2020年06月19日

3786話 細く深くの果て


「行き詰まったのですが」
「そんなことを言いに来たのかね」
「いえ、別に困ってませんが、一寸感想を述べたいと思いまして」
「私に聞いてくれと」
「そうです。聞いて欲しいのです。そういうのを聞いてくれるのは奈良さんしかいません。ベテランですので」
「しかし、もう一線から外れたところにおりますから、今のことは疎いですよ」
「いえ、長年の経験から」
「さあ、で、何でしょう」
「行き詰まりました」
「それは先ほど聞きました」
「何とかなりませんか」
「細く深く、深く細くでしょ」
「その通りです。これがまた苦しくて苦しくて、それこそ先細りでして」
「よくあることです。普通です。それを困ったとは言えません」
「だから、それほど困っていませんので、深刻でないので、ただの感想です」
「先細りでしたね」
「そうです」
「先細りという症状。ありますあります。よくある。次に多いのは中折れ。これは途中で折れてしまうわけです」
「折れていませんが、細いのです」
「それは仕方がない、先へ行くほど道も狭くなる」
「それでは淋しいというか、やることが減るのです」
「そうですねえ。暇でしょ」
「はい」
「広く浅くもありますが、それでは使い物になりません」
「そうでしょ」
「その場合」
「何かありますか」
「私の経験でしか語れませんが、いいですか」
「それを期待して、聞きに来たのです」
「色々と言い方はありますが、その一つが切り口を変えるということです」
「それは広く浅くと同じじゃないのですか」
「そこが、少しだけ違うのです。違うところを切るのではありません。切り方を変えるのです」
「ほう」
「分かりましたか。これだけで十分ヒントになりますよ。すぐにピント来る人もいます」
「要するに価値感を変えると」
「良いことをいう。正解です」
「そんな簡単なことなのですか」
「しかし、思い当たるでしょ」
「確かに」
「一つのことばかり狙っていると、どうしても先細りします。その一つは、あくまでも一つでして、色々ある中での一つなのです。しかし、その一つが一番目立ちますので、他にも色々あっても、あまり相手にしません。価値が低いと思うからでしょうねえ。それにその気も起こりません。その気が起こるのは先細りして、先が厳しくなったときです」
「今が、そうです。厳しいというわけじゃなく、淋しいです」
「その一つの道、先細り。それが本家だとすれば、分家もありということです。本家はひと家ですが分家は複数、それこそ無数にできます。また分家が本家を超え、そちらがむしろ本家になることもあります。これは時代によってそうなるのでしょうね。その分家の雰囲気と今の雰囲気が合っているとかでね」
「もうそれ以上説明を聞かなくても、分かります」
「そうでしょ。その道もあると、誰でも分かっているのです。あなたもそのはず」
「本家では軽くしか扱っていないものでも、分家では、それを大事に扱う。これですね」
「そうです」
「ありふれた話だったのです」
「そうです。昔からあります」
「有り難うございました」
「分家を作りなさい」
「はい」
 
   了





posted by 川崎ゆきお at 13:35| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月18日

3785話 錬金術


 柴田は最近熱中することができたので、暇をそれで潰せた。一日があっという間に過ぎるほどで、時間が足りない。いつもなら寝るまでの時間が長く、早い目に寝てしまったり、夕食までの時間が長く、早い目に食べていたりする。朝は早く起きてもやることがないので、好きなだけ寝ていた。しかし、それほど眠れるものはない。それに昼寝もするので、もう睡眠時間もパンパンで、それ以上暇潰しとして使えない。
 時間だけはふんだんにあるが、やることがない。それで、意味もなく近所を自転車でウロウロしているのだが、これは一定時間、何とか時間を消費できる。ただ、見慣れた風景ばかりなので、飽きてくる。
 そんな状態のとき、やっとネタを見付け、それをやり始めた。今までの生活が嘘のように違ってきた。良いことだ。やること、熱中することがあるのは仕合わせな話。
 昼食も夕食も忘れるぐらいだが、腹がすくので、決して食べないで過ごすわけではないが、これはもう適当なものを食べて、空腹を満たすだけの食べ方になっている。以前なら夕食が楽しみで、食べるものを考えるのが仕事のようなものだった。今は何でもかまわない。口に入るものなら。
 こんな経験は柴田にも昔はあったような気がする。うんと若い頃、十代か二十代初めの頃だろう。
 今は熱中できるものなら、何でもいいようで、一日がそれで充実すれば、それでもう満足。当然その成果を期待しているが、これは社会的に有為なものではなさそうなので、大した価値はない。価値は暇潰しとして貢献することだろう。
 それで柴田は生き生きとした幸せな日々を送っていたのだが、限度、限界というのがある。尽きてくるのだ。徐々に飽き始めるし、やることが減ってくる。先が見えてきた感じで、底が分かり出す。
 最初の頃は大海原が拡がっていたのだが、今は向こう岸が見える。
「良いネタを見付けたようだね、柴田君」
「はい、しかし、そろそろです」
「先が見えてきましたか」
「はい」
「そこからが勝負ですよ」
「そうなんですか」
「誰にでも行けるところがあります。そこまでは意外と簡単。しかし、あるところで止まります。ここからが勝負なんです」
「はい」
「もう飽きましたか」
「飽きていません」
「それはよろしい。良い感じです。しかしネタが切れかかっているのでしょ」
「いや、あるのですがね」
「ストレートに進むとそうなります」
「はあ」
「認識を変えてみなさい。そんなに奥まで行かなくても見付かるはずです。ゴミのような物を宝に変えられるのです」
「ほう」
「錬金術です」
「はい、やってみます」
「ただし、金は作れません。しかし作れるかもしれないというのがミソなんです」
「はい、やってみます」
「ご苦労なことで」
「暇になるのがいやですから」
「うむ」
 
   了




posted by 川崎ゆきお at 15:05| 小説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年06月17日

3784話 調略の果て


 戦国時代の調略。これは武力ではなく、外交のこと。調略で敵の城を取る。刃向かう敵では被害が出る。だが敵の本拠地ではなく、その周辺の城は取れたようだ。
 これは世の流れを説き、また敵味方の優劣などを説き、無駄な戦いをしないで、我が方の人になれということを懇々と説く。また誠意を見せる。これが上手かったのが秀吉だとされている。悪くいえば人たらし。元々百姓なので、武家としてのプライドなど、後付けだろう。
 その調略で、敵の一城を先ず取った。敵としては寝返ったわけで、主を裏切ったのだが、主から与えられた土地の館主ではない。元々、その地の支配者だった。だから自治国のようなもの。数ヶ村を差配している。当然主筋への貢ぎ物や、主筋からの頼み事は聞かないといけないし、人や金銭も出さないといけない。本城の領主とは主従関係になっているが、これは浅いもの。
 草加城主はそれで敵側に寝返ったのだが、その見返りは千石が二千石になること。戦いに参加しなくてもいいというもの。これは流石に主従関係にあっただけに、そこまでの協力は必要ではないらしい。それよりも黙認すればいい程度。だから戦いになってもじっとしておれということだろう。
 今までの領主、これは一国の主で数十万石レベルの大名だ。しかし、代が変わり、人望がなくなった。
 草加城が寝返ったことは何となく、その周辺の城城にまで伝わった。あくまでも噂だが。
 そして、他の城城にも、その調略が入っている。
 草加城の隣りにある赤坂城には、それが来ない。重臣のためだろう。寝返るような相手ではない。
 しかし、赤坂城の赤坂氏は重臣とはいえ、格下の草加城と同じ石高。これが気に入らない。重臣でも端っこの人物で、長く家老をしているだけで、信認が薄いのだろう。それに、敵が頻繁に調略をかけ、既に寝返っている城が多い。これは負けるなあと赤坂氏は思うのだが、何ともならない。しかし、何とかしないと負ければ赤坂城も落とされ、赤坂氏も亡びる。これは何とかしないといけない。
 赤坂氏の当主は若いが、その祖父が敵の本拠地へ乗り込んだ。既に戦いが始まるような雰囲気があり、国境近くには互いに兵が出ていた。
「赤坂殿がお見えです」
「誰じゃ」
「草加城の横の」
「赤坂といえば敵の重臣」
「はい、その方がお見えです」
「用件は」
「寝がいりたいと」
「それはなあ、どうかなあ」
「お話しだけでも、お聞きになられては」
 この外交家は赤坂城には何も仕掛けなかったし、調略で落とす気は最初からない。手強いのではなく、領地安泰どころか、倍ほど与えないといけない。
 赤坂領は、草加に餌として与えている。
 そして、詰めの話となる。
「何とかなりませんでしょうか」
「困ったなあ」
「領地安泰だけで、それ以上の恩賞は必要ではありません」
「草加との約束がある」
「駄目ですか」
「草加殿を裏切るわけにはいかん」
「分かりました。では無血開城では如何ですか」
「それなら、追放だな。命だけは助ける。好きなところへ行けばいい」
「それでは先祖代々の家来や領地が」
「何とかしたいのだがなあ。殿が許すまい」
「分かりました」
「悪いなあ」
「いえいえ」
 そして、いよいよ開戦となったのだが、意外と進展がない。敵の勢力はかなり減ったはずなのだが、本城に近付くに従い、手強くなり、戦いは膠着状態になった。
 そのすきに、赤坂城から兵が出て、寝返った草加城を襲撃した。そして、見事落とした。
 あのとき、赤坂氏が寝返るといったのに、それを聞き入れなかったためだろうか。逆に寝返った草加を裏切り者として成敗する名分を与えたことになる。これがきっかけで、戦いは逆転した。
 赤坂氏は先祖代々の領地を倍にした。与えられたのではなく、自分で切り取ったのだ。
 
   了





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2020年06月16日

3783話 キャラ立ちぬ


 何でもない人物。しかし何かあるだろう。何もない人物なら、それは存在さえしていないようなもの。ただ、何が何だろう。この何かというのが曲者で、何かを差している。何かが何かを差している。きっと見るものの価値観で何かが違ってくるのだろう。
 黒田は何でもない人物。まあ、あまり目立たないし、特徴もないし、キャラが立っていないキャラだろう。だから覚えにくいし、印象にも残らない。だが、少しは何かがある片鱗が見え隠れすることがある。だから、たまだ。これを見抜く人は希。これも見る側の価値観と関わってくる。
 車が通っていない横断歩道でも、信号があるので、黒田は立ち止まっている。あとから来た人は、サッと渡る。次に来たママチャリの人は当然のように渡っている。
 向こう側もそうだ。さっさと渡っていくのだが、先ほどから一人だけ、立ったままの人がいる。どうも黒田の視線が気になるようだ。渡ると咎められるのではないかと。
 やがて青信号になり、二人は交差するように渡る。すれ違い際、「できるな」と、一言、黒田に呟く。
 交差後、さっと黒田は振り返ると、相手もさっと振り返り、身構える。こんなところで、ストリートバトルが始まるわけではない。ただのすれ違い際。互いに相手の目さえ見ていない。
 これで、黒田のキャラが立ちそうになるが、曖昧。何がどうなのかが分からない。
 だが、相手の人物、黒田以外では、そんな態度に出なかったかもしれない。信号も皆と同じように赤でも渡る。見通しがよく、車の姿などない。何故、こんなところに信号があるのかは分かっている。小学校の通学路に当たるためだろう。
 道路を渡ったあと、黒田は駅へ向かう。いつも吠える犬のいる家がある。犬は生け垣の向こうの庭にいる。誰が通っても吠える。五月蠅いので飼い主は反対側の余地に繋いでいることが多いが、犬は表通りに面した庭が好きなようだ。
 その犬、黒田が通っても吠えない。そして尻尾を下げている。
 黒田のキャラが立ち始めた。しかし、それがどうしたのだ、というようなもの。
 その先に野良猫が何匹かいるが、人が近付くと、ある距離に入った瞬間、さっと逃げる。
 黒田が近付いても猫は逃げない。黒田は猫に対して何も思っていないし、可愛いとも思わないし、また猫など相手にしない。
 だが、猫は黒田が通り過ぎるまで、じっとしている。黒田に懐くようなことはなく、何か呆然とした状態。黒田の姿が見えなくなってやっと我に返ったようになる。
 黒田のキャラが立ち始めた。しかし、これがいったい何だというのだろう。
 そして電車に乗り、出社し、普通に働いている。特に仕事ができるわけでもないが、地味に熟している。目立たない存在。
 そして、同僚は多くいるのだが、友達は一人もいない。
 分かりにくいキャラだが、何かがある。その何かのド本命になるようなことにでも巻き込まれなければ、その本性は出ないまま。
 そういう人がたまにいるものだ。
 
   了


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2020年06月15日

3782話 梅雨入り


「雨ですなあ、昨日も降っていた」
「梅雨入りです」
「あ、そう」
「それだけですか」
「何が」
「一節あるんじゃないですか」
「?」
「蘊蓄ですよ。雨に関して一蘊蓄あるんじゃないですか」
「一節太郎じゃあるまいし」
「じゃ、いいのですね。雨は雨でも梅雨の雨ですよ。何か語りたいでしょ。吹きたいでしょ。唸りたいでしょ」
「いいや」
「あら、元気がありませんねえ。私、覚悟していたのですよ」
「下手な浄瑠璃を聞かされるようなものかね」
「病院に行った人もいます」
「聞いてかね」
「そうです」
「君の方が派手に吹くじゃないか」
「いえいえ、それで、梅雨の話題はスルーしていいのですね」
「どうぞ」
「何かおかしい」
「別に」
「毎日天気の話をするじゃないですか。今回はただの雨じゃないですよ。初物です。梅雨入りなんですからね。普通の雨じゃない」
「君の方が語っているじゃないか。わしは静かにしておるのに」
「そうでしたか。でも、おかしいです。何かあったのですか」
「何もない。梅雨など珍しくも何ともない。毎年この時期になると雨が続くじゃないか。そんな分かりきったことを話しても、仕方ないじゃないか」
「始まりましたね」
「何も初めておらんぞ」
「いえいえ、どうぞ続きを」
「この長雨を何故梅雨というのか。何故梅なのか。梅など冬の終わり頃の話、今の花とは合っておらんじゃないか」
「来ましたねえ」
「しかし、梅の花ではなく、そのあとじゃよ」
「梅のあとは桜でしょ」
「いや、咲いたあと、何が始まる」
「梅祭りとか」
「違う、次は実を付けるのじゃ。そうでないと、花など必要ではない。実を付けるため。つまり梅の実じゃな。これが君、今の時期から青くなる。実るんじゃよ。その梅の実を見ているとき、決まって雨が降っておる。しかも長雨で、晴れた日に梅の実を見ることなど希、それで、梅の雨と書いて梅雨ということになった」
「本調子ですねえ」
「しかし、何故梅なのか。そう名付けたのは梅農家じゃあるまい。これは公家連中が臭い。都の庭に咲く梅とかな。それを見ての詩情だよ。菅原道真も言い出しそうだ」
「掘り下げてきましたね。ちゃんとネタを繰ってこられたのですね。準備していたじゃありませんか」
「しかし、梅干しは今でもよく見かける。年中あるのでな。だから梅は季節ものじゃが、梅干しはそうはいかん。やはり木の枝についておる梅の実でないと、成立せん」
「では、そこまでですね」
「何が」
「一節、聞きましたので、ここらで、終われば被害は少ない」
「何が被害じゃ。わしは梅毒か」
「いえいえ」
 
   了





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2020年06月14日

3781話 草むらの中の会社


 だだっ広い敷地。水平線が見えるほどには広くはないが、取り囲んでいる建物が遠いため非常に小さく、横に並んでいるように見える。敷地内は草が生い茂っており、畑もあるが、草が多い。自然に任せていても、季節になれば枯れるし、それほど伸びる草はない。ただ、蔓が結構伸びている。ただし横にだ。これが一つの茎から出ているとは思えないほど拡がっている。
 敷地内の端に建物があり、人の姿が見えるのはそこだけ。三階建てのビルだが、数人がいるだけ。ビルと公道とは比較的近い。元々私有地だったのだが、その道は公道になっている。敷地内に沿って走っているが、交通量は少ない。人も車も、このあたりには来る用事がないし、通り道でもない。敷地の端に川があり、それなりの川幅だが橋は架かっていない。これも渡る用事がないためだろう。当然向こう岸の街からも。
 鶴岡はここで勤めるようになったのだが、若くはないが、新入社員。長く正業に就かないで、ぶらぶらしていたのだが、その間、考えていた夢のようなものが、実現しそうにないことが分かったので、就職した。
 一応事務職だが、ワードもエクセルも知らなくてもいいらしい。条件としてない。
 初日は挨拶しただけで、帰った。
 帰っていいというのだ。
 初仕事が、帰っていいというのは、ほっとする。どんな仕事かは分からないが、慣れない事務など、できるのだろうか。簿記も珠算も知らない。知っているものとみなされて、さっと仕事を命じられると恥をかく。まあ、どんな職種でも新米はプレッシャーがかかるし、また知らないこと、やったことのないことをするのは緊張する。その初日だけで、辞める人もいるだろう。
 しかし、帰っていいというのだから、その難を避けることができた。実際には後回しになっただけだが。
 鶴岡はビルの裏側の窓から、広大な敷地を見る。以前何があったのかは分からない。しかし、所々古い建物が残っている。だが、草に覆われ、それが建物なのか、草の塊なのか、分からないほど。
 風景としてはいい。
 鶴岡は、ビルから出て、歩いて最寄り駅まで歩いた。駅に自転車を止めておけば楽かもしれない。結構遠い。
 明日から何をやらされるのかは、少し心配だが、今はまだ朝だ。駅前に繁華街はあるが、遊びで寄るには早すぎる。
 世の中には不思議な仕事場もあるのだな、程度で、その日は大人しく部屋に戻った。前日興奮して眠れなかったので、帰って寝る方がいい。
 鶴岡の出社第一日目は終わったが、出社しただけだった。
 
   了

 

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2020年06月13日

3780話 機嫌の良い風景


 岡田は今日もその道を自転車で移動している。用事で出るとき、いつも通る道。昨日と同じような風景が続き、明日もそれほど変わらないだろうが、天気により風景は一変する。その天気は日々違う。だから一日として同じ風景ではないが、数日前の風景とほぼ等しいほど似ている。当然一日の中でも時間によって天気が変わることがあり、それらを考慮すれば、結構日々変化はあり、同じような風景ではない。いつも見慣れた風景といっても、ずっとそれが続いているわけではない。
 そして日々の用事。これも昨日と同じような用なのだが、やはりここでも違いがある。長く換えていない便所のスリッパ。何処かで買う必要がある。台所のスリッパもそうだ。そして靴下もゴムが緩んでいる。古い靴下なら何足もあるが、揃っていなかったりする。色の近いのならあるので、それを履けば何とか誤魔化せる。靴とズボンとの間の僅かな隙間。そこからしか靴下は見えない。それに岡田は長い目のズボンを履いているので、靴下が見えるとすれば、座ったときだろう。しかし、誰も岡田の足元など見ないだろう。余程妙なことになっていない限り。
 そういう買い物などの用があるのだが、それはついで。見かけたときに買えばいい程度。
 用事で外に出たとしても、急ぐような用件ではなく、平和な用件だ。しかし、何を買うのかは日々違う。米が切れておれば米を買う。
 同じ道を、昨日と同じように自転車で移動していても、同じではない。そこに体調などが加わると、向かい風や坂道でもないのにペダルが重い。当然調子の良いときは軽い。これも日々違うが、分かっている変化。だから気にする必要もない。
 しかし、この何でもない道を平凡な用事で移動するというのは、結構良い状態なのだ。悪い状態なら、それどころではない。体調も、かなり悪いと自転車に乗れなかったりする。それ以前に歩くだけでも大変なこともある。まあ、怪我や病気のときはそうなる。
 さらに日々の勢いというのがある。これは生き生きと何かをやっている日は、移動も軽快。シャキシャキしている。まあ、そんな日は長く続かないので、やはり怠いような移動になる。
 機嫌良く暮らすというのは結構難しかったりする。そんなに良い機嫌が続くわけではないため。これは軌道に乗っている状態だろうか。順風で、風が帆を膨らませ、スーと進む。それが理想だろう。
 そのため、機嫌の悪い風景と機嫌の良い風景がある。
 岡田の目的は機嫌の良い風景へ持っていくこと。これは単純なようで、なかなかそうならないのが普通だろう。機嫌は結構手強い。
 
   了





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2020年06月12日

3779話 今日も休む人


「今日はのんびりしたいねえ」
「いつも言ってますねえ」
「そうだったか。しかし今日はのんびりしたい」
「昨日ものんびりとしていたじゃないですか」
「そうだったか、結構慌ただしかったけど」
「まあ、ペースは人それぞれ」
「そうだね。私はゆっくりがいい。そしてのんびりが。もう年だからね、急いでやっても先が見えておる。大した成果は上がらんし、精一杯やってもやらなくても似たような結果。それじゃ、のんびりやった者勝ちだよ」
「それだけが理由ですか」
「今日のように暑い日は動くと辛い。疲れる。いい気候の頃の倍は疲れる。じっとしているだけで疲れそうだからね。だからのんびりとしていても、結構疲れるんだ」
「若い頃はバリバリ働いていたと聞きますが」
「そうだね。将来があったからね。そのうち、やってもやらなくても大した違いは起こらない。先輩の高見さんを見てご覧。あの人は怠けの天才だ。あんな人でもやっていけるんだ」
「しかし、最近厳しくなりましたから、下手をすると首ですよ」
「そうだったか。そんな風には見えんが」
「まあ、上ものんびりしているからでしょ」
「そうだね。やってもやらなくてもいいような仕事だからねえ。まあ、それを言っちゃあおしまいだが」
「ところで今日はどうします。早退ですか」
「いやあまり早退が続くと、流石の私も気が引ける。今日はここで休憩してるよ。仮眠室、空いてるだろ」
「山城さんが入ってます。そのあと三河さん、川口さんが順番待ちで」
「生意気な」
「いえいえ、皆さん徹夜でしたから」
「あ、そうだったか」
「主任が休まれるのなら、私も休みますが」
「それは君が判断してくれ」
「そうですか。ここじゃ流石に休めませんから、早退します」
「そんなことしなくてもいい、記録に残るから。外に出て、遊んできなさい」
「いいですか」
「ああ、用事を言いつけたことにする」
「はい」
「そのまま家に帰りなさい」
「有り難うございます」
「いやいや」
「主任はどうなされます」
「仮眠室、並んでいる状態だから、仕事でもするか」
「そうなんですか」
「いや、仕事が一番休めたりしてね」
「あ、はい」
 
   了



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2020年06月11日

3778話 第三分室と鳴門金時疑惑


 繁華街の外れの雑居ビル五階にある第三分室。そこに一人だけで勤めている田中は仕事がないので暇なため、毎日のように市場調査、つまり散歩に出ている。
 そんなある日、珍しく本室から電話があった。運良くオフィスにいたので、散歩はバレなくて済んだが、別に外室禁止ではなく、休憩時間もあるし昼休みもある。ただそれが長いだけ。
 本室からの用事は、第一分室、第二分室までで第三分室まで回ってくることはないのだが、たまにある。前任者など、一度もなかったらしい。それで退屈しきって退社したが、年齢的には退職年齢。かなりの退職金をもらったようだ。
 それで、命じられたのは買い物。そして買ったあと、すぐに第二分室に届けること。それだけだ。
 たまに来た本業が子供の使いの八百屋での買い物。そんなことでいいのかと思いながら、しばらくそのことは忘れていた。
 そのあと世間を騒がせるような疑惑事件が起こった。汚職のようなものだろう。よくあることなので、田中は気にも留めなかったが、テレビで始終やっているので、見る気はなくても見てしまう。それに他のメディアでもやっている。旬の事件。田中も一応会社員、だから社会人としての常識として、知っておくのも悪くはない。
 問題は賄賂だろう。金を渡して、有利に話を持っていく。それで、証拠が出たらしいが、それが安っぽいファイル。書類を挟む薄いシートだ。その中にメモが入っていた。それが証拠らしい。
 それで、関係者が国会に呼び出されている。これをどう説明するのかと。
 疑惑に対する釈明のようなことをしている大きな男がテレビに映っている。田中は見たことがある。それにあの安っぽいファイルも。中身までは見ていないが、本室に届けたことまでは覚えている。その人、音羽といったようだ。
 そして、音羽の後ろにいる人が、さっとレジ袋を音羽に渡した。
 そしてそれを開け、中からサツマイモを取り出し、一本、二本と示した。
 鳴門金時三本。というのがメモの中身。鳴門金時とはサツマイモの銘柄、四国産だろう。
 田中は仰天した。先日自分が買ったものだ。
 鳴門金時三本で三億円。
 音羽は八百屋のレシートを示し、消費税込みで一本百円。そして合計三百円と説明した。
 そして、補足として、八百屋の大将は買った客に景気のいいかけ声のように、「へい大根一万両」などというものだ。それが一億円だったとしても、誰もそんな金は払わない。百円だ。しかし、一億円のところを百円で買えるので、いい気分になれる。そういうことだと国会で説明した。
 また、八百屋の大将のことを軍の大将とは誰も思わない。しかし、大将と呼ばれても、誰も誤解などしない。それと同じことだと。
 田中は仰天したというより、自分がこの前、赤ら顔の親父がやっている八百屋で買ったサツマイモがテレビに映っているので「おお」と思ったのだ。
 
   了





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2020年06月10日

3777話 茶碗の大小


 日々の変化はちょとしたことで起こる。当然ちょっとではない大きな変化だと、それどころではないが。
 ちょっとした変化はちょっとしたことが原因。その原因は不都合とか、不満とかから来ることが多い。あまりよくない、快適ではない。または苦しい。いずれも日々やってきていることなので、それほど苦しいわけではない。苦悶し続けるのなら、これは日常話ではないだろう。だからもう少し改善すればいい感じになる程度。それで快楽を得られるほどのことではない。何せ日々なので、そんなに毎日快楽に浸れるようなことなどないはず。それに疲れ果てるだろう。
 だから、ここではちょっとした改善。よくなるといってもしれている。ただ、今までよりもよくなる程度。日々のことなので、それで十分だろう。毎日のことなのだが、それが積み重なると大きい。
 たとえばいつも使っている茶碗。昔ほどにはたくさん食べない。だからこんな大きなご飯茶碗は必要ではない。しかし、別に不自由はない。だが、ご飯の量と合っていない。それを小さい目の茶碗に代えるような話。何でもないことだ。大きな決断は必要ではないし、人生も変わらない。運も変わらない。
 これは改善というにはあまりにも些細、細かい、小さい。しかし代えてみると、すっきりする。身の丈に合った暮らしということではなく、胃の大きさに合った茶碗。胃の大きさは変わらない場合、食欲に合った茶碗。これで、何となく纏まりというか整合性に近いものが得ることができる。その満足感が来る。来ても人生は変わらない。
 変化は不都合とか、何か調子がよくないとか、そういったマイナス面から来ることが多い。積極的に新規なものを得に行こうとするよりも。
 ただ、差し迫っていないので、別にしなくてもいいことだ。
 当然そういったバージョンアップなり、調整をしており、常に更新状態にある場合でも、以前のものの方がよかったりすることもあり、戻ることもある。やはり大きな茶碗の方がよかったとか。
 日々変化する。しかし変化を促している意思がある。自然にそうなったということよりも。
 
   了
 



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