましょうか」
「持っておるのか」
「城へ行けばありますよ」
「是非一丁欲しい」
「分かりました。取ってきます」
 守善はこの領内の家老の息子。修行のため山庵に押し込められているようなもの。次男なのに兄よりも優れており、目立ちすぎるので、目立たないところに出されたのだ。
 守善は鉄砲組の武器庫から二丁盗み出した。一丁は分解するはずなので。当然火薬類も。
 鍛冶屋は早速作り出したが、やはりうまくできない。
「守善さん、鉄砲鍛冶を知っておるかな」
「はい、探します」
「教えを請いたい。連れてきてくれると有り難い」
「お安い御用で」
 鉄砲鍛冶は城下にはいない。それで、組頭から鉄砲の入手先を聞く。かなり遠い。
 その村まで行くと、鉄砲鍛冶がウジャウジャおり、技術を教える先生もいた。何人もいるが、それぞれ出掛けている。一人だけ戻っていた先生がいた。
 その先生のおかげで、鉄砲が作れるようになった。しかし、火薬類が必要で、これはこれで職人がいる。それも修善が探してきた。
 瞬く間に大量の鉄砲を作れるようになったので、それで大儲けした。
 それで守善も忙しい。
 米はあるがおかずがない。それを得るため小銭を稼いでいたのだが、今では山庵にいることは希で、修行もやっていない。
 
   了
 




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2019年11月26日

3583話 枯れ葉の道


 秋の終わりにしては暖かい日で、冬ごしらえでは暑いほど。岩田はいつものように散歩に出たが、汗が出てきた。それで分厚いジャンパーを脱いでもいいのだが、手に持たないといけない。それも面倒だし、括り付けると余計に暑い。腹に巻くと腹巻きになってしまう。
 巻いていたマフラーも解き、湯上がりで首に引っかけている程度にしたが、それでも首が暑苦しいので鞄に入れた。
 歩くとカサカサ音がするのは落ち葉。葉の僅かな厚みや萎れ具合で、少し弾力を感じる。落ち葉の絨毯というほどではないが、いつもの舗装された表面とは違う。
 落ち葉は目の前でひらりと落ちてくる。ひっきりなしに落ちてくる。落ち葉だが、まだ落ちていない空中にいる葉はどういうのだろう。枝から落ちたところなので、やはり落ち葉だろうか。
 舗装されているので地面に変化はないものの、こうした落ち葉や、雨が降ったあと、僅かにできる水溜まりは、それほど平らではないためだろう。マンホールのあるところなど、少し窪んでおり、水が溜まりやすい。その上を歩くと滑りそうになったことがある。これは新しい靴を履いたとき。スケート靴のようによく滑った。普通のゴムではなく、樹脂のためだろう。土や砂を噛むと、滑らなくなる。
 ここは桜並木の歩道だろうか。横は車線だが、区切られているので歩きやすい。たまに自転車とすれ違う程度。
 新しくできた道のようで、真っ直ぐに伸びている。強引に直線で貫かれているのは、強引に立ち退かせたのだろう。そのため、斜めに切れた家がある。断面が尖っていたりする。
 水平線まで続くわけではないが、肉眼では道の奥は見えない。トンネル状の一番奥はもうぼんやりとしている。だが、その向こうにある山はよく見える。そして少し歩いた程度では山の形は変わらない。ずっと同じ高さ。
 雲はなく晴天。所謂秋晴れで、年に何回もあるようでいて、結構少ない。
 晩秋の色付く歩道を歩く。今日という日はすぐに忘れるだろうが、何処かで覚えているはずだが記憶のほとんどは使わないので、忘れるが、無理に潜り込めば多少は回復する。ただ、違う日や違う年が混ざっていたりしそうだが。
 岸和田はこの記憶に残らないようなものを儚く思う。忘れてしまうことなので、そんなものだ。
 色艶がよく、少し模様のようなものが入っている落ち葉があった。他の落ち葉とそれほど違わないのだが、光線具合や角度で、目立ったのだろうか。
 もっと艶があり、模様も複雑で、虫食いあとなどがあるのは柿の葉だ。色目が複雑で、まるで焼き物。
 岸和田は急に柿の木がある場所を思い出し、そこへ向かった。
 
   了




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2019年11月25日

3582話 三寒四温


「寒くなりましたねえ」
「三日ほど寒い日が続き、そのあと四日ほど暖かい日が続く。これを三寒四温と呼んでおります」
「これからがそのシーズンですか。そのパターンが繰り返されると」
「らしいですが、これは中国での話なので、そのまま我が国に当てはめるわけにはいきません。まあ中国も広いので中原での話でしょ。日本も広い、長いので北と南とでは気候も違う。だから、その南北の幅の中に、三寒四温が当てはまる地があるかもしれませんがね。当然季節風の吹き方も違う」
「じゃ、当てはまらないかもしれませんよ」
「三寒四温が二寒三温になるか四寒五温になるか、はたまた三寒一温になるか、それは分からない。しかし、季節は行きつ戻りつで進む。それはあたっているでしょ。寒くなりっぱなしじゃなく、寒くない日もある。しかし、また寒くなる。前回の寒さよりも少し寒くなっているはず。真冬に向かっている時期はね」
「三歩進んで二歩下がれもありますねえ」
「じゃ最初から一歩だけ進んで、じっとしている方がよかったりしそうですがね」
「勝ちに乗じるな、もありますよ」
「それは勝った勢いでまた勝とうとすることを戒めたことでしょ。調子に乗りすぎるとよくない」
「大欲ではなく小欲ですか」
「こういう名言は裏表があり、結局はどちらでもいいのですよ。折角のチャンスを見逃したりしますからね。取れるはずの勝ちをみすみす逃すようなもの」
「そういうのは何処から得るのでしょうねえ」
「おそらく事例。過去のね。過去にあったパターンを参考にしたのでしょう。想像ではなく、実際にあったことから生まれた言葉だと思われます。しかし、パターンは繰り返されますが、中身が違っていたり周辺が違っていたり、時の勢いも違っていたりしますので、そっくり同じような状況にはなりません。だから当てはめるのはどうでしょうかねえ」
「じゃ、何でもありですか」
「過去の成り行きを見て、今回もと思い、臆病になったり、また、その逆もあるでしょ。あくまでも目安で、過去をそのまま今のことに置き換えないことでしょう。昔あったからという、以前もあったからといって、そのパターンに従うのは、現状をよく見ていないためでしょう。過去ばかり見て、今を見ていない。そして現実はやってみないと分からない」
「ややこしい話ですねえ」
「まあ、過去を引っ張り出すのは、都合が良いからでしょ。この先の未来、現実ですな。それは誰にも分からない。起こってみなければ。予測はできますが、その実感は予想していたものとは違うはずです」
「何故でしょ」
「同じ偶然がそう簡単には重ならないためでしょ」
「偶然」
「三寒四温も起こりやすい偶然という程度。全部あたれば天気予報はいらない」
「分かったようでよく分からない話でした」
「話というのはその程度のものですよ」
 
   了



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2019年11月24日

3581話 まやかし


「最近どうですか」
「色々とやってきましたがね。それで分かったことが多々あります」
「経験を積むことで、色々と知識が増えるわけですね」
「ところが余計な知恵ばかり付いてしまいましたね。これが曲者です。紛らわしい」
「それは経験の副作用でしょうか」
「そうかもしれません。しかし、よりよくなるように、色々とやっているわけですから、今よりよくなるような方法を考えたりするものです。これは積極的でしょ」
「はいはい、前向きです」
「それで、今までとは違い、良い方法がかなりありましてね。しかも結構多い」
「やはり、いろいろと調べてみるものですね。そして動いてみること。その成果ですね」
「ところがあなた、よく見ると、よりいいものとは小賢しいものでしてね。小手先の芸のようなものです。だから基本的なところは以前と同じ」
「ほう」
「いわば欺されたわけです」
「何があったかは分かりませんが、よくあることかもしれません」
「特に新しいものには気をつけた方がいい。色々と複雑なことを言ってますが、やっていることは単純なことなのです。その単純なことで解決しない問題は、新しいものでも同じなのです」
「何でしょうねえ」
「無理なものは無理ということでしょ」
「はあ」
「分からないものは分からない」
「単純ですねえ」
「そこから一歩も出ていなかったりするのです」
「何かご機嫌が悪いようなので、退散しましょうか」
「いや、機嫌は悪くありません。それにより随分と無駄なことをしてきましたが、元の木阿弥が結構正しかったりするものです。あまり変わらなかったりしますからね」
「はあ」
「具体的な話はしませんし、面倒な話になるし専門的な内容ですので、それは省きますが、結論を先にいえば、無理をしない方が良いという程度でしょうか」
「単純ですねえ」
「ベースが悪いと、無理が生じます」
「それは分かります」
「身の丈に合ったとはいいませんが、世の中にはまやかしが多い。その誘い水で身の程知らずとなります」
「それで、色々とやってこられたことを整理されるわけですか」
「そうです。私はまやかしものばかりやっていた。できないことでもできそうな気がしたからです。しかしできないものはやはりできない。それだけのことです」
「それは残念ですねえ」
「それで、以前やっていたような無理のないところで暮らすことにしましたよ」
「そうですか」
「ですから、もうあなたと合うことはないでしょう」
「それは残念です」
「いえいえ、お元気で」
「はいはい、御達者で」
 
   了





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2019年11月23日

3580話 冴えない話


 今日もまた今日が来たのだが浅田は冴えない。毎日冴えていると、逆に疲れるので、たまには冴えない日があってもいいのだが、最近そういう日が多い。それで何とか打開しようと、色々と刺激的なことをやるのだが、それほど持たない。夜半までは盛り上がっていたのだが、朝になると、戻っている。
 頭が冴えれば良いというわけではないようで、むしろぼんやりとしているときの方が、物事もよく見えるようだ。しかし、このぼんやりもなかなか難しい。これほど簡単にできてしまうような行為、行為というほどではなく、ただ単にぼんやりしているだけなので、何もしていないのに近い。だが、それを作り出すのは結構難しい。ぼんやりを狙っても、なかなかぼんやりにはならない。ぼんやりではなく、冴えない状態になら簡単なのだが。
 だから頭が冴えるよりも、この恍惚状態の方が難しい。これは呆けているようなものだが、結構至福状態。日向ぼっこをしている猫が、徐々にうつらうつらとしているような状態。尖った発想よりもまろやかな発想になるようだ。
 しかし浅田はそれは趣味には合わないので、熱中しているときのハイテンションを好む。まだ若いためだろう。現実の上で事をなしたい。幻覚でも見ているような朦朧感ではなく。
 しかし、頭が冴えない状態、物事に対して何か空々しく感じ、どうでもいいかとなるような状態を少し続けていると、意外と、そのためのおかげでか、反動でか次は冴えることがある。何か糸口、突破口を見付けたのだろうか。それこそあらぬ幻想かもしれないのだが、これは実用性がある。
 幻を追うことに実用性はなく、掴んでも幻なので、現実性がない。しかし、幻の城、幻影城だが、そこまでは現実のところを通って行く。幻影城には辿り着けないというより、現実には存在しないが、過程は現実であり、存在する世界。だから幻影城周辺は具体的な世界なので、そこから得られるものが結構ある。
 まあ、旅先でのお土産のようなものだが、これは持ち帰られる。
 だから冴えない状態が続いていても、それは時期というもので、その次は冴え冴えしく思えるものが出現する。
 浅田はそう思うことにし、冴えない状態も、何らかの肥やしになるので、冴えない状態でも楽しむことにした。つまり冴えないことを満喫する。
 これが上手く行けば冴えない状態のときも悪くはないとなる。冴えているときには味わえないものが味わえる。
 というようなことは冴えないときだから思い付く冴えない話なのだろう。
 
   了

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2019年11月22日

3579話 指導者


 今日はもう何でもいいから適当にやってしまうという日がある。何をやるにも面倒で、特に何もないような日だ。
 何かに熱中しているときは、暇を惜しんで突き進むのだが、これはそのことよりも、この熱中で突き進むことの方が美味しいのかもしれない。一種の刺激であり、前へ前へ、次へ次への誘い水があるため。結果を知りたいので、面倒なことでも、シャキシャキとやる。
 これは先に楽しみのようなものがあるためだろう。日常の中にそういうネタがある日とない日とでは違う。その内容ではなく、あるなし。
 内容は二の次で、退屈しないで過ごせる方を取る。ただ、この場合、行き当たりばったりで、やっていることに統合性がなく、統一感もなく、メインとなる道が何処にあるのかさえ分からないような散漫なもの。
 高梨をそれを散漫路と呼んでいる。まあ、散歩道のようなもので、何処へ寄ろうと勝手で、むしろ目的を散らせる方がよかったりする。
「行き当たりばったりでは困るじゃないですか、高梨君」
「はい、でも癖で、気が散るもので」
「散らさないようにしなさい」
「はい」
「もっとひとつのことに集中し、より深く追求していってこそが良いのです」
「でも余所見したくなりまして」
「一箇所に留まり、そこで懸命に生きる。これが研究者としては大事なのです。それでこそ専門家となり、世の中に何人もいない中の一人になれるのです」
「先生もそうですか」
「私は違います。指の数じゃ足りない。そこらにゴロゴロ転がっている中の一人です」
「でも、専門家でしょ」
「だから、その道は険しいのです。まあ、それは私の力が足りないのでしょう」
「じゃ、懸命に励んでも、仕方がありませんねえ」
「しかし、君のように散漫ではものにならん。私の研究は浅いが、それでも世の中に役立っておる。こうして後進の指導を任されておるのだからね」
「でもそれは研究とは関係ないでしょ」
「そうだがね。まあ、研究のやり方を教えているようなもの。その中身じゃなくね」
「教育ですね」
「そうだ」
「はい」
「だから、君のやっていることを見ていると、心配でならん。もっとひとつのことに集中し、そこを掘り下げて行きなさい。これは地味な作業になりますが、先々役立ちます。それだけ経験も知識も増えるのでね」
「いや、僕は研究に熱中できるだけで十分です」
「困ったものだ。私の指導が悪かったのかもしれん」
「いえ、それは関係ないです。僕が勝手にやっていることなので」
「じゃ、いいがな」
「気にしないで下さい」
「まあ、良いが、私もこんな指導、邪魔臭くなってきた。もう好きなようにしなさい」
「先生も、また指導が必要ですねえ」
「それを言うな」
「はい」
 
   了


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2019年11月21日

3578話 調子が良くなる鳥


「この頃になると飛んでくる鳥がおりましてね。それを見るといい年末になり、いい年明けになります」
「渡り鳥ですね」
「そうです。年に一度見られるかどうか、微妙なところです」
「縁起のいい鳥なのですね」
「そうです。昔からこの鳥を見ると良い年末年始になります」
「どんな鳥ですか」
「結構派手な極彩色。雀ぐらいの大きさですが、嘴が長い。まあ、見慣れた雀に比べると、鳥の格が違うように感じますなあ。貴人を見るようなね」
「貴種ですか」
「さあ、よく分かりません」
「はあ」
「それで、最近思いましたね」
「え、何をですか」
「鳥を見る機会です」
「年に一度見られるか見られないほどなんでしょ」
「見ない年は調子が悪い」
「それは聞きました」
「よく考えると、この鳥は山際にいます。里には滅多に下りてこない。まあ、里で見たことは一度もありません。ほとんど山中です」
「それが何か」
「山中で見かけるのは、山中へよく行っているときです」
「はい」
「この時期、毎日行っておれば、先ず見ることができる。ところが三日おきとか、四日おきにしか行かないと見ることは希」
「確率の問題ですか」
「そうです。山にいる時間が長いほど見る機会が多くなる。それだけのことでした」
「何だ」
「しかしです。因果関係はあるのです。調子が悪いときは山へは行かない」
「なるほど」
「確率がそれだけ落ちるわけです。だから既に調子が良い年なんでしょうなあ」
「つまり、調子の悪いときは山に行かないし鳥も見ない。そして調子の良い年末にも年明けにもならない。ということですね」
「そうです。縁を作らないからです」
「でも体調の悪いときは山へ行かないのでしょ」
「いや、たまには行きますが、頻度が低くなります。行かない日が結構出てくる」
「分かりました。単純な話でした」
「いえいえ、お粗末様」
 
   了




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2019年11月20日

3577話 精霊たちの森


「木々の生い茂る場所。まあ、山に入れば大体そんなところばかりですがね。高い山なら違いますが」
「樹霊について教えてください」
「木霊のことですな」
「そうです」
「これはあなた、山に一人で入り、そこでじっとしておると出てきますよ」
「そんな簡単に」
「特に夜に山の中にいると、もっと出てきます」
「そんな簡単に」
「これは木に囲まれた神社の境内でもいいし、手入れしないで放置している庭木の密生しているところでもよろしい。ある程度の空間が必要ですからな。まあ、歩道の並木程度では浅いですが、一寸した公園の茂みなどでは出ます」
「樹霊ですよ」
「木霊です」
「いずれにしても精霊でしょ」
「森がまるで息をしておるかのように、微妙に動いているのですが、これは風です。台風のときなど庭木の梢が悲鳴のような音を出すでしょ。風が全くなくても、木々には色々な生き物がいます。鳥が分かりやすいでしょ。羽ばたくし、梢をゆらす。虫でもそうです。昆虫でもね。耳を澄ますと色々な音が聞こえてきますよ。これが正体です。そのほとんどは音ですなあ。だから夜などもっとよく聞こえますので、色々なものがウジャウジャ出ているように思えたりしますなあ」
「じゃ、木霊は幻聴だと」
「幻聴じゃありませんよ。風の音や鳥の羽ばたきや鳴き声は幻聴じゃないでしょ」
「木霊、木の精、森の精に詳しいと訊いたのですが」
「私ですかな」
「そうです」
「しかし、私が体験したわけではありませんが、山住まいの人達から不思議な話は聞いてます。先ほど私が言ったのとは別種のね」
「それそれ、それについて教えてください」
「錯覚が重なり合ったとき、具として出ることがあるとか」
「はあっ?」
「風の音とは何でしょう」
「はあ」
「何かと触れて音が出るわけでしょ。楽器のように。それが海なら波の音。大時化の海なら海鳴り。森なら梢を震わす音。幹が弓のようにしなるときの音。葉が震動を受けすぎて、これも鳴る。草笛や葉笛のようにな」
「そういうのが偶然重なるとき、本物が出るのですか」
「本物は出ませんが、リクエストにお応えして姿を現すこともあるのです。共振です」
「それが精霊ですね」
「音は分かりやすい響きでしょ。いずれも振動、波動。このレベルのものがいるのですよ。ただ聞こえない波長、見えない波長もあるわけです」
「つまり、電波系と言うことですか」
「静電気のようなものかもしれませんなあ。私はサイエンスには詳しくないので、よく分かりませんが」
「それで樹霊ですが」
「木霊ですな」
「あ、はい」
「だから、こだまですよ」
「ヤッホーの」
「反響ですなあ。しかし誰も発していないのにヤッホーと聞こえるとまずいでしょ」
「もう少しはっきりと言ってください」
「木というのは大人しい奴ですよ。静かな人です。背は恐竜よりも高いやつがいます。生物の中での体重はかなりのものでしょ。これが大人しくただ立っているだけとは思われません」
「はあ」
「一寸の虫にも五分の魂。虫も樹木も生物。魂が入っていてもおかしくないでしょ。巨木の魂など、かなり大きいはず」
「余計に分かりにくくなりました。羽の生えた妖精を期待したのですが」
「木から羽根蟻が飛ぶ立つようにですな」
「そうです」
「まあ、動物の感覚では植物の感覚分からない。私にも分かりませんがね」
「錯覚が重なって具が出るとはどういうことでしょうか」
「もはや錯覚とは思えないものが出るのでしょうなあ」
「じゃ、それが木霊」
「木の精かどうかは分からない。他のものと重なり合い、偶然奏で飛び出るもの」
「それはもうポエムの世界ですねえ」
「ただ、この境地、危険なので、やめた方がよろしいかと」
「どうしてですか」
「存在そのものの怖さ、根本的な怖さを体験することになりますからな」
「それはいったい」
「私達が見ているのは色眼鏡を通してです。それを外すとナマを見てしまう。修行者も、たまにそれでやられます。おかしくなります。だから、そういうものには近付かない方がよろしい。精霊を探しに森に入るとかは、おすすめできません」
「でも、妖精や木霊や精霊を見た人もいるのでしょ」
「本当に見た人は語らないでしょ。そして忘れるようにします。それを認めると生きにくくなります。だから、錯覚で済ませておくのが賢明なのですよ」
「分かりました」
「木霊にしても、それは触れてはいけないもの。触れたものは気が触れるかもしれませんからな」
「でも木に触れてもいいわけでしょ」
「それは、ご自由に」
 
   了



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